私の「推し方」

皆さんこんにちは。みちこです。

今回は、私の「推し」についてお話していこうかと思います。

とはいえ今回の記事は、いわゆる「推し語り」を展開することに焦点を置いてはいません。

どちらかというと、私にとってその「推し」がどういう存在なのか、どうやって「推して」いるのか、といった形での進行となります。

いわゆる、「私なりのHow toや、ルール」と言った方が近いかも知れません。

そのようなことを、今回は綴っていきたいと思います。

では、始めます!

まず最初に、私の中での「推し」の定義についてお話します。

私の中で、「推し」とは、「自分の人生に影響を与えた人・自分の価値観を180度変えられた」人のことです。

皆さんがいう「推し」にも色々な定義があると思いますが、私の中では、世間一般でいう「推し」の定義は「自分の生活を豊かにしてくれるもの(主に精神的な面で)」という意味かな、と考えています。

その意味では確かに私も「推し」を定めてからというもの、「自分の生活が豊かになったな」と実感しています。

しかし、世間一般の「推し」の定義とはちがう、「自分だけの推しの定義」があるのではないか、と最近思うようになりました。

というのも、複数のオタク友達とお話していて、私の「推し方」は普通の推し方ではないんだな、と感じることが多かったからです。

その多くは、イベントに行ったり、グッズを買うことを「推し活」と呼んでいるのに対し、私の「推し活」はもっと「内向的」です。

オタクとして「推し活」をしたことのある人なら分かる感覚かと思いますが、いわゆる「推しにお金は貢ぐもの!」というあの感覚が、どうにも私の「推し活」には当てはまらなくて。

前者を「外交的」なオタ活と定義するのなら、私はその逆で。「自分に負荷をあまりかけずに推す」タイプの「内向的オタ活」を好む人です。

ではその「内向的オタ活者」である私はどんな推し方をしているのかというと、まず、「負荷をかけるべきものは最低限にとどめ」、「その中から得た着想や学びを創作活動や今後の自分の人生の指標にしていく」という推し方をしています。

文章で表現すると、めちゃくちゃ難しいことのように聞こえますね(笑)

例を挙げて説明していきましょう。

まず、私がどんなものにお金をかけるのか。

ここでは私の推しがどういう存在なのかを説明してからでないと分かりにくいので、先に説明します。

私の推しは、「声優さん」です。基本的に声で演技をする「役者さん」で、「裏方」のお仕事をしている方です。

なので本当は、「裏方」にスポットライトがあたることはないはずなんですが…。どういうわけか昨今の声優さんブームがすごくて、そんな「裏方」の方も「表舞台に出て」きているので、様々なメディアで色んなお話を聞くことが出来ます。

私の「推し方」は、まず、その「お話」を聞くところから始まります。

具体的に言うと、雑誌のインタビューとか、ラジオ番組でのお話とか。そのようなことが挙げられます。たいていはこの二つの方法で情報を得ております。

あとは、CDですね。これは私の中で優先度が一番高いです。私の推しは、本業である声優以外にアーティスト活動(音楽活動のこと)も行っているので、新曲がリリースされると絶対に買います。これだけは何があっても譲れないです(笑)

このCDに関しては、私が単に、大好きな推しの声を聞ける、という意味でももちろんそうですが、後述する「創作活動」の糧にもなってくれています。なのでこのCDは、ほぼ必須の買い物になっています。

そして次に、これらのコンテンツを「消化」していきます。こちらの「消化作業」、まあ感情がジェットコースター状態ですね。いい意味で浮き沈みが激しいです(笑) なお、その感情の変化を感じ取っている時が一番楽しいです。そしてその中で、何か私の心に引っかかるものがあれば、それをすくいあげていきます。

あいにくと、このようにブログを書かせて頂いているということもあり、昔から形のない思いを言語化する能力が多少なりともあったので、それらをまとめていったり、美術部に入っていて絵が描けることもあったので、イラストにまとめてみたり、と自分で感じたままにその思いを「昇華」していきました。

ここで、私の「昇華」方法は2つに分かれます。1つは、推しの言動から私が感じたことを日々の生活で取りいれていったり、意識してみたりといったいわば「理想像に近づくための材料集め」をすること。2つ目は、先ほど少し触れた「創作活動」です。

私の現在の推し(二人おり、一人は中学生から、もう一人は高校生から推し始めました)には、お二人とも本当に色々な影響を受けました。

中学生から推した方の推しには、「何事にも真摯に取り組む姿勢」と、「人を・コネクションを大事にすること」の二つを。高校生から推した方には、「違った価値観を認めること」そして、「視野を広く持つこと」の二つを主に学んだような気がします。

今思えば、どちらも、今の私を作り上げる上で必要不可欠なことでした。推す時期が違っても、例えば逆だったとしても、今の私は作り上げられなかったと思います。

そして、創作活動もまた、私の「推し活」の中では非常に重要な一端を担ってくれています。

今思い返してみて一番すごかった創作活動だと思うのは、「一曲ずつ、その曲をモチーフとしたテーマ小説を書き、さらにそれを連作にして、すべての小説に時系列的・世界観的な繋がりを持たせた」ことですね。

そのアルバムは、推し(高校生から推した方の推しです。ちなみに私の推しは二人とも声優兼アーティスト活動もしてる声優さんです)がアーティストデビューします!というタイミングで作られた「デビューミニアルバム」だったがゆえに、私もリリースされるまで様々な予想をしました。曲名のみが発表されたときには、その曲名からどのような感じの曲かを想像して一人で楽しんでました(笑)

そしていざリリースされたときには喜び勇んでその答え合わせをしましたが…。

まあ、簡単に当たるようなもんじゃあ、ないですね(笑)

でもこれだけ楽しませてくれたこのアルバムに何か恩返ししよう!と軽い気持ちで、アルバムのある一曲をテーマに小説を書きました。

そしたら聞いていくうちに、次から次へと好きな曲が現れていくので、「もうこれは連作小説を作ればよいのでは!?」と思い、小説を書きあげていきました。こうして書き上げた小説たちはきちんと世界観と時間軸が結びついているものになりました。

あの時の時間は本当に楽しかったです。

以上が私の「推しの定義」であり、「推し活」です。

少し分かりにくい文章や構成になってしまっていたかと思いますが、いかがでしたでしょうか。

私にとって「推し」とは、「人生の指標」であり、「私の理想像」であり、「癒しを提供してくれる存在」でもあれば、「新たなアイディアをくれる存在」でもある…。

そんなことだけ分かって頂ければ、この文章の大半の意味は理解して頂けています。大丈夫です。

さて。次のブログは、「私の変化」をもう少し掘り下げる記事にしようかな、と考えています。具体的にどんなことについて話すかはまだ未定ですが、とりあえずそんな大まかなテーマで何かしら執筆しようかと考えています。

長々と失礼しました。おそらく、私史上一番長い記事のような気がします。

お付き合いくださった読者の皆さま、本当にお疲れ様でした。ありがとうございます。

それでは、失礼いたします。

空きコマのすゝめ

空きコマ。授業と授業の間に生まれる、どうしようもなく暇な時間。
履修登録の際に一度空きコマを作ってしまえば、向こう数ヶ月はその暇に悩まされることになる。

友達と過ごすもよし、課題を進めるもよし。
しかし問題は特に課題もなく、空きコマが被る友人もいないときである。

せっかく新入生も入学した今の時期に、1人の空きコマでどのようなことをしていたのか、振り返っていきたい。
先に断っておくと、そこそこ怠惰な学生による時間潰し術である。
いわゆる意識高い系の時間の使い方はしていないので、そこのところだけお願いしますね

①課題
結局のところ一番の有効活用は課題に時間を割くことだ。
1コマくらいの空き時間なら一週間分の課題やオンデマンド授業など容易にこなすことができる。
大学内でおすすめの場所をこっそり教えるとするなら、図書館だろうか。
静かな場所で集中できるタイプならここがおすすめだ。
日本女子大学の図書館は本当にきれいで、本当に静かだ。
私は静かな場所が苦手なので、イヤホンで音楽やラジオを流しながらこもったりしている。
あと、1人の人が多い!これはありがたい。孤独が目立たない。
どこで1人だったとしても、誰も自分に注目しないことなんてわかっているがどうにも人の目を気にしてしまう。
その点、図書館では1人でいてもなんとなく許される空気があるのだ。
あとパソコン室もおすすめだ。あそこも静かで心地よい。
だが、そのコマの後に授業が入っていたりすると気付かずに自習しながら授業時間に突入してしまい、私のように恥をかくことになるので複数コマ空きコマがある際にはおすすめできない。
私はその経験がトラウマでそれ以降パソコン室に足を運べていない。
逆に、騒がしいところや人がいるところが落ち着くなら生協売店横とランチェの席がおすすめだ。
ただ、冬は寒い。あと食欲に負けてすぐに売店で何か買ってしまう。気をつけて欲しい。
しかし、今回のテーマは友達もいなければ課題も終わらせたシチュエーションを想定して書いているので、そろそろ次の暇つぶし術を紹介したい。

②何か書いてみる
浅い!浅い提案だ!でも何かを書いていると暇もつぶせて気も紛れる。
作品でも、それこそブログでも。時間が潰せるのでおすすめだ。
あと履修の手引きをぼんやり眺めながら取得単位の整理をするのも意外と楽しい。
以上。

③散歩
正直今回一番書きたかったものがこれだ。
在学生はご存知の通り、我々の学校の近くは何もない。
学生街なんて全くなく、穏やかな一本道があるだけである。
しかし、歩いてみるとこれまた面白い。
何もないと思っていたが、意外と色々あるものである。
私はこの1年間で、いい感じのまつ毛パーマサロンと美味しいおにぎりやさんと、、と色々なところに足を運んだ。
一番印象に残っているのは雑司ヶ谷霊園だ。著名人の墓をのんびり巡った。
その時のことは当時ひっそり書いていたnoteの記事に日記として残している。
いつかここでも当時を振り返りながらその時の散歩について書きたい。
大層な目的なんてなくても良いのだ。どうせ、空きコマの暇つぶしなんだから。
なんなら目白駅のスタバを目指して歩くのだって立派な散歩だ。
時間が許すなら池袋まで足を伸ばして遊ぶのだって良い。
だいぶリフレッシュできるし、大学に篭りきりでいるよりは刺激になる。
あと本女からは早稲田も近いので、早稲田の学生街の恩恵に預かるのも楽しい。
安くて美味しいご飯やさん(早稲飯というらしい)がたくさんある。
外の空気を吸って、たまにはイヤホンを外して、スマホのマップも見ずに適当に歩くのがいい。
分かれ道にきたら棒を倒してみて、倒れた方向に進むのもいいと思う。
駅と大学の往復を繰り返していると、文京区には目白駅と日本女子大学しかないような錯覚に陥る。
そして友達と愚痴り合うのだ。「本女の近くって何もないよねえ」と。
確かに、わかりやすい遊び場はあまりない。
しかし、1人でのんびり散歩するのにこれ以上にもってこいな場所はあまりない。
「本女の近くって何もないよねえ」と言われた時に、「近くに美味しいおにぎりやさんあるからさ、一緒に行こうよ」と返せるようになるだけできっとこの4年間は変わるだろう。
この4年間での生活範囲がグッと広がるだろう。
あと忘れていたが、本女の近くには永青文庫という美術館がある。
ここも雰囲気のいい公園の中にある上に、展示の内容も面白いのでぜひ足を運んでみてほしい。

空きコマは、学生に与えられた何に使っても良い自由時間だ。
寝るもよし、YouTubeを見るもよし。家が近いなら帰ったっていい。
ただ、ひたすらに持て余す。空きコマを共に過ごす友達がいないなら尚更だ。
そのような時間に陥った時にはぜひ、このブログを参考にしてみてほしい。
ちなみに私は、今年の時間割で空きコマを作りたくなくて授業が詰めつめである。

春学期の目標、もんじゃを食べる

花粉はスギからヒノキへと移り変わり、桜が舞い散る季節となりました。一年生の方々、ご入学おめでとうございます。楽しく有意義な大学生活を送ってくださいね。

私も京都から関東に帰って参りました。ギリギリまでいたのでつい先日の話なのですが。荷解きが本当に終わりません。部屋には段ボールが積み重なり、混沌としています。元々整理整頓が好きでないため、段ボールを片付けないまま段ボールありきの生活になって、最後の一箱を片付けるのは来年とかになりそうな気がします。入学を機に上京してきた皆さん、共に荷解きを頑張りましょう。

帰ってきてから早速、友だちと横浜で遊んだり相模湾沿いを爆走したり漫画の聖地巡礼をしたりしています。しかしそんな私の頭の中で、常に存在するあるコンプレックスがあります。

関東出身関東育ち、未だもんじゃ焼きを食べていないということです。お好み焼きは色々食べてるのに。

一年間他所に行って、代々住んでいて何を聞いてもよく知っている、京都のスペシャリストみたいな方々とお話しさせていただいたりして、地元周辺のことぐらい満遍なく知っておかないと!と思うようになりました。

それにしても、二十年以上住んでいるくせに全然まだまだ知らないことばかりです。今思いつくだけでも、もんじゃは食べたことがないし、けんちん汁も本場のは食べたことがないです。川崎競馬場も見たことがないし、山も登っていないし、井の頭公園も素通りした気がします。千葉は三ヶ所ぐらいしか行ったことがありません。

海外に出る前に日本のことはしっかり学んでおかないといけないし、日本全体をいきなり攻めるのではなく、先ずは地元である南関東周辺の歴史文化経済あたりからじっくり攻略していきたいです。

とりあえず春学期中にもんじゃ焼きを食べます!今年度もよろしくお願いいたします。

本日の読みたい本

『俳句歳時記 春』第五版 角川書店 

年々都市化・温暖化が深刻化し、特に東京あたりは、昔からあった四季の折々の景色というものを目にしづらい環境となってきている。

四季があることは日本の誇りである。古くより、私たちの祖先はその移ろいを空気であったり動植物を通じて楽しみ、それを文章や詩歌に残してきた。

しかし、先述の理由から、言葉ごと失われるのはとても惜しい。

まず言葉を知っておくこと。今は何を例に言われてもわからないかもしれないが、実際にそれを目にする機会が訪れたその時。感動もひとしおであろう。

日野市観光敢行

ブログをご覧の皆様、こんにちは。先月はブログの更新担当が双六で言うところの「一回休み」に止まっておりました、まどかです🐧

3回目の更新になりますでしょうか、なんだか少しお久しぶりな気もいたします。


それはさておき。ふと街路樹や学校、公園に目をやれば、桜がほころび始めているような季節になりましたが…皆様いかがお過ごしでしょうか。
日ごと春めく景色を歩いて、何とはなしにひらり舞う花弁へ手を伸ばすこともあるのではないでしょうか。

なんて雅な事象だけを掬い上げてはみたものの、、

東風吹かば 共にフッ飛ぶ 花粉ども

実際のところはこんなモンです。最悪です。もうね、クシャミも咳も涙も止まらない。全米が泣きますよ…少なくとも全私は咽び泣いております。とはいえ、、おめでたい出来事もあるものでして。

新入生の皆様方、ご入学おめでとうございます!!

そうです、なんと、このふざけた私めにも後輩ができちゃうのです!!!!

とっってもめでたいですね!ね??

そのようなワケでして、新入生の皆様に本日は是非とも!日本文学科に入るとどのようなイカレ…じゃないイカしたフレンドができるのかといったことをお伝えしてゆきたいと思います。

加えて、もう少々実用的なお話も…例えばオススメ授業紹介なんかもさせていただこうかと思います。とはいえ、ここまでの余談で一首詠み始めるくらいには冗長な駄文王でございます故、実用的なところのみをご希望の御仁は最後の方までさらりとスクロールを。

冗長・・・うぅむ悠長なだけなんですけれどもねぇ。


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オヤマァ、ここまで書いてきたというのにブログの表題である日野市の日の字もでてきやせん。

たしかにこれでは冗長と言われても返す言葉もございま…いやいや言葉なら其処らに転がす程あるのですよ。

と、こんな具合。しかしながら、口の減らない捻くれ者にも友人ができてしまうのだから日本文学科ってぇのは凄い。

その友人(そりゃあもう大変な別嬪さん)がお好きなのが「新選組」。私めが惚れ込んでいるのは「近代文学」でございまして、好きなのも何なら「新政府」。全くもって対極。

「そんなんで友好にやっていけんのかい」と思われるかもしれませんが、寧ろ、だからこそ面白いのです。

日本文学科の学生には「自分はこれが好きだ!」という芯を持った学生の多いこと多いこと。

「いや自分はまだ専攻とかも決まってないし、そんなに詳しいものもないし…」などと仰るが、その人の好きな物をつついてみてごらんなさい。瞬く間にその人の世界に引き入れられるはずですよ。

どう考えても、テストの前日に私も勉強してな~い!と言ってきたクチだ。(賞賛)

例えになるかわからんが、私の友人には【川端康成の顔が可愛いと限界化する】友人や、【宮沢賢治のガチ恋勢】たる友人がいる。そんなこんなで、日本文学科の学生には何かしらの軸を持つ人が多いように思うのですよ。

だからこそ、日本文学科が好きですし、大いに充実した日々を送れているような気がしております。新入生の皆様も騙されたと思って、お互いの興味関心を開示してみると楽しいやもしれません。


さてはて大脱線、もう日野駅なんて見えやしない。

ともかく、そんな興味関心が見事に反対車線を走っている友人に是非とも私の知らない世界をご教授願いたいと思い……えぇいまだるっこしい、布教を受けてハマりかけたオタクがすることなどただ一つ!聖地巡り!!!

そんなこんなで、友人の素敵すぎる案内のもと新選組の聖地たる「東京都日野市」を巡礼してまいりました。訪れたのは主に

・宝泉寺

 https://shinsengumi-kanko.com/hino-tachikawa/housenji/

・新選組のふるさと歴史館

 https://shinsengumi-kanko.com/hino-tachikawa/furusatorekishikan/

・日野宿本陣

 https://shinsengumi-kanko.com/hino-tachikawa/hinojukuhonjin/

の3つでございます。当初の予定ではもう何点か回る心算だったようなのですが、、、なんと私達、ふるさと歴史館にて4時間も使い込んでしまったのです。

この歴史館には、天然理心流の稽古で使われていた木刀や日野宿の運営に関わる書簡の数々、さらには局長・近藤勇らの書簡まで様々な展示が四方八方に…宝の山でしょうか!!?

新選組といえば名立たる剣客達が想起されますが、展示の中には現代でも共感できるような様相の市民の姿があったり、落とし物の連絡から新選組隊士への褒賞金一覧まであったり…大河や歴史小説では中々見られないような一面が見られました。

このような調子でそれぞれの宝の山について語りたいのは山々なのですが、、ブログを通り越して小論文になってしまいます故、泣く泣く各施設について紹介されたサイトのURLをお示しするに留めさせていただきます。

展示の詳細はぜひともご自分の目でお確かめいただくか、サイトをご参照いただくといたしまして…

ここでは一先ずイカした友人と私めが全力で満喫している様子でもお改めください。

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実は私と友人はお互いにイラストを描くのを趣味としておりまして、羽織や模擬刀の貴重なポージング資料が撮れる!と大興奮でした。そして4,50分溶かしました。最高の友人ですね。本当に何してるんでしょうか。

ですが、新選組にご興味がある方なら貴重な資料を見られるだけでなく、隊士気分でお写真まで撮れるというのは至福のひと時なのではないでしょうか。

さらにさらに、こちらの歴史館では冊子の購入も可能でございます。

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今更ですが私は「新選組六番隊組長・井上源三郎」が好きです。友人の布教をきっかけに新選組には関心を抱きましたが、それ以前から一人の人物として井上先生が好きでした。(なのに何故新選組にハマっていなかったのかと言われると…やはり新政府推しだからでしょう)

それ故に、今回私は上記の冊子を購入いたしましたが、歴史館にはその他にも土方歳三にフォーカスしたものや新選組全体にスポットを当てたものなどバリエーション豊富にございました。

ちなみにその殆どを友人は既に所持しているそうです。流石すぎる。

あ。そうそう、お写真にも写っている、「薄桜鬼」というゲーム作品をご存知の方がいらっしゃるかもしれません。今回は時間の都合上、訪れてはいないのですが…日野市には薄桜鬼関連のグッズが売られているお土産屋さんもあるそうです。ご興味がある方はそれらも含めてチェックしてみてはいかがでしょう。

…と、このように素敵な友人と本当に楽しい時間を過ごしたのですが、、なんとこの日は大豪雨&暴風。

盆を覆すような…どころではありません、あれはもはや盆ごと降ってきていました。

そんな中での観光でしたため、本陣など外から撮ったお写真が全く無いのです。何なら、私は帰宅途中に傘がポックリならぬポッキリ逝きました☔

もはや観光敢行。それでも時間が足りないくらい楽しい一日でした。

今後は観光慣行になればよいのだが。またご一緒させて頂戴ね。


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ここまで読んでくださった方がもしいらっしゃるとすれば、本当にお疲れ様です。

そして、さらりとスクロールで流した方、お待たせいたしました。


せっかく本日から履修登録スタートということで、独断と偏見によるオススメ授業紹介をさせていただきます!

勿論、昨年度と今年度では履修の仕組みが大きく変わり、さらには授業名や担当教授の変更なんかもあったそうですので……結局のところ私の与太話延長戦に違いありませんね。えへ。

【舞台芸術の歴史・東洋】

こちらは昨年、石井先生のオンデマンド授業として履修したのですが主に狂言について学ぶことができました。今年度の担当教授は別のお方で、さらには教養科目には珍しい対面授業になっているご様子。シラバスには人形浄瑠璃のフィールドワークなどという物凄く魅力的なワードが…!

このような舞台芸術系は実際に様々な映像から視覚的、聴覚的に吸収することができるため大変オススメです!

普段は文章を相手にすることの多い文学部ですが、これらの授業では学んだことを様々な要素から再認識できるため特有の面白味があるように思います。映像などを個人のペースで見られるのは、オンデマンド授業ならではの利点ですので、オンデマンド授業はぜひとも映像や音源で学べるものを個人的にはオススメいたします✨

【日本文学史(近世)】

こちらは昨年、福田先生の対面授業として履修いたしました。今年度も同じ先生のご担当です。その名の通り、近世文学を包括的に学ぶことができます。基本的には対面にて年表などの補足資料と照らし合わせつつ、作品を時代背景や作者の人物像から捉えてゆきます。

しかし特徴的なのが、幅広い文学に焦点をあててくださるところです。浄瑠璃や歌舞伎といった芸術はもちろん、政治や出版の世界など広く多くのものを学ぶことができました。昨年は通年授業であったためにさらに強くそう感じたのかもしれませんが、今年度のシラバスにも幅広いジャンルが見受けられましたため、飽き性の方や興味の幅が広い方には超オススメです。


私が履修した授業にかなり引っ張られておりますが、、つまるところ以上の特徴を持った他の授業も同じように魅力があることと存じます。ぜひともシラバスを読み込んで、自分の興味関心にあった履修を目指してみてくださいね。

また、オリエンテーションにて説明のあった「自主ゼミ」についてご興味のある新入生さんがいらっしゃるかもしれません。それら自主ゼミについてのブログも書いております故、もしよろしければご参照くださいませ。以下のブログの後半部分にございます。(何故なら前半は安定の‶冗長″部分ですから)


https://mcm-www.jwu.ac.jp/~nichibun/blog/index.php/2024/02/21/




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・・・。何故この授業紹介に近代の授業がないのか、ですが。愛が強すぎて冷静な紹介ができそうもないからです。全部いいんですもの、ダイスキ。でも1つ申し上げるなら。安藤先生の!近現代文学講義!!激ヤバでございます。昨年は無く、今年初めて拝見するのですが、!!先生の著書が大好きな私にとってはもう5限なんてなんのそのでございます。最前列で過呼吸を起こしている「シッ!見ちゃいけません!」タイプの女がいたらきっと私です。よろしくお願いします。


ハ~~~~~~~~~~~~性懲りもなく今回も長くなってしまいましたが、本日もお付き合いくださり誠にありがとうございました。

長い、煩い、拙いでお馴染み(になるであろう)まどか🐧でした!


※今回のブログの内容は著しく著者の考えに偏っています、全てが個人の感想です、信じるものは己のみの精神で安全第一な履修をお願い申し上げます

〈追記〉

今回の夢のような時間を共有してくれたイカした友人へ  本当にありがとう!

コンテンツ

 4月!出会いの季節ですね。先日、ブログ部の先輩方が私たちにメッセージを残し卒業されていきました。去年まではそれをもうそんな季節か〜などと思いながら少しの寂しさを感じつつ眺めていたのですが、今年はなんだか自分のブログ部としての活動の「終わり」を猛烈に意識しました。あと1年、どうぞよろしくお願いいたします。
 日本文学科に入学し、1年生の時の必修科目に「文章表現法」というものがありまして。その中でロラン・バルトの『作者の死』を考える講義がありました。ざっくり、「作品」と「作者」を切り離して考えましょうってやつですね。ここまでの大学生活3年間で、テクストを読む時もレポートを書く時も卒論に向き合う時も、ずっとずっとこの『作者の死』のことを頭の片隅に入れておりました。でも、よくよく考えたら私は割と作品と作者をあんまり結びつけることってなかったなと思うわけですよ。小説の向こう側の作者を意識したことってそんなにないし、たとえ作者がどんなに気に入らなくても作品自体はそれはそれとして評価できるタイプだと自負しているし。私にとって、「誰が」が大事なこともあるけど、「何が」の方が大切なんですね。
 この考えって、自分が読み手として、研究する側の人間として、心がけておきたいものでもありますが、一方で私自身にも当てはまるものがあります。たとえばこのブログを書く私と中の人の私は同じであって同じではない。と、思ってほしい。常々自分の身を削って書いてると思っているこのブログであっても、これは私ではなく私によって生み出された創作物の意識が強いです。「創作物」というのは決してフィクションという意味ではなく、ノンフィクションであっても脚色がなくても、単に私から生み出されたものという意味の創作物です。日本語ぐちゃぐちゃしてきたな。めんどくさくて小難しい話になってきてしまったけれど。こういう面倒な事を考えているからめんどくさい人間になっちゃうんですね〜。まあそんなことはさておき、ブログの他にもツイートだったりイラストだったり、私が生み出した創作物は私ではない、そこに私の自我を見出さないでほしい、みたいなことをいつも思っています。私は絵を描くのが趣味でそれをTwitterやInstagramに投稿することもしているし、文章を書いて頭の中身を整理する人間なのでTwitterを日記がわりに使いよく呟いています。もちろんそれらに私の考えが反映されているのはそうなんだけれども、安易に私と結び付けられるものではない。それは私という自我から出てきたものが私の中で練られて、絵なり文なり何かしらの形を借りて出力されるうちに私とは別のものに成る。みたいな。これ以上どう言ったら上手く伝わるのか皆目見当もつかないのだけれども、なんかそういうことをこの3年間でぼんやり考えるようになりました。難しいねぇ。自我のあり方として創作物に滲み出たらそれはノイズになると思っているからそうなりたくないし、なんならインターネット上では顔を合わせて話す場合と異なって自我までをコントロールできるからこそ、その「自我」もコンテンツにしたいとすら思っている。私は私というコンテンツになることで私自身と私を強制的に切り離そうとしたいんだなぁと。そういう人に私はなりたい。のかも。ぐちゃぐちゃになってきちゃった。自分の中身を晒すことに不安があるのかもしれないですね。ウーン、あまりにも、哲学……。いや哲学をなめすぎですが。

 思春期、アイディンティティ・クライシスなんてのもありますが、自我のあり方とか収まる位置についてこうやって20歳過ぎてもうだうだ練っているんだから自分が何者でどうあるべきかなんて一生分かんないんだろうなと思って生きています。私前々回くらいにも拝啓十五の君へに関連してこんな話をしてなかったか?まぁいいでしょう、今回はなんちゃって哲学回だったし。小難しいこと考えて生きてるな〜と思われるかもしれませんが、これもまた私であり私ではないので。小難しいを演出してるかもしれないですしね。掴みどころのない飄々とした人間になりたすぎる。皆様方にはぜひ私の更新するブログは「私」の存在を意識せず読んでいただければと思います。では。

ひばりのおしゃべり

はじめまして。

とポと現れて、グダグダジメジメと、たった一つの事柄をこねくり回してようやくお話しする、という話法……?を用いた、自己紹介になっていない自己紹介文を掲載し、電撃デビュー!を果たしてから、ようやく1年が、過ぎました。ごきげんよう。お休みをいただいた関係でお久しぶりになっておりますあやめでございます。今回はアニバーサリー回ですヨ。つまり豪華ということです。長いです。先に言いました。お時間よろしいでしょうか。

と、このように話を逸らせて何千里、これまで皆様には「で、何を言いたいンだい?」というお顔を何度もさせてしまったことでしょう。ですが、ここまで辛抱づよくお付き合いいただいた皆様にはバレバレなように、私は大事なことほど、また、照れくさくなればなるほど、ちょっとふざけて、持って回った話し方を、言い回しをしないと、話せなくなってしまう「はにかみ屋さん」でありますから、ご容赦いただきたい、のです。傲慢です。駄文です。蛇足です。だから長くなるんです。わかりにくい文章です。分かってはいるのです。

この1年、やらせていただいて、1年経って、ようやく、それでも満足に堂々とできる訳ではないのですが、マア人に見せられるレベルにはなってきた、そんなタイミングで自己紹介を、こんなところで改めてしてみようと、電車の中で思いました。もうたくさん!というほど知っているのに、紹介するのです。面白いでしょう?面白くないことをわざわざ取り立てて面白がるのが私のポリシーなので、面白くないわけが、ないのですよ。おっと、2年目に突入した私はいささか強気ですね?

私の名前はあやめです。お花のアヤメとは関係があんまりありません。生まれたのは2月ですから、アヤメの見ごろでもなんでもありません。あんまりどころか、全然関係がないと言っても良いのかもしれません。でも私自身では、あの凛とした感じやら、紫色の高貴な感じやら、ツンとしている感じやら、でも群生?みんなでぎゅっと集まって咲いているかわいらしさやらが好きなので、関係があるんだ!と思っています。我が家の庭にも植わっています。自分で自分をツンとしているとか、かわいらしいとか、間違ってもそういうことを言いたいわけではないのです。ああいうふうになりたいな、私とは全然違くてかなしいな、と、こうです。持って生まれたものと、全然違うものに、人は憧れるのだと、思っています。現に私はヒョロヒョロ、頼りないガリガリの、不格好な見た目をしているのですが(※個人の感想です)、筋骨隆々、ムキムキな人に憧れを抱いています。どうでもいいですね。蛇足。思えば私は、蛇みたいな、とぐろ巻いてシャー!と、全くなつかないヤな生物でしょうね。そう思うと「蛇足」なんて、なんて皮肉でしょうか。

あやめという人間は、日本文学科、というところに所属しています。3年生からは、近代文学をやらせてもらうことになりました。明治というよりは昭和の頭ごろに興味がありますが、変わるかもしれません。つまり、すごく!やりたい分野、が決まっていません。ふんわり、たぶんコレが一番すきだな、と決めたので、あまり決定的なことはいえません。どうなるのか。それは私が一番わかりません。

あやめという人間は、日本文学科に、あるいは日本女子大学に、狙いを定めて受験してきた人では(すごく申し訳ない、けれど事実なので恐る恐るお知らせすると、)そういう人ではありません。大学受験の話……はまた別の回でじっくりするべきだと思うので踏み込みません。……と、このように大事なことをフイと言ったり言わなかったりする悪癖を持っています。さて、しかし、日本文学科というところが私の性質に合っているようで、居心地がとても良い、ということも、大きな声で言えます。そう!と思って入学したひとでなくても、とても良いところ、と納得できる、そして満足できる、充実した、そういう場所だと思って、通学しています。

あやめという人間は、このブログのテーマを、疑い深いけど、決定的な「証拠」がないために「ダウト!!!!」と決定的に言えない、モヤとするもの、「うそぉ?ほんとに?」と思われるもの、フィクションなのかノンフィクションなのか微妙なもの、このあたりに設定し、そうなるように書いています。でありますから、今回のこの自己紹介も、全部まっかな!ウソかも知れません。いや、ウソ、ではなく、「フィクション」ですね。……どうですか?善良なあなた、あなたといえども、私という存在を疑ってしまいますか……?疑えたあなたは、「日本文学」という学問の扉が開いている、と私は思います。文学の世界に、一歩、勇気をもって、踏み込んでみては如何でしょう。勧誘でした。勧誘は、まあ、とりあえずさておき、いや、ほら、私は一応日本文学科「公式」ブログ部の部員でありますから、しかも「日本女子大学」に所属していますから、上記のように大学の雰囲気であったり、日本文学の勧め(すゝめ?)であったり、こういう宣伝であったり、こういうことも、きちんといつかはしなければならないんだろうな、と思って、それでこういう、挑戦的なことを言ってみたのです。いつもてきとうなことを言う、ではいけないと思ったわけであります。おりしも?今回は入学したての皆様がご覧になるようなタイミングでもあります。まだ二日目の大学生活、如何でしょう。さて、こういう挑戦的なことを、言いました。言ったのですが、しどろもどろで、魅力が伝わったかどうか、わかりませんね。下手な言い訳はこれくらいにします。あきれて画面を閉じないでください。さておき、こと、私あやめの記事に関しては、半信半疑くらいで読んでいただけるのが一番うれしいのです。……さて、皆様に唐突にクイズです。この言葉は「フィクション(作り話、と言い換えてもいいですが)」でしょうか?…ね?疑い深いでしょう?ふふん!したり顔をした私が、画面の向こうでニヤニヤしていますよ??あなたが迷って惑って困って頭を捻って、下されば下さるほど喜ぶ、やっぱり蛇みたいな私でしょうか。

あやめという人間は、「こういうこと」を、お風呂とか電車のなかとか、急に思いついて、書き殴って、ぐちゃぐちゃのまま、読者の皆様方にたたきつけて、でも逃げ足だけは速く、それでスタコラ逃げていく、そんな卑怯かつはにかみ屋(本日二回目)なのです。そして、こんなことばかり一人で考えている、(ちょっと、ほんのちょっと)陰気な、変な人である、と自分を評価しています。そういう自分で下した評価を、怖がってもいます。枠にはまらないところの多い、不良品だと思っています。自信が、ありません。でありますから、長々々々くらい長い文を、よせばいいのに、書きます。伝わるか不安なのです。自意識も過剰です。つまり、なぜ自己紹介ができないかと言えば、紹介できるような部分も、こんな自分を形容する語彙も、ないからでありました。一年前にわたしの自己紹介にならない自己紹介をみて、モヤ、とした方は今、ここにいらっしゃるでしょうか。今回、アレの答え合わせができましたね。こんなつまらない答えでごめんなさい。冷めちゃいましたか、それとも、「覚」?「醒」?ああアホらし、付き合ってらんないぜ、そう思いましたか……?

ヱ!ほんとに思ったの?あ、あー、えっと、その、そ、それは、困ります、ね、嗚呼、こんなことなら、しゃべらなければよかった、あーあ。……あーあ!私はなんてバカなんだろう!そんな後悔の涙で今日も、私の枕は富士山くらい軽々超えるほど、高く高く浮きます。あなたのせいですよ!!グスン。

あやめという人間は、しかし、自分のこういう、「変」なところを、ある意味で誇らしく、面白く思っています。私らしい、といえば、変、だと自負しています。この程度では「変」とは言えないとおっしゃるあなたとは、多分お友達になれるでしょう。お手紙下さいね、なんて。ほらね?また冗談。照れたんです。皆様には、私がどこで冗談を言ったのか、間違い探しでもするみたいに、挑むみたいに読んでもらえたらいいな、と淡く思って、そんな風にブログを書いています。きっとあなたも、こんな「変」さをおもしろく思って読んでくださっているのでしょう?そうでなければこンな(無意味な)長文読んでいられません、時間に追われる現代人、忙しい忙しい、そんな貴重な時間を割いて読んでくださって、本当にありがとうございます。だから私も、張り切ってそのお気持ちにお応えしたいと思って、カラカラの脳みそをバリバリいわせながら、無い案を絞り出して、どうにか「面白く」しています。お許し、お赦しください、ご容赦を、お慈悲を……消えかけの声でお伝えするほんの蛇足でございますが、江戸時代の昔に一揆をおこした農民たちは、お上の御偉方にご容赦をいただくために、わざと農具を持って、「いやしい恰好」で、訴えをしていたとかいないとか。

あやめという人間は、今年も変わらず、つまり2年目もこのスタイルに変化をつける気持ちがありません。このままダラダラグダグダ、私の思うありったけの「変」、あるいは「(奇)妙」……「妙」ですとなにやら「良いもの」のようでもあるので、やはり「変」でしょうか、これを詰めた話をする、そういうつもりです。「面白い」に命をかけています。決して「面白くない」ことは、したくない、と思っています。そんな自分の態度を、ちょっとやりすぎだな、とも思っています。それこそ「変」です。ですが、面白いことが好きなのです(面白い、の価値・基準がちょっとずれているとか、そういったご指摘は、今はさておいておきませんか?)。ですから、いくら「変」でも、しょうがないのです、好きなので、そして、頑固なので、さながらしつこい油汚れです。

あやめという人間は、「中の人」という概念をもってやっています。

あやめという人間は、大事なことに限って全然喋りません。無駄なことはツラツラ、台本でも読んでいるかの如く長台詞をしゃべるくせに、大事なことは、たくさん話すのが照れくさいから、全然キチンとお話しできない小心者です、わるいこです。

あやめという人間は、この4月に3ねんせいになりました。

あやめという人間は、今度しりとりならぬ「頭とり」をやろうとしています。

あやめという人間は、飽きると全然集中しません。最悪、ということです。これらの性質から、文が短くなってきたら、それは大事なことを言っているか、それか、飽きて来た証拠です。つまり、飽きました。

こんな私の駄文を、まだ、懲りずによむのですか?(チラ、と上目遣いの、残念ながら醜女の、若さに任せて頑張って、そんな命懸け、懸命な、「可愛い(kawaii)」顔)(身内(妹、我が家の「良心」でもあります)に試しにわざわざ私のブログを読ませてみたところ、大ウケでした。さて、この事実に、あなたは、「フム、ならばまあいいものだろうかな?」とおもわれるか、それとも、「身内(妹)に読ませて強引に良い反応を引き出させる卑怯な奴だ」とおもわれるか、「かぞくにしかほめてもらえなかったのね……(憐みの目)」とおもわれるか、いずれでしょうか)

▷読まない

 読む

赤福餅

こんにちは、あかりです。今日からとうとう新年度ですね。まさか新年度最初のブログを私が書くことになるとは夢にも思わず、昨夜バイトから帰った後慌ててネタを探しました。そうしたらちょうどよく家においしい赤福餅があったので、今日はそれについて書こうと思います。

赤福餅はお餅の上にこしあんがのった伊勢のお菓子で、あんころ餅の一種だそうです。ぱっと見はおはぎと似ていますが、中身のお餅はおはぎと違って、米粒の形がなくなった全殺しでした。私がバイトに行っている間におじいちゃんが持って来てくれたそうなのですが、あまり日持ちしなかったのでその日の夜に食べることに。でもいざ食べようとすると、お餅どうしがくっついて、全然取れない上に表面のあんこも割れて無惨な姿に…はなりませんでしたが、その一歩手前まで行きそうになったので途中からお母さんにバトンタッチして、綺麗に一個取り分けてもらいました。お母さんありがとう。

せっかくなので、お抹茶を点てていただきました。でもブログ用の写真を撮るためになんやかんやしていたらいつの間にか冷めていました。飲みやすい温度を通り越してぬるくなってました。少し悲しかったので後でもう一回点てました。

お抹茶の泡が細かくならない…もっとあわあわに点てられるようになりたい

赤福餅を食べるのは昨日が初めてでしたが、抹茶とよく合いとっても美味しかったです。そもそもあんことお餅という時点で美味しくないわけありません。おじいちゃんありがとう。ごちそうさまでした。

昨日使ったお茶碗は「お福茶碗」というもので、底にお顔が描かれています。お福の表情はお茶碗によって一つ一つ少し違っていて、飲み終わったときにどんなお顔が見えるかがすごく楽しみなんです。ちなみにうちのお福茶碗はこんな感じです。

電灯のせいでどうしても顔色が悪くなるお福

たまに「顔が怖い」とか言われますが、私は可愛いと思います。この絶妙に目線が合わない感じとか良くないですか?あと肌が白くてツヤツヤなの羨ましい。日焼け止めなくてもこんなに白いとか最高じゃないですか。これが生き物じゃなくて無機物だからこそ可能なことですよね。皆さんはどう思いますか?

さて、今回はこの辺で。誤字脱字は一応確認しましたが、もしあっても広い心で受け止めてくれると嬉しいです。相変わらず日本語が怪しいですが、気にしないでください。多分そのうち直ります!直らなかったらごめんなさい。それでは、また。

幸せ者より、皆様へ。

皆さん、こんばんは!ずきです。

3月31日は「体内時計の日」だそうです。「新年度から改めてバランスの良い生活を心がけていく」という意味が込められているのだとか。
まさに今、私が苦労しているところ…。「今日は何の日」と検索し、一番上にこの記念日が出てきたとき、私はパソコンの画面に向かって、こう叫んでいました。
『うわ~~~!!!それを…言うな~~~!!!!!!!!!』
朝7時に起き、慣れない自炊をこなしていた朝の生活リズムは、数日前に寝違えたことにより、一気に崩れ去りました。約2週間分の早起きの努力は、きれいさっぱり水の泡。
「寝違えたら安静にしておけ!」というのが寝違えた後の基本対処法らしいのですが、横になるのが一番しんどいんです…。必然的に寝不足になりますよね。
数日経った今も、首と左肩の痛みは完治しておらず。奇妙な上がり方をした左肩が、鏡に映っています。寝違えをこんなに引きずったのは初めてです。こんな満身創痍な状態で、新年度を迎えることになるとは……。私の「新社会人になるための完璧な計画」は何処へ行ってしまったのか…………。

大学4年間ですっかり夜型になり、朝が本当に苦手になってしまった私。
さすがに今日で学生卒業ですからね!!!起きます!がんばります!!!

・・・

いよいよ明日から新年度です。色々なことが切り替わる時期ですね。

「切り替わりの時期」ということで、ご報告です。
3月31日をもちまして、私を含む、4年部員6名が卒業となります。ここで改めて、4年部員の名前紹介です。(ずき以外、五十音順)
あこ🌱、みちる💌、もこ🌾、やな🍥、ゆうな🍳、ずき🌛

2021年2月から、私たちの活動は始まりました。あれから約3年、本日の卒業を迎えました。あっという間にここまで来てしまったように思います。

大学に通うことができず、悔しい思いをした1年次。
本当に少しだけ対面授業が再開され、対面で人に会うことの大切さを学んだ2年次。
やっと大学生らしい生活が送れるようになり、「実質、大1だから!」と言い張った3年次。
お互いを慰め、励まし合いながら卒業論文を執筆した4年次。

沢山の経験と思い出が詰まった4年間の大学生活が、終わろうとしています。

・・・

私は今、画面の向こうで泣いています。泣きながら、ブログを書いています。
大学では、全然泣くようなキャラに見えなかったかもしれないけれど、割と涙もろいんです…。今、画面がよく見えていません。誤字をしませんように。

正直、もっと晴れやかな気持ちでブログ部を卒業できると思っていました。でも、いざ当日を迎えてみると、これまでの思い出と色んな感情が蘇ってきて、どうも上手く文章がまとまりません。

・・・

正直に話すと、私は今年に入ってからのブログ執筆が一番辛かったです。これまで楽しく書けていたブログが、突然楽しく書けなくなりました。遅刻して投稿することが毎回のようになり、「これはマズいな……」と思いながらも結局、更新最終日を迎えてしまいました。理由は自分でもよく分かりませんが、気づかないうちに自分にプレッシャーをかけていたのかもしれません。
前回の3月12日投稿も、本日投稿したものです。本日2回目の投稿。部長であった身としては、あまりにもお恥ずかしい話です…。

・・・

そんな卒業間際の特大スランプを救ってくれたのは、同期の皆が書いたブログでした。皆のブログを読んで、また泣きました。顔がぐしゃぐしゃになるまで泣いて、気がつきました。
「書く」って苦しいときも勿論あるけど、楽しいものだということ!最後の更新にして漸く、これまでの感覚が戻ってきたような気がします。
ありがとう…!同期の皆には、様々な部分で助けられました。感謝しても、感謝しきれません。

皆とブログが書けた私は、本当に幸せ者です!!!卒業おめでとう!!!

・・・

何にも出来なかった自分が、ブログ部員として、それから部長として、ここまでやって来ることが出来たのはブログ部員の皆さんやアドバイザーの石井先生、このブログを読んでくださった全ての皆さまのおかげです。心からの感謝を込めて。

そして、ブログ部員の皆さん!ブログ部のこれからを、皆さんに託します。
ブログ部はもちろん日本文学科、そして日本女子大学を盛り上げていってください!
少し離れたところから、応援しています!

・・・

人同士でも、文章でも、またどこか別の場所で偶然会って、「また会えたね。」なんて言えたら、それはとても素敵なご縁だと思います。その日が来ることを夢見て。なんだか近いうちに、叶うような気もします。そのときまで、しばしのお別れです。

大丈夫!きっとまた会えます。だから、最後はいつもの挨拶で締めますね!
今まで、本当にありがとうございました!!!

・・・

それでは、また!

「普通」だっていいじゃない?

こんにちは!やなです。
すっかり暖かくなってきました。ぽかぽか陽気で気がついたら眠ってしまいそうです。

***

今回で私「やな」の最後の更新回を迎えました。
あっという間の3年間でした。
1年生の2月頃に入部して、3年間で書いた記事の数はなんと今回で65個。
圧巻ですね。
楽しんでいただけた方がいたらとても嬉しいです。

ブログは読みやすさを大切に、あっさりボンゴレ味を目指して書いていました。他の部員たちと違って特別なことや上手な文章は書けないけれど、こういう人が1人はいても良いかな、と。内容が思いつかず、苦しんだこともあったけれど、そのときどきでベストを尽くせたので満足しています。どこにでもいるような、等身大の女子大生をお届けできているといいのですけれど。

私は特別学業に優れた、素晴らしい学生というわけではありません。成績優秀者として何か名誉を与えられたことはないし、卒論だってとてもではないけれど立派なものを仕上げられませんでした。テーマだってどこにでもある、ありふれたものですし、穴だらけで見れたものではありません。

ブログ部についても、先輩たちのブログがあまりにも素晴らしくて、「この中に私が紛れ込んで良いのだろうか……」と実は入部を躊躇していました。元々文章を書くことが好きだったこともあり、入部を決意したのですが、入部したらで同期はみんな個性的で、「自分」をしっかりもっている姿を見て、ありふれた文章しか書けない私はなんて個性がないんだろうと思っていました。

そう、あれは2年生の終わり、春休みのことでした。ブログ部では毎年、新入部員を迎えた春にお話し会が開催されているのですが(ありがたいことです)、毎回、会のはじめに部員ひとりひとりが自己紹介をする機会があるんです。その中で部員に向けてどのような感じのブログを書いているかを自分で紹介するんですが、同期も先輩方も、それぞれの「私」について楽しそうに話していました。
そんな中、私だけが「まだ自分のブログの方向性が決まっていません」と答えた瞬間、すごく悲しい気持ちになったことは今でも覚えています。

その頃の私はものすごく迷走していて(読んでいただければわかるのですが)、せっかく入ったのだから、他の人と違うことをして、埋もれないようにしなければ!という思いでいっぱいでした。何を書いても誰かの二番煎じになってしまうような気がしていました。

しかしあるとき、美味しかったご飯の紹介をしたら思ったより反響が良くて。私も書いていて楽しかったので、最後の1年半ほどは殆どご飯の紹介をしていました。
ご飯の話なんて、ブログのよくあるテーマだし、「個性的」なブログを書けるようになった、とは思いません。それでも私はご飯をテーマに選んでからすごく楽しかったです。
そして1年後のお話会、顧問の石井先生に「やなさんはいつも美味しそうなご飯の話をしているわね」と言われ、やっと自分の方向性が決まったんだなあと思い、とても嬉しかったです。

そうそう、私たちが思っているよりみんな読んでくれているんですよね。本当にありがたいことです。
「読んだよ!」や「やなちゃんのブログ、面白かったよ!」と言ってくれることが本当に嬉しくて、何度も救われていました。ありがとう。あなたたちのおかげで書き続けられました。

***

ブログ部の下級生はみんな個性的で、上手な文章を書いている姿を見てきているので、私が言えることは何もないかもしれないけれど、もし、人知れず個性に押しつぶされそうになっている人がいたら、ぜひ「そのまま書き続ける」ことをおすすめしたいです。

みんな個性豊かである必要はないんです。そりゃあもちろん、個性豊かな文章の方が人目を引くし、読み応えがある文章に憧れる気持ちはわかります。私だって入部したときからずっと、とある同期のファンをやっていますし。

たまには普通の人が混じっていたって、それはそれでブログ部に彩りを与えられているんです。
私は3年経ってようやく気がつきました。
そしてきっといつか、続けていてよかった!と思う日が来ますよ。そう、私のように。

最後だし、柄にもなくブログについて語ってみました。ちょっと恥ずかしいですね。最後まで上手な文章を書くことはできなかったけれど、まあ、それも「私」ということで。2020~2023年度の色とりどりのブログたちの、1色になれていたとしたら、私の役目は果たせたかな。胸を張って卒業できそうです。

最後に、大好きな菅井友香さんが櫻坂46を卒業した際に発表された楽曲をBGMに、筆を置こうと思います。
櫻坂46『その日まで』
https://youtu.be/F2lWsUJotmc?si=TMceioTYM93r9KjY

***

ちょっとアイドルとゲームとバンドと、そして美味しいご飯が好きな、どこにでもいるような「普通」の女子大生が担当しました。

それでは皆さん、またどこかで。

私の言葉。

こんにちは、あこです。

いよいよ、最後のブログ更新です。

大学生活4年間を振り返ろうかな。ブログ部での活動を振り返ろうかな。家族や友人、先生たちへの感謝の言葉を綴ろうかな。卒業式の話をしようか。4月からの抱負を書くのもいいかも。

考えてないようで、色々考えていた、最後のブログ。

けれど、何事も予定通りにはいかないものですね。

書きたいこと、いや、私が書かなればならないことが、分かってしまいました。

最後くらいカッコよく終わりたかったけれど、カッコ悪いまま終わるのもまた、あこらしいのかも。

乱文の予感。

そうかもね。いや、きっとそうだ。

“痛い”ブログになるかも。

うん。私もそんな気がする。

やっぱり、内容を変えた方が良い?

それもアリだね。でもきっと、3月中には間に合わないよ。

そもそも、ご自分が”上手い”ブログを書けるとお思い???

確かに。それもそうだ。

今更、何も気にすることはない。

いつも通り、とりあえず書いてみよう。

*****

昨日、弟と大喧嘩しました。

もちろん「お前なんて大嫌いだ!」「バーーカ!バーーカ」「バカって言う方がバカなんだ!バーーカ!」みたいなかわいい(?)喧嘩ではないですよ。

姉(22歳)と弟(20歳)が己の命と誇りを賭けて闘う、例のヤツです(激やば)

序盤は、いつもの喧嘩でした。(”いつも”とは)

①些細な出来事が起こる→弟不機嫌になる

②(弟曰く)あこが棘のある言い方をする→弟かちーーん

③かちーーんの態度に対して、あこが一言申す

④弟、更にかちーーん

⑤口を出すなと言われ、あこもかちーーん→解散

はい、ここまでは世間様でもよくありますよね(圧)

些細な出来事始まり、険悪ムード終わりってヤツです。

こういう時は、時間が大事。

とにかくその場を離れて、それぞれの部屋に引っ込む。お互いに顔を合わせない。

大体、それでどうにかなります。(あこ調べ)

ただ、昨日はそうはならなかった。

色々あって前日の出来事が持ち出され、互いが感情的になり、昨日どころか過去の出来事まで遡り、母も巻き込んで、更にヒートアップという、稀に見るカオス具合でした(恥を知れ)

因みに、”前日の出来事”とは、昨日の前日、つまり一昨日の夜に行われた、弟に関する話し合いのこと。

まぁ”話し合い”と言うよりは、弟が話をして、私と母が「いやちょっと待て」「〇〇についてはどう考えてるんだ」「⬜︎⬜︎はどうするの?」と、ツッコミ&質問をしながら聞いている、という感じ。

本当は話の内容を書いた方が分かりやすいと思うのですが、その内容があまりにアホ&突飛すぎて、今の段階で人様にお話できるような話ではないので、内容は伏せておきます。

まぁとにかく、突飛でアホだけど、真面目な弟の話を、私は前日に聞いていたワケです。

ただ、それは私にとってあまりに衝撃的で、昨日もずっと、頭のどこかに”その話”がありました。

だからこそ昨日はいつもより感情的になったし、私自身がカチンときたし、”落ち着く”ことができなかったのだと思います。

そしてその大喧嘩の中盤。私は弟にこんなことを言われました。

「あこはいつも、俺を見下してる。それが本当に許せない。俺が中学の時だってそうだった。

俺が、テストで学年1位だったって言ったら、「あなたは〇〇中学で1番なんでしょ。そんなの大したことない。私は日女で3番なんだから。」って、言ったじゃないか。そういうところが、本当に嫌なんだ!!!」

衝撃でした。

正直、その発言自体は覚えていません。ですが、似たような事に関する別の発言で、母にこっぴどく怒られた記憶は鮮明にあります。つまり、こういった発言は1度や2度ではなかった、ということです。

自分の発言について、弁解するつもりはありません。学校の知名度や偏差値について何かを言う、更には、比較してバカにしたような発言をするというのは、最低な行為です。

自分の発言を正当化するつもりもありません。というか、どこをどう切り取っても、どんなに”良い”解釈をしようとしてもできないくらい酷い発言だから、正当化なんてできるはずがありません。

ただ、そんな発言をしておいて「信じてくれ」とは言えませんが、今のあこは、あの時とは違います。

結果として、弟は大学受験をし、他大学へ進学しました。ですが、もし彼が受験をしなくても、そしてもちろん、弟ではない方々に対しても、あの時のような思想を持って、あの時のような発言をすることはありません。

でも。

今の私がどんなに反省し、あの時から”変わった”と言っても、あの時の言葉が、あの時の”傷”が、”なかったこと”になることはありません。

私はあなたのことを見下していない。あの時はそう言ってしまったけど、少なくとも”これまでずっと”見下していたなんてことは、絶対にない。本当は、怖かっただけ。秀でていない自分を認めるのが、怖かっただけ。

ーーーーー

ずっと、弟より秀でていたいと思って生きてきました。

「優秀でありたい」というプライド以上に、「秀でていなければ」という焦りがありました。

生まれながらに心臓が弱かった弟。入退院を繰り返し、幼い頃は、目の前で何度も、救急車で運ばれていきました。

その度に、私は祖父母に預けられ、母はポテトチップスと短い手紙を置いて、付き添いのため、足早に病院へ向かいました。

祖父母は優しすぎるほどに優しかったし、その頃は曽祖母も生きていたから色々な意味で活気もあって、普通の家族のようでした。

小学生になると、私は”弟の姉”になりました。

弟が休むたび、職員室へ、連絡帳を届けに行きました。

「〇〇君のお姉ちゃん」

私のことを尋ねた校長先生に、担任の先生は、そう答えました。

「ああ、〇〇君のお姉ちゃんね」

校長先生はそう言って、教室から出て行きました。

他の友達は、その子自身として認識されているのに、私は”〇〇君のお姉ちゃん”でしかない。

姉や兄を持つ子達が、「〇〇ちゃんの妹さん」「〇〇君の弟くん」と言われるのは、分かる。

だって、姉/弟より「後」に、入学しているのだから。

でも、私は、弟より2年も「先」に入学した私は、なぜ「〇〇君のお姉ちゃん」と呼ばれなければならないのか。

私は、「私」ではない。

「〇〇くんのお姉ちゃん」という言葉は、重く、重く、私にのしかかってきました。

ーーーーー

命の危険がある息子と、命の危険がない娘。

病を抱えた孫と、病を抱えていない孫。

手術が必要な弟と、手術の必要がない姉。

どちらが”大変”か、どちらに手をかけるべきか、それは明らかです。

もちろん、私も分かっていました。小学生、何なら弟が生まれた時から、分かっていました。

それでも、やっぱり、心のどこかで、私を優先してほしい気持ちがありました。

私の話だけを、聞いてほしい。私のことだけを、見てほしい。私のことだけを、考えてほしい。

何かがあった時、もしも何かが起きた時、私はきっと、”優先”されない。

例え、”その時”までは、私のことだけを見ていたとしても、”その時”が来たら、きっとみんな、弟の方へ行ってしまう。

当然のことです。別にそれが「弟」と「姉」でなかったとしても、人として、それは正しい選択です。

だけれど、最後に選ばれるのは、私ではない。

その悲しさと一抹の不安感は、言葉にできないモヤモヤ・イライラとして、心のどこかに、居座り続けました。

ーーーーー

私は中学受験をして、女子校へ入りました。

女子校なので、弟は入って来られません。

「弟がいる」

そう言わない限り、私に弟がいることは誰も知りません。

「〇〇君のお姉ちゃん」

そう呼ばれることも、もちろんありませんでした。

弟は、中学受験をして地元の私立へ入りました。

本当は、別の中学を受験したいと言っていました。塾の集団クラスに入って、皆と一緒に勉強して、皆と同じように受験をしたいと、思っていました。でも、それは体力的にできないから、個別教室で対策を重ね、地元の私立中学へ入学しました。

そして、勉強に目覚めて、ぐんぐん成績を上げていきました。

私はそれが、怖かった。

小学生時代、私の方が勉強ができました。

中学時代も、紆余曲折はあったけれど、そこまで”悪い”方ではありませんでした。

「勉強と運動だけが、判断基準ではない」

「人間としての豊かさとは何か」

勉学はもちろん、運動や芸術に長け、様々な経験を積み、自分たちらしく、自分の人生を強く生きようとする友人たち。

勉強はその人の”一部分”でしかない、ということはさすがに分かっていましたが、それでも自分が”頑張っている”対象としては、やはり”勉強”がありました。

私と弟の道が、再び重なるような気がしました。

ただでさえ”関心”を引く弟なのに、私よりも”優秀”になってしまったら、私はどうなってしまうのか。

私の分野に入ってこないで。これ以上、私を”サブ”にしないで。「〇〇君のお姉ちゃん」にしないで。

負けたくない。そういう気持ちも、もちろんありました。

だけれど、ええ、この際、ハッキリ言いましょう。

私は、弟にコンプレックスがありました。

人に優しく、人に愛される弟へのコンプレックスと、家族に構ってもらえることに対する嫉妬心とが、心の中でぐちゃぐちゃに混ざり合っていました。

実際、「私の分野」と言うほど、私は成績がめちゃめちゃ良かった訳でも、周囲から一目置かれていた訳でもありません。

でも、当時の漠然とした「弟より秀でていなければならない」という焦りは、真っ直ぐそのまま”勉強”に向かっていました。

正直、その焦りがいつまで続いたのか、私は覚えていません。

こんなに「焦りが〜」とか「不安感が〜」とか言っといて何だよって思われるかもしれないけれど、本当に、分からないのです。

個人的には高校2年以降は色々安定してきてた(気がする)ので、高校1年生の時には抜けてきていたのでしょうか。よく分かりません。

でも、きっと、弟にそう言った時には、まだまだ”渦中”だったのだと思います。

だから許して、なんて言えないけれど、あの時はごめんね。本当に、酷いことを言いました。

*****

3年間、ブログ部員として、自分と、そして自分の言葉と、向き合ってきました。

卒業式では、答辞という大事なお役目をいただき、多くの方々の前で自分の言葉を話すという、大変ありがたい機会にも恵まれました。

あこちゃんの文章はリズムが良くて、心にスッと入ってきたよ。

あこちゃんの文章は、穏やかさの中に”熱さ”があるよね。

あこさんの優しい人柄が、滲み出ていたと思います。

そう、言ってくださる方々がいました。とても嬉しかったです。

言葉は、目には見えません。

書き残したり、録音したりしない限り、記録に残ることはありません。

しかし、言葉は残ります。

人の心に、人の思い出に、記憶として、残ります。

なかったことには、できません。

“撤回”することも、できません。

言葉は、時に優しく、時に厳しく、誰かを勇気づけるかもしれません。

言葉は、時に寄り添い、時に励まし、誰かの傷を癒すかもしれません。

言葉は、時に鋭く、時に無遠慮に、誰かの心を引き裂くかもしれません。

誰かを思い浮かべる時、どんな言葉が浮かびますか。

人生を振り返る時、どんな言葉が思い出されますか。

あなたは、どんな言葉と共に生きてきたのだろう。

そして私は、どんな言葉をかけて生きてきたのでしょう。

*****

ブログ部員として活動した約3年間。

3年間の私の言葉が、ブログとして、ここに残っています。

これらの言葉に、嘘はありません。

もちろん、今日のブログにも。

その時、その時に、思ったこと・感じたことを書いてきました。

心は常に、変わっていきます。

心は、ナマモノです。

その時でなければ、感じることができません。

その時でなければ、書くことはできません。

だけど、”言葉”は違います。

(筆者/発話者の意図に関わらず)、”その言葉”として、相手に、そして未来に、残ります。

4年間、言葉と向き合ってきました。

22年間、言葉を使って、生きてきました。

これからも、言葉と共に、生きてゆきます。

私の人生の側には、いつも言葉がありました。

あなたの人生の側にも、きっと言葉が、ありました。

人は、言葉を紡いで生きてゆく。

私は、私の言葉と共に、生きてゆく。

どんな言葉を、かけたいか。

どんな言葉を、残したいか。

どんな言葉と、生きたいか。

これまでにかけられた言葉。これまでに紡いだ言葉。これまでに、出会った言葉。

全部、全部抱き抱えて、私たちは前へ進みます。

ありがとう。そして、ごめんね。

お世話になった、全てのひとへ。

あなたの人生が、あなたにとって、素晴らしい日々でありますように。

健康で、幸せで、そして平和な日々で、ありますように。

あなたがあなたとして、生きられる日々でありますように。

また、どこかでお会いしましょう。

それでは、また。