コスメの発色も十人十色


 もうすぐ一月も終わりそうですね。こんにちは、さゆりです。

 最近ケイトから黄味、青み吸収タイプ向けのアイシャドウベースが出ましたね。ピンポイントでお悩みを刺してくる上に使われているワードが見慣れたものだったので、おそらくケイトの中の人にもコスメ好きの色味吸収タイプがいるのでしょう。

 私の周りには色味吸収民が沢山いるのですが、彼女達が大喜びして買い込んでいてにっこりしました。

 ちなみにわからない方向けに説明すると、

色を吸収するタイプとは、パーソナルカラー(16分割)でクールサマー、クールウィンターといった青みが強い色が得意な人、あるいはウォームスプリング、ウォームオータムの黄みが強い色が得意な人の事を指します。

 こういった黄み青みに偏ったタイプだと、クールタイプの方は紫色のアイシャドウを塗ってコーラルピンクに、ウォームの方はオレンジを塗ってピンクに発色するといったような現象が起こるそうです。

 私の家族にも黄味吸収人間がいるのですが、オレンジのアイシャドウを塗ったはずなのにピンクに発色する事があります。人間の肌って面白いですね。

 ちなみに彩度吸いといって彩度が高い色が似合うタイプだと、肌が彩度を吸って原色に近い色が淡い色に発色するそうで。家族の彩度吸い人もビビッドな原色が塗った瞬間普通の色になるので何が起きたのか分からず二度見します。

科学的に見るとどういう現象なんでしょうね。

 私は見本のようにそのまま色味が出るタイプで、淡い色を乗せてもきっちり発色するので、色吸いの現象がいまだによくわかりません。

 世の中には色んな色が似合う人がいて楽しいですね。クール、ウォームタイプの方のメイクがバチっとハマるとそれはそれは本当に素敵なので好きです。

 もし、「パーソナルカラー診断を受けた事がないけれど、塗ったコスメが本来の色味と極端に離れて発色する!」という方はそういった振り切ったタイプの可能性もあると思います。

  他にも深み吸収など色々とタイプがあるので、コスメの色味でお悩みの方はパーソナルカラー診断を受けてみると解決するかもしれません。

 ちなみに診断を受けるのであれば4タイプではなく絶対に16タイプがおすすめです。なぜなら16タイプの方がよりパーソナルなので。同じイエローベースのオータムでも、淡い色が得意なのか、深い色が得意なのかでかなり違いますからね。

  コスメを買う時一切悩まず未来の相棒を手に取れるようになるのでよかったら「パーソナルカラー 16タイプ」で検索をかけてみてください。アイシャドウベースの話から急に布教の話に変わってしまいましたが、今日はこの辺で。では、また!

鍵は本にあり

1月17日(水)PM.2:34

みなさんこんにちは。私は今、日本女子大学の目白図書館B1Fにいます。お察しの方もいるかもしれませんが、期末のレポート課題に取り組んでいます。期限はなんと明日まで!笑っている場合じゃありませんね(笑)。このブログを書いたらちゃんと課題に取り組みます。

それにしても、この図書館はとても大きい。B1Fから4Fまで5フロアもあります。私のお気に入りはB1Fです。日文科目の課題をやるときは大抵このフロアに籠城しています。地下だから自然光は少ないのですが、とにかく本が多い。たくさんあります。「集密書架」っていう可動式の本棚がぎっちり並んでいて、注釈書であったり全集であったり、洋書やら雑誌やらとにかくありとあらゆる本がみっちり詰まっています。工藤新一君のお父さんの書斎とか、ベルが野獣からプレゼントしてもらった図書室とか、もはやファンタジーの世界のようです。

しかしこれだけ大量の本と本棚があると、特定の本を見つけるのに一苦労します。図書館のHPにOPACっていう便利なシステムがあるのですが、それを駆使してもやっぱり時間がかかっていしまいます・・・。まあ、私は半分宝探しのような、脱出ゲームで鍵を探すような気分で楽しんでいますが、冷静に本を探すのに費やした時間のことを考えると少々恐ろしい。この話はこのくらいにしておきましょう。

前々から私は本やとか図書館とか大量の本に囲まれる空間が結構好きでーー本を手に取ることもなく歩き回るだけで満足することも多いのですがーー大学に入る際にも「大きな図書館がある」というのは魅力的なポイントだと思い、ちょっと楽しみにしていました。しかし実際に利用してみると、扱っている本の種類が小・中・高の図書室や地域の図書館、駅ビルの中の本屋さんとは少し違う。何やら分厚い本、重そうな本、難しそうな本ばかりで、最初は少し拍子抜けしてしまいました。当時の感想を率直に書くと「あまりおもしろくなさそうな本ばかり」です。

専門的な内容の本は、その分野(の特定の作品・人)に興味があったり、多少の知識を持ち合わせていないと、(いや、たとえ興味も知識も持っていたとしても)なかなか手に取ろうとは思いません。少なくとも私は注釈書を電車の中で読みたいとは思わないです・・・。しかし、授業の課題であったり演習発表の資料作成であったりといった場面では、読むーーというよりは調べるに近いかなーーのも少しおもしろく感じることも多いです。レポートを作成し終えたときに、テーマにした事柄についての知識が少し増えている感覚はなかなか気持ちがいいです。

おっと、もうこんな時間か。それでは、私はレポートを書いてきます。

辰年ってモチーフが難しい

 明けましておめでとうございます。今年もどうぞよろしくお願いいたします。
 どんなタイミングで!?と思われるかもしれませんがわたくし本年初更新なのでお許しください。明けまして〜なんて挨拶しましたが、私この歳になって割と周りと比べたら年明けに対する変化の意識が薄いかも、と思いました。普段ポケーっとして生きているので、周りが「今夜は蕎麦だ!」とか「大掃除しなきゃ!」とか「初詣行ってきた〜」とか「おせち食べよ〜」とか言っててちゃんと年越しの意識があるのえらいな〜とか思って眺めてました。いや、でも今年はですね、私冬休みは卒論と闘ってまして。去年はコロナと闘ってたんですが今年もまた家から出ない生活を送っていたわけですね。ちなみに私は大学3年生です。こう言うと、卒論!?早くない!?と思われる方もいらっしゃるかもしれません。友達の話を聞いてる限りでは恐らく日本女子大学自体が割と早めなのかなぁという感覚です。ただ取り掛かってみて思ったのが早いに越したことはない!!!書けば書くほど資料不足や研究の甘さに気づいていって、あれもやりたいこれもやりたいとか逆にこれはいらないこれもいらないとかなっていくとマジで時間が足りないです。ヒーヒー言いながらパソコンと資料と向き合いキーボード叩いてました。私の冬休みはそんな感じでした。あと家から出ないことをいいことに昼夜逆転しかけてました。あとそれなりに眠る時間自体はとれたのでポケモンスリープのスコアが珍しく良かったですね。
 体調だったりホルモンバランスの関係で寝ても寝ても眠いこともありますが、でも基本的には睡眠ってちゃんととればある程度元気になるし寝てなければ頭痛と眠気で頭おかしくなりそうなので大事だなあと思います。人間初心者みたいなこと言っちゃった。でもたくさん寝てるとそれなりに頭が澄む気がします。気のせいかもしれませんが。私飽き性なので絶対続かないだろとか思っていたんですがなんだかんだポケモンスリープ続けられててすごいなあと思います、ポケスリというゲームのシステムが。おかげでちゃんと寝よ~と思えてありがたいですね。
 そんなこんなで半ば寝正月気味ではあったのですが、まあ寝られるときに寝るべきかな、なんて。たくさん寝て育つぞ~、横以外に。こんな怠惰でふざけた私ですが今年もよろしくお願いします。では。

ご無沙汰しております、みちるです。

 

さて、そろそろ学生らしい話題を出してみることにします。

来月初頭、弊学科の老年生は卒業論文まつわる口頭試問を経て、いよいよ卒業へ向けて学部生最後の期間を過ごすことになります。
学業、勉強、運動・活動、趣味、仕事、交遊、それぞれにおいてコンディションや熱量の値は大小さまざまな波を作り続け、光も翳も強く深く身に受け、目まぐるしき四年間でした。

大学関係者やあるいはそれに近い周囲の大人たちは高校時代の我々に、「大学は高校の延長ではない」と教えました。
学業もそれを支える生活リズムも変化するだろうし、あらゆる面で自身を律する必要があるとも。
これは本当に正しかった。勿論学業も生活も大きな変化を迎えましたが、変化の最たるものは、自らの内的な領域におけるものであったと思います。

高校生の私は、シリアスな表情をしながらその実自分は救われると思っていたし、一日一日はうまくいかないのに三年間は総じてうまくいくと信じていて、格好つけた態度がどうも鼻につく奴でした。
周囲の高校生の誰もが知らない”何か”を知っているような表情をしていたけれど、私が知っていることは恩師がすべて御存知でした。

現在の私は知っている。学者にも格闘家にもサラリーマンにもプロレタリアートにもブルジョワジーにも、「見える」人々がいる。これは必ずしもスピリチュアルな話ではなくて、場合によってはそこから最も遠い領域に属する事態だ。
見たい、と考える人々に見えることは有り得ない。見える可能性はそうと願わない場合にある。昔の私は、自分にはきっと見えるし、誰よりも見たいと渇望した。ゆえに、まったく何も見えなかった。今は、見えることに、見えるという状態に然程興味が沸かなくなっていた。それ以外の苦しみや焦燥に魂をすり減らされる事態のほうがよほど重要だったためだ。するとどうだろう、衰弱した私の魂が光を認識し、背後の眼は翳を認識し、光も翳も強くはない或る一点にそれを見た。

――ここまでの話において私は「見える」者であるという自負を抱えて生きているということになっているかもしれない。それは誤りである。

私は恒常性のもとで「見える」者ではない。
私は誰にも秘したままある一時点において「見た」者である。これは私の望んだことではない。しかし同時に、これからの私を救ったり絶望へと追いやったりするものではない。いまや私は何かを知っていることも、何かが見えることも、どうでもどちらでも構わない。そこに特権性があることは全面的に認めるが、しかし自分がそこにどう参与したいかという願望がない。
私は愛するあなたと、周囲の人々と、美しく楽しく元気に生きていきたい。救ったり救われたりする者としてではなくありたい。

そのようなことは到底叶わないとしても、願っただけ叶わなくなるとしても、今は願い、宣言するほかになす術がない。

華々しくもなければ人に語るほどのこともない大学生活でしたが、人には語れないものを感得した日々でもあります。

 

(間奏)

 

今日、父親の誕生日でした。

すっかり忘れていたので今からメッセージを送ります。

それでは、またお手紙書きますね。大好きです。   みちる

なさばやと思ひし事から目を逸らし

あけましておめでとうございます!本年も何卒よろしくお願いいたします。

年末年始の我が家といいますと、年始早々インフルエンザ一家となり、おせち初売り初詣、ほとんど無縁の正月を過ごしました。丸餅は錠剤、お屠蘇はポカリ、鳴らすのは本坪鈴から体温計になりました。それでも全員食欲だけは旺盛なので肉を食い肉を食って肉を食いました。おかげさまで今はみんな元気に太りました、ありがとうふるさと納税の肉。

ギリギリ潜伏期間を乗り越え、成人式に出たのち、次の日の朝早速新幹線に乗って京都に向かいました。新幹線降りて改札へ向かおうとした瞬間「商売繁盛で笹持ってこい!」の宝永籠行列に遭遇するという、いかにも関西の洗礼を受けた後、荷物だけ下宿先に置いてすぐに学校へ行きましたが、流石にこのハードスケジュール。疲れまして、翌日寝坊しかけました。これで試験間近というのだから恐ろしいものです。二年生になったというのに、未だに三月末まで学校はあるものだと思いこんでしまいます。十二年間の風習は抜けづらい。

さて、先週から『光る君へ』が始まりましたね!脚本は我らが先輩、大石静先生。自分の先輩が手がけた紫式部を書いた大河ドラマを数回ではあれど京都で観れるなんて幸せ〜ということで、今回は試験勉強と終わらぬレポート(これが何よりキツい)の息抜き、ということで大河に出てきそうなところ「一部」巡りです。今回のルートは、上賀茂神社から堀川通を南へ下って、北大路堀川で曲がり、雲林院に行ったのち、バスで千本出水へ向かい、御所の跡を見たのち、京都御所および廬山寺へ行きます。

上賀茂神社

今ごろは、このようになっております。祭事の日は馬がいてにんじんをあげることもできます。

上賀茂神社の紫式部といえば、片岡御子神社でしょう。紫式部はここによく来ていたようで、「ほととぎす声まつほどは片岡の杜のしづくに立ちやぬれまし」という歌も詠んでいます。この歌の歌碑がならの小川沿いにあります。ちなみに私はこの側にある、須波神社からの景色とたどり着くまでの短い石段が好きです。私以外に石段を登っている人を今まで見たことがないのですが、是非石段を登って参拝してください。

上賀茂神社といえば五月の賀茂祭。多分というよりも確実に大河でも出てくるでしょう、そして私はそれが何よりも楽しみです。さてそんな賀茂祭の行列を清少納言が車停めて見たよという場所こそ、雲林院です。

雲林院

写真は五月に撮ったもの。雲林院といえば、常康親王が僧正遍昭に託したお寺で、歌にも詠まれたところ。源氏にも『賢木』で光が出家しようと籠ってましたね。看板によれば、大徳寺が建立される前はかなり大きな敷地を持っており、桜の名所でもあったようです。

この雲林院から少し南東へ歩いた場所に、紫式部と小野篁の墓と言われるものがあります。島津製作所の紫野工場の隣です。ちなみにこれらの近くには、『卯凪』といううなぎ屋さんがありまして、昨年の土用の丑の日はここにしたのですが、めちゃくちゃ美味しかったです!頭ついたまま腹開きで焼くうなぎなので、関東流のうなぎしか食べたことない人は是非行ってみてください。レジ脇に売っていた骨せんべいも美味しかったです。最高のつまみです。『フリアンディーズ』の北大路店も近くにあります。すべてのパンが美味しいですが、あんこの入ったパンは何個でも食べれます。特にあんこと生クリームの入った、クロワッサンのようにサクサクなマフィン(?)が美味しいです。

北大路堀川のバス停から206番系統に乗って、千本出水へ。バス停から少し歩いた場所に見えるのが、弘徽殿跡の石碑です。

弘徽殿跡

今の京都御所は元々土御門東洞院のあった場所で、南北朝時代に北朝が置かれたのがはじめ。平安時代の御所は今の千本通のあたりにありました。今はこのようにちょこちょこ石碑が建ってるのみです。

例えば弘徽殿跡から20歩ぐらい歩いた場所にある承香殿跡。そして浄福寺通にある、綾綺殿跡。

綾綺殿跡

ここはカフェになっているのですが残念ながら今月末で閉店とのこと…。上質な油を使って揚げたカツはそれはもう最高なのですが、ロースカツにつける、オリジナルの二種類のソースもこれまた大変美味です。惣菜重も美味しくて、その中に含まれるお豆腐は豆腐嫌いの私が、今のところ唯一水もなしで美味しく食べれたお豆腐。フレンチトーストもアッツアツの揚げたてで、天上に舞い上がるような美味しさ。プレーンしか食べていませんが、生クリームとメープルと砂糖だけで皿を舐めまわしたいほどなのに、アイスなんてつけたらどうなってしまうのでしょう。

大極殿跡

大極殿跡は公園になっています。私が行った時、やけに人馴れした鳩がたくさんいらっしゃって、あまりの馴れ馴れしさに運よくやってきた、201号系統に逃げ込んでしまいました。そう、この公園の入り口前にあるバス停は201号系統が来るので、そのまま一本で京都御所へ行けるのです。

烏丸今出川、もしくは同志社前で降りて、今出川門から御苑に入ります。江戸城跡と同じく、御所は無料で見学できまして、私はここが同志社から近いこともあって、朝イチに歴史に触れたい気分になったら、たまに散歩で利用させていただいております。初めての時はガイドさんがいる時を狙うのがベストです。御苑内には三つの休憩所があって、どこも居心地が良い。これらの休憩所、昨年度の京都建築賞優秀賞を受賞されたようです。私如きが言うのもなんですが納得。私はここ以外に、未だ開かれた場所にある休憩所で安心できる休憩所を見つけられていません。

清和院御門から御苑をでると、梨木神社の鳥居が左手にみえます。境内にある染井の井戸は、京都三名水のうち唯一今も飲める井戸で、五リットルまで百円でいただけます。そして、梨木神社と道路挟んで隣にあるのが、廬山寺です。今の廬山寺があるあたりに紫式部の邸があったといわれています。

源氏庭

写真は桔梗の時期に訪れた時のもの。今も堂内含めて特別公開中なので是非是非。入口近くには紫式部と大弐三位の歌碑があります。百人一首にもある、あの二首です。お墓の方に行けば、御土居の一部を見ることができます。

そしてこの廬山寺から少し南へ行ったあたりが藤原道長の法成寺があった場所。一年生の時古典文学講義1を取っていた身としてはロマンしかない土地で、歩いているだけでニヤニヤするのですが、あまり遺構や遺物が見つかっていないようで残念です。

番外編

《石山寺》

ここは流石に近いとはいえレポート終わってないのに行きづらい!しかし初夏に行っていたのでせっかくなのでそれを載せてしまう!

石山寺詣は宮廷の女人の間で大流行していたそうで、そんな女人の1人である、紫式部が「今宵は十五夜なりけり」と、『源氏物語』をここで書き始めたという伝説があります。

源氏の間

今はこちらの紫式部人形、修復に出されているようです。

なんで初夏に行っていたのかというと、石山寺縁起絵巻と、源氏物語関連の展示をやっていたから。石山寺縁起全七巻と、源氏物語や紫式部に関する展示物がありました。紫式部が使っていたとされる硯も展示してありました。この前再現プロジェクトも行われた、鯉と水牛が彫られたものです。本当にそうなのかは置いておいて、濃い墨と薄い墨を分けられるのは水墨画を描く時とかになかなか良いんじゃないかなども思ったりしました。それ以外にも、石山寺縁起にも描かれている銅鐸が展示されていて、絵巻に描かれた銅鐸と実物の違いを見比べられて、なにより「本当に出てきているんだ」というロマンを感じられて大変楽しかったです。やっぱり古代は良い。

展示が行われていた豊浄殿からすこし歩いたところに、紫式部の銅像もあります。実は昨年の初セミはここだったのですが、まさかセミが朝しか鳴かない夏になるとは、この時は思いもしませんでした。今年はもう少し涼しければいいのですが。

紫式部像

紫式部以外にも、石山寺は数々の文人ゆかりの地であり、中でも松尾芭蕉がこの地に来て詠んだ、「石山の石にたばしるあられかな」は、石山寺門前から少し駅の方へ歩いたところにある『茶丈藤村』の銘菓、「たばしる」の名前元となっておりまして、この「たばしる」が本当に美味しい!豆大福なのかと思いきや、牛皮の中には石山寺の硅灰岩を思わせるほど、ぎっしりと、ツヤッツヤの小豆とカリッとした胡桃が入っていて、見た目も食感も大変面白い。お土産におすすめです!

偶然かもしれませんが、石山寺に詣った次の日、三ヶ月ぐらい放置していた捻挫による痛みがぴたりと止んだのでお礼参りしないとなと思っています。

《平安神宮》

大河のクランクインで使われたところです!平安遷都千百年記念の内国勧業博覧会での目玉企画として平安時代の大極殿を再現したもの。朱色が眩しく、青空の元が似合います。大きな神苑があって、私は残念ながら未だ行けていないのですが、いつ行っても良い場所だそうです。確かにこの間、何かの雑誌か新聞で、素敵なお庭の写真じゃない、と思ったら冬の平安神宮神苑でした。

《鴨川》

川沿いで出会ってましたね、まひろと三郎。鴨川は昔から暴れ川by白河天皇で、今このように飛び石で遊べるまでに至れたのは、堤防を作ったり底上げしたりした先人のおかげ。それでも台風の次の日は増水していて、やはり川ってのは恐ろしいものだと再認識した記憶があります。

鴨川デルタ

最近ここには都鳥が来ていやがりまして、都鳥といえば東の方から都にいるあの人の様子を聞く対象だったり春の花を見ずに去るやつらと見られていたりしますが、今の私にとっては、こいつらが東国行きの迎えにしか見えません。東上Cはまだまだ早いよ。

この写真に写るデルタの奥にあるのが、下鴨神社。下鴨神社の楼門前にあります、相生社の近くにある授与所には源氏物語のおみくじがあります。五百円という値段ですが、これがめちゃくちゃかわいい。引く価値ありです。

というわけでざっくり一部ですけれども、書いてみました。これらはきっと紀行で出てくるでしょう。他にも大原野など行けていない場所がある上、宇治にもトビケラに怖気づいて最近行けていないし、何なら源氏物語ミュージアムには財布に金銭の類が残っていなかったということで未だ行けていないので、課題をさっさと終わらせていきたいと思っています。

『光る君へ』、雀が逃げたといい、他大河ドラマと違って、江戸時代の散文作品にも見られるような、源氏をはじめとした古典文学作品のオマージュとかそのまま使われたりだとかが多い脚本なのかな。和歌でいう本歌取りだとか本説取りのような。これらを探しながら観るのが楽しい作品だなと、未だ一話目ですが思いました。もちろんそんなの抜きにして観るのも面白いです。証拠に家族は東宮様で大爆笑しておりました。次回からの花山天皇に対する感想を訊くのが楽しみです。

なんにも考えずに流し見していても面白いし、どこに引用が隠されているかなと探しながら観るのはもっと楽しい。なんて最高なフィクション作品でしょうか。これから一年間、毎週楽しみがあることが確定して幸せです。どんな展開になっていくのでしょうか?同じ曜日の笑点もあわせて楽しみです。

癒しの猫たち

まいです、ごきげんよう❀

皆さん年末年始はいかがお過ごしでしたでしょうか。9日から大学が始まり、「あけましておめでとう」と言ってくれる方は大事には至らなかったのだろうなと察し安心します。我が家も無事でした。

今日は最近の私の癒しについてお話しします。

猫カフェというものを好きになりました。

私は基本的に赤ん坊と動物に好かれないのですが、猫カフェの猫さんたちは大人しく触らせてくれたので、そしてもしかすると喜んでくれていたので驚きました…!

猫は怯えながら触られるのが嫌いだそうなので(そりゃそうですが)、意を決して3度くらい機械的に撫でると、ほお、猫いいな、となりしばらく撫でていました。温かくてふわふわしててこの子たちは野生の猫からしたら宮廷の猫って感じかなと思ったりします。

猫の種類も沢山いてこんなに一匹一匹違うんだなと感心しました。首が長いのもいれば足が短いのもいて、勢い余るのもいれば静かなところを好むのもいる。ちなみに私は耳も足も短い猫さんが好きです。一生懸命歩いている(そして大して進んでいない)感じが可愛らしくてたまりません。騒ぎすぎない的なことが注意事項にあったのですが、本当に気づかないうちに声が出ていて、「きゃーかわいいこっち向いてー!向いてくれない〜きゃーかわいー!」みたいなことを叫びながらパシャパシャ写真を撮る有様…。暖かい視線を送ってくれる人たちは、初めて来たんだろうなあと思っていたことでしょう。その人たちの肩にはあまりにも自然に猫が乗っていました。それどうやったんですか…。

2回目は相方と行きました。相方は「ちょっと動物怖い」と言っていたのですが、私が「猫カフェ行きたいよね!」と繰り返すと「行きたい」と言い始めたので行きたかったのだと思います!(笑)

触るのは躊躇っていましたが想像以上に楽しんでいたようでした。

ですが不思議なことにだんだん相方の目は充血しくしゃみをし鼻水をかみ始め…。嫌な予感がして「まさか〜」と2人で笑っていたのですが、「いちお調べてみるわ!」と言って相方が携帯で調べると、そう、「猫アレルギー」の症状と全く同じだったのです。

猫と普段触れ合わないため本人も知らなかったようですが、突然アレルギーが発覚しショックを受けていました。

私は私でアレルギーを発症させてしまって可哀想やら、ちょっとおかしいやら複雑な気持ちになっていました。猫カフェ行って猫アレルギーって、そんなオチあるかいっという感じです。毛がない猫とかだったらどうなんだろう。スフィンクスカフェとかあるのかな。あったら楽しいのか…?猫特有のふわふわがない猫カフェ……。

それについてはじっくり考えてみようと思います。いったい猫の何が、我々をそこまで魅了し癒すのか。そこまでして相方を猫カフェに連れていく必要はあったのか。議題はつきません。

私が行ったのは「Cat Cafe MOFF」というところでした!みなさんもぜひ、行ってみてくださいね。アレルギーの方はくれぐれもお気をつけて。

新年の抱負?

明けましておめでとうございます。

幸先がよいとは言えないスタートになってしまった2024年ですが、気づけばもう10日も経ってしまいます。当たり前のように大学にいる自分に、「私の年末年始は…?」と呆然とする暇もなく期末課題に追われる、そんな時期になりました。ちなみにですが年末年始は圧倒的な寝正月を過ごしていました。おせちを食べ、お雑煮を食べ、お菓子を食べ…実に優雅な年始でした。お正月最高。

さて、今年の年始はいつもよりも私にとって少しだけ特別なものでした。人生で一回、大人として認められる。そう、成人式もとい「20歳を送る会」に出席したのです。法改定に際して私自身は19歳で成人を迎えたわけですが、やはり20年の節目は大きなもののように感じています。

新年を迎えるにあたり、そして20歳を迎えるにあたり、折角なので抱負を決めようかというのが今回の本題です。

さて、抱負といっても様々で、大学生らしく「勉学に励む」も良し、サークルに関連付けて「ダンスをもっと上手に踊れるようになる」も良し、あるいは「課題を溜め込まない」、「健康に生活をする」、「無駄遣いをしない」、「「推しに会いに行く」なんて自由に好きなだけ出てくるものです。自分の中で何を中心に抱負を決めるか、それが重要になってくるわけです。全部乗せでももちろん良いのですが、『新年の抱負』と言われるとどことなく特別な感じがしてしまい、ちょっとだけ恰好をつけた「抱負」を考えたくなってしまうのは人の性ではないでしょうか。

というか、そもそものお話。私は目標を「立てる」、」計画を「立てる」という行動を起こす前の準備が好きなタイプの人種です。勉強を始める前に、本屋さんに行って参考書をペラペラと探しているあの時間が1番楽しい。2番目に楽しいのは、買ってきた参考書を前に1冊を終わらせる計画をノートに書きだしている時間です。察している方もいるかもしれませんが、計画を立てて満足し部屋の片隅に積まれていった参考書は数知れず。おかげで弟妹は参考書を買う必要もありません。

勉強と言えばもうすぐ大学受験が本格的に始まる時期ですね。受験生の皆さんにとって極めて辛く、不安な時期だとお察ししますが、あと数ヶ月後には新品のスーツに身を包み、晴れやかな表情で門をくぐっているのでしょう。想像する初々しさにちょっとだけ羨ましいと感じつつ、そんなフレッシュな気持ちを持って生活したいと心から思います。

不思議なことに抱負は決まりませんでしたが、今年もマイペースに好きなことを書き綴っていけたらといいなと開き直りました。勉学も推し活もサークルも多方面に手を伸ばしながらのびのびな2024年を過ごしたいです。

今年1年もよろしくお願いいたします。

七草

こんにちは、ゆきほです🍵
新年明けましておめでとうございます。今年もよろしくお願いいたします。

私の年末年始は、例年通り父方の祖父母のところに行って紅白を見ておせちを食べて、久しぶりにいとこと会っていとこの子どもと遊ぶ……予定ではあったのですが、なんと年末に向こうの親戚間で感染症が大流行し行けないことに。珍しく自宅で年末年始を過ごしました。

どうしよう暇になっちゃったなとは思ったものの、何だかんだいろいろした冬休みも今日でおしまい。今年の年末年始に何をしたのかちょっとだけ振り返ってみようかなと思います。

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掃除も片付けも大の苦手ですが、年末だったので渋々大掃除をしました。
手のつけようがないほど散らかった部屋でゴミ袋を片手に黙々と片付けて、本棚を整理していくところまではまあよかったんです。
『あれ?そういえばこの棚より後ろって最近全く掃除してないし見てもないな…?』
気づくことができて結果的にはラッキーだったと思いますが、掃除中の私としてはアンラッキー以外の何者でもありませんでした。
部屋の端っこにある棚をどかした先にある床と、さらにその奥にあるカーテンすら3~4年開けていなかったであろう湿度高めの場所に位置する窓(隣の家と大通りに面していて、しかも真下にベッドがあるから軽率に開けられなかったというのは言い訳です)の詳細については思い出したくないので一緒にゴミ袋に入れてしまいますね。たぶん燃えるので次のゴミの日にでも出しておきます。
(セリ:清廉で高潔)

アイドルのオーディション番組を一気見しました。他の思い出と文体を揃えるために全部見たっぽい言い方をしてしまいましたが、実はまだ中盤くらいです。夢に向かって一直線に努力している参加者達を見ていると本当にすごいなと思うし、叶うことなら全員受かってくれー!!と思いながら見ています。
対する私にはこれだけなら誰にも負けないというものもなければ、器用貧乏だと言えるほど何でもできるわけでもない。圧倒的な努力を重ねている自信もなければ、努力量を補うことができるほどの才能もない。「自分なりに頑張る」「結果は伴わなくても過程が大事」って難しい。
(ナズナ:あなたに私の全てを捧げます)

昨日シルバニアの赤ちゃんをお迎えしました。ハスキーのふたごちゃんです。
子どものときに遊んだことがあるので「シルバニアデビュー」ではありませんが、とりあえず家の各所に並べて写真を撮って遊びました。すっごくかわいいです。
私の好きな”かわいい”は、”一見するとかわいいとは対の位置にいるけど、よく見ると実はかわいい”なんだと最近気がつきました。
ピンクで、小さくて、きらきらで、ふわふわで……もちろんこういう”かわいい”も大好きだけど、「かっこいい!……けどなんか今かわいかったな」「強い!……でもなんかかわいいな」の”かわいい”にすごく惹かれてしまうんです。かっこいいけどかわいいハスキーも多分そうですね。
今年はかわいいハスキーのふたごちゃんたちとあちこちお出かけしたいです。とりあえず明日学校に行くリュックに忍ばせておきますね。みんなに見せます。
(ゴギョウ:温かい気持ち)

中学生のときから追いかけているアイドルたちを初めて見に行きました。
正直なところ一番熱量を持って彼らを追いかけていたのは中高校生の時。最推しの彼なんて、出会ったときには4個も上だったのに、気がついたら今年で私が5個も年上になってしまいます。
twitterに流れてくるストーリーの更新予告に怯え、”7”のつく日付・時間に敏感になっていた当時と比べると、ストーリーには追いつけていないし最近の曲は全く分からないし、こんな感じで行っちゃって大丈夫かな?と思っていたのが事実です。
前日にセトリを予習した段階で知っていた曲は大体半分よりちょっと少ないくらい。これは多分本当に着いていけないんじゃないか、と思いながら行ったのに。
“聞いて地球どこにいても 出逢いに行くから”
まさかの前日からセトリが大幅に変更されて、私が最大熱量で追いかけていたあのときの曲がたっぷりのライブに。絶対にやらないだろうと予習もしていかなかった曲のイントロが流れ始めたときは、一緒に行った同年代オタクの友達と目を合わせて崩れ落ちかけました。新曲も最高に好みでもう半泣きです。出逢いに来てくれてどうもありがとう。
“また新しい夢を見ようよ Step on dream 一緒に”
(ハコベラ:私と逢っていただけますか)

前回お話しした「戦国無双」、年末年始もちまちまプレイしていました。画面酔いしてしまうので一気に何時間もはできませんが、現在豊臣秀吉が天下を統一したところです。
どうしても誰かに感想を話したくなって、中学生の時に戦国無双を貸してくれた友人に、友人の推しの伊達政宗が登場した辺りで久しぶりに連絡を取りました。
「マジで!?!?」「初見の人間の新鮮な感想を摂取すると命が助かるから実況してくれ」
本当に遠慮無く感想を投げさせてもらっております。明智光秀のかっこよさに気づいた直後に本能寺の変を戦わなくてはいけなくなったときはとても辛かったです。
どうやらここから先は自分が東軍につくか西軍につくか選んでプレイできるみたい。私は江戸時代も徳川家の15代将軍も好きなので、一旦東軍につこうかなと思います。でも三成とか秀吉も戦うのが忍びないほど魅力的なんだよね。どうしよう。
(ホトケノザ:仲間と一緒に)

久しぶりに夢中になって小説を読みました。藤崎翔さんの『逆転美人』という本です。
元々ミステリーは大好きですが、ものすごく察しが悪いので何を読んでも作者が意図したようにしっかりと騙されてしまい、読み終わったときにはいつも「うわぁ!!!すっっごい!!!」と感動しています。
『逆転美人』も帯に「ミステリー史上初の伝説級トリックを見破れますか?」と書いてあったので、『これは今まさに私騙されているな?』と思いながらページをめくり、最後には例のごとく「うわぁ!!!すっっごい!!!」と大感動。夢中になって読むあまり、バイト先に向かう電車では1駅乗り過ごし、1本見送って快速で帰ろうと思っていた帰りの電車では間違えて各駅停車に乗り込みました。
各駅で所要時間が15分延びたおかげで読み終わった『逆転美人』は現在2周目に入っています。2周目に入りたくなっちゃう気持ちを誰かと共有したいので、ぜひどなたか読んでいただけると助かります。絶対に紙で購入して読んでください。
(スズナ:晴れ晴れと)

初詣でおみくじを引きました。
「今はまだ、その努力が報いられることなく過ぎている。しかし、それにめげずに歩み続けなさい」
年が明けたらやろうと思っていた諸々を明日から頑張ります。
(スズシロ:適応力)

***

七草粥のおいしさが分かるようになった今年、ちょっと大人になったなとつくづく感じました。ではまた。

参考http://chills-lab.com/lofday/7-plant/

上京3年目

福岡という東京から1100キロも離れた土地からはるばる上京してくると、当然、文化の違いに戸惑うことがある。文化の違いというと、例えばエスカレーターに乗る時に東京は左側に寄るけれど大阪は右側に寄るといった、分かりやすいエピソードを人々は求めたがる。しかし、実際に私が体感してきた文化の違いというのは、実に地味なものである。ものすごく地味であるが故に、逆に苦労するのだ。今日はそんな文化の違い話を聞いて欲しい。ちなみに福岡は東京と同じでエスカレーターは左側に寄るので苦労はしていない。

私が東京に来て一番苦労したのは、「からい」という言葉だ。私は、関東の人が「しょっぱい」という言葉を使う場面で常に「からい」という言葉を使う。塩味が濃いものは全て「からい」になる。なんなら塩そのものも「からい」になる。学食などを食べて、少しでも塩味が濃いと「からい」と言う。例えばそばを食べて辛いとか、チキンカツの味が辛いとか言う。関東の人にとって、辛いという言葉を使わないであろう料理の感想でしょっちゅう辛いと言うから、大学の友達によく「辛い?」と聞き返されていた。こっちは聞き返される理由がよく分からないので、「うん辛い」と返していたが、東京で1年くらい過ごしてやっと気づいた。塩味のことを関東の人は辛いと言わないのだ!関東の人も、まさか文化の違いで「からい」という表現を使っているなんて思いもしないから、私は辛味を感じやすい奴ということになっていた。

文化の違いが地味というのはこういうことを言っている。あまりにも地味なので、ある個人が変な奴だった、と判断されて終わってしまうのだ。

似たようなことは蕎麦でも起こった。福岡の蕎麦、うどんの出汁の色は黄色い。緑茶のような色を想像してほしい。東京の出汁は麦茶のような色をしているし、醤油味が濃いから、それとは全然違うことが分かる。福岡の出汁は薄いから、麺と一緒に出汁を飲むのは普通だ。出汁も一緒に味わうのだ。うどんをズルズル食べて、汁を飲みほす、なんて普通である。飲んで美味しいのが出汁だからだ。ところが東京はどうか。麺の汁を飲む、という文化が一切ないのではないか?たまにつけ麺に出汁割りなんてものがあるが、基本汁は飲まず、飲むとしたら薄めて飲む、という文化のような気がする。福岡出身の私が東京で麺類を食べたらどうなるか、ここまで説明したら分かりそうなものである。学食で蕎麦を食べて、出汁を飲んだ。横の友人に「え、汁飲むの?」と若干引かれた。私「え、飲まない?」友人「飲まない」。沈黙。飲んだ後の私「辛い!」。こういうことが平気で起こる。関東の人間には私はこう映る。

『蕎麦の汁を飲んで辛いと言う変な奴!』

誰がこんなことを文化の違いと思うだろうか。誰も私が生きてきた福岡では普通だったからそのような行動に出たんだな、などとは思わない。ある個人の狂気で終わるのだ。この地味な文化の違いに苦労する人間は多いだろうし、変な奴とは関東の人もあまり関わりたくないだろうから、全く東京に馴染めずに福岡に帰ってくる人が一定数いるのにも頷ける。

ちなみに蕎麦うどん関連にはもう一つ話があって、東京のうどんはかたすぎる。最初食べて、茹でてないのかと思った。本当に。福岡のうどんはコシがないふにゃふにゃだから、うどんはそういうものだと思っていて、東京でうどんを食べて、歯で噛まないといけないことに驚いた。うどんは噛むものじゃないと思っていた。あれ以来東京ではうどんを食べていない。蕎麦ばかり食べている。うどんを食べたい気分の時は蕎麦を食べている。うどんだけは東京で食べられない。味も食感も見た目も違うので変な気分になるのだ。蕎麦は福岡では全く馴染みがないので東京でも食べられる。あと福岡にはつけ麺もない。福岡の人はつけ麺を、つけて食べる麺の上位概念だと思っている。ざるそばとかそうめんのように、麺を汁につけて食べる麺の総称と思っているので、つけ麺という料理があると思っていない。だから私は福岡から東京に来た友達にはつけ麺をオススメしている。みんなこんな食べ物があったんだ!と感心しながら食べてくれるので嬉しい。

お正月、餅には何をかける?もちろん、砂糖醤油。砂糖に醤油をかけたあの味がたまらなく美味しい。(え、醤油に砂糖……?)と怪訝な顔をするでない。砂糖と醤油は、おいしい。

コンビニで肉まんを買っても酢醤油が付かないので驚いた。

かしわめし、が通じない。

ごぼ天、ない。

住み慣れた街を飛び出すというのは大変なことである。自分にとっての普通が普通でなくなる感覚は、体験したことのある人じゃないと分からないだろう。東京の言葉を「標準語」と呼ぶからか、どうも東京の文化こそが標準で、それ以外は異質だと思っている人が多くてやりづらい。私にとっての標準は福岡で、それは変わらない。しかし、それを標準だと言って周りに押し付けることはしない。東京のことも知って、学んで、馴染んでいくのだ。上京3年目、離郷3年目。

謹賀新年

あけましておめでとうございます。本年もどうぞよろしくお願いいたします、あやめです。

新年ですね。私はただいまレポートとテストの期間中ですから、それらに追われています。一月いっぱいはこの調子です。書き溜めておいた記事でしのぎます。ご容赦ください。ということで、書き手・あやめはまだ年を越していません。悪しからず。

新年、このおめでたい時期に、また、大掃除から解放されたかと思えば新しい年の分の仕事に追われる季節に、あるいは、帰省なさったり初詣に行かれたりして楽しく過ごす期間に、(あえて)こんなところ(と申しますが、)を覗きにいらっしゃるあなたは、かなり稀有な方だと思いますので、全然お正月に関係のない話をわざわざ書いてみようと思います(書き手・あやめが、年を越していない、どころかまだクリスマスもやってきてない、そのために新年気分では到底ない、書き溜めしすぎたか、発酵しちまうぜ、ということも大いに関係あります)。

さて、みなさま、ChatGPTってご存じ?……ご存じの方が多いかと思われるので、別に説明は例の如く割愛いたしますが、大学で使うのは慎重にね、と耳タコで言われている、奴のことであります。私は奴のことを、敬愛をこめて「チャットさん」と呼んでいますが、彼(彼女でしょうか…)に200字程度で兎と龍の物語を書いてもらいました(やっぱり新年っぽくなりました、まずい、ややこしいことに初嘘を年内についてしまった、閻魔様にベロを抜かれちゃうので、このことは内緒にしてください、お願いします、美味しいごはん、味わってもっと食べたいの)。そしてそれだけではいけないので、試みに、私がそれを編集するなどしてみます。この試みに立ち会って下さる方~~?お客様の中にこの一大プロジェクトに立ち会って下さる方はいらっしゃいますでしょうか~~~?

ごちゃごちゃ言わず、はじめます。

以下チャットさんによるおはなし。

昔々、森に住むうさぎと龍が友達になりました。うさぎは小さな身体で、龍は大空を飛ぶ存在。ある日、森が危機に直面し、うさぎは身を挺して助けようとしました。しかし、力及ばず、そこで龍が現れました。龍の力で森は守られ、二人の友情は更に深まりました。それ以来、うさぎと龍はともに冒険し、森を守り続けました。

あら、な、中々、お上手なのね。チャットさんはなんと童話のようなものも、ものの15秒で書いてしまいました。つらつらと出来上がっていく物語を目の当たりにして、ややチャットさんを侮っていた(私はチャットさんとは、興味本位で一回ちらっとお話ししただけで、あんまり交流がありませんでした)私は震撼しました。べ、別に、その凄さはたくさんテレビや学校などで聞いて学んでいましたから、今更ですが、べ、別に、危機感とか、感じていません。

ところでこの物語、きちんとハッピーエンドですね。マア、うさぎと龍なので、バットエンドを書くことの方がちょっと邪道なのでしょうか。そのあたりの配慮もバッチリですね。チャットさんはすごい……

ただ、絶賛してばかりでは、もう私の役割が全部チャットさんに取って代わられてしまうことになりかねないので、難癖をつけていきます。

昔々、とはじまり、なにやら日本昔話風の絵柄を思い浮かべます。ふむ、まずはじめにうさぎと龍が仲良くなるのですね。そのあたりは何故かわからないのが、想像力を掻き立てますね。

うさぎは小さな身体で、龍は大空を飛ぶ存在。」というところは、ちょっと不自然に思ったので、「小さな体で野原を駆け回るうさぎと、大きな体で大空を飛び回る龍は、どちらも広い森の中から面白いことを見つけ出すのが上手でした。二人は、体の大きさや住んでいる場所は違いましたが、だからこそ彼らの「面白そうセンサー」が働いて、お互いがお互いに惹かれました。どちらも話が上手でしたし、感性が似ていたので、彼等はすぐに親友になりました。」にします。

ある日、森が危機に直面し、うさぎは身を挺して助けようとしました。

ここは、私が200字で、とお願いしたことが原因でありますが、やや淡白に展開しているので、わたくしめが、僭越ながら肉付けいたします。

「彼らがいつものように、それぞれの地元から面白いものを持ち寄ってプレゼンをする遊びをしていたある日、神聖なこの森に、全く面白くない動物がやってきました。蛇です。蛇は森で一番現実主義で、またほかの動物を騙したり驚かしたり困らせて遊ぶ、タチの悪い趣味をもっていました。人間のことも当たり前に嫌っていて、人間にも危害を加えていたせいで、人間の世界から追放されてしまい、行き場がなくなってこの森にフラッと来たのです。うさぎは、また龍は、当然、この蛇が嫌いでしたし、他の動物も、嫌い……というよりは……苦手……?というふうに思っていました。神聖な森では、他の動物にあまりたくさん干渉しない、自立したタイプの動物が多くいたので、こういうちょっかいをかけてくるタイプに慣れていない動物が大半でした。そこで気の強いうさぎは、蛇に文句を言いに行きました。」

さて、お話は、「しかし、力及ばず、そこで龍が現れました。龍の力で森は守られ、二人の友情は更に深まりました。」と続きます。これは、私の解釈によると、

「蛇はまた、とても(ズル)賢い動物でもありました。現実的、ということは、現実世界の抜け道も良く知っている、ということのようです。蛇はニョロニョロと、嫌なところをついてきます。うさぎはついに、何も言えなくなってしまいました。うさぎは誰かと言い争いをすることはつまらない、面白くないことだと学びました。そうと分かって仕舞えば、うさぎは言い争いをするのがバカバカしくなってしまい、言い返す言葉が何も思いつかなくなってしまったのです。うさぎ、面白くないことにはとことん興味がありませんでした。そこで選手交代、龍がやってきました。龍はうさぎよりも長生きで、御年1080歳でありました(うさぎは3歳です)。年の差友情です。龍は長く生きてきた中で、たくさんの経験をしてきました。ニョロニョロの蛇は同じニョロニョロの龍が、知の巨匠である龍が、憧れでした。爪も生えているし、空も飛べる。火も吹けるし、強いのに、あンなちっぽけなうさぎと仲良くしてやるほどに優しくて、おまけに賢い。カッケェ!龍ってスゲェ!とひっそり、こっそり思っていましたが、龍はそのこともバッチリ知っていました。龍は普段うさぎと話すときはめちゃくちゃギャル語を話していましたが、この時ばかりは物凄く重たい口調で、物々しく蛇を説得しました。蛇は龍と話せたことが嬉しくて(龍は優しいので、蛇の言い分も全て一度肯定してから、それから改善すべきことをわかりやすく教えてくれました)、ツン!とした顔をしていたけど、ちょっとにやけてしまいました。蛇は龍と(しぶしぶ!)約束して、大きな川の中州にある大木を調査して、文化財として保護する仕事をすることにしました。やることが見つかった蛇は、他の動物に構うこともなく(非常ォォにヤな言い方をして、たとえば「あなたにはわからないでしょうけれど、僕は忙しいので。ええ、あの龍さんとお話しさせていただきましたからね、僕はあなたと違って賢いので、ええ。」といった塩梅で話す癖は治りませんでしたが)仕事に没頭していきました。うさぎは龍の新たな一面(うさぎは龍のことをギャル語ではなすちょっとあほの子だと思っていたので……)を知り、また龍はうさぎの新たな学びに喜び、彼等はもっと仲良しになりました。龍はとっても長生きで、うさぎはそれに比べたらとっても短い一生を過ごすことになりますが、龍もうさぎも短い友情だとは思いませんでした。それで満足でした。」

やっと結末です。そろそろ私は短く簡潔にまとめる能力をつけなければなりません。

それ以来、うさぎと龍はともに冒険し、森を守り続けました。

ここについては、一点、お伝えしたいことがあります。チャットさんに無理を言って、別のバージョンもいくつか書いていただきましたが、どのバージョンでもなぜかどうしても冒険するパートが必ず出てきました。譲れないポイントなんでしょうか。ここまでで結構満足感があるのに、この上冒険に出たら収拾がつかなくなりそうで私は怖くてその展開はできません。新しい発想でした。勉強になります。

「うさぎは自分の知識の浅さを知りました。また、楽しくお話ししていた友達の龍が、こんなに賢いと知りませんでした。ギャル語を使っていた理由について聞いたら、龍が「一番最近習得したから……つかってみたかったんだ……」とテレテレしながら教えてくれました。また龍は、蛇と話しているうちに、親友であるはずのうさぎに対して自分が、その寿命が短いことから、別れが辛くならないように、そこまで仲良くならないように無意識のうちに感情をコントロール、セーブしていたことに気がつきました。龍はこの個人主義な森ではいつも一人になりがちでした。みんな自分のことを尊重してくれる代わりに、誰も仲間に入れてくれませんでした。だから長いこと友達なんていませんでしたし、それに何の疑問も感じませんでした。一人で何でもできたし、楽しいことばかりだったので、別に何の不満もありませんでした。ところが、小さな問題ではありましたが、また小さな助力でしたが、一緒に解決しようとしてくれたうさぎのことが、とても気になるようになりました。はじめて、友達が欲しいな、と思ったのです。

それ以来、うさぎと龍はともに冒険をしました。真の友情と深い知識を得るための大冒険です。……なに、心配ご無用。なんてこともない、お話し会を毎日開いただけのことですよ。森の個人主義な動物もご招待して、いろんな話をきいたり、ただ一緒に時間を過ごす会です。みんなの、手に汗握るどきどきの物語を聞いていると、大冒険をしている気分になるのです。また、いままで知らなかったことを知るために、普段はしないことをするのって、まさに大冒険というものでしょう?

ときどき、いやいやながら蛇も大冒険に参加しました。このようにして二人は、森の平安を守り続けました。」

思っていたより長くなってしまい、たぶん皆様も飽きてきた頃だと思ったので、あわててここで辞めにします。皆様もぜひチャットさんとお話ししたり、この物語の続きを考えたりしてみてください、なんて。

結論:チャットさんすごい!