元始、貴方は白薔薇であった。
二人が出会った「発生」のとき、世界と呼べるものが生まれた。二人が共に生きることの出来るレベルが、その他の世界から区別された。
そこから今に至るまで、私たちは出会うことのなかった46億年間を駆け戻りながら、同時に、一日を一日として、一秒を一秒として今を歩んでいる。
前に私が贈った白い薔薇を、枯れて紙のようになるまで大切にしてくれたのを覚えてくれているだろうか――私は過去に、女性を花に喩えるということについてのアイロニーを文章にしたことがあるが、そんなことも忘れて白薔薇を貴方だと思った。いやむしろ、あの時の貴方が薔薇のような印象を与える人間だったという方が正しい。
貴方はナイーブで清潔で、傷がつけばすぐに目立ってしまうような性をしていた。見えないけれど棘もあるし、今よりも静かでつめたい皮膚を持っていた。
「君は果たしてその子を見ていたのか」
ええ。見すぎるくらいに見ていたと思う。だから貴方が私について貴方でなく貴方の見ているのと同じところを見てほしいと言ったとき、いちばん痛い棘に刺された気がした。
そして今はもうその棘が、自分の掌にある自傷の道具であったとわかっている。
(間奏)
貴方は変わったし、私も。少なからず変わったと思う。
私は、貴方の香りや洋服や髪型が変わるところをどうかこれからも余さず見届けられますようにと願いながら眠る。だけどそうじゃなくて、そうじゃないところで貴方は変わった。自分が一番よくわかっていると思う。
空間を、世界を、物語を見る目が変わり、他の人には秘密にしたい様々なところで貴方は変わった。例えば声が出るようになったので横の道を通る車の音に負けずに会話が出来るようになってきた、が、私の耳が悪いのでこれからも戦いは続くだろう。背筋が伸びてきたので、並んで歩くときに少し私が見上げるようになった気がする。ギターを始めて、映画を観始めて、私が好きなこと(と一致すること)を始めて、だから私も歩み寄ってあの映画を観てみようと思う。
なぜか今日は君が欲しいよ
違う女と逢ったみたいだ
体にまとったかげりを脱ぎすて
かすかに色づく口唇
快活な女はよくて、「かげり」のある女はわるいのか。そう思って聴いたものだけど、貴方の不要だった「かげり」が薄れたとき、心の底から見違えるほどの美しさを感得した。だから毎度走ってこちらへ駆け寄ってくれなくても、今の貴方を好きでいられる。
二人は今も「かげり」を宿したままでいる、しかしそれは若い時分に必要なものだと思う。身に受ける光も翳も、時々刻々と変化して然るべきものだ。これも、貴方と居て気付かされた。
歩くほどに踊るほどに
ふざけながらじらしながら
薔薇より美しい
ああ君は変った
薔薇「より」といって他者との比較のなかで測れる相手ではない。貴方を比較の中で考えることは、私にはもう出来ないだろう。
それでも私は貴方を、「薔薇より美しい」と思うことがある。この思いにはきっと妥協があるけれど、それでも私の中で嘘でないのは、「元始、貴方は白薔薇であった」ためだ。
薔薇は元始の貴方、今の貴方は、ただひたすらに貴方である。
貴方は変わって、前よりもずっと美しい。しかしそのために今、貴方を薔薇に喩えることがなくなってしまった。
私は貴方に生活の全てを捧げようと思ったし、本当の自分というものがあり得るならばそれはきっと貴方の家畜人であろうと信じようともしていた。ただ、そも私が捧げるべくは生活ではなく魂であったのだし、そして今やそれは私がすべきことではない。
貴方はどうなのか分からないが、二人は互いを人間として見られるようになったのかもしれないし、そうであるならばこれほど自然なことはない。
賞賛に俯いてしまう薔薇の貴方ではもうないから、心置きなくこういったことを書くことが出来る。
共に朝陽を見る者として伝えます。美しい貴方、ありがとう。
今度はあなたへお手紙を書きますね。 みちる