能をまいました

 能楽研究会の発表会がありました。
 その名も「五交会」。
 五つの学校の愛好の士があつまって、それぞれの持ちネタを発表するという、部長いわく「気楽な会」。
 各学校の新入生のお披露目会でもあったようです。
 中途入部だったので、わたしは2年生ながら、初の能舞台をふんだわけです。
 しかし。 
 学年ごとに固まるように番組が組まれてしまったものですから、わたしの順番はなんと2年勢のど真ん中。
 一学年ちがうだけで、能の腕前ってほんとに上がるのですよ。
 「パンサーの群れにいきなり放り込まれた小鹿の気持ちを30字以内で述べよ」といいますか、そんな感じでした。
 やった演目は「熊野」。
 初心者向けの曲なので、今回プログラムの「熊野」率、アンコール曲を除けば、なんと約6割強(!)。
 大盤振舞いです。
 
 前後に修羅物のかっこいい演目がつづくなか、ぽーんと放り込まれた「熊野」…。
 いや、曲はいいのです。「熊野」はとてもきれいな曲です。
 「熊野」にはなんの咎もないのです。
 問題は演者の腕だったのですから(泣)
 しかしながら、総檜造りの能舞台、最高に気持ちよかったです。
 足袋の滑りがいい。木の吸いつくような歩き心地もたまらない。
 また機会があったら、ああいう舞台で舞ってみたいものです。
 
 余談。
 修羅物の謡って、つくづく調子が良くてかっこいいと実感しました。
 ところどころ詞が韻をふんでいるのですよ。ラッパーのように。
 観客が手拍子とか合いの手なんかを入れられたら、ちょっと楽しいんじゃないかと思いました。
 「たずねても(パパン)たずねても(パパン)」
 「とどろく雷撃(セイ!)、せまりくる斬撃(セイ!)」、(うろおぼえ)のような感じで。
 ……確実にぶっとばされますなァ。
 

白黒の世界へ

どーも、さえこです!ぜひとも聞いていただきたい!水墨画で龍の絵を描いたのですが、なんと日美展に入選することができました!ヤッタアアアアアアアアッ!!しかも秀作賞をいただきまして…感無量でございます(´;ω;`)
公募の展覧会に出品したのは初めてのことです。もうね、就活か、大学院に進学か、教員採用試験か、なんて散々迷っていた春休み。現実逃避の気持ちから、墨絵をいそいそ描いておりました。好きなもので身を立てられたらなーと、夢みて公募展に出品。落ちたらキッパリサッパリ、絵の道を諦めようと思っていたのに。入っちまいましたよ…。幸か不幸か、未だに分かっておりません。どうやら書道を学ぶ中で、息抜きに龍の絵を描いていたのが上手くいったようですね(笑)まさに、行動あるのみです。
無論、上には上がいらっしゃいます。プロは、いつもレベルの高いものを提供できるから、プロなんだ。って誰かが言ってた気がします。その通りですねえ。調子に乗るなと、自分に言い聞かせたいと思います(笑)
日美展は8月6日から8月15日まで、国立新美術館にて開催されます。シンプルでありながら、奥が深い。そんな水墨画の世界に、足を運んでみてはいかがでしょうか?私の絵も探してみてください(笑)今後とも継続して水墨画を描いていきたいと思います!さえこでした!

あなや!

 
『うた恋い。』第5巻が発売されるそうです。内容はまだちょっと分からないんですが、1巻が有名どころ、2巻が六歌仙、3巻が『枕草子』、4巻が滅び行く氏族ときたら、もうそろそろ女流歌人スペシャルが来てもいいのでは……!?と期待が高まる今日このごろ。
諸事情で発売が延期になってしまったそうなので、改めて発売日を楽しみに待ちたいと思います。
被服学科に西洋服飾文化史という授業があります。文字通り西洋服飾の歴史について学ぶ授業で、ヨーロッパの服装が好きな人にとっては胸熱どころでは収まらない授業です。私も4月ごろに一度聴講に行ったことがありまして、古代ギリシャの服飾について心躍らせてきました。
で。何故日文のブログで突然被服の授業の話を始めるのかと言いますと、昨日の昼休みに、かつーん、あゆみちゃん、日文の友人と一緒にお昼を食べていたときに、あゆみちゃんに「西洋服飾文化史にいた?」と聞かれたんですね。私が聴講に行った回にちょうど彼女もいたそうで、「たりーちゃんの幻を見たかと思った」と言われました。本人だよ!(笑)
今はちょうどシェイクスピアの『ロミオとジュリエット』、つまり16世紀ごろのヨーロッパの服飾についてやっているそうです。資料で映画も見たらしいんですが、あゆみちゃん曰く「ロミオの台詞がクサすぎてそれどころじゃなかった」んだとか。
ところが、この話を静かに聞いていた友人が「台詞を古文にしたら面白いんじゃない?」と言いだしてからが大変でした。
「台詞を古文にしたら面白いんじゃない?」
「例えば?」
「おおロミオやロミオや、そなたは何故ロミオなのじゃ」

こんな爆弾発言がほかにあろうか!!(笑)

予想の斜め上を行く発想に私たちが笑い転げていると、彼女は同じ台詞を、今度は歌舞伎風で言い直し、しかもそれが絶妙に上手いせいで余計に笑いが止まりませんでした。
おまけに
「ジュリエットがロミオが死んでるの見つけたときの第一声はあなやな」
と追い打ちをかけられ、3人ともお箸を放棄して大笑いするはめに。
しかも何が面白いって、彼女がそういうことを表情一つ変えずに言うことですよ(笑) あー面白かった。
ちなみにこの友人は、このあと卒業袴の展示会で私とあゆみちゃんに盛大に遊ばれたのでした。
えりこでした!

話し言葉のルーツ

こんにちは。あやです。
この前、中学以来の付き合いの友人に「あやさんって話すときに色んな方言が混ざるよね」と言われました。そのときは「確かに!」と答えたのですが、それ以来、自分の言葉のルーツがどこにあるのかが気になり、暫く考えていました。
そして気付いたのが、私をとりまく環境にあった共通語以外の五つの方言の要素。
まず一つ目。祖母の方言。
私の祖母は山形の置賜地方の生まれで、成人してから上京しました。
上京した後は「NHKで共通語を覚えた」そうで、一緒に暮らす今も殆どが共通語です。
ただ、親戚(オール山形)と電話する際は山形弁話者であるのはもちろんのこと、日常でもたまに山形の方言が出てきます。
(例)「食べなさい」→「食えェ」、「~しない」→「~しねェ」、「~しなさい」→「~しろ」
生まれてこの方ずっとこのような言葉を聞いて育ったため、おそらくはまず山形弁(一部)を吸収。
二つ目。居住地の方言。
私が生まれ育ったのは東京の郊外(多摩地域の内のひとつ)で、畑や田んぼ、川などが多い地域です。つまり、所謂<トーキョー>ではなく、田舎の第二東京。もちろん地域性や話し言葉も都会とは少し異なります。
まず地域性。この地で45年生まれ育った母曰く、「せっかちで乱暴、でも大らか」なのがこの地の特徴。山と都会の中間に位置する私の故郷は、祭りとギャンブル、そして選挙の開票速度に力を入れているような場所です(この喩えは我ながら結構言い得て妙な気がする)。
この性質のおかげで言葉も「せっかちで乱暴、でも大らか」な雰囲気の共通語。フランクに言えば、少しだけ口が悪い共通語(笑)。
私自身もこの地で育っているため、きっとこの言葉も吸収しているはず。
三つ目。学校の方言。
小学校まで地域の学校に通っていた私は、中学校からこの大学の附属校にお世話になることに。もちろん、ここでも世界と言葉が違います。中学一年生の私にとっては、これがまさにカルチャーショック。
周りは見渡す限り「お嬢さま」、先輩のことは「上級生のお姉さま方」と呼び、「私」の読み方は「わたくし」で統一。衝撃でした(今振り返ってみれば本当にマンガのようなお嬢さまキャラなんて人はいなかった)。
もう本女生活も9年目ですが、中学に入学して以来、書き言葉や公の場での話し言葉はかなり本女風になっている気がします。
四つ目。テレビの方言。
今、テレビを点けてみるとかなりの確率で関西弁が聞こえてきます。そしておそらくはその殆どが大阪の方言と言っても過言ではありません。そういえば、一昔前(もしかすると今も?)はエセ関西弁が使われている様子も結構見受けられました。
(例)「これめっちゃ美味しいや~ん♡」とスイーツ()の写真をTwitterにアップロード
「ちょっと待ってアナタ東京生まれでしょ…」とツッコミを入れたくなりつつも、私も人のことは言えませんので…。おそらく、テレビの方言も吸収済み。
そして最後、五つ目。周りの人々の方言。
一つ目に私の祖母の山形弁を例に挙げましたが、最近は家庭以外の場所で会う人々の方言にもかなり影響を受けているな、と思うことが多くなりました。
例えば大学。こちらは公の場面。日本文学科には福田先生という関西弁を貫く先生がいらっしゃるので、先生のご出身(大阪の河内地方)の言葉を耳にすることが多く、かなり発音が引き摺られます(河内に親戚がいる友人曰く、「聞いていると安心する大阪弁」なのだとか)。
そして私的な場面では、彼。こちらは福岡、博多育ち。話し言葉は(おそらく)博多弁。ただ色々な地方出身の人々と関わり、また様々な地方を飛びまわる人なので、もはやどこの言葉を話しているのかはよく分かりません。話し言葉が通じないこともしばしばあります。この前は「梅雨」のイントネーションの違いから意思の疎通ができませんでした(東京の「梅雨」は「つ↓ゆ↑」福岡は「つ↑ゆ↓」)。
そういえば、もうどこでも耳にしますが、「~じゃん」という言い方も方言ですね。こちらは確か神奈川発。
このように、様々な方言の影響を受けた私の(プライベートな)話し言葉は、謂わば「方言のるつぼ」と化しています。しかもそれらの要素が全てあやふやに入ってきているため明確な線引きがなく、どこ発の言葉か分からないという状況です。
ただ、公の場で話す際はほぼ100%共通語。これは学校教育の賜物かもしれません。
普段話している言葉、耳にする言葉に注目するとかなり面白いことが見えてくることがあります。
皆さんも機会があれば、ぜひ試してみてください。