Everything has a meaning in the text

こんにちは、むーです!新年1回目でございます。
家族、バイト先の店長、友人たちがばったばったとインフルに倒れていく中、なんとか年末年始を無病息災で生きぬきました。体調管理に気を付けつつ、本年もどうぞよろしくお願いいたします。
はてさて。そんな1回目に似つかわしい内容か甚だ疑問ではありますが、最近めちゃめちゃはまってしまっているものがありまして、もうどうしても誰かにお話ししたくて、本日はそのお話しをばと思って参りました。
こちらです。
don't hug me I'm scared
イギリス産のパペットアニメーション、”Don’t Hug Me. I’m Scared.” 邦題は『だきしめないでこわいから』といいます。
画像をご覧になってみていかがでしょう、かわいらしいと思われますか。
『セサミストリート』を模したようなデザインのキャラクターたちが、「創造性」や「時間」「愛」についてかわいらしいお歌に合わせて教わる、典型的な子供向け映像作品--のように一見思われますが、実はその痛烈なパロディ。後半になると世界観は一転、ショッキング・グロテスクな表現のもと狂気の世界が描かれます。いわゆる、ハートフルボッコ。
そんなギャップが生み出す中毒性と、考察に耐えうる重厚な背景や綿密な構成を持っているこの作品は、世界中に根強いファンを獲得しています。1作品3分程度で、隠しエピソードなどを除いて現在全6話がyoutubeで公開中。有志のファンによる日本語字幕付きの動画もアップされているので、ご興味を持たれた方がいらっしゃいましたら是非。ただ本当の本当に過激な表現を含んでいるので、得意でない方はどうかご注意ください。
twitterでこの作品を知って興味を惹かれたものの、ビビりな私は初見時ずっと薄眼で、嫌な予感がするたびに何度も何度も動画を止めて、音量をとにかく下げて、画面のほとんどを手で隠しながら見ていました。本当に怖くて始終びくびくしっぱなしだったのですが、いやそれ一番ダメなホラーの見方じゃん。何が楽しくて見てるわけ? そもそもそんなもの大学の公認ブログで紹介するなよって感じですよね、ほんとうにそう。
いや、何が楽しくて見ているのかと申しますと、この作品、とにかく作り込みがすごいのです。

don't hug me I'm scared 5

don't hug me I'm scared 5-1

 かわいい…………
毎回変わるセットに、個性豊かな人形たち。そのすべてが、柔らかくて温かみを感じさせる生地で手作りされています。1秒にも満たない時間しか登場しない人形すらある中で、それらすべての何とかわいらしく、精巧に作られていることか!
撮影に関わる一式を揃えるために、どれほどの労力と時間を要するかは想像に難くありません。この作品が細部に至るまで制作者に愛され、こだわり抜かれていることが見る者にまで伝わってきます。描かれている内容が内容なだけに、余計に。
けれど、ただ人形・セットが作り込まれていただけでは、この作品は異国の私に伝わるまで評価されていなかっただろうと思われます。それだけなら、「本物の」子供向けパペットショーも同じですし、なんなら単なるぬいぐるみ遊びとしか認識されなかったかもしれません。
この作品がすごいのは、そうした人形劇としての作り込みすら、作品世界の狂気の一部として、意味を持たせられているところです。
ちょっと話は飛躍しますが、みなさん、小さい頃、教育テレビとか海外アニメのキャラクターが「怖い」と感じたことはありませんか。
私はあります。めっちゃあります。『いないいないばぁっ!』のワンワンが本当に怖かったし、スポンジボブとかグーフィーとか、教育テレビでやってた5分くらいの謎のクレイアニメとか、そういう「子供のためにつくられた」はずのものが怖くてたまらなかった。なんで怖かったんだろうか。それはきっと、子供は大人よりもずっと、心がむき出しのままで生きているからなのではないか、と思います。だからこそ、身近にある子供向けコンテンツにだって漠然と恐怖を覚えるのではないかな、と。
皆さんにどれだけご共感いただけるか分からないけれど、ありませんか、そういったトラウマ。恐怖と子供向けコンテンツの親和性って、本当はめちゃくちゃ高いのではないでしょうか。
思ってみれば”Happy Tree Friends”なんかもそうですよね。かわいらしく狂気を孕んだショートアニメーションで、根強い人気があります。ものすごいギャップがあるはずなのに、なんだかすっと受け入れられてしまうのは、そもそもの「子供向け」の世界観が恐怖を内蔵しているからなのではないでしょうか。きっと”Don’t Hug Me. I’m Scared.”も、その効果を十二分に利用しているのだと思います。
加えて言及したいのが、この作品が選択している表現方法についてです。パペットアニメーションのみならず、時として、CG・2Dアニメーションが断片的に挿入され、観る者の恐怖を誘います。また、それによってパペットだけでは表せない画を同時に提示しており、作品の媒体の選択が極めて恣意的に行われていることが確認できます。そうした演出の数々が全て狂気の名のもとに昇華されていくように、私には感じられてならないのです。
おそらく製作者は、お裁縫や手芸、可愛い人形たちを製作していく過程を愛しているだろうと思います。けれどそれをそれだけに留めないで、可愛い手作りの人形・セットにしか表現しえないことを表現し、時としてパペットアニメーション以外の方法も取り入れながら、1個の作品へと育て上げている。それも可愛らしい子供向けコンテンツが人々に持たれているイメージの、裏面をなぞるような形で。
何が言いたいかと言うと、単に作り込んでいるわけではない、ということです。きちんと選択された上で、何かの意図のもと、精巧に仕組まれた数々の物たち。それらが持つ効果を俯瞰して眺めたときに、何が見えてくるのだろう。そんな風に気がつけば思わされています。それってとっても、文学研究の対象となるテクストの在り方に酷似していませんか。
またまた話が飛躍しますが、こうした媒体の理解と選択の判断の問題って、表現全般に言える事なのではないかと思います。私自身、ひよっこではありますが、人形劇や演劇の制作に携わっている表現者の1人です。表現に携わることがお好きな方なら共感していただけるでしょうか、私はついついその過程だけに心を奪われてしまいます。演技が楽しいとか、作業が楽しいとか。
けれどそれだけでは決して駄目で、自分が選択した表現方法がはらんでいる効果や可能性を理解したとき、はじめてそれを活かした表現が出来るようになるのではないでしょうか。
そして、何か表現したいことが自分の中にあって、それに適した表現方法を引出しの中から見つけ出したとき、はじめてそれは人目に触れたとき考察に耐えるだけの「テクスト」としての価値を持つ可能性を得るのではないでしょうか。
上質な創作のためには、まずはその表現方法が持つ効果を考えなければならないのだと、この作品を通して感じました。とにかく、人形劇が人々に恐怖を与えるのに効果的であるという認識を得て、なんというかとてもびっくりしたのです。小さい頃散々人形を怖がっていた記憶も相まって、なおのこと。
その感動のようなものを、この作品を知ってからずっとうずうずと感じていました。誰かに言いたい。でも人に勧められるような内容のものでもないしどうしよう、と思っていた次第です。いやそれで人に伝える手段としてブログを選択するのも本当にどうかと思いますよね。
さてもまぁ話が長い上に飛躍していてたいそう読みにくかったろうに、ここまでお付き合いいただきまして本当にありがとうございます……。観る人の考察に耐えるような「テクスト」を、いつか自分の手で生み出してみたいな、と思います。それでは今日はこのへんで。お相手はむーでした!