野良猫と人間

こんにちは、とみーです。6月に誕生日を迎える推し(ゲーム内)に、先月のお給料を丸々捧げて、無事お迎えをしました。なんてこった。しかも時期が被るイベントも、何故かその推しが最高レア度でPUされていたために、毎日毎日悲鳴をあげてました。私の友人たちは、地獄で悶える私の様を見て心底楽しそうに爆笑していました。許せませんね。彼女らがいつか悲鳴をあげるときが楽しみです。

さて。「野良猫と人間」と題を打ちました。
皆様、猫は好きですか? 私は好きです。友人宅に行くと、それはそれは美しい毛並みのお猫様がいらっしゃるので、下僕になったつもりで遊ばせていただきます。
では、皆様。近所に野良猫はいますか? 私の近所にはいます。大人の猫が二匹、我が家近辺を縄張りにしており、いつも同じ場所にいます。その猫以外にも野良猫は大量にいて、無垢な子猫から、交通事故に合い亡くなっている猫まで、幾度となく目にしてきました。

恐らく、人生で一度も野良猫を見たことない、という人は少ないと思います。それくらい身近だし、ふとしたときに見かければ「あ、猫だ!」と思わぬ出会いに嬉しくなることもあります。

でも、絶対に、近所の猫に餌を与え、「外猫」なんて認識で飼うのは、この時代ダメだと思うのです。

この写真は、ただの我が家の駐車場…ですが、闇に溶け込んでいる子がお分かりいただけますでしょうか。実は車の下に猫がいます。目を凝らすと見えてくると思います。

我が家の近所では、二つの家がもう三年程、二匹の野良猫に餌を与え続けています。そのため猫は人間を恐れておらず、ちょっとやそっとじゃ退きません。車を動かしたくても、下から動いてくれないのです。もし、気づかなければ轢いてしまいます。

また去勢系統も恐らくしておらず、春になると朝から晩まで穏やかじゃない猫の声が響きます。餌の時間には、毎日餌をねだる「な~あ゛な~あ゛」という声。真夜中は猫同士の喧嘩。よりにもよって餌を与えられている二匹、とても仲が悪いようで。でも二匹ともこの近辺からどちらも出ていかないために、尋常じゃないバトルの声が聞こえます。

そしてつい先日。我が家の玄関に、茶色い置き土産がありました。そう、💩。私が片づけ、その後再発を防ぐ細工を施しましたが、これでも「飼っている」と言えるのでしょうか。野良猫に餌をやる人々が、どんな認識でいるのかは分かりません。外猫として飼っているのかもしれないし、飼う認識もなく無責任に愛でているだけかもしれません。

私が、自分の平穏な生活のために、猫が迷惑、なんていうのは自分本位で大変恥ずかしいことです。猫だって好きで野良を選んだわけでは無いでしょうし。でも、本当に外猫として餌をあげてあげるだけの行為が、良い行為なのでしょうか。
いつも同じ場所で寝ているあの二匹の猫は、餌は与えられていますが、とても健康とは言えない状態にあると思います。一匹は毛もまばらで片方の目が濁った雰囲気。もう一匹は、おなかに腫瘍のような不自然なふくらみがあります。

なんの行動も起こせないでいる私が言うのも変な話ですが、本当に猫のためを思うなら、自分の「愛でたい欲」を満たす前に病院へ連れていき、しかるべき手続きを踏み、責任をもって飼うべきだと思うのです。私は、喘息の母を持ち、そんな責任は到底持てないので、放置しています。でも、放置しない選択肢をとるのなら、どうか考えてみてください。もし、近所に野良猫がいて特別可愛がったことがある人は、野良猫と人間の関係性がどうあるべきなのか、少し深く気にしてみてほしいのです。

以上、餌をあげている人の近所に住んでいるだけの、無責任な人間のお話でした。嫌な話で、ちょっと申し訳ないです。
それでは、またお会いしましょう。

孤独と生きる


先日、久しぶりにコンサートに行って来ました。
コロナ禍での開催、私自身もタイミングを見て、事前にきちんと感染対策がされているかしっかり確認して申し込みました。前日にはアーティストの方から、検温の協力やマスク着用のお願いもあり、当日も換気がされていたので安心して参加することができました…!
昨年終わりくらいから、少しずつ対面(?)のコンサートが再開されていますが、生の音楽を聞く感動って何にも代えられないものですね。
今回は小さな会場だったのですが、コンクリート打ちっぱなし、教会のように天井が高くて音が綺麗に響く素敵なホールでした。コロナ流行以前は、ライブ・コンサートにたくさん行っていた私。会場の大きさも形も様々でしたが、今回のホールはベスト3に入ると思います。素敵だった…。
このコンサートを目標に色々頑張ってきたので、会場の席に座っただけで大感激。そして音楽を聞いて大号泣。
とにかく目の回る忙しい日々で、直前には私行っていいのかな…という気持ちになっていましたが、やっぱり行って良かったです。生きるために必要なんです、音楽。

そんなコンサート、アンコール前の最後の曲を聞きながら、とてつもなくしみじみと「孤独」を感じてしまいました。私、怖いほど美しいもの、透き通ってきれいなものを見たり聞いたりすると、人間って孤独なんだなぁって思うんですよね。上手く言葉で表せないのですが、どんな人間にも「孤高」な側面があって、その淋しさというものは美しさに繋がるところがあると思うんです。ごめんなさい、分かりにくくて。
前、電車に乗っていて、夕暮れ時だったのですが、透き通った空の青と消えかける橙色が綺麗に川に写っているのが見えて。で、水面に写るその青の部分は黒に近く見えるんですが、黒ではない吸い込まれそうな深い青色をしていて。橙は、空よりも柔らかな色をしていたのですが、その深い青色から柔らかな橙のコントラストに、他を寄せ付けない美しさと暗い孤独を感じました。


冷たい水の中をきみと歩いていく
なんて青くあどけない 夏の一日
グラスの底を
誰かの読んでいる 小説の挿絵の
湖の中に ぼくは今沈んでいる
誰も見えない


谷山浩子「冷たい水の中をきみと歩いていく」(作詞・作曲 谷山浩子)より


昔、私は、人間は一人で生まれ、一人で死ななければならないのだから、生きている間はせめて互いを認め合って、手を取り合って生きていきたいと思っていました。だけど、それは想像以上に難しい。隣りにいるからこそ、強く感じる孤独もあるんですよね。

嘘と裏切りと無視。
大切なもう一人との、関係も壊れた。
私はあまりにも色々なものを失いすぎてしまった。

私は、思い出すことを辞めました。でも、どうしても思い出さなければならない時は来るんです。
それが、今、まさにこの時であって。
強い衝動、孤独を再び感じた時、
生きること、そして書くこと、表現することが昇華に繋がり、
そして、ずぶずぶと沈み溺れかける私を救うのは、また私であることを知りました。

強く、しなやかに生きていきたいです。

今、ファンタジー作品を読む授業を履修しているのですが、授業を通して、私の大好きな女優さんやアーティストさんが、それらの作品に影響を受けていることが分かりました。私の好きなものの根源の一部を知ることができた気がして、それぞれの世界がまた繋がり、広がってゆく感触がします…!

そして何より卒論。頑張ります。

さようなら、我が恋人よ…

こんにちは!ゆうなです〜

皆さまお久しぶりですね!もう6月も下旬…私の中では、半袖GOサインが1週間ほど前に発令されました👕

中高生時代は、意地でも長袖Yシャツの袖を2.5捲りして着るぞ!というポリシーがあったのですが、卒業した途端に、半袖に衣替えする時期が早くなったような…日焼け止めを手放せなくなりました😎

さて、そんな今日ですが、

私は約3ヶ月間、楽しいときも、苦しいときも、共に歩んできた「綾鷹抹茶ラテ」というなの恋人に別れを告げたいと思います。

3月下旬〜6月頭、私は綾鷹抹茶ラテとズブズブの関係で、自販機で見つけようものなら即購入!家にはストックが8本!といった状態になっておりました。我が家の冷蔵庫最上段は、半分が某飲料で埋まっていたと言っても過言ではありません。また、某飲料を置いていない○社の赤い自販機は自販機ではない!ただの183センチの赤い箱だ!なんて発言をするくらいでしたので(超過激発言)、通りかかる自販機を必ず見る癖と、そこから某飲料を瞬時に見つけ出す特技が身に付きました。この特技なら全国ベスト30には入るのでは…?(笑)

しかし、悲劇は突然に訪れます。

あれは、2週間ほど前のこと。緑と黒のエプロンを着た店員さんが「シュコーッ!」と音を立てて飲み物を作ってくれる…と言えば伝わるでしょうか、私の前にあのスタバの抹茶ラテが現れたのです。私には恋人がいるというのに、他の抹茶ラテに手を出すなんて…そんな罪悪感を抱かなかったわけではありませんが、ここは綾鷹抹茶ラテとの絆をより強固なものにするためにも飲んでおかなければ。

そう思い口にしたスタバ抹茶ラテ…。「あっ、これは美味しいわ」と思わず口にしてしまいました。そして、その後も2度ほどスタバ抹茶ラテを購入。3晩続けて通うと結婚!なんていう常識が古文の世界にはありますが、3日飲んだ私はスタバ抹茶ラテと契りを交わしたも同然。正真正銘「浮気」です。その後、家に残っている某飲料は消費されず…4本のギクシャク中の恋人からの視線が、冷蔵庫を開けるたびにこちらへ向けられます。

後日、原宿駅から徒歩10分ほどの所にある自販機の前を通りかかりました。浮気後も、先ほど述べた癖と特技は健在。いつものように自販機を見てみると、そこには今までに自販機では見たことのない440ml綾鷹抹茶ラテが佇んでいるではありませんか!

箱での販売用以外は製造中止になったと聞いていた、440ml某。原点は彼だったと言うものの、それはスーパーで購入したもの。そして、そこから私はこの「綾鷹抹茶ラテ」にハマり、自販機では280ml某を購入していたのでした。

私は決心しました。

この440ml某購入を最後に、綾鷹抹茶ラテには別れを告げよう。これが私なりのケジメだ。 と。

赤い箱(=○社自販機)によって果たされた奇跡の出逢いと、その別れに。

乾杯。

朝活したいのよ~

こんばんは。れいかです。

6月17日(木) 曇り→雨→晴れ→お天気雨→曇り→晴れ(?)

1日を通して変な天気でしたね。
ついに梅雨入りしてしまいました。。

そんな今日は、いつもより早起きをして、東京国立博物館へ。
お目当ては鳥獣戯画!!
会期延長のおかげでギリギリ行くことができました。
動物たちの目や仕草がとても生き生きしていて、見ていると明るい気持ちになりました。
そして人間たちも、にぎやかな笑い声や話し声を感じさせるような豊かな表情が魅力的でした。
並んでいる間は音声ガイドを聞きながら軽く予習をして。
近くでじっくり見れましたが、止まって見れる感じではなかったので(流石の人気…!)事前に特徴やポイントを押さえることができて良かったです。
最後の子犬の像が可愛かった~♡

その後は、4月から気になっていた喫茶店に行ってきました。
「珈琲王城」

ピザトースト!復刻メニューらしいです。
見て下さい、この厚み!!(笑)
食べ方に少し苦労しました。。パンの内側(白い部分)がふわふわ~
上部のソースと具の味がしっかりしていて、下とのバランスがGood!
サラミ(?)が特に美味しかったです。

行きの電車では読書をして、帰りの電車は寝ました。
「思ったより、ピザトーストもたれなかった!」と思いましたが、睡魔には勝てませんでした…。
人生初の乗り過ごしをスレスレのところで回避。


お花を買って、紫陽花が綺麗なお寺をぐるっと一周。
色とりどりの紫陽花と愉快なお地蔵さんがたくさん!

カードゲームに興じる、カメラを構える、お団子を食べる、腕相撲をする…
個性豊かな楽しそうなお地蔵さんばかりでした。
写真のお地蔵さんは紫陽花の下で大笑い。
何があったのでしょう?大喜利ができそうですね!

家に帰って、15:00からはサークルのオンライン練習。
定演の曲を音取りしました♪

夜ご飯のあと20:00から、友人が企画&司会をしたオンラインの就活イベント。
本女のOGの方の就活体験談を聞くことができて貴重な機会でした!

結論:早起きは良いこと尽くし!!!
瞑想、ヨガ、腹筋(5分)の3点セットを済ませ、カフェインレスコーヒーを飲んでから家を出たお陰でコンディションが良く、こんなに多くのことをできる日はなかなか無いので楽しかったです♪

明日も6時に起きたい~!


つい先日、ゼミの先生との面談がありました。
まだテーマすら決まっていないのに、ゼミが始まってから卒論に対する漠然とした不安が募っていました…。
先生はそんな私のまとまらない話(というか弱音)を親身に聞いて下さって…(涙)
これって就活に対しても同じだったんですよね。
始まる前からあれこれ考えてしまって身動きが取れなくなって…。
どんどん怖くなるだけだからまじでやめた方がいいなぁ。
先生が学生だった時のお話を挟みながら励まして下さって、無限ループのネガティブ思考を絶つ転機の1つになりました!

たしかに決める行為は怖いけれど、どちらを選んだから良いor悪いというのはない。
大切なのは、決めたものに対してどのように取り組んでいくか。
選ぶことはある程度必要だけれど、(自分に合うか、好みの許容など)そこから先はどれを選んでも楽しめるかは自分次第ってことなんだと思います。やってみる前は分からなくても、実際に取り組んでみたら案外夢中に…なんてこともしばしば。
今は選択肢があることに感謝をして、実際に手足を使って動くことに重きを置きたいです。

自分にとって不都合な状況や気に入らない他人の言動を見たりするとつい、「変えたい…」「どうにかしたい…」となってしまうことがありますが、影響を与えることはできても相手を変えることはできません。つまり、私は自分だけを変えることができる。(面談前に電車で読んでいた本に書いてあったのです。)
それを忘れずに、朝活を続けていきたいと思います!

それではまた。

p.s. 最近は宇多田ヒカル、リトグリ、アンジュルムの新曲をよく聴いてます♪
  鈴木愛理ちゃんの歌がとても好きです♡

伝書人

ご無沙汰しております、みちるです。

『ハンター×ハンター』と『ジョジョの奇妙な冒険』の話は万人に通じると思い込んでしまうんです。

「それについては本当に反省した方がよい」

ごもっともでございます。
上に挙げた二作品は数多ある有名漫画タイトルのなかでも”超”有名作といえるでしょう。あなたも、作品の名前くらいは見聞きしたことがあるのではないでしょうか。

ただ当然ながら、誰も彼もがこれらの作品に触れているわけではない。
呆れるほど自明的であるこの命題をなぜ私は、我々は忘れてしまうのでしょうか。なぜ我々は毎度毎度キャラクターの台詞や任意のシチュエーションを会話に混ぜ込み、ふと気が付くと相手がポカンとして遠くを見つめているのでしょうか。それでも”〇〇ネタ”の使用(※≒或る作品の要素をネタとして会話に使用すること)がやめられないのは何故でしょうか。

それは我々が、つねに認められたく許されたいからでしょう。 
我々は自らの好きなもの・よく知っている事物が他の皆にも同様に愛されること、そしてその事物を介して己が承認され許容されることを望む―そうであるがゆえに他者との交流のうちに〇〇ネタを使用してしまう、と考えられはしないだろうか。

なんだかレポートめいてまいりましたね。
とにかく漫画に限らず、或る作品に関する了解のない場においては前置きなしに作品ネタを用いないのが安全だと思う。
差し当っては相手がその作品を知っているか否かを確認しておく必要が出てきますが、ここでもあんまりあからさまに「〇〇(作品名)って知っているかい?ええ知らないの。あれはああでこうで良くて云々」と言うと「俺様と会話するならこの作品を知っておけ」みたいな態度を看取されやしないかと不安になります。実際そんな意図は無いわけですし、おそらく自意識が過剰なだけでしょうが。

思えば思うほど許されたい。
いつまでもスペシウム光線を打って、変身ポーズをコピーして、魔法の呪文で仮想敵をなぎ倒していたい。私にもスタンドはあるし鍛錬を積めば念能力も使える、幻影旅団にも入れるし不義遊戯は確信的に”使える”。
いつまでもそうしていたいだけなんです、この願望を許してほしいんです―この要求の歪んだ表出こそ〇〇ネタの使用(そしてこれによる人の”選別”)という或る種閉鎖的とも言えるカルチャーなのではないかと思います。それは不随意的に大人になってしまう私たちの身体の仕方なさであり、ここでは虚構こそが私たちを現実に繋ぎ留めておく撚糸になっているのです。

大人にだけはなりたくない。

が、それでも生きていきたいと表明する。表明しよう。

あなたに、許して欲しいとは申しません。ただ私がしたためたこの手紙をそのままに受け取って下されば充分ですから、これからも宜しくお願い致します。
今回は短いですが、このあたりで。

またお手紙書きますね、大好きです。       みちる

ちょっとしたご褒美。ちょっとした幸せ。

こんにちは、あこです。

今日の朝、松月堂の「栗苞」を食べました。「栗苞」は栗きんとんを葛で包み込んだお菓子で、1時間ほど冷蔵庫で冷やしてから食べるとさっぱりもっちり美味しいです。また池袋に行った時は買わなくちゃ。もはや使命感を感じています。暑い時期にもぴったりなお菓子だったので、皆さんぜひぜひお試しくださいね。

あ、栗関連でもう一つ、おすすめのお菓子を思い出しました。それは小布施堂の「栗かのこどら焼き」です。かわいいサイズのどら焼きなのですが、食べ応えのある栗粒が入っていて、ほんっとうに美味しい!!半年ほど前に日本橋に行った際、三越で出会いました。また日本橋に行く機会があったらぜひとも買って帰りたい一品です。

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4月に大学が始まってから、対面授業の日にはデパ地下を通って帰るのが習慣になっています。私の登校頻度は週に1-2度なのですが、その内、何かを「買って」帰るのは月に2回。和三盆やどら焼き、水無月など、和菓子が多いです。登校時以外にも、数少ない外出時(※基本インドア)に百貨店を見つけると、吸い寄せられるようにデパ地下に向かいます。気づいたらデパ地下にいると言っても過言ではないくらいです。(え)

では、デパ地下で私は何を探しているのか。もちろん美味しいお菓子なのですけれど、実際に「買う」のは、以下の条件を満たしているお菓子です。それは、

①生ものでないこと(特にこれからの季節は注意)

②300円以内であること

③綺麗に2つに分けられること

語るほど大した条件でないので何だか恥ずかしくなってきましたが、気がつかなかったふりをして続けます。

まず、①についてはお察しの通り、デパ地下から家に帰るまで時間がかかるからです。もちろんお店の方は保冷剤をつけてくださるのですが、その日中に食べない・食べられない場合(例:私より先に男性陣が帰宅している等。基本的に1つのお菓子を母とシェアするため、他の家族がいると食べるタイミングを失います。)があるので、生ものは避けています。

次に、②については、300円以内だと罪悪感・圧迫感を感じずに楽しむことができるからです。それ以上の価格になると財布と私が圧迫感を感じて、「ちょっとした贅沢」の域を越えてしまいます。基本的に、買ったお菓子はその日の夕方か、翌朝に母と食べます。家族でのお祝いごとや、「よし、今日は贅沢するぞ!」と意識してお菓子を買う時とは違って「今週も頑張ろう!」とか、「今日もお疲れ様!」と、自分たちを鼓舞したり労ったりするための日常的な「ちょっとしたご褒美」には、これくらいがちょうどいいです。(※個人差あり)

それに、300円と言っても、なかなかバカにできないんですよ。先にあげた松月堂の「栗苞」や小布施堂の「栗かのこどら焼き」、以前ブログで紹介した文明堂の「3時のおやつあんぱん」も、全て300円以下です。一つしか買えないし、一つ一つは小さいけれど、食べたら幸せを感じること間違いなし。なんて素晴らしいんでしょう。

そして③については、母とシェアして食べるからです。ハイブリット型になったとはいうものの、私は週の半分以上を家で過ごしています。20歳になったものの衣・食・住は完全に両親に依存し、特に母にはお世話になりまくっています。その感謝を込めて、、、と言いたいところですが、特に理由はありません。ただ、おうちでお菓子を食べるのに、母と同じ空間を共有しているのに、わざわざ一人で食べる理由もないとは思いませんか。それに、一人で食べてカロリーを全て摂取するよりも、二人で食べて半分のカロリーで済んだ方が、罪悪感なくご褒美を買って帰れます。二つに分けるとただでさえかわいい和菓子が一口サイズになりますが、案外ちょうどいいものです。実際、「足りない!」とか、「一人で全部食べたかった!」と思ったことはありません。美味しかったら、また次の機会に買ってくればいいだけですから。

大学の授業も折り返し地点を過ぎました。課題や授業に追われている人は少なくないと思います。そして、関東甲信は今日梅雨入りを迎えたそうです。心も天気も晴れない時は、300円を握りしめてデパ地下へ行きませんか。あなたにぴったりの「ちょっとしたご褒美」が、あなたを待っているはずです。

それでは、また。

季節に思いを馳せる

こんばんは、まなです。みなさまいかがお過ごしでしょうか。紫陽花が強い日差しに晒されているのを見ると、何だか気の毒に思えてきます。お節介なようですけれども。私事ですが、好きなアーティストのライブが当たりまして、向こう4か月程度は何とかやっていけそうです。無事に見に行けますように…。

さて、みなさまは二十四節気をご存知でしょうか。立春や夏至…といえばピンとくる方も多いはず。二十四節気とは、1年を春夏秋冬の4つの季節に分け、さらにそれぞれを6つに分けたもので、「節または節気」と「気」が交互にあります。本日13日は芒種という節にあることになります。芒種とは、稲などの種をまく頃、という意味がありまして、田植えの時季を指しました。これは旧暦なので、今はもっと早いそうですけどね!この芒種の後の「気」が、あの有名な夏至となるわけです。今年の夏至は21日だそうで。時の流れが早すぎて恐怖を覚えています。いくら暑くなってきたからって早すぎませんか…もうそんな季節なんですね。

そして、さらにこの二十四節気をさらに5日ずつに3等分し、時候を表したものが七十二候と呼びます。この存在を知ったきっかけは家にあるカレンダーでして。私としましては浅学でとても恥ずかしいのですが、それぞれの時候の言葉が素敵だなあと思いまして、みなさまと共有出来たら、と思った次第です。現在13日は「腐草蛍と為る」といって、草の中から蛍が飛んできて、光を放ち始める頃とされていました。昔は腐った草が蛍になると考えられていたそうです。なんだか不思議な考え方ですよね。興味のある方は、他の七十二候を調べてみてはいかがでしょうか。ただ過ぎていく日々を違った見方で捉えることで、季節の感じ方もまた変化する気がします。蛍、久々に見たいなあ。

それではまた。

「眼」で見て感じて

こんにちは!先日エアコンの掃除に奮闘していたあやです。

すっかり汗ばむ季節となり、そろそろエアコンが欠かせなくなるだろう。 というわけで、エアコン内のフィルターを外して掃除したのですが、もうヒヤヒヤしまくり(笑) 少し高い位置に設置してあるので、テレビ台にイスやら何やらを置いたうえで背伸びしての作業。チビにはつらい作業でした。あと、ぶっ壊さないようにするので精一杯。新しいものではないので油断すると経年劣化したプラスチックなんかを割ってしまいそうで、もし割ったら家族に白い目で見られるのは当然で…^^; なんとか無事に終わって良かったです!とりあえず今年もエアコンにはたくさんお世話になりそうです。

さて、6月になり休館していた博物館が少しずつ復活しています。一昨日、東京ステーションギャラリーで行われている「コレクター 福富太郎の眼 昭和のキャバレー王が愛した絵画」という展覧会に行ってきました!! 展示を見るのは久しぶり。今回の展覧会は学芸員資格の授業でお世話になっている先生が携わっているものでして、先日授業でその見どころについて教えていただき、非常に気になっていました。

実はこの展覧会を知るまで、福富太郎さんのことを知らなかった私。キャバレーをチェーン展開させた実業家である一方、美術コレクターとしても有名で、生前テレビやラジオ、雑誌で美術について語り活躍されていた方だそう。幼い頃から、美術品を集めることに興味があり、そのために常日頃作品に関する勉強を欠かさない。そんな福富さんが集めたコレクションは、世間的に有名でない作家の作品も多く存在します。それは周りの評価に関わらず、福富さんが自身の鍛え上げた「眼」で作品の魅力を感じ取り、大切にした証。コレクションの素晴らしさも然ることながら、そういった自分の蓄えた知識や感性を大切にしてきた人間の姿が垣間見えたことが印象的です。

だから私も、数々の作品を前にしたとき、作品リストを片手に自分の感性でそれぞれの感想をメモしていました。(あ、博物館・美術館でメモをとるときは鉛筆でないとダメですよ⚠)拙い感想ではあるのですが、せっかくなら自分でも作品のイメージを整理しておきたいと思った次第です。美人画では、女性の表情や立ち振る舞いにどことなく感じる何かがあったり、心中物の作品は複雑な気持ちがどこから読み取れるのか考えてみたり。展覧会の注目作品の一つ、満屋国四郎の「軍服の妻」。夫の軍服を両手で持ち、目にはうっすら涙を浮かべている妻の姿が描かれており、福富さんはこの涙が単なる悲し涙ではなく、夫が帰ってきた嬉し涙とも受け取れると語っていたそうです。ですが、私は作品を実際に見たとき、作品に漂う雰囲気や女性の面持ちから嬉し涙だとは感じられませんでした。もちろん福富さんほどの作品に関する知識はまったくないので説得力はゼロかもしれません。ただ作品の受け取り方って人それぞれでも良いと思いませんか?

少し脱線して日本文学の話になりますが、登場人物の心情って作品に綴られている言葉そのままを受け取ることも間違いではないですし、そこから発展させてさらに奥底の心情を読み解くのも間違いではありません。ただ、その時自分の感性や信念に従い判断することが大切で、そのためには作品自体の勉強が欠かすことはできない。研究するってそういうことなんだなと、東京駅丸の内駅舎の煉瓦に囲まれてしみじみと感じたことをお話ししておきます。

それでは、また♪

研究ノート

お久しぶりです、れいです!
最近の私は、忙しくも充実した時間を過ごしておりました。色々な経験を通して、自分の将来像、目指す方向がはっきりと見えてきました。本当に一瞬一瞬、濃密な時間でしたし、卒業までのこれからの時間も大切にしていきたいと思っています。

そして、今日は国語国文学会の春季大会に参加してきました!
なんと「日本女子大学日本文学科賞奨励賞」という賞をいただき、表彰していただいたのです…!
本当に嬉しかったです。嬉しかったので「一言お願いします」と言われ、想像以上に緊張してしまいました。
今回、4年次の国語国文学会委員のメンバーみんなで受賞をしました。昨年度、コロナで全く変わってしまった学生生活の中で、どのように国文学会の活動を進めていくか、模索し続けた1年間がこういう形で報われると思ってもいなくて…、感無量の気持ちでした。

私は委員の中で研究ノート係を務めていました。「研究ノート」は『国文目白』とは別に、主に学部生の研究の成果を発表する場として設けられたものです。自主ゼミの活動報告や、個人レポートなど、自分たちのやってみたい、研究してみたいという探究心が形になったものです。自主ゼミもですが、「学んでみたい」と思ったら、自分から学ぶことのできる、そしてそれを共有する縦、横のつながりがあるというのは、とても素敵なことです。
また、冒頭の特集記事では、毎年、専任の先生方へのインタビューや国文学会主催の企画の記録、秋季大会の講演録を掲載しています。インタビューでは、先生方の意外な一面が見えたり、講演録では直接お聞きした最新の研究がまとめられ、貴重な記録となっています。
私は、高校生の時に初めて研究ノートを読み、学生がこんなにも主体的なのだと驚いた覚えがあります。そんな研究ノートに携われたこと、発行までには辛いこともたくさんありましたが、私の誇りです。

研究ノート1号を創刊されたのは、2019年度に退任された高野晴代先生とその同期の方々です。そして今年度50号を迎えます。春季大会でもお話させていただいたのですが、これからも研究ノートが引き継がれることを切に願っています。

そして今回の春季大会では、後輩が運営を頑張っている姿も見て、頼もしいなと感じました。
Zoom、特にウェビナーでの開催には、色々な苦労があったかと思います。まずは本当にお疲れ様でした…!

一つ終わってひと段落…と思うと新しい課題が舞い込んできて中々休めない日々なのですが、、、今週末は二つも楽しみなことがあるので、週も後半頑張りたいと思います!

今日が最後かもしれない

ご無沙汰しております。実習より舞い戻りしみずほです。
どうやら世間は6月になっているみたいですね。こわいこわい。
三週間が瞬溶けした限界実習生のわたしには耐えがたい現実です。

いやあ行ってきましたよ教育実習。以前もお話した通り、実習のことはあまり詳しく話せないので(法律違反で捕まっちゃうのだ)ふわふわとした感想になりますが、人生で最も濃密な三週間だったと言えます。
初日はとにかく緊張しまくっていて、そもそも前日は寝れなかったし朝からようつべさんで「教育実習 準備」とか今更過ぎる検索したりして。かっちんこっちんのまま中学凸でした。そこから徐々に久々の学校生活を謳歌し、生徒のかわいさに癒され、最終日にはこっそり泣きました。

実習で思ったのは、やっぱり自分は「学校」が好きなんだなということ。
思い返せば学校に行くことが嫌になったことって実はないんですよね。中高は。
テストが嫌だったり、早起きが面倒だったり、電車に乗りたくなかったり、いろんなことを考えてはいたけれど、学校に着けばへっちゃらでした。中高は。
先生として学校で過ごしてもその思いは変わらなくて。つらすぎて毎日逃げ出したいと思ってはいましたが、生徒と一緒に授業を受けたり、先生方とお話ししたりすることがとっても楽しかったんです。
またここに戻ってきたいと思えた大切な三週間になりました。

前置きが長くなりましたが、まとめればとにかく実習頑張りましたよということです。
こうしてなんとか実習を終えた私ですが、ふつふつと胸の奥に沸きあがる欲求がありました。
そう、お買い物欲です。
遊びたーーーーい!と思っても簡単におでかけできる情勢ではありませんから、いまはお籠り生活に戻っています。
でもやっぱり遊びたい。というかお買い物行きたい。
人間ストレスがたまるとお金を使いたくなるんですねえ。使えるような満足なお金もないのに。
うだうだしてても埒が明かないので、我が地元に唯一あるショッピングセンター「ジャスコ」に出陣しました。
結構前に「イオン」になったらしいのですが未だに「ジャスコ」と呼んでしまいます。ゆうて「イオン」名乗れるほど広くないし。
夏服が出るころよね~と思ってひと通り店内をぷらぷらしていたのですが、どうもピンとこない。どのお店も微妙で結局その日使ったのは、本屋でシリーズ新刊を買うためとスタバで新作ペチーノを飲むためだけでした。
いや、足りないよ!!!!もっとこう、豪快にお買い物したいよ!
意気消沈のまま車でペチーノをすすりました。おいしかったです。
まだまだ夏はこれからだぜってことで、しばらくお買い物欲は消えないことと思います。運命の出会いがあると信じて……。今年の夏も出かけないだろうけど、おうちでもちゃんと服を着ることが今年の目標です。かわいいパジャマでも買おうかしら。では、これから再び通販サイトをサーフィンしてくるので今日はこの辺りで。
おやすみなさい。良い夢を。

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吾輩は猫ではない。
名前など持たない。
吾輩はただ、吾輩として存在するのみであり、それ以上でもそれ以下でもない。

吾輩の優雅な一日は、一杯のホットミルクから始まる。
寝床を抜け出し、朝日を浴びて、ホットミルクが出来上がるのを静かに待つ。
身だしなみを整えることも忘れない。
紳士たるもの常に清潔であるべきなのだ。

吾輩は時刻に沿ったルーティンを持たない。
故に欲望には割と忠実である。
眠くなったら寝るし、遊びたくなったら走るし、空を感じたくなったら窓に寄る。
読書を嗜むこともしばしば。天気のいい日は外に出てみたりもする。
しかし決して他と馴れ合うことはしない。
紳士たるもの常に孤高であるべきなのだ。

優雅な一日の終わりには、しっかりとしたボディケアが必要。
明日も迎える優雅な一日のために準備を怠らない。
吾輩の目の前には堕落しきった人間もいるが、あれは愚の骨頂だ。
だらしなく横たわり、なにやらぶつぶつと独り言ち、しばらくすれば夢の中。
考えられない。貴様の寝床はここではない。通行の邪魔だ。
おっと、取り乱してしまった。
紳士たるもの常に冷静であるべきなのに。

永遠に来ない明日を追いかける今日を繰り返し、吾輩は少しずつ終わりに近づく。
終わりに向かうために吾輩は今日も一日を始める。

吾輩は猫ではない。
貴様らが勝手に「猫」と呼んでいるだけである。
名前など持たない。
吾輩は、吾輩である。