紡ぐ

暑くなってきました。今日は耐えきれず、エアコン&おでこに冷却シートで暑さをしのぎましたが、まだ6月ですよね…??7月、8月が不安になってきたあやです。愛用しているミルラの香水も、甘い匂いがゆえに夏向けではないので、しばらくお休み😌 夏にぴったりのいい匂いの香水、知っている方はぜひ教えてください♪

ブログ部の一員として、これまで何度もブログを更新してきましたが、先日その経験を活かせる出来事がありました。アルバイト先の雑貨店で、商品紹介のブログを書くことを任せていただいたのです📃

もちろん自由気ままに…というわけにはいかないのですが、それでもフォントの色を変えたり、私の思いを語ってみたりと、十分遊ばせてもらいました!お店としても、堅苦しいブログではなく、お客さんを楽しませたいブログを目指しているので、「こうしたら面白い紹介になるかも(^^)」といろいろ考えていたら、1時間以上かかってしまうという… まさに大学1年生の冬、ブログ部での初めての更新を思い出しました。初ブログは熟考しまくり、満足いくブログを書くために一晩寝かせて、見直しまでした気がします。他の部員の方々のように、文才が感じられるブログを更新している自信はこれっぽっちもないのですが、一学生のちょっとした日常や考えをほんのり温かく?積み重ねていくことが私の目指しているブログです。控えめなスタンスですが、これからも見守っていただけると幸いです。なんてブログ部での初心を思い出しながら書いたお店のブログ。私の文章で少しでもその商品の魅力やお店の雰囲気が伝われば、それ以上に素敵なことはないはず🥰 一つひとつの言葉を丁寧に選び、文章ができ、その集合体で人の心をいかようにも動かすことができるのだと、ブログを書く立場、読む立場両方を経験し、実感したことです。ブログ部以外でも言葉を操る機会をいただけたからには、さらに自分の文章を磨いていきたいです。

さて、商品を紹介するということは、写真が必須📸 これが本当に苦労しました。Instagramは登録していても、いわゆる見る専ですので、映えた写真を撮るのには不慣れです。どうする?と考えても撮るしかないので、お店の良さげな場所をいくつも探し、絶妙な角度から商品の写真を撮って、編集して… 背景となるパネルを棚に立て掛けて撮影していたら、いきなり倒れて頭に直撃ハプニングも込みです。商品を持つ自分の手にもかなり気にしました。その前にダンボールをいくつも潰したからか、爪のトップコートが少し剥がれてしまい、これをいかに隠すかが難題。写真に関しては、圧倒的修行が足りていませんでした(^_^;) 出直してきます!!!

学食BENTOへGo

こんにちは!やなです。
この間、ぼうっとしながら駅のホームを歩いていたら、前からすごいスピードで来たベビーカーに轢かれそうになりました……笑
びっくりしすぎて赤ちゃんの姿は確認できなかったのですが、もしベビーカーに赤ちゃんが乗っていて、私とぶつかったら大惨事になるところでした。今度からはちゃんと前を見て歩こうと思います。

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何の話をしようかしらと思ったのですが、今回は私のおすすめのお昼ご飯の話をしようと思います!
みなさんは杏彩館で生協さんがお昼にお弁当を売り出しているのは知っていますか?
2限後のお昼休みは学食が大混雑してしまい、お昼を取るのが一苦労なのですが、お弁当は日によってはけっこう遅くまで残っていることがあります。早く3限の教室に行っておきたい私は毎週お弁当を購入しています。
お弁当と侮ることなかれ、けっこう量が入っていて、何よりおいしい。持ち歩いて好きな場所で食べられるのも良いですね、3限の教室でお弁当を食べている人もよく見かけます。
今回は(そこそこの数のお弁当を食べてきた)私のおすすめを紹介します!食レポには期待しないでください!!

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3位 カツカレー弁当(写真を撮ってなくてすみません)

学食のカレーを食べたことはありますか?大鍋で作るおかげか、スキー場で食べるカレーのようにかなり美味しいのですが、お弁当のカレーも学食と似たような感じで美味しいです!お弁当にカレー?と思われる方もいると思いますが(私も初めて見たときには思いました)、意外と冷めても美味しいものですよ。

2位 キーマカレー丼

めっっちゃくちゃ美味しいです。1位と迷いました。
キーマカレーがこんなに美味しいとは思いませんでした。そこそこ辛いところも高ポイント。野菜(ピーマン)が入っているところもいいね。好きです。また食べたいです。

1位 野菜天丼

学食弁当の存在を知り、初めて食べたのが野菜天丼でした。色んな種類の天ぷらが入っていて、たくさんの味を楽しめます。タレも濃すぎず、天ぷらにも合っていてご飯が進みます。また食べたいなあと思ってはいるのですが、タイミングが悪く1度しか食べられていません。今年中にもう一度食べられるといいな。

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以上が私のおすすめのお弁当3選でした!週一でしかお弁当を食べる機会がなく、まだ全種類制覇できていないため、これから毎週新しい種類のお弁当を開拓していこうと思います!
まだ食べたことがない方、もしよろしければこの機会にお弁当を食べてみてはいかがでしょうか?おすすめですよ。

それでは今日はこのへんで。やなでした!

取捨選択

こんにちは!ゆうなです!

たった今、ショッキングな出来事が…今まで書いていたブログたちのフォルダをうっかり全削除してしてしまいました😱さよなら私の娘たち…パソコンの前で15分くらいは呆然としていましたが、気持ち新たにまた書き溜めていくしかないですね(泣)

それはそうと、パソコンの前でただ15分、何か動画を観たり脱線することもなくただただ15分呆然としていた私っていったい…気持ちの切り替えが下手くそなんですね、、、パパッと「また書けばいいじゃん!」とか「ブログにログインしたら自分が書いてきたもの全部残ってるじゃん!」とはならないんですね😅

最近この気持ちの切り替え方法に関して悩むことが増えました。それもそのはず、6月はサークルの本番があり、レジュメを3つ抱えており、さらに私にも「就活」の時期が到来し、ES地獄に陥っています。ESが「エントリーシート」の略称だということもつい2週間前くらいに知ったのに、あっという間に就活の波に乗っかってしまいました。今年は怒涛の、そして勝負の夏になる予感…😳踏ん張りどころですね!!

ですが、私は昨日一昨日と、めちゃくちゃ号泣してしまいました(T . T)20歳になって、自分のことでこんなに泣いたの初めてかもしれない…。自分でやるべきことが何か、痛いくらいわかっているのですが、少々キャパオーバーになってしまったのでしょうか(周りには「気を付けろよ」と散々言われていたので、こんなこと知られたら「ほらぁ〜だから言ったじゃん!」なんて声が飛んできそう(笑))、私は色々な活動に手を出しすぎて、自分が将来のためにやりたいことには思うように時間をかけられず、やらなければいけないことのみに追われるばかりでした。思い返せば、最初の緊急事態宣言が明けて以来、ずっとそんな生活をしていたような気がします。

それには一応私なりの理由がありまして……私、中高時代はだいぶと不真面目で、「課題?ナニソレ?」と言いながら部活にだけ心血注ぐ生徒でしたので(今考えるとぶん殴りたい!)、これを挽回すべく大学では学問と、そして大好きなチェロとバイトと、そして就活と教職課程と…全部両立するんだ!!と意気込んでいました。ゾロにでもなりたかったのでしょうか…。

ありがたいことに、その活動ぶりをみて、所属する場所では長を任せてもらえたり、責任のある役職を務めさせてもらえたり……と結構充実した環境を与えられているように思います。周りにいる人たちも優しくて、本当に恵まれていることを実感しますし、頑張る姿を誰かが見てくれているのはとても嬉しいことでした。「認められる」なんて経験が今までにあまりなかったので、任されることは全て引き受けていましたし、多少大変でも「与えてもらえるのは幸せ!」と思えていたのです。今見ると、2年分のスケジュール帳、とってもカラフルで、白い日がほぼない!!!!予定管理能力ゼロとも言えますが(苦笑)

しかし、6月になってから直面したESにストレートパンチを喰らいまして。奴ら「自己PR」だとか「学生時代、特に力を入れたこと」とかいう壮大なテーマを400文字程度で語れと急におっしゃるんですよね…そして、当の私は、これだけ活動していたのにぱっと思い浮かぶものがありませんでした。悔しくて、今までやってきたことは何だったんだろうという虚無感に襲われて、そしたら涙が止まらなくなっておりました。「もう締め切りいやだあああああ」と大の大人が泣き叫びました😭ストレス解消方法も特になく、泣き叫んでもやることが消えてくれるわけでもなく……まだ昨日の今日なので心が完全に回復していないのですが、周りにはこれまで「やりたいことの取捨選択をしなさい」と言われてきていたのに、私は与えられたものを受け入れることはしても、自分から選択して取り組んだ活動は少なかったように思い、反省しています。もちろん、これまでの活動も私にとっては有意義なものでしたが、これからは自分のために主体的な選択をすることが必要なのかな、と感じました。

就活をする前に気づきを得られたことが、今回の収穫かな、と思いつつ、これからまた通常運転に戻れるように頑張っていきたいと思う私なのでした💪

それでは、また。

にんにく冷やし中華あっため

期待値×0.5の味。もともと、そんなに期待はしていなかった。けど、見た目とにおいが本物だったから、期待値を上に修正した。それで口に運んでみたら、ホラ、違う。学食の、熊本ラーメン。にんにく冷やし中華あっため、です。

九州・沖縄フェア、苦手。慣れ親しんだ名前の料理に期待するのは、慣れ親しんだ味。そこにあるのは剥製で、血も肉もない、限りなく生に寄せた死なのに。日本の有名なキャラクターが、海外で真似されて、パチモンの不細工キャラクターになっていて、それが日本のキャラクターと同じ名前で呼ばれていて、親しまれていたら、日本人は怒るだろう?もっと簡単に言うなら、刺身のことを寿司だと言って食べている人がいたら、訂正するだろう?九州・沖縄フェアだと言って、東京の料理に九州料理の名前がつけられて販売されていたら、モヤっとするだろう。分かってくれ、地元愛が強いとかなんとかではなく、当たり前を指摘しているだけなのだ。

ちなみに、柚子胡椒のローマ字表記が、YUZUKOSYOとなっていた。残念。正しくはYUZUGOSHO、連濁する。

つまらない生き方をしていると、つまらない文章しか書けなくなるようだ。だめだ、だめだ。そういえば最近、太宰を読んでいないな。あのリズムに乗らないと、心が跳ね方を忘れる。最近はもっぱら魯迅。困っている。魯迅の作品は、魯迅の言葉ではない。翻訳だからだ。私は言葉が持つ、言葉を愛しているので、翻訳は少し、違う。魯迅という名前なだけで、中身は魯迅ではない。さっきの熊本ラーメンと同じ。もっと中国語を学んで、一冊くらいは原文で読もうか。中国人の先生が、あれは中国人でも読みづらいと言っていたから、当分先になるだろうが、私は魯迅の魯迅という味を知りたい。

私は今まで自分を超える存在に会ったことがなかった。もちろん、学力、体力、容姿、その他細かな能力で幾人にも劣ってきたが、自分の自分選手権においてはいつも自分は特別であった。自分以外に自分を超える存在などなかった。だが、大学に来て、ひとり、出会った。はるかに自分の感受性を超えており、それでいてさらにそれらを存分に文章で発揮できる存在に。

シビれる、というやつ。シビれる東京。でも、青森からやってきた太宰も、すごい、東京の人たちよりすごいよ。そういえば、東京生まれ、東京育ちで、太宰が好きな人に会ったことがない。新感覚派とか、新技巧派が好きな人には、よく会うが。

百年館7階の隅っこに、もこぽつり。日はどっぷり落ちて、空は群青。ブラインドから覗くと、聳え立つスカイツリーが見えた。あのてっぺんに登っても、そこから私の故郷は見えない。

たまには寄り道して

こんにちは、さゆりです。

犬王を観に行きたい!しかしなかなか映画をじっくり観に行く時間が取れず、サントラを聴きながらパソコンや書類と睨めっこする日々でございます。ここ最近どうにもミスが多くて、課題の締切を間違えて提出し忘れたり提出書類が締め切りギリギリになってしまったり、わざわざ前日に忘れないように用意した物を朝置いてきて忘れたりと己のポンコツっぷりに若干の苛立ちと虚無を感じつつ……気持ちに体がついてこないのはよくある事ですが、休み上手になりたいなとつくづく思います。

自分だけの問題なら良いんですけど他の方に迷惑をかけてしまうのは大問題なので本当に気をつけたいです。スーパーマンになりたい。

さて、突然ですが、みなさんは最近感動したことはありますか?

私はここ数年小さなことでびっくりしたり感動しなくなったりしてつまらない人間になってしまったなぁ、なんて思うこともあるのですが、つい先日のことです。両親と寄り道して入ったカフェで飲んだコーヒーとデザートがあまりにも美味しくて感激しました。普段時間もおかず適当に入れたコーヒーばかり飲んでいますし、種類も全然分からないので適当に頼んだものだったんですけど。

しかしそんなに味覚が繊細でない私でも分かる、まぁなんと香りの良いこと!当たり前ですが自宅のコーヒーと違いすぎて、普段は必ず豆乳を入れているのに香りを損なうのが勿体無くて最後までブラックで飲んでしまいました。あとデザートもちょっと珍しいものだったんですけど本当に美味しくて……たまにすごく美味しいものを提供しているカフェに出会えると通いたくなりますね。たまには寄り道して適度に息抜きしていきたいです。ではまた!

エロスの走性

ご無沙汰しております、みちるです。

 

金の使い方が下手なんです。

「給料日から数日でもうこんなことに……何をしたらこうも減るのかしらん」

 

入ってきたと思った矢先ひと息に引き出すものだから、多分銀行口座の残高が片方に寄っちゃってる。
自分でも何をどうしたら4日で既に入った給料が半分になっているのかよくわかっていないけれど、おそらく私は金を持つのがあまり好きでない。
嘘を吐けよ……とお思いのあなたもよく考えてみてほしい。金を使うことと金を持つこと、豊かになることと金持ちになること、それぞれの間には大きな溝がある。私はといえば、金を使うことに関しては人並みに好きらしいがしかし金を持ってはいられないのだと思います。
筆者は実家暮らしであるから、たとえ財布の中身がカードとレシートだけになったとしてもすぐさま死ぬということはなさそう。しかしこのままではジュースの一本、それよりも煙草の一箱も買えないとなってくると「いよいよだ……」と血の気が引いてくることもなくはない。なくはないのだけど、そういった局面になってきてからようやく熟考して金を使うようになる。


わかりますか、こんなのはいけません。困ってしまいます。逆を考えれば、懐に余裕がある時にはとくによく検討することなく金を使ってしまうということでしょう。でしょうって、何を他人事みたいに……。何に惹かれるか、何を必要とするかは私の懐具合というよりむしろ私自身によって決定されているため、実際月の何時頃だろうと大きく時期を逸しなければ欲するものはあまり変わらないような気がします。ただそうした対象は常に自分の持っている数字と照らして、つまりいったんは検討して交換されるべきものだというのが通説ですから、金を持っている(といったって当社比である、相対的にはとくに金持ちでも何でもないんだから)タイミングの私は端的に浅慮であるといえる。皆さんからすれば”浅い”んですね。

因みに今月はここからシーシャ台の購入を検討しているので、当初ひっそり目標にしていた貯金はどうやら達成できそうにありません……。定期代を親から受け取っているのにもかかわらず毎月毎月給料日前の「冷や汗期」をしのぐのに使ってしまうので、給料日ちょうどに通学定期を買い、そして残りは書籍代や嗜好品代やタクシー代となる。しかも貯金って金を持つことですから、アタシ、苦手なのよね。なんとなく給料日前に残高が潤っていると「使い切らなくちゃ」という気分になる。
(これでギャンブルとかやっていたら歩く厄災なのですが、時間がないのでやっていません。ギリギリセーフですね。)

 

――お前、頭悪いのか――

 

あなた、私のお財布を管理してください。そういう人を募集しているので。

 

(間奏)

 

エロティシズムと死の肉薄は明白に示されていながら、死がエロティシズムの極点でないこともまた同様の程度によく示されている。
といった話から始めようとしたけれど、自分の名前がない短歌の詠草をみていろいろのことがいやになってしまった。どうしても失敗できない発表を控えてその準備が終わっておらず、加えて或る事情のためその日の歌会は犠牲にした。なので当然今回の詠草に自分の歌はない。
自分で休んでおいて何を言うかと思われるだろうが、これは大変に不思議な感じがする。というのも、これがずっと整うべく待たれてきた土台である気がしてならないのである。自分の歌が組み込まれた詠草――勿論詠草に限らない、例えば自分の記事が載った機関誌や、自分のレポートが載った研究冊子などオムニバスめいたものは特に――は既に疑似的なセックスの場であり、そこに対して我々はもはや鑑賞者となる以上の立場を持たないし持とうとも思わない。しかし自分の歌が載っていない――載ることも可能であったと考えられるのに、である――詠草を目の前にしたとき、一瞬だけ、私は合理性の彼岸へ立った。同時にすべて目的論的に規定されていると考えられているものはその素体を鮮明に暴き出され、普段想像も出来ないような事柄が浮かんでは消え、消えては浮かんだ。
崇高なものの多くは”不調和”と思われながらにして実際は”調和”であったためにその恐ろしさと崇高さとを喪失し、奴隷の少年や乱れ髪の娼婦や靴磨きの男は艶めいてその脳や子宮や心臓や種々の肉器官を私に「召し上がれ」と言って差し出してくれた。愛する人は色々の方法で死んでは生き返り、生きては死に返り、その度私はありもしなさそうな死の後をまたしても鮮明に想像してすすり泣いた。鼻血が出て、何度も胃をひっくり返した。この手紙は、そうしたあとの文章なのです。死なないでいて、と言えずに、誰のものとも知れないで赤い断面を見せつける手首の写真で平素の拍動を取り戻した。

見えなかったものが見えるのは、調和が見えるのは、無限なものの一部を我々が分有するためである。しかしそうであれば我々の有限性をルドヴィコ法の治療のように目を開かせて見せつけるエロティシズムの機能は克服されるべきものなのだろうか。否、そうでないことはここまでの記述で明らかであるはずでしょう。エロティシズムはその機能が働くという事実によって我々の有限性を証明しながら、その機能によって我々が無限なものの一部を腹の奥にしまっていることをわからせる。有限と無限、不調和と調和、そうした両義性に一瞬でも我々を辿り着かせるのがエロティシズムである。

 

[少し先取りしすぎだったみたいだけど……君らの子供にはウケる。]

先取りなんかじゃあないけどね。もう幾世紀も前から真理は見えていたんだから。

 

そのとき私は詠草と一つになりたかった。
他なるものへの走性。性的なものやそうでなさそうなもの、崇高なものや卑近なもの、聖なるものや俗なもの、自分を感じさせるものや感じさせないもの、への走性。エロティシズムは我々の走性から生じている――さしずめそれはサヴァランが指摘した生殖感覚と、あとは一般的に言われる屈曲走性との関わりのうちにある事柄ではなかろうか。
私は詠草のうちに自分がみとめられないという観測結果からエロティシズムを感得したのであり、詠草それ自体から感得したとは中々胸を張って言いづらい部分がある。だからなんだという話なんですけれども。ああまた気持ち悪くなってきた。どうやら心身は養いと休みによって確実に回復するものでもないらしいと最近よくわからされる、養いや休みにもストレスがあり、負い目がある。疚しさの大部分はもう克服しかけていると言えるけれど、世界に疚しさがある限りその連関のうちにある私もまたその疚しさの影響を受けずにはいられないからもうたくさんなんだ。

 

君たちのせいですよ、そんなに「責任」という言葉が好きなら、責任もって私を愛しなさい。私に引き上げられなさい。私を生かしてみせなさい。そんなこともできないからいつまで経っても手紙が届かないんじゃないの。
ねえ、どうなの。
みちる。
答えて――

 
届いているの。
誤魔化さないで聴いてね、次のナンバーは――
 

 

またお手紙書きますね、大好きです。    みちる

ぽつりぽつり

ぽつり 雫がおちた

ぽつりぽつり まだ大丈夫

ぽつぽつぽつ そろそろさそうか


ぱらぱら あの傘かわいいなぁ

ぱらぱらぱら 視界がわるくなってきた

ぱらぱらぱらぱら 白いモヤみたい


ザーッ おお、本降りだ

ザザーッ 長靴でよかった

ザザザーッ 逆にテンション上がるかも


ゴゴーッ

ゴゴゴーッ ピカッ

ガラガラドッシャッン

あ、雷おちた


しとしとしと おやおや

しとしと やんできたかな?

しと

虹だ



*****


だいふくです。
13日、今日はいいお天気でした。

私は晴れの日が大好きです。
太陽の光を浴びるだけで目が覚めて、元気になります。

一方で、嵐も大好きです。
ザーザー降りの雨。轟く雷。
どうしてあんなに興奮するんでしょう。
もちろん洪水など災害はいやです。
そうならない程度に短く激しく降ってほしい。

長くゆっくり降る雨も。
それはそれでにぎやかな音が聞こえてきます。
傘がカラフルなのも楽しい。
あの傘かわいいなぁ。どこに売ってるんだろうって勝手に想像して。

一番困るのは霧雨。
どれだけ傘をさしても、カッパを着ても、細かい霧で全身じっとり。
どうせなら思いっきりふってくれ、なんて思っています。

雨が降ると、音も傘の色も楽しめますが、匂いも楽しめます。
土の匂い。草の匂い。

特に雨上がりの匂いは好きですね。
洗濯物の生乾き臭ではありませんよ。
雨くさいというよりは、少し雨が残ったような夏っぽい匂い。

私は夏が大好きです。
理由は雨があがったら書きましょう。

明日は曇りのち雨ですか?
天気予報が外れることもありますが、どうしようもないので折りたたみ傘を持っていきましょう。
雨模様の空に映えるように、カラフルな、お気に入りの傘を。
最近かわいい色のカッパも買ったんです。

空が暗いなら、自分が明るくなればいいじゃん。
憂うつなら憂うつで、そんな日もいいじゃん。

私の心も天気と同じで変わりやすいですが。
まあそれもよしってことで。

雨が降っても空が晴れても、皆さんにステキなことがありますように。

計画性の無い話

こんにちは、とみーです。
最近、雨が降ったり降らなかったりで一喜一憂しております。雨の音や雰囲気は好きですが、自転車民の敵なのです。カッパを着て全身ビッチャビチャになること必須なので、それが嫌なんですよね。
しかも携帯必須の折り畳み傘は、春あたりに使ったまま干すのを忘れ、さびっさびになってしまいました。高校の卒業記念品なのに…。

さて。皆さんは計画性ってありますか?
私は無いんですよね。直したいところの一つです。締め切りや期限は守れるのですが、期間が長すぎたり”いつでもいいよ”案件は一生終わりません。タイムスケジュールの自己管理も致命的なくらいできない。よくある15分刻みで~とかマーカーでスケジュールを塗りつぶす~とかも一通り試して、一日坊主。チャランポラン…。

けれども、学校の通知表は”しっかり者”という言葉が必ず書かれており、普段を知る家族はいつも首を傾げていました。実は、組織で動くときはカッチカチにしっかり動ける人になるんです!人の足を引っ張りたくないし、人に誇れる状態でいたいので!!
個人で動くときって、「私ができなくて不利益被るのは私だけだしな…」という甘えが出るんですよ~~!!!ハリボテの見栄っ張りって嫌ですね!!!

この頃、自己肯定感バリ高の「自分に誇れる自分」であることに拘るカッコイイ女の子とよく通話しており、彼女を通して自分の在り方を考えさせられます。根底が真逆すぎて、逆に歯車がメチャメチャ合います。どんどん自分を高める友人は輝いていて、かっこよくて大好きです。同時に、自分は絶対にそうなれないと思います。そういう彼女を支えられる側の人間になれたら嬉しいな~という思考になるんですよね。きっと、そういう人と絡む状態だったら、一生しっかり者のままだと思います。(甘えるな!!!一人でもしっかりしろ!!)

ダメな部分は直さなきゃですね。「自分に誇れる自分」タイプの成分をちょっとずつ取り込んで、根本から強くなりたいと思うのです。
皆さんは自分をどんなタイプの人間だと思いますか? 自分のダメな部分・良い部分って結構如実に性質と結びついています。1~3年生の間にちょっと向き合っていると、就活のときに考えることが整理されるので、やっておくとよいかもしれません。

それでは、また。


“無意識”の力。

こんにちは、あこです。

関東甲信は梅雨入りしたというのに、カンカン照りの日が多くて困ります。日傘を持って行くか、雨用の折り畳み傘を持って行くか。迷った挙句、雨用の折り畳み傘を常備し、晴れた場合には雨用の折り畳み傘を日傘として使うことにしました。果たして、意味はあるのでしょうか…(笑)

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5月下旬から6月上旬にかけて、自身のタスクと家庭のハプニングが重なって、精神的にも体力的にもギリギリを生きていました。何をするにも上手くいかなくて、どうしたらこの状況から脱することができるのか分からなくなって、久しぶりに「もう無理かも」と思ってしまいました。

ですが、ひょんなことから精神的に回復し、「もう無理状態」から抜け出すことになります。

では、「ひょんなこと」とは何か。

それは、アルバイト先(個別指導塾)の先生の冗談です。

今月から私の弟も同じ職場で働くことになり、名字が同じで紛らわしいということで、弟の名前は「名字+名前の1文字目の漢字」で記すことになりました。(名字が「日文」で名前が「花子」の場合、「日文(花)」)

すると、名前の1文字目の漢字が「真」である弟は、「〇〇(真)」となります。

それを見た先生がひっそりと、「あこ先生、あこ先生。このままだとあこ先生がニセモノになっちゃいますよ」と言ったのです。(*「真」と「偽・贋」は対の関係)

正直、くだらないです。でも、言い方と状況と全てがおかしくて、思わず笑ってしまいました。

すると気分が軽くなって、その日の夜は「今日は良い日だったな」と思いながら眠りにつくことができました。

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人は、言葉によって無意識のうちに他人を救うことがあると思います。

もちろん逆も然りです。

小学生の時に、クラスの男子に「あこは見た目も頭脳も運動神経も全て”普通”だからな」と言われ、そんなわけないだろうと思いました。少なくとも、自分は頭が良いんだと。頭脳だけは”普通”のはずがない、と。

しかし、中学に入学すると、彼の言葉が本当だったことに気付かされました。初めての成績表は、”普通”と更に下の数字ばかり。今思えば、”普通”にすらなれていませんでした。

それ以外に自分の強みがあるわけでもなく、自分にあるのは”中”と”中の下”の成績のみ。

絵は描けない、字は汚い、楽器は弾けない、歌は下手、スポーツはできない、リーダーシップはない。得意なことも、趣味も、誇れることも、ありませんでした。

「挫折」とまではいかないけれど、「自分は特別じゃない」と思うには、十分すぎる経験でした。

*****

それからというもの、私は”普通”とか、(上中下の)”中”とか”二流”という言葉に過敏になりました。そして、残念ながら今も、そのしがらみから逃れることはできていません。

“普通”でいたくない、”特別”になりたい、と思う一方で、「どうせ自分は”中”だし」「頑張ったって、”一流”には手が届かない」と、自分を諦めています。でも、正確には諦めていなくて、というより、諦めきれなくて、もがいてもがいてもがいている。それでも抜け出せないから、諦めていると自分に言い聞かせて、傷つかないように守っている。でも、そんな嘘っぱちな慰めなんて、何にも役に立たない。何の意味も、何の効果もないから、しっかり傷つく。

努力するしかないって、わかってる。

行動しないと変われないって、わかってる。

意識から変えないといけないって、わかってる。

何もかもがわかりすぎて、でも本当はわかっていないから、私はまだ抜け出せていません。

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「あなたの言葉にずーっと傷ついてきた」「あなたのせいよ」なんて、彼を責めるつもりは毛頭ないし、彼に非がないのは誰の目にも明らかです。

私が勝手に「私は”普通”じゃない。」と反駁して、”普通”に打ちのめされて、彼の言葉を言い訳にしているだけですから。

それに、どんな時にも自分はどうせ”普通”だと思う私は、ある意味では傲慢です。

明らかに”普通”以下の時にも「自分は”普通”」だと思っているのですから。

だって、彼は私の「すべてが」普通だと言ったから。

彼の言葉は私を苦しめる一方で、私を救ってもいるようです。

大丈夫、私は”普通”、と。

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私たちは、無意識のうちに他人を救い、他人を傷つけています。

でも、その「無意識」にこそ、生きている意味があるのだと思います。

意識的に人を救うことはもちろん素晴らしいことだし、意識的に人を傷つけることは許されることではありません。

でも、意識的に人を救うことは難しいけれど、無意識的に他人を救っているかもしれない。

例のバイト先の先生も、あのくだらない冗談(←失礼)が、私を救ったとは思いもよらないでしょう。

意識的に人を傷つけることは避けられるかもしれないけれど、無意識的に他人を傷つけているかもしれない。

もちろん無意識だったとしても人を傷つけることが「悪」であることに変わりはありませんが、それだけ私たちが周囲に対する「影響力」を持っているということだと思います。誰にも影響を与えない、害も利益も与えない人なんて、いないのではないでしょうか。

自分の存在価値なんてわからないけれど、誰かを傷つける可能性と誰かを救う可能性がある限り、そこに私たちが生きている意味があるのだと思います。

たくさんの人を傷つけて、救って、生きてきたから。たくさんの人に傷つけられて、救われて生きてきたから。

全ての人に感謝と謝罪を込めて。

それでは、また。

梅雨だから、勧誘します。

こんばんは、まなです。梅雨入りしたらしいですね。梅雨はいい加減、暑いのか寒いのか、はっきりしてください。早く堂々と半袖が着たいです。でも暑くはならないでほしい矛盾。

こんな鬱々とした日々の清涼剤、それはまさしく創作。そして創作自主ゼミの活動。この流れるような、しかしながら脈絡の無い勧誘、発足会のある4月かそこらにやるべきでした。すみません。でもこの間の活動が楽しかったので勧誘がてら活動内容をつらつら書いていきます。

創作自主ゼミは(恐らく)他の自主ゼミよりもゆるやかな活動をしていると思います。他の自主ゼミと兼ねて所属できるくらいのゆるやかさです。何だったら、過去に日本文学科以外の学生が所属していた程のゆるやかさです(本当)。『国文目白』に掲載する都合などからテーマを決めることもありますが、基本的に各自で自由な作品制作を行っています。現在はオンラインで活動をしています! 先週は少し時期を先取って、お題となる線香花火の写真から発想を得つつ「男女」という縛りをかけて作品を制作した後、通話アプリを用いて鑑賞会をしました! 同じお題であっても提出された作品群はまさに三者三様で、書く人によってこれだけの違いが出るものなんだなと感激。読んでいるだけで幸せな気持ちになれました。鑑賞会の際にはそれぞれの作品に対して感想を言い合うのも楽しみの一つです。自分の作品に対する意見を言われますから、毎度ドキドキするのですが、良い反応が貰えるとそれだけで、その人が自分の発露したものと重なってくれた実感と喜びがこみ上げてくるのです。

創作をしてみたい。創作を一人で楽しむことから一歩踏み出したい。そういう学科生の方に寄り添う場所の一つの選択肢として、創作自主ゼミの存在が頭の隅にでも留まってくだされば幸いです。

自分の投稿に限って言うことですが、突然掌編を投稿することがあったら、「あ、この人また創作の勧誘してるな」と思ってください。近々またやる予定です。次回はそこそこ長くなるかもしれませんが、見逃してください。

それでは、また。