宝石みたいな雨雫が贅沢に降ってきて、1色1色微妙にまじりあい滲みながら染まっていった、花束みたいなあじさい。紫の陽に濡れてしっとりと涙を流す、花束みたいなあじさい。ぱらぱらあまつぶを弾いていく葉の上に、弾かれずぺっとりと張り付く薄茶のカタツムリ。
カタツムリたちの会話には、「殻を破って自分をさらけ出せ」なんて言葉はないんだろうなとかなんとか思いながら、私は水溜まりを見る。正確には水溜まりに浮かんでいる螺旋の連鎖を見ていた。どうしていくつもの円がどれも同じように生まれて、広がって消えて、また生まれて重なって離れていくんだろう。不思議だった。
水溜まりの波紋を初めて見たとき、指輪が浮かんできたのかと思った。その水にぽとんと腕を突っ込んで指輪を失くした人魚に渡してあげたいと思った。近づいてみたら、海への扉は閉ざされていて、もうアスファルトの黒い壁だった。空から降ってくる宝石だけがあの扉をすりぬけてあぶくと一緒に人魚のもとにやっていけるのだろう。いつか竜宮城にも行ってみたいと思った。
その時は綺麗なあぶくと、いっしょだといい。
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まいです、ごきげんよう❀
雨が途絶えないのに「水無月」といいますが、「無」は「の」の意で「水の月」、田んぼに水を張ることから「水張月」とも言うそうです。
雨が降っては外での活動はきびしくなりますが、逆手にとって室内での楽しみにお金をかけてみるというのも良いものです。
先日、六本木一丁目にあるサントリーホールでオーケストラのコンサートに行ってきました。今しがた「お金をかけてみ」てもと言いましたが今回は父が応募して当選したA席の招待券を譲り受けたので、タダで観にいったようなものでした(笑)。
演目は、
シンディー・マクタティー・タイムピース
バーンスタイン:セレナード(プラトン『饗宴』による)
コープランド:交響曲第3番
でした。もちろんプログラムの曲名を見たところで旋律が思い浮かんだりはしません。だからこそ先入観なしに音楽の世界に浸れたともいえます。
どぎつくキャッチ―な一発目の響き、音の震動が空気を伝って腹部の底に溜まっていく不安感・興奮、突如来る安心感のあっけなさ。不安が救済され光がさしてくる感動。
CDや媒体を通してでは味わえない、その場限りの音楽があります。それは曲が幕を閉じた静寂の束の間、会場が割れんばかりの拍手の熱量。笑い。ため息。
上質な時間を過ごしたときの「時は金なり」ならぬ「時は金より」の実感。一度きりで消費したと思えば一生ものの感動になっていたりするものです。
今日も雨ですね。
さて、きょう、どんな素敵な日にしちゃいましょうか。