こんにちは、あこです。
先日、家族旅行に行ってきました。
避暑地として有名な軽井沢を訪れたのですが、やはりそれなりに暑かったです。
ですが久しぶりに緑に囲まれて、ゆっくり過ごすことができました!
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思い返せば、家族で軽井沢を訪れるのは3回目。(学校行事を含めると5回目)
旧軽井沢銀座通りはもちろん、旧三笠ホテルや万平ホテル、軽井沢高原教会、軽井沢タリアセン、軽井沢絵本の森美術館、室生犀星記念館、ハルニレテラス、ミカド珈琲、軽井沢アイスパーク、白糸の滝、雲場池……
観光スポットは今までにかなり巡ったので、今回は軽井沢を拠点として少し遠出(?)しました。
印象的だったのは、信州上田の”稲倉の棚田”です。天候にも恵まれ、稲の深い緑と真っ青な空のコントラストは感動的な美しさでした。それに、空き缶で作った提灯や、前日のお祭りで使用したという松明、手書きのオーナー表(?)などが置かれていて、人の温もりや優しさを感じることもできました。
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そもそも棚田とは、山の斜面や谷間などの傾斜地に階段状に作られている水田を指し、日本にある約250万haの水田のうち、約22万ha(=約8%)が棚田だといわれています。
しかし、棚田は一枚一枚の面積が小さく、傾斜地で労力がかかるため、中山間地域の過疎・高齢化にともなって1970年代頃から減反政策の対象として耕作放棄され始め、今では40%以上の棚田が消えています。
そんな中、1995年には中山間地域の喫緊の課題解決(担い手不足や耕作放棄等)を目的として「第1回全国棚田(千枚田)サミット」が開催され、1999年には、棚田の保全や、保全のための整備活動を推進し、農業農村に対する理解を深めることを目的とした「日本の棚田百選」が農林水産省によって選定されました。
これらを契機として、「日本のピラミッド」や「農民労働の記念碑」ともいわれる棚田の”歴史的文化遺産”としての評価が高まり、日本の原風景として、全国的な保全活動が行われるようになりました。(※参考:特定非営利活動法人 棚田ネットワークHP https://tanada.or.jp/tanadadate/whatstanada/)
そしてそれは稲倉の棚田も例外ではなく、年会費の支払いによって棚田での農業体験・収穫した棚田米の受け取りが可能な”棚田米オーナー制度”や体験学習の受け入れに加え、農閑期の田んぼでテントを張り、満天の星の下でキャンプをする”棚田CAMP”や、水を張った田んぼの中でのかけっこやロープ相撲、つまり「どろんこ遊び」で代掻きをする”泥んこASOBI “、五穀豊穣と獣害低減を願うお祭りである”ししおどし”、オープン軽トラやドローンを利用した”棚田ガイド”など、他にない観光アクティビティが展開されています。
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実際に棚田を見たり、稲倉の棚田の取り組みを調べたりして感じたのは、”後世につなぐ”ことの大切さと難しさです。
例えば、今回訪れた”稲倉の棚田”の起源は6世紀から7世紀頃ではないかと言われており、1500年という長い間、人々に受け継がれてきた場所でした。
そして棚田に限らず、昔(といってもだいぶ時代の幅はありますが。)から今に至るまで、誰かから誰かへ、誰かの手によって守られながら継承されてきたものは世界中に溢れています。もちろん、文学作品も然り。
これらは「伝統」とも表され、守るべき・継承すべきものとして捉えられがちですが、実際にその「伝統」を目にすると、「伝統」という言葉や「〜べき」という言葉には違和感を覚えます。そして、当事者と第三者の意識の違いを突きつけられ、自身がその「伝統」に対して、”第三者”として接していることに気づかされます。
“当事者”は、”当事者”意識を持って「伝統」と向き合っている人々は、それらを「守りたい」と思っています。誰かに「伝えたい」、後世に「つなぎたい」と。そしてその根底には、その「伝統」に対する”愛”があり、だからこそ「後世へつなぐんだ」という”使命感”を持っているのだと、思います。
しかし、”当事者”でない人は、”第三者”としてその「伝統」に接している人は、何よりも先に「伝統だから後世につなぐべきなんだ」と考えます。「つなぐべきだ」という”義務感”を抱きながら、「伝統」と向き合っているのです。
もちろん、私たちの周囲にはたくさんの”つながれてきたもの”があって、全てのものに対して”第三者”として接している訳ではないでしょう。
だけれど、たくさんの「伝統」の中で、私が、私たちが、”当事者”として向き合っているものは、どれくらいあるのでしょうか。
「伝統=継承すべきもの」
この公式の頭には、ほとんどの場合、「誰かが」がつくでしょう。
伝統=「誰かが」、継承すべきもの。
「継承したい」と思う”当事者”と、「継承すべき」と考える”第三者”の間には、大きな隔たりがあるのです。
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昔から伝えられてきたものには、たくさんの人の”愛”が込められています。「伝えたい」「つなぎたい」という想いを発信する側と、享受する側と、二つの”愛”が重なり続けて、現在に至るまでつながれてきました。
問題なのは、考えるべきことは、「いかにつなぐべきか」ではなく、「伝えたい」「つなぎたい」と思っている人と、「教わりたい」「自分がバトンを受け取りたい」と思っている人がいるのに、何らかの理由(代表的なものは経済的な事由)によって「つなげない」という状況にあるもの・人がいるということ。
今回の旅行を通じて、”つなげる”ことや”継承する”ことについて、考え直すことができました。
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何もかもを、そのままに後世へつなげるということには、何の意味もありません。今の段階で、私たちの世代で変えるべきこともたくさんあります。変えていくことも、変えないことも、どちらも同じくらい大事なことです。(それに、”つながれてきた”ものだって、不変ではありません。大事なこと・核は変えずに、しかし外側はしなやかに、柔軟に変えながら”つながれてきた”ものがほとんどなのです。)
“変えるべきもの”と”変えざるべきもの”は、本当は少ししかないのかもしれません。「〜べき」と思うのはきっと思い込みで、「〜たい」と思うのが、良い選択なのではないでしょうか。
「〜たい」の想いのもと、本当に「〜たい」のは何かを見極め、その周りをほんの少しだけ変えてあげれば、生きやすくなるのだと思います。
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「昔の方が良かった」なんて言葉があるけれど、私はそんなことは言いたくない。
自分が歳を重ねた時、「こんなに社会は・時代は良くなったんだよ」と小さい子たちに言いたい。
だけれど、その一方で、社会・時代・環境の「良くない部分」に”気がつける”自分でいたいとも思う。
「良くない部分」によって苦しんでいる・悲しんでいる存在に気が付き、「良くない部分」を変えられる自分でいたいと思う。
“つなぐ”ことは、優しくて、暖かくて、難しい。
それでは、また。