ご無沙汰しております、みちるです。
夏休みに入ってから何をする気もおきないんです。
「それは夏休み前から同じでは?」
全然違います!
夏休み前のみちるは活力にあふれ、やる気十分、野心もみなぎり、飛ぶ鳥を落とす勢いで、新進気鋭の……
とにかく夏が悪いんだもんね。ここ数日何にもしてないけど私悪くないし。
こういうメンタリティに一瞬辿り着いても、すぐに「まあ、全部冗談ですけどね…実際みちるが全部悪いので…」になってしまう。助けてください。
そろそろ本格的に書き物へ取り掛からなければいけない時期なのだから、取り掛からなければいけないのだ。最近よく思う、何かをするときにはその行為の原因を出来るだけ遡らないようにする方が集中できる。行為の直近の原因についてはとうに知っていることが殆どだし、わざわざそれらを遡って義務感(笑)や必要以上の重圧(笑)に駆られるくらいなら、初めからそういったことは意識の外へ追い出してやる、ないし隅に置いておいてやるのが自分にとって賢いやり方なのでは?と思うようになった。
それに、書くことの原因について言うのであればそれは「書く身体」というあり方であり、そこから向うへは遡及できないことを私は知っている。
そろそろ集中しよう。
(間奏)
学部二年の後期から、成績が振るわなくなった。
原因は簡単、授業に出ていないから。
履修しますよと手続きした以上、授業へ出ないのは失礼なのではないかと思うが、そう思うがゆえに、第一回目の講義を休んでしまうとそれ以降はもう出られなくなる。なんか私の知らない間にペアワークとかしてるし、知らない資料が沢山配られているし、なんとなく講義室内で学生の座る座席が決まっていたりする。
高、中、小学生、いつの時期もそうだった。私の欠席日を狙い撃ちするように、その日に授業のグループが出来ていたり、演劇会の役割分担がされていたり、委員がきまっていたりする。そして後になって
「あなたはどのグループに入る?」
「あなたはあなたは誰と組む?」
「どの役をやる?」
「どれに投票する?」
選ぶよう促される。いくつもの眼がこちらを見ている。
「もう皆二人組になっているから、あなたは〇〇グループに入れてもらいなさい」
「なら、この役だけは3人でやってもらいましょう」
今だけだ。今だけ耐えれば、皆忘れていく。そう言い聞かせても無理なものは無理なので、教室の扉の前に数秒立ちはだかったのち、諦める。
小、中学のときには「義務教育の”義務”にはこういう苦しみも含まれているんだ…」と思いながら諦めることを諦めたり、そもそも今ほどそういったことを気にしていなかった気がする。高校に入ると上のような事態が起きたときには保健室へ行くと決めていたし、今は喫茶店や本屋やたばこ屋へ逃げ込んでいる。
教職課程の授業を受ける際、自分のような生徒を目にしたら私はどうするだろうと考える。
私がとろうとしているのは保健室の先生の資格ではなく、国語教員の資格なのだ。文学に、誰かを救う仕事が可能になるのはどんな時だろう。人を騙したり、屈辱的な扱いを受けたり施したりすることは避けたいと思うけれど、果たしてどうなのだろう。
コミュニケーション、と一口にいってもそれらはおぞましいほどの拡がりをもっていて、似たような経験を誰もがしているかと思えばそうでもなかったりする。
逃げる方法を考える前に、困る事態に陥らないための策を講じる方が賢いはずだけど、今から怠惰を治療するのにどれほどの何を賭ければよいのだろうか。私がこの黒く大きな怠惰の飼い主であるかぎり、仮に教員の資格を手にしたとして、それは何の役にも立たなくなるのではないか。
「生きるのに意味なんてないんですから、やりやすいようにやればよいし、そのための足場を常に用意するのがスマートですよ」
頭の中で師はこう言う。実際こう言われたこともあるかも知れなかった。
私が教員を志したのは師のような人間になりたかったからだけれど、誰かのようになるとか何かになるとか、そういった文句がいかに陳腐で不可能で、何の値打ちもなければ素敵な香りも発していないことは私もわかっているのです。勿論、そうした無意味さを認識する必要がない人々は沢山いて、そういう皆さんの夢を笑ったり貶したりするわけではないけれど。しかしもう、”なる”を信じることに自分は真剣にならないだろうとわかった。
今は、勉強がしたいかもしれないから、そのために素敵な成績が必要。
勉強が好きかと言われれば、好きとは断言できないかも知れない。しかし勉強以外の何を自分は好きなのだろうと考えたとき、生きることやそれを助けることはあまり好きでないといえる。しかし勉強も自分にとって相対的に好きであると断じられれば、それだけで私の実存の可能性を増大させ得るものとなってしまう――そのような矛盾を解消したいと思うほど、この問題に熱心じゃないから、この先はありません。
とにかく勉強するためには、授業に出て勉強する必要がある。そもそもこの仕組みが面白すぎるのですが、今期・来期が勝負だと思うと緊張しますね。
こうしていると、「やらなければならないこと」を忘れそうになってしまう。そちらの方も、休暇中に仕上げることにする。
私自身が良くないものなので、内省的になってしまうのは勿論よくない。
人との関わりが希薄な分、こちら側にまなざしを向けてしまう。そう思って接客の必要なアルバイトをしているけれど、今度は関わりの出来た人間に嫌われてしまったかも知れない、いいや絶対に嫌われているという確信に苛まれ、天井から虫が降ってくる虚妄に駆られるので眠れなくなった。翌日の活動に響くので睡眠導入剤を飲むこともできない。私大の実家暮らしでただでさえ負担をかけているというのに、病院へ通う申し出もできない。「みんな多かれ少なかれ、苦しいと思って生きているんだから」と言われてから、両親には笑顔で人生の楽しさをアピールしている。遅刻は出来ないのに、定刻に何かを始めることはもっとできない。人を頼ることを覚えられない、頼ったことでできた恩を返すのは面倒だから。
あとは書くことだけだ。たったひと書きすること、これも出来なくなったら、どこか崇高さを感得できる場所へ行こうと思います。
あなたは知らなかったかもしれませんが、私にとって夏休みはこういう事柄がずっと続く期間なのです。自分の絵を描く合間合間に生活をするのです。
その絵が小説になったり、正三角形になったり、立体的な山々となって次の嵐を用意したりするのです。
またお手紙書きますね、大好きです。 みちる