こんにちは、とみーです。今回のブログで私の年内の更新は終わりです。振り返るといつも遅れがちの投稿で…反省ですね…。
さて。他の四年生が口を揃えて言うように、私も卒業論文を無事に提出し終えました!!
19日15:00締め切りで、私は19日の深夜1:00くらいに提出でしたね。本当は一週間前に提出するつもりで書き進めていたのですが、ギリ当日という、なんとも言えない提出時刻になってしまいました。
私たちの中世ゼミは11月末まで4年生の発表がありました。後期になると、石井先生は繰り返しこのように言ってくださいました。
「今までたくさん調べてきたことをまとめればいい」
「皆さんがちゃんとやってきたのは知っている」
もう、12月に執筆している間は、先生のこの言葉を信じて書き進めていました。私たちは一か月に一回しっかり演習で発表して、みんなのアドバイスを受けて一年間ずっと走ってきたんだ!大丈夫!と言い聞かせて。この先生の言葉が一番心の支えになったと思います。
あと執筆中、私はブログ部のまなさん(20日ブログ担当の近代デンドロカカリヤ卒論)とよく進捗報告をし合っていました。彼女はしっかり16日くらいに提出していて、私もあと少しなんだよ~~~~!!!とか、目次のタイトル思い浮かばない!!とか論題が一生決まらない!!!とか言ってドドドド深夜に論題一緒に考えてくれと言っていましたね。
ブログ部の顔合わせで話すようになってから、なぜかオンラインになった後は一番よく話していたので、良い縁を築けたなあと思います。彼女本当に優しくて、くだらない泣き言にも付き合ってくれて…こういうの大事ですね。
私の卒論の題名はこうです。
「『玉水物語』の独自性―二類『紅葉合』・類型との比較を中心に―」
本当はもっと色々考えたんですよ。「『玉水物語』に見る狐像―契らぬ恋と不幸の回避―」とか!
興味を引くかっこいい題名に憧れますよね!?!? ただ私の場合は、
①一類本と二類本の比較で本文の性格を掴む
②狐の説話、公家物、異類(男)×人間(女)の三つの視点から玉水を見る
という二つの作業をしていたせいで、それらの内容を上手く全部さらった題名をつけることがなかなか難しくて…。でも、私が卒論で『玉水物語』を扱うと決めたときにやりたかったことは概ねできました。本当は各項目をそれぞれ全部もっともっとも~~っと深堀りすることもしてみたかったけれども、それはそれ(笑)
私のブログでは何度も言ったことですが、私は異類及び中世という時代区分の物語をしっかり学んでみたくて、それができる本学に入学。入学前から中世自主ゼミに入ろうと心に決めていて、入ったらびっくり、「今年は『木幡狐』をやります!」と言われて運命を感じました(笑)
一年のときはそのまま古典文学講義(中世)で、中世の魅力をたっぷり浴びましたね。
今思うと、大学で他の様々な授業を受けるとき(古典の講義や文化芸術系(絵巻とか))、いつだってこの古典文学講義(中世)で学んだことが根底にあって、興味や好奇心の方向性の指針となってくれました。
色々好きな授業あったんですけど、特に思い入れが深くて好きなものは間違いなく「古典文学講義(中世)」です(布教)。1年次から受ける人は少なかったようですが、興味がある人は恐れずにとってみてください。その後の日文の講義に対する視点の幅がとっても広がります!
私は自分の考えと文学の中から見出せるものを繋げてそれを考察するのがすごく好きで(日文なら結構みんな好きかな?)、2,3年になってからはレポートが重たい系の授業を好き好んでいっぱいとっていました。そういうレポートを書くときや、古典作品のこの場面をどのように受け止めるか…みたいな授業のとき、本当にこの講義で学んだことが私の中で息づいているのを感じました。なんと表現したらいいのか難しいのですが、文学の中にある人間を感じるんですよね…。享受者への意識だったり、それまで生み出されてきた物語の系譜、そこから逸脱する挑戦、風刺。そんな色々なものが、中世の文学からはよく見えてきます。触れてみると分かるんですけど、本当に本当に、現代と一番通ずる価値観のある時代だと思います。
あと中世の講義では「こんなにもらっていいんですか!?」って思うくらい豊富な資料と共に学べるので、ファイリングした資料の山はそれだけで宝物です(笑)
私の場合、中世で卒論書くことを入学のときから決めていたようなものなので、中世関連は演習も文学史も講義も全部ファイリングしてあって、めちゃめちゃ分厚くて重いです。わくわくしますね。
卒論に関する詳しいお話はまた次の機会にとっておくとします。それでは、また。
(▽愛着ある資料の一部▽ 卒論関連とかとは全く別で演習や授業内資料のみのファイルです。オンライン保存のもあるので、全部ではありませんが…)