無限井戸端会議

こんにちは、ゆきほです🍵

本日は6時に起きるつもりで目覚ましをかけたところ無意識のうちに止めてお布団に戻っていたようで、目が覚めたら8時半でした。

1限から行って諸々の作業をするつもりでいたのに、あれ?これ2限から行くいつもの電車も間に合うか怪しくないか!?という受け入れ難い現実。なんで目覚まし2個とも止めたのにもう1回寝ちゃうんでしょうね。

何よりも部屋が寒いのが悪いってことは分かってるので、タイマーで朝起きる時間に暖房をつけてあったかくして起きるという策を取りたい気持ちもあります。
ただ私には自室のエアコンで暖房を使い始めると絶対に風邪かインフルになるという謎ジンクスがあり、数年前から冬場も暖房をつけずに重ね着で戦う方針にシフトチェンジしたため、この策はできるだけ使わずにいきたいところ。
確かに冬のはじめの風邪は引かなくなったものの、寝坊は増えたので作戦を練り直さないといけません。

いつも2限のときはかなり時間に余裕を持って家を出ているため、現状授業には間に合う見込みです。寝坊はするけど寝坊が原因で何かに遅刻したことが(多分)ないのはけっこう自慢です。

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最近楽しかった日の帰り道に、眠い目を擦りつつその日の出来事をスマホのメモ帳に書きつける習慣ができました。

完成した文章はそのままブログとしてここに公開してしまうこともあれば、書くだけ書いてメモ帳の中で眠っていることもあります。毎日日記をつけることができるほどの根気が私にはないため、書きたいことがあるときに衝動的に綴ることができるこの方式はすごく合っているのかも。

書いた文章には何度も読み返すお気に入りもあれば、何だか気に食わなくて読み飛ばしてしまったり、場合によっては残しておくことすら恥ずかしくなってメモ帳から削除してしまうこともあります。

おっこれいいじゃん、とお気に入りになる文章の基準はただ1つ。
書いてから3ヶ月後くらいに読み直したときに、ちょっとニヤッとできるかどうかです。

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先日、大学の友達と6人でおとまり会をしました。

ハロウィンとクリスマスと11月末の友達の誕生日を祝って(これがメインです)、あとついでに忘年もできないかな?というような趣旨でこの時期に集まるのも今年で2年目。お察しいただけるかとは思いますが、結局理由は何でもいいからみんなで集まってワイワイしたいだけです。

去年は休みの日に日帰りで遊んだため今年もそんな感じで遊ぶつもりでしたが、今年は6人全員5限の授業があって翌日は5人対面授業がない日があって。
LINEで計画を立てているときに「これ5限後におとまりできるんじゃない!?」と気づいた瞬間の盛り上がり方は、活字で人の歓びってこんなに分かりやすく表現できるんだというある種の感動をも生みました。

「6名1室がいい」「私たち相当騒がしいけど、でも気兼ねなく騒ぎたい」「5限後はお腹すいちゃうから学校の近くがいい」「ここは高いからやめよう」など数々のワガママをくぐり抜けて発見した一軒家を借りてのお泊まりは、もちろん今年トップクラスの”楽しかった日”です。

授業後にみんなでご飯を食べて近くの銭湯に行って、普段ならウトウトしはじめる時間に友人の誕生日サプライズをはじめて、ケーキを食べて、ひたすらお菓子を食べつつカードゲームをして。

私は思っていることがすぐ顔に出るタイプらしく(私としては考えていることが分かりにくい方だと思っているのに)、しかも何かと疑り深いタイプだということを自覚しているので、ダウトでトランプの3分の1ほどを1人で所持する大惨事に陥りました。あれだけ大量のカードを持っていたのに懲りずについた嘘はバレませんでしたけど。

ケーキでももちろん盛り上がりましたが、お菓子買い出し担当だった私が「割り勘で買ってもらえるならよく分かんないけどこれも入れちゃえ!」と適当にカゴにぶち込んだ古銭の形をしたクッキーでも同じくらい大盛り上がりしたのはちょっとだけ日本文学科っぽさも感じました。ちなみに私たちが狙っていた和同開珎は1枚も入っていませんでした。

ただでさえ騒がしい(うるさいとかではなく、”騒がしい”が1番合っていると思っています)私たちなので、まあとにかくずっと、ずーーーーーっと喋って大笑いしているのも予想通りではありますよね。

“ずっと喋ってる”とか書いちゃったので、「修学旅行で何の話してた?」という話から「じゃあ何か恋バナがある人は挙手」と聞いた際には一切手が上がらず2日間で唯一と言ってもいい無言タイムが発生し、何ならそのまま全員入眠した件については一旦目をつぶっておきましょう。

その他のトークテーマが「あの店の食パンがおいしい」「この薬ってどうなの?」「階段の昇り降りが辛い」「最近夜更かしできなくなった、もう眠い」「油っぽいものを食べると胃もたれがヤバい」などあまり若々しくなかったのはいつものことなので、このあたりでもう目を開けていただいて大丈夫です。

割と翌日に支障が出る感じで盛り上がったのに、2日目もその翌日も「やばい!眠い!疲れた!」と言いつつ全員当たり前のように学校にいるところが、みんなの最大の好きポイントだったりします。

***

「数十年後にみんながお母さんになってから今みたいにファミレスに集っている様子はすごく想像つくんだけど、肝心の相手が全く想像つかない」という話を普段からよくしています。まあ恋バナで全員寝落ちるんだから想像つく方がすごいですよね。

ただ相手が想像つかないのはそれとして、私たちはもし弥生時代に出会っていたなら日々美味しいお米や便利な土器の情報交換をしていて、江戸時代に出会っていたなら子どもが寺子屋に行って帰ってくるまでずっと井戸端会議をしていて、大正時代に出会っていたなら今と同じテンションで女学生をやっていたのだろうということは容易に想像がつきます。友達が言っていた内容をお借りすると、極論飲み物と腰掛けるところさえ与えてもらえれば私たちは時代を問わず無限に楽しむことができちゃうんです。

今回おとまり会をした友達に限らず、私の大学での友達は基本的に日文の人のみです。

他の大学の人と話していると、「学科が同じだけ」「授業が同じだけ」でここまで仲良しの友達がいるのは珍しいと言われることが多々あります。よっ友みたいな友達ではなく、ちゃんと話せる学科の友達って実はなかなかレアみたいです(というか私は軽く挨拶した方がいいか迷うレベルの人はスルーしちゃうのでよっ友ができません)

授業に行けば誰かしら友達がいて、3年生なのに入学したての1年生か?みたいな大人数でお昼ご飯を食べる。空きコマでは迷わずに生協に直行し、おやつ調達のためなら一旦学校を出てコンビニに行くことも厭わない。
春はガイダンスの前にお花見をして、夏休みにはわざわざ学校に集まり学食でお昼を食べ、ハロウィンには「トリート!」と言いながらお菓子を配り、ポッキーの日には風船目当てで1人2箱ずつポッキーを購入する。

授業を受けている時間を除けば基本的に食べて喋って笑ってばっかりの大学生活は、きっといつ思い返してもちょっとニヤッとできることでしょう。

ではまた。

夢日記

こんにちは、さくらです!

皆さん、最近夢は見ていますか?

私は布団から出られない季節に突入したことで、二度寝の回数が格段に増え、夢を見る回数も増えるようになりました。夢は眠りが浅い時に見るらしいので何とか一度目で夢を見ずにスッキリと起きたいものです……。

何故夢を見たくないか、と言うと私が覚えてる夢の内容が悪夢ばかりなんです。午後からの授業の日は大体二度寝してお昼頃まで寝てしまうんですが、いつも悪夢でバッ!と起こされてしまいます。何となく夢を見てる時に「あー夢だな、これは」と分かっているので怖くは無いのですが、出来ることなら幸せな夢を見たい。

そんなわけで、今日は先日見たちょっと不思議な夢日記を綴っていきたいと思います。夢なので支離滅裂な空間になっています……。

↓↓↓

11月23日 午前2時

見知らぬ車に乗っている。運転席にはヨーロッパ系の男性、助手席には妻と思われる女性、そしてその後ろ、後部座席の私の隣には5.6歳の少年が座っている。少年は狭い車内に有り余るほどの世界地図を広げて楽しげに何かを呟いている。前に座っている両親であろうか、2人も少年の発言ににこやかに言葉を返す。

私はきっとこの家族の一員では無い。

時折男性は私に向かって何かを話しかけてくるが、それが何だったかは覚えていない。聞き取れていたのかも分からない。だって夢だから。

しばらく車は真っ直ぐな道路を道なりに走っていた。外の景色は日本の街並みと変わらないので、外国というわけではないのだろう。

キキーっとエンジンブレーキが強くかかる音がして、車が急停止した。不思議に思いフロントガラスを覗き込むと、どうやら警察が検問をしているようだ。この時、私は「助かった」と安堵の息をついたことを覚えている。この警察官たちが私をここから救い出してくれると思ったのだ。

警察と運転席の男性が口論している。きっとこの家族は誘拐犯か何かで私を捕まえていたのだ。そして今、警察に見つかった。私はシートベルトを外し、逃げ出す準備をする。ことの経緯が分かれば、なぜ大人しく車に乗っていたのか、と不思議に思うくらいだ。ドアを開けて警察の群れに飛び込めばいい。そうドアに手をかけた瞬間、外からドアが開き腕を思い切り引っ張られ、車外に出される。危うくコケて顔から地面に突っ込んでしまいそうなくらいの勢いだった。私がもう少し反射神経が悪く、足を地面に付けなければ、本当にそうなっていただろう。

私を下ろした車はそのまま勢いよく発車し、私は警察官に腕を取られたまま芝生の上に座らされる。

この人たちは私を助けたのでは無いらしい。

屈強な男たちに見守られていては逃げ出す訳にも行かず、そのまま体育座りをして何か起きるのを待つ。

時々、同じように車から下ろされた男女が芝生の上に座り込むが、なかなか日本人らしき人物は現れない。1番多いのは多分ヨーロッパ系。警察官もほとんどがそうなんだろう。ごく稀に中国人らしき人が降ろされるが、会話をすることは無い。

これからどうなるんだろう、夢なんだから早く醒めてくれないかな。なんて目を瞑って体育座りの膝に顔を埋めた次の瞬間、真っ白なだだっ広い部屋に放り込まれていた。

大学の大きめの教室くらいの立方体。そこにはさっきまで一緒に芝生の上に座っていた人達がいる。ざっと見て10~15人。無機質な空間、名前も素性も知らない無作為に集められた人達。これだけ条件が揃えば、「あーデスゲームだ」と思ってしまうのも無理は無い。

これが夢だと分かっていなかったら、かなり絶望していただろうが、夢だと分かってるからには不謹慎にも楽しみにしてしまう自分がいる。何を隠そう、デスゲーム作品を見るのが大好きだからだ。「神さまの言うとおり弐」に始まり、「バトルロワイアル」「今際の国のアリス」etc……。頭脳を駆使して何とか生き延びようとする作品で言うと「CUBE」もお気に入りだ。

どんな展開が待っているんだろう。表情には出さず、次に起こることを待っていると部屋の中央から固定式のマシンガンが出てきた。ここまで来たら次に起こることはさすがに分かる。銃口からはBB弾くらいの玉が発射されそれに当たった人は次々弾けて消えていく。

まだ、消えるだけでよかった。さすがに見るに堪えない姿にされてしまうと夢と言ってもトラウマものだ。

気づけば人の数は半分ほどになり、床に撒き散らされたBB弾のせいで走りずらさも加速していく。不規則に動く銃口がこちらを向き、「まずいっ」と走る向きを変えようとしたその時、BB弾に足を取られその場に倒れ込んでしまった。助けてくれる人なんてもちろんいない。

飛んできたBB弾に当たった私の視界はホワイトアウトし、そこで目が覚めた。

手にはびっしょりと汗の粒を握っていた。

✿✿✿✿

と言った感じの夢でした!

見てる時は命がかかってるのでめちゃくちゃ怖かったんですが、文章にしてみると平凡な夢だなぁと我ながら思いますね……。

まぁ夢の中でも怖い思いをするのは嫌なので、これからは二度寝しないよう、布団を引き剥がす努力をします!

ありがとうございました。

Rainy Runway

ご無沙汰しております、みちるです。

 

都合の良い内容ばかり耳に入れて喜び、怒り、悲しむ人々のことを私は軽蔑していた。いたって冷静であるように軽蔑することで、彼らと違う場所に立っていたいのかもしれない。
人の話を聞かないとろくなことになりません。というようなことを語っても、同じくろくなことにはならないのですが。
かつて親しかった人、母親、多くの同胞たち。古い言葉を遣えば、彼らのきわめて女々しい部分が私は許せなかった。
けれど今はすべてがどうでもよい。

シリアスなものの話をしなければいけない。

 

(間奏)

 

SNSで誰かの投稿を10年間分遡ってみると、面白い発見が。あったら多少はマシというものだが、たんに心乱されて終わる場合が大半である。
私と4年離れて大学を卒業したひとの卒論完成報告、さらに数年前にバンドをやっていたひとの話。9年前にあった花火大会の日、既に削除された投稿に対する複数のリプライは今もしぶとく残されたままだ。

投稿には宛先があり、「いいね」欄にはそれがない。広くはそう考えられているのだろうか。
自らが恣意的に見たものを恣意的に管理して外に見せる試みは、自身の直接的な表現よりも遥かに対他的意識を含み得るものではないか。「いいね」欄を管理する、という或る種潔癖な営みにどれほどの人間が参与しているのかは確かでないが、最近の自分はとくにこれに偏執しているから語らずにいられない。私の、そしてあらゆる人々の「いいね」欄は誰に宛てられたものなのか、これはおそらく解答を得ることが出来る類の問いである。


曲の歌詞のワンフレーズを自動で発信し続けるアカウント「任意のラブソングの歌詞」……。
動物の赤ちゃんの画像や動画を投稿する海外のアカウント「大型犬」……。
煙を吐く人「煙の情報」……。
出版社の公式アカウント「新刊情報」……。
伊豆にある動物園の公式アカウント「コアリクイの親子」……。
誰か「生存」……。
あなた「何か」……。
貴方「私信」……。
誰か「貴方が「いいね」した投稿」……。

・・・・・・

 

【今もどこかで行われているかもしれない恋などの姿】

「(誰にも教えたくない任意の歌詞)」♡1
 「とても愛し足りない、人生じゃ もう」♡2
  「貴方は私の一生もの」♡4
   「不器用に君を想うと綺麗な星が光った」♡1

 

「いいね」欄を用いたコラージュの遊びが二人の流行り。
始めはふわふわした動物、次は二人が好きなバンド、次はあらゆる歌の歌詞を。一枚の絵を作るように、一筆ずつ。次は、次は、次は――組み合わせる素材を探すのはなかなかに難しい。こんなところで詰まるのは私の方だけだろう、そう気が付くと君を本気で憎みそうになる。

「クリスマス、何します?」

もしや、もはや、歌詞でもないのではないか。これは。
自分で言うのも憚られるが、私は人より多くのバンドを好きになってきたと思う。曲の単位でもそうだ。小説でも、詩でも、絵画でも。とにかく多くのものに触れてきたし、その分、人より多くのものを世界に返してきたつもりでいた。
しかし今になって、それらが全く思い出せない。脳という脳のすべてを捻転させても出てこない。ただ「君と居たい」と、「夜の散歩がしたい」と、伝えたい。そのすべが全く奪われてしまったようで、私は、貧しい。

私たちはキリンジや稲葉浩志、あるいはやくしまるえつこの言葉を貸衣装のように扱って、即ちさっさと脱ぎ着を繰り返すようにして互いに普段通りでない自分を披露しあっているのだ。彼らの詩は、私が”このような仕方で”手に取ったとき、すでに本当の言葉ではない。だからいずれは自分の口で、まさにその時、手ずから紡いだ言葉で君に語りたい。この語りたい、という願いのために、二人は遊んでいる。

「クリスマス、何します?」

「夜 の」

削除。

「君 と」

削除。

「あなたと」

削除。

「ふたり」

……。

「ふたりで歩こう 寒い街並 ショーウインドーで止まって 少しながめたり」

検索。
該当。

 

「ふたりで歩こう 寒い街並 ショーウインドーで止まって 少しながめたり」♡1

本当は街へ出るより二人で映画を観たいけれど、今はこれでよい。
さて、恋の行方を任せられたと知ったらベンジーはどう思うだろう。わからないけれど、ありがとう。

チバユウスケのいない世界で生きていかなければいけない私と、チバユウスケのいない世界で生きていかなければいけない君として話し合ってくれた人。どうか一刻もはやくこれを見てくれ。私の一手を。

――こうして二人は、決しない盤を作る愉しみで恋を知る。

 

・・・・・・

深い悲しみから逃れようというその気晴らしは、徹底的に無意味である。
ならばいたって真剣に、遊んでみるのも良いのかもしれないと思う。どうしても明日が見えなくなったら。

ところで私は55歳まで生きるのかしら。

またお手紙書きますね、大好きです。    みちる

さつまいも、幸せの味

こんにちは!やなです。
卒論の提出日が近づいてきてしまったようです。非常に進捗がまずいです。あと2週間ちょっと、なんとか終わらせて卒業します。

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皆さんは秋と言えばなにを思い浮かべますか?秋刀魚、林檎、さつまいも……などなど。
この入り、今年だけで数回やっている気がしますが、まあ良しとしましょう。
今回はさつまいものパフェを紹介します!

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皆さんはデニーズで今、さつまいもフェアをやっているのを知っていますか?その名も「蜜いも」。

さつまいもをメインにしたパフェ、ガレット、ブリュレを楽しめる、さつまいも好きにはもってこいのフェアです。パフェも大きめ、中くらい、小さめの3つのサイズがあり、お腹ともお財布とも相談できます。どれもさつまいも盛り盛りで、どれにしようか迷ってしまいますね。

散々迷った挙句、私は中くらいのサイズのパフェを選択しました。(いつもにも増して写真が下手です)
さてさて、お味は?

とっっっても美味しかったです!!!!
「みっちり濃厚。しっとりスイート」というキャッチコピーの通り、口に入れた瞬間に一気に襲ってくるさつまいもの存在感。モンブラン部分のクリームもとても濃厚です。パフェを1個食べると、焼き芋をひとつ食べ終えたかのような充足感を得られます。なんと、幸せはここにあった。
とても甘くて濃厚だけれど、全く飽きがこない。これは美味しいさつまいもだ。大きいパフェにすれば良かった、と少し後悔。
今まで食べたさつまいもパフェの中で、群を抜いて美味しいかもしれません。それくらいとても美味しかったです!

次はでっかいパフェを食べます。

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今回紹介したデニーズのさつまいもフェアです。
実はひと月ほど前に行ったときに食べたので、今はフェアが終わっていたらすみません。
さつまいも好きの方には間違いなくおすすめできると思います。めちゃくちゃ美味しいです。よろしければぜひ。
https://www.dennys.jp/menu/oimo/

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最近はまっている曲です。
YOASOBI「勇者」 Official Music Video/TVアニメ『葬送のフリーレン』オープニングテーマ https://youtu.be/OIBODIPC_8Y?si=edEBztEwEioyt_Cj

葬送のフリーレンは卒論が終わったら絶対に履修します。

短くなってしまいましたが、今回はここまで。それでは!やなでした!

丑松の選択

この世に読まなければならない文学なんてものは存在しない。だからこれを読まないとダメだとか日本人なら必ず読むべきだとかそういうことを言っている人が私は好きではない。文学は所詮娯楽であって漫画やゲームと何も変わらないし文学だけが高尚なものだとか芸術の一種だとかそういう考えは一切捨てて普通にふむふむ面白いなあと軽い気持ちで読めばそれでいいのだ。

たまたま自分がふむふむ面白いなあと感じるものが近代文学であっただけで難しそうな本を読んでいて凄いねとか頭がいいねとかそういう話ではなくただ私が時代錯誤なだけだ。大抵の人はゐとかゑとかいう文字が出てくる小説をニコニコしながら読まないし現代人に親しみやすい分かりやすい言葉が溢れている時代にわざわざ旧仮名の小説を読む必要がどこにあろう。読書量が少ないとか近代文学を読んだことがないとかそんなものは恥ずかしいことでもなんでもないし自分がそういう文学が好きだからと言って文学に親しみのない人を馬鹿にすることがあってはならない。

しかし読むべき文学が存在しないといえど読んで欲しい文学は多数存在する。その一つが島崎藤村の破戒である。私は高校二年生の時に初めてこの小説を読んで読めば読むほど作品の中に飲み込まれていって最終的には丑松が告白する場面で丑松と共に涙してしまって今でもあの感動は忘れられない。壁に仕切られた塾の個室で誰にも見られないようにひっそりと涙をこぼしながら電子辞書で破戒を読んだ秋の日の寒さ。そんな高校時代のたった一ページが卒業論文になるのだ。

島崎藤村はジットリした文章を書くので私のようなせかせかした文章とは真反対の位置にいると思う。だから文体という面では私は藤村からあまり影響を受けていないことになる。普段の私を見ていても格別藤村が好きな人には見えないと思うしそもそも藤村が好きな人が珍しい気もする。自然主義文学が大好きですという人に私はまだ会ったことがない。おじさんのせいよくが赤裸々に描かれていて気持ち悪いですという人には何人も会ったことがある。破戒は蒲団とか新生とかその辺とは違う自然主義文学だから破戒好きイコール自然主義好きにはならないけれどそれはそうと女子大生には安吾とか太宰が人気で流石だなあと思う。

破戒について研究した内容は全て卒業論文の中でぶつけるからブログでモジャモジャ言う気にはならない。こんなことを言ってしまうと過去の先輩方がこの時期に自身の卒論について分かりやすく説いていたことを思い出して涙が出てくる。ブログ部として活動してきてもう大学四年生になってしまったけれど一向に上品な文章が書けない。雑草がいくら頑張ってもペンペン草にしかなれなくて一生かけても花壇に咲いている花にはなれない。そんなことはどうでもよくてとにかく私は卒業論文を書くのが楽しくてワクワクしながら筆を進めているからみんなもそういう作品を題材にして欲しい。好きなものを題材にすれば全く苦ではないから。私は四年間好きなことだけ勉強してきて得意分野で戦ってきてとても楽しかった。

大学を歩きながらああもう卒業してしまうのか私は後何回この大学内を歩けるだろうかと考えて悲しくなった。行きたい大学ではなかったから他大学に編入しようとか院から違う大学に行こうとか考えていたけどあまりにも日本女子大学がいい大学過ぎて友達があったかくて先生が優しくて私は一生日本女子大学を背負うのだと決めた。大学在学中私生活は穏やかでない日も多々あったけれど大学の中で嫌な思いをしたことは殆どなかった。ずっとずっと楽しくて楽しくてこんな幸せな学生生活は初めてだった。

小さい頃に窓際のトットちゃんとかココシャネルの伝記とかを何回も読んでいた私は人生なんてのびのび生きていいなんぼだし自分らしく生きることが何よりも大事だと思っていたけれど自分が生きてきた田舎はそんな思いが叶う場所では全くなくてずっと苦しい思いをしてきた。のびのび生きれば出る杭と見なされ打たれてひっそりと生きれば地味だと馬鹿にされなんの特徴もないそこら辺の平凡な普通な女の子でいることが成功で目立たず騒がず大人しくしておくことが美徳だった。

でも私はやっぱりそんな普通の女の子たちより黒柳徹子さんが魅力的に見えたしココシャネルになりたかったしそういう自分の性格と平塚らいてうを輩出した大学がシンデレラフィットしたのだ。自分の気持ちを惜しみなく表現できる学部学科に手招きされたのだ。我が四年間に悔いなし。あれをすべしこれをすべしは一切ないけれど自分を信じ続ければきっと自分に合う環境は見つかるし人生なんて自分が輝ける場所探しだと思う。だから破戒の話に戻るけれど丑松のテキサス行きを誰も馬鹿にできないし逃避でもなんでもない。丑松の希望の選択を私は私のために推していきたい。

銀&ビスで、ギンビス。

こんにちは、あこです。

気がつけばもう12月。どういうことでしょうか。

あまりにも月日の流れが早すぎて、誰か嘘だと言って欲しい。

来月は、2024年だってよ!!!

動揺が隠せません。

*****

先週は、よく出かけました。

高校時代の友人と会い、別の友人と御茶ノ水の某ホテルへ泊まり、近藤真彦のコンサートへ行き、東京国立博物館の特別展「やまと絵-受け継がれる王朝の美-」を観に行き、母と銀座・日本橋エリアを歩き、諸々のクリスマスコフレを購入し、父母と月島のもんじゃを食べ、今に至ります。

卒論は???

はい、今だけは、この質問はNGです。

ぐぬぬぬぬぬ ぎぎぎぎぎぎ にょーーーーーん

頭がおかしくなりそうです。(手遅れ)

ーーーーーーーーーー

とまあ、そんな感じで色々あった1週間でしたが、特に印象的だったのは、銀座で出会ったおじいちゃんです。

元々は某紅茶屋さんのアフタヌーンティーが目的で、せっかく日本橋に来たならちょっと歩こうか、と、銀座方面に向かって母と歩いていました。

すると、偶然「銀座ベーカリー」という文字が左手に見えまして。

「こんなところにお店を構えてたんだ!」

「ちょっと寄ってもいい?」

「うんうん、行こう」

と、横断歩道を渡って、いざ、お店へ。

そこで出会った店員さんが、そのおじいちゃんでした。

※もしかしたら覚えている方もいらっしゃるかもしれませんが、「銀座ベーカリー」は、2022年8月27日のブログで紹介した、”カステラビスケットサンド”のお店です。私は百貨店の催事で出会いましたが、銀座のカフェでもいただけるので、近くへ行った際にはぜひ足を運んでみてください!すっごく美味しいです!

「いらっしゃいませ〜」

「Gスティック、美味しいから試してみて!」

「ありがとうございます〜」

最初は、こんなありきたり(?)なやりとりだったと思うのですが、ひょんなことからお店の成り立ちや商品の開発秘話をお聞きすることができまして。

というのも、その”おじいちゃん”こそが、かの有名な「たべっ子どうぶつ」シリーズや「しみチョココーン」の開発者さん(の1人!?)だったのです。

「ギンビス」はもともと、「銀座ベーカリー」という名前で、銀座や蔵王など(←沢山地名を聞いたのですが忘れてしまいました。すいません!!!)でレストランを経営していました。

しかし、そのお店のビスケットがあまりにも好評だったため「これからはビスケットで行こう!」となり、「銀座ベーカリー」の「ぎん」と、「ビスケット」の「ビス」を合わせ、お店の名前は「ギンビス」に変わります。

そしてその”おじいさん”たちの定年後。「もう一度、銀座ベーカリーやりたいねぇ」ということで、10年前に、銀座の地で「銀座ベーカリー」を復活させたそうです。

「たべっ子どうぶつの動物は、全部で何種類か知ってる?」

「元々は、知育菓子として作ったんだよ!」

「〇〇だからね、⬜︎⬜︎してもサクサクしたままで、溶けないんだよ!」(←確か含浸技術について説明してくれたのだと思いますが、忘れてしまいました!私と母の大バカ野郎!!!)

幼い頃から慣れ親しんでいたお菓子を開発した方ということで、「えぇ!」「すごい!」「そうなんだ!」と、驚きながらお話を聞いていたのですが、私以上に、母が大興奮。

腰と首、だいじょぶそ???

と心配になるくらい、全身で感動を表現していました(笑)

ということで、沢山のお話を聞けてとても楽しかったのですが、何より印象的だったのは、その”おじいさん”のキラキラした目です。

「これ、おじさんが作ったんだよ☺️」

「えぇ、そのお菓子知ってるの!嬉しいねぇ☺️」

「〇〇も美味しいんだよぉ☺️」

嬉しそうに、そして何より楽しそうに、ギンビスとお菓子の話をしてくださる”おじいさん”の目は、間違いなく、今年出会った人の中で、いちばん輝いていました。

*****

自分の仕事と、会社と、商品と。

情熱を持って、愛を込めて、(もちろん大変なことはあったと思うけれど)ワクワクしながら働いてきたであろう”おじいさん”。

仕事が好きなのか、会社が好きなのか、商品が好きなのか、はたまた全てが好きなのか。

それは分からないけれど、とにかくキラキラしている”おじいさん”。

4月から社会人になる者として、こんな”おばあさん”になりたいなと思いました。

おじいさん、本当にありがとうございました!

また、行きます!!!

それでは、また。