『南総里見八犬伝』はムズくて深い! 〜日文授業日記〜

どうもー!甘くてフルーティな絶品コーヒーに巡り合えたいのり🧸です。

今回は、「日本文学科ってなにを学ぶの?」シリーズ第1弾を開催!

アイコンのテディベア
勝手にシリーズ化✨
授業で学んだことをブログに書いていきます!
(日本文学に寄ってしまうので、日本語学は別の方に託します……。)

重要単語! “時代区分”

まずは、これだけは知っとこう!

授業資料探してまとめてみました。本当におおまかです。 間違っていたらコソッと教えてください🙏 しれっと直します。

日本文学は、時代を基準?に5つの区分に分かれています。(近代と現代は合わせて、“近現代”って呼ばれているよ!)
日本女子大学でもこの分野ごとに授業が開講されているので、頻出単語です!

“講義”と“演習”の違いって?

これも知っておいた方が、ブログを読むときに分かりやすいかも!

講義→先生が前に立って、大勢の学生に教えてくれる授業。高校の授業のイメージでOK!

演習→自分で調べて考えたことを発表する、少人数の授業。議論をしたり、意見交換をしたり、参加型の授業って感じ!

演習授業『南総里見八犬伝』

それでは本題へ。
今回は、「近世文学演習4」で学んだ『南総里見八犬伝』をご紹介!

アイコンのテディベア
近世文学ってことは江戸時代に生まれた文学だね!

そもそも『南総里見八犬伝』ってなに?って方向けに、超カンタンあらすじだけ書いておきます。
(ほんとうにざっくりなので、気になったらネットで調べてください!)

《超×100カンタンあらすじ》
捕らえられた玉梓っていう女の人が、里見家に呪詛を吐きながら処刑される。玉梓に呪われた里見家を救うべく、八犬士が大活躍!

「近世文学演習」では、『南総里見八犬伝』が各章ごとに分けられ、2人ペアになって調べました。
私の担当箇所は、

【第八回】
行者の岩窟に翁伏姫を相す
滝田の近邨に狸雛狗を養ふ

この場面を現代語訳して相関図を作り、気になる点を調べて深掘りしていきました。

この回ですごく面白かったのは、“玉梓って実は悪者じゃないんじゃない?”って意見が出たこと。
玉梓がいなければ八犬士は生まれてないって言われ、たしかにそうかも……?と思いました。

みなさんはどう思いますか??

私は、勧善懲悪の物語なんて特に、悪役がいなきゃ物語は進まないって思っているので、玉梓はヴィランだと思っています! 玉梓って絶対悪者だろ!って。

でも、こんな風に真反対な意見を出してもいいんです!意見がたくさん出て、あーだこーだ話すのが楽しいです。
演習授業だと、調べることより、むしろ発表あとの時間がメインだと思います。

楽しそう!やりたい!って思った方は、ぜひ日本文学科へ!
お待ちしてます〜💗

いのり🧸

わたくしごと:『南総里見八犬伝』との出会い

小学生のとき、角川つばさ文庫の『サトミちゃんちの8男子』シリーズを読んで、その元ネタが『南総里見八犬伝』だと知ったのが、初めての出会いです。

同じく角川つばさ文庫から発売している『南総里見八犬伝』を読んでみたけれど、難しくて挫折してしまいました、、、。
それからは、八犬伝は難しい!というイメージから一度も開かず……。
(今思うと、たぶん小学3年生?くらいに読んだのでそりゃ難しいですよね 😥)

なつかしい本たち。いま読んでも面白い!

そんな『南総里見八犬伝』を大学生になって読むことになるとは!
もう読むことはないと思っていたのに、不思議な巡り合わせですね。

しかし、さすがに大学生になったからといっても、原文はムズい!
あらすじを知るためなら、最初に友達から借りたマンガ碧也ぴんくさんの『八犬伝』が読みやすかったです。変な改変がないし、改変があってもそのことを書いてくれています。
もし内容を知りたいって方はこれを読んでみてください!

全15巻で7巻までKindle読み放題に入っているので気になる方はどうぞ〜!
碧也ぴんく『八犬伝(1)』

🌱コトバ


なにかに本気でとりつかれるってことはさ、みんなが考えてるほど、ばかげたことじゃあないと思うよ

映画「トリツカレ男」
(原作:いしいいんじ『トリツカレ男』より)

Aぇ! groupの佐野晶哉くん目当てで行った映画『トリツカレ男』。それがまさか“人生の1本”になるほどの映画とは、思いもしませんでした。

なんにでも夢中になるトリツカレ男のジュゼッペ。何のためにとか、今後それがどう活きるとか、そんなことは一切考えず、ただただ好きだから夢中になってしまう。そんなジュゼッペが風船売りのペチカに一目惚れして(トリツカレて)……。
というまぶしくピュアなラブストーリー。

私の人生に刻まれる映画って、こんな人になりたい、と思った作品が多いんですよ。
だからジュゼッペは、私のなりたい人のひとりです。
後先考えずに“好き”にがむしゃらになる姿がいいなって。“好き”は自然と自分のモノになって、大切なときに活きてくると思うから。