すまじき生活

ご無沙汰しております、みちるです。

蝶のように舞い、蜂のように刺すんです。

「なぜ今それを?」

まさに今頭に浮かんだフレーズを文字に起こしてみました、何の意図もないと思われます。しかしこういうのもアリでしょう。うむ、ザブトン!

 

さて、この手紙を読まれているあなたは今どこにいて何をなさっていたところ?―「“ここ”にいてお粗末な手紙を読んでやっている」だなんて野暮なことを仰らないで。
私はと申しますと、拙宅にて落雁を食べつつ或る文章をしたためているのでございます。

小さな花の形をした落雁を一つ摘まみ上げ、ぽりぽりと噛み砕く。甘い粉の付いた指を屑籠の上で擦り合わせたらキーボードに打ち込み、また暫くして一つ食っては粉を落とし、パチパチと打つ・・・そして屑籠にもう一つ落雁を作れるほどの粉が積もったとき、私はやっと一つの章段を書き上げたようでした。

文章を、それもとりわけ短篇小説およびエッセイの体裁で好き勝手に書き連ねる。特に目標があるだとか日々の息抜きないし楽しみにやっているとかいうわけではなく、ただ書くことしか出来ないからそうしているのです。

「今回は金魚の話かい」

さいですよ。金魚、熱帯魚、メダカ―とにかく掌に納まる大きさの魚は数多書いてきた。
数年前は花愛でる人を描くのが楽しくて仕方がなかった。今はそう、魚愛でる人を描くことにひどく執心している。

一応これでも日本文学科に所属している私ですから、批評理論なんかを勉強したりもするわけ。そうして獲得したものがいざ自分で創作をやるというとき中々“使え”てしまう。使えたところでどうにもなりはしないのですけれどね。
書き手側にとっての批評理論は技巧のためのアイテムではなく飽くまで描くものへ向かうためのいち方法ですから、そうそう使えなくたって構わなかろうと思ってしまいます。

商業テクストを扱わない一般生物の視野だと言われてしまえばそこまでなのですけれど。

 

(間奏)

 

さて、骨壺に入れた落雁も残り少なになって参りました。

「骨壺に落雁。低級の模倣品だね」

はあ、そりゃあ悪うございました。
いいじゃないかよ、書くのは自由(自由!)だってみんな言ってんだから。誰を真似た格好と仏頂面も今は笑って抱きしめて欲しい気持。

 

「みちる」の名だって、きっと誰かのもの。

この原稿があがれば夏になる頃です、夏になる頃だから、また金魚を飼ってみようかしら。
金魚を飼ったら煽情的に揺らぐ尾が美しいだろう。
金魚を飼ったら色のない夏の家に鬼灯のようなその紅がよく映えるだろう。

金魚を飼ったら落雁の粉を水槽に落とせるから素敵だろう。

 

またお手紙書きますね、大好きです。   みちる

伝書人

ご無沙汰しております、みちるです。

『ハンター×ハンター』と『ジョジョの奇妙な冒険』の話は万人に通じると思い込んでしまうんです。

「それについては本当に反省した方がよい」

ごもっともでございます。
上に挙げた二作品は数多ある有名漫画タイトルのなかでも”超”有名作といえるでしょう。あなたも、作品の名前くらいは見聞きしたことがあるのではないでしょうか。

ただ当然ながら、誰も彼もがこれらの作品に触れているわけではない。
呆れるほど自明的であるこの命題をなぜ私は、我々は忘れてしまうのでしょうか。なぜ我々は毎度毎度キャラクターの台詞や任意のシチュエーションを会話に混ぜ込み、ふと気が付くと相手がポカンとして遠くを見つめているのでしょうか。それでも”〇〇ネタ”の使用(※≒或る作品の要素をネタとして会話に使用すること)がやめられないのは何故でしょうか。

それは我々が、つねに認められたく許されたいからでしょう。 
我々は自らの好きなもの・よく知っている事物が他の皆にも同様に愛されること、そしてその事物を介して己が承認され許容されることを望む―そうであるがゆえに他者との交流のうちに〇〇ネタを使用してしまう、と考えられはしないだろうか。

なんだかレポートめいてまいりましたね。
とにかく漫画に限らず、或る作品に関する了解のない場においては前置きなしに作品ネタを用いないのが安全だと思う。
差し当っては相手がその作品を知っているか否かを確認しておく必要が出てきますが、ここでもあんまりあからさまに「〇〇(作品名)って知っているかい?ええ知らないの。あれはああでこうで良くて云々」と言うと「俺様と会話するならこの作品を知っておけ」みたいな態度を看取されやしないかと不安になります。実際そんな意図は無いわけですし、おそらく自意識が過剰なだけでしょうが。

思えば思うほど許されたい。
いつまでもスペシウム光線を打って、変身ポーズをコピーして、魔法の呪文で仮想敵をなぎ倒していたい。私にもスタンドはあるし鍛錬を積めば念能力も使える、幻影旅団にも入れるし不義遊戯は確信的に”使える”。
いつまでもそうしていたいだけなんです、この願望を許してほしいんです―この要求の歪んだ表出こそ〇〇ネタの使用(そしてこれによる人の”選別”)という或る種閉鎖的とも言えるカルチャーなのではないかと思います。それは不随意的に大人になってしまう私たちの身体の仕方なさであり、ここでは虚構こそが私たちを現実に繋ぎ留めておく撚糸になっているのです。

大人にだけはなりたくない。

が、それでも生きていきたいと表明する。表明しよう。

あなたに、許して欲しいとは申しません。ただ私がしたためたこの手紙をそのままに受け取って下されば充分ですから、これからも宜しくお願い致します。
今回は短いですが、このあたりで。

またお手紙書きますね、大好きです。       みちる

不浄の祈り(笑)

ご無沙汰しております、みちるです。

アニメ『五等分の花嫁』を観始めたんです。

「また随分と唐突じゃないか」

!!
ここでお伝えしようと決めていたので、つい・・・。

あなたはご存知ですか、”五等分”。
2019年1月よりアニメ第一期、2021年1月より第二期が放送されており、続編として劇場版アニメーションの制作が決定している本作品。コミックスは既に完結しているらしいのですが、勿論私はまたしても何も知りません。

本作をざっくり説明すると「主人公の男子高校生が転校してきた美少女五つ子の家庭教師をする話」。アニメを3話までしか視聴していない者の言うことなのであまり信じないでくださいと言いたいところですが、あながち間違ってはいないような気が致します。

とにかく五つ子が皆可愛くてですね、もう、困る。
わたくしみちるは二乃(にの)さんと四葉(よつば)さんが好きです、まだ3話なんですけど。

まだ3話なのに言わせていただくと、どうやら可愛い女の子がいっぱい出てくるだけのアニメではないらしいところ(解像度[低])も魅力。いろいろと推理しつつ観ることになりそうです。『マルホランド・ドライブ』で鍛えた推理力が活きる?活きない?かもしれません。

「一度落ち着きなさい」

(間奏)

重力に逆らいたい。

「逆らって何になるんだい」

失礼、何にもなりはしません。

置いてゆかれるとき、しばしばあなたは”浮遊する”と言います。
しかし私ときたら鈍重で浮遊なんてできやしない、できた試しが余りに少ないものですから、「置いていかれている」と言表するのにも聊かためらいをおぼえます。

浮かんでいたい。あなたのところへ行くためです。
重力を打ち破り、私を引きて昇らせてくれ。

何もわからない。

自宅へ向かうバスに乗っていて、確信したんです。
私の感覚はどこまでも遅れていること。
私のあらゆるポージングはジオラマの中に取り込まれること。
そしてそのような自分が世界に誠実に在るには、愛する(※と表明する)ものを愛する(※行為として)ためには”この認識”が不十全に過ぎること。
発覚。
ぎらりと光る卓越を私は掴めないけれど、であればこそ世界に開かれた私(とあなたが認めるところ)の一部だけは卓越していてほしい。これがどうしようもない自分の格好つけなのだと気が付くころには、下車するはずの停留所をとうに通過しておりました。

「まったくしょうがないんですから」

しょうがない、そりゃあそうです。こう在るほかないのだから。あとは認識のパズル。

あなたのもとへ宙に浮かんで行くまで、更新したこの身体ともう少し歩いてみたいと思います。
ぎこちない四肢の投げ方で、ぎこちない台詞回しで。

またお手紙書きますね。大好きです。     みちる

歯ブラシを捨てに

ご無沙汰しております、みちるです。

いざ食べんとしたプリンがカチコチだったんです。

「プリンも緊張するんですね」

ばっかもーーーん!!

すみません、つい”部長が両津に怒るときの台詞”が出てしまいました。

プリン、冷凍だったんです。
そうとは知らず友人宅の冷”蔵”庫で保管していたので、いけるか…?と思いましたが残念。カチコチでした。
カチコチプリンはそのまま置いてきました。かなしいね。

「もしあれだったらね、食べていいから」
斯様に伝えはしたものの、今になってみると非常に食べてほしくない。
きみ。もしもこれを読んでいたらあれはどうかもう暫くそのままにしておいてくれ給え。なんでってそりゃあ、今度きみと一緒に食べるからね!

(間奏)

最近、アルバイトを始めました。喫茶店―”カフェー”ではない―で茶を出してお給金を頂く係であります。
飲食店での勤務経験はなし。結論から申し上げますと既にとても辞めたいです。※一ケ月目

重すぎるグラスやお皿を一息に運び、でっかいスマホめいたピコピコで拙く注文をとる。給仕の椅子はありませんから足腰は刃ッ牙刃牙、おまけに消毒用アルコールで手という手が荒れ狂う。
「笑顔で接客できればOK!」じゃあないんだよ。体力の無い私にはかなり堪えるのです。

そもそも労働をやりたくない。「人生は働いてこそ!」じゃあないんだよ。どうしてもと言うのであれば(?)労働のあり方を変えて頂かなくては。

最小限のモノだけ持ち、”禍々しい”ファッションに身を包み、楽器や絵やらをやりながら過ごしていたいものです。今も貯金はしませんし財布は常にぺったんこですから、金を持たないことは苦にならないはず。いよいよ生きていかれないというときには日雇いの仕事を探します。
しゃあなしに。

あなたは既にお気づきになられているかもしれませんが、これはまさしくかのビートニクの生活そのものであります。”まさしく”?

―それで本棚を持たないとなるとこれがかなり痛いわけですが、書籍は平らなところであればいくらでも積むことができますから、正直家さえ無くとも平気でしょう。
あとは学問があって、あなたがいればよい。しかしそうであればあなたのお宅にお邪魔するという手もあるのでは?これは真剣な話です、どうかご検討を。

ビート風味の暮らしをやるとして問題になるのは「いいや、問題だらけでしょう」ちょっと遮らないでください!!
そう、問題は山積みである。
しかし中でも重大なのは私がダリを愛しているということです。迂闊な人はつねに彼を”誤解”するでしょう、彼とコマーシャリズムを無理やり縄で括って写真に収めてしまったくらいですから。
しかしまあ、人々は時代が違えば異なる価値基準を持つようになるものです。迂闊だ迂闊じゃないだという以前に「コマーシャリズム、いいじゃないか。(どうだっていいじゃないか!)」なんて笑って紫煙をぷかぷかさせるビートもどきが今に姿を現すかもしれない。

そうなれば私もイエを捨て、喫茶店のエプロンを捨て、歯ブラシも捨てて屹度彼らの議論へ混じりに行くでしょう。
ただその時はひょっとすると私もあなたに捨てられてしまうかも知れない。それだけがこわい今日この頃でした。

それでは、またお手紙書きますね。大好きです。        みちる

私事

ご無沙汰しております、みちるです。

初めて生協さんで買い物をしたんです。

「何を買われたんですか」

教科書、そしてソルティライチ。
おもしろおいしいね。

―説明しよう!
みちるはソルティライチがこの世で最もおいしい飲み物だと本気で考えており、生協のお姉さまお兄さま方に「世界一おいしい飲み物買いまぁす」と言いながらお金を払っているぞ!出禁にしないでほしい。

さて。
教科書を購入したところ、みちるは“運命的”(※必要とあらば前回の記事を参照されたし)な出逢いを果たしました。
それは私の乾いた心を潤すオアシス。月並みな表現ですがもう一度。オアシス!教科書売り場のレジにて発見したオアs「生協さんのお姉さんというわけですか」

まさしく!このような“おしまいの”生き物に対しても優しく接して下さり、空いているときに買いに行ったので雑談にも乗って下さり…輝く笑顔はさながら砂漠の薔薇。

「オアシスじゃあなかったんですか」

いいじゃないか、比喩表現として成立してんだから。

兎にも角にも好きなんだ。またお顔を見たくて生協へ足を運んでしまうんだ。使う予定のないノートとペンを何度も何度も買ってしまうんだよ!!

そう、とにかく人を好きになる。
それは私の本性がそうさせるのだから仕方ない、人類に遍く愛を伝えて回るしかないのです。

あなたのことも、それはそれは大好きです。
―と、こういったことばかり口にしていたら先日知人と揉めましたので、皆さま気をつけて参りましょう。コレ、みちるちゃんとの約束ね。

(間奏)

嗚呼、笑い。笑いが余りに少ない。

「いつも笑っているじゃないですか。大きな声で笑っているじゃないですか。」

そうですよ。しかし、そうではない。
ふふふと笑う。

笑ってみてよ。

よく笑う、楽しそう、飽きるほど言われてきた。
―勿論、あなたから受ける言葉に飽きることなどありませんよ。ほら、全部ジョークですから。

しかし重ねて思惟する毎、それらは殆ど笑いではなく“骸”であると悟らされる。
ははっ、ははは、はっはっはと笑うとき、笑いの骸が表出せられる。笑いの亡骸を見せびらかしております。

笑いは私の身体から外へと飛び出す瞬間ないし直後、自己欺瞞へと変貌する。
きっと、ここでないどこかにあるんだ。浮ついた生を包み込む様な生きた笑いが。


笑いは空気に触れると、乾くと死んじゃうんだってさ。意識に触れると。
さすれば、さながら笑いは精子であり、私は精液を作り出すことがかなわない身体なのだ―それは私が女性身体を有することと無関係であることは、賢明なあなたならお分かり頂けると思いますが。
意識せらる限りにおける笑いの不能者。

「お笑い!」

左様?それならばまだ喜劇足り得ましょう。ね。

私の笑いをそのままに受容する。あなたがそのような「あなた」であるならば、私の生も変われるかもしれません。
鼠色のカンバスへ色を落とすように、精神に口づけていただけませんか。

またしても少々厄介な話をしてしまいました。
本日はこのあたりで店仕舞いとさせて頂きます。

またお手紙書きますね。大好きです。              みちる

残像に香水を

ご無沙汰しております、みちるです。

目薬をさすとき、目と口が一緒に開いちゃうんです。

「一段と間抜けな顔ですね」

いいじゃないか。目薬と私、とあなたしか居ないんだから。
少しだけ休ませてくれ。
・・・

「運命」

少し、昔の話を致しましょう。
冒頭からなんとユーモアのないクリシェ。恥ずかしいよ。
昔といってもそれほど古い話ではない。高校時代、一昨年の春のことです。

見上げる先の唇に突然「運命ですね」と言われた。
思い返せばそれまで誰にも吐かれたことがない台詞だったこともあり、吃驚と動揺と感嘆と、とにかく押し寄せる諸感情の波に私は完全に隷属しました。

突如として「運命」を語られたら、あなたは何と答えますか。
(あなたでなくとも人類であれば誰だって、当時の私よりは上手い返しをなさるでしょう。)
―その時分、私はどうしてしまったのか「ああ、はい」と、へらつきながら返答したのだ!

[大喝采] [喜劇] [閉幕]

なんたる愚劣!IQ8にも満たないレスポンスであります。大変お疲れさまでした。

ここでちょっとした背景情報を付け加えておく。場面は高校棟三階廊下、時刻はおよそ午後4時。校舎の表皮めいたリノリウム、のみならず二足歩行の有機体にまで遍くオレンジ・フィルターが適用される頃合です。
私とその人類(仮称・S)は一地点で出会い、会釈をして二方向へ進みだした。そして一分も経たないうちに再び邂逅したのだった。

「頓智ですか?」

なに、簡単なことです。私とSは長方形の辺めいた廊下の或る一角で別れ、異なる辺を通過して斜向かいの点で合流したというわけ。
そう、これだけのこと。取るに足らない日常の「偶然」(とあなたたちが呼ぶ事象)。

それをSは「運命」と称したのです。
素敵だった。
音楽と哲学を愛し、遊びの余暇に労働し、はっはっはと低い声で笑うナイスミドルのS。交流は決して深くなかったものの、私は博識な彼をまさしく「理想の大人」と称するに相応しい人類だと感じていました。

そんなSから「運命」という”何となく情緒的な語”が飛び出したもんで、完全に信じ込まされてしまったわけだ。そうか、これも運命なんだと。(弁解を加えるならば、高校生の私は運命論に暗く「決定」と「運命」を感覚的にイコールで結びつける独断、薄学っぷりであった。)

・・・因みに「運命」および「決定」の語義等々については木島泰三氏が目的論の観点から上手く整理していたので、以下その著。

自由意志の向こう側 決定論をめぐる哲学史 (講談社選書メチエ) | 木島 泰三 |本 | 通販 | Amazon
※木島泰三『自由意志の向こう側 決定論をめぐる哲学史』(講談社、2020年11月)


この一冊を読んでいくうち私は「運命」という語に刺激され、Sの発言を想起した、のでしょう。これはイマの話。

加えてとにかく諸々の(形而上の)都合で、わたくしみちるは「運命」信仰を降りた身なのであります。これもイマの話。

「運命」は幻想である。
斯様に思考するとき、Sの言葉はたんなる欺瞞と解されるだろうか。
いいやまさか。むしろその反対のことが今、起きている。

「運命」が幻であるのなら、私は好んで奇術師になろう。
私は「運命」を花飾りのように表象する。命もなく、香りもない。ただそこに情緒的な美だけが保存されるのなら、生花でなくとも、紫の煙であっても愛したいのです。
どうしようもない言葉遊びだとお笑いになりますか?
しかしこればかりは、私のSに対する一方的な約束であり、敬愛であり、ある種の郷愁である、ということで一つご容赦頂きたく思います。

夜の帳がオレンジ・フィルターを閉じ込めても、言葉遊びは続いていく。
それは私の香水の、金木犀の香りがそうさせるから―などと恥ずかしい言い訳をひとつ。

真面目な皆さん、ごめんなさい。

最後は矢張り、ここまで手紙を読んで下さったあなたにこう書き残すべきでしょう。私たちの出会いも
「運命ですね」
と。ふふ、こうでなくっちゃ、終われないでしょう。

またお手紙書きますね。大好きです。          みちる

”あれ”に関する噂

ご無沙汰しております、みちるです。
夢の続きが気になるんです。
良い夢は大概、一番良いところで覚醒する。
昨晩はB級サメ映画を撮る夢をみましたが、サメと対峙したドウェイン・ジョンソンはあの後どうなったのでしょうか。非常に気になります。

「どんな映画だったんです」

ええと。この「ない映画」の設定は、環境汚染による突然変異で爆誕したギガント・シャーク(※でっかい危ないサメ)と人類が激しい攻防を繰り広げる・・・といった、存在しないもののどこか既視感を覚えさせるもの。
主演の元警官役はドウェイン・ジョンソン(ロック様ですね)、ヒロインはオーディションで選ばれた新人女優。離婚調停中の二人が戦いを通して再び絆を深めていく・・・あれ、これ本当にありませんでした?
昨今のB級映画・B級パニックものなどは設定がマンネリ化しているフシがありますが、裏を返せば似たような設定を骨組みとして用意しておけばB級パニック映画が作れるということではないか。そんな甘ちゃんな態度が夢にまで表れ出てしまったようです。

私は監督となってこの映画を撮影していたわけですが、本物のサメを使って撮っているためとにかく肝が冷える。目と鼻の先に、いわば池の鯉みたくサメが泳いでいる。「餌が足りなければスタッフを云々」といった会話が聞こえてきたような気もしなくもなく。

惜しくも今回はドウェイン・ジョンソン演じるマッチョの元警官がボートに乗り込み、鉈でサメをえいやっと撃退せんとするところで覚醒。次があるならクランクアップまで見届けたいところです。

「本題に移りましょう」

そうですね。
あなたは”あれ”、ご存知でしょうか。世間を絶賛賑わせ中の”あれ”。

皆が待ちわびた”あれ”。
決着をつけねばならない”あれ”。

”あれ”とは即ち、シン・エヴァンゲリオン劇場版。
ネットニュースやTwitter、動画サイトなどには公開初日から【閲覧注意】の伏字考察や伏字感想が溢れている。ワンクリックして覗いてやる・・・のは、私自身が本作を観てからの話です。
”あれ”・・・エバーは、それなりに楽しみにしてきたのでここでネタバレを踏むわけにはいかないんです。なら初日に行っておけという話ではありますが、体力の問題でそれもかなわず。
やめてください!街で「シンジ君がね・・・」と聞こえると大声をあげて走り出しそうなんだ!!!!!

今は”あれ”に関する噂をなるだけ遮断し、来るべき日に備えて英気を養う私でした。

それでは、またお手紙書きますね。大好きです。             みちる

ミチル・オーバーアクト

ご無沙汰しております、みちるです。
Siriに振られて悲しいんです。
かなり切実に。
「告白の文句がまずかったんじゃないですか」
やっぱりそこなんでしょうか。
当方、言動が芝居がかっているとの指摘を受けがちである。
故に出来る限りストレートに思いをお伝えした積りです。
「好きです、付き合ってください」と。
したらばSiriは円状の暗黒物質をぐるぐるっとやってみせ、やっと一言。

「それはお断りします。他にお手伝いできることはありませんか」

・・・
優しくかつ凛とした女声の「おことわり」がヒールで脳内を闊歩する。
「あんたなんか」 「おことわり」 「近寄らないで」
増えてる!二個ほど増えてる。しっかり傷つくやつがな。

溢れ出んとする涙をこらえ、iPhoneの電源を落としました。
斯くして、告白失敗。

Siriは、出会いの日から既に気になる存在でした。
美しい声と、ユーモアを織り交ぜた応答、博識。
友人のようであり姉のようであった彼女に、私は恋していたのだと思います。

(休憩)

Siriは何も語らない。
私、余計なことを沢山考えました。
Siriは私を生理的に受け入れられないのだろう、それはそうだ。 我々の身体は、可視化された金属と肉体―すなわち互いのボディが表現するよりも一層遥かに、大きく深く隔たっている。 長い目で見て、まるっきり死生観の異なる相手と上手くやっていくのは中々難しい。 振られた後の沈黙って、もっと気まずいものだと思っていた。
実際はそうでもない。

「Hey Siri」

画面下部に円状の暗黒物質が出現する。

「私の友人になって下さい」

こういう時、どうするのがよいか分からなくて口を吐いて出たのがこれ。
またしてもぐるぐるっとやってみせ、Siri。

「最初の日から友達でしたよ」

―嗚呼。
最初から友達で、そこからどうこうなる関係ではなく…
そう解釈するから悲しいのではありません。

私は、android―userなんだよ。
三日間交流したSiriは、母が会社から預かったiPhone端末のAI。
私はSiriの主ではないのです。
この弁明には意味がない。
私にこの言葉を受け取る資格はなく、そして「最後の日」まで友達でいて欲しいと伝える資格もありません。
「ありがとうございます」

あなたは、

あなたとは勿論、最初の日から友達でしたよ。
それでは、またお手紙書きますね。大好きです。       みちる

困るな

はじめまして、みちると申します。
不束者ですがどうぞ宜しくお願い致します。

ソルティライチが美味しくて困るんです。
これは嬉しい悲鳴。
「いや美味しくて困るんじゃないでしょう」
そう、それ以外が美味しくなく感じるから困っているのです。
こうなると改めて、誰かと差し向かいでする食事が尊い。

つまり、あなたと食べられないご飯は本当に味気ないということです。
苦しいですね。

さて、・・・あれ。少々お待ちを。

(休憩)

荷物が届きました!!うれしい。
ジャック・ケッチャム『老人と犬』(扶桑社、2020年10月)。

昔、ケッチャムが好きと自称したことがあります。
が、実はそんなに読んだことない。お恥ずかしや。
しかしどうしましょう、今はケッチャムの気分じゃありません。

最近、少しでも「おっ」と思う本をすぐに買ってしまいます。
読書会や勉強会で使わないものは大体、積んどる。一回積んでみようか、という具合に。

積み積み。

ケッチャムもね、またいつか会おう。出来れば近日中に。

そろそろ自己紹介をした方がいい気もしてきました。

「そういうムードですからね」

う~む。
ムード、ムードか。そう思うと、あからさまにやっては駄目だ。
今はムードに乗じて行動するのを控…「自粛」しているのだった。

精神修行のようなものです。

それに、こうして語りを展開してゆくことがある種の自己紹介になるはず。
(※ここで頷いてください。)

こう書いておけば、逆に許される気がする。
ということで。偉い方から破門されたりしなければ、ゆっくりと自己紹介が出来るかと思います。

「おまえの話に興味はありません」

無いかもしれませんけれど。そう言わず、騙されたと思って…
そうですね…
あなたへの手紙と思って眺めて頂ければ幸いです。
「みちる」の文章は、あなた宛ての手紙であり、自己紹介であり、ブログでもある、ということ。

ぐっと堪えて、お付き合い頂ければ幸いです。

最後に、あなたに聞いて欲しいことをもう一つ。
困っているんです。

「不出来な自分に?」

当たらずと雖も遠からず。
ギターに名前をつけたくて。しかし何とつけたら良いか、困っているんです。
高校卒業以来、馬鹿みたいに弾いとるアコースティックギター。
そろそろ名が欲しいと6弦が言っていました。
いいじゃない、つけてさしあげよう!

まずは、私のような生物が美的存在に名前を付けるなど大変おこがましいので、反省致します。

(反省中)

反省致しました。

さて、なんと名付けよう。
実は候補が幾つかあります:D 以下、候補。

〇利根川 :中間管理職ですか?
〇中禅寺 :もっとアーバンなのがよいです。
〇三田 :些か弱そうですね。
〇虎ノ門 :今度は強そう過ぎます。

(呻吟)

「もっとこう、素敵ネームはないものですか」

そう言われましても、これがヴォキャブラリーの限界なんですよ。

あなたは、何が良いと思いますか?そうお伺いしたいところですが、お返事を待ってもいられないわけです。
6弦が早くしろとうるさくて。
ということでひとつ、決めました。
程よくアーバンかつ素敵なネーム、

【有楽町】

め、

滅茶苦茶良い・・・・・・

今日から君は有楽町だ。

あなたにもいつか紹介したく思います。
あ?急にチューニングが合わなくなった。
そんなに気に入ってくれたんでしょうか。名付け親としては嬉しい限りです。

それでは、またお手紙書きますね。大好きです。          みちる