青い思い出

「光は長いこと、芸術の材料とされてこなかった」

その人はそう言った。

感光紙にガラスの置物と思い出の指輪を並べ、太陽の元に晒す。

黄色い感光紙に映った物体の影が、動かないものとして焼き付けられる。

「今日は日差しが強いので7分」

言われるがままに7分の経過を待つ。

「いい塩梅でやめないと焼けすぎちゃうから気をつけて」

すぐさま時計の針から目を逸らし“作品”を見つめる。

「こうやっているとさ、時間って数字で区切られたものじゃなくて天体の動きなんだなって感じるよね」

その人がそう言う。遅れてそう感じる。

青焼き。およそ1800年頃に発明された被写技術。感光紙に物体を乗せ日光に当てるとその形を白く浮かび上がらせるようにして感光紙が濃紺に染まり「青写真」ができあがる。

この春、私は初めて、この〈青焼き〉を体験した。

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まいです、ごきげんよう❀

「青焼き」、皆さんはしたことありますか?

きっかけは地元の公民館で行われたアート体験でした。カメラを使わないフォトグラム、青写真。それを用いて表現活動を行なうアーティスト、浅見俊哉さんの開いたワークショップに参加したのです。

浅見さんは「時間」と「記憶」を感光紙に焼き付けた作品を制作しています。

例えば、原子爆弾で被爆した樹木を、あの日とおなじ8月6日の午前8時15分の太陽で感光紙に焼き付ける。浅見さんはこの作品を何年も撮り続けています。

そうすることでその写真には、物体の過去から現在における時間の変遷が写し出される。写真が持つ「瞬間性」に矛盾が生じ、そこに時の流れと記憶が刻まれる。そういった作風が特徴です。

私も実際に浅見さんの作品を観ましたが、例えば、津波の被害を受けたと思われる道具の青写真。現物に限りなく近い写真とは違い、白い焼け跡となって表れたそれは、なんとも言えない説得力と物語性を帯びていました。

写真は実物を写したもの、いわばコピーとも言えるけれど、遺物の白いシルエットは外見のコピーではなく確かにその物体の“内面”を映したものだと感じました。

物体を、見るのではなく感じることのできる貴重な経験でした。

私が参加したワークショップは、「万葉集」ならぬ「万影集」を作ろうとしている浅見さんのプロジェクトのひとつで、「自分の大切な物、思い出の品」を青写真として後世に残していこうというものでした。

被写体に、私は相方とのペアリングを選びましたが(小さいためイルカと天使の置物も足しました)、以前のブログを読まれている方はご存知の通り、私はもともと物と思い出とを切り離して考えることが多く物への執着心があまりありません。でもだからこそ、私の感光紙に写った指輪は「物」ではなく「記憶」なのだと実感しました。

そして、この作品は私が描いたものではなく、私の記憶を、光(自然)が描いたという事実にまた趣があります。

古くから芸術は、製作者(あるいは注文者)の意図を伝えたり周囲に示したりする性質を持っていますが、今回の青写真は、製作者の思い通りに完成するものではありません。光の強さや角度、照射時間やあるいは自分の無意識なんかに影響されて、作品の表情は変化し続け予測不可能、唯一無二のものになっていきます。

自然と戯れそこに美しさを見出す。こうした行為の神聖さに癒された一日でした。

それでは。

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ご紹介した浅見俊哉さんの作品を見られるリンクを1つ添付します。ぜひご覧ください。https://note.com/shunya_asami/m/m4125924a7a60/hashtag/898529

美の難しさ

高知出身で京都の大学に通う知人と話すとき、私のボケやツッコミはたいていすべる。

そもそも話す速度が違う。

笑うタイミングと、尺と、呼吸の深さと、なにかが少しづつ違って、その違いに私は毎度癒される。と同時に、アイスホッケーのごとく机上で見事にすべっていく私の言葉たちに、少々涙を捧げる作業にいそがしくもなる。

西と東の会話では時間の流れ方が少し違うのかしらんと思い、もしそうであれば、私はいつのまに気が短くなってしまったのやらと思うも、気の短さのために思い続かず。

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まいです、ごきげんよう❀

この春休みに大学の友人ら6人で京都大阪旅行に行ってまいりました。その6人の中にはこのブログ部に所属しているメンバーも数人いるので、お話がかぶることがあるかもしれませんが、お許しください。

メインは清水寺周辺での舞妓体験でした。

メンバーの一人が「舞妓は10代までらしいからなるべく若いうちに体験したい」と言い(その発言の時点で既に20代に突入し1年が経過している)、そのために京都に行くという順序で決まっていきました。

舞妓体験では、お化粧からお着物、頭まで舞妓さんと同じようにセットをしてもらい、写真撮影のほか周辺の土地を散策することができます。

6人のうち3人は先にお着物選びを、残りの3人は先にお化粧をという手順になりました。

〈鏡台前。襦袢の襟が触れる首元に涼しさを感じながら息を潜めているとたちまち鬢付け油が顔と肩周りに塗られていきます。〉

それが想像以上に力技で笑、鬢付け油って硬いんですね。髪の毛のワックスのようなテクスチャ、するすると塗り広げられるようなものではないので、スタイリストさんが手につけた鬢付け油を頬に塗っていく仕草とは反対方向に顔を振り動かすくらいの気持ちでいないと、うっかり顔がもっていかれてしまいます。

〈天井の灯りをてらてらと映す肌に、広いハケでおしろいが塗られていく。おでこから鼻先まで冷たい筆が撫でていく感触に不思議な安堵感が湧いていきます。〉

この時点で目を開けるともう、誰という感じです。私たちはどうして鏡を信じられるんでしょうね。どうやらそこには「白塗りの私」がいるようでした。

目の際と唇に紅を差し、姿を見つめると、「私は作品になった」と感じました。鏡を見ているようで他人を見ているような、人を見ているようで色を見ているような不思議な感覚です。

同じように化粧を終えた友人たちは私の思う舞妓さんの表情をしていました。アイラインがタレ目に引かれ口角が引き締まり、想像する「舞妓」です。ところで私は、なんだか舞妓というより歌舞伎役者のような仕上がりになっていました。アイラインがつり目に引かれていたのかな、はんなりというよりイケメンになっていて笑、新鮮な気持ちになりました。

肌が白くなるということで「肌に合わない色」というものがなくなるとの助言をいただき、着物選びをしました。(振袖は紫味とある赤を着たから青系かな…でもピンクも王道で可愛いし…黒も着てみたい…。)

白になりました。

白地に昇って行くような青い洋風な花々。

そこに黒地に金糸の帯を合わせると着物は表情を変え、大人しい雰囲気からたちまち威厳ある様相になりました。着物ってそこが魅力ですよね。

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カメラマンさんに6人の集合写真を撮っていただき、さっそく60分の散策へ。

お団子食べたり抹茶飲んでる写真とか撮りながら歩く、という想像をしていた私は甘かった…。

「舞妓さんは外で食べません。飲みません」と言う着付け屋の女将。

「でも、今回は写真撮影はOKにします。ほんとは写真を撮られるのも撮ることもだめなんですけどね」

重いカツラ。不自由な体。締められた帯。そして、飲食NG散策…。私たちはここにきて舞妓の現実を突きつけられたのです…!!

予定ではこの舞妓体験をする前に、清水寺で食べ歩き、ある程度お腹がふくれているはずでした。しかし、京都駅から清水寺方面へのバスが長蛇の列でしばらく乗れそうになく、徒歩にしたことで、昼食を取っていなかったのです。

空腹に畳み掛ける空腹。かなりハードな1時間になる予感がしました。

……しかし、しかしそれでもまだ私たちは甘かったのです。

本当に大変なのは、空腹ではありませんでした。本当に大変なのは、「注目の的」になることでした。

そんなじゃないだろうと鼻で笑わないでください。

問題は数。舞妓の格好をした人(というか観光客にとってはリアル・舞妓)が6人いたら、確かに見応えがあり、派手で、目立たずにいることの方が困難です。

交通に影響が出るほど路に外国人観光客の方が集まり、一緒に写真を撮ったり知らない間に盗られたり、前にも後にも進めない!という状況。漫画にありがちな、“有名人が普通に街に出たら風で帽子が飛ばされて正体がばれ急に大騒ぎになる”的な具合に人が集まり、いや、でも有名人と言うよりは動物園のパンダを見るように囲まれていました。あれは間違いなく人生で最も注目された瞬間でした。

…空腹。飲食なし。重いカツラ。きつい帯。身動きの取れない着物。そして、想定外の注目…人、人、人…。

体験場所に戻るとみんな一回り痩せたようでした。そして素の姿に戻った時の開放感溢れる笑顔。

「10代まで」もある意味、納得です。

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今、写真を見返すと、楽しかったな〜いい体験したな〜と幸せな気持ちが先行しますが、いざ書いてみるとこんな苦労があったようですね。

女子大学生6人の京都旅はこんなものでしょうか。

とにもかくにも楽しいよき旅でした😊

ちゃんちゃん

春たちぬ

春たちぬ。

勢いよく引かれるカーテンのように風は迅速に目の前を去り、その向こう側に確かな星空が広がっている。

月灯りに梅が照り映えているのを見れば胸の苦しさを抑えられず、何かへの愛しさで息が詰まりそうになり、それが涙となって空に溶けていく。

春はそういう季節。

春は苦しい。

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まいです、ごきげんよう❀

前回の投稿時は暦の上で冬でしたが、あっという間に春になりましたね。

春風なんていう柔らかい響きには似合わず意外にも風は激しい。次の四季を始めるにはこのくらいの勢いが必要なのかもしれません。

春たちぬ。

鮮やかに塗り替えられた時間の中に私たちは染まるしかないようです。

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先日、久々に胸を高鳴らせることがありました。

東京の国際展示場駅にあるパナソニックセンターでの体験です。

パナソニックセンターで「AkeruE(アケルエ)」という体験展示があり、友人に誘われ足を運びました。

そこは、遊びを通じて子どもの知的好奇心や想像力を育む環境なのですが、これが、信じられないほど楽しくて。

点々と置かれた謎の装置たちは、自由に触って科学の不思議を楽しめる実験装置。小・中学校で体験した理科の実験をもっとダイナミックにしたようなものが多く、なぜこうなるのかという疑問に知的好奇心がくすぐられ体験に来ている小学生の団体様よりもよほど大騒ぎしてしまいました。一番悔しいのはあれですよね、「あなたの目の錯覚です」っていう装置。何度見ても絶対に見抜いてやると思っても「目の錯覚」に叶わない。私たちは常に錯覚の中で生きているのかもしれません。どうにかして目の錯覚から脱しようと透明なパネルに張り付いて凝視したのは迷惑だったと思うので、この場をお借りして謝らせてもらいます。すみません、失礼しました。

体験できるのはサイエンスとアート。

ここは小さな工房のような場所でコマ撮りアニメを作ったり、工作(小学生の時にやった「図工」のイメージそのまま)をしたりできる最高の空間です。

動画は時間制限があり、20分の砂時計の最後の1粒が落ちるまでにアニメを完成させる必要があります。カクカク動くあどけない完成版を見ていると、あんなになめらかなアニメーションって、ほんとに、ひとつの動作のために信じられない数の場面を描写しているんだなと実感しました。

工作コーナーはですね、図工好きな人なら間違いなく興奮するような空間です。円形に並んだ木製の作業台、中央で円盤の上を回る数々の作品たち、自由に使っていい材料の宝庫……。探し絵本「ミッケ!」にありそうな非日常感に胸のときめきを抑えられません。

テーマは「未来で誰かを幸せにする商品を作ろう」。このテーマにそって想像力を膨らませ創造する。

この、想像し創造する作業が大人になった今いかに難しいかを痛感しました。材料選びでもどんな風に「使える」か「想定」してしまい、あれこれ迷っているそばで、小さな子どもたちはせっせと材料を集めては自分の作業台まで抱きしめ走っていく…。早速いろいろなものを触り作り、ああ、子どもってなんて自由に楽しそうに、ものを作るんだろう、と驚いてしまいました。私はこんなに打算的になって……。

でも、工作はやっぱり楽しい。目的があってそのために作ることはあっても、工作をすることが初めに決まっていてそれから目的を決めるということは本当にひさびさで。日常からしれっと無くなっていたのはこういうものだったんだなと実感しました。

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今月末には友人たちと京都大阪旅行です。

自分の心のままにときめき、大事なものを拾い集められる時間にできますように。

それでは、また。

歯の無いはなし

まいです、ごきげんよう❀

先日、親知らずを抜きました。

歯の無い話は、根も葉もないということではなくて本当に歯のお話ということです。

ですので、私の歯にご興味のない方はここらへんで読むのを控えることをおすすめします。

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さあ、何人の方が読んでいらっしゃるのでしょうか。

私は中学時代に歯科矯正をしていました。

一般的なものより、顎は小さく歯は大きい。それ、収まるはずないですよね。

そんな私の歯並びはとても悪く、上の前歯が出るのではなくて引っ込んでいました。歯科矯正をすることになった歯医者さんにも「40年は医者をやってきてこれは初めて見た…」と言われ絶望しました。

そんな素晴らしいほどずれた歯並びも、3年間で整ったのですが、それがなんと、当時いなかったはずの親知らずのためにまたズレてきてしまったのです。あのとき言ったのに…もう入らないよって…。

上の歯は、片側の歯1本に永久歯がないということで(そんなことあるんだと驚きました…)、左右非対称にならないよう反対側の犬歯も抜いていたため、親知らずでズレるということはありませんでした。

下の歯は、ありがたいことに生えそろっていたので親知らずの入る余地なく…。深いところから歯を押しどうにかして自分の場所を確保しようとしてくるもので、これは抜かなきゃということになりました。

私はなぜか親知らずを抜くことに人一倍恐怖心を抱いていたので、治療直前の血圧と心拍数を測った値を見た看護師さんに「いつもこんな感じの値ですか?」と言われてしまいました。私にとって親知らずを抜く日に「いつも」の感じでいることは不可能です。治療中は気持ちを落ち着かせるために、「こんなふうに様々な機器で治療してもらえることは幸せなんだ…贅沢なんだ…」とか「レミゼラブルのファンテーヌを思い出せ…。あれに比べたらこんなもの…」とかぶつぶつ心で唱えていました(笑)。治療自体は怖いだけで実際には痛くないのですが。

治療は口に効いた麻酔のおかげで痛くはありませんでしたが、そこからの数日間がやはり厳しいものでした(そして現在も)。「歯が神経に大分近いのでかなり腫れますよ」と言われ覚悟をしていたものの、「ちいかわ」並みに腫れました。一日目は特に痛みに苦しみましたが、あとは口が開かないし閉じないことに一番苦労しました。小さなスプーンを口に入れるのもやっとで、噛むことは基本的にできない、私の場合は喉の方も腫れたので飲み込むのも大変…少量の食事に一時間以上かかり「食べ疲れ」になるという…。

あらためて、「普通」にものを咀嚼し味わえること、ご飯を食べられることはありがたいことなんだな…と身に染みて感じました。元気になったら、ご飯を食べること、噛めることにもっと喜びを感じながら食事したいです。

そして愚かなことに、私は課題をこの期間でやろうと決めていました。歯が痛くて何もできないだろうし、さすがに塾のアルバイトもお休みをいただいていたので、課題に集中できるだろうと。

……間違いでした。締め切りがあるのでやらざるを得ないものの、歯痛の中の課題はつらい。。。なんで私健康な時にやっておかなかったんだーと、いつかのブログと同じ反省に至りました。

なんとか課題を終え、私にもようやく春休みが来ました。ようやくというか、大学生って休みが多すぎです。この時間を有効に、今の自分でしか味わえない感動のために謳歌したいと思います。

数日後にはもう片方の歯を抜く予定など…記憶の遥か彼方に添えて。

ハハ……。では。

癒しの猫たち

まいです、ごきげんよう❀

皆さん年末年始はいかがお過ごしでしたでしょうか。9日から大学が始まり、「あけましておめでとう」と言ってくれる方は大事には至らなかったのだろうなと察し安心します。我が家も無事でした。

今日は最近の私の癒しについてお話しします。

猫カフェというものを好きになりました。

私は基本的に赤ん坊と動物に好かれないのですが、猫カフェの猫さんたちは大人しく触らせてくれたので、そしてもしかすると喜んでくれていたので驚きました…!

猫は怯えながら触られるのが嫌いだそうなので(そりゃそうですが)、意を決して3度くらい機械的に撫でると、ほお、猫いいな、となりしばらく撫でていました。温かくてふわふわしててこの子たちは野生の猫からしたら宮廷の猫って感じかなと思ったりします。

猫の種類も沢山いてこんなに一匹一匹違うんだなと感心しました。首が長いのもいれば足が短いのもいて、勢い余るのもいれば静かなところを好むのもいる。ちなみに私は耳も足も短い猫さんが好きです。一生懸命歩いている(そして大して進んでいない)感じが可愛らしくてたまりません。騒ぎすぎない的なことが注意事項にあったのですが、本当に気づかないうちに声が出ていて、「きゃーかわいいこっち向いてー!向いてくれない〜きゃーかわいー!」みたいなことを叫びながらパシャパシャ写真を撮る有様…。暖かい視線を送ってくれる人たちは、初めて来たんだろうなあと思っていたことでしょう。その人たちの肩にはあまりにも自然に猫が乗っていました。それどうやったんですか…。

2回目は相方と行きました。相方は「ちょっと動物怖い」と言っていたのですが、私が「猫カフェ行きたいよね!」と繰り返すと「行きたい」と言い始めたので行きたかったのだと思います!(笑)

触るのは躊躇っていましたが想像以上に楽しんでいたようでした。

ですが不思議なことにだんだん相方の目は充血しくしゃみをし鼻水をかみ始め…。嫌な予感がして「まさか〜」と2人で笑っていたのですが、「いちお調べてみるわ!」と言って相方が携帯で調べると、そう、「猫アレルギー」の症状と全く同じだったのです。

猫と普段触れ合わないため本人も知らなかったようですが、突然アレルギーが発覚しショックを受けていました。

私は私でアレルギーを発症させてしまって可哀想やら、ちょっとおかしいやら複雑な気持ちになっていました。猫カフェ行って猫アレルギーって、そんなオチあるかいっという感じです。毛がない猫とかだったらどうなんだろう。スフィンクスカフェとかあるのかな。あったら楽しいのか…?猫特有のふわふわがない猫カフェ……。

それについてはじっくり考えてみようと思います。いったい猫の何が、我々をそこまで魅了し癒すのか。そこまでして相方を猫カフェに連れていく必要はあったのか。議題はつきません。

私が行ったのは「Cat Cafe MOFF」というところでした!みなさんもぜひ、行ってみてくださいね。アレルギーの方はくれぐれもお気をつけて。

裸の王様

マフラーを出す暇もなく冬季休暇に突入しました。

懐かしい友との会話は2時間とは思えないほどとても密度の濃いものでした。半年から1年に1度、会っては数時間語らう私の友です。

高校生の時はこんなふうに話したりはしなかったのに、どういうわけか深いところで分かり合える存在になっているのだから不思議です。

尊敬する友。

疲れるからと、考えないことを心がけているうちに考えなくなった私に、考えさせてくれる友。めずらしくおしゃべり屋の私に話せることがなく、あぁここ最近なんにも考えていなかったんだなと気が付きました。回転しない脳が少しずつ傷んでいく。それでも幸せならいいと思ったり、程度の加減が私にはとても難しい。

考えていないと楽。でもつまらない。

考えることは苦。でも少し待てば味が出る。

勇気をだしてブレーキを外してみると、案の定、身体中にかかる重力に押し潰されそうになり、李徴の夢を見るのです。

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まいです、ごきげんよう❀

先日、オラファー・エリアソンの美術展示を見に、麻布台へ行きました。

私はそれまで彼の作風を知りませんでしたが、そこでの出会いは衝撃的なものでした。

彼は環境保全に関心を持つ芸術家で、その作品は常にアイディアを伝える手段になっています。例えば、黒い紙に塩水を垂らし大自然の中に置く。そうすると、好きに踊る風の様子が塩の結晶となって浮かび上がる。彼はそれを「風の記述」と名づける。

例えば、何千年も凍り続ける古代の氷を採取し紙の上に置く。すると紙の上で古代から現在への時が流れる。そしてそのひとつの氷片が、温暖化する地球を内包していたことに我々は気がつく。

こんなふうに、エリアソンの作品は、彼のものであって彼のものではない。彼は道具を作っているだけで描いているのはネイチャーなのです。

実際にそのような作品を生み出すための機械(道具)も展示されていました。こっちが彼の作品なんだ、と初めは驚きました。

美術のスタッフさんに聞いてみると、「周りにある幾何学的な模様はここのスタッフがこれ(道具)に描かせたものです」なんて普通に言います。

常に、唯一無二の自然の姿。止まっているようにもあるいは無いようにも感じるそれらは常に動いていてエネルギーがある。それを芸術という形で目に見えるようにしているのが、オラファー・エリアソンです。

彼の作品を見たあとは世界の見え方が変わります。有無を意識してもいなかった世界に、なにか大きなものが見えてきます。彼の1番の功績は間違いなく、その“気づき”を与えたことです。知らないことと知ることは本当に1歩の差だけれど、その1歩で世界が変わるかもしれない。そう思うと、私が払った費用はなんて安いものだろうと感じました。それでも人は無知であることを、わかっていなければいけませんが。

あ、ひとつお伝えしておくと、サプライズを企画されていたことを「知る」のは最悪です。本当に「知る」と「知らない」で世界が180度違います。高校の卒業式の日、クラスのみんなから私へサプライズを企画してもらっていたようなのですが、ひょんなことで(というか友人のミスで)知ってしまい……いや、本当に本当に頭を打ってでもして記憶を消したいと思いました。ああ、ついさっきまであったはずの私の純粋な喜びと驚き。私は卒業という別れの日にクラスみんなに対して偽りの演技を…驚きの演技を…喜びの、ああー…。

話がずれました。

エリアソンによる「知」は私にとってはとても美しいものでした。みなさんもぜひ足を運んでみてくださいね。

それでは、また。良いお年を。

空が青いということ

まいです、ごきげんよう❀

風邪をひきました。特に面倒な鼻風邪です。

息苦しいし頭はぼんやりするし、油断すると喉にまでやってくるので鼻風邪はとても嫌なのですが、ひかないぞ!と覚悟を決めていてもなってしまったのだからもう仕方ありません。

体調を崩すといつも思うのが、課題などのやるべきことは健康な時にやっておいた方がいいということ。元気な時に自分の健やさを意識することは簡単ではないので、どうしようかな。未来の健康な自分宛に不健康な自分からのダイイングメッセージ的なのを残しておこうかな。「ヤルナラ、イマダ…」。

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先日、とある公民館で開催された「はだしのゲン」の上映会に参加してきました。以前のブログで「人権について考える上映会」のお話をしましたがそれとは全く別です。ただ、私以外の来場者の平均年齢が6、70歳くらいだろうという点では同じでした。 

高齢の方が開催する、このような企画は、だからこそ若者が足を運ぶべきだと思うのです。もちろん若者という記号としてではなく、興味のもとで参加したわけですが。

「はだしのゲン」の漫画は我が家に揃っているのですが、アニメーションの映画は通して観たことがありませんでした。映画が描いているのは、漫画の序章にあたる部分ぐらいで(ジブリの「ナウシカ」と同じ感じです。映画になっているのは漫画の序章に過ぎないですよね)、広島原爆投下の数日前から投下後の数日間の「ゲン」周辺の出来事が語られています。「はだしのゲン」と言えば、原爆投下時の非常にリアルで惨たらしいシーンが有名だと思いますが、その情報だけで“怖い映画(ましてや教育に悪い映画など)”と思ってしまうのはよろしくありません。もっとストーリーが、人間のドラマがあって、そして必ず「こども」という、未来を期待する強い命があって。悲しさ辛さだけではない、希望や勇気といった純粋なものが一貫してあります。

日本の図書館で「はだしのゲン」の漫画が閉架書架という学生が自由に立ち入ることのできない棚にしまわれるなどの傾向が問題視されていますが、学生の私からしたら「読みたくないものは別に手に取らないのでとりあえず選択肢を減らさないで欲しい」と思います。手に取る前に、それを知る手段そのものが断たれたら、それって検閲じゃないですか。自由に見えて実は造られた鳥かごの中にいるだなんて思ったら何を信じたらいいんですか。「トゥルーマン・ショー」じゃないんだから。

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約1時間半の映画ですが、私はもう開始数分の、(映画の本編の中では比較的)平和な日常シーンから涙が止まりませんでした。主人公の少年ゲンとその弟が仲良く追いかけっこしているのですが、遊んでいるように見えて1つの痩せたサツマイモを取り合っているのです。2人はいつも元気に帰宅し「おなかすいたあ!」と言いますが、「はいはい、どうぞ」などと出されるご飯はありません。お腹の赤ん坊のためにと魚を食べさせてもらうお母さんは、甘えてくる子どもの、「残った魚の骨ちょうだい」という囁きに絶句し涙してしまいます。

「アンパンマン」の作者で知られるやなせたかしさんが、“これからのこどもたちにはあんなひもじい思いをさせたくないという気持ちから「アンパンマン」を描いた”という話もありますが、本当に「飢え」というものはなんて残酷なものでしょう。兵隊も市民も、多くの人たちが飢えに苦しみ、そして飢えのために人間らしい思考をなくし狂っていく。争いという、愛を欠いた過ちの向こうにどんな勝利の幻影が繰り返されるのか。物を壊し文化が潰れ、生ける人々は人間味を失い、狂い、乱れ、絶望と憎しみを生み、静まった時。さて、ここになにがあるというのですか。何も無いことを幸せに思うのですか。

自分を生きることはそんなに簡単じゃないでしょう。それなのになぜそんなことをしていられるのですか。そんな時間も力も、人間にはないでしょう。

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エーミールの蝶と同じ。美しいものを支配したいという欲に取り憑かれ、そして握りつぶしてしまったら意味がない。力を加減しなくては、欲しいものも壊しては、意味が無い。一体なにが欲しかったのですか。

誰しも乳飲み子だった時代がある。それは幾年も変わらないというのに、なぜ人はこうも忘却し想像力に欠けるのか。

もっと素直に息をし、食べたいと思い、眠りたいと願い、明日を祈り、夢を見て、歌い、愛するということをしないのか。

自分を生きるということはそう簡単じゃない。

青い空がある。

不安げな顔が映っている。

大きく映っている。

青い空がただ青いだけでいられないのは

自然なことではない。

イレギュラー

まいです、ごきげんよう❀

日は4時台に暮れ、まだ授業があるのにもうベッドに入るくらい夜になった気がしてしまいます。今、目の前には紺色の空に黄色い月が、振り返れば滲んだ夕焼けがあります。ちらちらと顔を上げると、その度に月の位置は高くなっているのですが、いったいいつの間に昇っているのでしょう。じーっと見ていると動く様子はないので、目を逸らしている隙にスっと北極星の方向へスライドしているに違いありません。ほら、たった今さっきまで電線の影が月に重なっていたのにもう電線を避けている。

月を見ると、なんとか、今年の秋を感じることができますが、やはり今年はいつものような哀愁がたりません。随分と長いこと暑い日が続き、と思うと息が白く凍る日があったので、上野では桜が狂い咲き、紅葉は色づいていくことなく疲れたように枯れてしまいました。

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今月の半ば、相方とともに長瀞旅行をして参りました。予定していたのはライン下り、ロープウェイ、紅葉公園お散歩、川辺のお散歩……ともしかすると若者らしくないのんびりプランでしたが、問題はお天気でした。私、“小雨女”なんです。「雨女」でもなく「雪女」でもなく「小雨女」。私が前々から予定していたお出かけなどはたいてい小雨が降る。そして週間予報も──なぜかピンポイントにそこだけ──雨。

幸い、雨は自宅を出る際に地元で小雨が降っていた程度で、長瀞に着くと一日目は曇りで済みました。ライン下りは天気が良い方が楽しいはずなので、次の日が晴れると期待して一日目は岩畳を散策し、お蕎麦を食べ、ロープウェイで山を登りました。紅葉はあまりしておらず、かといって青々ともしていない…。木々は見頃ではありませんでしたが、標高が高いとその分空気は透き通り、電光も目立たない落ち着いた景色になります。

ところで相方と私は高校が一緒でした。たまたま遠足で長瀞に行き当時の写真があったため、相方を同じ場所に置き写真を撮りました。高校一年生の頃は“かわいいキャラ”で行こうとしていた相方はとても背が低かったのですが、“かわいいキャラ”はあっさり卒業(失敗?)し、今ではすっかり後ろの看板を隠してしまうほどに成長。親でなくともビフォアフターを見て、成長したなあと感心してしまったものです。

一日目の目玉であったロープウェイは2人で乗るもの(観覧車的なもの)を想像してしまっていたのですが、まさかの50人乗れるということでこちらもまさかの“立ち”で乗ることになりました。ゆったり紅葉を見ながらお話するという計画はおろか、まさか満員電車状態になるとは思いもよりませんでした(笑)。

次の日。念願の太陽光を浴びることが出来ました…!小雨女の名を早く捨てたいものです。ライン下りは川の水が少なくいつもよりスリルが足りないとの事でしたが、ロープウェイで体験するはずだった「ゆったり」を、こちらで体験することが出来ました。日焼けで黒光りしたおじさんが船をめいっぱい漕ぎ、語尾が「なんだあ⤴︎」と必ず上がり調子になりながら長瀞の豆知識を語ってくれる様子がとても格好よく印象に残っています。高速道路が発展したことで、観光客が増えても、宿泊客が減ってしまったそうです。日帰りできてしまうからですね。そういえば長瀞の森の中では、かつて栄えてたことが伺える派手な宿の看板などが錆びているのをいくつも見かけました。

帰る前に食べた天ぷらの油にあたったのか、自分史上トップレベルの腹痛に襲われ1時間に1本の秩父鉄道を泣く泣く途中で降りたことについては多くは語りません。終わり良ければ…の逆だったような気もしますが、相方がいたので良しとします。待ち時間で相方に「ちいかわ」を布教しました。……つまり、ここに関しては書くことがありません(笑)。

私たちはなぜか格好つかないのがいつものお約束です。まあ平和ならいいですね。驚かれるとは思いますが、今年の紅葉はあまり綺麗さを楽しむことはできないというのが、このブログの結論です。

……

それでは。

地名と物語

まいです、ごきげんよう❀

こちらのブログの中で「私の父は“満員電車は魂のぶつかり合いだ”と言っている」という記事を見かけました。すごい。

私はその「魂のぶつかり合い」にあっさり負けるタイプなので、満員電車は耐えられません。満員電車で酸欠になり人生で初めて走馬灯を見た日から、電車は座っていないと不安になるようになりました。そのため今は、一限のある日のみ定期券外ですが空いている路線で行っています。そういえば先程ちらっと出た走馬灯の話ですが、それは、これまでの経験の中から生き残る術を探す本能なのだと何処かで聞いたことがありますが、これはどうやら本当です。私が電車で気絶しかけたときも、(小学校のマラソンの後に倒れた時はどうやって死なずに済んだんだっけ…)というようにこれまでの「具合悪くなったけど生き残った経験」が次々と脳裏に浮かびました。

みなさんも降りれない電車内で具合が悪くなった時は、勇気をだして言ってみましょう、「誰か席を変わってください」と。先日はそれでなんとか乗り切れました。絶対変わってくれる人がいます。

*****

前述の通り、いつもと違う電車に乗ると聞き馴染みのない駅名が耳に残ります。なんでこういう名前になったんだろう。どういう意味だろう。駅名、地名、その何気ない疑問から物語を立ち上げてみるとおもしろいものです。

ということで、どうぞ、「水射る青年」。

 左腕を地面と平行になるように真っ直ぐと持ち上げ、肩甲骨の高さが一直線になるように反対の腕も持ち上げる。首を伸ばし胸を開くように力一杯腕を引くと反発しようとする力がギリギリと二の腕の筋に響いてく。その力が限界まできた瞬間手を開く。ヒュッと鋭い音を立てた矢が冷えた空気を切り裂くように飛んでいく。

 走る男の足の裏から土煙が立っては風に散らされていく。かき分けたススキの中に黄金がかった緑色の物体が艶としている。
よし、と口内でつぶやく。矢を引き抜くと、男は雉の脚をちょうど爪同士が当たるようにして握り持ち上げた。そのまま歩こうとすると皮の伸びきった首がぶらぶらと揺れ嘴がふくらはぎを薄く引っ掻くので、やはり両手で抱えることにする。でかい男の汗ばんだ胸に首をもたげてる雉のそれは、まるで人間の赤子のようだった。
帰路の途中、男は妙なものを見た。土手に誰かがしゃがんでいる。その誰かは足元にあった弓を手にするとすくと立ち上がり、突然水面に向かって矢を放った。魚を捕る仕草ではない。奇妙なやつだと思いながら男はその場を後にした。

 家に戻ると、男は思わずため息をついた。乾いた泥がこびりついた床、根がちぎれて無惨に転がる植物の遺体。ちょうど一ヶ月ほど前にこの村を襲った暴風雨による被害跡である。この村には年に一度か二度、暴風雨が訪れる。そして必ず近くの川が氾濫し村人の生活は泥まみれになる。土地を離れさえすればいいと去っていく者もいるが、生まれ故郷を捨てるということは、この家を離れるということは、実際は簡単なことではない。
 本来ならあるはずの戸は下の方が腐って外れたため、この家は吹き抜け状態である。捕ってきた雉をどさっと前へ投げ置くと、男はしばらく眠りについた。

 何日かすぎて、男はまた狩りに出かけた。ここ最近にしては暖かいからか、人通りが比較的多い。すると見知らぬ子どもが3人、おじさーん!と黄色い声で叫びながら男のもとへかけてきた。
「おじさん弓もってる。もしかしてあのオトコのこと知ってる?」
「あの男って誰だ」
「ほら!あのひとだよ!」
子どもが一斉に指さした先はいつもの土手だった。よく見るとそこに一人の青年がいる。先日の雉狩りの帰りに、男が見かけた「誰か」であった。
「知らないなあ。でもどうしてそんなことを聞くんだい」
「だってあいつヘンなんだよー」
「いつも水に映る自分に向かって矢を放つんだっ」
「自分のことをテキだと思ってるんだよねきっと!」
子どもたちは自分たちの言ったことになぜか大笑いをしながら、じゃあねーと走って行った。男はその青年が水に向かって弓を引く真剣な眼差しを見た。あの目を知っている。あれは狩人の目だ。あいつはふざけたやつなんかじゃない。

 それから男は毎日あの土手を見に行った。見に行けば必ずあの青年がいる。そしていつも、真剣な目で水面を睨んでいる。
そうして一年近く経ったある日、その青年は突然姿をあらわさなくなった。朝見ても夜見てもその姿はどこにもない。それが数日続けば男もすっかりその青年のことなど忘れてしまった。それより、間近にせまるあの暴風雨の到来に怯えていた。
 だがどうだろう。今年の暴風雨はいたって軽く、川の氾濫はおろか、少しの濁りさえなかった。次の年も、その次の年も、あの恐怖は訪れない。村は少しづつ、発展していった。

 村が以前より大きくなりにぎやかになると、村に新たに名前をつけようということになった。話し合いの場に男は弓を片手に立ち寄った。いくつもの声がいくつもの案を投げる。その時、ある老人のつぶやきが男の眼を覚まさせた。
「この村がこのように発展したのは、繰り返されていた災害がなくなったからだ。あの川にいた疫病神を、誰かが射抜いたのだろうねえ。」
男の脳裏にあの青年の横顔が浮かぶ。

——よって、この村の名はいみず、射るに水と書いて射水とする。


富山県射水市

それぞれのハロウィン

ハッピーハロウィン!

……原型がお盆であることを思うとなんだか奇妙な気がします。そうは言ったものよ私周辺では、10月31日は実質お菓子の日。「トリックオアトリート」の「トリック」はさておいて、「トリート〜♪」と言いながらお菓子を渡し合う新たなイベントが誕生しました。「トリート調達しないと!」「一方通行トリートだけどごめんね」という言葉が、まるで何年も使い馴染まれた言葉のように飛び交うのが、我々の日常であります。

まいです、ごきげんよう❀皆さんはハロウィンと聞いて何を思い出すでしょうか。

小学生の私は、「子ども会」という地域の会が開くハロウィンイベントを毎年楽しみにしていました。百均で買ったマントとハットで魔女になった次の年、手作りのカチューシャと矢印型のしっぽで小悪魔になり、小学5年生になると、いよいよ器用な母親を召喚し赤ずきんの衣装を作らせ、次の年はアリスを作っていただきました…笑 途中からおとぎ話になっていることの指摘はよしてください。ビジュアルを大事に思うお年頃だったのでしょう。(写真に残っている私は、“パン食い競走”のように吊るされたお菓子に、信じられないほど全力で食らいつくという、ありえないアリスの姿で写っています。友だちはちゃっかり隣で控えめのピースをしているというのに…。)

ちなみに二十歳を過ぎた今年は、相方とカボチャのお菓子でも作ろうとしていたのですが、11月に延期になるという始末…。

ここ10数年間の私のハロウィンで一貫していることといえば、「もはや10月31日にこだわっていないこと」と「お菓子イベントだと思い込んでいること」の2点だと思います。 

そういえば今年は例のメープルクッキーを食べてないなあ。カナダとKALDIに売っているので、どちらか近い方で買ってこようと思います。

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さて、今年の10月31日は火曜日でしたね!

私は三限までの授業を終えた後、六本木ヒルズの「ブラック・ジャック展」を訪れました。贅沢なほど数々の漫画の原稿、手塚治虫の医学生時代のノートなど、見応えのあるものばかりでした。森ビルの52階で開催されていて、ご存知の方はおわかりになると思いますが、あそこはあまり広くないんです。ですがその中にしきつめられた沢山の資料を見ているとみっちり二時間は、経過してしまいます。

手塚治虫ならではの、愛らしいイラストと、医師免許を持った彼だからこそ描ける専門的なストーリー、命に対する問や葛藤はいつの時代の人の心にも刺さる重たくそして鋭いものがあります。

どうしてもハロウィンと結びつけると、ブラック・ジャックはちょっと仮装みたいです。

今年のハロウィン(当日)はいつもとは一味違うものになりました。

言ってしまえば、今日だって明日だって自分しだいで記念日になる。

オリジナルイベントいっぱいの幸せな大学生活を送りたいです。