エロスの走性

ご無沙汰しております、みちるです。

 

金の使い方が下手なんです。

「給料日から数日でもうこんなことに……何をしたらこうも減るのかしらん」

 

入ってきたと思った矢先ひと息に引き出すものだから、多分銀行口座の残高が片方に寄っちゃってる。
自分でも何をどうしたら4日で既に入った給料が半分になっているのかよくわかっていないけれど、おそらく私は金を持つのがあまり好きでない。
嘘を吐けよ……とお思いのあなたもよく考えてみてほしい。金を使うことと金を持つこと、豊かになることと金持ちになること、それぞれの間には大きな溝がある。私はといえば、金を使うことに関しては人並みに好きらしいがしかし金を持ってはいられないのだと思います。
筆者は実家暮らしであるから、たとえ財布の中身がカードとレシートだけになったとしてもすぐさま死ぬということはなさそう。しかしこのままではジュースの一本、それよりも煙草の一箱も買えないとなってくると「いよいよだ……」と血の気が引いてくることもなくはない。なくはないのだけど、そういった局面になってきてからようやく熟考して金を使うようになる。


わかりますか、こんなのはいけません。困ってしまいます。逆を考えれば、懐に余裕がある時にはとくによく検討することなく金を使ってしまうということでしょう。でしょうって、何を他人事みたいに……。何に惹かれるか、何を必要とするかは私の懐具合というよりむしろ私自身によって決定されているため、実際月の何時頃だろうと大きく時期を逸しなければ欲するものはあまり変わらないような気がします。ただそうした対象は常に自分の持っている数字と照らして、つまりいったんは検討して交換されるべきものだというのが通説ですから、金を持っている(といったって当社比である、相対的にはとくに金持ちでも何でもないんだから)タイミングの私は端的に浅慮であるといえる。皆さんからすれば”浅い”んですね。

因みに今月はここからシーシャ台の購入を検討しているので、当初ひっそり目標にしていた貯金はどうやら達成できそうにありません……。定期代を親から受け取っているのにもかかわらず毎月毎月給料日前の「冷や汗期」をしのぐのに使ってしまうので、給料日ちょうどに通学定期を買い、そして残りは書籍代や嗜好品代やタクシー代となる。しかも貯金って金を持つことですから、アタシ、苦手なのよね。なんとなく給料日前に残高が潤っていると「使い切らなくちゃ」という気分になる。
(これでギャンブルとかやっていたら歩く厄災なのですが、時間がないのでやっていません。ギリギリセーフですね。)

 

――お前、頭悪いのか――

 

あなた、私のお財布を管理してください。そういう人を募集しているので。

 

(間奏)

 

エロティシズムと死の肉薄は明白に示されていながら、死がエロティシズムの極点でないこともまた同様の程度によく示されている。
といった話から始めようとしたけれど、自分の名前がない短歌の詠草をみていろいろのことがいやになってしまった。どうしても失敗できない発表を控えてその準備が終わっておらず、加えて或る事情のためその日の歌会は犠牲にした。なので当然今回の詠草に自分の歌はない。
自分で休んでおいて何を言うかと思われるだろうが、これは大変に不思議な感じがする。というのも、これがずっと整うべく待たれてきた土台である気がしてならないのである。自分の歌が組み込まれた詠草――勿論詠草に限らない、例えば自分の記事が載った機関誌や、自分のレポートが載った研究冊子などオムニバスめいたものは特に――は既に疑似的なセックスの場であり、そこに対して我々はもはや鑑賞者となる以上の立場を持たないし持とうとも思わない。しかし自分の歌が載っていない――載ることも可能であったと考えられるのに、である――詠草を目の前にしたとき、一瞬だけ、私は合理性の彼岸へ立った。同時にすべて目的論的に規定されていると考えられているものはその素体を鮮明に暴き出され、普段想像も出来ないような事柄が浮かんでは消え、消えては浮かんだ。
崇高なものの多くは”不調和”と思われながらにして実際は”調和”であったためにその恐ろしさと崇高さとを喪失し、奴隷の少年や乱れ髪の娼婦や靴磨きの男は艶めいてその脳や子宮や心臓や種々の肉器官を私に「召し上がれ」と言って差し出してくれた。愛する人は色々の方法で死んでは生き返り、生きては死に返り、その度私はありもしなさそうな死の後をまたしても鮮明に想像してすすり泣いた。鼻血が出て、何度も胃をひっくり返した。この手紙は、そうしたあとの文章なのです。死なないでいて、と言えずに、誰のものとも知れないで赤い断面を見せつける手首の写真で平素の拍動を取り戻した。

見えなかったものが見えるのは、調和が見えるのは、無限なものの一部を我々が分有するためである。しかしそうであれば我々の有限性をルドヴィコ法の治療のように目を開かせて見せつけるエロティシズムの機能は克服されるべきものなのだろうか。否、そうでないことはここまでの記述で明らかであるはずでしょう。エロティシズムはその機能が働くという事実によって我々の有限性を証明しながら、その機能によって我々が無限なものの一部を腹の奥にしまっていることをわからせる。有限と無限、不調和と調和、そうした両義性に一瞬でも我々を辿り着かせるのがエロティシズムである。

 

[少し先取りしすぎだったみたいだけど……君らの子供にはウケる。]

先取りなんかじゃあないけどね。もう幾世紀も前から真理は見えていたんだから。

 

そのとき私は詠草と一つになりたかった。
他なるものへの走性。性的なものやそうでなさそうなもの、崇高なものや卑近なもの、聖なるものや俗なもの、自分を感じさせるものや感じさせないもの、への走性。エロティシズムは我々の走性から生じている――さしずめそれはサヴァランが指摘した生殖感覚と、あとは一般的に言われる屈曲走性との関わりのうちにある事柄ではなかろうか。
私は詠草のうちに自分がみとめられないという観測結果からエロティシズムを感得したのであり、詠草それ自体から感得したとは中々胸を張って言いづらい部分がある。だからなんだという話なんですけれども。ああまた気持ち悪くなってきた。どうやら心身は養いと休みによって確実に回復するものでもないらしいと最近よくわからされる、養いや休みにもストレスがあり、負い目がある。疚しさの大部分はもう克服しかけていると言えるけれど、世界に疚しさがある限りその連関のうちにある私もまたその疚しさの影響を受けずにはいられないからもうたくさんなんだ。

 

君たちのせいですよ、そんなに「責任」という言葉が好きなら、責任もって私を愛しなさい。私に引き上げられなさい。私を生かしてみせなさい。そんなこともできないからいつまで経っても手紙が届かないんじゃないの。
ねえ、どうなの。
みちる。
答えて――

 
届いているの。
誤魔化さないで聴いてね、次のナンバーは――
 

 

またお手紙書きますね、大好きです。    みちる

ぽつりぽつり

ぽつり 雫がおちた

ぽつりぽつり まだ大丈夫

ぽつぽつぽつ そろそろさそうか


ぱらぱら あの傘かわいいなぁ

ぱらぱらぱら 視界がわるくなってきた

ぱらぱらぱらぱら 白いモヤみたい


ザーッ おお、本降りだ

ザザーッ 長靴でよかった

ザザザーッ 逆にテンション上がるかも


ゴゴーッ

ゴゴゴーッ ピカッ

ガラガラドッシャッン

あ、雷おちた


しとしとしと おやおや

しとしと やんできたかな?

しと

虹だ



*****


だいふくです。
13日、今日はいいお天気でした。

私は晴れの日が大好きです。
太陽の光を浴びるだけで目が覚めて、元気になります。

一方で、嵐も大好きです。
ザーザー降りの雨。轟く雷。
どうしてあんなに興奮するんでしょう。
もちろん洪水など災害はいやです。
そうならない程度に短く激しく降ってほしい。

長くゆっくり降る雨も。
それはそれでにぎやかな音が聞こえてきます。
傘がカラフルなのも楽しい。
あの傘かわいいなぁ。どこに売ってるんだろうって勝手に想像して。

一番困るのは霧雨。
どれだけ傘をさしても、カッパを着ても、細かい霧で全身じっとり。
どうせなら思いっきりふってくれ、なんて思っています。

雨が降ると、音も傘の色も楽しめますが、匂いも楽しめます。
土の匂い。草の匂い。

特に雨上がりの匂いは好きですね。
洗濯物の生乾き臭ではありませんよ。
雨くさいというよりは、少し雨が残ったような夏っぽい匂い。

私は夏が大好きです。
理由は雨があがったら書きましょう。

明日は曇りのち雨ですか?
天気予報が外れることもありますが、どうしようもないので折りたたみ傘を持っていきましょう。
雨模様の空に映えるように、カラフルな、お気に入りの傘を。
最近かわいい色のカッパも買ったんです。

空が暗いなら、自分が明るくなればいいじゃん。
憂うつなら憂うつで、そんな日もいいじゃん。

私の心も天気と同じで変わりやすいですが。
まあそれもよしってことで。

雨が降っても空が晴れても、皆さんにステキなことがありますように。

計画性の無い話

こんにちは、とみーです。
最近、雨が降ったり降らなかったりで一喜一憂しております。雨の音や雰囲気は好きですが、自転車民の敵なのです。カッパを着て全身ビッチャビチャになること必須なので、それが嫌なんですよね。
しかも携帯必須の折り畳み傘は、春あたりに使ったまま干すのを忘れ、さびっさびになってしまいました。高校の卒業記念品なのに…。

さて。皆さんは計画性ってありますか?
私は無いんですよね。直したいところの一つです。締め切りや期限は守れるのですが、期間が長すぎたり”いつでもいいよ”案件は一生終わりません。タイムスケジュールの自己管理も致命的なくらいできない。よくある15分刻みで~とかマーカーでスケジュールを塗りつぶす~とかも一通り試して、一日坊主。チャランポラン…。

けれども、学校の通知表は”しっかり者”という言葉が必ず書かれており、普段を知る家族はいつも首を傾げていました。実は、組織で動くときはカッチカチにしっかり動ける人になるんです!人の足を引っ張りたくないし、人に誇れる状態でいたいので!!
個人で動くときって、「私ができなくて不利益被るのは私だけだしな…」という甘えが出るんですよ~~!!!ハリボテの見栄っ張りって嫌ですね!!!

この頃、自己肯定感バリ高の「自分に誇れる自分」であることに拘るカッコイイ女の子とよく通話しており、彼女を通して自分の在り方を考えさせられます。根底が真逆すぎて、逆に歯車がメチャメチャ合います。どんどん自分を高める友人は輝いていて、かっこよくて大好きです。同時に、自分は絶対にそうなれないと思います。そういう彼女を支えられる側の人間になれたら嬉しいな~という思考になるんですよね。きっと、そういう人と絡む状態だったら、一生しっかり者のままだと思います。(甘えるな!!!一人でもしっかりしろ!!)

ダメな部分は直さなきゃですね。「自分に誇れる自分」タイプの成分をちょっとずつ取り込んで、根本から強くなりたいと思うのです。
皆さんは自分をどんなタイプの人間だと思いますか? 自分のダメな部分・良い部分って結構如実に性質と結びついています。1~3年生の間にちょっと向き合っていると、就活のときに考えることが整理されるので、やっておくとよいかもしれません。

それでは、また。


“無意識”の力。

こんにちは、あこです。

関東甲信は梅雨入りしたというのに、カンカン照りの日が多くて困ります。日傘を持って行くか、雨用の折り畳み傘を持って行くか。迷った挙句、雨用の折り畳み傘を常備し、晴れた場合には雨用の折り畳み傘を日傘として使うことにしました。果たして、意味はあるのでしょうか…(笑)

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5月下旬から6月上旬にかけて、自身のタスクと家庭のハプニングが重なって、精神的にも体力的にもギリギリを生きていました。何をするにも上手くいかなくて、どうしたらこの状況から脱することができるのか分からなくなって、久しぶりに「もう無理かも」と思ってしまいました。

ですが、ひょんなことから精神的に回復し、「もう無理状態」から抜け出すことになります。

では、「ひょんなこと」とは何か。

それは、アルバイト先(個別指導塾)の先生の冗談です。

今月から私の弟も同じ職場で働くことになり、名字が同じで紛らわしいということで、弟の名前は「名字+名前の1文字目の漢字」で記すことになりました。(名字が「日文」で名前が「花子」の場合、「日文(花)」)

すると、名前の1文字目の漢字が「真」である弟は、「〇〇(真)」となります。

それを見た先生がひっそりと、「あこ先生、あこ先生。このままだとあこ先生がニセモノになっちゃいますよ」と言ったのです。(*「真」と「偽・贋」は対の関係)

正直、くだらないです。でも、言い方と状況と全てがおかしくて、思わず笑ってしまいました。

すると気分が軽くなって、その日の夜は「今日は良い日だったな」と思いながら眠りにつくことができました。

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人は、言葉によって無意識のうちに他人を救うことがあると思います。

もちろん逆も然りです。

小学生の時に、クラスの男子に「あこは見た目も頭脳も運動神経も全て”普通”だからな」と言われ、そんなわけないだろうと思いました。少なくとも、自分は頭が良いんだと。頭脳だけは”普通”のはずがない、と。

しかし、中学に入学すると、彼の言葉が本当だったことに気付かされました。初めての成績表は、”普通”と更に下の数字ばかり。今思えば、”普通”にすらなれていませんでした。

それ以外に自分の強みがあるわけでもなく、自分にあるのは”中”と”中の下”の成績のみ。

絵は描けない、字は汚い、楽器は弾けない、歌は下手、スポーツはできない、リーダーシップはない。得意なことも、趣味も、誇れることも、ありませんでした。

「挫折」とまではいかないけれど、「自分は特別じゃない」と思うには、十分すぎる経験でした。

*****

それからというもの、私は”普通”とか、(上中下の)”中”とか”二流”という言葉に過敏になりました。そして、残念ながら今も、そのしがらみから逃れることはできていません。

“普通”でいたくない、”特別”になりたい、と思う一方で、「どうせ自分は”中”だし」「頑張ったって、”一流”には手が届かない」と、自分を諦めています。でも、正確には諦めていなくて、というより、諦めきれなくて、もがいてもがいてもがいている。それでも抜け出せないから、諦めていると自分に言い聞かせて、傷つかないように守っている。でも、そんな嘘っぱちな慰めなんて、何にも役に立たない。何の意味も、何の効果もないから、しっかり傷つく。

努力するしかないって、わかってる。

行動しないと変われないって、わかってる。

意識から変えないといけないって、わかってる。

何もかもがわかりすぎて、でも本当はわかっていないから、私はまだ抜け出せていません。

*****

「あなたの言葉にずーっと傷ついてきた」「あなたのせいよ」なんて、彼を責めるつもりは毛頭ないし、彼に非がないのは誰の目にも明らかです。

私が勝手に「私は”普通”じゃない。」と反駁して、”普通”に打ちのめされて、彼の言葉を言い訳にしているだけですから。

それに、どんな時にも自分はどうせ”普通”だと思う私は、ある意味では傲慢です。

明らかに”普通”以下の時にも「自分は”普通”」だと思っているのですから。

だって、彼は私の「すべてが」普通だと言ったから。

彼の言葉は私を苦しめる一方で、私を救ってもいるようです。

大丈夫、私は”普通”、と。

*****

私たちは、無意識のうちに他人を救い、他人を傷つけています。

でも、その「無意識」にこそ、生きている意味があるのだと思います。

意識的に人を救うことはもちろん素晴らしいことだし、意識的に人を傷つけることは許されることではありません。

でも、意識的に人を救うことは難しいけれど、無意識的に他人を救っているかもしれない。

例のバイト先の先生も、あのくだらない冗談(←失礼)が、私を救ったとは思いもよらないでしょう。

意識的に人を傷つけることは避けられるかもしれないけれど、無意識的に他人を傷つけているかもしれない。

もちろん無意識だったとしても人を傷つけることが「悪」であることに変わりはありませんが、それだけ私たちが周囲に対する「影響力」を持っているということだと思います。誰にも影響を与えない、害も利益も与えない人なんて、いないのではないでしょうか。

自分の存在価値なんてわからないけれど、誰かを傷つける可能性と誰かを救う可能性がある限り、そこに私たちが生きている意味があるのだと思います。

たくさんの人を傷つけて、救って、生きてきたから。たくさんの人に傷つけられて、救われて生きてきたから。

全ての人に感謝と謝罪を込めて。

それでは、また。

梅雨だから、勧誘します。

こんばんは、まなです。梅雨入りしたらしいですね。梅雨はいい加減、暑いのか寒いのか、はっきりしてください。早く堂々と半袖が着たいです。でも暑くはならないでほしい矛盾。

こんな鬱々とした日々の清涼剤、それはまさしく創作。そして創作自主ゼミの活動。この流れるような、しかしながら脈絡の無い勧誘、発足会のある4月かそこらにやるべきでした。すみません。でもこの間の活動が楽しかったので勧誘がてら活動内容をつらつら書いていきます。

創作自主ゼミは(恐らく)他の自主ゼミよりもゆるやかな活動をしていると思います。他の自主ゼミと兼ねて所属できるくらいのゆるやかさです。何だったら、過去に日本文学科以外の学生が所属していた程のゆるやかさです(本当)。『国文目白』に掲載する都合などからテーマを決めることもありますが、基本的に各自で自由な作品制作を行っています。現在はオンラインで活動をしています! 先週は少し時期を先取って、お題となる線香花火の写真から発想を得つつ「男女」という縛りをかけて作品を制作した後、通話アプリを用いて鑑賞会をしました! 同じお題であっても提出された作品群はまさに三者三様で、書く人によってこれだけの違いが出るものなんだなと感激。読んでいるだけで幸せな気持ちになれました。鑑賞会の際にはそれぞれの作品に対して感想を言い合うのも楽しみの一つです。自分の作品に対する意見を言われますから、毎度ドキドキするのですが、良い反応が貰えるとそれだけで、その人が自分の発露したものと重なってくれた実感と喜びがこみ上げてくるのです。

創作をしてみたい。創作を一人で楽しむことから一歩踏み出したい。そういう学科生の方に寄り添う場所の一つの選択肢として、創作自主ゼミの存在が頭の隅にでも留まってくだされば幸いです。

自分の投稿に限って言うことですが、突然掌編を投稿することがあったら、「あ、この人また創作の勧誘してるな」と思ってください。近々またやる予定です。次回はそこそこ長くなるかもしれませんが、見逃してください。

それでは、また。

梅雨の贅沢☂

宝石みたいな雨雫が贅沢に降ってきて、1色1色微妙にまじりあい滲みながら染まっていった、花束みたいなあじさい。紫の陽に濡れてしっとりと涙を流す、花束みたいなあじさい。ぱらぱらあまつぶを弾いていく葉の上に、弾かれずぺっとりと張り付く薄茶のカタツムリ。
カタツムリたちの会話には、「殻を破って自分をさらけ出せ」なんて言葉はないんだろうなとかなんとか思いながら、私は水溜まりを見る。正確には水溜まりに浮かんでいる螺旋の連鎖を見ていた。どうしていくつもの円がどれも同じように生まれて、広がって消えて、また生まれて重なって離れていくんだろう。不思議だった。
水溜まりの波紋を初めて見たとき、指輪が浮かんできたのかと思った。その水にぽとんと腕を突っ込んで指輪を失くした人魚に渡してあげたいと思った。近づいてみたら、海への扉は閉ざされていて、もうアスファルトの黒い壁だった。空から降ってくる宝石だけがあの扉をすりぬけてあぶくと一緒に人魚のもとにやっていけるのだろう。いつか竜宮城にも行ってみたいと思った。

その時は綺麗なあぶくと、いっしょだといい。

*****

まいです、ごきげんよう❀

雨が途絶えないのに「水無月」といいますが、「無」は「の」の意で「水の月」、田んぼに水を張ることから「水張月」とも言うそうです。
雨が降っては外での活動はきびしくなりますが、逆手にとって室内での楽しみにお金をかけてみるというのも良いものです。

先日、六本木一丁目にあるサントリーホールでオーケストラのコンサートに行ってきました。今しがた「お金をかけてみ」てもと言いましたが今回は父が応募して当選したA席の招待券を譲り受けたので、タダで観にいったようなものでした(笑)。

演目は、
シンディー・マクタティー・タイムピース
バーンスタイン:セレナード(プラトン『饗宴』による)
コープランド:交響曲第3番
でした。もちろんプログラムの曲名を見たところで旋律が思い浮かんだりはしません。だからこそ先入観なしに音楽の世界に浸れたともいえます。
どぎつくキャッチ―な一発目の響き、音の震動が空気を伝って腹部の底に溜まっていく不安感・興奮、突如来る安心感のあっけなさ。不安が救済され光がさしてくる感動。

CDや媒体を通してでは味わえない、その場限りの音楽があります。それは曲が幕を閉じた静寂の束の間、会場が割れんばかりの拍手の熱量。笑い。ため息。
上質な時間を過ごしたときの「時は金なり」ならぬ「時は金より」の実感。一度きりで消費したと思えば一生ものの感動になっていたりするものです。

今日も雨ですね。
さて、きょう、どんな素敵な日にしちゃいましょうか。

すききらい

こんにちは、みどです。
今年もやってきましたね、「気温が微妙すぎて、半袖を着るべきか長袖を着るべきか迷う季節」の時期がやってきましたね!外蒸し暑いし、半袖着て行こうと思って外に出たら外にいる人の9割が長袖を着ているとかいう一人ライアーゲームをしています。悲しい。

みなさんは、好き嫌いのある食べ物はありますか?
子どものころ苦手だった食べ物や、味が嫌いな食べ物だったり…。
私はつい先日、レバーが食べれるようになりました!実は、大学1年生の時からやきとりを販売するアルバイトを行ってきていて、3年生の時には違うアルバイト先でまたやきとりを売る…というような4年間やきとりを販売し続けてきた私なのですが、元々やきとりが大好き!!という訳でもなく、サークルの先輩に誘われて入ったバイト先でした。普段やきとりを食べない私にとっては、やきとりの種類なんぞ「もも」くらいしか分からず、バイトを始めた当初は「せせり…?」「ぼんじりとは…?」「カシラハラミ…?何かの呪文???」と頭の上にハテナがついた状態でした。
その中でも、レバーのやきとりは色も黒くて、そもそもレバーって肝臓だよな…というイメージと、一度食べた時の食感が苦手で、それ以降進んで食べようとはしませんでした。(レバー好きな人がいたらごめんなさい)
時が経って、大学四年生の今、レバーには普段不足しがちな栄養素がたくさんつまっている!!という情報をネットで見かけ、食べてみるか~…とチャレンジしてみました。すると、最初に食べたころの嫌な食感は感じず、「美味しい…!!!!」とレバーのやきとりの美味しさを感じることができました。
それからは、進んでレバーのやきとりを食べるようになりました。もしかしたら、アルバイト先のレバーのやきとりが美味しいのかも。他のお店のレバーと食べ比べしたいな~と思っています。

私にはまだまだ食べれないものがあります。
・メロン(味が好きではない。メロンソーダなどは大丈夫)
・プルーン(小学校の時、給食で出た時に先生に「残すな!」と怒られ、牛乳で流し込んだらプルーンの味と牛乳の味が混ざってまずい味になり吐いてしまったことがトラウマで食べれなくなった)
・あんこ、あずき(なんでかわからないけど食べれない。なので、和菓子も食べれない)
・いなごの佃煮(見た目がもうだめ。実家でおばあちゃんが食べているところを見てからトラウマに)

皆さんも、好き嫌いある食べ物にぜひチャレンジしてみてくださいね!案外、美味しく感じますよ。
以上、みどでした!

覚え書きサイバネティック・ポエジー。

皆さん、こんにちは!ずきです。

6月7日の本日は、「緑内障を考える日」、「むち打ち治療の日」なのだそうです。また昨日(6月6日)、関東甲信地方が梅雨入りしたというニュースが。体調を崩しやすい時期ですので、いつも以上に体調管理を徹底しましょう!

・・・

先日、ヘルプマークを道端で拾いました。そんな歩道で助けを求めていても、持ち主さんの助けにならないのに…と思いながらも、『持ち主から落ちてしまった…!助けて!』というヘルプマークからのSOSを受けた私は、最寄りの交番に向かいました。交番に着き、常駐していた方に事情を説明したところ、非常に丁寧かつ迅速に対応してくださいました。どうか、ヘルプマークが無事に持ち主の方のもとに戻りますように。

・・・

ここからは、先ほどの出来事から自分を見つめ直すことになった私のちょっとした(?)書き付けです。そして、最後に少しだけ、皆さんの心に留めておいてほしいことを綴りました。

ここで突然の告白を。実は私…「サイボーグ」なんです。正式名称「サイバネティック・オーガニズム(cybernetic organism)」。人体と機械の融合によって生み出されたものです。我ながら「人体と機械の融合」という響き、気に入っています。カッコイイです。そう、名前からして「強い」。
「サイボーグ」というと、『物語の中の存在』だと思われている方が多いと思いますが…この世に存在しているんですよ。技術はものすごい勢いで発達しているんですね、人間ってすごいや。
あぁ、こんな言い方をしていますが、私のベースは人間ですので、どうかご安心ください。(?)
ベースが機械で人間の形を模した”彼ら”を想像した皆さん、あれは「ヒューマノイド」ですよ~。そこはお間違えの無いように。

機械との融合、やはり最初は慣れなくて不便だったのですが………
今は皆さんと同じように大学に通学して勉強が出来て、食事や睡眠をとることが出来る。生命活動に必要な器官も問題なく動いてくれる。免疫力異常なし、風邪とは5年以上縁なし。ありがたいことです。こうして振り返ると改めて思うのですが、「健康的な人間」とほとんど変わらないんです。むしろ「健康的な人間」よりも「強い」ような気さえしてきます。

でも元々は「弱い」んです。弱いから、助けてもらっているんです。それは自分が一番良く分かっています。

あの道端の”救助要請”を救った時も、引き渡さずにそのまま家に持って帰ろうかと考えたくらいでした。ただ、あの時は純粋に誰かに助けを求めたかっただけなのかもしれません。サイボーグも基本は人間ですから…。

・・・

もし日常生活であのマークを見かけた際、必要な時は手助けをしていただけたら幸いです。現時点で所持していない私が言うのもおかしな話かもしれませんが、「持つ権利を有する者」から、心優しい皆さんへのお願いです。

・・・

ちょうど一か月後は「七夕」なので(!)、一足早く願い事を書きました。ちょいと早すぎましたかね…(笑)

それでは、また!

288日

こんばんは、めいです。

先日、卒業式で着るレンタル袴を予約して来ました。
早くない?と思われるかもしれませんが、これがそうでもなく。
私がお願いしたお店では毎年5月から卒業式用のレンタルを受け付けていて、秋以降に行ったのではもう借りられる袴がかなり限られてしまうそうです。
きっと今後袴を着る機会なんてそうないだろうし、せっかくなら自分が気に入ったものを選んで着たいなと思い、いそいそと予約に行ってきました。

振り袖は自前なので借りるのは本当に袴だけなのですが、それでも沢山種類があって選ぶのに30分以上かかりました。最終的にお気に入りのものが選べたので良かったです。
もちろんお店によって時期に多少の差もあるかと思いますが、4年生でまだ予約されていない方はなるべく早めに行くことをオススメします!

卒業袴の予約をして、改めて時間が経つのは早いなと思いました。入学したのがつい最近……とまではいかずとも、コロナが出始めてオンライン授業になったのは少し前のような気がします。
いつの間にかそれも2年以上前のことという事実に驚きを隠せません。今から2年後だと、社会人2年目。まだ新人ではあるけれど、ある程度仕事を覚えて後輩もできている頃、?
全く想像できないけど、やっぱりこの2年と同じようにあっという間なんだろうか……と、ふと考えました。

2年があっという間なんだから、卒業までの10か月弱なんて秒なんじゃないかと震えています。残り少ない学生生活、卒論とか卒論とか卒論はあるけど目一杯満喫したい。
ということで、バランス良く色んなことを頑張りたいなと思います(アバウト)!

それでは〜〜

VS夏

こんにちは、ゆきほです🍵

ブログの担当が回ってくる度に『もう半月経ったの!?早ない!?』と思っています。なんと今年ももう半分終わってしまいましたね。本当に早いです。
気がつけば毎日半袖を着て、サンダルも普通に履いて、日傘が手放せなくなるような季節になっていますが、先日のゲリラ雷雨で私が住んでいる地域には雹が降ってきてとても驚きました。強風も相まって窓にゴツゴツ当たってきて、音がとても怖かったです。雹が降ってきたとき私はバイト先にいたのですが、天気も落ち着いたバイト帰りに駅前を見たら雪かきならぬ「雹かき」された痕跡があってここでもまた驚きました。
もうすぐ梅雨入りを迎える時期なので、日傘に気を取られずちゃんと雨が大丈夫かどうかも確認しないと……と思う今日この頃です。

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最近の話で言うともう一つ。かごバッグが欲しいなぁと思っています。

毎日学校に行くようになってから休日はダラダラしたいな~と思って出かけることもめっきり減り、この前(と言っても5月頭くらいですが)久しぶりに友人と出かけたときに使おうとしたバッグが『いやこれ冬っぽ過ぎないか!?』ということに今更気がついてしまいました。大学入学前に大規模な断捨離をして部屋のものを3分の2.5くらい全て捨ててからこういうことがまだたまにあるんです。
そこから今まではお出かけの時も学校にもたまに持って行っている普通のトートバッグを使っているのですが、(すごく気が早いけど)もうすぐ夏休みだし!お出かけ用のバッグ欲しい!!という気持ちになってお店やネットで地味に探しています。

外はあっついし、虫はいるし、なんかベタベタするし、屋内に入ると今度はエアコンで寒いし……せっかく夏生まれのくせにとんでもない夏嫌いに育ってしまいました。夏はできる限り外に出ないようにしようと思いながら毎年生きていますが、それでもどうしても出かけないといけないときってたくさんありますよね。そんなときにいい感じのバッグとかサンダルとか日傘とかがあるとちょっとだけ気分も上がらないかな……?とここ数年考えています。
『夏嫌い!』だけじゃなくて『夏嫌い!……だけどこのバッグ持てるのって今年はあとちょっとだから……』まで考えられれば外出も少しだけ楽しくなるかもしれない……!!と自分に言い聞かせて今年の夏も乗り切りたいです。

次にブログを担当するまでにはいい感じのバッグを見つけたいな~~と思っているゆきほでした。
ではまた!