「衣裳」の「意匠」に魅了され…。

皆さん、こんばんは!ずきです。
毎月13日は、「一汁三菜の日」だそうです。そろそろ夏本番。バランスの良い食事を心がけて、体調管理を万全にしておきたいものです!

・・・

最近、「衣裳」の魅力に惹かれるようになりました。今回はそんなわけで、「衣裳」にまつわるお話をしようと思います。まず、私がなぜ衣裳に興味を持ったのかと言いますと、今期の授業で日本文学科の学科科目「日本風俗史」という授業を履修しているからなんです。この授業は2年次から履修可能な科目で、時代の変化とともにどのように服飾が変化していくのかを学びます。個人的に、この授業が今期の授業の中で一番好きです!

まさに、衣裳は土地の特色や時代を映す「鏡」と呼ぶに相応しい…。それにしても、「衣裳」ってどうしてあんなに奥深いものなんでしょう…。

・・・

先日、人生で初めて歌舞伎を鑑賞しました。演目は「義経千本桜 一幕 河連法眼館の場」。物語や役者の方々の演技は勿論のこと、役者の方々が身に纏う衣装に釘付けになってしまいました…。「赤姫」と呼ばれる、静御前の”赤色”の扮装に、源九郎狐の”白色”の衣裳。この二人(一人と一匹…?)の紅と白のコントラスト!さらに、義経に仕える二人の武士、冷静沈着な駿河次郎の”黒色”と血気盛んな亀井六郎の”朱色”の肩衣の対比。この二人の性格を見事に表す色の使い分け…!
舞台芸術においては、「衣裳」も欠かすことが出来ない存在なのだな…と改めて感じたのでした。

また、先週末には渋谷区立松濤美術館に行って来ました。6月末から開催中の展覧会「アイヌの装いとハレの日の着物」では、アイヌの人々が着用していた伝統的な衣服や装飾品の展示があり、展示を通して文様の意味やその文様を構成する布のバリエーションの豊かさを知ることが出来ました。かなり近くでアイヌの伝統衣装を鑑賞することが出来ます!
この展覧会は、学芸員資格関連科目として履修している、文化学科の「表象文化論」という授業を通して知りました。もし、興味のある方は是非足を運んでみてください。おすすめです!

…そういえば、国立新美術館では現在「ファッション イン ジャパン 1945-2020」という企画展が開催されているようです!戦前から現代までの「ファッション」…!こちらも行ってみたいです…!!!

・・・

そんなわけで本日は、「衣裳」というものの奥深さに嵌った、ずきがお送りしました。
それではまた!

和菓子と本と水曜日の話。

こんにちは、あこです。

先週、ある本を取り寄せました。それは、中山圭子さんの『事典 和菓子の世界(増補改訂版)』です。

度々ブログにも書いているのですが、今年度に入ってから学校帰りにデパ地下で和菓子を買うのが習慣になっています。まだ3ヶ月目なのでそんなに数は食べていませんが、色々な和菓子を見たり食べたりするうちに、和菓子について知りたいと思うようになりました。

webサイトで検索したりインスタで写真を見たりするのも良いのですけれど、それだと名前を知っている和菓子しか知ることができなくて。調べ方の問題もありますが、やっぱり本や図鑑の方が知らない情報に出会いやすいような気がします。

ということで、何かいい本ないかな〜と調べ始めました。

だけれど、理想の本に出会うのって難しいですよね。私が欲しいのは、幅広い種類の和菓子が掲載されていて、カラーの絵や図があって、解説や説明も充実していて、かつ分かりやすい本です。「和菓子 本」で検索すると、和菓子のレシピ本や歴史に特化した本、特定の和菓子を深堀りした本が多くて、なかなか理想の本に出会うことができませんでした。

んーやっぱりそんな都合のいい本はないよなぁ…

と諦めかけていたその時!!

某ECサイトの「この商品をチェックした人はこんな商品もチェックしています」欄に『事典 和菓子の世界』が現れました!

※ちなみに、「この商品」とは虎屋文庫の『和菓子を愛した人たち』です。「和菓子→虎屋→虎屋文庫」の流れで辿り着きました。この『和菓子を愛した人たち』もまた魅力的な本で、虎屋文庫HPでは「モースと文字焼」「森鷗外と饅頭茶漬け」の章を内容見本として読むことができます。実はこれも欲しかった…!!(今回は諦めたけどいつか絶対買う!!と心に決めております。)

作者の中山圭子さんについて調べ、岩波書店のHPで本の試し読みを済ませたら準備OK。百貨店・地元の本屋さん共に在庫がないとのことだったので、取り寄せをお願いしました。そして先日、本が届いたとの連絡が。明後日の水曜日に受け取りに行く予定です。

まだ読んでなかったんかい!そしてすぐ取りに行かないんかい!

というツッコミが聞こえてきそうですが、ええ、まだ読んでいません。最近暑かったり雨が降ったり雷が鳴ったりして、家から出るのが億劫なんです。あと、本を買ったら読みたくなっちゃうので。時間割に余裕がある水曜日に受け取りに行こうと思っています。

ということで、まだ読んでいない本を紹介したあこでした。

早く水曜日にならないかな。

それでは、また。

C10H14N2と姫君

ご無沙汰しております、みちるです。

風も布団も日射も人も、暑いんです。

「暑いと言うなら離れてくれないか」

君があっちへ行きなさいよ。
こんな夜に限って我が家にはアイスクリームのひとつもありませんから、気狂いじみた強さの冷房が提供する寒冷に身を任せ、こうして手紙をしたためるほかないのであります。

先日とある教職科目にて15分間の模擬授業グループ演習を無事に終えました。発表時、プロジェクターに自班のスライドを表示すべく自分のmanaba(※授業情報や課題提出ができるシステム)にアクセスしたところ[未提出の課題一覧]がスクリーンを通して全受講生(と教職のE本先生)のまなざしに晒されました。正直ビビったね。

―このくらい書けば以降の文章はTwitterの宣伝画像に載らないだろうか。策略策略。
一つあなたに謝らねばならないことがあります。というのもここからはあなたへ宛てたいつもの手紙でなく、ただ私の愛する誰かのことを綴る積もりだからです。数日前からそうと決めていたのです。
身勝手でごめんなさい、でもあなたがお読みになって下さるというのならそれはそれで喜ばしいこと。ここはそういうところですから。

(間奏)

「おれのこの顔が良いんでしょう、それだけなんでしょう」

少し前、眉を顰め躰を震わせながら君が言った。この人類は何にも分かっちゃいないなと思ったけれど、盲目は間違いなく私のほうだ。私の想いも、君の変わらないもの―君が「変わらない」と言うものではなく―についての直観も、火のように移るには尚早だった。
私は君を愛していることを声高に叫ぶだけじゃなく君の何をどうして愛しているのか、唇同士が触れ合うんじゃないかというほど近い距離で、出来る限り新鮮な私による言葉で伝えなければならなかったし、今は君が許す限りそうしたいと思うんだ。

過去も未来もありはしない。
ここに、私に与えられているのはつねに過去と未来の拡がりのうちにあられる「今」だけです。
しかし私はどうにも視野が狭くて、「今」をまるで或る一点のようにしか見ることができない生きものであった。今再び目が覚めなくても構わないと思いながら眠る夜を繰り返した。
あなたのことも人類のことも皆愛していたけれど、それでも”人類と共に生きる幸せな未来”に私がいるところは今よりもずっと想像し難かった。

だけど今、君が生きていることが嬉しくて仕方ない。
君の大人びているようで幼いところ、貴重な笑顔や口癖、感情の発露が私は嬉しい。自転車を引く猫背も、部屋の模様替えにしっかり失敗するところも、君が自分の話をしてくれるのも、いつか私が買ってきた白い薔薇の亡骸をどうするか迷って中々捨てられずにいるところも―これは涙滲むほど眩しい36度の光の現前にほかならない。
私の内的な部分が君の生に頷いて、よく反応している。どう転んでも私は君のことが好きなんだろうと思う。

人類史の上ではつい最近案出されたあの素朴で貧乏性な「幸福」とやらに私は共鳴できない。それが「まだ」なのか「ずっと」なのかは知らないけれど、それでもこうして君のこと(と私のこと)を書いている。幸福や快楽の原理に依存するのではなく、きわめて必然的な愛の原理によって。

私は君の持続を望む。
一瞬先も変わらず君に生きていて欲しい。君のドジや選択、気の抜けた返事やギャグへの採点、悲しみや願わくば喜びもが更新されてくれと願ってやまないのです。
そうして君の持続を望むとき、私は私の持続を望んでいる。暗闇で何も見えなくとも、私は拡がりの中にあるのだとわかる。
未来のない私が明日再び目覚めることを信じ願うのは「君」がいるからだ。「君」が他でもない君でなければならないのは、私が君を愛しているからだ。

まじめになったら君をまた遠くに感じてしまうかもしれない。けれどそのたび、重力に嫌われる私ごときが君を引き寄せよう。
―流れる雲を追い抜いて君の家へ向かうとき、指をもつれさせながら連絡を返すとき、そのように決めているのよ。

文章を拵えているうちに夜になってしまいました。
夜。夜の表象。
手を引かれて赤信号の小路を渡る。君の少し頼りない背中を見つめると、次の瞬間にはさっきの自動車が君を轢いて帰ってしまうんじゃないかと不安で内臓がきゅっと持ち上がる。鮮血と白肌のコントラストを抱きかかえて「誰か、誰か」と叫んでも、この私の声に誰が振り向き立ち止まるでしょうか。

来たる夏の夜。無力な私の斯くもかなしい表象は、金魚が腹を天に向けるほどの痛ましい暴力である。これじゃあだめだ。

「笑えなきゃダメだ」

これは君の暴力だけど、好い暴力だ。さっきの金魚も半回転して再び泳ぎ出すほど素敵な力。

憂鬱な梅雨の夜。君にも宛てる生への祝福と暴力の本文は屹度、君とあなた、そして私の笑いのために。
愛しています、人類。

またお手紙書きますね、大好きです。    みちる

私の日常短編集


こんばんは、れいです!
今日は久しぶりに晴れて暑かったですね…!久々に太陽を見て気分が明るくなりました。
先日の火曜日にあった、卒論ゼミの発表で気力を使い果たしたのか、最近はとにかく眠いです…。寝られないより100倍良いのですが、歩いていても眠たくなります(笑)

最近は日差しが強いですね。私は絶対に日焼けしたくないので、SPF50+PA++++の日焼け止めは欠かせないのですが、いつも使っていた日焼け止めがなくなりそうだったので、ネットを見てよさそうなものをドラッグストアで購入。試しに腕に塗ったら…ダメでした(涙)全く痛くなかったのですが、なぜか皮が剥けてしまって、1回で使用中止に、、、試供品をもらえるようなデパートコスメの日焼け止めにすることにしました。
ちょっとお値段が張ってしまうのは辛いけど、自分の肌の健康を保つためには仕方がない!そしてやっぱり好きなブランドのものだとテンションも上がりますよね、自分のお財布と相談しながら心の治安を守っていきたいです。

心の治安といえば、私はお出かけするのが心の治安を保つための一つなのですが、中々遠出出来ない今。
そのような中でいつもワクワクしながら行くのが、近場の本屋さんです。たくさん冊数を読むわけではないのですが、本屋に行くこと、本を読むことは確実に私の心の治安になっています。本屋さんに行くと、大体入り口には新刊や受賞作品であったり、話題になっている本が置いてあるので、最近はこんな本が出たんだなぁと流行を知ることができます。雑誌コーナーで表紙を見るのも好きです。本って中身だけではなく、表紙も大切ですよね。この本を買う!って決めてなくても、面白そうと思って手に取る本って大体表紙に惹かれたものが多いんですよね。そして本が天井の方まで並んでいる様子を見ると、こんなに人間は知を積み重ねていきたのか、と感動します。本屋さん大好きです。気持ちが休めない!と思う時は、本屋さんに行くようにしています。

私、もともと休むのがが下手なんですよね。演習発表の時も、いつも2週間前くらいからは、だ~~~っと(?)自分を追い込んで、終わったら3日間くらい休む生活をしています。毎日適度に進めて、3日くらい前には最終確認OK!みたいな生活を目指しているんですが、無理だし、自分には向いていない。
4年生になってようやく諦めがつきました。どんな時も全力でぶつかっていくしかないんですね。

卒論のために机に座って、さあ頑張るぞとパソコンを立ち上げた時、ロック画面を見るのがひそかな楽しみです。私はWindowsのパソコンなのですが、ロック画面とデスクトップ画面をスライドショーにすることができるんですね、私はWindowsに搭載されている自然の風景(?)をそのまま設定しているのですが、画質が綺麗でおススメです。そしてこの間、南極のきれいな景色にペンギンさんのいる画像が映りまして。わーかわいい!と思わずパソコンの画面を写真に撮りました(笑)癒されました!

谷山浩子さんの曲に「NANUK」という曲があります。ナショナルジオグラフィックのホッキョクグマの映像を見て作った曲だということなのですが、初めて聞いた時、自然の厳しさと美しさと、その中で動物たちが真っ直ぐ生きている様子が伝わってきて感動しました。人間の発達した知能や感情を否定するつもりは全くないのですが、食物連鎖の中で静かに生き続けている動物たちのシンプルな生き方に強く惹かれる時があります。どうしても人は、こう言うと勘違いされちゃうかな、こちらの方が有利に進むな、とか、損得を考えたり忖度してしまいます。そして、人に否定されるのが怖くて、自分の感情を出せなくなる時があります。実際にこのブログでも、ここまで書いて良いかな、ここまではやめておこうと自分で線を引いています。公開されるものだから当たり前なのですが、しまってしまう感情の膨大さに打ちひしがれます。ありのままの私でいるのが難しくて、感情ががんじがらめになって、生きることが複雑に感じた時、その瞬間にも野生の動物たちは、植物たちは、そして遠くの星たちは自分の命を真っ直ぐに見つめていると思うと、私もそう生きていきたいと強く思います。


白くきらめく 氷の世界
歌とことばも きみは知らない
きびしい冬と めぐみの春と
数えきれぬ毎日を ひとりみつめている

わけは知らない ここで生まれた
わけは知らない ここで生きてる
わけは知らない 何があっても
強く強く 生きていく
前へ 歩いていく

谷山浩子「NANUK」(作詞・作曲 谷山浩子)より


夏の東京に雪が降った。私は、あなたの面影を夢の中で見た。
儚い眠りから覚めたら、開け放した窓から雪が舞い込んできた。
細かい雪の粒が、私の黒いTシャツについて、雪の結晶がかすかに見えた。
それは、あまりにも透き通って整った形をしていた。
季節が反対になってしまっても、雪は白いままに、静かに自然は息づいている。
「綺麗ね」私はつぶやいた。

あなたが「本当」の私を見なくなったのも、こんな雪の降る日だった。
それから、地球は少しずつ焦点がずれていくように、おかしくなっていった。
秋に桜が咲くようになり、紅葉は一年中色づいた。猛暑の日の夜に雪が降るようになった。
何もかもが狂っている。身近にある自然を不思議に見つめる横で、あなたはその異常さに全く気付かなかった。
あなただけではない、世の中の人全てが、目の前の変わりゆく景色を見つめることはなかった。

私は、壊れていく地球の片隅であなたの姿を見る。
変わり果てた現実よりもずっと、過去の面影を強く、深く感じながら。

二律背反

こんばんは、めいです。

いつの間にか7月に入っていて、時の流れに付いて行けていません(定期)。あと2週間で前期の授業終了、あと3週間で夏休みですよ。えぇ……早……怖…………語彙力のなさも怖………

ただ、夏休みの到来を怖がっている理由はそれだけではありません。大学3年生の夏。そうです。イ○○ーン。もう怖すぎて伏せ字にしちゃう。
ここ最近は、時間があればひたすら企業検索をしています。自分に合う条件で絞ってもなお膨大な情報量に、頭はパンク寸前。気になる企業にいくつかエントリーはしているものの、既にめちゃくちゃ気が重いです。なんてったって私 ①人見知り ②緊張しい ③大事なところでやらかしがち というヤバ要素をフルコンボしているので。エッ大丈夫かな?????

先日スマホで音楽をランダム再生しながら企業情報を見ていて、たまたまヨルシカの『ヒッチコック』という曲が流れました。ぼんやり聴いていたのですが、

「幸せの文字が¥を含むのは何でなんでしょうか。
一つ線を抜けば辛さになるのはわざとなんでしょうか。」

この歌詞がすごく頭に残りました。企業を見るポイントって、職場環境、働きがい、福利厚生、ワークライフバランス等々あって、何を重要視するかは人によって違いますよね。私もこれは絶対大事にしたい!ということがあるのですが、どうしてもそれと同時、ともすればそれ以前のフィルターとして、給与欄を確認してしまいます。だってそりゃね…どっちかといえば高い方がいいもんね…
金八先生の「人という字はァ」みたいになりますが、「幸」の字って横棒をひとつ抜くと「辛」になるって、これは前にどこかで聞いたことがありました。でも「¥」を含むというのはこの歌詞で初めて聞いて、「た、たしかに……!」となりました。妙に納得してしまったというか。お金があれば幸せとは限らないけれど、幸せのためにはある程度お金が必要なのも事実だよな〜なんて思ったりもして。う〜ん…………

……………………むずい!!!!!!!!!!
人生すごい難しくない?!?!大人って大変じゃない?!?!高校生に戻りたい!!!!!

となってしまったので思考放棄しました。というのは半分冗談で(半分)、自分が大事にしたいこと他のこととのバランスを上手に取りながら生きていきたいな〜〜と思いました。なんか浅い感じすごいけど。とにかくまずは夏休み、なんとか頑張りたいと思います。

よかったら『ヒッチコック』聴いてみてください。ではでは。

大きくなったら何になる?

お久しぶりです、まなみです。
梅雨☔️家出たら1秒で前髪がほうきになります🧹
誰か助けてくれ〜〜〜〜〜
みんなどうやって前髪くるりんを維持してるんだろうなて!
巻き方動画とか必死に真似っこ真似っこしてたけど、もしかして髪質なのでは???になってしまいましたね…
髪質くらい自分で選ばせてくれ〜〜〜‼️🤯

今回は老いの話がしたいのでします!唐突〜!
いや今私がこう考えてるだけで、数年後の私はそうは思わない!ってなってるかもしれない
後でブログを見返したときに黒歴史で終わらないために書こ〜て思ってます😶‍🌫️

前回か前々回の更新の時に歳をとるのが怖いって話をしたんですけど、歳をとるのが怖いんですよね〜
ね〜!
女子高生•女子大生ってそれっぽい名札がつくじゃないですか。JKブランドとかってやつ!
今まで女子高生らしい、女子大生らしい人生を送ってきたとは全く思わないのですが、多分このブランドに甘えていた!とは思うので、これから先どうなっちゃうんだろ〜!って不安です🤕
私は可愛いわけじゃないし頭がいいわけじゃないし性格が優れてるわけでもなくて、これから先何が私の名札になるんだ〜???と考えてしまいます!
いや、人はそんな一面的に?捉えられるものではないんだろうけど、私は自分のいいところが分からないので余計!怖いな〜〜〜
普通の人としての私にはなんの価値があるのかな!私の本体に価値がつく大人になりたいな〜って二十歳迎えたおなごみたいなこと言ってる〜😪

なんか前に人は死っていうゴールに向かって生きてるのはみんな同じなのに、なんでその間をよりよく生きなきゃならないんだ?って考えてたんですけど(卑屈オタクなので)、生きてる時間って自分の才能に気づくためにあるのかもしれないね!知らんけど!
己はなんでこんなにいいところがない??と驚く人生なんですけど、それでも人間全員絶対何かの能力がある!と思っていて、それを見つけるために生きてんのかな〜
なんもなかったらどうする?あり得そう!だからいろんなことしなきゃいけないんかな?つって〜〜😮‍💨

いつか見返した時、お前の考えはあってるよ間違ってるよって言えるといいなって思って書いたんですけど、普通に厨二病オタクみたいなので黒歴史やも🤫
ワワ〜おわりです😷
それでは〜🌻

思い出と始まり。

こんにちは。れいかです。

七夕の今日は、カスミソウの日でもあるそうです!🎋
白く小さな花々が、星々の集まる天の川のように見えるから、とのこと。
なんだかロマンチックですね♪

この季節が来る度に、私は幼稚園の時のことを思い出します。
教室ごとに大きな笹の葉があって、クラスの皆で折り紙を使って盛大に飾り付けをしました。
もう15年くらい前の話でだいぶ曖昧な記憶ですが、このイベントで手先が不器用なことを痛感しましたことは確かに覚えています(笑)
それ以前も工作系は極端に苦手でしたが、「七夕の切り紙」が決定打でした。。
そこから、小中高と家庭科の補習に毎回お世話になって今に至ります。


10年ほど時が経ち、高校生の七夕の思い出は…。
コーラス部の発声練習で『たなばたさま』を歌ったことです。
「♪さーさーのーはーさーらさらー…」皆さん歌えますか?
私は高校生になるまで歌った記憶がありませんでした。
この曲は歌詞もメロディーも可愛らしいのに、始めて歌ったときは恐怖の時間でした。
というのも、入部して2ヶ月くらい経ったときに、1年生がどれだけ歌えているのかチェックしようという空気になり、先生の前で2人or1人で歌ったからなんです。
その後オーディションなどで1人で歌う機会が増えて慣れましたが、当時は先生の前で1人で歌うプレッシャーは大きかったです…。
5年経ち、今ではすっかり思い出話になりました。

高校の時も学校に大きな笹の葉がありました。
3年生の教室の前の廊下が広くなっていて、毎年そこに飾りに行っていました。
短冊は終礼の時に配られて、その時に書いていました。
「推しにあえますように!」だったり、上級生になってからは部活の友達と「全国金賞!」と大きな字で書いたりしていました。懐かしい…。

これは、今日お花屋さんで見た短冊です。
私は書いていないのですが、見ていてほっこりしました😊


今日は朝からそわそわしています。
理由はというと、私が応援しているハロープロジェクトのグループに、新加入するメンバーが発表されるからです。
夜の7時からyoutubeでプレミア公開。
ちょうど1週間前に発表されてから、今日が待ち遠しくて仕方なかったです。


ハロプロは卒業と加入を繰り返すグループのため、メンバーや体制は変わっていきます。
しかしメンバーは変わってもそのグループらしさは残り続け、そこに新しいメンバーの個性が合わさると、更なる輝きを放つグループへと成長していくのです。
ここから始まるドラマのスタート地点となる瞬間を見れるのが嬉しいと共に、今後のグループの変革やメンバーの新たな一面を見れるのがとても楽しみです!

ハロプロにはデビューに向けて経験を積む「ハロプロ研修生」がいるのですが、常に高みを目指して練習に励む彼女たちの姿はとてもカッコ良く、年齢関係なく惹かれます。
研修生を取り上げている番組を見始めてハマりました。
ハロメン・研修生の隔てなく魅力的で、ハロプロの沼は深いなと…。

どんな風に形が変わっても、夢を叶えて新しい目標に向かって果敢に進んでいく彼女たちをこれからも応援したいです!!

それでは、また。

星を渡って

「星がねぇ、見えるんだよー」
 あの子はそう言っていた。
 こんなに雨が降っているのに。灰色の雲は空から退こうとしないのに。もはや月すら見えないのに。あの子はそう言った。
 そしてこちらを覗き込むようにして、にっこり笑った。

「わたしね、行かなくちゃいけないところがあるの」
 黒髪を揺らしてあの子は空を見た。
「そう」
と私は返した。私の知らないところを見つめて、私の知らないところに行くあなたが悔しかった。
「川を渡ってね、遠いけれど行かないと」
 小さな手で川を掻くような仕草をした。そんな身体で川なんて渡れないでしょうに。
「どうして行くの」
 つい、こぼれた。しまったと思う。これは心の中に置いておくはずだった。けれど、こぼれてしまって良かったと思ってしまう自分もいる。難儀。
「待ってるから。わたしを待ってるの。わたしも会いたいから、行きたいの」
 あの子はそんな私の手を振り払う。待ってと伸ばした手の甲をそおと撫でて、それでもいらないと退けてしまう。私は。
「こんなに雨も降ってるよ」
「それでもいいの。雲の向こうには星が見えるから」
 傘をさしてあげることもできた。でもそれは言わなかった。私はひどいから、雨で諦めて欲しいと思った。
「毎年そう。なかなかこの日は晴れないの。でも良いの。いいの」
 私は本当はカササギの役をやらなければいけなかった。彼女を乗せて安全に向こう岸まで届ける役。けれど、私はあの子に諦めて欲しくて、言い出せない。
「待って」
 そんなこと言ってはいけない。私はカササギだから、そんなこと
「行くね」
 あの子が行ってしまう。ねぇ、なんで私は星になれなかったのだと思う。

 無機質なアラームの音で目が覚めた。窓の外は雨だった。良かったと思う。良かったと思うことが良くない。良くないのに、ホッとしてしまった。私はまだ気にしていたみたいだ。こんな夢まで見る。
 あの子の書いた短冊。あの子の丸くて頼りなくてかわいい字で、好きな人と付き合えますようにって。
 どうして私はあの子の好きな人じゃないのだろう。織姫でも彦星でもないのだろう。どっちでも良い。どっちだっていいから、彼女の運命になりたかった。
 私は仕方がなく「あの子の夢が叶いますように」と書いた。だけど、だけどもカササギになれない。本当は。
 七夕はよく雨が降る。もしかしたらカササギは渡したくないのかもしれない。カササギの大事な人を。
 

雨女脱却…?

どうも、おはこんばんにちは!ゆうなです😎

いつもより挨拶のクセが強くないか?と思った方、いらっしゃるでしょうか…。実はここ最近、予定が立て込んでいて、目まぐるしく過ぎる日々をなんとか生きながらえている状態。これが8月の一日まで続くのですが、そんな私の日頃の楽しみは、YouTubeで2bro.というゲーム実況者さんの動画を観ることなのです。投稿されている実況動画は比較的ホラーゲームが多いのですが、他の動画も面白い!2bro.の皆さんは言葉遣いが丁寧でいて、尚且つセンス溢れるトークを繰り広げているので、大好きな実況者さんです。私はよくDead by Daylight というホラゲの実況動画をほっこりとした気分で観ています☺️(ホラゲ+ほっこりのコラボレーション、この単語って同時に見ることあるんだ…と信じられない方もいると思いますが、ほっこりしちゃうと思うのでぜひ♪)今回は、2bro.の一人、弟者(おとじゃ)さんの挨拶の真似をしてみました!一度やってみたかったのです…!

さて、先日で6月も終わり2021年も下半期に突入しましたね。

しかし、それでもまだ梅雨は終わらない…!最近は折り畳み傘を手放せず、バッグの中に入れっぱなしにしている方もいるのではないでしょうか?ちなみに、私は折り畳み傘を持っていないので(正確には、どこかのバッグに入れっぱなしにしたは良いものの、どこに入れたのか忘れてしまい、発掘する気力も今のところはない、といったのが正直なところです。(笑))、普段はビニール傘を愛用しています。しかも、外出するときは、我が相棒のチェロ様といることが多いため、70cmのビニール傘を使用しているのです。チェロ様がいないときも、傘のさし方がなぜだかとっても下手なので、大きめの65cmを使用しています。

私も皆様と同様、梅雨の時期は傘を手放せない、折り畳みではないから持ち歩きが面倒だけれど、やっぱり濡れたくないのでそこは用意周到に。と、今年も過ごしておりました。

しかし!

この梅雨の時期に、私は雨に一度も遭遇していなかった!なんたる奇跡!!

実は、小学生の頃の社会科見学や中高時代の修学旅行、お友達とディズニー!なんて日は、高確率で雨。自分でも雨女と認めていたのですが、ここにきて雨に当たらない!!歓喜🌞

つい先日も、山手線乗車中に「山手線沿線では、局地的に激しい雨が降っております。換気のために窓を開けているため、窓付近のお客様は濡れてしまう可能性がございます。社内の窓はご自由にお閉めください。」といった内容のアナウンスが流れてきたので、「ん?!ここスプラッシュマウンテンなの?!?!」と思っていたのですが(笑)、私の降りたところはかんかん照り。とても運が良い。他の運はそれほどだが、天気運はとーっても良い!やった!!

そう思い、傘を持たずに出かけた先日。相棒のチェロ様を担ぎながらの外出でしたが、見事雨にぶち当たりました😇

「油断大敵」を実感した、私なのでした。

それでは、また〜👋

川祭り

小学校の頃に所属していた地域の子供会では、毎年5月5日に「川祭り」というちょっとした行事を公民館で行っていた。まず、みんなで短冊にお願いごとを書く。それを笹の葉にくくりつける。そして男の子がそれを公民館から1km程先にある川に流しに行き、女の子はそんな男の子たちのために美味しい料理を作って待つ。女の子たちが一生懸命に作った料理を、外から帰ってきた男の子がパクパク食べる。食べ終わったら女の子はお皿洗いなどの片付けをして、その間男の子は自由に遊ぶ。男は外で働き、女は家で家事をする、そういう昔ながらの伝統を大事にするためのお祭りです、と地域で一番偉いおじさんが言っていたのを覚えている。こういう行事を、六年間やった。

中学生になったばかり頃、クラスから5人の応援団員を選出しなければならないことになった。その時に先生は、応援団員になれるのは男子のみです、と言った。なんで女の子は応援団員になれないんだろう、と私は思ったが、誰もそれを質問せず、特に先生も女子が応援団員になれない理由も説明せず、そのまま男子が応援団員となった。
学校行事の度に応援団員は学ランを着て熱い応援をしていた。彼らが一番輝くのは体育祭で、伝統ある演舞を披露する彼らは応援する側でありながら体育祭の主役みたいなものだった。
また、生徒会長も暗黙の了解で代々男子生徒が任命されていた。

高校に入ったら、生徒会長は女性だった。その次の年の生徒会長も女性だった。すると高校2年生の時、私の副担任の先生が、最近は女子ばっかり前に出て良くない、やはり学校は男子が引っ張っていかなければ、というような話をした。その先生は私が体調が悪い時になぜ体調が悪いのか親身になって聞いてくださり、月経痛が原因だと告げたら、そうか、とひとこと言って突然職員室に戻って行った、寡黙で優しい方だった。

小中高、特に何も疑問を持たずに生きてきた私は、女子大に入って驚くことが多かった。初めてフェミニズムというものに触れて、私は心から悲しくなった。自分が今まで女性であるというだけで制限されてきたことがたくさんあったのだと知って、絶望した。今まで自分が自分の意思を尊重して選んできたと思われる道は、実は社会の無言の圧力によって選択させられていた道だと知った。知らない方が幸せだったと思った。知ってしまった以上、女性という性に向き合うしかなかった。

自分が決められた制服のスカートをはいて、何事も男子より後に行動していた時、同じ女子大の友達は、スラックスをはいていたり、好きな服で登校していたり、好きなことを性別によって制限されずに行えていたと知り、湧き上がってきたのは強烈な羨望と嫉妬だった。住んでいる地域が違うというだけで、ジェンダーに縛られて生きてきた過去の自分を可哀想に思った。

中学校の頃の同級生に、久しぶりにメッセージを送った。彼女の弟はまだ私の母校の中学校に通っているようだったから、今でも応援団は男子しかなれないの?と質問してみた。
いや、去年から女子もなれるようになったよ、と返信が来た。母校も変わったな、と思っていたらすぐに彼女は弟とのやりとりを送ってきた。弟くんはこんなことを言っていた。

「やっぱり応援団は男子だけの方が良かった…みたいな空気はあった。演舞のキレも男子の方があったし。」

私の地元の、純粋な少年の言葉だった。
やっぱり応援団は男子だけが良かったよね、という空気を母校初の女性応援団員はどう感じとっただろうか。その後詳しく話を聞くと、その女の子は先生の配慮で応援団員を解任され、ブロック長になったらしい。

今までの話は、ひどい、ものなのか。
私にとっては、ふつう、であった。

私はまだ葛藤している。フェミニズムに傾倒すればするほど、ジェンダー論を突き詰めれば突き詰めるほど、私は自分が社会的に弱い立場である女性という性を持って生まれたことを自覚させられる。屈辱。今まで知らず知らずのうちに女性であるせいで出来なかったことがあったことを思い知らされる。事実を知ることは、幸福か。私は何のために、学んでいる。

ジェンダー学の先生に、思いをぶつけてみると、こんな返信が来た。

 フェミズムを知らない方が,このような社会では「楽に生きられた」かもしれませんが、フェミニズムを深く知ることで「良く生きられる」ようになると私は確信しています。

良く生きる。
私は、良く生きるために、学び続ける。
自分が良く生きられる世の中は、誰かも良く生きられる世の中であるだろうか。

元始、女性は太陽であった。いや元始、誰もが太陽であった。女性は女性でなく、男性も男性でなく、人間はただ人間であった。そこに太陽と月の関係も、光と影もなかった。

私の大事な友人たちが、これ以上性別を理由に自分のやりたいことを制限されないように。
社会に惑わされた人々が、これ以上性別を理由に誰かの行動を制限することがないように。
誰もがよく生きられる世の中を作るために、私は、学び続ける。