筆硯に向かう

皆さん、こんにちは!

5月前半はお休みを頂いていたので、お久しぶりのももこです。

私にとってこの5月は、充実したゴールデンウィーク…、大学の授業に慣れて効率的に課題をこなせるようになった日々…、友人との歓談が心地よい時間…、

ではなくっ!

朝から晩まで、書道!書道!書道!の書道漬けの毎日でした。

というのも、年に2回ある書道の昇段試験のうち、1つ目の試験の締め切りが迫っていたからなのです。今回私が受けたのは5段から準師範への昇段をかけた試験。段が上がれば上がるほど、昇段試験に合格するのはとても難しくなります。周りは試験に何度も挑戦して力を蓄えてきたベテラン勢。対する私はこの度初めて受験する新参者。それに加えて、提出作品の難易度も高く、半紙三体(楷書・行書・草書)、書体自由の条幅1枚、条幅臨書1枚と、自身のキャパシティをはるかに超える課題が課されました。(以下、昇段試験を昇試と略します)

ビクビクしながら作品制作に取りかかると、昇試のことは頭の隅に置き、夢中で書に向き合っている自分がいました。ここが書道の不思議なところ…。書く動機が何であれ、一度手に筆を持ち、筆に墨をたっぷりと蓄えさせ、紙に触れさせた瞬間、滑らかに腕が回転して、軽快に体がリズムをとり、気がつけば1枚の作品が出来上がっているのです。そして、書き終えた恍惚感に浸る間もなく立ち上がり、作品を俯瞰して見ると、文字の配置や線の強弱・潤渇など、直すべきところがありありと見えてくる。そんなことをもう1枚、もう1枚と繰り返しているうちにだんだんと時間が溶けていくのです。

今月は長いようであっという間の日々でした。朝大学に行く前に少し書いて、帰ってきてから寝るまでも書き続ける。書に向き合って、気がつけば日が差しているなんてこともしばしば…。布団に入っても、先ほどまで書いていた字が浮かんでは消え、浮かんでは消え、ああすれば良かった、こうすれば良かったという思いがぐるぐると巡り、ぐっすり眠るなんてこととは縁遠い生活でした。そんな私を見て、「ももちゃん、早死にするよ?」と友人が本気で心配してくれました(笑)。確かにこの1ヶ月で口内炎ができたり、大きなニキビができたりしましたが、今こうしてブログを書けているので、まあ大丈夫ということでしょう!こんな無理ができるのも大学生までだと思っています。(何の宣言かは分かりませんが)卒業までにあといくらか、こんな1ヶ月を送ることになりそうです(目標は師範の昇試に合格すること!)。

さて、ここまでおじさんの不健康自慢のようなことをつらつらと書き連ねてしまいましたが、それ以上に昇試の作品制作を通して得られた学びと成長は大きかったと感じています。その中でも条幅作品の制作は難しくも、本当に楽しいものでした!

ところで、私は先ほどから「条幅」という言葉を使っていますが、何のことか分かりますか?条幅(じょうふく)とは、書き初めよりも大きなサイズの紙のことで、だいたい掛け軸ほどの大きさをイメージして頂ければと思います。(条幅は半切(はんせつ)と呼ぶこともあります)繰り返しになりますが、今回私は多くの方々が書いたことがある半紙の作品のほかに、2つの条幅作品の制作に励みました。では、同じ条幅に書かれたものでも、書体自由と臨書では何が異なるのでしょうか。この2つを比較してみましょう。

〈書体自由の作品〉

これは書体自由と言われるように、課題に対して自分の理解に基づいて、隷書・楷書・行書・草書など、どんな書体で書いても良い作品です。自分の理解とは、課題をどのように表現したいか、どのように自分の感性を落とし込むか明確にすること。つまり、日頃自身が抱えている思いや感情を紙面に吐露する、または放出させることができるものなのです。これこそが、書体自由作品の最大の魅力と言えるでしょう。自分の感情いかんで、岩に急流の水がぶつかってしぶきを上げるような激しい作品を書くこともできるし、かぐわしい花の香りがするような艶やかな作品にすることもできます(私はたまに、「激しすぎ、暴れすぎ」と釘を刺されることがありますが…(笑))。しかし、自分の感情を紙面に表出させるには、それなりの技術が必要になります。それを鍛えるものこそ、次に紹介する「臨書」なのです。

〈臨書の作品〉

臨書には様々なレベルがありますが、一貫しているのは古典を模写するということです。当たり前のことですが、古典を模写する際には、自分の感性を表立って押し出すということはありえません。無我の境地に至るか、あるいは古典の作者に思いを馳せながら書くのです。それは客観的な視点を養うことに繋がり、先人の書法を学ぶことで獲得する技術は、書体自由の作品で自身の感性や想像を表現する武器となります。また、臨書をするということは古典への理解を深めることでもあります。古典に思いを馳せるとき、その作品が書かれた時代背景や状況、作者に対して、深い理解を示すことが必要となります。つまり、ただ書いて技術を磨くのではなく、勉強することも重要だということです。

例えば、私が大好きで尊敬してやまない中国の書家・傅山(ふざん)。傅山は明末清初に活躍した文人で、明の崩壊後も遺民として、生涯にわたり清朝政府に抵抗の意志を示した人物です。たった少しの知識かもしれませんが、傅山がどのような人だったのか理解していると、彼の自由で放逸な筆致の中に、明の遺民としての毅然とした強さやムードを捉えることができます。

このように、臨書とは単なる古典の模写ではなく、客観的視点や新たな技術の獲得、古典理解などに繋がる「種」のようなものだということを、お分かりいただけたでしょうか。私自身の肌感覚の印象になってしまいますが、書道においてしっかりとした力を付けたいというときは、やはり臨書に勝るものはないと思います。ですから、1ヶ月を通して臨書作品に取り組むことができたこの度の昇試の経験は、自分の中で大きな学びの連続であったし、一回りも二回りも成長できた貴重な時間でした。

昇試の課題作品は大学の近くのポストから提出しました(私は通信で書道を習っているので、先生には毎回レターパックで作品を郵送しています)。包みを投函してから、「どうか受かりますように…」とポストの前で手を合わせ、ぶつぶつと念じていた姿を、友人に目撃されました(笑)。恥ずかしい…。でも、何だかんだ頑張った最後にオチがあるのは私らしい気がします!

昇試の結果は見事合格。それ以上は何も言うまい…。獲得できた準師範という位よりも、作品制作を通して得られた学びの方が、私にとって価値あるものだったと感じます。

書道は技術と感性の絶妙なバランスの上に成り立っている芸術。まるで高度な方程式です。技術だけが高くても、感性だけが磨かれても、良い書は書けません。そのことを胸に刻み、これからも書道の修練に励んでいきたいです!

久々に真面目なことを書いたら、とても長くなってしまいました!すみません!

本日もお付き合いいただきありがとうございました!それでは、また!

水屋

こんにちは、あかりです。

赤福餅の回で察した方も多いかと思いますが、私は大学で茶道部裏千家に入っています。赤福餅の回はここから見れると思います、多分。できなかったら、自力で探してください。投稿日は今年の4月1日です。

https://mcm-www.jwu.ac.jp/~nichibun/blog/index.php/author/ogura/

「茶道」という言葉を聞いた時、皆さんは何を思い浮かべますか?やはり最初にパッと出てくるのはお茶とお菓子でしょうか。お菓子美味しいですよね。種類が豊富で、その季節ならではのお菓子もあったりして。見た目も綺麗で見るのも食べるのも楽しくて、すぐになくなっちゃうのが少し寂しいです。お抹茶は流派によって少し点て方が異なるのですが、裏千家の表面が泡でふんわりと覆われているお抹茶が出されるとテンション上がります。時には泡が吸いきれないこともあるくらいふわふわに点っていておいしいんです。毎週お稽古中においしいお菓子とお茶をいただくことができるのは、とても幸せなことだと思います。飲み終わった後にお茶碗を拝見する時間も楽しく、お茶会などでは初めて見る模様に出会うことも。知っているお茶碗が出てくるのもまた「ここにもいた!」と嬉しくなります。

でも、茶道を始めてからは他にもう一つ楽しみができました。水屋仕事です。水屋とはお茶室の裏側にある作業場みたいなところで、使ったお茶碗を清めたり、お菓子を用意したり、お湯を沸かしたりする場所です。お道具を収納しておく場所でもあります。いわば裏方みたいなものですね。私はこの水屋仕事が大好きで、最近は暇さえあれば水屋に入り浸っています。勿論お稽古に支障のない範囲で。

大学の水屋の通路たった二、三人が座っているだけで通りづらくなる程に幅が狭く、一度に入る人数はどうしても限られてしまいます。「立って作業すればいいじゃん」と思うかもしれませんが、蛇口の位置的に正座して作業せざるを得ません。何より貴重なお道具を立ちっぱなしで扱えません。特に陶器類のことを考えると、怖すぎて無理です。万が一の時責任が取れません。

そんな水屋なので、お稽古中は一人で黙々と作業することがしばしばあるのですが、これがお茶とお菓子をいただいているときと同じくらい至福の時間なのです。私は元々一人で黙々と何かをしている時間が好きで、自宅でもたまに部屋に籠ってひたすらプラモデルを組み立てていることがあります。一人の空間は心が安らぎます。和気あいあいとお稽古をするのも楽しいですが、心を落ち着かせるという点では断然水屋。静かな空間で一人黙々とお茶碗を清めるあの時間は私にとって心の拠り所みたいなものなのです。さらに、一人の空間は自分を見つめ直すのに最適な場所なのでお稽古で先生が仰っていたこともここでよく考えています。友達とお道具を使って作法の復習をするのも勉強になりますが、教えを頭の中で咀嚼するときは一人のほうが集中できる気がしてついつい水屋にこもりがちになってしまいます。

なにより水屋はすごく贅沢な部屋です。水屋にいれば、「清める」という名目でお道具をじっくり観察できるからです。

お客さんも、お道具を見ることはできます。でもそれはお茶室にいる間だけで、一度外に出てしまえばもう見ることは叶いません。でも、水屋にいれば何度でも見る機会はやって来ます。お道具は水屋にしまうので、わざわざ見に行かなくても向こうから来てくれます。これを贅沢と言わずしてなんと言いましょう。特にお茶会を開くときは、普段のお稽古では使われないようなお道具を趣向に合わせて取り合わせるので、お茶室が終わるまでそれらのお道具が見られると思うと、ラッキー以外のなにものでもありません。

だから私はきっと来週のお稽古でも水屋にいることでしょう。入り浸りすぎないように気を付けながら。

それではまた。

嘘か誠か、人生の夏休み

こんにちは、この一か月で日焼け止めを五本買った女ことさゆりです。

なんせ五月の紫外線が怖い。ほぼプチプラですが、どれも使い勝手が悪くしっくりこなかったもので気が付いたら増えていました。ちなみにまだ買います。あと3本ぐらい。日焼け止めなんてなんぼあっても困りませんから。

日焼け止めは使用感が良ければ良いほど耐水性は落ちますし、ジェルやエッセンスタイプのものは化粧崩れしやすかったり、あるいは乳液の合成ポリマーと相性が悪くてモロモロが出たり、そもそもファンデの乗りが悪くなったりとバランスに困りますね。少しでもベースの仕上がりを綺麗にしたいので日焼け止めの段階から課金を重ねたい、しかし仕上がりを優先すると紫外線カット効果が落ちるという切実な悩みがあります。

ちなみに日焼け止めの紫外線カット効果に値段は関係ありません。落ちるか、落ちないか、塗りなおしをするのか、耐水性が一番大事です。ついでに言うなら、値段を気にして高いものを少量塗ると何の意味もないので安いものを大量に惜しみなく塗った方がいいです。もちろん日傘もさす。選ぶならジェル、エッセンスよりシャカシャカ振る二層タイプのミルク!!忘れないでください。二層タイプが最強です。

さて、日焼け止め談義はここまでにして、次に参りましょう。

みなさん、大学の4年生前期ってどんな感じかわかりますか?

就活、卒論以外にやる事がなくて暇なんじゃないかな、と思うでしょうか。

最近4年生になりましたとは言えない時期になってきましたが、実のところ、思った以上にフリーになってびっくりしています。よく文系の学生は暇で仕方ない、人生の夏休みだ、なんていいますけれど、私の場合3年生までは常にドタバタであまり余裕はなかったので4年以降なら理解できますね。とはいえ社会人の忙しさとはそもそもベクトルが違うので、思ったほど暇ではないぐらいと言っておきます。これは私が社会人になって時の為の保険です。

本当に人によりますし、私の100倍ぐらい忙しいのに余裕をもって充実した生活をしている超人も沢山います。というか、私以外のブログ部の4年生は特にそういった超人の集まりではないかと。わかるでしょう、文章から醸し出される何かが。

日本文学科の学生は真剣に学問に取り組む姿勢の人が多く、優秀な方が沢山いますが、先生方の手厚いサポートのおかげで私のような平々凡々一般人も生きていけますので安心してくださいね。

4年生の前期は就活の事を心配して卒論ゼミ以外に授業を取らなかったため、ひたすら卒論の準備、そして今更始めた教習所通い、資格の勉強、バイトをしています。授業がなさすぎて逆に不安です。授業受けたい。もっと日本文学科の授業を取りたかったのですが諦めてしまったので、後期は詰められるだけ詰めたいと思います。時間が空いてしまうとどうしても忘却の術にかかるので、定期的に作品に触れておかないと勘が働かないんですよね。

今は現在進行形で卒論ゼミでの発表準備に右往左往しており、ひたすら文字とにらめっこをしています。もう何も自信がないのですけれど、なんとかしたいです。

長くなりましたが、今日はここまでで。急に暑さが増してきましたので、みなさま体調にはお気をつけて。では、また。

燕子花

こんにちは!ましろです。

この間、ニュースを聞くまで梅雨の存在を忘れていました。あまりにも暑さすぎてもうこのまま温度が上がっていくばかりだな〜なんて思ってました。

尾形光琳の「燕子花図屏風」。皆さんも歴史の資料集などで一度は見たことがあるのではないでしょうか。実際に作品をどこで見ることができるかというと根津美術館です。表参道駅が最寄駅で渋谷駅からもちょっと頑張って20分ほど歩けば行くことができます。

この作品は、燕子花が咲く頃に飾られます。今年は4/13〜5/12が展覧会の期間でした。以前、根津美術館で着物の模様の展示を見たときに燕子花図屏風を所蔵していると知って絶対に見たいと思っていたのでやっと念願が叶いました。ちなみに予約する必要があったので時期が近くなったらホームページをチェックしてみてくださいね。

この美術館にはお庭があり、先が見えないような入り組んだ緑の中、石段を歩いていくつくりになっています。杜若の見頃は5月の上旬です。庭園の水辺には燕子花が生えており、まっすぐと伸びる葉と柔らかな花、緑と紫のコントラストがとても綺麗でした。庭園にはカフェもあり、ここから燕子花は見えないのですが、木々に囲まれながら食事することもできます。

燕子花図屏風は、金の屏風に青や藍の鮮やかな色で表現されていました。花びら一枚一枚の色の違いや葉が少し枯れているところまでしっかり見ることができました。

他に興味深かった作品が「扇面歌意絵巻」です。絵巻の扇に模様として絵が描かれており、隣に書かれている歌を絵で表現しています。私は文字だけで理解しようとするとあまり頭に入ってこないことがあるので絵とセットで歌を見ることで情景が想像できて良かったです。他にも四季の花が描かれた屏風や桜が描かれた襖があり、とても綺麗でした。

是非一度行ってみてくださいね。以上ましろでした。




押し入れ集・弐

ごきげんよう、今回はご機嫌のよろしいわたくし、あやめでございます。皆様のご機嫌はいかがですか。またまたお休みをいただき、1か月ぶりであります。サボっているわけではございません。

ア、どうなのか、どうなるのかわかりませんが、プロフィールを書いてみました(今更)。チラとみてみてほしいと思いました。オマケでした。

今回は去年の5月上旬にやった「押し入れ集」を、それこそ押し入れから引っ張り出すように思い出して、アレおもしろかったな(私が)、と思って、第2弾をやろうと決意いたしました。

押し入れ集、についてご存じない方に向けて、改めてお知らせしますと、暗くて変なにおいがしてひんやりして怖い、あるいは物が煩雑に置かれている単に物置としか思われない「押し入れ」が好きな私による、押し入れへの愛を語るもの…ではなく、押し入れのようにいろいろ詰め込んだ大小さまざまな文のまとまり、くらいの気持ちで名づけました文章集であります。随筆、なのでしょうか、わざわざ名前を付けるほどでもない文章のまとまり、というか、いわゆる「雑文」といいますか、「雑(ぞう)」といいますか、まあ今年も徒然なるままに書きたいと思います。久しぶりに・意気揚々とふすまをひらく音。

◆◆◆

ほら、急に開けては物が落ちます。ぎゅうぎゅうパンパンにいれているのですから。ドサドサ、ガラガラガン、バン!ドサン、ザラザラ、カラーン、カンッカンッカララ……だいぶため込みました。この耳をつんざく騒音が、追撃が、私はどうしても好かんのです。天気は晴、のち、曇りです。せっかく掃除をしようと思い立ったのに。ほこりが立つにおいと、かびくさい視界。

◆◆◆

次の目標として、こんなに長々々々しないで、淡々と短く、重い言葉を軽くパと吐けるような、重さ・重みのある人間になりたい、そういう事を掲げております。蛇足、即ち人間様に有害なヤな生物が、足をはやした滑稽な姿ではなく、この純粋な虫みたいな私が、地を這っている時代はもうおわりにして、そうではなく、もう堂々たる「おとな」なのだから、サッと一言で飛び去って行く、軽やかな優しい物言いができるようになりたい。いっぱいいっぱいがかわいく見えるこども時代はもう終わり。いっぱいいっぱい言葉を費やしてわたわたたどたどしくお話しするのではなく、ある適した一言で話を終えられる、完結させられる、重厚な人間に、語り手になりたい。ちなみにバイト先でもそのような指摘を受けました。もっと落ち着いて行動されたし、と。まあこの調子じゃしばらくは無理そうですが。あと、落語勉強したい。口上とか述べたい。ア、これは歌舞伎か。おっとっと。トンチンカン、ずっこけぶりはアイデンティティ?不変?普遍?不便?

◆◆◆

紙を霧に

ちがいます、髪を切りに、美容院へ行きました。人生初美容院です。病院ならいくらでも行ったことがあるんですが、ここ笑う所ですよ。髪を短くしてスッキリしました。ただ、たぶん自分の外見にそこまで躍起になっているわけではない私、ちょっと髪が短くなったくらいであまり心境に変化がなく、これしか書くことがありませんでした。ただ、びょういんとびよういんに一日で両方行ったという事実がちょっと面白かっただけなのです。蛇足、はじめの「紙を霧に」は、「かみをきりに」と打って初めに出て来た予測変換の結果です。あんまり綺麗な日本語だったので取っておきました。押し入れらしいでしょう。さあ、こうやって「ゴミ」が増えるのでしょう。だからヤな音、あの騒音が生まれるのです。そうおもうと騒音もいとおしく、思いません。むりでした。ちなみに、紙を霧にしたら、どうなるとか、そこは広げません。何色の虹がたつのでしょう、インクを載せていくらでも?紙を透かしたチンダル現象ってどんなでしょう。みなさまの豊かな想像力を使う所が来ましたよ、お葉書お待ちしております。

◆◆◆

過去の失敗を許せない悪癖があります。あれをこうすりゃよかったな。ブログもしかり、実生活もしかり、です。なんであんなことしちゃったのか。大きなことも、小さなことも、全部取っておいて、チクチク自分を攻撃してくる嫌な記憶を大事にしている、悪い癖です。あの時の私の頬をぶちたい。思い出して取り出しては悲しくて、苦しくて、つまらない気持ちになると、わかりきっているのに、わざわざ場所を取って残しておいて、自分を嫌な気持ちにさせて、何でもないのに。穴があったら入りたい、おや、ありました。失敗、error、mistake、fail、unsuccessful、色々種種様様ありますが、そのすべてを大事に過剰包装して、リボン掛けてとってあります。冷凍保存して奥底に押し込んでやれ。これこそが、わたしの押し入れの全貌。口の中に不味い味の唾がいっぱいに広がって、苦虫を嚙み潰した顔で、渋い思いをする羽目になるのです。誰に責められたでもなく、でもある日ある時急にそれらの封印が解けて、絶対零度の脳みそをぐちゃぐちゃに沸騰させて、貴重な脳みその一部が、目から口からあふれて俗世に飽和していきます。もったいない。だから、といって、誰もそれを知りませんから、私の損失、それで終わりです。幸い私には、一方的にお話しできる場としてこのブログを悪用する権利を有しているために、シメシメ、皆様を道連れにヤな気持ちにしてやれ!とできるのですが、そうでなければこの脳みその一部は(純真無垢、という名前です)、誰にも聞かれないで、音もたてずに瞬時に死んでいきます。併し、そんなものなのです。目の色がない人なんて、今時珍しくもない、だれもが、そうやっておとなになります。それをおいしく表現できるものが、上手な生き方を心得た方なのだと、おもいました。人生楽しんだもん勝ち。しかも、消化能力を鍛えるのではなく、他人に消化させて、当の本人はスタコラと次に取り組んでしまう、それが良いし、そのくらいが良い。蜘蛛の巣を払うとか、ほこりとりみたいなものです。持論。

◆◆◆

視界を狭めて生きています。どのくらい狭いのか、隣りにあなたが、知り合いが座っても気が付かないくらいです。わざとです。理由があります。なぜでしょうか。Guess what??答えは、小学生にさかのぼります。家族でレストランに訪れ、その時私だけお手洗いにいきました。はあ、ちょっと食べ過ぎてしまった、そんなしあわせな気持ちで満ちたころ、夕ご飯の時間だったため混んでいる店内、その隅にあるお手洗いに入ると、そこには自分と同じくらいの年恰好の方がいらっしゃって、手を洗っていました。同い年かな、あのかたは今日どうしてここへ来たのかしら?誕生日なのかな、と、見ず知らずの方に思いを馳せて、ちょっと長く見つめてしまったかもしれません。すると、その女の子(私も十分女の子でしたが)が、こちらをパッと振り返りました。そしてこう続けました。

「にらまないで!!!」

結構な声量、大声で怒られてしまいました。その時そこはわたしと彼女しかいない閉鎖空間。トイレ、特殊な湿度と温度を持つ息の詰まる空間。あの冷えびえした、たまの贅沢な夕飯に興奮している私の熱を冷ますだけの場所は一挙に冷たい戦場へと変貌を遂げ、私の額には今までにかいたことのない種類の汗が伝うのです。そして、驚いた私による、にらんだわけではない、という弁明を聞く前に、彼女は颯爽と去って行ってしまいました。瞬きの間の出来事です。脳裏には様々な疑問が浮かびましたが、つゆ知らず、目に映るのは勢いよく・後ろ手で閉められたドア。虚しく伸びた腕。ものを言いかけた形でこわばった喉。半端に閉まっている蛇口から垂れる水。これによってこれ以降、私はあんまり人をはっきりじろじろ見ないようにしております。

◆◆◆

なつかしい、これ、なんだっけ、と、取り上げた、あなたにとって、他愛ないもの

なつかしい、たしかあれだよ、白々と、私にとって懸命なもの

◆◆◆

知らないことを知らないふりしてそっとふすまを閉める音。ごめんね、見なかったフリして。やっぱり、片付かない。

ランチタイム

こんにちは。

私が誰か友人と顔を合わせたときに言う言葉、第一位が「ねむい。」、第二位が「おなかすいた」です。一日の間で寝る時間と食べる時間が至福の極みだと私は感じています。特に食事は温かい料理を食べられたときはもうにっこにこ。さらにその料理が自分を含め誰かの手作りであったとき、それは幸せ以外の何物でもありません。手作り料理を毎日用意し続けるのは心に余裕がないとできませんから、なかなか難しいのですけれどもね。自分に念力で料理を作る才能があったらいいのになあ。

そうそう。授業のある日のお昼ご飯も小さな悩みのタネですね。毎日料理なんてできない甘ったれの私がお弁当を用意できるはずもなく、言い訳程度に混ぜご飯用のわかめとか鮭をご飯にまぜまぜして、ちょっと大きめに作って来たおにぎりをおもむろにカバンから取り出し、ちまちまかじる私に後輩からの一言。

「先輩のおにぎり薄っぺらいですね(笑)。」

そんな後輩が手にする手作り弁当やらコンビニファームの焼き立てパンやらがおいしそうで、結局私もおにぎり1個では何となく物足りなくて、どうしたものかと考える日々。

そしてとうとう言い訳おにぎりを作ることに飽きてしまった私は、背に腹は替えられぬなどと格好のよい諺を頭に思い浮かべる暇もなく、食べ物を求めて構内をうろうろするのです。

今期の私の時間割は毎日3限が空きコマなので、最近はお昼休みの後半13時頃から3限の時間にかけてお昼ご飯を食べることが多いです。そのくらいの時間になると、人気のパンやおかずは品薄になっている代わりに、コンビニファームも学食もレジを待つ学生の行列が短くなっていることが多いので、待ち時間をとことん削減したい私にとってはよい時間です。1食の予算は500円。気分と体調と品物次第ではちょっとばかりオーバーしますけど、この破格の値段で昼食を済ませられるのは大学のすごいところ、ありがたいところです。最近は学食でお昼ご飯を食べるのがマイブームです。

学食に行くとき私は大抵、

野菜系の小鉢1品+肉・魚系のおかず1品+ライス(中)+お味噌汁

という感じのメニューにします。こうすれば大体500円くらいで収まるからと言うのもありますが、私にとって最も重要なことは白米とお味噌汁を食すということです。私は生粋の味噌汁好きなのです。そして学食のお味噌汁は温かくておいしいのです。一杯の量は決して多くはないのですが、それでいて必ず満足できるのがうれしくも不思議なところ。いつも学食のスタッフさんに

「ライスの中とお味噌汁ください!」

と言ってお椀によそってもらいます。先日も同じように学食のスタッフさんにライス(中)とお味噌汁を頼もうとしたのですが、その日は何がどうなったのか、私の口から発せられた言葉は次の通り。

「ライスの中とオムライスください!」

いやいや、オムライスもおいしくて好きですけど、今じゃないでしょう。慌てて言い直しましたが、その恥ずかしさたるや赤面する程にはあらず。ちょっとやっちまったなあと照れ隠しの笑いが出るくらい。スタッフさんもあまり気にせずにササッとお味噌汁を用意してくださりました。しかし、今こうして書き起こそうとすると吹き出してしまいそうです。

幸せな食事は腹が膨れるとともに終わりを告げます。ああ、もう食べ終わってしまった。次の食事では何を食べようか。明日のお昼は何を用意しようか。私の小さな悩みのタネはつきません。いいえ、それこそ生きている証、生きている幸せとでも言いましょうか。

彼はその紅茶を__.

栄光の味

それはどんな味だろう

紅茶

それは永遠だろうか




罪は

罰によって

贖われ得るか


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三島由紀夫 『午後の曳航』


舞台は横浜港。日夜数え切れないほどの船が、汽笛を轟かせては現れ、水平線に溶けてゆく。

主人公の「登」(のぼる)は13歳の少年で、8歳の時に父を亡くしてからは母の「房子」(ふさこ)と2人暮らし。

メイドもいるような豪邸で、出稼ぎに行く母に残された「登」は退屈に染まっている。



ある日、船好きの「登」たっての願いで、母「房子」と「登」は船を見学していた。
案内役を買って出たのは二等航海士の「竜二」(りゅうじ)である。そんな彼の逞しい身体つきと、華々しい冒険譚。

船に乗り、未開の地へ旅立つ航海士は、退屈に染まる少年にとってまさに

【英雄】

であった。



否、「登」にとってだけではない。
同じく退屈に染まり、年に似合わぬ高い知能を持て余した少年たち。「首領」と呼ばれる少年を中心とした、6人組の中学生たちにとっても【英雄】とは甘美な響きであっただろう。

しかし、「登」にとって【英雄】との出会いであったこの日は
  「房子」にとって新たな【旦那】との出会いであったのだ。



あぁ、そうだ。ここで皆様と、「登」の持つ「秘密」を共有しておかなくては。



彼の部屋には趣味のいいタンスがあるのだが、その引き出しを引くと、そこは時空のゆがみが広がっていて、中から青いネコ型ロボットが・・・なんてことはなく。

そう、引き出しを全て引き抜くとそこには小さな【穴】が開いているのだ。

誰が、いつ、何故、開けたのかなど見当もつかない。だが、少年にとってそんなことはどうでもいい。
今重要なのは、思春期真っ盛りの少年の部屋に、隣室を、つまり母の部屋の「ベッド」を覗き見ることの出来る【穴】が開いていることだけなのだから。



そこで少年は目にしてしまう。


【英雄】が、母という「女」によって、最も忌むべき【父親】へと変貌してゆく様を。


あぁ、あぁ・・・。【英雄】が、限りの無い大海原へと溶けるはずの、孤高の【英雄】が
今まさに、シーツの海へと蠱惑の女へと溺れてゆく。

「竜二」は、船を降り、あろうことか「登」の【父親】になるのだと言う。



あぁ!これは【裏切り】だ。そうだろう。少年たちよ。【英雄】に湧き、【親】という枷を厭う、自由なる少年たちよ。

「首領」たち6人組の少年は裁かなくてはならない。堕ちた【英雄】。この裏切り者を。



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さァ、少年たちの審判の行く末は、「竜二」の罪はどこへ着港するのやら。


三島由紀夫、『午後の曳航』。
ざっとあらすじをご紹介いたしました。舞台は先述の通り、横浜港でございます。
私めは事あるごとに「近代文学」が好きだ!!と叫びのたうち回り、近現代自主ゼミにも所属しているのですが…。その中でも、特に三島由紀夫さまの「文学」を愛しております。
そして、以前ブログでも書かせていただいたのですが昨年度の自主ゼミ旅行の行き先は「横浜」!
皆まで言わせるな…の構えです。そりゃあもう行くでしょ、聖地・・・!


主人公である「登」の母「房子」さんが切り盛りしていたのが、紳士もののスーツなど舶来の品々を扱う大変トレンディな【レックス】というお店です。
こちらの元ネタとなったのが【THE POPPY】という横浜中華街にある高級洋品店。
エメラルドグリーンの屋根と洋風な造形がとても美しいお店です。

もちろん行って参りまして、その時のお写真がこちらです。


も、猛烈に閉まってるゥ~~~~~~~~~~~ッッ!!!!!!!!!!

「ポピー~~~~~~~~~ッ!!」

今日のポピー:アイスランドポピー

花言葉:慰め



って感じですよもう。太子も顔負けの特大ポピー案件でしたとも、えぇ。
元ネタが気になる方は「聖徳太子 ポピー」で検索してみてください。


ちなみに、同日に向かった「大佛次郎記念館」も閉館してました。
もしかして:私、ツイてない。

本当にもうお涙ちょちょぎれ通り越してブチ切れですが、私めは理性ある淑女でございます故、いずれリトライすることにいたします。
もし、もしもですよ??横浜近辺にお住いの日本女子大生さんがいらっしゃって、お写真を撮ってくださってもいいという神様がいらしたら…私めに恵んでいただいても…あの…(諦めが悪い)


あ!あとですね、「ライチ☆光クラブ」という演劇が原作の漫画作品があるのですが…ご存知の方はいらっしゃいますでしょうか。もしお好きでしたらきっと『午後の曳航』もお楽しみいただけるのではないかと思います。なにせ、作中に登場する「首領」と呼ばれる少年を中心とした6人組の男子学生たちは、どことなくライチの彼らと近い雰囲気や香りを漂わせていますから。

そのようなワケで、もしライチがお好きでしたら是非とも三島由紀夫作品を一度お手に取ってみていただきたい。
ちなみに私の推しはタミヤとデンタクです。




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そんなこんなで、聖地巡りは何とも言い難い形で幕を下ろしましたが、、、
何とも言い難い形で幕を下ろすのは作品も同じ。


ネタバレになってしまうかもしれませんので、未読の方はここまでの方が具合がよろしいかと存じます。
(重大なネタバレはしていないので、未読の方はただただ意味が分からないだけやもしれません)



そう、エンディングなのですが、ある種芥川龍之介の『羅生門』を彷彿とさせるような。。。

自主ゼミの先生とこの作品についてお話していたところ
「あなたはこの作品のエンディングを最後まできちんと書いてほしかったと思いますか?」
と聞かれたのです。

この質問についての返答、かなりの悩みどころでございまして・・・。
もしも読んだことのある方がいらっしゃいましたら、、、貴方様でしたらどのようにお答えになりますか?

実のところ私めは「書いてほしかった」といった返答をいたしました。



「蛇足」なんていう言葉もありますが…
もちろん、書いてしまった事により、それが既に完成された世界観を壊してしまうリスクは重々承知しております。
また、何より読みの解釈の幅を限定してしまうことに他ならないでしょう。


例えるならこの美しい作品はカップの縁、ギリギリまで溜められた紅茶。
表面張力によって保たれている、張り詰めた美しき世界。

そこにたった一滴。ヒタリ。それから、パチン___.
その一滴が決定打となって決壊してしまう。

それらは全く否定のできない可能性です。それに、私は実際、そのはち切れそうな紅茶の膜を愛しているのです。


ではなぜ、その美しき、己の愛する物を壊そうとするのか。


単純なことです。読みたいのです。
三島さまの文章を文字を1文字でも多く、読みたいのです。
ただただ供給に飢えるだけのオタク心なのです。

本当にこのオタク心は、低俗で安直でヤッカイ。


※ここでのオタク心は私個人のものを指し、それ以上の意味は持たない。またこのブログの意味はおそらく作品をお読みにならなければ支離滅裂。ぜひご一読ください。


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ねぇ、栄光の味はどうでしたの?
あの感想は語り手がお喋りになっているだけですもの、私は【英雄】さんにお聞きしているの。

口をつけただけで、あれはまだアナタのお腹には届いてもいませんわ。

なら、あの瞬間、あのお紅茶は永遠になったのね。

お紅茶は永遠なのかしら、罪は罰によって贖われるのかしら、

あの少年たちは裁きを下さんとした、ではその少年たちは




ねぇ、あの時の猫さんはどうお思いになるかしら!

行こう 空の上まで

私がはじめて親に買ってもらったCDは「しゅごキャラ!」のCDだった。
その後、私はAKB48にハマり、ももいろクローバーZにハマったり、BiSHにハマったり。

頑張る女の子が、戦う女の子が、大好きである。
そんな私が今ハマっているゲームがある。

5月16日にリリースされたスマホアプリ、「学園アイドルマスター」。
アイドルマスターという名前を、一度は聞いたことがあるかもしれない。
「学園アイドルマスター」通称「学マス」はその最新シリーズである。

私がこのゲームの存在を知ったのは、YouTubeでふと流れてきた一つの動画からである。

最初に映るのはレッスンの様子。
決して上手いとは言えない歌声。不安そうに歪む硬い表情。
ライブ映像に切り替わった瞬間、鳥肌がたった。
「歌とダンスが上手くなるアイドル育成シミュレーション」
その言葉の通り、同じ人物とは思えないようなパフォーマンスが広がっていた。
臨場感溢れるカメラワーク、自信に満ち溢れた表情。頭から離れなかった。
さすがアイドルマスター、これはきっとすごいゲームになる!
そう確信し、事前ダウンロードのボタンに指を伸ばした。

そしてきたる5月16日、私は「学園アイドルマスター」をダウンロードした。
その日はバイトがあったので、バイトが終わってからやろうと楽しみにしていた。
休憩中、早速ダウンロードしたという先輩から「しらちゃん、やばいよ、絶対早くやったほうがいい」とオタク特有の瞳孔が開き切ったバキバキの目で言われた。
オタクにはわかる。この反応は本物だ、多分神ゲーなんだろう。
早くやりたい!!オタクはバキバキの目で退勤した。

ずっと気になっていたキャラクターがいた。
花海咲季。いわゆるこのゲームの看板キャラで、赤担当のセンター。
「勝つのが好き!負けるのがだ〜いッキラい!」勝ち気で負けず嫌いな優等生キャラだそうだ。
私の好きなアーティストがこのキャラクターのソロ曲に楽曲提供しているらしく、その曲もカッコよかったのでこのキャラクターを最初にプロデュースしようと決めた。

プロデュースをしながら、徐々に見えてくる彼女の人柄、性格、魅力、そして葛藤。
彼女がなぜアイドルを志したか。
なぜ「トップアイドル」を目指すのか。
彼女が今まで何と戦い、何を見て、そして舞台である「初星学園」でアイドルになることを決心したのか。プロデュースを重ねるごとに、彼女に感情移入していく。
彼女をトップアイドルにしたい。そんな思いが増していく。

このゲームでは、プロデュースを終えるとライブを見ることができる。
最終試験で三位をとると校庭、二位をとると屋上、一位をとると屋外の小ステージでライブができる。


そして何度も何度も繰り返しプロデュースをして、条件を満たした上で一位をとると、「true end」として大きなライブ会場でライブをする姿を見ることができるのだ。
プロデュースをする中で何度も失敗し、吹き曝しの小さなステージで少人数の観客を前に歌い、踊る私の担当アイドルを見るたびに、大きな会場で大人数を虜にする彼女の姿を夢に見る。
彼女のプロデューサーとして、彼女の晴れ舞台を見てみたい。

そして幾度となくプロデュースをした先でやっと迎えた「true end」
オタクは泣いた。ボロ泣きした。
プロデューサーとか色々言ったが、そもそも私はオタクなのだ。
頑張る推しに、弱い。輝く推しに、弱い。
大きな会場を身一つで沸かせる花海咲季、かっこいいよ。

校庭の小さなステージで歯を食いしばって悔しがる姿を見ていた。
大きなモニターに映し出され、不敵な笑みを浮かべる彼女にその姿を重ねる。
彼女をプロデュースしたのは私だ。私の、担当アイドル。
アイドルは偶像だ。
きっと、この作品の中で彼女を推しているファンたちは彼女の涙を知らない。
彼女の葛藤を知らない。
この世界の中で、その姿を知っているのは私だけだ。
なぜなら花海咲季のプロデューサーは私なのだから。

花海咲季は誰よりも頑張る女の子で、そして常に何かと、誰かと、妹と、そして自分と戦っている女の子だ。
私はこれからも彼女の戦いを、輝きを見続けていたい。
彼女は自分のことを「偽物の天才」と呼称した。
果たして彼女は「偽物の天才」なのだろうか?それとも、本物の天才なのだろうか。
ひょっとしたら、ただの、普通の女の子なのかもしれない。

おそらくそれは、彼女をプロデュースする中で自ずと見えてくるものである。
そしてその答えはきっと人によって違うものになる。学マスには、花海咲季の他にも8人のアイドルがいる。
どの子をプロデュースするにしても、その魅力の虜になることだろう。
スマホ一つあれば見ることができる輝きを、どうか目に焼き付けてほしい。

あなたの変化

こんにちは、ゆきほです🍵

4年目にしてはじめてmanabaのプロフィールにアイコンを設定してみました。

今まで何か理由があって設定していなかったのかと聞かれたらそういうわけでもありませんが、玄関先でカメと戯れているときに撮影した写真を設定したため、manabaを開くと右上にカメが現れるようになってちょっと嬉しいです。

設定→プロフィール設定→プロフィール画像から画像を選ぶと設定できますが、IPhoneで撮影した画像ファイルの形式であるHEIFには対応していないようです。

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先日、ある面接を受けた際に「あなたは新型コロナウイルスの流行によってどのように変化しましたか?」というような質問を受けました。

私たちの学年は大学1年生のときはほぼ全てオンライン授業で、2年生になってから対面授業に戻ったという、大学生活でコロナの影響を大きく受けた最後の学年になるのではないかと思います。

私も例に漏れず、1年生の時は身体運動と日文基礎、変体仮名演習、基礎演習以外は全てオンライン授業で、学校に行くのは週2回のみ。2年生の前期からいきなり週5で登校するようになりました。

確かにコロナの影響はたくさん受けたけど、私自身がどう変化したか……?と少し考えましたが、割とすぐにこれだ!!!という答えが出てきました。

「1人”が”好きなのではなく、1人”も”好きなのだと気づいたということです」

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思い返すと小中学生の時、私は本当に学校が好きではなくて、放課後友達と遊びにも行かない子どもでした。

今アルバイト先で小学生と話していると『えっ17時まで友達と公園で遊んでからここにきた!?!?』とびっくりすることがよくありますが、私は小学生のとき「学校で会える人と何でわざわざ放課後も会わないといけないんだ」と心の底から思っていました(でもこの気持ちは今も分かります)

加えて趣味は読書とお絵かきとゲームと、あとはリクガメと庭で遊ぶこと。鬼ごっことかドッジボールとかドロケイとかは全部嫌い。そりゃ放課後にわざわざ遊びに行こうとは思わないですよね。家に帰ったらおやつを食べながら録画してある朝ドラを見て、終わったらカメと遊んで宿題をする生活を送っていました。

あのとき家で読んでいた本で今の私はできているし、あのとき家で黙々とやっていたタイピングゲームのおかげで今爆速タイピングができるので、「友達と外で遊んでおけば良かった」という後悔は全くありません。ただ、友達と地元を遊び回るという経験をしていないせいで「ここに駄菓子屋さんがある」とか「あっちに公園がある」とかそういう”プチ地元情報”がないことには若干困っています。

根がこんな感じなので、正直家で黙々と授業動画を見て課題をこなしていたあの1年間は、私にとってとても快適でした。人に会わないなら会わないでやりたいことはいくらでもあるし、私は1人で人生を楽しむことがある程度できます。むしろ友達がいない方が楽しく生きられるんじゃないか……?と中学生の時までは本気で思っていました(高校の時にそんなこともないと気づきました)

でも2年生になってやっと大学に通うようになったとき、あれ!?学校ってこんなに楽しいものだっけ!?とすっごくびっくりして。

楽しすぎてびっくりしているブログがあるので、若干恥ずかしいけど貼っておきます

https://mcm-www.jwu.ac.jp/~nichibun/blog/index.php/2022/04/21/

結局私には小中で大人から求められていたような人間関係が極端に合っていなかったんじゃないかなと思います。

昼休みくらい1人でのんびりしたいのに学級レクに駆り出されちゃうし、合わないなと思う人とはお互いのために離れていたいのに「みんな仲良く」しなさいと言われてしまう。そんなの友達はいらないなって思ってしまいますよね。

「人にはどうしても合う・合わないがあるから、このクラスの全員と仲良くなることはきっとできないだろうし、それは求めない。でももしかしたらこの中にあなたと”一生の仲”になる友人がいるかもしれない。たまたま家が近所だということで集められたであろう小・中学校での交友関係が一生続いていく可能性は残念ながら低いが、高校や大学の友達は同じような生き方を自分で選択した人達が集まっているため一生付き合うような仲になる可能性がある」

高校の入学式の日に担任の先生が話していたことが私は大好きで、今も変わらず大切にしています。

100人いても100人と仲良くすることは残念ながらできないし、無理に仲良くする必要もないと思います。私は100人の中にいる数人と仲良くすることも、それ以外の時間を1人で過ごすことも、どちらも楽しめるお得な人間なのだと分かったことが「私の変化」です。

面接の後ずっと心の中で考えていたので、今回文章にしてみました。

ではまた。

真実はいつも…

みなさん、こんにちは。

天候が安定せず服装に困るここ数日。季節の変わり目に私も無事体調を崩し、泣く泣くマスクとお友達になる生活をしています。基本的に息苦しさを感じてしまうマスクが苦手なのですが、風邪には勝てません。とはいえ、これからますます気温が上がり、夏本番となる前にマスク生活とおさらばできるように安静な生活を心がけようと思います。

さて、もう2週間近く前の話になりますが、GW期間中に話題の映画「名探偵コナン100万ドルの五稜星(みちしるべ)」を観てきました。「面白かった!」というあまりにも語彙力のない感想が1番に口に出ますが、いや、本当に面白かったです。

そもそも、ヲタク気質な私は当然のごとく「名探偵コナン」を履修済みであり、かといって熱心に推すわけでもない所謂「にわか」です。今回映画を観ようと思い立ったのも、偶然に予定が空いたからでした。そのため、予告映像などあらゆるところで見かけていましたが、前情報ほぼなし(しかも1人)で映画館に乗り込みました。GWの家族・友達同士の交流の場に1人。ガチ勢のような佇まいで若干の申し訳なさを感じつつ、久しぶりの映画館を堪能してきました。

映画は流石。手に汗握るスリリングな展開と時折混ざるコメディ要素、「かなり好き」なキャラたちの登場に心の中で喜びの舞を踊るほどの満足度でした。ネタバレをしない程度に胸アツポイントをお伝えすると、原作の異国の地で新一が蘭に…!!なあの名シーンや、くすっと笑える服部平次と怪盗キッドの因縁が小ネタとして盛り込まれていた点です。ヲタクな私は「あのときの…!」となるものが大好きです。

しばらく下火になっていた「名探偵コナン」熱が再熱しそうになるほどツボを突かれてしまいました。江戸川コナン・服部平次・怪盗キッドのコンビの愛称の良さにも感動。「名探偵コナン」ではなかなか見られない素を出した怪盗キッドが描かれたのも高ポイントです。怪盗キッド改め黒羽快斗が主人公となる「まじっく快斗」も履修済みなため、そちらの物語を思い起こすと、嬉しいシーンも胸の痛みが倍増するシーンも沢山ありました。感情を揺さぶられるのが大好きです。個人的には、「まじっく快斗」のヒロインである青子ちゃんの登場に声がでかけるほど盛り上がりました。青子ちゃん、子どもらしさと優しさ全開の可愛らしい女の子です。快斗が青子ちゃんを巻き込まないようにしつつ、仲を深めていく様子は胸キュンです。まだ見たことのない方は、ぜひ見てみてください。

こうして感想を振り返ると、盛り上がりポイントがほとんど恋愛要素で「?」マークが浮かんできます。ただ、以前作者である青山剛昌先生が「名探偵コナンはラブコメ」と仰っていたとかいないとか。したがってこの楽しみ方は決して間違っていないと言えます。死ぬまでに「名探偵コナン」に登場するカップルの結婚式回をすべて観たいものです。

ラストに天地がひっくり返る衝撃的な事実が明かされ、放心状態で映画館を後にしました。正直この話だけで1週間白飯が食べられるほどの熱量なのですが、特大も特大なネタバレのため今回は割愛させていただきます。当時の私は「は?」の一言しか出ない猫ミーム状態でした。びっくりした…

上映時間がお昼ごろでして、退館後ご飯を食べようとしたところGWの賑わいで14:00ごろにも関わらずどのお店も異様な混雑具合。池袋で映画を見て、さらに次の予も池袋であったので必死に探したのですが座れる場所もなく撃沈。そんなとき、「目白に行けばよいのでは?!」という天才的な発想に至り、即移動、無事にお昼にありつくことができました。毎日のように使う目白駅ですが、その周辺でご飯を食べたり、遊んだりすることはあまりないなというちょっとした気づきもありました。3年目にして目白駅周辺探索を敢行してみようかと計画中です。実施の際にはその時の様子をブログで紹介しますね。

偶然ではありますが、私が「名探偵コナン100万ドルの五稜星(みちしるべ)」を鑑賞した日は5月4日。江戸川コナン改め工藤新一のお誕生日でした。日付が変わる少し前、自宅の最寄り駅でふと思い出し、タイミングの良い自分を褒め称えました。

ということで、お久しぶりな名言紹介のコーナーです!

「オメーは厄介な難事件なんだよ!余計な感情が入りまくって、たとえ俺がホームズでも解くのは無理だろーぜ!好きな女の心を正確に読み取るなんてことはな!」(『名探偵コナン』、工藤新一』)

先ほどほんの少し触れた名シーンでの名セリフです。推理オタクでキザな新一らしい告白?が最高です。天才的な頭脳を誇る高校生探偵も解決できない”恋”。恐ろしいですね。このセリフ、新一と蘭の表情、場所、時間すべてにおいて素晴らしいのでぜひ漫画、アニメでご覧ください。

思いつきの弾丸映画鑑賞ではありましたが、ヲタク心をくすぐられる充実した日になりました。久しぶりの映画館でしたが、これからは大学生の特権を振りかざしちょくちょくと足を運んでみようと思います。

今回もお付き合いいただきありがとうございました。