丑松の選択

この世に読まなければならない文学なんてものは存在しない。だからこれを読まないとダメだとか日本人なら必ず読むべきだとかそういうことを言っている人が私は好きではない。文学は所詮娯楽であって漫画やゲームと何も変わらないし文学だけが高尚なものだとか芸術の一種だとかそういう考えは一切捨てて普通にふむふむ面白いなあと軽い気持ちで読めばそれでいいのだ。

たまたま自分がふむふむ面白いなあと感じるものが近代文学であっただけで難しそうな本を読んでいて凄いねとか頭がいいねとかそういう話ではなくただ私が時代錯誤なだけだ。大抵の人はゐとかゑとかいう文字が出てくる小説をニコニコしながら読まないし現代人に親しみやすい分かりやすい言葉が溢れている時代にわざわざ旧仮名の小説を読む必要がどこにあろう。読書量が少ないとか近代文学を読んだことがないとかそんなものは恥ずかしいことでもなんでもないし自分がそういう文学が好きだからと言って文学に親しみのない人を馬鹿にすることがあってはならない。

しかし読むべき文学が存在しないといえど読んで欲しい文学は多数存在する。その一つが島崎藤村の破戒である。私は高校二年生の時に初めてこの小説を読んで読めば読むほど作品の中に飲み込まれていって最終的には丑松が告白する場面で丑松と共に涙してしまって今でもあの感動は忘れられない。壁に仕切られた塾の個室で誰にも見られないようにひっそりと涙をこぼしながら電子辞書で破戒を読んだ秋の日の寒さ。そんな高校時代のたった一ページが卒業論文になるのだ。

島崎藤村はジットリした文章を書くので私のようなせかせかした文章とは真反対の位置にいると思う。だから文体という面では私は藤村からあまり影響を受けていないことになる。普段の私を見ていても格別藤村が好きな人には見えないと思うしそもそも藤村が好きな人が珍しい気もする。自然主義文学が大好きですという人に私はまだ会ったことがない。おじさんのせいよくが赤裸々に描かれていて気持ち悪いですという人には何人も会ったことがある。破戒は蒲団とか新生とかその辺とは違う自然主義文学だから破戒好きイコール自然主義好きにはならないけれどそれはそうと女子大生には安吾とか太宰が人気で流石だなあと思う。

破戒について研究した内容は全て卒業論文の中でぶつけるからブログでモジャモジャ言う気にはならない。こんなことを言ってしまうと過去の先輩方がこの時期に自身の卒論について分かりやすく説いていたことを思い出して涙が出てくる。ブログ部として活動してきてもう大学四年生になってしまったけれど一向に上品な文章が書けない。雑草がいくら頑張ってもペンペン草にしかなれなくて一生かけても花壇に咲いている花にはなれない。そんなことはどうでもよくてとにかく私は卒業論文を書くのが楽しくてワクワクしながら筆を進めているからみんなもそういう作品を題材にして欲しい。好きなものを題材にすれば全く苦ではないから。私は四年間好きなことだけ勉強してきて得意分野で戦ってきてとても楽しかった。

大学を歩きながらああもう卒業してしまうのか私は後何回この大学内を歩けるだろうかと考えて悲しくなった。行きたい大学ではなかったから他大学に編入しようとか院から違う大学に行こうとか考えていたけどあまりにも日本女子大学がいい大学過ぎて友達があったかくて先生が優しくて私は一生日本女子大学を背負うのだと決めた。大学在学中私生活は穏やかでない日も多々あったけれど大学の中で嫌な思いをしたことは殆どなかった。ずっとずっと楽しくて楽しくてこんな幸せな学生生活は初めてだった。

小さい頃に窓際のトットちゃんとかココシャネルの伝記とかを何回も読んでいた私は人生なんてのびのび生きていいなんぼだし自分らしく生きることが何よりも大事だと思っていたけれど自分が生きてきた田舎はそんな思いが叶う場所では全くなくてずっと苦しい思いをしてきた。のびのび生きれば出る杭と見なされ打たれてひっそりと生きれば地味だと馬鹿にされなんの特徴もないそこら辺の平凡な普通な女の子でいることが成功で目立たず騒がず大人しくしておくことが美徳だった。

でも私はやっぱりそんな普通の女の子たちより黒柳徹子さんが魅力的に見えたしココシャネルになりたかったしそういう自分の性格と平塚らいてうを輩出した大学がシンデレラフィットしたのだ。自分の気持ちを惜しみなく表現できる学部学科に手招きされたのだ。我が四年間に悔いなし。あれをすべしこれをすべしは一切ないけれど自分を信じ続ければきっと自分に合う環境は見つかるし人生なんて自分が輝ける場所探しだと思う。だから破戒の話に戻るけれど丑松のテキサス行きを誰も馬鹿にできないし逃避でもなんでもない。丑松の希望の選択を私は私のために推していきたい。

銀&ビスで、ギンビス。

こんにちは、あこです。

気がつけばもう12月。どういうことでしょうか。

あまりにも月日の流れが早すぎて、誰か嘘だと言って欲しい。

来月は、2024年だってよ!!!

動揺が隠せません。

*****

先週は、よく出かけました。

高校時代の友人と会い、別の友人と御茶ノ水の某ホテルへ泊まり、近藤真彦のコンサートへ行き、東京国立博物館の特別展「やまと絵-受け継がれる王朝の美-」を観に行き、母と銀座・日本橋エリアを歩き、諸々のクリスマスコフレを購入し、父母と月島のもんじゃを食べ、今に至ります。

卒論は???

はい、今だけは、この質問はNGです。

ぐぬぬぬぬぬ ぎぎぎぎぎぎ にょーーーーーん

頭がおかしくなりそうです。(手遅れ)

ーーーーーーーーーー

とまあ、そんな感じで色々あった1週間でしたが、特に印象的だったのは、銀座で出会ったおじいちゃんです。

元々は某紅茶屋さんのアフタヌーンティーが目的で、せっかく日本橋に来たならちょっと歩こうか、と、銀座方面に向かって母と歩いていました。

すると、偶然「銀座ベーカリー」という文字が左手に見えまして。

「こんなところにお店を構えてたんだ!」

「ちょっと寄ってもいい?」

「うんうん、行こう」

と、横断歩道を渡って、いざ、お店へ。

そこで出会った店員さんが、そのおじいちゃんでした。

※もしかしたら覚えている方もいらっしゃるかもしれませんが、「銀座ベーカリー」は、2022年8月27日のブログで紹介した、”カステラビスケットサンド”のお店です。私は百貨店の催事で出会いましたが、銀座のカフェでもいただけるので、近くへ行った際にはぜひ足を運んでみてください!すっごく美味しいです!

「いらっしゃいませ〜」

「Gスティック、美味しいから試してみて!」

「ありがとうございます〜」

最初は、こんなありきたり(?)なやりとりだったと思うのですが、ひょんなことからお店の成り立ちや商品の開発秘話をお聞きすることができまして。

というのも、その”おじいちゃん”こそが、かの有名な「たべっ子どうぶつ」シリーズや「しみチョココーン」の開発者さん(の1人!?)だったのです。

「ギンビス」はもともと、「銀座ベーカリー」という名前で、銀座や蔵王など(←沢山地名を聞いたのですが忘れてしまいました。すいません!!!)でレストランを経営していました。

しかし、そのお店のビスケットがあまりにも好評だったため「これからはビスケットで行こう!」となり、「銀座ベーカリー」の「ぎん」と、「ビスケット」の「ビス」を合わせ、お店の名前は「ギンビス」に変わります。

そしてその”おじいさん”たちの定年後。「もう一度、銀座ベーカリーやりたいねぇ」ということで、10年前に、銀座の地で「銀座ベーカリー」を復活させたそうです。

「たべっ子どうぶつの動物は、全部で何種類か知ってる?」

「元々は、知育菓子として作ったんだよ!」

「〇〇だからね、⬜︎⬜︎してもサクサクしたままで、溶けないんだよ!」(←確か含浸技術について説明してくれたのだと思いますが、忘れてしまいました!私と母の大バカ野郎!!!)

幼い頃から慣れ親しんでいたお菓子を開発した方ということで、「えぇ!」「すごい!」「そうなんだ!」と、驚きながらお話を聞いていたのですが、私以上に、母が大興奮。

腰と首、だいじょぶそ???

と心配になるくらい、全身で感動を表現していました(笑)

ということで、沢山のお話を聞けてとても楽しかったのですが、何より印象的だったのは、その”おじいさん”のキラキラした目です。

「これ、おじさんが作ったんだよ☺️」

「えぇ、そのお菓子知ってるの!嬉しいねぇ☺️」

「〇〇も美味しいんだよぉ☺️」

嬉しそうに、そして何より楽しそうに、ギンビスとお菓子の話をしてくださる”おじいさん”の目は、間違いなく、今年出会った人の中で、いちばん輝いていました。

*****

自分の仕事と、会社と、商品と。

情熱を持って、愛を込めて、(もちろん大変なことはあったと思うけれど)ワクワクしながら働いてきたであろう”おじいさん”。

仕事が好きなのか、会社が好きなのか、商品が好きなのか、はたまた全てが好きなのか。

それは分からないけれど、とにかくキラキラしている”おじいさん”。

4月から社会人になる者として、こんな”おばあさん”になりたいなと思いました。

おじいさん、本当にありがとうございました!

また、行きます!!!

それでは、また。

何事も、正直が肝心…。

皆さん、こんばんは!ずきです。

11月29日というと、その数字から色んな語呂合わせが考えられますね。皆さんはどの記念日を思い浮かべたでしょうか。

「いい肉の日」「いい服の日」「いい福の日」「いい文具の日」「いいフグの日」「イーブックの日」…

ざっと並べただけでも本当に沢山!!!これ以外にも調べてみるとかなり多くの記念日が出てきました。

更新日に関する記念日やその日起こった出来事について紹介するブログを書く私からしますと、大変悩ましいことなのですが、その中でも私が気になったのは…。

言いにくいことを言う日」。

「正直に言うこと」って本当に大事ですよね!
こんな時こそ!(いつも正直でない、嘘をついている、という訳ではないのですが…!)正直になろう!!!

今回は「言いにくいことを言う」「正直になる」をテーマにお送りします。

・・・

言いにくいことを2つ、正直に、赤裸々に申し上げましょう……。。

1つ目。卒論の進捗、駄目です!!!!!!!!全然進みません!!!!!
あーーーーー!!!(限界大学生の叫び)
本当にどうしましょう…。他の4年生もブログで綴っていたかもしれませんが、提出期限まで1ヶ月を切ってしまいました……。
大学には授業がない日も来て作業しているのにもかかわらず、全くもって余裕がありません。こんなはずでは……。月2回の更新が習慣となっているはずのブログも、今はギリギリの状態で打ち込んでいます……。

・・・

ここ最近は、卒論会なるものを開いてくれる友人たちの存在に救われています。対面もしくはオンラインで一緒に卒論の執筆作業をしたり、対面の場合は、作業後に一緒にご飯を食べながら、悩みや愚痴を共有したり…。
そのおかげで作業も捗っています!いつもありがとう!無事に仕上げて卒業しようね!

・・・

2つ目。食欲がものすごい…!
とある1日の食事スケジュールは、ざっくりこんな感じ。最近割とこんな日が続いています…。そこまで大食いというわけではない私としては、かなり様子がおかしいです。

朝(8時~9時頃)
昼(12時~13時頃)
おやつ(執筆作業中、絶えず口を動かしている。かなりのお菓子消費量)
夕食①(18時頃)
夕食②(21時頃)

夕食を2回食べている時点で既に様子がおかしいですね…。
卒論執筆で脳をフル回転させている影響なのか、ここ最近の寒さが原因なのか…。原因は定かではありませんが、1人暮らしの家計には大打撃です。ただ、食べないとエネルギー・体力が持たないのも事実…。

食事量が増えたことによるメリットとしては、大学のキッチンカーや学食を満喫できるところ!残り数ヶ月の学生生活ですからね…!満喫するに越したことはないでしょう!!!(言い訳)

というわけで、ブログ部であり、同じゼミ所属のやなさんと一緒に作業した際に食べたキッチンカーのメニューを写真でご紹介!

とある火曜日のランチメニュー
とある水曜日のランチメニュー

火曜日は「ソフトタコス」と「クロッフル(キャラメル)」、水曜日は「おにぎり弁当(梅)」と「ココナッツアイスクリーム(バナナラムレーズン)」でした。
どれも美味しかったです!!!

食欲ましましな私ですが、とにかく体調だけは崩さないように生活しながら卒論を仕上げたいです。いや、仕上げます!

12月前半はお休みをいただくので、皆さんとブログでお目にかかれるのは卒論提出後、12月末になります。そのときに、晴れやかな気持ちで「卒論、無事に提出し終わりました!!!」と報告ができるように頑張ります……!!!!!

今回は(今回も?)内容がない文章になってしまいましたが、ご容赦ください…。

それでは、また!

No music No life!!!

 音楽聴くの好きですか???私は多分音楽聴くのかなり好きです。よく自己紹介する時に趣味として言うくらいには好きです。私、自分が楽器やるわけじゃないし歌上手くないし聴く専門にしてもめちゃくちゃ詳しいってわけでもないんですが、でも音楽は毎日聴くしこの曲のこういうところが好き、とかこの歌手のこういう歌い方が好き、みたいなのは結構細かく好みがある方な気がします。人と比べたことないからわかんないけども。音楽のない世界、想像できないし生きていけないかもしれない。
 今って良い時代だなぁと思うわけですよ。音楽ってすごくすごく身近なものじゃないですか。ニコニコやらYouTubeやらにはタダで聴ける曲が溢れるほどあるし、サブスクでもすごーく安く曲が聴ける。才能が何かの拍子に発掘されることも昔よりは多いんじゃないでしょうか。我々は膨大な量の音楽を低価格で消費出来る環境に置かれています。私としてはそんな生活ができるのが幸せだなぁと思います。しかしその一方で、今私は低コストで音楽を聴けているからこそ音楽鑑賞が趣味だと言えているけれど、これが高いレコードだったりCDだったりを買って、それを再生するための機械も買って、限られた場所でしか音楽が聴けなかったら。そんな環境で生きていたら。私は音楽を聴くことが趣味だっただろうか。音楽を聴くことに対してそこまでの代償を払えていただろうか。そんなことも思います。そう考えると私の「好き」ってきっと環境が変われば向く先も異なるんだろうなと思うし、脆いなぁと。今音楽が溢れる世界を知ってしまっているから、音楽がない世界では生きていけない思っているけれど、でも別にそれを知らなければ、はたまた絶対に音楽が聴けない環境下に置かれたら、別に音楽のない世界でも普通に生きていると思います。
 じゃあ私の「好き」に意味はないのだろうか、と考えるとそれもまた違くて。少なくとも今の私は音楽を聴くことが大好きだし、生活の一部になっています。この環境下ではその気持ちに嘘はないし。だから、音楽を当たり前に聴けることを有難いなと思って過ごしたいし、素敵な音楽を作り上げる人にはそれだけ還元していきたい。そう思って生きていくことが自分の「好き」を意味あるものにしていくのかな、なんて。

 何が「良い」か、何が「好き」かは人によって、環境によって、文化によって、時代によっても異なります。また、「好きなもの」を「好きであり続ける」のも難しいなと思います。でも、何となく好きだなぁと思った自分の感情を大事にして、たまには正面から向き合っていきたいと思いました。では。

すばらしきかな、やまと絵

皆さん、こんにちは!

寒さが一段と増してきましたね…。夜ご飯にお鍋をつつきたくなる季節です!

しかし、ひとり暮らしの身にとって、お鍋で作る料理って意外と悩ましい料理なんです。この季節に食べるいわゆる“お鍋”もそうですが、カレー、シチュー、ビーフシチュー、おでんetc.…。ひとたび作ってしまえば、ひとりで食べるには、多すぎる量ができ上がってしまうのです。

例えば、カレー。普段は食べたくなっても、だましだましレトルトやコンビニで売っているもので我慢するのですが、人間、どうしても手作りのできたてを食べたい時ってありますよね!衝動的に材料をそろえて、作って、一皿分を食べる…。でも、食べ終わった後に必ず後悔します。「こんなに食べられない!何回かに分けたとしても、絶対に飽きる!」と…。

そんな時はこう思うのです。「待て、焦るな自分。味変すればいいじゃないか!そうだそうだ!余ったカレーでドリアでも作ろうじゃないか!」と…。そそくさと、グーグルで「カレードリアレシピ」と検索。「ふむふむ。あの材料をそろえればいいんだな。よしよし。ん?ドリア作るのにオーブンって必要なんだ…。うちにオーブンはないぞ…」

こうして味変の機会を失ったカレーは、私の安直な考えで冷凍庫へ直行。そのカレーが何ヶ月か後に、そこから発掘されるのはここだけの話です(笑)。

そんなこんなで、本日は、お鍋料理のリメイクレシピを、いろいろ知りたいと切に願うももこがお送りいたします。

さて、前置きはこのくらいにして、今日のお話に入りましょう。

前回の投稿で11月はじめの3連休に、母と一緒に「ハリー・ポッターと呪いの子」の舞台を観劇したことを書きました。実は、その次の日には姉も合流して3人で、東京散策をすることになっていたんです。「どこに行く~?」と姉が言えば、母と私はふたり声を合わせて「「やまと絵!!!」」と一言(笑)。現在、東京国立博物館で開催されている「やまと絵 受け継がれる王朝の美」という特別展のことです(開催は12月3日までです)。私と母の熱い視線に挟まれ、西洋史専攻だった姉は「私にも分かるかなぁ~」と言いながらも、OKしてくれました。

行くと決まれば、行動が早い私たち。すぐにチケットを取って、上野公園へLet’s go!はじめは電車を使って行こうとしていたのですが、家の近くのバス停に「上野公園行き」という文字が…!恥ずかしながら、上京して早1年半も経つのに、自分の家の近くのバス停から一本で上野公園に行けることを知りませんでした(笑)。母から「これでいつでも好きな時に上野公園の展覧会に行けるね!」と言われました。これからの大学生活、このバス停を何回も使って上野公園に赴き、いろいろ学ばなければと決意を新たにしました…。

私が東京国立博物館に行くのはこれで2度目。1度目は高校2年生の時のことです。鑑賞したのは、「正倉院の世界―皇室がまもり伝えた美―」という御即位記念特別展でした。(この展覧会のお話だけで、1つの投稿分になってしまうほど長いので、またいつかの機会にお話しさせてください!)それから約4年ぶりの東京国立博物館…。こんな感じだったなぁなんて感慨にふけりながら、お目当ての特別展が開催されている平成館に向かいました。

ひとたび会場に足を踏み入れると、一瞬でやまと絵の世界に引き込まれました。その美しさもさることながら、その壮大な世界観、歴史に心を奪われるのです…。ここからは、そんな展示の感想を…。

歴史の教科書で見たあんな作品やこんな作品が目白押し!私が1番感動したのは、『信貴山縁起絵巻』です。高校生の頃、日本史の授業で習ってから、倉が空中に浮いている不思議な絵がずっと印象に残っていました。私が行った期間には、ちょうどその絵が描かれている「飛倉巻」が展示されていたのです!じっくりとその絵を見てみますと、倉が飛ぶのを見ている人々が、あっと驚いたような顔をしています。手を大きく上げて楽しんでいる人々もいるようです。教科書で見ただけでは決して分からない、人々の細かな表情を読み取ることができました。

他にも『紫式部日記絵巻』や『源氏物語絵巻』、『鳥獣戯画』や『平家納経』、『伝源頼朝像』など、誰もが一度は目にしたことがある名品が一堂に集結。「こんな幸せなことあっていいのか…!」と噛みしめながら鑑賞していました。

また、絵画のみならず、様々な書跡にふれることができたのも大変興味深い経験でした。日本文学科に入ると「変体仮名演習」という授業を取りまして、半期の間受講すると、不思議なことにくずし字が読めるようになっているんです。ですから、今まで形としてしか認識できていなかった文字を、1つの情報として受け取ることができるようになり、その意味が分かるようになるんです!1つ新たな視点を手に入れただけで、世界は大きく広がります。そんな大学で得た“知”が、実際の学びの経験と結びついてるなぁと感じました。

大学での学びという点でいうなら、変体仮名だけではなく、作品の歴史的背景や、題材とされる物語の知識があるということにおいても、この度の特別展で展示されていた作品への理解がより一層深まっていくように思いました。授業で扱った作品や資料として提示されていた作品の実物を見ることができるというのは、大変光栄なことですし、それだけで言葉にはできないドキドキ感、ときめきが高まるのを感じます。そういった知識を持っていなかった自分でも、この展覧会に来れば、やまと絵の美しさや素晴らしさを感じることはもちろんできたと思いますが、その時よりも少し成長した自分の方が、より多くのことを感じ取り、より深く理解することができるのだと思います。

特別展「やまと絵 受け継がれる王朝の美」の鑑賞を通して、やまと絵が継承してきた壮大かつ華麗な歴史にふれ、1つ1つの細かな描写や優美な世界観を目にすることができました。また、自分自身がこれまでの大学生活で培った“知”を生かすことができた貴重な経験だったと思います!

会場から出ると、展示に圧倒された脳と心とは裏腹に、全身でドキドキ感とときめきを受け取っていたせいか、母と姉と私、3人そろってお腹の虫がなりました(笑)。その後、上野公園近くの中華屋さんで、もりもりお昼ご飯を食べ、無事に帰路についたのでした。あぁ、おいしかった…(笑)!

本日もお付き合いいただきありがとうございました!それでは、また!

所感

 花粉症、改善しました!こんばんは、さゆりです。

 爆速で過ぎ去った秋、花粉による鼻詰まりがひどくてほぼ口呼吸をしながら眠る日々だったのですが、どうやら点鼻薬の使い方を間違えていたために効果が発揮できていなかったようです。口呼吸がつらくてエラで呼吸する術を身に着けるしかないのかと追い込まれていたのでようやく楽になれました。このまま冬を乗り切りたいです。

さて今回は「日本文学科の授業って実際どんな感じなの?」をネタにお話ししようと思います。

 以前、1年次の必修授業で演習授業の準備をします、という事はおそらくお話していたかと思います。2年次からはその経験を生かして演習授業が始まるのですが、必要な単位数を満たすためには一年で4コマ授業を取る必要があります。

 私の場合中国文学の演習を前期、後期の2つ、中古文学は通年で(前期と後期通して履修する必要があるもの)でとっていたため、中古と中国文学の2種類のみの経験となりましたが、前期上代と中古、後期近世と近代、といった感じで全く違う時代や先生の授業を取ることも可能です。

 自分でテーマについて研究して発表し、学生同士の意見交換の後フィードバックをもらうという大まかな流れは変わらないのですが、演習授業は本当に先生によって授業の雰囲気が違います。

 作品や自分が取り扱う範囲がきっちり決まっている授業もあれば、作品から自由に決めていいよ、といってもらえる授業もあり、発表資料を作る際の書式も指定がある場合、ない場合と結構差があるんですね。いきなり発表するの!?と思うとハードルが高いかもしれませんが、大丈夫です。第二回まで作品や作者についての解説を入れてくださることもありますし、困った時は先生が相談にのってくださいます。そのあたりのフォローが丁寧なのも人数が少ない日本文学科ならではなのかな、と思います。

 しかし、発表って結構怖くないですか?緊張しますよね。私も怯えながら授業に参加していましたが、基本的に学生も優しいのでひどい批判を受けるという事はないですし、むしろ自分と違う着眼点で問題を指摘してもらえたり、はたまた他の方の発表を聞いて新たな知見を得たりと結構楽しかったですよ。先生も基本的に頭ごなしに否定することはなく丁寧にフィードバックをくださるので、普通にちゃんと準備をしてくればノープロブレムです。とはいえ2人しか知らないじゃないか!とツッコミを受けるかもしれませんが、日本文学科の先生で「この先生の授業は二度と受けたくない!」と思った経験は一度もないので本当に大丈夫だと思います。安心してくださいね。

 さて少し話題が変わりますが、今トーハクこと東京国立博物館で前田家伝来の能面が展示されているのはご存じでしょうか?実はわたくし、別件で用がありトーハクに突撃してきました。

能面を間近でゆっくり眺めた経験はほとんどなかったのでわくわくしながら見てきましたが、とても楽しかったです。

 この展示を見て、能面=正面、というイメージが覆されました。むしろ角度を変えた方がリアリティがあって面白い。おそらく「能面」と聞いて皆さんが想像するのは小面(若い女性の面)なのではないでしょうか?この小面の隣に曲見(子を持つ中年の母親の面)が並べられていたのですが、比べると全然違うんですよ、これが。

 若い女性と中年女性の表現の差は、口角、髪の毛のばらつき、頬のふくらみといった箇所で感じられるようになっています。とはいっても、そんなに年代が違って見えるんかい、と思いませんか?私もぱっと見だとちょっと判別が難しそうだなと思っていましたが、実物を見て前言撤回しました。能面って実際の人間をデフォルメしながらもリアルに描くのですが、近寄ってみると息遣いさえ感じられそうなほどの生々しささえあるんですよ。少し斜めから眺めると本物の人間みたいに見える上、小面と曲見の年代の差がはっきりと感じられてびっくりしました。

 顔の立体感にもこだわりがあるんでしょうか、作者は違いますが、小面の方が頬に丸みがあるので斜めから見たとき顔にハイライトが当たりやすいんですよね。曲見は顎のしゃくれと憂いを帯びた表情が特徴的ですが、口角が下がって頬の丸みもないのでほうれい線が目立って見えたりだとか、すごくよく観察して作られていることが伝わってきました。

 加えて面白かったのは小面の口の形です。きゅっと口角が持ち上がった小さな唇が現代で流行しているМ字リップにそっくりで、美と若さの基準って不変なんだわ、と感激しました。

 自分に能楽研究会での経験があったことも大きいですが、石井先生の能についての授業を受けたことで普通の展示室が軽くテーマパークと化して楽しかったですね。面を見ながら作品の内容を思い出したりなんかして、また能を見に行きたくなりました。

 気温のアップダウンが激しい日々ですが、みなさんもインフルやコロナに気を付けて過ごしてください。では、また。

イレギュラー

まいです、ごきげんよう❀

日は4時台に暮れ、まだ授業があるのにもうベッドに入るくらい夜になった気がしてしまいます。今、目の前には紺色の空に黄色い月が、振り返れば滲んだ夕焼けがあります。ちらちらと顔を上げると、その度に月の位置は高くなっているのですが、いったいいつの間に昇っているのでしょう。じーっと見ていると動く様子はないので、目を逸らしている隙にスっと北極星の方向へスライドしているに違いありません。ほら、たった今さっきまで電線の影が月に重なっていたのにもう電線を避けている。

月を見ると、なんとか、今年の秋を感じることができますが、やはり今年はいつものような哀愁がたりません。随分と長いこと暑い日が続き、と思うと息が白く凍る日があったので、上野では桜が狂い咲き、紅葉は色づいていくことなく疲れたように枯れてしまいました。

*****

今月の半ば、相方とともに長瀞旅行をして参りました。予定していたのはライン下り、ロープウェイ、紅葉公園お散歩、川辺のお散歩……ともしかすると若者らしくないのんびりプランでしたが、問題はお天気でした。私、“小雨女”なんです。「雨女」でもなく「雪女」でもなく「小雨女」。私が前々から予定していたお出かけなどはたいてい小雨が降る。そして週間予報も──なぜかピンポイントにそこだけ──雨。

幸い、雨は自宅を出る際に地元で小雨が降っていた程度で、長瀞に着くと一日目は曇りで済みました。ライン下りは天気が良い方が楽しいはずなので、次の日が晴れると期待して一日目は岩畳を散策し、お蕎麦を食べ、ロープウェイで山を登りました。紅葉はあまりしておらず、かといって青々ともしていない…。木々は見頃ではありませんでしたが、標高が高いとその分空気は透き通り、電光も目立たない落ち着いた景色になります。

ところで相方と私は高校が一緒でした。たまたま遠足で長瀞に行き当時の写真があったため、相方を同じ場所に置き写真を撮りました。高校一年生の頃は“かわいいキャラ”で行こうとしていた相方はとても背が低かったのですが、“かわいいキャラ”はあっさり卒業(失敗?)し、今ではすっかり後ろの看板を隠してしまうほどに成長。親でなくともビフォアフターを見て、成長したなあと感心してしまったものです。

一日目の目玉であったロープウェイは2人で乗るもの(観覧車的なもの)を想像してしまっていたのですが、まさかの50人乗れるということでこちらもまさかの“立ち”で乗ることになりました。ゆったり紅葉を見ながらお話するという計画はおろか、まさか満員電車状態になるとは思いもよりませんでした(笑)。

次の日。念願の太陽光を浴びることが出来ました…!小雨女の名を早く捨てたいものです。ライン下りは川の水が少なくいつもよりスリルが足りないとの事でしたが、ロープウェイで体験するはずだった「ゆったり」を、こちらで体験することが出来ました。日焼けで黒光りしたおじさんが船をめいっぱい漕ぎ、語尾が「なんだあ⤴︎」と必ず上がり調子になりながら長瀞の豆知識を語ってくれる様子がとても格好よく印象に残っています。高速道路が発展したことで、観光客が増えても、宿泊客が減ってしまったそうです。日帰りできてしまうからですね。そういえば長瀞の森の中では、かつて栄えてたことが伺える派手な宿の看板などが錆びているのをいくつも見かけました。

帰る前に食べた天ぷらの油にあたったのか、自分史上トップレベルの腹痛に襲われ1時間に1本の秩父鉄道を泣く泣く途中で降りたことについては多くは語りません。終わり良ければ…の逆だったような気もしますが、相方がいたので良しとします。待ち時間で相方に「ちいかわ」を布教しました。……つまり、ここに関しては書くことがありません(笑)。

私たちはなぜか格好つかないのがいつものお約束です。まあ平和ならいいですね。驚かれるとは思いますが、今年の紅葉はあまり綺麗さを楽しむことはできないというのが、このブログの結論です。

……

それでは。

あれに見ゆるは知恩院

本格的に寒くなってまいりまして、京都も紅葉が進んでおります。清水寺のライトアップなどは連日多くの人がつめかけているとか。しかし暑かったからなのか、綺麗には綺麗なのですが、綺麗に色づくまでもなく落ちてしまうものもあったりと、悲しいこととなっております。それでも私は今年しかいられませんので、本格的に紅葉する前の今から、色々と巡っております。京都御所、妙顕寺、泉涌寺、鞍馬寺、萬福寺、高山寺、仁和寺、安楽寺、霊鑑寺、金戒光明寺、真如堂、、

今日はその中でも知恩院のことを。

***

京都に留学するにあたって、日本女子大学の方で面接があるのですが、その面接で最後このようなことを聞かれました。「勉学以外では何を京都でやりたいですか?」

私は敢えて一拍置いた上で、こう答えました。「お祭りに行きたいです。」

京都では毎日のようにお祭りを彼方此方でやっておりまして、私はそれらの6割ぐらいは行くように心がけているわけですが、こんなにお祭りがあると知ったのは、3月末に東京駅の丸善で『京都手帳』を買ってからでした。それまで私が京都のお祭りといわれて挙げられるものといえば、賀茂祭、祇園祭、時代祭、

そして『お坊さんに会いに行こう!知恩院秋のライトアップ』のプレイベントでした。

私と『お坊さんに会いに行こう!知恩院秋のライトアップ』との出会いは約6年前に遡ります。2018年10月、展覧会のため京都に降り立った私は、地下鉄の駅で出会ってしまいました。お坊さんが5人、聖観音菩薩立像バックに笑顔で跳んでいる写真付きの、『お坊さんに会いに行こう!知恩院秋のライトアップ』ポスターと。

お坊さんといえば葬式の時に色々やっていただく方という認識しかなかった私はこのポスターを見て、雷に打たれたかのような衝撃を受けました。なぜ跳んでいるのでしょうか。しかも、こんなに笑顔で。それに、バンド演奏があるとはこれ一体。抱えるイメージと全く逆路線を行くこのポスターに、イベントに、一気に興味が出てきました。

しかし、東京-京都間の往復というのは些か金がかかります。現に私もなかなかこの1年間帰れていません。2018年は、10月に行ったのだからという理由で行かせてもらえませんでした。2019年は金がかかるからという理由で、2020年からは言わずもがなです。あの衝撃的なポスターを作り出すお寺の、あの衝撃的なプレイベントに行きたい。京都に住むようなことがあれば絶対に行く。何があろうと。その願いがようやく叶ったのです。

今年度のポスターは、お坊さんが跳ねているデザインではなく、知恩院までの道がわかりやすく記されたポスターです。全体的にいやらしくない金色で、イラストも可愛らしく、四条河原名物:等間隔に並ぶカップルや、花見小路の舞妓さんなどが描かれています。火灯窓の形をした枠取りもおしゃれです。それに日本語だけでなく英語でも通り名などが書かれており、国籍問わず誰でも気軽に来て欲しいという気持ちが伝わります。一方で、衝撃の2018年バージョンにあった「はっちゃけ」と言っても良いのかもしれない何かは欠けています。もしかしたらコロナを経て落ち着いてしまったのかもしれないと思いました。しかしその認識は間違いであることを、新門をくぐった時点で思い知らされることとなります。

京都屈指の寺が空に青いレーザーを打っています。ここは千葉県浦安でしょうか。これを見た時、ああ、ようやく来れたのだなと涙が出そうでした。

チケットを購入し、中に入ります。日中と違って、山門から入るのではなく、隣にある友禅園から入ります。この頃はまだ全然紅葉しておらず、紅葉の「こ」の字はあるか程度でしたので青やピンクにライトアップしていてちょうどいいくらいでした。友禅園をぐるっと回り、山門の方へ行くと、ちょうど三味線の演奏が始まったところでした。三味線は、津軽三味線。私が三味線の中で一番好きなのが津軽三味線です。『涙そうそう』やじょんがら節を披露されておりました。

三味線の演奏が終わると、次はピアノの演奏。『東京ブギウギ』『アメイジンググレイス』、『幸せなら手を叩こう』等誰でも知っている曲が、ジャズにアレンジされ、思わず体が動いてしまいます。。ピアノを披露されていたお坊さんは手品も得意だということで、演奏の途中に披露された際には歓声が上がっておりました。

階段を登って、阿弥陀堂に行くと法話が行われていました。15分から20分という長くも短くもないちょうどよいぐらいの時間の中で、お坊さんがお話しくださいます。私は法話を聞くのが好きなため、2回連続で聴きました。話すのも職業である人によるお話は大変面白く、ついもっと聴きたいと思ってしまいます。

次に御影堂に行くと、そこにはずらっと小さな木魚が置いてありました。ここは木魚を打ちながら「南無阿弥陀仏」とお念仏を唱えてみようという場所。

木魚を叩きながら、「南無阿弥陀仏」を唱えます。この日の気温、13度。先週までの暖かさと打って変わって寒い日でした。暖房などというものはありませんから、足先から手先から、どんどん冷えていきます。しかし不思議なものです。木魚を叩いている間だけは一切寒さを感じませんでした。

再び友禅園を通って外に出ると、山門の真向かいに、お坊さんが2人待っておりました。実はこのプレイベント、スタンプラリーを行っておりまして、最初の三味線やピアノの演奏を行っていた「仰天僧侶の場」、阿弥陀堂で法話を聴く「手が絆がる場」、木魚を叩きながらお念仏を唱える「お念仏の場」、そしてお坊さんと写真が撮れたり、キッチンカーで食べ物が買える「月かげ 憩いの場」でそれぞれスタンプをいただいて、全て集めると『ポックマ』というおてつぎ運動公式キャラクターの熊が描かれたミニファイルが頂けます。私も、最後はお坊さんと写真を撮って、スタンプを貰い、ファイルを貰って帰りました。

この世は体感してみないとわからないことだらけですから、何か深く知りたい過去の人や作品があるなら、それらの生まれ育った環境を自身の中で再現する必要があると私は考えます。私はこのとおり、日本文化を追求したい人間です。日本文化を知るのであれば、いくら自身が熱心な仏教徒でないにしろ、無宗教者であるにしろ、神社仏閣及び宗教関連施設・資料は外せません。ほとんどの文化芸術は信仰に基づきます。神社仏閣を知らずに日本の文化は芸術は文学は学べないのです。あの2018年『知恩院秋のライトアップ』ポスターを見てから、私の中でお坊さんやお寺に対して感じていたハードルが一気に下がりました。あのポスターがなかったら、知恩院さんが誰でも受け入れるスタイルを前面に出してくださらなければ、今こうして飽きず、一時的ではあれども、わざわざ京都に移り住んでまで、日本人の育ててきた文化全般に目を光り輝かせてはいなかったでしょうし、近代以前の文学に目も向けていなかったでしょう。

何が言いたいのかというと、宗教施設で入りづらいかつ葬式の場であるというイメージを払拭してくださった知恩院さんには感謝しかありません。毎年通いたいです。本年度の知恩院秋のライトアップ、来月2日までとのことです。

https://www.chion-in.or.jp/special/lightup_aut/

自分の機嫌は。

こんにちは、あこです。

卒論に、追われています。

気づけば提出期限まで残り1ヶ月を切っており、非常にヒリヒリした状態が続いています。

「内◯取消」(←お久しぶりの、怖くて伏字)

今、これほど怖い四字熟語はありません。

先週の面談でも「3月に卒業できますよね?」と圧をかけられ(←普通に聞かれただけ)、「っはい!!!」と元気に返事をしてしまいました。

卒業、しますよ。卒論、書き終えてみせませう…..(情緒不安定)

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11月に入ってから、心身ともに不安定でした。

4月からしばらく続いた「何もやりたくない〜」「やる気出ない〜」みたいな感じではなく、些細なことでイラっとしたり、カチンときたり、なんか「むかつく!!!」「ストレス!!!」みたいな”やな奴”でした。(in家)

後になって「あれが原因だな」というのが分かるんですが、そういう期間の”真っ最中”って、何が根源なのか、分からないんですよね。(私だけ?)

いつもなら流せるような他人の悪意に対して過敏になったり、別に大したことじゃないのに必要以上にイラっときたり。まぁ、とにかく”健康的な”状態ではないわけです。

そして、自分の中で結論が出る/納得すると、ホント、憑き物が落ちたみたいに穏やかになる。

側から見たらめちゃめちゃ迷惑行為なんですが(←ちゃんと家族に迷惑かけてる)、私は時々こうなってしまって、今回は、結構長かった。

体の疲れ⇨心の疲れ なのか、 心の疲れ⇨体の疲れ なのか、どちらが始まりかは分かりませんが、ほんと、健康って大事ですね。

体が疲れると心も荒むし、心が荒むと体も疲れるし。

きっと、今回は心と体の負のループを何周も巡ってしまったのだと思います。

「嫌だな」「合わないな」「会いたくないな」と思ったモノ・ヒト・コトからは、距離を置く。

適切な距離を保てばなんてことないことって、結構あります。

メンタルやられることがわかっているのにノコノコ自分から近づいて、予定通りにちゃーんと傷ついて、自分が”やな奴”になるなんて、それほど阿呆なことはありません。

あこ、そろそろ学んでくれ(切実)

2023年もあと40日程度。

自分の機嫌は、自分でとる。

卒業(!!)までの目標にしようと思います。

それでは、また。

我が家のクリスマス

こんにちは。

ハロウィンが終わったとたんに街中がクリスマスカラーに染まっていますね。私はこの冬という季節が案外好きで、特にクリスマスなんていう日常なのに非日常な記念日が結構好きで、最近少しばかりうきうきしています。「今年は雪降るかなあ?ホワイトクリスマスになったりしないかなあ?」なんて考えながら、毎朝るんるんでカーテンを開ける毎日です。まあ、雪が降るにはまだ少し早いですね。

通学に電車を使うようになってからは、雪も降りすぎると遅延や運休につながるから、降りすぎるのも困るんだよなあ、そうかといって全く降らないのも寂しいよなあ。という思考を行ったり来たりしています。

小学生の頃は同級生たちと遊ぶ時間がなくなるから、秋冬の日の短さをよく恨んだものですが、今好きな季節を聞かれたら冬と答えます。当時の自分が聞いたら驚くかもしれませんね。

冬場の夜ってロマンティックですよね、なぜかと聞かれるとよく分かりませんが。私的には冷たい空気と星がいい感じです。澄んだ夜空を見上げてはうっとりとし、ため息が出るばかりです。帰り道にどこかのお家がイルミネーションで木を飾っていたりするのを見つけたときは、ラッキーと思います。イルミネーションを見ると冬を感じるのは少し不思議だなあと思いますけど。しかしとてもきれいです。

また、冬場の服装が結構好きで、もこもこした毛糸の帽子とか、手袋とか、あったかそうなコートとか、そういったものはすごくかわいらしいので大好きです。

ところで皆さん、クリスマスツリーはお家で出しますか?私は幼少の頃から毎年飾っていました。毎年1人1つずつ新しい飾りを買ってもらって、ツリーに飾り付けて壁際に置くのが恒例行事でした。昨年は気を抜いていたら12月末になっていて出さなかったのですが、今年は課題に追われてパソコンに向かっている私を横目に家族が出していました。古くなった飾りや子どもっぽいものは心機一転さよならしたようです。ツリーが完成した後に声をかけてくれたので、どれどれと見に行きました。以前は飾りが多くてごちゃごちゃしていたツリーでしたが、飾りの選別をしたおかげですっきりときれいに、バランスよく飾りがついていました。うん、久々のツリーもいいね。

ツリーの下の方からうっとりじっくり眺めていき上の方に目をやると、面白いものが目に入りました。なんと、一般的には大きなお星さまがあるべき場所にあひるちゃんがいたんです。お風呂場によくいるあのあひるちゃんです。しかもプロペラ付きのヘルメットをかぶって、ドヤ顔でツリーの頂点に鎮座しています。思わず吹き出しました。誰が思いついたのでしょう、センスが良すぎます(笑)。

例年通りなら、我が家では今年もクリスマスには地元のケーキ屋さんでケーキを調達し、近くのコンビニでチキンでも買って食べるのでしょう。クリスマスの後は一気に年末ムードになって、自分の部屋の掃除片付けをして、家でまったり年越しでもするのでしょう。

はあ、今からもう冬休みが楽しみです。