こんにちは。暑すぎて、セミが鳴かない日があります。弟が熱中症になりました。青が目に染みてショボショボするあやめです。まだまだ暑いですね。
今回はタイトル通り、高校時代の話をします。
私は高校三年間を投げて捨てました。不登校、五月雨登校と言った方が近いのですが、そうやってのらりくらり、家に閉じこもって過ごしました。
捉えようによっては今回の話は、不幸自慢やかわいそうな私を発表する会のように感じると思います。(もし私が高校生で、この投稿を見ていたら絶対にそう思っていました。)ですから今までは「こういう話」はしない、と決めていました。まあしかし夏なので、高校時代の私の「生霊」を供養しようと思ってお話しします。こういう話が苦手な、あるいは不快に思われる方はご遠慮ください。ごめんなさい。結構ハードめに書くつもりです。私はただでさえジメジメなのに、今回は特に重たくて苦しいので、嫌だな、と思われるかも。ちなみに先に申し上げると、今回はあの宇宙人は出てきません。彼はあの投稿を見た本国の監察官にしこたま怒られたこと以外特に変化ありませんので。
警告しましたよ。威嚇のポーズ。
さて、なぜ不登校をやっていたかというと、私の場合、成長過程に必要だったから、としか言いようがないものでした。結果的に自分の中身を観察するとても良い機会になりましたし、自分の理解も進みました。大きな痛みを伴ったものの、今では、私の人生に遅かれ早かれ必要な時期であるものが、たまたま高校時代にやってきた、と考えています。成長痛みたいなものです。ですから、周りになにか嫌なことをされた、とかは一切ありませんでした(むしろ皆さんに助けられて卒業出来ました。クラスメイトも先生も、私がなにもできないのに、たくさんよくしていただきました)。当時は、自分の状況は大したことではなく、ただ私の甘えで休んでいる、と考えていました。今思い返せば、相当心を病んでいたのですが、その自覚はほとんどありませんでした。むしろ「病んでいる」事実を受け止め、冷静に判断できていると思っていました。テンプレートにアイデンティティが拡散している、モデルケース青年期真っただ中な自分を冷笑し、「病んでいる」立場を利用することで、不都合から逃げる免罪符を手に入れられた、ラッキー!とか思っていました。そのくせそのことを憎み、嘆き、恥じていました。すべては自分のわがまま、第一志望の公立高校に受かったくせに、苦労をしらないから堪え性がないんだ、甘えやがって、と自分を責めていました。(そうでもなかった、のか、も?と思えたのはつい最近のことです。)
それまで私は、幸せなことに、そこまで苦労をせずに生きてきました。二週に一回風邪をひくとか、クラスでちょっと嫌われてちょっとハブられるとか、そういうありふれた「苦労」(これを類稀な大苦労と思っていた時期もありましたよ)ならありましたが、うまいことスイスイ難なく生きてこられました。ですから、学校に行けなくなった初めの頃、高1の五月は、自分の「失態」を信じられませんでした。毎日やり場のない言語化できない重たい気持ちを抱え、泣こうにも泣けず、情けなく、恥ずかしく、全てのやる気もそがれました。勉強することが好きだった私が、それ以外になにもない私が、勉強をそがれたら何が残る?と、誰にも顔向けできず、申し訳なく、ただなにもできずどうしようもなく、部屋から出るのも怖かったです。期待してくれた、見返したい父にも、一番近くで気にかけてくれている母にも、何が起きているのか理解できていないであろう弟、妹にも、誰でも、申し訳なくて頼れないと思っていました。特に母には、恥ずかしく申し訳なく、自分の気持ちも話せないまま、でも励ましてもらったり、勇気づけてもらったり、叱られたり、結局欠席連絡をほぼ毎日させてしまいました。一番そばにいるから、一番本音を言えませんでした。大好きな読書も、文字を見て、意味を理解し、ストーリーを追いかける、という行為全てができませんでした。文字は霞み、意味を思い出すのに時間がかかり、そこまで集中力を保つこともできませんでした。開いても、なにも読み取れず虚しく閉じるだけ。本の中にある世界は明るい世界。私のようなはみ出し者は行ってはいけない所、手に取るのも憚られるとすら考えていました。今思えばバカバカしいし、なにが冷静だ、と思うのですが、当時の私は大まじめです。
楽しみはなくなり、どんどん殻にこもり、家族とも話さず(話せず)、自分の考えがどこに向かっているのかもよくわからず、ただ生きていました。いろんな人をうらやみ、恨みました。(いよいよ病んでいるのですが、当時はそうは思わなかったんですよ。びっくり。)誰にも「本当の自分」を言わないせいでついに自分もそれを見失い、それを人のせいにしていました。体力は落ち、体育の授業が苦痛になり、長時間の登校時間が苦痛になり、「大丈夫?」と声をかけてくれる何も知らない級友の眼差しが苦痛になり、自分がなんの生産性もないのに生存しているのが苦痛になりました。最後は生きる行為も投げ出そうとしました(勇気がなかったので自死、などはとうていできなかったのですが)。このようにして私は三年をかけて人間の底のほうに堕ちていったのです……コポコポコポ……
この間、いろんな人が私を救おうとしてくださいました(本当に感謝しています)が、非常にナーバスでナイーブになっていた私は、あろうことかそれら全てを突き放したと記憶しています。学校に行きたくない気持ちが高じてついに駅のホームで倒れた時も、体力がゼロに近いのに出席数を稼ぐために出た文化祭で迷惑にも倒れて救急搬送される羽目になった時も、手負いの猫さながら、警戒心マックスで敵意むき出し(の気持ち)でしたね。滑稽滑稽。笑う所ですよ。
今でも、あの頃の私が全く消えてなくなったわけではありません。大事な三年を無駄にした、と思ってしまいますし、残念ながらまだ不安定にゆらゆらしておりますし、そうやってあの頃の私の生霊のような気持ちは成仏できていないと思います。高校生を題材にした作品はあまり見たくないですし、高校生とすれ違うと言い得ない気持ちになります(そうは言っても弟は今高校生真っ最中なのですが)。それでも、一年半程度かかってようやく、このように「外」に出すことができるようになりました。
私にとって大問題で大事件なこの経験について、おそらくこの手の話は、今の社会に飽和するほど転がっていると思います(この「あるある」感も嫌で話さないようにしていました。またはカミングアウトした時に単純に気まずくもなりますしね)。しかし、誰か、同じような気持ちを抱えている人、もしくは抱えていた人が、(私にとって)幸運にも、この文章を読んで、「なんかこんなタイプの奴もいるんだな」、と思っていただけるのなら、書いてみよう、と思い、えいや、と勢いで書きました。
「本当に苦しんでいる人は、自分が苦しんでいることに気が付かない」、という風に考えているので、ストレートに、苦しんでいる人にこの文章が、気持ちが届く、とは思いませんが、まだ見ぬほかでもないあなたの、なにかの役に立つのなら、幸いです。画面の中から、心を込めて。
今回はハードでダークな私の高校時代のお話をさせて頂きました。お付き合いいただきありがとうございました。はたしてどれだけの方にお付き合いいただけたのか。私の文章の美味さ不味さにかかっています。町中華くらいになれてたらいいな。高望みか。



