新しい風

お久しぶりです。みなさまに会うのは約2ヶ月ぶりかもしれません。新年度を迎え、一段とやる気がみなぎっているあやがお送りします。

そして、この4月からブログ部部長を務めることになりました。部員のみなさんのブログを見ていると、どのブログも個性豊かで、自分のブログに自信がなくなることが多々あります。しかしながら、自分を発信できる場として、自由気ままに綴っていきたいと思います。今後ともどうぞよろしくお願いいたします😼

私事ですが、第3回大学生の長過ぎる春休みもついに終了しました。冬眠から目覚めた熊のように4月を迎え、履修を組み、好きな授業に没頭する。いつの間にか最終学年となり、書類の学年欄に「4年」と記す度に思います。泣いても笑っても大学生活が終わりに近づいているのだと。

冒頭で「やる気がみなぎっている」と言いました。何に対してか?もちろん学業、主に卒業論文の研究や執筆、そして今後の進路に向けての活動。それだけではありません。例えば、部屋にペットボトルをいくつも置きっぱなしにしない!こまめに掃除する!などなど…いつまでそのやる気が続くことやらと少しでも感じた方〜あざ笑うのではなく、どうかあやを応援してあげてくださいね!!!

2022年度、つまり大学卒業までに頑張りたいことや行きたい場所をメモに書いてみたら、意外とたくさんありました。来年の春、私はどんな大人になっているのだろうか?今は進路に不安を感じることしかありませんが、将来に胸を弾ませて待ち構えるぐらいの余裕をゲットしたいものです。今しかできないことを楽しみ、時には苦しみながらまた一歩成長していきたいです。

さて、新しい年度で気持ちが切り替わる中、少し残念なこともあります。出会いあれば、別れあり。確か、アルバイト先の優しい方々に囲まれて仕事できる喜びを以前ちょこっと綴った記憶があります。昨年の4月に今のアルバイトを始め、今年1年目を迎えました。仕事内容にも慣れ、お客様と商品について楽しく話すことが増え、そして何よりも、気さくな社員の方々と他愛もない話をしながら作業に取り組む時間が大好きです。そして、お世話になった2名の方が5月にご異動されるのです。

1人は、私が働く店舗の店長さん。私は、「さりーさん」と呼んでいます。リニューアルオープンのため、店舗の場所やレイアウトなどがすべて変わり、1からお店を立ち上げることになった昨年。店長としてお忙しいはずなのに、いつもスタッフ全員を気にかけ、独特な話で笑わせてくださいました。オープン当日は「俺たちの島だぞ〜!!」と笑顔で声を掛けてくださる姿を見て、元気をもらったものです。また、仕事を始めたばかりで何もわからない私を、様々な面で支えてくださるだけでなく、私のちょっとした考えやプライベートの話も聞いてくださったのです。時には、他店舗から流れる不思議なBGMをノリノリで歌って盛り上がったり、今度入ってくる商品が可愛すぎて「おったまげ~」などと一緒にはしゃいでみたり。私がこう言うのも失礼なことかもしれないですが、まるで身近にいるお友達のような距離感で接してくださったことに感謝しかありません。そういえば、アルバイトの面接のときも、私が専攻している中世文学に興味を持ってくださり、面接の設問よりも文学に関する話をしている時間の方が多かったぐらい。

そして、もう1人は、一見クールで近づきにくい印象があるのですが、実は優しく面倒見が良い方。何に関しても詳しいため、「先生」と呼んでいます。私が戸惑った際は、何度もそばで導いてくださいました。自分でも呆れるようなミスをやらかしたことがあるのですが、「うん、しゃーなし!」と何とも軽い言葉で励ましてくださったことで、ミスを引きずる性格の私はどれほど救われたか。そして、たまにスタッフを笑わせようとするクセつよなお客様(例:突如ポケットからカスタネットを出して笑わせようとする)に出会うのですが、お客様がお店を出た後、「うーん、あのネタ甘い!!」などと笑いながら一緒に批評している時間も楽しかったです。

アルバイトの分際でありながら、ここまで親しく接していただけたこと。ひと言で表すことはとてもできない素敵な出会い。決して当たり前ではないからこそ、こうして綴り、いつまでも胸に刻んでおきたいと思いました。

残り1ヶ月もありませんが、お2人に感謝を伝え、最後は笑顔でお別れを!あ、その前にお2人のすべらない話を聞いて、抱腹絶倒を味わいたいです🤣

それでは👋🏻

”遥遠”の肖像

大変ご無沙汰しております、みちるです。

 

住んでいる家のことが気に食わないんです。

「何故。いいじゃないか、治安はさておきそれなりに都会の住宅街のどこか。どうしてか20年間自室がないものの、申し訳程度に君の本棚もあって、大きな鏡は三つある。」

そんなことじゃないのよ、構造、文字通り”かまえ”と”つくり”さ。
とりわけ今は、窓が南向きなことが気に食わない。

私は、どこかの令嬢みたく窓から射し込む朝陽で目を覚ましたりしない。良くないものが空気中を遊飛する世の中になってからも自分で換気をするのは面倒だし、洗濯物は母親が干すのを応援する係。日に焼けたくないので紫外線は嫌いだし、私の体は新しい空気と同じ程度に、長く室内に滞留した籠った空気も好むのだ。
何が言いたいかって、つまり私の生活に窓が必要になるシーンといえば表の空模様や風の吹きを見て外出の格好を決める時か、はたまたなにか思うことがあって、イメージがあって、視覚的に開けているという条件が必要になるときくらいだということ。ね、だから何も常に南向きである必要はないでしょう。そして今は後者の”必要”で、北向きの窓を欲している。

北の方には、大げさに言えば想い人みたいな、そんなひとがいるらしい。恋人でも家族でもないその女の文章を、私は一年余りに亘って読み続けた。
今の私は文学部に所属している身だけれど、正直身近に読める文章を書く人間は少ない。何も書く能力がないと言っているのではなし、むしろそういったことで見ればこの部の書き手をはじめ優秀な者は多いはずだ。ただ、私にとって、私の身体にとって魅力的に感じられる文章やその書き手となるとぐんとその数は落ちるという話である。読める文章――ずっと読んでいても苦じゃないとさえ思われる文章とその書き手を発見することは困難を極めるけれど、私はその困難のなかで、輝くものを確かに見た。それが、彼女の筆であった。

面倒くさいのはいやだから簡潔に述べておきます、この文章はその輝きに対して贈る、無法者の私による拙い敬意であり、憧れであり、愛であり、一滴の憎しみであると。「はるか」という元・ブログ部員にまつわる批評であり、恋文であると。

 

(間奏)

 

一度、知人の書いた短編小説を読んだ。ほんとうに悪くない文章だったけれど、私は全ての肯定的なレビューの後に「しかし、はるかさんの文章にはかなわないね」と不誠実な逆説を加えたくなってしまっていた。知人の文章は一人の青年がある日突然人に化けた飼い猫と交流して云々といった物語だった。はるか氏の文章においても人間と言語を操る動物との交流は間々描かれるので、比較は避けられなかったのだ。

――と、語り始める前に。あなたがもしはるか氏をご存じないとしたら、先ずはそこから説明する必要がありますね。

大学生活や日常の出来事、趣味や文学についてなどテーマは不問。部員たちが当番制で毎日1記事更新するwebメディア「新・当世女子大生気質」(2010年4月1日~)にて、2018年度末(2019年1月27日)より執筆を開始した部員こそ、件のはるか氏である。
執筆するにあたっての禁止項目は政治・宗教についての言及と未成年飲酒/喫煙の事実的描写のみとあって、部員ごとに語る内容もテンションも様々である(断っておくが私は既に成人しているので、或る記事にて煙草呑みの習慣を告白したことに問題はない)。とはいえその前提の上でもはるか氏のスタイルは一味違っていて、というのも彼女の記事はその殆どが掌編小説なのである。
「みちる」の記事についてもあなたへ宛てた手紙であるという点、また語ることへの或る意識を一つの形式に落とし込んである点はスタイルの特殊性という一側面で氏のブログと共通する部分があろう。しかしはるか氏は、私がこのような形式を採る際に施すような陰湿な仕掛けを必要としない。彼女は自身と自身の文章についての説明にいやらしい韜晦も婉曲も必要とせず、時にただ生身の人として語ってみせる。であるからこそ創作・小説のパートにはある種の誠実が宿り、読み手もまた真剣になることを要請される。
氏は最後のブログ記事『桜狂いと書き狂い』にて「このブログの内容、主に創作部分を印刷会社に依頼して本としてまとめるつもりだ。」と語っているが、一冊の本に付される著者の”まえがき”や”あとがき”と同様の効果をはるか氏自身の生身の――もしくはそれに近い――語りがもたらしていると考えれば、創作部分だけでなくそれ以外の記事もいくつか抜粋し、時系列順にまとめて書籍にするべきではないかというのが素直な感想であった。まあ、”主に”が量的にどの程度を指すかは推測しかねるので何とも言えない。加えて、短い期間ながら氏のブログを夢中で読んできた私のナラティブに照らせばこの要望は必然であるが、実際本になるのならそれ用に書き下ろす”あとがき”があるはずだ(え、ありますよね……?)。そう考えれば矢張り、この要望は私だけのものにしておくほうがよい。私にはホラ、恋心があるのだからね。

 

ここまではるか氏について創作/小説の形式を採る奇抜さという点で語ったが、氏の小説の精髄はまた別に、即ち日常―非日常という二元的な把握に対して脱構築を仕掛けることで生み出される幻想性にこそあると言いたい。
勿論、文体の重さ/軽さを内容に合わせて自在に扱う技術や、童話や児童文学やあるいは星新一などに熱心な幼少期を過ごした読者の顔を綻ばせるような設定、どこか優しくまた優れた文章の流麗さ、これらがなべてはるか氏の巧みさであることについては論を俟たない。そう、文章が上手い。上手いことをわざわざ語ろうという気も起らないほどさり気なく上手いのである。
ただ、上手さや読みやすさ、上澄みの美しさだけではないことも明らかであり、その妙として第一に挙げられるのが上に述べた幻想性だろうというわけだ。日本近代文学において”幻想文学”といえば泉鏡花や江戸川乱歩、我が愛しの澁澤龍彥も当てはまろうし、佐藤春夫『西班牙犬の家』などはつい声を漏らして笑ってしまうほど卓越している。しかしそれでは、はるか氏の文学がこうした作家たちの後をなぞるようなものであるかと問われれば、必ずしもその限りではないだろう。彼女の作品はもっと現代風――まさに”当世女子大生気質”というわけか——で、最もイメージしやすいところで言えば川上弘美が近いだろうと思う。川上においては言わずと知れた傑作『蛇を踏む』や『神様』などにみられる人ならざるものとそうでないものとの人語交流、これははるか氏のいくつかの作品にも見られるシーンである。そしてむしろそうしたシーンが生む効果、即ち我々のよく知る日常とまったく想像のつかない非日常の風景とがテクストの進行に伴い時間的流れをもって渦を巻くように融け合っていく……そのような融解の働きこそが”幻想”の正体であり、私が指摘したい川上とはるか氏の通ずる部分でもある。そう、なにも幻想文学の仕事はただ神秘的な世界の表現に尽きるのではなく、川上や氏のテクストに見られる上のような”働き”もまた肝心の条件、ではないだろうか。無論、はるか氏の”融解”は人間とそうでないもの(人型生物、動物、人間化した動物、人工知能etc……)の交流を通してのみ仕掛けられるわけではなく、時に平凡そうな犯罪者の一人語りのなかで、ときに月から来たという後輩との帰り道で、あるいは人間と思わせておいて鱗を持つ亜人のようなキャラクターと気さくな知人たちの交流のうちで、まるで真夏の縁側で盥の氷が融けるようにじわりじわりと流れが生じ、力が働いて、終いには絶対に何か僅かな謎を残したまま融け合っていくのである。このテクストの流れに読者は乗せられ、幻想に酔いすら感じながら文字通り掌に乗せられるような短い旅を経験することになるのだが、ブログにおけるなんとなくの紙幅とペダントリーを裸足で蹴とばすはるか氏の筆致のおかげか、その酔いすらもどこか心地よいのである。

 

さて。あくまでブログ部員としての投稿記事においてのみ判断するとしても、はるか氏の小説は幻想文学とSFとのあわいに立っていそうで、しかしその実いずれのジャンルにも中々分類し難いものを感じさせる(恥ずかしながら筆者はそもそも”幻想文学”のレンジの広さに日頃より白目をむいてたまげている)。それに、ジャンル分けをしてやろうという試み自体がナンセンスである、と、ここではそのように結論付けても良いだろうと思う。
また最後にはるか氏の或る一つの作品について、あなたに紹介するくらいの軽い気持ちでコメントを加えたい。誰だって気に入りの作家の気に入りの作品を指さして”(私が考える)最高傑作!”と言いたい気持ちは少なからずあるだろうと信じて……。
或る作品といったのは即ち『空虚的プラスティック・ピンク』についてである。ぎらぎらとした極彩色の世界で語り手[ワタシ]と[アナタ]の短い対話が展開される本作は氏の作品のうちでもとりわけ簡潔にまとめられたものであり、同時にとりわけ深遠な一作である。生花を知らない登場人物や人工太陽といったアイテムはSFめいた世界観を連想させるが、対話の舞台は「閉鎖的な空間」としか記されておらず、この表記それ自体が恣意的な解釈――解釈はつねに恣であらざるを得ないとしても――を拒みこちらに対し凄んでいる気さえするのだが、ここにくどくどしい世界説明でも加えようものの一息に駄作の谷へ身を投げることになりかねない。……そのような条件の上でもはっきりと看取されるのは、[ワタシ]と[アナタ]の間にある或る種の駆け引き、二人の精神的な上下関係、そして読者の目の回るほど警抜で毒々しくさえある鮮やかな描写の数々。

「ガラスのマドラーの先でぐじゅぐじゅに潰され身が溢れ出したレモンは、ワタシの行く末を彷彿とさせる。あの酸性の液体がアナタの喉に消えていくなら、ワタシもそうなのだろう。」

[ワタシ]は[アナタ]に精神的に屈服している。しかしそんな[ワタシ]もいじらしい反抗として、[アナタ]を造花のハイビスカスに喩えてみせる――この場面は非常に素敵だ、「目についたモノをそのまま言った」という[ワタシ]の語りに照らしてみると、どう、直前にある当人の台詞に自動作用を感じずにはいられまい。しかしながら[ワタシ]の言葉による反抗も、最終場面における[アナタ]の行動によってひらりと躱されてしまう。
こうして眺めてみると、作品題『空虚的プラスティック・ピンク』は即ち[ワタシ]が[アナタ]を”そのように”造形してやりたいという反抗心でありながら、本物のハイビスカスを知らない[アナタ]と造花を本気で重ねた結果としての同情にも似た虚しさなのではないか。そして後者の虚しさと、さながら女神像について語るように[アナタ]を語る[ワタシ]の語りとによって[ワタシ]自身の虚しさは逆照射される――虚しい対象に価値を観るのはナンセンスであり、美しく虚しい対象に価値を観るのはそれ自体ひとつの空虚であろう。しかしながらそこには美しさがある、この強力な事実を明らかにした語り手の功績ははかり知れない。
私は氏の作品に触れてこんなにも大きな不安に苛まれたことはなかったが、同時にこれほど可憐に感じられたもの本作が初めてであった。故にどうにか同じ部員であるうちに本作についてのコメントだけでも御目に触れる機会を頂きたかったものだが……否、すべては私の力不足である。
このブログがはるか氏本人へ届くことよりも、私は今画面を見つめるあなたにどうか氏の文学を味わってほしいと願う。

「三秒で忘れる記事の三秒間、私の好きに作った文章を、面白く思ってもらえたら。」

花曇りの空のもと、今はもう桜の花弁がはらと落ちるのを数える時分。風に煽られて、何だかんだ三秒ほどは空中を踊っているものだなあと、ぼんやり見つめていました。
明日すぐにとは言わずとも、桜はきっと来年も咲くんです。それに、一度視界を去っただけで簡単に忘れられるものでもないでしょうし。忘れたくても、そちらのほうが中々難しいものです。

北向きの窓を空想しながら。

またお手紙書きますね、大好きです。    みちる

散る花、散らぬ花

こんにちは!さゆりです。
もう桜が満開ですね。久しぶりに登校したら足元に桜の花びらのカーペットが出来ていて可愛かったです。紅葉もそうですが、足元の景色が綺麗だとなんだか気持ちも華やぎますよね。

新入生の方々、入学おめでとうございます🌸
あと少しで新入生歓迎会ですね。
4月9日の13:00から、香雪館203で観世流能楽研究会も新入生歓迎会を行いますので、是非お気軽に見にきてくださいね☺️

初回のブログでお能についての話を少しだけしたかと思いますが、実際能研って何をしてるの?と疑問に思う方もいるのではないでしょうか。

能研では、舞台上で舞う人「シテ」と、シテ以外が謡ういわゆるバックコーラス担当の「地謡」どちらもお稽古をします。舞って謡えるようになれちゃうということです。
でも、自分もできるようになるんだろうか……と思うかもしれませんが、大丈夫です。ご安心ください。
優しい先生や先輩が初歩から丁寧に教えてくれますので「お能の知識は何にもないけどとりあえずやってみたい!」という方でも大歓迎です。音楽やダンスなど体を動かす習い事などをしたことがある方はより面白いと思います。私は長く音楽をやっているのですが、西洋音楽との共通点や相違点を探すのが結構楽しいです。西洋音楽のような楽譜ではないので音符が読めなくても大丈夫ですよ!
やっているうちに少しずつ能についての知識もつきますし「大学でサークルとかやってる?」と聞かれた時に「お能やってるよ」とドヤ顔で言えるようになります。


学業は勿論、兼サーやバイトとの両立も可能なので、少しでも気になったら雰囲気だけでも見に来てくださいね。
何か気になることがあればTwitterのアカウントでも質問や相談を受け付けています!

さて、お能については私もまだまだ知識が浅く勉強中なのですが、古典文学と関連する事で面白いネタがあったのでお話しますね。

日本文学科で中古の作品を学ぶなら源氏物語は外せませんよね。源氏に登場する女性たちは多いですが、中でも葵の巻に登場する六条御息所はかなり印象に残る存在なのではないでしょうか。
六条御息所というと、私はトーハクが所蔵する上村松園の「焔」という作品を思い出します。上品で線が細く美しい姿なのに背筋が冷えるような恐ろしさがあるというか。幽霊や人ならざるものも怖いですが、一番怖いのは生きている人間なんじゃないかと思いました。死霊よりも生霊の方がしつこそうだというイメージがあります。

お能の演目にも葵の巻を題材とする作品はあるのですが、ちょっと原作とは違った部分が何点かあります。どこだと思いますか?
実はお能の『葵上』では、葵上は登場しないのです。
もっと正確に言うと人型の姿では現れません。なんと、舞台上に置かれた一枚の小袖で、病に苦しむ葵上を表現しているんです。面白いですよね。
古典文学を題材としながらも原作をそのまま表現していない場合もあるので、古典がお好きな方なら誰がどの人物かな?あのシーンはどうやって表現されているのかな?と考えながら鑑賞するととっても楽しいですよ。


私はまだ沢山の演目をやった事がないので、いつか好きな作品をやってみたいです。特に、先日まで放送されていたアニメの影響で平家ものが気になります。敦盛、本当に切ない最期でしたね。ストーリーが進むほど平家の人たちに愛着がわいてしまって、とっくに知っているはずの結末が尚更つらく感じました。
義経といい敦盛といい、日本人は儚げな美少年が本当に好きだなぁと改めて思いました。儚く散るものほど美しく見えるものなのでしょうか。確かに、散らない花と散る花を同時に眺めるとしたら、散る花の方が目に焼き付けようと必死に見てしまうかもしれません。
では、また。

嬉しい便り🌸

こんにちは、とみーです。
時が経つのは早いもので、もう4年生になってしまいました。なんだかとっても不思議な気分です。
大学に入ったときは18歳。今年度から、成年年齢が18歳になりましたので、入学したときに既に成人ですね。私の場合20で成人でしたが、21になった今でもあまり大人という感じはしません。
けれども4年生になり就職のことを考えてようやく、モラトリアムはとっくに終わっているのだなあと実感します。

個人的に、コロナ禍で一番辛かったのは一個下の世代。現3年生だと思っています。不安で仕方がない一年次からほぼずっとオンラインだったのですから。けれども、実際最も大学に行く機会が無かったのは、現4年かもしれません。
学費は、授業だけでなく、大学という機関を好きに利用するための経費です。そう考えると、あまり縮こまらず、もっと大胆に色々活動できれば良かったかもなあと思うことがしばしばあります。

後悔先に立たずと言いますし、これから入学する方、在学期間がまだまだある方は、私のような感情に陥らぬよう、大学で学びを最大限楽しめるといいなあと思います。

さて。消極人間の私ですが、大学に入って唯一トライしたものが”自主ゼミ”でした。何度かブログでも触れていますが、私は2019年度から中世自主ゼミに所属しています。当時唯一の新入ゼミ員だったこともあり、先輩は末っ子よろしくとても優しく、良くしてくださいました。正直同学年ともあまり連絡をとっていなかったので、先輩の方がよくしゃべったくらいです。

高校までは友達と古典で語ることはあまりできなかったのですが、授業外で熱意のある方が集まる自主ゼミなので、皆さんレジュメは面白いし、雑談はめちゃくちゃ楽しい。しかも1年次から先の発表資料に触れる機会なんて早々ないので、本当に良い機会だったなあと今でも思います。

先日、そんな素敵な先輩の一人である卒業生の方から久々の連絡をいただきました。就活や卒論に対する励ましの言葉がとっても嬉しかったです☻ 2学年上で、元敏腕自主ゼミ長。スケジュール管理も後輩へのアドバイスや導きも本当に適格で、なんでもスマートにこなすので、とっても尊敬している先輩です。いつも彼女のようになりたいと憧れてきましたが、当時の先輩と同じ学年になり、やっぱりあの先輩は凄かったんだなあと思うことが多くなりました。

卒業してもなお、励ましてくださるだけで神ですし、そんな彼女の後輩になれたことはやっぱり私の大学生活で屈指の最高の出来事でした。ずっと一年生の後輩としていたかったですもん。

けれどもう、私が次の世代にる番で継承する番です。私が先輩からいただいて嬉しかった数々の物事を、同じように後輩たちにあげられていたら嬉しいです。現在進行形で憧れの先輩みたいになれるようずっと試行錯誤しています! 何か残るものがあるといいなあ…。

このブログ部も先輩方に見られていると思うと恥ずかしいですが、これからも上にも下にも誇れるよう頑張っていきたいです。それでは、また。

絵本と大人。

皆様、こんにちは!そして、お久しぶりです!
3年次になりました、ずきです。今年度もどうぞよろしくお願いいたします。

4月2日。本日は日本女子大学の入学式!ご入学の皆さん、本当におめでとうございます!日本女子大学で一緒に学べることをとても嬉しく思います!新入生の皆さんが、充実した大学生活を送れますように!

・・・

そして、今日は「国際子どもの本の日」。童話作家のアンデルセンの誕生日にちなんで制定された記念日なんだとか。ということで、今回は私の「絵本の世界」での体験を綴っていこうかと思います。

はて…絵本の世界での体験とは……???

「絵本の世界に入る」
夢でも見ない限り出来ないと思っていました。それが、現実になって叶ってしまうだなんて…!

目の前には、絵本で見た”あの”世界が広がっていました。春の草原、夏の海、見たこともないくらい大きなたまごにふわふわのカステラ。赤と青の小さなぼうし、くつ下と手ぶくろ………。

私が友人と訪ねたのは、有名な絵本シリーズ『ぐりとぐら』の世界を楽しむことが出来る、「ぐりとぐら しあわせの本」展。
仲良し野ねずみの「ぐり」と「ぐら」の出会いと冒険を追体験できる展覧会で、特に子ども達は「ぐりとぐら」の目線により近く、大人の何倍も楽しめたのではないかと感じました。楽しかったのは大人である私も…!展示を見て懐かしさを感じていたところ、なんと…本物のぐりとぐらが会場に遊びに……!というのは一日遅れのちょっとした冗談で…ぐりとぐらの恰好をしたお子さん2人が保護者の方といるのを目撃し、友人とその可愛さに悶絶していました。本当に可愛かったです!

また、同じ会場で開催されていた「どうぶつかいぎ展」も鑑賞しました。ドイツの詩人・作家のケストナーの『動物会議』という絵本をテーマにしたこの展覧会は、ケストナーと挿絵画家のトリアーがこの絵本に込めた想いを感じることが出来る展示で、大人がまさに今、鑑賞するべきだと感じました。

この二つの展覧会が開催されているのは、東京都立川市にある「PLAY!MUSEUM」です。どちらも4月10日までの開催となっているようですので、興味のある方は是非、足を運んでみてください!

公式ホームページはこちら→ https://play2020.jp/

絵本は、子どもには勿論、大人にも大切なことを教えてくれるものだと感じることが出来ました。

ということで、今日はこの辺で!それでは、また!

比較

こんにちは、ゆきほです🍵

さて、私が前回の最後に書いたことを覚えている方はいらっしゃるでしょうか……?

次の担当日がいつになるかはまだ分かりませんが、次のブログの1行目に「手帳、続いています」と書くことができるように今日もまた書きたいと思います。次回の私にご期待ください。

そうです。前回(3月12日)の私は記録を始めた手帳が続くかどうかの瀬戸際に立っていました。あれからおよそ1ヶ月、手帳は……

(一応)手帳、続いています!!!!!

嬉しくて太文字にしてしまいました。一応とつけたところからお察しいただけるかもしれませんが、正直に言うと1週間分くらい書き忘れたり書くことが何もなかったりして書いていない日もあります……が、飛び飛びになっても続けているのは偉いのでは?と過去の自分と比べてちょっと誇らしくなってしまいます。
昔校長先生が朝礼の時に「1ヶ月続いたことは一生続けられる」というようなお話をされていたことをこれを書いていたらふと思い出しましたが、私の手帳も1ヶ月続いたのでこれからもゆるゆると続けていきたいと思います。一生とはまだ言えないけどとりあえず1年続いたらいいな!!

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今日は4月1日、新年度のスタートです。現在19歳の私は大学2年生、そして新成人となりました。実はこれを書いている今は3月31日なのでまだ未成年の大学1年生なのですが、明日いきなり2年生!成人!と言われてすぐに実感が湧くかと言われたらそんなことはありません。

昨年度はオンライン授業の関係で週2回しか学校に行っていなかったため大学生になったな~と実感することがほとんどなく、大学生というよりも高校生の延長線上にいるような感覚をずっと抱いていました。もしかしたら今もそんな感覚は残っているかもしれません。
しかし去年の今頃の私を思い返してみると、入学式の会場だった百年館低層棟の教室に行くのに高層棟を彷徨って迷子になったり(一緒に迷子になっていた子と共に近くにいらっしゃった方に助けていただきました)、家から登校するなら目白より護国寺に行った方が楽だし早いし安いということに気づかずに目白駅から学校に通ったりしており(夏頃気づいてすぐさま護国寺に変えました)、そう考えると今の私はちゃんと成長しているしちゃんと大学生できているのでは?と思えてきました。

この4月から大学生になる方は今たくさんのワクワクや不安や心配が入り交じっていると思いますが、私から言えることはただ1つ。あまり心配しすぎなくても、入ってみれば本当になんとかなります。高層棟を彷徨って目白駅まで遠回りしていた私が言うんだから間違いありません。皆さんが大学生活を楽しめますように、先輩は陰ながら応援しています♪