セルフ鼻先に人参作戦

みなさんお元気ですか。

こんにちは、推しに生活を支えられているオタクことさゆりです。

季節の変わり目だからなのか、はたまたいつまでも続く夏のせいなのか、普段あまりないような体調不良に見舞われていたものの最近ようやくおとなしくなってきました。

いつも予定を終えて帰宅すると執心まで時間との闘いなんですが、朝から動き回っているとどうしても疲れてしまって床に転がる屍になりがち。そんな時行動を促してくれるのが、推しの配信です。この配信の時間までに何を終わらせておこうと考えると心なしかちゃきちゃき動ける気がします。ありがたいものです。少し先に楽しみがないと何のために頑張っているのかわからなくなってしまいますし、セルフで鼻先に人参をぶら下げるようにしたいなぁと思う日々でございます。馬と違ってぶら下げられた人参にはいつか食いつけるわけですし。

それから気が付いたのは、自我を開放して思いっきり楽しめる時間の大切さでしょうか。服装やメイクに制限がかかっているとどうも自分らしくないというか、首輪をつけられているような不自由さを感じます。

ひと月前ぐらいに推しのアート展示に行った際、もしかしたら推しに会えるかも!という期待を抱えて履けなかったいつものヒールを履き、脱ぎ着しにくくて避けていた好きな服を着て、お気に入りの大ぶりなアクセサリーをつけて出かけた日はそれだけで心躍る一日でした。推しには会えなかったけれど、私はこういう事で元気が出るタイプなのだなぁと気づかされただけでも収穫だったかな。

好きな服を着て好きな人達に会いに行くのも楽しいですよね。友達や知り合いに服やメイクが好きな人たちが何人かいるので、会った時にお互い褒め合えるのも嬉しいです。いい靴は持ち主を素敵な場所に連れて行ってくれる、なんていいますが、私は新しい服を買うときに「この服を着てどんな場所にいきたいかな」と想像します。素敵な場所に連れて行ってくれるのもいいけど、むしろ服を素敵な場所に連れていきたいのです。みなさんはどんな服を着てどんな場所に行きたいですか?

【今月のコスメ】

About_tone ブラーパウダーパクト 

限定パケのシルバーエディションが可愛くて購入。

アットコスメ東京ぐらいでしか見かけないですが、実はbbiaの系列です。

ベースはデパコスしか信用しない教に染まっているわたくしが想像以上に仕上がりがよくてびっくりしたアイテムの一つ。さらっと仕上がって毛穴を埋めてくれて乾燥することがなく、重ねた時の質感が綺麗なんです。うっかり二度塗りしてしまった時の、うわっ‼がないので重宝しています。

夏場は持ち運び用にコーセーとイニスフリーのパウダーを持ち運びしていましたが、うっかり粉をこぼしてしまった時のストレスがあったのでプレストタイプなのがありがたいです。

ついでに言うなら、パフの収納部分とパウダーとの間に仕切りがあるのも衛生的で好きです。大抵のパウダーって直にパフを入れるので。

一回ランチするより安いぐらいの驚きの価格なのでお試しにもおすすめですよ。

では、また。

ありがたみ

ヘルプマークをつけるようになると、案外つけている人は周りに沢山いることに気がついた。

普通に電車に乗るということがかなり困難になった夏だった。どれだけ楽しい予定でも、移動が付きまとうことで不安になりいくつも予定をあきらめ断った。カレンダーから予定を消している時、もうこの心配をしなくていいんだと心の底から安堵に包まれた。しかしそれは束の間、ひとつ無くなったところで先に続くさまざまな可能性を探し気づけば自ら不安になりにいっていた。電車に長く乗るのはいやなくせに降りたり乗れなかったりをするから、結果的に普通よりも明らかに時間をかけてしまう。がんばってもだめな日は遅刻かドタキャンになる。なんとかして帰る。身体が言うことを聞かなくなった日は、友だちとのご飯の予定で外出している相方を呼びつけた。電車に乗り、私の痙攣する手を相方が優しく握ってくれた瞬間、涙が溢れた。こんなに優しい人の楽しみを奪うことなしに帰ることが出来ない自分が哀しかった。生きることと迷惑をかけることの違いが曖昧になった。

電車をきっかけにそれは癖になり、電車に限らず異常な緊張や不安感に落ち着かない日々が続いた。本当に集中力が落ちた。考えたくないことなのに不必要に考えようとする頭が働き、会話に集中したり心から大笑いしたりできなくなった。当たり前のようにあった感情の動きは、動く余裕があったからこそなのだと知った。相方に会いたいのに外出すると異常に疲れる。外出する前から余計な緊張をし、特技とも言えるほど寝つきが良かったのに眠れなくなる。出かけたいと思えなくなった。履修登録で授業を一コマ入れるたびに電車を想像した。これが電車に乗る回数と比例すると思うととりたいという気持ちに委ねることはできなかった。

今年の夏休みは思えばそんな一面があった。でも一面だと思える今がある。それが全てではなかった。悪いことは記憶に残りやすいけれど、悪いことが目立つ分だけそのまわりには些細な幸せが溢れている証拠だと思う。

今は落ち着いてきている。天気や気分や環境に左右されるし、心配もするけれど、それでも日常の喜びをとりこぼしてしまわないように、今まで以上に自分を大切にすることにしている。

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まいです、ごきげんよう❀

暗い始まりに読んでいる方々の不安を煽ってしまっていたらすみません。このように自分のこの状態を言語化できるようになったのは、今、その状態から少し距離を取れているということの良い証拠です。自分の不安を吐露したいのではなく、そこから今ラクになれていることをお伝えし、同じような悩みを抱えている方の一助になれたらと思っています。

最近自分の中で唱える言葉は「未来の自分に任せよう」です。

不安はやはり癖になってしまうもので、不安ではない時に何故か自ら怖い可能性を考えてしまい結局それが原因となって悪いことが実現してしまうという負のサイクルに陥りがちです。

脳に関する本を読んだらしい姉から、悪いことを想像しそうになったら太ももを叩くといいらしいと聞きやってみました。確かにハッと我にかえるのに良さそうです。脳は単純なので外からの刺激が来るとそっちを優先してしまうとか。

このような物理的な刺激とは別に、「未来の自分に任せよう」と思うことにします。「この不安は、本当にそうなったときに、その時の(つまり未来の)自分が考えることなんだから今の自分が考える必要は無い!」と。人に仕事を任せるように、ある意味で無責任になることで不安という荷物をおろします。「考えちゃだめ」と思っても、そう思うほど考えてしまうし、変な話ですが「不安を考えていないと不安」という謎の沼に落ちていることも少なくないので、「考えない」ではなく「後で考える」とすることは、案外自分を落ち着かせるのに良いです。「これはあとで考えればいいや」「今の自分のやることじゃないな」と思っているうちに不安そのものがどこかへ行きます。後期が始まってひとりで大学の最寄り駅まで来られたときは涙が出るくらい嬉しくなりました。やった!やったよ!!!普通にこられたー!と。

なるべく丁寧な気持ち作りをし、疲れやすい心身を癒すために、最近は朝晩欠かさずヨガをやっています。ヨガ自体、呼吸を広げたり体をリラックスさせるのに良いし、ルーティンがあることで丁寧な生活を送れている心地になります。百均で買った小さいノートを自己流にデコレーションし持ち歩き、その日にあった些細ないいことをメモしたりもし始めました(これは以前もやっていたことがあるのですが)。メモのために自然といいことを探すようになるので、不安材料を集めてしまうより日々がずっと明るくハッピーになります。

自分の心を自分でケアする。休むことが必要ならそれでいい。休むことに必要以上に罪悪感を感じにいかない。自分をゆるし、的確な判断をできた自分を褒める。あまり深く考えない、泣きたかったら泣く。

人生短くはないから、その中で病気になったりものすごい転機が訪れたり色んな変化がある。今の私も、自分の生きてきた年数でみたら、こんな調子なのはほんのわずか、なんとも思ってこなかった平凡な幸せの方がずっと長いし、これからもそうしていける時間がある。こうなって良かったとまでは思えないし思う必要はないけれど、人の優しさを知れたし、辛い気持ちはどんどん口に出していいこと、素直に泣くと驚くほど気持ちが軽くなることなど、価値のある気づきを得られたのはとてもお手柄だと思います。人間、焦るほど視野が狭くなり孤独感に苛まれるけど、勇気をだして視野を広げてみると、優しい世界に気がついて、それだけで心が軽くなったりする。何かあってもそういう人たちが周りにいるんだから大丈夫と、無条件に安心できたりします。

色んなことがありますよね。これからも。そうすると「良かった時に戻りたい」なんて思ったりするけれど「戻る」ことが一番の幸せとは限らない。不安なことと対峙したら、それを忌避するのではなくて、それと上手く向き合いながら“新しい幸せな生き方”を見つけたらいいと思います。それを楽しめたら素敵ですよね。

大学最後の後期が始まりましたが、ちゃんと、楽しいです。行き帰りの疲労感はもちろんゼロにはなりませんが、そんなの程度が違うだけで今までだってそうだったはず。疲労の程度が変わったなら、回復の程度も変えてあげて自分を幸せにする選択肢を選ぶ。

最近は夜も眠れるし、学校も、友達と会うのも楽しみです。電車も目的地までまっすぐ行けることが増えたしそうでなかったとしても自分を責めなくなりました。楽しいことを心から楽しいと思うことも出来ます。先日姉と行った「大地に耳をすます」という美術館の企画展示もとても楽しめました。感動する余裕が心に生まれていました。

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誰よりも身近な存在である自分を、誰よりも自分が大切にしてあげようと思える今日この頃です。

これを読んでくださったあなたの今日が明日が、素敵な日になりますように。

ごきげんよう。

女子校生活総決算

こんにちは、ゆきほです🍵

昨日学校帰りに、最寄り駅のエスカレーターの目の前に停車するドアから降車したら、幼馴染に遭遇しました。多分同じこと考えて電車に乗ったんでしょうね、降りたら目の前に現れてびっくりしましたよ。

「今学期週何回学校行ってる?」と聞かれて「取りたい授業がばらけてて週4で行ってるの~」と答えたら、幼馴染は「待って、うちも週5で行ってる」とのこと。似た者同士なので19年も仲良くできているんだと思います。

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今回は「実際のところ女子校ってどんな感じ?」ということをテーマに書いていこうかなと思います。

このブログにいるということからも分かる通り、私は現在女子大に通う大学生です。

小中は共学、高大は女子校ですが、中学生の時にクラスメイトから志望校を聞かれて女子校の名前を答えたら、「……あ~、確かにゆきほちゃん女子校にいそう」というものすごく微妙なリアクションをされたことをよく覚えています。女子校は絶対に嫌派の人も中にはいますよね(というか私の周りは体感そっちの方が多かったです)

それって何でなのかな?と考えてみると、やっぱり「女性しかいない学校生活なんて想像がつかない!」という点が大きいと思います。想像がつかないからこそ広がっちゃうのが「女子校っていじめすごそう」みたいな偏見なんじゃないかな。

今回はそんな「女子校ってどんな感じなの?」という疑問を少しでも解消できればと思い、「なんで私は女子校に来たの?」というところから「9年共学、7年女子校に通ってみて私はこう思う!」というところまで書いていきます。

そしてこれは書くまでもない大前提となることですが、今回の記事は私はこうでしたよ、という話です。ここに書かれていることが全女子校出身者の総意というわけではありません

「あくまで私はこんな感じで学校生活を送ってきたよ」というのが伝われば嬉しいです。

【私の通ってきた学校】

小学校・中学校→地元の公立小中学校
高校→女子校
大学→日本女子大学

【なんで女子校に行こうと思ったの?】

結論:全然覚えていないけど、小学校高学年のときには既に女子校に行きたいと思っていた

ここ重要なのに曖昧でごめんなさい!!!でも中学校に入学した時点で確実に女子高への進学を夢見ていました。

周りの大人に女子高出身の人が多いため、私が耳にしていた「高校生活の思い出」が女子高のものに偏っていたということは大きかったんじゃないかなと思います。女子校なんか楽しそう!!という、いい意味での先入観はもともと持っていました。

中学校生活の中で共学であるからゆえに起こったような(女子校では起こりえない)嫌な思いはたくさんしましたが、それが直接的に進学先に影響したかというとそうでもないと思います。もともと持っていた女子高進学への強い執念をさらに強固にした、くらいのものです。

「女子校出身」と言うとよく「男性が苦手なの?」と聞かれますが、私はそれが理由で女子高を選んだわけではありません(後半で詳しく書きます)

ちなみに中学受験して中学校から女子校に行くという選択肢が出てこなかったのは、地元の公立の中学校がとっても近所にあったため、当時小学生の私には遠くの中学校に行くことのメリットが分かっていなかったからです。毎日朝ドラを見てからのんびり学校に行っても余裕で間に合っていました。

【女子校に行ってみてどうだった?】

結論:ものすっっっごく楽しい!!!女子校来てよかった!!!

私には女子校がすごく合っていました。学校超楽しいし、居心地よすぎるし、高校も大学も大好きです。
高校生活があまりにも楽しすぎて、大学進学の時にも共学の大学は選択肢に現れませんでした。

みんなやたらと距離感が近いため誰かしらに腕にまとわりつかれたり膝に座られたりしていたことも、推しとのデートに来たという体で3泊4日間虚妄の中を生きた修学旅行も、磨き上げた先生のモノマネも、全部楽しい思い出です。この楽しさを味わうことができたのは出身高校だったからこそだな、と思っています。
大学生活を楽しんでいるのは、このブログを遡っていただければよく分かりますね。

ただ私は、その学校生活の楽しさの全てを「男性がいなかったから楽しかった」の一言では片づけたくはありません。

もちろん巷で言われているような「異性がいない環境で過ごすことで、恋愛以外の心の支えとか楽しみを見つけることができる」みたいなことも分かります。現に私や友人たちの多くは、超趣味に生きるおもしろい人生を歩んでいますし、今も恋愛とは縁遠い日々を送っています(ごめん)

でも愉快な友人たちの顔を1人1人思い浮かべてみたとき、同時にこんな考えも浮かんできました。
「いや、あのみんなが共学の学校に行っていたとして、果たして恋愛に明け暮れる日々を送っていたのかな?」(ほんとごめん)

結局、私が高校・大学に共通して言える最大のよかったポイントは、男性がいなかったことではなく友人に恵まれたことです。

私は女子校という環境を自分で選んで楽しみつくしていた(楽しみつくしている)、女子校が好きな友人たちのことが好きなので、彼女たちと出会うことができた場としての女子校も大好きです。
この友人たちの魅力には共学の学校で出会っていたら絶対に気が付くことができなかったはずなので、女子校来てよかったな~~~と心から思っています。

【男性は苦手?】

先ほども書いたとおり、私は男性が苦手だから女子高に進学したわけではないので、潜在的に苦手意識があるかと言われると多分ないです。でも接している人数は少ないため、得意かと聞かれると、そうではないです。

これは子どもと接することを苦手だと思っている人を想像してほしいのですが、その苦手意識の理由の大半は「あまり子どもと接した経験がないから」「子供と接することに慣れていないから」だと思います。
全く同じ理由で、私は生きてきた環境的に、女性と話す回数の方が男性と話す回数よりも圧倒的に多かったため、敢えて性別で比較するならば女性と話す方が得意ではあります。

ただ、そもそも私は人と話すこと自体が得意ではないため、性別関係なく人と話すときにはしどろもどろになるし、世間話もそんなにできないし、人と目を合わすこともあまりありません(全然堂々と言うことではありませんが)
初対面の人を相手にしたときにコンビニの店員さん相手くらいの会話なら頑張れますが、それ以上を頑張るのはちょっとキツいなということに関しては男女全く関係ないです。

逆に言えば、人と接することの苦手さが性別由来のものではないと知ることができた(男性と話すことが苦手だと思い込まずに済んだ)のは、私にとっての女子校に通ってよかったポイントだと思っています。

【結局女子校と共学どっちがいいの?】

私が比較できる最新の共学の学校は中学校になってしまいますが、中学生って多くの人にとって人生で一番尖っている時期だと思います。しかも良くない方向に。
私はその良くないところをたっぷり見てしまった中学校の同級生たちのことが今も正直好きではありませんが、もちろん私にも良くないところは山のようにありました。

そんな感じで、お互いに感性が尖っていて良くない面が山のようにあったときに接していた人たちと、ある程度成長して大人に近づいてから出会った人をそのまま比較するのってなかなか難しくないですか?

人との合う・合わないは男女問わずあるし、いい人と悪い人がいるのも男女変わりません。高校も大学も大好きですが、合わないと思った人はもちろん一定数います。

私の経験でどちらが好きかと言われたら、小中よりも高大が好きなので女子校の方が好きですが、それをどちらが良い・悪いの天秤にかけるのは違うよな~と思います。

……とか言いましたが、正直高校までの私だったら絶対に「女子校の方がいい!!!」と言っていました。だって中学校本当に嫌だったんだもん!!!

年齢的な成長もありますが、「性別ってあんまり関係なくて、人っていい人であろうと悪い人であろうと、男性であろうと女性であろうと結局みんな人なんだよな」という境地に辿り着くことができた今だから思うことです。

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本当はもうちょっといろいろ書きたかったけど、全然書き終わりませんでした。何かいいたいことが増えたら次回の更新のときに冒頭にでも書きます。

ある意味私の女子校生活を振り返るような感じで(まとめるにはだいぶ気が早いけど、もしかしたら今まさに進路に迷っている人がいるかもしれないので)書きましたが、私が言いたいのは「女子校に来たことに後悔はなし!!!」ということです。

私が過ごしてきた学校生活では、隣の席に転校生のイケメンが来ることはまずないし、幼いときに引っ越しで離れ離れになった幼馴染と進学先で再開して恋に落ちることもまあありません。
図書館で高い位置にある本を取ろうとしたときに後ろから取ってくれる運命の相手も特に現れないので、普通に己の手で踏み台を引きずってきてよじ登って取ります。私より1段高い本棚に手が届く人はそういません。

でも、こういう女子校的な空間って学生時代しか体験することができないし、人生の一経験として飛び込んでみるのもアリだと思います。後悔はさせません。

長くなりましたが、今回はこのあたりで締めようと思います。
ではまた。