卒論・ライフ・バランス

みなさん、こんにちは!

目下、卒論執筆中のももこです。

本日ゼミでの発表を終えて、ここからは本格的に、これまで調査し、分析し、考察してきたことを文字に書き起こすという作業が中心になります。今までちまちまと書き溜めていた文章の添削や修正をし、卒論全体の調整を行うことを含めて、ついにここまできてしまったか…(涙)というのが正直な気持ち。卒論と向き合うことができる期間ってあっという間だったなぁと実感している今日この頃です(まだ書き終わってないのに何感慨に浸ってるんだと、自分でツッコんでおきます(笑))。

さて、卒論執筆が生活の大幅な時間を占めている中で、日々の心の糧を求めるのは当然のことですよね。きっと、世の卒論と格闘している大学4年生の皆さんも、賛同してくれるはず…!

【今の私の心の糧たち】

その1:束の間の息抜きのティータイム

最近は、甘いお菓子としょっぱいお菓子、温かい飲み物から冷たい飲み物まで、家に常備してあります(笑)。

その2:毎週木曜日よる9時~ドラマ「緊急取調室」

これだけははずせない!「キントリ」だけは、毎週リアタイで見ると決めています。ちなみに、天海祐希さんと小日向文世さんを秘かに推しています(笑)。

その3:卒論提出したら絶対に見る映画

「室井慎次 生き続ける者」「ズートピア2」「緊急取調室」「ウィキッド 永遠の約束」を、卒論を提出してから見ます!大事なのは、卒論を無事に出してからということ。それまでは我慢します(涙)。願掛けみたいなものですね(笑)。

挙げていけばきりがないのですが、今の私を支えている心の糧はこんな感じです。自分を追い込みつつも、息抜きを忘れず、卒論を出した後のご褒美に向かって、あとは猪突猛進するのみ(最大のご褒美は納得のいく形で卒論を提出することですが…)!卒論を提出するまでの残り少ない日々を大事に過ごしたいと思います。

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お話は変わりますが、後期が始まってすぐのゼミにOGの方々が来てくださいました(紹介するのが遅くなりましたが、私は中世ゼミに入っています)。夏休み期間から、ゼミの4年生とグループラインを作って様々な相談に乗っていただきました。研究の内容から、レジュメの示し方、プレゼンテーションの仕方まで、丁寧にアドバイスをくださって、私たちにとっては感謝してもしきれない存在です。

そんな先輩方とライン上でやり取りする中で、「自分が研究している題材(作品や人物)のテーマソングって何だと思う?」という話題が上がりました。研究の本筋からはそれた雑談的な話題だったのですが、これまで自分が持っていなかった新鮮な視点だったので、ずっと心に残っていました。「私もいつかは自分の推し(研究対象)のテーマソングを語れるようになりたい!」と強く思ったんです。

そして、その答えがちょっとだけ見えたような気がするので、今日はそれをご紹介します。

私が卒論で研究しているのは「崇徳院」という人です。高校で日本史を選択していた方は、どこかで聞いたことがあるお名前ではないでしょうか…。高校生の頃の教科書には、保元の乱を起こして敗れた天皇というような説明があります。しかし、これまで1年~1年半をかけて崇徳院と向き合ってきた自分にとっては、「う~ん全然足りない!」というのが正直なところ…(高校の「日本史」で学ばなければならない膨大な知識を思えば、この説明もうなずけますが(笑))。

私から見た崇徳院の印象は、「様々な側面を持つ人」という言葉が1番ぴったりかなと思います(そこが魅力でもある…!)。

複雑な出生の事実を持つこと。天皇の位についたものの、統治者として実権を握る機会には恵まれなかったこと。讃岐国に流され、その地で亡くなるという薄幸な最期であったこと。死後怨霊として人々から恐れられたこと。その一方で、歌人として名高く、勅撰和歌集に多数の歌が入集していること。

今、挙げてみたように、崇徳院という人物は様々な側面をあわせ持っているんです。様々な側面があるからこそ、どの切り口からでも語れる人だと思います。その中で、私が注目したのは崇徳院の真の姿はどのようなものだったのかということ。卒論のテーマを「崇徳院」に決めたときから、「崇徳院の真の姿とは、物語に描かれた姿や人々に抱かれていたイメージとは異なるに違いない!」という根拠のない自信がありまして、簡単に言えば、「それをしっかりと証明するんだ!」というのが私の卒論の目標でもあります。そういった研究の原点から、いろいろと紆余曲折を経て、今、やっと卒論のゴール地点が見えてきたところになります。

さて、おかたいお話はこのくらいにして…(笑)。崇徳院を語る上で絶対に避けて通れないキーパーソンがいます。藤原俊成です。中世歌壇を牽引する巨匠にして、藤原定家の父。『千載和歌集』の撰者でもあります。実は、若き日の俊成を見出したと言っても過言ではない存在が、誰あろう崇徳院なのです(アツい!)。崇徳院が、自ら主催した『久安百首』と呼ばれる応制百首の部類をする役に、俊成を大抜擢したことからふたりの関係は始まり、崇徳院が讃岐で亡くなるまで続きます。崇徳院の死後、俊成に届けられた「崇徳院遺詠」と呼ばれる長歌と反歌、またそれに対する俊成の返歌…、これはもう涙なしには語れません。年齢も立場も違うふたりが、和歌を通して永遠に繋がっていることがひしひしと感じられて、今この文章をパソコンで打ちながら目がウルウルしちゃいます(涙)。

ここで1番最初のお話に戻りまして…(説明が長くてすみません)。崇徳院と俊成の関係性のテーマソングとも言うべき歌を自分の中で見つけたんです!先ほど、卒論が終わったら絶対に見ると宣言した映画「ウィキッド 永遠の約束」の中の楽曲「For Good」です。映画「ウィキッド」はブロードウェイミュージカルを原作としているので、舞台版の俳優さんが歌った楽曲もあるのですが、私はやっぱり映画版のシンシア・エリヴォとアリアナ・グランデが歌ったものが好きです。

「ウィキッド」は、もし、誰もが悪役だと信じていた人物の裏に、隠された真実があったとしたら…という視点からの作品。童話『オズの魔法使い』に登場する「悪い魔女(エルファバ)」と「善い魔女(グリンダ)」の知られざる過去を描き、何が本当に「善」で、何が「悪」なのかを問いかける物語になっています。

「For Good」は、実は親友であったエルファバとグリンダが永遠の別れを迎える直前に歌う楽曲。ふたりの美しい声もさることながら、素敵な歌詞にも感動を覚えます。以下に和訳した歌詞が付いているYouTubeを添付してありますので、お時間がある方はぜひ聞いてみてください。

[和訳]For Good – 映画「ウィキッド 永遠の約束」より / Wicked: For Good “あなたを忘れない”  歌詞 日本語 英語 字幕 – YouTube

個人的には、崇徳院とエルファバが重なり、俊成とグリンダが重なる気がしています。しかし、両者は完全に一致しているわけではありません…。性別も、言語も、生きている世界も違います。俊成はグリンダみたいに浅はかではないし、崇徳院はエルファバみたいに犯していないことの業を自ら背負おうとはしません。ただし、「For Good」でエルファバとグリンダがふたりとも口にする

Who can say if I’ve been changed for the better?

But because I knew you

I have been changed for good

(良い方へ変わったかどうかは誰にも分らない。でもあなたと出会えたから、私は永遠に変わったの。)

という部分。全てはここに集約されているように感じます。

彗星が太陽に引き寄せられて軌道をそれるように、また、小川が岩と出会って流れが変わるように、俊成は崇徳院から様々な影響を受けました。船が風に吹かれて岸を離れるように、また、種が鳥に運ばれて遠くの森に行き着くように、崇徳院も俊成から様々な影響を受けました。互いが互いに与えた影響が良い方へ向かったのかは分からないけれど、ふたりの出会いが確実に自分たちを変えたということを認識し合っている点が、崇徳院と俊成の関係性、エルファバとグリンダの関係性において、深く重なる部分だと思います。

対外的にどう思われていようとも、ふたりの間には確固たる絆があるということが描かれている点で、「For Good」崇徳院と俊成のテーマソングと言ってもいいのではないでしょうか…!本来なら、日本の曲で考えるべきかもしれないのですが、自身のJ-POPに対する畑の狭さから、今回は「For Good」という楽曲を崇徳院と俊成のテーマソングとして紹介させていただきました。崇徳院単体のテーマソングが見つかったら、またこの場で語らせてください!

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自分の推し(研究対象)について語ろうとしたら、とても長くなってしまいました…(反省)。でも、推しについてお話するってとても幸せなことですね。実は、今年度は自分の自信のなさが目立ち、悩んでいたのですが、自分の思いを書き出してみたらすっきりしました!このような機会をいただけることって、本当にありがたいことなのだと実感しています…。

巷では「ワーク・ライフ・バランス」という言葉が流行っていますね(もう遅いでしょうか…(笑))。今の私にとっては「卒論・ライフ・バランス」かもしれません。私は「卒論・ライフ・バランス」を捨てることはできないかもしれませんが、適度に息抜きしつつ、卒論提出までの残り少ない期間を走り抜けたいと思います。頑張るぞー!!

本日も長々とお付き合いいただきありがとうございました!それでは、また!

おばけらじお、裏飯屋

ごきげんよう、あやめでございます。

前回言い訳していたラジオごっこが出来上がりました。多分。裏飯屋らじおのお時間です。死したはずなのにまだ現世で大暴れするへんてこおばけがパーソナリティをつとめる、謎の深夜番組です。ディープで軽口の絶えない全九回のラジオ番組を覗く「ご覚悟」はできましたでしょうか。クーリングオフは適応外です。今回は第三回までのお届け。

第壱回

こんばんは。おばけに「おはよう」も「こんにちは」もありませんので、いつだってこんばんは。明けない夜より永い死後から顔をのぞかせる、当方、おばけでございます。この番組は本来砂あらしが舞ってザザザしか聞こえないはずのところ、魑魅魍魎の類、おばけがハイジャックして乗っ取って、放送倫理に則ってお送りしております。親愛なる生き物のみなさまへ。もうない肉声を以てお届けしてまいります。今夜は戸締りばっちりして、いきていることに感謝して、白湯とかのんでから寝ましょう。明朝には私の仲間になっているかもしれない、何も信じられない浮世をサバイブしてらっしゃるのだから。けけけ、とおばけらしく笑っておきます。どうも、裏飯屋らじお、はじまりました。へいらっしゃい。

このらじおは、5分間の限られた時間の中で、無限の死後を表現する、とかではなく、おばけの一方的なおすすめを語りつくすことを目的としております。裏飯屋は定食屋なのに、なぜかかかるBGMはジャズですし、メニューに珈琲があります。おばけの趣味です。かようにして来週から本格始動いたします。

おやすみなさい。良い夢を。お会計、六文です。

第弐回

こんばんは、当方、おばけであります。裏飯屋らじお、元気に開店です。へいらっしゃい。

5分しかないので急いで準備を整えましょう、最初のコーナー「おばけの気まぐれサラダ」。このコーナーでは、おばけが現世を浮遊して見つけてきた美味いたべものをご紹介いたします。裏飯屋なので。

今回ご紹介するのは、アフォガートです。珈琲大好きおばけとしてやらせていただいております私でありますが、この甘味はなかなか素晴らしいものでありました。ないはずの味蕾がうなりました。未来もありません。ハハハ。 ただ、コレ、イタリア語で「溺れた」を意味する「affogato」に由来するとか。「溺」、というのはいやな言葉ですね。私の死因です。もう溺れまい、と空を浮いているのに、甘くて苦くておいしいうちにいやなことを思い出させるテクニカルな甘味です。だいたい、溺れているうちは「しあわせ」になぞ、なれやしません。しあわせは、己でつかみ取らないと手からこぼれ落ちていく、であるから群雄割拠、喧喧囂囂、侃侃諤諤、そうやって押し合いへし合いするデスゲームの会場名ですよ。以上、死者のワンポイントアドバイスでした。なんだか本筋からはそれました。失礼いたしました。 そして今回はここまでのようです。残念。

おやすみなさい。良い夢を。お会計、六文です。

第参回

こんばんは、今週の裏飯屋らじおのお時間です。へいらっしゃい。

生き物のみなさまごきげんよう、良いわけありません、当方ご機嫌斜めのおばけです。花粉症に罹患しました。あるはずのない免疫が、要らないはずの免疫反応を示して、人間同様花粉症に悩まされております。おかげでQOL、クオリティ・オブ・ライフではなく、死んでるのでクオリティ・オブ・デス、略してQOD、が、だだ下がりであります。最悪です。死ぬことより悪いことって存在するのですね。イライラは世界を滅ぼす。今晩の私はきっと、サイバー攻撃を引き起こす自然災害です。雷が鳴ってもおなかまるだしで寝る現代っ子にはわからないでしょうがね!

この調子と勢いを利用して参りましょう、質量保存の法則。本日の生定食のコーナーです。このコーナーはおばけが自ら出向いて仕入れ、もとい、観察した、おもしろ素材を活かした定食です。ごはんとお麩の味噌汁とお漬物は固定です。さっそく。

●●●(空白、息を吸う)

甲か、乙か。 この違いは遥かな違いである。混同してはならないし、逆転させてはもっといけない。みずみずしさ、色の鮮やかさ、古い葉の量、虫の有無。これら外観してわかるだけの事をできるだけ多く情報収集、そして判断する。このようにして甲乙をつける。

「298円です」レジでスキャナーに通して、お姉さんが値段を告げた。「甲」のキャベツにすることに決意して、購入契約の段に移行している私の手持ちの小銭は298円ぴったりをつくりだすことができない。キリ良くお釣りを貰うために小さな数的演算装置を動かす。5円のおつりをもらうには…?(処理中・悠久の間)303円か。いやしかし、1円玉が2枚しかない。これじゃうまくいかない…??ここは最終奥義を繰り出す場面であろうか。決意。 「クレジットカードで」

●●●(BGM)

電車に乗って、休日を満喫してきた人々に邂逅することになった。大きなショッピングバッグ。ナイロン生地の蛍光色で彩られたアウトドアウェア。パンパンのリュックサック。二人組の多いこと。生前ならこんな光景を目にしただけで、なぜかこちらまで「どっ」と疲れて、それから言い得ない「疎外感」を感じて、早く終点が来るのを待ったものである。でも今なら、オヤ、愛すべきニンゲンの群れがやってきたな、と思えるはずである。こちらは昼間に化けてでているマヌケなおばけなので、ニンゲンを対象化してまなざせるはずである。イヤ、子供や女性が発するあの甲高い興奮の悲鳴は、未だ慣れないけれど。

ちょん、と座席に座って、スマホをいじくるフリをして乗車時間を幽体離脱して過ごそうか、と思った矢先、隣に座った女性が船を漕ぎ始めた。こくり、こくり、と頭を手すりにぶつけるのではなかろうかという具合に。なんだかこれだって幽体離脱みたいだな、と思っていたら逆どなりの男性も私の撫で肩にもたれかかってきた。完全に脱力して、私の頼りなくてつまらない身体だけを頼りに座っている。そのうち女性もこちらに向かってこくこくし始めた。この場合、私は頑として「スマホいじり」を辞めない方が人間らしいだろうか。それとも両隣に誘発されて私だって寝てしまった方がハートフルアニマル動画みたいなことになって良いのだろうか。 両隣にプレスされて身動き取れず、かと言ってここで幽体離脱してお隣さんと幽霊の時空で鉢合わせするのも非常に気まずい思いをするだろうとおもって、ジ…としていたら、ファストフードの強烈な香りが駆け込み乗車してきた。とてつもなく大きなdBを有したまま会話をするあそこの女子高生軍団が手に持っている茶色の紙袋が怪しい。酸化した油の香り。熱が急速に冷める香り。それなら幽体離脱時の香りも、あのしなしなポテトと同じ、ジャンキーな香りがするのかもしれない。こんな現実逃避も空しく、肩が重たくなってきた。このまま私も空しくなってやろうか…

「ご乗車ありがとうございました。まもなく終点、」

甲乙つけ難い思いでいたら、上記のアナウンスがあって、まもなくして終点についた。寝ていたはずの両隣の方々の方がサッサと下車していった。

●●●(BGM)

ハイ。いかがでしたか。定食なのでボリュームがありますね。そしてまんまと放送時間をオーバーしました。おばけなので許してください。あるいは全部夢です。忘れなさい。

おやすみなさい。良い夢を。お会計、六文です。

コウメ・ダユウ

これはQuizKnockの東言さんのブログからインスパイアされたブログです。

元記事はこちらですが、ファンクラブに入ってないと読めないので興味のある方はぜひQuizKnockのファンクラブに。

皆さんはコウメ太夫という人物をご存知でしょうか。着物姿に白塗りの顔で「チクショー!」と叫ぶ、芸歴30年のベテラン芸人です。ギリ私の年齢が知っているくらいなので、もしかしたら少し下の世代の方は知らないかもしれない。

さて、そんなコウメ氏は、SNSでも積極的に活動しています。コウメ氏のXアカウントでは毎日のようにチクショーが放たれ、それには「#まいにちチクショー」というハッシュタグがつけられています。見たことのない人は、一度見てほしいですね。

また哲学者コウ・メダユーという人物をご存知でしょうか。Xでコウメ氏のまいチクを中心に考察する、フォロワー数10万人越えの人気哲学者です。Xのポストを遡るのは大変なので、知らない人は彼のnoteなどを読んでみるとよいかもしれません。活動の概要を知ることができます。

今回はこの哲学者コウ・メダユーさんのこの記事に対しての持論です。

リンクの記事を読まないと私のブログの意味も分からないというちょっとめんどくさい仕様。お時間ある方はぜひ。

ちなみに以下の内容は東言さんのブログのコメントにも同様の内容を書いたので、途中で東言さんの話題も出てきます。それも理解したい方はぜひQuizKnockの動画も見ましょう。

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このブログの筆者は「コウメ太夫はなぜつまらないのか?」という疑問に対して、「脈絡のなさ」という指摘をいていますが、同時に言葉の難しさや特殊性もあるのではないかと思いました。

まずお笑いを笑えるかどうかは「知っているかどうか」で大きく変わってくると思います。あるあるネタがどの時代もウケるのはみんなが身近で知っていることをネタにしているからだとか。

ここでコウメ太夫さんのネタを見てみると、下の句において難しさや特殊性があるように見えます。 「トマホーク」 「ワガママなワカメスープ」 「ストップすっとんきょ!」 トマホークとはこのネタの文脈で考えると、北アメリカのインディアンか使う斧またはアメリカが開発したミサイルでしょうか。 このネタを見た際に私はまず「トマホークってなんだ」となりました。鬼越トマホークは知っているが、トマホーク単体の意味は知らない。下の句、言わばネタのオチとなる部分を知らないとなると笑うポイントが無くなってしまうのです。

例えば 「東言かと思ったら〜。 四角い眼鏡をかけた東問でした〜。 チクショー!!」 以上は適当に作った文章ですが、

・東問と東言が双子であり、尚且つ似ていること

・普段は東問は丸めの眼鏡をかけていて、東言は四角い眼鏡をかけていること

上記の2点を知っていないと文脈はあっても笑えるというか、理解出来る文章にならないと思います。

このブログの筆者は上の句と下の句に文脈的繋がりがないことを指摘し、「文脈の欠落が生じていることによって、鑑賞している人にとって疑問符が浮かび、そのモヤモヤ感やスッキリしない感じがつまらなさに繋がっている」と言及しています。 もちろん文脈の有無はとても重要だとは思いますが、文脈があったとしてもキーワードを知らなければネタは破綻する。 つまり、鑑賞者の思考の停止が「文脈の有無」だけでなく、「言葉の難解さ」でも起こるという指摘もあってもいいのではないかと思いました。 筆者は後半のシュルレアリスムに繋げるきっかけとして、「文脈のなさ」を挙げているのでしょうが、「文脈のなさ」=「コウメ太夫のつまらなさ」まではならない気がします。 このブログはコウメ太夫氏のつまらなさはコウメ太夫氏が内に秘める、芸術家の小梅太夫氏が持つシュルレアリスムの理解出来なさに着目しているのだと思いますが、タイトルの「コウメ太夫はなぜつまらないのか」にこの結果を持ってくるのは偏っていると感じました。

サブタイトルに試論とちゃんと書いてあるので、私の意見の方が難癖つけてるだけですが、このブログの筆者はコウメ太夫さんのネタをお笑いとして語りたいと言うよりかは、シュルレアリスムの話をするためにコウメ太夫さんのネタを持ってきたんだな!という感想を抱きました。

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反省点:めちゃくちゃうがった見方をしただけの意見になったこと。

今日も今日とて推し活です

こんにちは、みくです🔥

先日、名古屋に行ってきました。名古屋には私の父が単身赴任中で、1度しか行ったことがありませんがなんとなく身内感があります。

まあ今回は別に父に会いに行くことがメインイベントではなかったのですが。
ではその目的……それは、もちろんお笑いライブです。推し活です。

普段は大阪で活動されているデルマパンゲのツアーに参戦してきました。デルマパンゲについては、以前のブログでも触れました。方言に萌えている回ですが、よかったらお読みください。

https://mcm-www.jwu.ac.jp/~nichibun/blog/index.php/2025/05/27/
(2025年5月27日投稿:「一生春がいい」)

まず、私は人生初めての昼行バス、夜行バスに乗りました。大阪にも推し活遠征をしたりするのですが、今までは両親に反対され新幹線を使っていました。さすがに成人したからね、行けるでしょ、ということで、初めてバスに乗りました。20歳で夜行バスが初めてなんて、どんな箱入りだよ!と思われてしまいそうですが、これは私のせいです。

話は少し逸れますが、両親がやたらと心配してくる要因は完全に私の悪いクセにあります。実は、初めて歩く場所で地図を見ずに勘で歩いてしまうというとんでもない行動をしてしまうクセがあります。

なんとなくこっちに目的地がありそうだな〜ならまだしも、あの人私と目的地同じっぽいな〜と思って他人に着いていくときもあります。

思い返すとその行動がおかしいことに気が付くのですが、その場にいる私はどうしてか毎回自信たっぷりに闊歩しています。迷っているという自覚は5分〜10分くらい歩いてから芽生え、やっと地図を見ます。
これを繰り返してしまうのは、その方法でちゃんと目的地に辿りつく場合、つまり成功する場合が7割くらいあるからなのです。
そして、両親には残りの3割しか報告しないためにとんでもない心配をかけている、というわけです。

何度か、駅などでにっちもさっちもいかなくなって電話をかけた情けない経験があるので、十中八九それが原因で両親が過保護っぽくなっています。

今回は、昼行バスで17時ごろに現地に到着し、ライブを楽しみ、日付が変わるころの夜行バスまでの時間を父とご飯を食べて過ごすというスケジュールにしました。
行きのバスが少し遅れてハラハラする時間もありましたが、なんだかんだいい感じな遠征になりました。

名古屋に着いてはじめに「きしめん」を食べました。当日は雨で外がとても冷えていたので、あったかくて優しいおだしのきしめんが沁みました。私はうどんでもラーメンでも、太麺が好きなので、きしめんは好みどストライクでした。バスの遅れで少し走ったことと合わせて身体がぽかぽかになり、なんならちょっと汗をかいていました。

大須演芸場でのライブはとっっても、楽しかったです!日帰りで荷物が少なく、カメラも持っていけたので初めてデルマパンゲのお写真が撮れて良かったです!

デルマパンゲさん・ゲストのななまがりさん

夕飯は父とホルモン焼き屋でお酒を飲みました。
「とんちゃん」というのが名古屋の名物らしく、みそダレに漬け込んだホルモンとビールが最高でした。
サガリもめちゃくちゃ美味しくて、おなかいっぱいお肉を食べてふたりでほどほどに飲みました。私とビール飲みながら焼肉ができるなんて、と嬉しそうでした。

24時過ぎのバスだったので、父の家に寄らせてもらい、シャワーを浴びてアイスを食べて帰りました。日帰りのバス旅でシャワーを浴びられることなんてないので、メイクも落とせてスッキリした状態でバスに乗れてラッキーでした。
おかげでよく寝られて、父が単身赴任していて良かった〜なんて思いました。あと、意外と父親とサシでご飯を食べてシャワー借りての関係性は”良い方”らしいですね。仲良くて良かった?です。

初めての夜行バスは身体がしんどかったですが、まあ乗れてしまえばこっちのもんだな、という感想です。金欠学生にはぴったり♡また行きたいです、推しが私を外に連れて行ってくれる♡

ではまた!

古典の新たな視点

皆さんこんにちは。みちこです。

更新日を1日遅れてしまっているのですが、書いていた記事を次回の更新に回そうと新たなページを開いております。

今回は古典文学について語るのですが、少し趣向を変えて、実際私が取っている授業の紹介から古典の新たな視点に触れてみようという、そういった試みとなっております。

今回は、

①『竹取物語』や『源氏物語』の英訳に触れる!?「古典文学を英訳する」とはどういうことなのか

②「文学」じゃなくて「本」を研究するって何?「古典文学の本」を研究する学問

この二つについて扱ってみようと思います。

授業紹介ということで、受験生の皆さまには少し難易度が高くなっているかもしれませんが、入学後にどのような授業を受けたいかな…と想像しながら読んでみてください。

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①古典文学を英訳すること

突然ですが皆さんは、『源氏物語』に英訳書が複数あることをご存知でしょうか。

『源氏物語』の英訳書がある、ということはご存知だったとしても、意外と「複数ある」ということは知らなかったりするのではないでしょうか。

かく言う私も、その一人でした。

 

そもそも、「古典文学を英訳する」ことにはどんな意味があるのでしょうか。

1つには、海外の人に『源氏物語』ひいては日本の古典文学を知ってもらう機会が増えるということです。最初は英訳から入って読んでもらい、面白いと感じてもらえたなら原典にあたってもらえばいいのですから。

そして2つ目。これはなかなか想像がしにくいと思いますが、「日本語と英語とでどのようなニュアンスの違いが生じるのか」を日本人の視点から確認することで、改めて日本の古典文学がどのような意味を持つものなのかを考える、ということです。

 

最初に英語の授業を受けた時のことを思い出してみてください。

ーーー日本語と英語って、全然違う!と思いませんでしたか?

実はその通りで、英語と日本語は言葉の並び方が全く違うものです。

 例えば、「私は本を読む」という文章があったとして、これを英訳すると、「I read a book」となりますよね?

言葉の並び方としては、

日本語→主語/修飾語/述語  となりますが、英語では

英語→主語/述語/修飾語   となりますよね。

 実はこの言葉の並び方の違いも、各国の文化の違いを体現しているものと言っても過言ではありません。

古典って、すごく一文が長いことを皆さんはご存知だと思います。これって、日本語の文構造をしていないと、おそらく成立しにくいものだと思います。

だって英語で説明してしまったら、「誰が何をしたか」が文の構造上、すぐ分かってしまうので。

 

ここで説明したことはほんの一例かつ現代語で起きる現象ではありますが、古典だとしても起きる現象は同じです。いや、むしろ現代語以上にあると言っても良いと思います。

授業内では「出家して山に籠る」ことを英語で何と訳せばよいのか、など古典を英語に翻訳する上で問題になることが実際の事例とともに紹介されていきます。

他の文化や言葉と比較することで初めて日本の文化の特徴などが分かる、と言いますが、この授業はそういったことの実例検証に踏み込んでいると言えると思います。

 

今まで古典文学の勉強というと、「本文を読んだ後にそれにどういう解釈ができるか」ということに焦点が置かれがちなので、この授業はあえて異文化のものを交えることで見える日本文化の特異性という観点から見ると、かなり面白い授業であるのかな、と思っております。

 

古典って、こういう視点からも見れるんですよ!

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②「本」を研究するとは?

意外と忘れがちなこちらの視点。

皆さん、文学はどこに書かれているものでしょうか?

出版社が発行している新書?それとも教科書?

ーーーいいえ、答えはそれらも全てひっくるめた「本」です。

皆さんは、博物館やTVなどで古文書の類は見たことがあるでしょうか。あのような古めかしくて文化財にもなるような「本」が実は研究の出発点なのです。

実はどんな物語や日記、小説や和歌でもほとんどは「複数のバージョンの本」が残っているのです。

今はデジタル時代ですから、書いたり消したり、復元したりといった作業はかなりスムーズにできますよね?しかし当時はそうではなかった。江戸時代に印刷技術が発達する前までの本は、すべて手書きなのです!

手書きで別の紙に写すということをしていると、大抵はどこか写し間違えてしまったり、別の作品の言葉などが混じってしまったり、本来の原型とは少し違う形になって成立する本が多いのです。

そのようなものがいくつもあるのですが、これらも全て「本」なのです。

 

「書誌学」というのは、このような「本」を扱う学問のことで、この本は大元の本に近いだとか、逆に新しい系統の本を探し当ててしまったりなど、普段活字(かつデジタル上の文字)を読んでいるような私たちはあまり意識しないような視点からのアプローチをしている授業であると思います。

 

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以上、古典文学って実は「作品自体を読むだけではなく、新たな視点があるんですよ~」ということを出来るだけ分かりやすくお伝えしてきたつもりです。(伝わりづらかったらすみません…)

 

英訳の問題にしても、本の問題にしても、日本文学って全然古臭い学問じゃないじゃん!というイメージを持ってもらえたら私としては嬉しいです。

 

それでは、今回はここまでとしたいと思います。

次回は卒業論文について、「なぜ私が今の分野(中世)を選んだのか」ということについて語ることができたら良いなと思っております。

目下2年生がゼミを選ぶ時期だということで、後輩たちの決断の一助になってくれればと思い、書くことにいたしましたので、お楽しみに!(ダイレクトにヒットする層が狭すぎるトピックではあるのですが…そこはご容赦ください…)

 

今回も、最後までお読みいただきありがとうございました!

ヘアアレンジ

皆さまこんにちは!こゆき✨です
いかがお過ごしでしょうか
気が付けば11月に入り、東京で木枯らし1号も吹き、冬の訪れを感じますね~

冬が近づいているということは、
私にとって成人式が近づいているということであり、2ヵ月後に控えた成人式に向けて準備を進めております。今年の春ごろから髪を伸ばしていて、とりあえずボブまで行ったので次の目標はセミロングといったところです。式の当日に着付けやヘアメイクをお願いする美容師さんから事前打ち合わせの連絡が届いたのでそろそろ髪型の決定案を出さなければいけないのです。現在の髪型はボブで比較的短いので美容師さんのお任せにしてみようかな~🤔カタログを見てみるとハーフアップにしてみるのもアリだな!どうしようかなぁ~?という感じです。中学生のころからずっとショートヘアだったのでこんな風に髪型で悩むのは何だか新鮮で楽しいです。でも色々と大変です…笑

とりあえず元気に成人式を迎えられるように体調には気を付けたいと思います

皆さまも体調にはお気を付けください!

良い週末を~!

It’s defrosting TIME

卒業論文、執筆中。「これを全て英語にすればたいそうな英語力が身に着くのではないだろうか」などと一種の現実逃避をしつつ、今月中にだいたい終わればいいなあと願っています。

木枯らし一号が私の卒業論文以外のバタバタを回収してくれたようで、今は落ち着いて椅子に座ってパソコンを打つことが出来ています。先週なんかは特に感情面で急降下急上昇急展開超音階が凄く、インフルエンザで意識もうろうとしていた(10月2週目のこと)のが随分と昔のようです。

私は変に時間が空くとだらけるので、期限がすぐ近くの方が気が進んで良いのですが、卒業論文はパソコンとの共同作業。私はこの子が疲れてしまわないかだけが心配です。資料はなるべくアナログで保存、要らない過去のデータは消去など、負担をかけないやり方で、なるべくスピーディーに、納得のいく形で終わらせたいです。次回の更新日には「終章だけです」と言えるようにします。

***

超音階ってなんだよというところですが、マライアのコンサートに行ってきたということです。

Kアリーナは音が良いので、アリーナでは無かったですが、本当に満足のいく1時間ちょっとでした。古いCDでしか聴いたことがなかったマライアの歌を生で聴けて、想像をはるかに超える美しい歌声に、気づけば序盤から涙を流しておりました。

T先生とF先生には話した記憶があるぐらいで、英語が自他ともに認める酷さなのもあってあまり公にすることがありませんが、私は邦楽よりも洋楽をよく聴きます。マライアで察したかなと思いますが、親の影響が強いです。洋楽好きを自称する人の中では少なくはない部類なのかなと考えております。

小中学生のころが黄金期で、以後は邦楽を遊びで演奏する感じのバンド活動をしていたので、あの時ほど熱心ではなくなったのですが、未だに通学中は洋楽をメインに聴いております。

なんといっても私の小中学生時代―だいたい2014年前後は、テイラースウィフト!メーガン・トレイナー!アリアナグランデ!カーリーレイジェプセン!リトルミックス!などと色々供給が絶えなかったころでして、ニコロデオン、ディズニーチャンネルも併せて相当楽しんでおりました。

ただ、それらを聴いて英語を学ぼう!私も歌おう!という気にはなれず。量は聴いているのに、なんで?とよく聞かれますが、理由は簡単、曲の楽しみ方。音を楽しんでいるだけで、歌詞そのものに注目はしない聴き方をしているためです。非難されても仕方がないといえば仕方がない。カラオケでも選曲に困るというのが今でも続いております。

しかし、それに気づいても訂正しなかったのも私。無理やり聴き方を変えたら嫌いになってしまうかもしれない。私と洋楽の付き合い方はこうでいいと現在でも考えている。こんぐらいの感情の方が、物事を愛する期間が長続きするのだろうと、幼いながら悟ったのでした。今まで健康的に様々な物事をストレスフリーに好きでい続けているのは、結論として良かったということじゃないかと思っております。

それはそれとして。

こうして本物を聴くと、海外のツアーに行きたい!(あなたが来ないなら私が行く)しかし、英語が喋れない。あちらで絶対に困る。

やっぱり卒論の英語訳を試してみようか、誤字脱字に気づくきっかけになるかもしれないし、別で取っている授業の内容について実践的に考えるチャンスかもしれない。

楽屋紹介

こんばんは、あやめでございます。

今回は楽屋事情を夜らしく、コッソリお話しする回にしたいと思います。言い換えれば、「やりたいことは思い浮かんだけれども、締切に間に合わなかったんです」という言い訳の会であります。お付き合いください。

前回、小さい私と大きい私(佐伯と佐伯‘)によるラジオごっこをやってみて、たのしいなと思った私は、引き続きラジオごっこを考案しました。もう、10月31日のおばけの大祭は終わったのに、妙にポップでユニークな、哲学もどきを片手に珈琲嗜むマヌケおばけを語り手としたおばけラジオ、その名も「裏飯屋らじお」をはじめてみたく思ったり、小さい私と大きい私(今度は「佐伯」じゃない名前にしようと思います)による、前回みたいなほんわか会話劇ではなく、ペルソナをかけたバチバチのアイデンティティ争奪戦みたいなのを書いてみたいなと思ったりしました。これなら会話文生成が苦手な私でも書けるんじゃないかな!という期待を胸に。特に「裏飯屋らじお」はかなりあったまっていて、もうどんな工夫を凝らしたら、何度も読みたくなるんだろうかな、みたいな構成の案もバッチリあるのです。思わず「そういうことだったならもう一回頭から読み直さないとなぁ…」となる工夫。あんまりミステリーみたいなことはできないですけれど、なんちゃってでそれっぽくできないかな、などと案をもみもみねりねりしております。

おばけのイメージもあります。死因は溺死の、夏にうまれた(死んだ?)おばけです。ジャズで小躍りして、珈琲が好きで、きれい好きで、生前の体と記憶を文字通り?引きずって生きて…いない、死んでいる、おばけです。私の得意な「メタフィクション」の部分を活かして、曖昧な部分をザクザクかきたい。でも、そんな大層なことはできずに、ぐぬぬとなっています。ホテルのシーツみたいにまっさらな布片をすっぽりかぶった、足が生えたへんてこおばけ。こんなイメージをもって、長すぎる私の通学時間(往復3時間)でちみちみ草稿を書いていたら、まとまりのない掌編がわんさかうまれてしまい、編集作業が必要となりました。もうちょっと時間をかけて書いてみます。

今回は、導入編ということで、ボツにしようとしている(もしかしたら良いのが思いつかなくて、次回全くおなじ部分が登場するかもしれませんが…)頭の部分を掲載してみようと思います。

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こんばんは、ごきげんよう、神出鬼没。おばけは夜に出るものという先入観を破壊するわたくし、おばけであります。通勤ラッシュの地下鉄のなかからお届けいたします、午後六時、外気温14度、冷たい雨の大都会、東京の昼明けの時間です。人間の方向けに註釈。昼明けとは、「夜明け」のおばけバージョンです。長くてまぶしい昼が、漸く、終息しようとしております、その淡いの時間を喜ぶ気持ちと、人間プレス機に押しつぶされて、はやく実体を手放したい気持ちに、板挟みされる、アンビバレントでセンチメンタルな夜ですね。コーヒー片手に片手間でお聞きの親愛なる皆様に、恨み言を申し上げましょう、うらめしや。今晩の夢に化けて出てやりましょうね。Boo~

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「空」という字を見て、「青々と頭上に広がったそら」より先に「からっぽ」というイメージが先に立ちます。きっとそれは、私が下ばっかりみてとぼとぼ歩くからでしょう。空を見慣れていないかわいそうなおばけの私でございます。ごきげんよう。

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まよなかに目が覚めて、トイレに行きたくて部屋をこっそり抜け出した時、しょぼしょぼしてまだよくわからない脳みそでも感知できる寒さと、我が家なのに知らない匂いがふとかおってきて、はやく布団に戻りたくなりました。こんなに静かで、家族が寝ているはずのドアの向こうに、果たして本当に家族はいるのかしら。そこまで明瞭じゃないにしても、そんなようなことをぼんやり思って、それよりもっとはっきり寒いと思って、急いで布団に潜りました。努めて、もこもこの毛布の部分が肌に触れるようにして被って、地震が来た時にするみたいに丸くなって、もこもこして早く眠りにつくよう目をギュッと瞑り直しました。こんな晩は、決まってピッタリ1時間、眠れません。

シンとして、重たく冷たくなった空気が、耳の部分を冷やしていきます。鼻頭が冷たくなって、瞼が今にもまなこを冷気に晒しそうになります。なんとなく頭がいたくなってきて、指先が凍るほど冷たくて、はやくあったかくなるよう、もこもこの部分を体に巻き付けてみました。なかなかあたたまりません。かといって、わざわざ階下におりて布団乾燥機をとってくるのも、湯を沸かして湯たんぽをつくるのも、なんとなく億劫で、なにより寒いから動きたくなくなりました。この頃になると冷気で頭も冴えてきて、寝起きのしょぼしょぼも、もやもやも、なくなっていました。秒針の音が嫌だから、部屋にはデジタル時計しか置いていないのに、カチカチ、急かされる嫌な音がするようでした。

こうなったらもう、眠れないと観念して、枕元に置いておいた水のペットボトルを掴んで飲み下し、もこもこする上着を攫うように掴んで着込み、布団の端に追いやられたクッションを抱き寄せ、座ってみることにしました。カチカチ、はやっぱり空耳であったようで、今はもう、重たいくらいの沈黙が耳を塞いでいました。鼻から吸って、口から吐く深呼吸をすれば、頭の空洞の行き止まりのところまで、夜の深くて冷たい空気が満ちてきて、目尻から空気が抜けていくような気がして、何度か試してみました。実際にはもちろん、横隔膜のおかげで肺が膨らんで、縮むだけでしたが。

何もせず、何も考えず、ぼんやりできるのは、こんな夜だけです。オレンジ色の常夜灯がなんとなくノイズに感じて、ビビりのくせに電気を完全に消してみました。こんなタイミングで緊急地震速報が鳴ったりしたら、飛び上がる自信がある。チラッとそんなことを考えたら本当に鳴り出す気がしてスマホを伏せてみました。イヤになって、また布団に潜りました。

脈絡のない単語の羅列を聞くと、人は眠気を引き起こすことができるそうです。試しにやってみましょうか。水道水、餅巾着、アリゲーターガー、虎ノ門、最大瞬間風速、夜行列車、ハビタブルゾーン、手すり、コピー用紙、コッペパン、虫取り網、ポリエチレンテレフタラート、花道、ポケベル、一面広告、ソリティア、コンクリートミキサー車、野球帽、サインポール、イヤホンジャック、ミシシッピアカミミガメ、消しカス、たこ焼き。眠れません。むしろこれらになんとか脈絡をつけようと頑張ってしまうマヌケな脳みそがあります。眠るためにやっているのに。

もっと突飛な事を考えることにします。オレンジジュースの皮を破らないようにして飲む方法を考えるとか。夜の帳が何色をした何の生地でできたものなのかを考えるとか。何センチ進めば「進捗」といえるのかとか。「敦盛」が教えてくれる通り「人間五十年」なのかとか。生産終了する蛍光灯の代わりに設置する光源をなににするかとか。おっと、まともなことを考えそうになってしまった。満員電車で林立する足々が示すのは何の指標かとか。スマホを持つのは右手と左手、どちらがいいのかとか。むむ、少し照準がぼんやりしてきた。いいぞ。電車の扉の2つの窓が対なのは何故かとか。私はなぜ羊を数えないのかとか。億千万は末尾にゼロが何桁続くものなのかとか。明日の朝食はなににするかとか。よしよし、突飛さがおちてきた気がする。靴下だけでいるときも果たしてその履き物は「靴下」なのかとか。コルクはなぜコルクであって「クリケ」ではないのかとか。何故朝にならないのかとか。

そこで目が覚めた。何という悪夢だろうか。

◆◆◆

おまけ。蛇足。生まれた草稿にあわせて浮かんできたおばけのイメージ図を描出してみました。みなさんとイメージを共有する目的でかきましたが、絵はへたっぴなのでこう、勘弁してくださいね。

夜更かしする人間に比べて、圧倒的に早寝をするおばけになってみたいです。おやすみなさい。

「ガクチカ」

大学3年生。秋。(もはや冬かもしれないが)
就職活動真っ只中である。

このブログを読んでくれているそこのあなたは、今何歳なんだろうか。
後輩か、未来の後輩ならぜひ聞いてみたい。
「学生時代に力を入れたこと」通称“ガクチカ”をご存知だろうか。

その名の通り、「あなたが学生時代に力を入れたことはなんですか?」という質問のことを指す。
この質問は、大抵の企業で聞かれるもので就活を頑張る大学生たちは大抵この質問に狂わされている。

あなたは何を書くだろうか。
バイトのこと?サークルのこと?留学のことだったりもするかもしれない。
「あたし、大学は勉強ばかりで何もしてない……。」そんなあなたは安心して欲しい。
ガクチカで聞かれることは、その名の通り学生時代に力を入れていること。
堂々と、その頑張っている大学のことを書けばいいのである。

長々と前置きをしてしまったので、このブログは「なんだ、就活ブログね」と思わせてしまったかもしれない。
いや、違う。本題はここから。


「どうしよう!!
 とうとう国語国文学会を引退しちゃうよ〜〜!
 寂しいよ〜〜〜!!!!;;;;」

これが、本題だ。
国語国文学会の学生委員。1年生以上の学生諸君なら、ぼーんやり聞いたことがあるだろう。
そう、年度はじめのガイダンスで募集をかけているアレである。
未来の後輩たちはきっと何が何だか…といった具合だろう。
具体的には少し違うが、高校生でもイメージがつきやすいように言い換えるなら、「日本文学科の生徒会」みたいな雰囲気だと思う。

自主ゼミの会計をまとめたり、学会大会(学科の集会みたいなイメージ)を取り仕切ったり、半年に一回ほど日本文学や日本文化にまつわるイベントを主催したり。
そういえば、新入生歓迎会も我々の進行である。覚えているだろうか。
私はそんな国語国文学会の学生委員に、1年生の頃から所属している。
私たちの代は、ほとんどが1年生から入会している子達なのでずっと一緒に頑張ってきた仲間……ということになる。
大学という場所は、システム上どうしても横のつながりを作ることが難しい。
そんな中で、毎週一度顔を合わせ、一緒に仕事をしてきた。

毎週集まって、「お疲れ!」「今日のメイク可愛くない?」「そのアクセかわいい!え、作ったの!?自分で!?」なんてくだらない会話を挟んで、真剣な会議の後にはまたくだらない話に花を咲かせる。

私は学会のみんなのことが、本当に大好きである。
ここまで言ってしまうと、「あ、しらってコイツなんだ」と思われてしまうかもしれないが(もう思われているかもしれないけれど)私は企画係としてこの三年間過ごしてきた。

歌舞伎を見に行ったり、落語を見に行ったり。
藍染めを経験したり、和菓子作りを体験したりもした。

いろいろな経験をさせてもらって、日本文学も日本文化ももっと好きになれた3年だった。
そんな学会委員の活動も、そろそろ一区切りになる。
今月末の秋季大会。1年生は必修で受ける、アレである。

そこそこ忙しくさせてもらってきた3年だった。
寂しいけれど、やり遂げられそうなことについてはどこか誇らしく思う。

大学に入学したてで、「名前があまりにもかっこいいから」という理由で
国語国文学会の学生委員に立候補した私、ありがとう。

学生時代、学会委員の活動に力を入れてきて、よかった。

縛り

こんにちは。

11月が始まりました。オレンジ色のカボチャにまみれていた町中もいよいよ赤緑色に染まってきました。ワタシは町中のコスプレやロリータ、和服姿の人々を真顔で何でもないふうを装って通りすがっては内心で小さな拍手をしているような傍観者でありますから、イベントに関しても興味のないフリをして内心町中のフワフワと漂うイベントムードにウカウカとしているのです。

考えることを放棄したがるワタシの脳みそくんは考えることを止めることができず、最近はとある条件を満たす言葉を探すことに余念がありません。

  条件:「し」から始まり「し」で終わること

要するに縛り強めのしりとりです。ワタシの高校時代、同じ部に所属していた同期3人で帰るある日の道中、誰かがしりとりを始めたのです。

  新聞紙、週刊誌、シラカシ、白岡市、志木市...

申し合わせたわけでもないのに、いつのまにか厳しい条件に縛られる我々。それでも誰も抜け出そうとしないのです。こういうの、意地を張りたくなりませんか?

  静岡市、紳士、色紙...

とまあ、一連の流れをつい先日ふとした拍子に思い出して、それ以来隙さえあれば「し」から始まり「し」で終わる言葉を探しているのです。実にいい暇つぶしです。

  終助詞、白拍子、赦免使、しどけなし

これは日文シリーズ。思ったよりも見つかるものですね。

ちなみに「し」から始まる市と橋はすべて条件に当てはまることになります。地名に詳しい方はこの勝負、強いですよ。固有名でいくなら

  鹿角剛士

これはコナンに登場した警部さん。ちなみに奈良県警です。

  白石

どこの誰でしょう。あとはもうひたすら

  小休止、小冊子、小都市

小さいシリーズ。

  消防士、司法書士、歯科衛生士

職業シリーズ。しりとりというだけあって、さすがにキリがないですね。それでは

  終止