みどりいろのしずく

きょうは。すこしあついかなぁ。

空はお洒落なのでとつぜん雰囲気をがらりとかえたりして、私たちを驚かせては嬉しそうにきらりとわらって、あっと思ったところでいたずらに涙模様をみせて

からりと笑います。

銀色に透けた雨が燦燦と降りそそぐ。そのあかるさを頼りにわたしは歌をくちずさんだりして、大きな窓にちかよると映るわたしの体は灰色の影になっていてそこに窓にはりついた雨粒のきらきらが重なって、わたしの透けた体はラメが塗られたみたいに可愛かった。

雲はうごいていた。一瞬たりとも停まってはくれない空はいつもその一瞬を見られることが奇跡で、なみだで、わらいだった。

眩しい日射し!ばちっと閉じた瞼の裏は緑と赤にチカチカ、気が付いたら左の頬がじわんと熱くなっていた。

眼の点滅が止んでも窓の向こうはみどりだった。金色に光る外の世界は湿気で滲んでピンボケしてるみたい、色んなみどりが淡く混ざっていた。すべり落ちていく露ひとつぶひとつぶはうるっとしていて、雨上がり昼下がり、5月の新緑は青かった。

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まいです。ごきげんよう❀

爽やかな風がひとみの中いっぱいに流れ込んでくる皐月になりましたね。

先日、中学校時代の国語の先生に母校まで会いに行き、また別の日は担任の先生とお茶をしにいきました。

なにか特別な報告があったわけではありません。しかしふと逢いたいという心のつぶやきにしたがうと、なんて満たされた気持ちになるのでしょう。

何を話そうと決めていなかったのに、気が付けばすらすらと言葉がでてきて懐かしい話をし、今の話をし、沈黙に目を伏せ思い出に浸り、整った、とふいに感じました。そうか、私はこの話をしたかったんだ、私はこれをやってみたいと思っていたのか、と知っていたようで知らなかった自分の存在に気が付きました。

とうに卒業したけれど、お化粧もするようになったけど、やっぱり先生の前では幼い生徒。頑張ったことを褒めてほしい、悩んでることに助言が欲しい、そんなはずかしい話は忘れてください……おねだりばかりです。

そこで私は「日本舞踊を習ってみたい」と口に出し、そうだやりたいんだと思い出したような感覚になり、すぐに地元で活動している団体の体験に行きました。

本当に初心者でしたが、服の上から着物を着せていただき、足袋を履き大きな扇子を手に、見よう見まねで踊っていました。

そういえば私は、音楽・美術・演劇・文学……これらに軽く触れたり学んだことがあるのでここに舞踊が入れば、総合芸術の5大要素に取り組んだことがあることになります。

あっという間に日本舞踊の美しい表現の世界に夢中になりました。

「女性の動きは必ずあや。」「右の涙を左の袖で拭って。」「はずかしいから顔を隠す。」「今度は男だから肘を外に張り出して。」

先生の踊りは本当に素敵。小娘を演じていればいじらしく、寂しげな女性はつやっぽく、山や波はそこに、たくましい男を演じて入れば傘の隣にいる女の照れた顔が見えるよう。

芸術はいいですね、心豊かに想像力はたくましく、興奮と静寂の温度差にむねが高鳴る。

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今日は爽やかな五月晴れ。空はいつでも綺麗、綺麗。

このしゅんかんを切り取って あなたにあげたいくらいです。

春のしらべ

春。なんていい響き。こもれびのような。甘い、ため息のような。ああ、

ハル。

色とりどりの春。色彩も音色もすべてがあたたかい春。

赤いチューリップにそっと口づけをする、白いちょうちょう。わかくさいろの小鳥。
ぺんぺん草のひとりごと。光の波にのって舞い降りてくるさくらの花びらと、伸ばした手から滴り落ちていく陽のしずく。耳もとでコソコソばなしをしてくる風。
——しゃぼんだま。ちいさな泡のつぶといっしょにくるくるめぐる景色は、しらない場所のように夢色にゆらいで、私の目の前でぱちんと消えた。

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まいです。ごきげんよう❀
春はうすくてやわらかい。だからこそ触ってみたくなるものです。

一年次のあいだ対面が2科目しかなかった状況から一転、月から金の5日間登校するようになりました。授業がスタートしてからまだわずかな時間しか経っていませんが、これだけは言いきれます。“学校に通うことはオンラインより遥かに楽しい”
たしかにオンライン授業はそれ単体でみれば楽、だったのかもしれません。電車に乗る疲労もない・眠気とたたかう必要もない・一回で聞き取らなくてはという緊張感もない。
……でもこれってネガティブな言葉であらわすと“つまらない”ですよね。もちろんその状況に置かれるからにはその特性をポジティブにとらえて、元気で調子のよい時に受講できる・何度でも復習できる、スタイルとして積極的に取り組むことが必要です。しかし対面になったとき、以前が物足りなかったのだと気が付きます。 例えばこんなとき。

先生の話に頷いて、冗談で笑い声を漏らす。ともだちと「難しかった」だの「ノートが可愛い」だの会話ができる。同じ興味のある子と語らい、緑に囲まれたベンチで言うのは「きょうはつかれたけど楽しかったね」。 

……1限の朝は、すがすがしい空気が気持ちいい。疲れた帰りは、夜ご飯が倍おいしい。
学校に通うことができるのも当然のことではないのだと教えてくれた春でした。

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ところで、新たな環境におかれると私生活でも新しいことを始めたくなるものです。
私はこの春、中・高と取り組んできて大学では機会に恵まれなかった“合唱”を「合唱団入団」という形でもういちど始めました。
歌は声帯回りや体幹など筋肉を必要としますが、きちんと歌う機会が減れば衰えてしまいます。はじめは歌唱力の低下にかなり落ち込みましたが、歌のアドバイスをするときの練習になると思い、前向きに取り組みました。できるだけ毎日発声練習をしていると、一年以上あいていたブランクは2・3週間でほぼ埋まってしまいます。「知らない」のと「忘れている」のでは取り組んだ時の感触がまったく違うんです。そう思うと、たとえ浅くても様々なことに触れておくのが良いですよね。

歌は、とても清いものです。飴細工の花束のように、きらきらと華やかだと思えばそっと触れただけでくだけてしまう。
フォルテには物語があり、ピアノには深い祈りがある。シャープは光の輝きを、フラットは涙のきらめきを放つ。宇宙のような広がりがあり、星のような神秘がある。
真心をこめれば体から自然とあふれだす音楽。気持ちのままに正直になるだけで、奏でられる妖精の歌。いったいだれが私のからだを弾いているのかしら?贈り物のようで、時に強い感情の五線譜にのってわきあがってくるミュージック。
幾つもの音色はセロファンのように重なり合い新たな色に染まっていく。私をあらたな色に染めてゆく。
何かを強く愛している時のあの不思議な調べ。そこで歌っているのはだれ?
あの丘の上の、おんがくの音。

——さぁ、今宵はどんな音楽がきこえてくるでしょうか。
耳を澄ましてこころの旋律にうっとりしながら、瞼を閉じて、夢をみましょう。
夢みることがおんがくのはじまりですから。

それではみなさん、おやすみなさい。

引力

ハクモクレンは華やかに散りました。

桜の梢いっぱいにばらまかれた愛らしいつぼみたちは、ほの紅く染まった唇をほころばせてお喋りしています。

まいです。ごきげんよう❀

前回、趣味のひとつである絵画のお話をしましたが、それとは別で 私には絵画を続けてきた中でずっと描きたいと思っていたものがありました。それは女性の裸体です。

女性の身体は曲線美がほんとうに魅力的で、西洋絵画の名作にはヴィーナスやニンフなど裸に薄い布をまとったような美しい女性がよく登場します。どんなに美しいドレスで着飾っても、神様がつくりあげた人間そのものの姿以上に美しい芸術はこの世にありません。                          

美しすぎるものはそれだけ複雑であることもということも忘れてはなりません。いざ描こうと思ってもそう簡単にまねできないのが最高傑作のお約束です。

ウィリアム・アドルフ・ブグロー という19世紀のフランスの画家の絵を、ぜひご覧ください。天使の絵に見覚えがある方も少なくないと思いますが、彼の描いた女性ほど神秘的で清らかなものを私は知りません。

まずは彼の描く裸婦を模写するところからです。

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描かれた一人の女性もそうですが、魅力的なものは瞬間的にわたしたちの目をとらえます。

先日、近所の駅前のお店にて、一目惚れをしてしまいました。

『ちいさな手のひら事典 月』

という本です。

横書きで日記帳のようなフォルムのそれは、オリエンタルブルーの外見に金色に反射する小口というデザイン。そこに魔法使いが愛用している姿なんかを重ね写してしまったらときめかずにはいられません。

……ところでみなさんは、満月の夜、餅をつくうさぎの影を見たことはありますか。         

あれはクレーターと呼ばれる月の窪みにより造形される影絵のようなものですが、月面に沢山あるクレーターのなかで非常に大きなものを「月の海」と呼びます。月にある海の数は22に及び、豊の海・神酒の海・晴れの海・賢者の海・既知の海……など、ひとつひとつに特徴的な名称がつけられているそうです。                                                      そんな言葉を知るだけでも、新しい世界の扉を開いたような感動を覚えてしまいます。

このように、「事典」というだけあって各ページには天文学的知識から神話まで、ありとあらゆる月にまつわるお話が書かれており、加えて見開き右ページには必ずかわいらしいクロモカードが載っています。                                            1ページ1ページに恋する本、出会いの春にぴったりじゃありませんか。           

話題や広告を頼りにするのもよいですが、時には憶測に左右されずに直観を信じてみるのも好いですね。

月の引力でしょうか。あのとき運命を感じたこの本を今日もわたしは読んでいます。🌙

これがわたしの絵画です🖌

まいです。ごきげんよう❀

雪のちらつきから一転、梅のかぐわしい香りに酔わされる弥生になりました。暖かい陽射しが頬骨のあたりにじんわり染みてくるのが心地好い季節ですね。
こんな日はうちの庭にでて花壇の手入れをするのが好きです。まだ生き物たちは眠っているので、目覚めぬうちにそっと綺麗にしてやって、温かな土のうえに顔を出した時に驚かせるつもりでいるのです。

ですがそう毎日手入れをするほど大きなお庭ではありません。今日はおうちにいるときの趣味の一つ、絵画についてお話させていただきます。

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私は8歳の頃から10年と少し、カルチャー教室で絵画を習ってきました。19になる年にその教室が別の場所に移転することになってしまったので、不本意ながらそれをきっかけに辞めることにしましたが、人生の半分以上の時間つづけていたことがとても誇らしく思えました。

絵の具には大きく分けて二種類あり、水で溶かしながら用い透明感のある色が特徴の水彩絵の具・べたべたと油分が強く厚みと立体感のある油絵の具が有名です。そして私はその中間にあたるもの、アクリル絵の具をつかっています。水分をふくまなければ重たく密度濃く、水を与えれば自由にのびやかになるという、さまざまな表情をもつ優れものです。教室でこの絵の具を推奨されて以来、私はずっとこの絵の具とともに作品を生んできました。

ところで、時間がない時ほどやりたいと思っていることは暇になったとたん不思議と興味が薄れるものです。今は春休みですが、こういうゆとりのあるときに芸術に触れるというのは心の肥やしになります。そこで「だらだらするなら好きなことを全力でやらないと!」と半ば使命感をもってこの春は絵を描くことにしました。

そうと決まれば画材集め。
ホームセンターの画材コーナーへ行き、麻布のキャンバス・筆2本・なくなっていたので白い絵の具を手に持ち、そのほか歩きながら目に留まったブロンズカラーの絵の具とツヤ出しを買いました。まだだれの筆も触れていないキャンバスにこれから生まれるであろう世界を想像するのは、ほんとうに胸がときめきます。
それぞれのキャンバスに女性の横顔を書くことにして白人・黄色人・黒人それぞれの横顔のスケッチをしました。それぞれ異なる特徴がありだれも唯一無二の美をもっていました。

一つ目のキャンバスに一人目、黒人の女性の横顔を描き始めました。複雑な魅力のある肌をたくさんの色を混ぜ合わせて表現します。今の進捗はここまでです。
下書きがあるからと言ってそれ通り描くとは限りません。下書きがあるうえでそれを変化させ、心のままに筆を自由に躍らせていくことが絵画の醍醐味です。

さあ描きましょう。今の自分が出せる色は明日の自分には出せない。
「今」というのは特別で何にも代えられない価値があるのだ。

そんな素敵な時間を過ごしているのだと実感できる。これがわたしの絵画です。

あまつかぜ

むかし、こんなことがありました。帰り路の夕空があんまり綺麗なので写真を撮ったんです。そうしたら、本当に不思議ですね、レンズを通して真実を写しているものだとばかり思っていたのに、肉眼で見るのとまるで違うんです。そのときようやく気が付きました。瞳以上に世界を美しく魅せるレンズはないのだと。わたしたちは生まれながらにして世界が美しく見えるようにできているのだと。

美しさはつねに、深い哀しみにも似た強烈な衝撃をあたえる。

心が震える、ってほんとうに良くできた言葉です。震えているのがほかのどの臓器でもない「心」なんだと、はじめに悟った人は誰でしょう。知ることが出来たらぜひお話してみたい。

スタジオジブリの『ハウルの動く城』でも、心臓を取り戻したハウルが「体が石みたいだ」と言ったのに対し、ソフィはこう言っていました。
「そうなの!心って重いの!」
……涙が信じられないほど湧き上がってきたので驚きました。そうか、こころって重いんだ。重みを感じることってこころがあるからなんだと。心から感動できることってこんなにも素敵なことなんですね。

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あらためましてわたくし、まいと申します。本日からブログ部の一員として投稿させていただきます、宜しく。
初投稿日が2022.2.22。私がどんなに長生きしようと間違いなく我が人生で最も2の多い日。それだけで今日という日を好きになりました。今日もきっとすてきな一日。
外に足を運べば「猫の日」と謳われていることかと思いますが、猫とはにゃんにも関係のないお話を。きゃっと楽しんでいただけると思います。きゃっとじゃない、きっと。🐾

ついこのあいだまで冬季オリンピックが行われていました。皆さんは何かご覧になったでしょうか。スポーツ観戦が趣味、とまではいかない私ですが、どの競技も真剣にみていると面白い。人が本気で挑戦する姿というのは輝いていて、あふれ出るきらめきが見る者のこころに届くときそれを“希望の光”と呼ぶのだと気が付きました。
なかでも魅せられたのはフィギュアスケート。シングルもペアもアイスダンスも、氷上で舞う、あの凛とした静寂に浸らずにはいられません。そして選手たちが競技という縛りから解かれ自由に舞うエキシビションは、感慨もひとしおです。

私は、そこでみせた羽生結弦選手のスケートに胸をうたれました。清塚信也さんの「春よ、来い」のピアノ演奏に合わせて滑る彼は、桜のはなびらのようでした。何より私の心を動かしたのは、彼の体で表現される“音楽”です。春の日差しのように零れおちるピアノの音の粒がまるで彼の指や足先から生まれているかのように、彼は音楽と溶け合っていました。本来、音というのは目に見えないものだと思っていましたから、こんなに目に見える音があるのだと、ヒトの体で音楽をここまで表現できるのかと、ほんとうに本当に心が震えました。……今困っていることはこの感情にふさわしい言葉が未だ見つからないことです。
ただ一つ確実に言えることは、祈りのように神聖で、繊細で、大胆な、羽生結弦という芸術に世界中が魅了されていたということ。
……ああ、平安の世にちょうど好い歌がありました。きょうはこの音楽でしめましょうか。

  あまつかぜ雲の通い路吹きとぢよをとめの姿しばしとどめむ

——天に吹く風よ、雲の通り道を吹き閉ざしておくれ。天女のように美しい舞姫をもうしばらくここにとどめておきたいから。