生まれて初めて。

秋桜を透かすゆふかげ吾がもとに入るはいつかとこころもとなし——まい

コスモスの花びらを透かしている夕日が私のもとに届くのはいつであるか(自分の心も見透かされてしまうのではないか)と気がかりです。

まいです、ごきげんよう❀

先日、地元のコスモス畑に行ってきました。

最近は冷たい雨が降ることも多い中この日は気持ちの良い秋晴れで、うっすらと汗をかくようなお天気でした。

遠くから見ても紅、薄紅、黄色の揺らぎが可愛らしく、近づいてみると一本一本があまりに繊細なことに気づかされます。

守ってあげたくなるような可憐さが秋の桜と呼ばれる所以であり魅力なのでしょう。

*****

さて話はかわって、先日友人からこんなお誘いがありました。画面に一部が表示されたLINEの通知を見ると

“まいちゃんまいちゃん!○○ちゃんと話してて、今度早めの時間に来てキッチンカーで…”

ああ、最近大学ではじまったキッチンカーのランチメニューを頼もうということだな、と思いました。ところがいざLINEを開くと、あれ、思ったよりメッセージが長めです。

“…今度早めの時間に来てキッチンカーでお昼買ってねるねるねるね作ろうって話になったんだけど、時間空いてたらまいちゃんもどう??”

あまりの突然な変化球、完全に守備範囲外をつかれた私はどうやら時を止めることに成功していました。

ああこのあいだの話ね、となるわけでもない唐突な「ねるねるねるね」との再会。

(こんなタイミングで会うなんて。前もって分かっていたならおしゃれしてきたのに……)とはなりませんでした。時が動き始め再びスマホの画面を見た時には「もちろんさんせい。」と送っていました。

次の日。校内の購買にあるねるねるねるねを見つめると衝撃の事実に気が付きました。

「私、ねるねるねるねったこと、ない……」

とてもよく知ったなじみ深いものだと思い込んでいたのですが、ひとめ見たとき、見たことはあるけれどそう言えば話したことない…といったような感情が湧き上がってきました。

「まさか、人生ではじめてねるねるねるね食べる瞬間に立ち会えると思わなかったよ」

となりで真剣な眼差しを向ける友人。目の前には開封されたねるねるねるねキット。

さぁ、そのときが来ました。

小さな袋をやぶり、トレーに入れていく。ひとつ、またひとつと……。

人生初のねるねるねるねは、実験のようでわくわくする楽しいものでした。

どうやら流行っているようで(?) こどもはもちろん大人にも人気だそうです。

ねるねるねるね、大ブーム到来……!?

そんな人生初めてを体験した貴重な一日となりました。

最後に。前回もお菓子のこと書いてなかったっけ?という疑問にはお答えせず、一言失礼しますね。

トリックオアトリート!

秋ないクッキー

  月みればちぢに物こそかなしけれ我が身ひとつの秋にあらねど——大江千里

夏の暑さもいよいよ冷めていき、どこか遠くに想いを馳せる秋がやってきました。
みなさんにとって秋になった、と感じる瞬間ってどんなときでしょう。

私は空を見たときです。それも意図してみたものではなくて、思わず見てしまった時その色合いにはっとさせられ秋を感じます。

晴れているときは橙色と紫色と夜色が混ざって青の濃いところに金色の月がまぶしく光ります。すっかり暗くなると、自分の影が月の光で浮かび上がってその明瞭さにおもわず夜を疑うことさえあります。
空全体にうっすらと雲がかかっているときは夕日の輝きにのって空全体が茜色になります。果てしない奥行きをもった空がこの時だけは巨大なキャンバスのようにとても平面的に感じられ、幻想的でこれもまた好きです。
そんな空色の時はたいてい無意識に顔が上を向きます。
夏までの爽快な群青とは異なり、黄昏時のあいまいさに触れたとき、私は秋を知るのです。

*****

まいです、ごきげんよう❀
明日からは一段階冷えるようですが、朝歩いている地元と昼に過ごす大学とで一日の気温差が大きい場合は服装一つとっても決めるのが大変です。
暑すぎず寒すぎず夏過ぎず秋すぎない服っていったいどうしたらいいんでしょうか。

さて、そんなこんなで後期が始まり新しい授業に友だちと過ごす時間に楽しむ日々を送っています。
対面授業の学生が圧倒的に多いため、お昼ごろは食堂付近が大変混雑するのですが、私は友だちと良い昼食スペースを獲得しそこで食べることがルーティンになりそうです。
先日そこで一緒にお昼を食べている友だち5人にメープルクッキーの話をしました。
二枚のクッキーにメープルクリームがサンドされた夢と罪悪感のつまったカナダのお菓子です。
これがあまりにも美味しくて初めて食べた時は感動したという話をしたところみんなが興味を持ってくれたので、買ってきて今度みんなで食べることにしました。

ちょうど本日買ってきて明日みんなで楽しく食べるのですが、ひとつ問題がありました。
考えてみればこんなに好きなお菓子と一つ屋根の下という状況で、手を出さずに明日を迎えられるかということです(笑)。
箱を開けさえすればすぐ食べられるクッキー。ずっと食べたかったクッキー。
友だちと分け合いたいクッキー。みんなと食べるから美味しいのかもしれないクッキー……。

目の前を見るとクッキー健在。どうやら彼等は無事に明日を迎えられそうです。
さてさて今日はおいしい夢でも見そうな予感がします。クッキーはしまって私は私で早めにベッドにおさまらなくてはなりません。起きればクッキー開封日ですよ。

さ、お布団に入って。

それでは、

いただきます

あめのそらくもりぞら

土埃の匂いのする雨が降っている

私は窓を左にキーボードをたたいている。

どこかの網戸はかしゃんと鳴き
タイヤに轢かれた水溜まりの音

私は窓を左にあくびをしている。

庭の木がしなり
抵抗する葉の一枚一枚が震えている

私は窓を左にしょぼけた目をこする。

ベランダに落ちてくる雫は隠れているはずの太陽に透けている
さかさまに映った柵は波紋でゆらめいている

私は目の前で強い光を放つ機械をよそに
窓にむかって頬杖をつく。

窓際で蛙が跳ねた

*****

まいです、ごきげんよう❀

雨の日に通学するのには抵抗がありますが、
気が付くと目が離せなくなっているのが秋雨。
晴れの日よりもぼんやりと眺めてしまいます。

空の話といったらスカイツリー(?)。
先日、大学のともだちと久しぶりに会い、東京スカイツリーに行ってきました。
雨予報で展望台のキャンセルも視野に入れていましたが、なんと当日の行きは晴れ。

絶好調で、予約の時間までを過ごしました。
「ジャパニーズ スーベニア」というコーナーはその名の通り、日本の和文化やおもてなしの心を感じるお土産屋さんが勢揃い。
食品サンプル店では本物の海苔そっくりの栞を買いました。ちなみに友だちの一人は焼きベーコンの栞を買っていたので、みなさん校内で本を読んでいる人に注目してみてくださいね。海苔なら私、ベーコンなら友だちです。
お箸屋さんや飴細工屋さんもありました。ぷっくりと丸い金魚はまさか飴をデザインしたものだとは信じられないほどの緻密さ。日本人のもつ繊細な技術の賜物です。

ここまでジャパニーズを楽しんでおきながら昼食ではインドカレーを味わい、いざ展望台へ。
「秋の間」使用になったエレベーターがチンと開くとそこには息を呑むほど真っ白な、

真っ白な……?

そうなんです。予約の時間にはすっかり曇り始めていたんです!
あれー!とみんな拍子抜けしていましたが、物凄い速さで流れていく水蒸気の塊を
まさか足元にみるなんて思ってもいなかったので
これはこれで、貴重でとても楽しい体験をしました。
景色はほどほどに、コラボしていた「すみっコぐらし」のかわいい展示を見ていたなんて、誰も言っていませんよね。

*****

さて、夏季休暇も残すところあと1日。天気はすぐれない予報ですが、ならばおうち時間を満喫しましょうか。
とにもかくにもこれから始まる後期の授業が楽しみで仕方ありません。
次ブログを書いている私は学校を楽しんでいることを切に願って。

それでは、また。

長月、秋。

空がだんだんと高くなって
毎晩同じような暗やみもどこか透明度を増してくる
月は白い光を反射させて
毎日同じような音楽がなぜか懐かしく感じられる
グラスよりもカップがいい
ビー玉が遊ぶサイダーのあわつぶよりも
ほろ苦い紅茶の湯気にしっとりとぬれたい
日傘よりもベレー帽をしたい
長月の郵便受けに行くときは紅葉色の夕日に照らされていたい
そしてツタみたいに長い影に引かれて、遠回りして帰りたい
笑い声よりも静寂?
息を吸ったら誰かにはなしかけたい
息をはいたら一人で目をつぶっていたい
一体わたしはどうしたら……

不思議なときめきと期待が漂う、ふかい秋が楽しみ

*****

まいです、ごきげんよう❀
回数を重ねるごとに秋を好きになっていく自分がいるのですが、みなさんはいかがでしょうか。
秋といったら、食欲の秋・芸術の秋・読書の秋…などのフレーズがうかびますが、食欲の秋はまだまだこれから。根菜が一気においしさを増すその時に希望を託して、本日は他の二つの○○の秋に関するお話を。

芸術の秋と言いますと、私は絵画と音楽が主に浮かばれますが、この夏休みの大きなエピソードとして音楽のお話をさせていただきましょう。
私は中学生の頃から合唱の趣味があり、今は知り合いの創設した合唱団で活動しています。そして先月末、これまで演奏会の出演のみだった我が団体初の大会に臨んできました。
披露したのは、童話的な詩と旋律が美しい「草原の別れ」、高速で悪魔の晩餐を歌う「Daemon Irrepit Callidus」神の救済と浄化を祈る「Christus factus est」の3曲。
決して多くはない人数でありながら反響板とホールいっぱいに共鳴した余韻の心地よさ、拍手で揺れる空気の圧は鼓膜に触れていつまでも残っています。
結果は次の大会には行けない銀賞でしたが、創設半年と週1という練習頻度からみればとても自信に繋がる結果でした。次は冬のアンサンブルコンテスト、Chor Wisteriaにご興味ありましたら是非。

続いては読書の秋について。
先日はじめて神保町を訪れ古本屋めぐりに行ってきました。
めぐるもなにも、書店の隣が書店、その奥が書店でブックカフェを挟んでまた書店……
方向音痴の私でも、書店にたどり着けないということがまずない陳列ぶりでした。
一店舗一店舗、時間の経った本の優しい匂いがして、背表紙・ページは薄黄色、画集や昔のポスターなんかもありました。
そして店主の視線がきまって鋭く(笑)、高くなっている敷居をまたいで入った書店には難しい学術書が……
たくさんのまさに本の山の中からお目当ての本や惹かれるタイトルを見つけることは初心者の私にとっては至難の業でしたが、そんなことより空間にいることそれがまず楽しい。
宝探しが好きだった子ども時代の自分が私の中に、きらきらと蘇りました。
最近プライベートでもかなりオンラインの交流・会議が当たり前になっていて毎日のようにパソコン上で誰かとやりとりをしていますが、電子機器のあかりをぱたと閉じて、広げた本に夢を見る時間は大切です。

*****

もうすぐ後期が始まりますが、今年の秋は「どんな秋」に仕上がるでしょうか。
みなさんも自分だけの秋、見つけてみてくださいね。

休養

耳を澄ますと秋の虫のころころとした音色が聞えてくる。
耳の奥で鳴る鈴が、宵の中、道しるべとなって語りかけてくる。
心の中がりんと静まり返る。
淀むことなくたしかに流れてゆく月色の川に冷やされた風が、私の髪の毛先を冷たくさせて昼間青かった植物はやわらかく揺れた。
部屋に飾った生け花はすこしづつ老いていく。あるいは少しずつ昇天していく。
削っていくほど完成形が象られていく彫刻を見ていると、削られたこころはどんな形をしているのか見てみたくなる。
手持ち花火は綺麗だと思ったそばからほろほろくずれていく。この先も火に触れることはできない。

耳を澄ますと秋の虫のころころとした音色が聞えてくる。
耳の奥で鳴る鈴が、宵の中、子守歌となって囁きかけてくる。
静かな泉が湧き起こるようになにかが心の中でこぼれた。
ぽろぽろぽろぽろ涙がとまらなかった。

*****
まいです、ごきげんよう❀
近ごろ、朝夜がすごしやすい気温になる日も増えてきました。
汗をぬぐった時、ふと姿を見せる秋の予感のそのなんともいえない寂しさが私は好きです。

先日、日帰り旅行にと日光を訪れたので今日はそのお話を。
日光に行く日の朝は3時半起きでした。
朝早くから支度をするから?そうではありません。珍しく目が覚めてしまいました。
早朝4時前に国際宇宙ステーションが東京の空を飛ぶと前日のテレビでいっていたことを思い出し、私はひとり静かに枕元の窓をあけて南東の空を眺めていました。
すると、本当に見えました。肉眼で、たったいま宇宙を漂っているステーションを見ることが出来ました。予測されていた58分ぴったりに一つの星がきらっと光って星であれば不自然な軌道を描いて2分後にきえていく。月のそばを通過して。

これは国際宇宙ステーションが東京の空の上を通るときに、その空が晴れ、かつ宇宙ステーションに太陽の光が当たっていなくては見られないという、貴重な瞬間のようでした。
たったいまベッドにいる私と宇宙にいるだれかが直前上にいたと思うと興奮して眠れませんでした。
良い一日だった、と言いかけた時はまだ朝の7時でした。これからがメイン、旅行の始まりです。

淡い曇天だった日光は心地よいくらいに涼しく、苔の緑が本当に美しく光っていました。
神社を見、自然と戯れ、おいしい空気を肺いっぱいにとりこんで、お土産はこれでもいいかなと思いました(笑)。
帰りがけ、揚げゆばまんじゅうを買おうと思っていたのですが気づけばお店が閉まっている時間。
すこしがっかりしていると、あと3個残ってるよーというおばさんの声。
あとこれだけだから2個の値段でおまけしておくね、と笑顔で渡してくれたおまんじゅうは、手の中でじんわり温もりました。

考え事や余計なものをどこかへ置いて、身軽に旅へ行くというのは心の洗浄になってとても良いなと思いました。人里離れた場所にいるのも落ち着くなあと思いつつ、さいごは人の温かさで満たされていました。

今日はこの辺で。それでは。

時計の針が縫うもの

銷夏 (しょうか)

高陽 黒土 鈴の音短し
濃影 青雲 夏日 長し
竹径に独り行けば風変じて冷ややかなり
ただ蝉声のみ響き遠方を望む

(陽は高く土は黒々とし、風が吹かないので風鈴の音も短い。
影は濃く 雲は青く光り、やはり夏の日は長い。
独り、竹林の小径に入っていくと、先程と変わり冷ややかな風が吹いてくる。
ただ蝉の声が響いているのを聴きながら、遠くで揺れる蜃気楼を眺めている。)

*****

まいです、ごきげんよう❀
冒頭の漢詩は中学校の修学旅行で京都の竹林の小径に行った時を思い出して、大学生の私が初めて作った七言絶句です。

中学校時代がつい最近だった頃があったはずなのに、「思い出」はどちらかというと「記憶」になって、輪郭が徐々にぼやけていくのを感じます。でも、たとえ記憶が揺らいでも、あの時の感覚は肌に心に残しておきたい。

そのような感覚を呼び覚ますあるいは更新するような機会があったので、今日はそのお話を。

成人年齢は引き下げられましたが私の自治体では二十歳の年で式典を行います。そして今年の式典は私の学年、実行委員をつとめることになりました。
ちょうど実行委員会の初日に参加して来て今にいたるのですが、同じく委員を務めることになった懐かしい仲間たちとの再会には歓喜してしまいました。

みんな、中学生の頃は想像してもいなかったであろうことに興味を抱いていたり、反対に 今の言動からかつての彼らを思い出させられたり、とても心地よい感覚でした。

グランドルールということで、今後話し合いを進めていくうえでの約束事を決めました。相手の意見を肯定する・アイディア出しを積極的にするなどなどいろんな意見をメモに書いては模造紙にぺたぺたと貼っていく作業は久しく、わくわくします。


それぞれがそれぞれらしく、中学卒業プラス5年どんな風に生きてきたのかも気になるし、想像でつなぎとめていた間柄の人々と今日この場で再開できたことはまさに縁だなぁともつくづく思います。
ここから定期的に会議があるので、どうやら未完成だった我々の思い出は繰り返される「今」として刻まれていきます。

時計の秒針が、確実に縫っていく。

流れてしまわないように一定のリズムで捉えていく。

躊躇いもなく焦りもなく、時は素直に進んでいく。

ときめきの音

風鈴が鳴った。

陽炎。灼熱のアスファルトの上、遠くの景色をふやけた筆でぼかすみたいに不安的にゆらいでいる。夏蜜柑みたいな匂いをさせた子どもたちは、透明なプールバッグを握りしめおでこを光らせながら駆け抜けて行った。
濃紺に染まる地に朝顔を咲かせた浴衣を着た女の子。鼻緒を挟む指に力を入れて歩いていったあの子のカランコロンがいつしか私の中にも響いている。
私も──織姫の羽衣みたいにからだを軽くして星屑の川に浸かりたい。そよぐ笹の葉の擦れ合う音に耳を澄ませながらそんなことを考えている。
私の影は私の真下で強い日射しを避けている。早朝摘んでおいたミントの葉が風に溶け込み冷たく香った。風鈴が鳴った。

*****

まいです、ごきげんよう❀

七夕の夜に東京が晴れたのは統計をとりはじめてから22年間1度しかなかったそうですが、今年は2度目、晴れました。

大学に飾られた笹の葉には 葉の枚数以上に短冊がわんさか掛けられていて、見るともはや大喜利大会。皆さんここぞとばかりにネタ勝負をしているようで、私も負けてらんないなあと(?)思ったりしました。

さて、昨日はなかなか予定が詰まっておりまして、少しばかり旧友に会い、合唱団に趣き早退し、帰り次第zoomに参加してまいりました。今日のお話しはその最後の予定、zoomのこと。

所属しているボランティアサークルが全国に支部をもっているのですが、そのうちの一つ東大支部の方が別の場所で取り組んでいる活動のイベントを紹介してくれたんですね。そのイベントというのが「昨日のzoom」です。ウクライナを始め複数の国籍の大学生とオンラインで交流しようというイベントで、今回メインであるウクライナの方々からは自国紹介プレゼンなどもあるという、内容を聞いただけでも大変興味深い企画でした。
しかし私はその参加をギリギリまで悩んでいました。なぜならそのポスターに「使用言語 英語。日常会話程度の英語力でOK」と書かれていたからです。
私は話すことが好き。でも英語でペラペラと話すことはできない。もっと話せるようにはなりたい。
このような感じでモヤモヤとしていたのです。
しかし両親に、そのような場に出ていかない限り出来るようにはならない、話せないところで誰にも迷惑はかからないのだから笑われることに慣れるくらいのつもりでいなさいと参加を推奨され、誰かに背中を押されるのを待っていたかのようにあっという間に参加を決意しました。英語を話すことよりも参加するの一言の方がよっぽど難しかったかもしれません。

いざ参加してみると……何を言っているか分からない時間が大半でした。プレゼンはスライドもあって大方予想はつきますが、咄嗟に質疑応答していたり笑わせてくれたりしているであろう言葉が、速い。

聞き取れずただニコニコと画面に笑顔を映しているだけのようにも思える時間を長くすごしましたが、それでも、ハラハラドキドキ、参加して楽しかったと思っています。
違う時間軸のもと異なる国で生活し、知らない言語を使い、見たこともない食べ物を食べ、聞いたこともない文化の中で生きている、見ず知らずの大学生たち。この企画に参加をしなければ一生会話することはなかったでしょう。そう思うと、自分はとんでもなく貴重な時間を過ごしたのだと思いました。

知らない人なのに、お互いが話したいと思っているなんて、なんて素敵なことでしょう。話せるかどうかは関係ありません、私もとっさにplease speak slowlyとか言いましたが笑、それで笑ってくれました。今思えばそれでいいんです。知らない人が私が英語を使って伝えようとするのを優しく聞いてくれて、行ったことのない国の知らない家で私の話に笑ってくれた……。

たしかにもっと話せれば全く違う時間になっていたけれど、「もっと話せるようになるまで」と思った先にそれを活かすチャンスがあるかは分かりません。
どうしても難しい場合はありますが、お金や能力など「時間をかけて都合が良くなるもの」と「チャンス」を皿に乗せた時、迷わずズシッとチャンスに傾くことの出来る天秤を自分の真ん中に持っておきたいと思っています。⚖

本当に良い経験をしました。1番重たいであろう1歩目を踏み出すことに何とか成功しました。自分の世界が何倍にも膨らむ可能性が、すぐそこで私を待っている。

もう止まりません。私は彼らを分かりたいと思ってしまったから。彼らに私を知ってほしいと思ってしまったから。彼らと楽しく話している理想の自分を想像してしまったから。
そして何より、

ときめきの音が鳴ったから。

アイスクリームは溶けました🍨

たけのこは特急列車みたいにあっというまに真っすぐ伸びて、つやつやと若く、高みを目指している。年少さんだったひまわりの苗は小学校高学年くらいか、大きくなって花開く前の緊張感を楽しんでいる。落ち葉色のショートブーツは休暇をとるので、近頃の足はキュートな爪で勝負している。簾のむこうで隠れていた首筋は涼し気に姿を現し、かつてハンドクリームを塗りこまれた手は、日焼け止めジェルをすくっている。跳ね返された太陽の欠けらは黒い地面をより熱くした。

日陰に濡れるようにしながら歩いた先で、ショウウィンドウに映る自分を見た。

「梅雨寒」という言葉を耳にして薄手の長袖にカーディガンを羽織った先週。

「梅雨明け」という言葉は耳にしていないが、ノースリーブにサンダルを履いた今週。

……あれ?

この「?」について考えているあいだに左手のアイスクリーム、

*****

まいです、ごきげんよう❀

目まぐるしく変わる天気は言葉通りめまぐるしい。

自分のことをどれだけ大事にしてあげられるか。

試される夏がどうやらやってくるようです。

前回ブログを投稿したのは9日ですが、そこから今日までのあいだなにがあったか考えていました。思い返すとこの二週間ちょい、おどろくほどいそがしかった。

忙しいという字は「心が亡くなる」と書きますが、どうにか亡くならないように、いやしかし臨死体験はしたかな……といった具合にいそがしいのでありました。

私は演習という授業を前期の間で4つ履修しており、これは平均して2週に1回は必ず発表があるというスケジュールになってしまうわけです。もちろん履修したのは紛れもなく私自身です。さらにボランティアサークルの活動も7月が山場ということで準備があり、塾講師のアルバイトは授業の質を落とさないためにほんの少ししか入れませんでしたが、夏が来れば合唱はステージや大会があります。

しかし、いそがしさと楽しさは紙一重、適当にやってしまっては楽だけれど楽しくない。というか楽しくないことは、正直数分だって「らく」ではない。

こだわればこだわるほどいそがしくはなるけれど、その時間に価値を見出せる。

このシステムは本当によくできていて、そこにまんまとハマってしまうので困ります。

発表というのは堂々と発表することで、自分が学んだことに自分も納得でき、クラスの方からの意見で深まり、他の発表に刺激をうけ、とても好きです。たとえば「大学でなにやってるの?」と聞かれたとき

「わたしは「藤原定家の仮名遣い」と「近代文学『推し燃ゆ』」と「中国文学『紅楼夢』」について自分の考えがあってね、「七言絶句の漢詩」だって作れちゃうんだよ!!」

と言ったら、なんだか凄い感じがします(笑)。

でもこういった研究や発表は、少しでも気づけた自分を褒めながら取り組むことがやりがいになっていたりするもの。研究分野でいったら初歩的な作業かもしれなくても、去年の自分にはできないことが出来るようになっていることが、前進している何よりの証拠なのだと思います。

夏休みまでもうひといき。夏休みでは楽しめない今の楽しみ・いそがしさを、存分に味わうこととします。

アイスクリームは溶けないうちに味わいましょう。

梅雨の贅沢☂

宝石みたいな雨雫が贅沢に降ってきて、1色1色微妙にまじりあい滲みながら染まっていった、花束みたいなあじさい。紫の陽に濡れてしっとりと涙を流す、花束みたいなあじさい。ぱらぱらあまつぶを弾いていく葉の上に、弾かれずぺっとりと張り付く薄茶のカタツムリ。
カタツムリたちの会話には、「殻を破って自分をさらけ出せ」なんて言葉はないんだろうなとかなんとか思いながら、私は水溜まりを見る。正確には水溜まりに浮かんでいる螺旋の連鎖を見ていた。どうしていくつもの円がどれも同じように生まれて、広がって消えて、また生まれて重なって離れていくんだろう。不思議だった。
水溜まりの波紋を初めて見たとき、指輪が浮かんできたのかと思った。その水にぽとんと腕を突っ込んで指輪を失くした人魚に渡してあげたいと思った。近づいてみたら、海への扉は閉ざされていて、もうアスファルトの黒い壁だった。空から降ってくる宝石だけがあの扉をすりぬけてあぶくと一緒に人魚のもとにやっていけるのだろう。いつか竜宮城にも行ってみたいと思った。

その時は綺麗なあぶくと、いっしょだといい。

*****

まいです、ごきげんよう❀

雨が途絶えないのに「水無月」といいますが、「無」は「の」の意で「水の月」、田んぼに水を張ることから「水張月」とも言うそうです。
雨が降っては外での活動はきびしくなりますが、逆手にとって室内での楽しみにお金をかけてみるというのも良いものです。

先日、六本木一丁目にあるサントリーホールでオーケストラのコンサートに行ってきました。今しがた「お金をかけてみ」てもと言いましたが今回は父が応募して当選したA席の招待券を譲り受けたので、タダで観にいったようなものでした(笑)。

演目は、
シンディー・マクタティー・タイムピース
バーンスタイン:セレナード(プラトン『饗宴』による)
コープランド:交響曲第3番
でした。もちろんプログラムの曲名を見たところで旋律が思い浮かんだりはしません。だからこそ先入観なしに音楽の世界に浸れたともいえます。
どぎつくキャッチ―な一発目の響き、音の震動が空気を伝って腹部の底に溜まっていく不安感・興奮、突如来る安心感のあっけなさ。不安が救済され光がさしてくる感動。

CDや媒体を通してでは味わえない、その場限りの音楽があります。それは曲が幕を閉じた静寂の束の間、会場が割れんばかりの拍手の熱量。笑い。ため息。
上質な時間を過ごしたときの「時は金なり」ならぬ「時は金より」の実感。一度きりで消費したと思えば一生ものの感動になっていたりするものです。

今日も雨ですね。
さて、きょう、どんな素敵な日にしちゃいましょうか。

薔薇

百聞は一見にしかず、という言葉がありますが、時には一香が、一見に優ることも。

陽射しの五角形が重なるようにして橙色は広がってくる。
ニスが塗られたみたいに艶々とした葉っぱの緑は、朱を混ぜながら徐々にくすんでいく。

そこは影と美が混ざり合い、確かめ合い手を取り合う、舞踏会だった。光沢のあるひだを重量感たっぷりに身にまとい、あるいは控えめなフリルをちらつかせたりしながら、みな気高く、気品溢れる態度で、“お相手”の声がかかるのを待っている。時には疲れて首をもたげているのもいる。でも多くは、必死に陽光を浴びて、照らされたドレスをよりいっそう輝かせて歌っている、私を見て。

肝心の“お相手”、そんなこと見向きもせず。目を瞑り安堵の呼吸をして、あぁ、そこにいる、と歩き出す。
揺れる衣が振り落としていく芳しい香りに、乱れる心の花弁が1枚1枚剥がれていくのをよそに無条件にそこへ誘われる。

伸びてきた手は誘っている。
1曲いかが?そう言っている気がした。
鼻の先がずっと近くに寄ってきて、深紅に染まったそれは、

ちょきんと切り落とされた。

*****

鮮烈な薔薇たちは最も盛んな時に切り取られ飾られる。ぬくぬくと蕾から顔を出して必死に咲いた誰がそんなことを知るのでしょう。

まいです、ごきげんよう❀

ついこの間のことです。私の父方の祖父が他界しました。一時は余命宣告をされたけれど宣告時期を過ぎてもなお長生きし、最後まで自力で生き一週間と病院にいることなく眠りにつきました。

危篤状態になる数日前、病院にいる祖父のために父がボイスレコーダーを買ってきました。このご時世、病院にお見舞いに行くことも許されないので、せめて声を届けようと家族で集まりみんなで「アンパンマンマーチ」を歌って励ましの録音を聴かせました。

葬儀の経験というのは、ものごころついてからは今回が初めてでした。冷たくてすべすべな祖父の周りに色とりどりの花をいっぱいにつめました。これからの旅のお弁当と、みんなで撮った写真、父の詠んだ歌、それらを並べ、涙と感謝がずっしり染み込んだ棺は運ばれて行きました。

祖父の魂は既に狭い箱から出て、もっと清々しい景色に溶け込んでいたことでしょう。祖父との思い出話から知らない若き日の話などを家族同士で話し盛り上がり、記憶の中の祖父も笑顔にしていました。

「虹」という合唱曲にこんなフレーズがあります。

”ぼくらの別れをだれかが出会いと呼んだ”

祖父はわたしたちに別れを告げたその先で、いったいどんな素敵なものと出会っているんだろう。こちらに帰ってきたりはしていないから、きっと楽しんでいることでしょう。

すべての人の行く先々で、すてきな出会いが待ち受けていますように。

以上、19歳最後のまいでした。みなさん良い夢を🌙**