夢コンプレックス。

こんにちは、あこです。

私事ですが、先月20歳になりました。もう、オトナです。

大きくなったら何になりたい?どんなオトナになりたい?

小学生の頃、特に高学年になると、よく学校で聞かれたり、書かされたりしました。幼稚園生や低学年の頃は「お母さん」や「幼稚園の先生」「お医者さん」などと簡単に答えられたのに、いつの頃からか、自分が何になりたいのか、どんなオトナになりたいのか、答えられなくなりました。何かに挫折したわけでもなく、厳しい現実を突きつけられたわけでもありませんでした。むしろ、小学生の私は根拠のない自信に満ちていたように思います。だけれど、今考えれば、そのプライドの高さが将来の夢を答える邪魔をしたのでしょう。

「あこは将来そういう大人になりたいのか」「あこは将来、そういう職業に就きたいのか」

将来の夢を知られることによって、「大したことない」と思われるのが怖かったのだと思います。夢が叶わないことが、怖かったのだと思います。うんと背伸びをして、取り繕っている自分を、知られるのが怖かったのだと思います。

子供の頃の夢は、所詮、夢です。小学生の頃に思い描いた夢を大人になってからも抱き続ける人はほんのひと握りですし、ましてやその夢を実現するなんて奇跡のような話です。

子供の頃の夢を叶えることは、もちろん素敵なことだと思います。だけれど、小学生が想像できる職業やオトナなんてごくわずかですし、成長の過程で路線を変える、新たな夢を見つける、ということも、同じくらい素敵なことだと思います。子供の頃に抱いた夢なんて、意味がないといえば意味はないのでしょう。どんな夢を抱いたとしても、私たちは毎日を生きていかないといけないし、なんらかになって生きていかなければならないのですから。夢を持ったって、持たなくたって、幸せに生きることは、できるのですから。

だけれど、実際オトナになってみて思うのは、過去の自分が思い描いていた自分ってどんな自分だったんだろう。ということです。今更それを知ったって、私の生き方は変わりません。でも、もしあの時、羞恥心を捨てて本気で夢を考えていたら。もしあの時、無駄なプライドに邪魔されていなかったら、私はなんて書いたのでしょう。どんなオトナになりたかったのでしょう。

子供の頃の将来の夢は、子供の頃にしか抱くことができない。

それに気づいたのは、オトナになってからです。どんなに小さな夢でも、どんなに大きな夢でも、その時に抱いた夢は無駄にはなりません。本気で考えて、本気で答えた夢は、その夢自体に意味はなくとも、大きな大きな意味があります。小学生の私が想像していた「将来」が「現在」になった今、私は、過去の自分が自身の将来についてどんなことを考えていたのか、知りたいのです。

相変わらず、私は将来の夢を答えられません。人に「大したことないな」って思われたり、ガッカリされたりすることを恐れている、臆病者のままです。そんな臆病な自分を知られたくない、というプライドの高さも健在です。

強く生きたいと思います。

優しく生きたいと思います。

凛と生きたいと思います。

今の私の、精一杯の夢です。今の私が考える将来の夢も、10年後、20年後に振り返れば「当時の将来の夢」になります。ちょっと過去を振り返りたくなった時、当時の自分が何を考えていたのか知りたくなった時、探し出せるように、このブログに書いておこうと思います。

20歳の私の、精一杯の夢です。自分に誇れる自分でいたい。小さいけれど、大きな夢です。

話は変わりますが、私が好きな言葉の一つに「今日が1番若い日」というのがあります。どこで聞いたのかは忘れてしまいましたが、心の片隅に、ずっと残っています。何かを始めるのも、何かをやり直すのも、遅いなんてことはない。だって、今日が1番若いのだから。そう思わせてくれる言葉です。

何となく、歳を重ねるにつれて若さは失われ、それに伴って夢とか、情熱とか、一種の無謀さとかも失うような気がしていました。そしてそれを失うのは良くないような気がして、つまらない人間になってしまうような気がして。それが怖くて、ずっと子供のままでいたいと思うこともありました。でも、よくよく考えてみると、それって一種の幻だと思うのです。

若くないから夢や情熱を失うのではなく、夢や情熱を失うから若さを失うのです。時の流れと、若さと、情熱と、夢。関係があるようで、関係はないのです。情熱を失う理由を若さのせいにし、若さを失う理由を年齢のせいにしているだけなのです。そのことに気付いてからは、何だか楽になりました。

今日が1番若い日。

若さは過去にあるのではなく、現在に、そして未来にあると教えてくれた言葉です。

今日が1番若い日。

前を向いて、未来に向かって進んでいこうと思わせてくれる言葉です。

今日が1番若い日。

夢は未来にもあると思わせてくれる言葉です。

今日が1番若い日。

さあ、今日は何をしようか。

それでは、また。

灯台下暗し。

こんにちは、あこです。

先日、文明堂の「3時のおやつあんぱん」を食べました。

「食べました」なんて冷静に書いていますが、実はめちゃめちゃ興奮しました。なぜならこの「3時のおやつあんぱん」は私が2ヶ月もの間求め続けてやっと手に入れたものだったからです。1月に放送されたカンブリア宮殿を観て「これを食べたい!」と思ってから約2ヶ月。都心に行くたびにデパ地下へ行き、文明堂エリアを通りました。日本橋に行く用事があった時には文明堂日本橋本店へ行き、(併設されているBUNMEIDO CAFEでは焼き立て三笠パンケーキをいただきました。これまた美味しくて困ります。)駅のホームで文明堂を見かけた時はわざわざ寄って「おやつあんぱんありますか?」とお店の方に尋ね……。

文明堂、文明堂、文明堂、文明堂、文明堂!!!!!こんなにも文明堂のことを考えたことがあったでしょうか。諦めなければ夢は叶う。これほどこの言葉を頼みにして生きたことがあったでしょうか。

しかし結果は全敗。「申し訳ございません」「売り切れです」「次の入荷日は〇〇です」の言葉を何度見聞きしたことでしょう。家に帰った時には「売り切れだったよ〜」「残念だったね〜」と、なんでもないことのように母に報告しましたが、心の中ではかなり悔しがっていました。

6時間前にはそこにあって、42時間後にはそこにあるはずのものがない。

理不尽とまでは言わないけれど、なんとも形容し難い悔しさを感じました。いつもあるわけではなく、いつもないわけでもない。毎日入荷しているわけではないけれど、年に1回しか入荷していないわけでもない。

届きそうで届かない。

あと数センチ手を伸ばせば届くのだけれど、その数センチが伸ばせない。

あと少し早ければ、あと少し遅ければ……。

なんだか格好つけたことを言っていますが、皆さん、お忘れなく。私が伸ばした手の先にあるのは、文明堂の「3時のおやつあんぱん」です。大事なことなのでもう一度言います。届きそうで届かないのは、文明堂の「3時のおやつあんぱん」ですよ。ちょっと格好よく(?)言っていますが、要は「食べられなくて悔しいを通り越して恨めしい」「どうしていつもタイミングが悪いんだ」ということです。文明堂に罪はないぞ、あこさんよ。

私は、自身をあまり執着しない無欲な人間だと思って生きてきましたが、もしかしたらそれは間違いかもしれません。20歳目前にして「あこ、強欲な人間説」が囁かれています。でも「私、強欲です」というのは憚れるし、何より認めたくないので「自称・無欲」という限りなく怪しい肩書きあたりで妥協したいと思います。

3時のおやつあんぱんを求め続けた2ヶ月間。最終的に私が手に入れたのは隣駅にあるデパートでした。

こんな田舎に3時のおやつあんぱんはないだろう。と思って気にしていなかったのですが、隣町にヘッドセットを買いに行くついでに、なんとなくデパ地下の文明堂エリアを覗いてみると「本日売り切れ」「今月の入荷日は○、○、○曜日です」の紙が貼られているではありませんか。

え、ここでも3時のおやつあんぱん売ってるの…?

お店の人曰く、3月からこの売り場でも入荷し始めたそうです。

「最初は皆さん小走りで買いにいらっしゃいましたが、今は落ち着いていますよ〜」「最初は店員は買ってはいけないと言われていたのですがやっとお許しがでて、私も先日食べました〜」「美味しかったですよ〜」

灯台下暗しとはこのことです。隣町なら、なんの用事がなくとも開店と同時に買いに行くことができるではありませんか!

早速、次の入荷日に合わせて、デパートの開店と同時に文明堂エリアに向かいました。そこには綺麗に並べられた3時のおやつあんぱんが……!!!

お1人さま2つまで、とのことだったので2つ買って帰りました。そしてお味はもちろん美味。食リポは大の苦手なので、無駄な抵抗は致しません。美味。大好き。幸せ。とだけ言っておきます。

幸せを噛み締めたあこでした。

それでは、また。

私と茶髪と自信と。

こんにちは、あこです。

本日、私はzoom上で開催された「ブログ部女子会」に参加しました。やはり、顔を見てリアルタイムで会話するというのは楽しいものですね。自分の言葉を自分の声に乗せて伝えることができるということ、誰かの言葉を、頷きながら、微笑みながら聞くことができるということ、そして、相手の反応を見ながら自由に話すことができるということ。2019年までの「当たり前」を、今は「幸せ」に感じます。もしかしたら、本来は「幸せ」だったものをいつの間にか「当たり前」だと思っていたのかもしれません。「当たり前」って、どこにあるのかしら。何が「当たり前」なのかしら。考えてみたけれど、すぐに答えが出る問題ではなさそうです。ゆっくり、じっくり考えたいと思います。

さて、今回私がお話ししたいのは「自信を持つ」ということについてです。実は最近、「自信を持つ」ことの難しさを実感する出来事がありました。それは、1年ぶりに会った他大の友人が茶髪になっていた、ということ。

たったそれだけです。だけれど、私にとってそれは大変衝撃的な事実で、同時に大きな不安が心の中を埋め尽くしました。もちろん、その友人(以下、Aさん)に髪を染めてほしくなかったとか、染めることが悪いというわけではありません。私の友人も、多くが髪を染めています。それなのに、なぜAさんが髪を染めた時だけ私の心はこんなにも動揺し、迷いや不安が生まれたのでしょう。2日間悶々と考えて辿り着いた答えは「Aさんは私の自信の根拠だったから」というものです。

私はこの1年間、かなり厳しめな(?)自粛生活を送っており、対面で友人と会ったのもここ最近のことです。SNSを見たり友人の話を聞いたりして「あぁ、みんな大学生だな」「私は1年間無駄にしたんじゃないかな」「もしかしたら私はこのまま家で自粛生活を送ったまま大学生活を終えるんじゃないか」という不安に襲われることも多々ありましたが、「今の私にはこの選択(自粛生活)が最善だし、必要なはずだ」と信じ、なんとか過ごしてきました。そして、1年間を振り返った時に「無駄にした」と思うことが決してないように、委員会や自主ゼミに参加したり新しい友人とLINEやzoomで交流したり、自分なりに意識して過ごしてきたつもりです。

それなのに、あとは「後悔はない」と思うだけだったのに、Aさんの茶髪を見てその自信は完全に吹っ飛びました。

「人は変わるものだよ。」「変わらないで!なんて、言ってはいけないよ。」「変わろうとしている人の足を引っ張ってはいけないよ。」

誰かに言われた言葉です。誰かに言った言葉です。自分はそのような身勝手な考えは持っていない。そう思っていました。だけれど、私は心のどこかで、Aさんは変わらないと信じていたのでしょう。変わらないのは、私だけではないと。そしてその身勝手な考えが、「自信」の根拠になっていた。だからこそ、その「根拠」が揺らいだ時、私の自信は完全に崩れ落ちてしまったのです。

私の「自信」は、1人では成立していませんでした。多くの友人たちが部活やサークルに入り、バイトを始め、新しい友人を作っている。そのことに対する焦りや不安、劣等感と向き合うことから逃げ、蓋をしていました。だけれど、そんな蓋をしていたはずの感情が、Aさんの茶髪によって溢れ出してしまった。そんな気がします。

今思えば、Aさんの茶髪はそこまで動揺するほどのことではありませんでした。私の考える「変わる」ということは見た目のことではないし、私自身「茶髪の波に乗り遅れた!」という焦りは全く感じていないのですから。

ただ、私の「自信」は「自信」ではなかったということ。私が信じていたのは自分ではなく、偶像化/理想化した他人だったということ。それを気づかせてくれたのはAさんの茶髪です。悔しいけれど、私は茶髪に苦しめられ、茶髪に気付かされ、茶髪に成長のきっかけをもらいました。

1年生が終わるまで、そして2年生になるまで、あと1週間を切りました。そのタイミングで自分の勘違いや驕り、そして弱さに気付くことができたのは本当によかったです。

「自信を持つ」って、難しい。

2年生の目標は、「自信を持つ/自分を信じることができる人間になる」ということにしようと思います。

今日はなんだかまとまらない文章になってしまいましたね。申し訳ない限りです。だけれど、1年生として最後のブログがこんなにまとまらないのも私らしいな、とも思っています。(ポジティブ過ぎますね、ごめんなさい)

次に書くのは2年生の私です。2年生の私、がんばれ。お願いだから、もう少し整った文章を綴ってくれ!

心からの願いを込めて。

それでは、また。

歳を重ねて。

こんにちは、あこです。
昨日14日はホワイトデー。バレンタインデーにチョコレートをもらった男性がお返しをする日として知られていますが、皆さんはホワイトデーの発祥が日本だということをご存知ですか?
というのも、昭和50年代では女性が男性にチョコレートを渡す「バレンタインデー」は定着していたのに対し、「男性がお返しをする日」は特に決まっていませんでした。そこに、「贈り物にはお返しを」という日本人の文化・習慣に目をつけた全国のお菓子メーカーがマシュマロやクッキーをお返しするというキャンペーンを行い、その流れに着目した「全国飴菓子工業協同組合」が1978年に「ホワイトデー」を生み出したそうです。(参考:大丸松坂屋百貨店HP)
ホワイトデーが、「贈り物にはお返しをする」「もらったままにしない」「気持ちに応える」という日本人の心が基になって生まれたイベントだったなんて、なんだか嬉しいですね。そしてそんな日本で生まれたホワイトデーは少しずつ形を変えながら中国や韓国、台湾などの東アジア諸国へ広がっているそうです。ホワイトデーにそんな背景があろうとは…!驚きです。
思いのほか前置きが長くなってしまいました。そろそろ本題に入ります!
今回私がお話ししたいのは、「歳を重ねる」ことについて。個人的な話ですが、私の誕生日は4月中旬です。つまり、あと1ヶ月で20歳になります。只今19歳11ヶ月。この前生まれたばかりの(ように感じる)再従姉妹も6歳になります。彼女が生まれた時、「私が20歳の時、○○ちゃんはまだ6歳なんだって!怖いねー!」という会話を親戚とした覚えがあるのですが、ついにその年がやってきました。自分の歳を言われるより、自分より年下の、それも生まれた時を知っている親戚の年齢を言われた方が時の流れを実感するものですね。
あぁ、また話が脱線しそうです。反省。「20歳」を迎えることに対する気持ちはまたの機会にお話しするとして、今回話したいのは「歳をとる」より「歳を重ね」たい!ということです。
この世に生まれてから約20年。0歳から20歳へという20年間は、「コドモ」から「オトナ」へと、目に見えて変化する期間です。布団の上でコロコロしてギャーギャー泣くことしかできなかった赤ん坊が、立って歩くことができるようになり、ひらがなや漢字を書けるようになり、義務教育を受け、高校へ進学し、大学生になりました。とても大きな変化です。ですが、この大きな変化は、自分の意識や努力に関係なく生まれたものであるような気がします。
もちろん、20歳を迎えられるということは「当たり前」ではありません。生まれることができたこと、歳をとるにつれて身体も脳も成長することができたこと、言葉を話せること、歩くことができること、目が見えること、耳が聞こえること、文字を書くことができること、高校へ進学することができたこと、大学で好きなことを学べていること……そして、20歳になることができること。どれをとっても当たり前のことではありません。奇跡のような話です。
だけれど、大多数の人々は「成長をして大人になる」ことができます。「大多数の人ができる/叶う=当然」という公式は成り立たないし絶対に成立させてはいけないけれど、ここでは話をわかりやすくするために、「成長して大人になることは当たり前である」という前提で話を進めます。不愉快な思いをした人がいたら本当にごめんなさい。
私が何を言いたいかというと、「0歳から20歳」の20年間というのは成長が目にみえて分かり、その「成長」を自他ともに実感しやすい期間だということです。赤ん坊がハイハイできるようになれば周囲の人々は「ハイハイできるようになった!」と思うし、立って歩いたら「歩くことができた!」と思うし、身体測定をすれば「身長が伸びた!」と思うでしょう。さらには「幼稚園生」「小学生」「中学生」「高校生」「大学生」「20歳(=成人/大人)」というように、肩書きが目まぐるしく変わります。
つまり、私たちが意図しなくても、(冷たい言い方をすると)大した努力をしなくても、周囲は「成長した」と思ってくれるのです。だって私たちは生きているだけで背が伸びるし、義務教育制度があるおかげで一定の年月が経てば「小学生」や「中学生」という肩書きを得ることができるのだから。
極端な話かもしれません。だけど、20歳までの20年間は、「自分が変わろう」「変わりたい」という確固たる信念や思いを持っていなくても「成長した」という評価を手に入れることができたというのも事実ではないでしょうか。
だけれど、20歳を超えたら、大人になったら、「成長」や「変化」は自分の意志・信念を持って動かないと手に入れられません。背が伸びるわけでも、肩書きが勝手に与えられるわけでもない。20歳を超えたら成長するかしないか、成長したと思われるか否かは完全に自分次第です。確実なのは、1年ごとに自分の年齢が更新されていくということだけ。
正直、怖いです。だけれど、1年ごとに年齢が更新されるのは世界共通です。年齢を更新しない人なんていません。だったら、長く生きた分、たくさんのことを学んで、経験して、成長していきたいと思います。
「歳をとる」のは当たり前で、何もしなくても、放っておいても、誰でもできます。だけれども、その間に何かに挑戦したり、経験したり、考えたり、築き上げたりしたら、それは「歳をとった」のではなくて「歳を重ねた」と言うべきではないでしょうか。そして私は「20歳」という、自動的に成長する期間を卒業する日が迫ってきています。「年齢を更新する」ことを恐れずに、自信を持って「歳を重ねて」いける人になりたいです。
長くなってしまいましたが、なぜ私が今回このような話をしたかったのか、もう少しだけ話させてください。「歳をとる」ことや「歳を重ねる」ことについて考えたきっかけは、既述のように「あと1ヶ月で20歳になるから」ということもありますが、約20日前の曾祖母の死が大きいように思います。
先月、2月23日。私の曾祖母は亡くなりました。その時に考えたのは、曾祖母はいつ歳をとったのだろうかということです。
私の知っている曾祖母は、髪に強めのパーマを当てて緑色に染め(しかもしっかりグリーン)、派手な色の服(=赤/青/緑)を好んで着用し、お肉(特に牛肉)をよく食べます。伊勢丹へ行くのが大好きで(昨年の夏にも1人で行ってしまいました)、写真を撮るときは誰よりも早く紅を引くという、パワフルで元気な人でした。
私が生まれた時には既に70代後半でしたが、90代に突入しても非常に元気で、「ひいばあはもう歳だからもうすぐ死んじゃうんだ。死んだら太陽のそばから見守っているからね」と言われ続けて早20年。(今思えば、「死んだら星になって見守っている」という話は聞いたことがありますが、「太陽のそば」で見守っている話は聞いたことありません。皆が寝静まった「夜」に、「静かに」見守っているのではなく、皆が起きて活動している「昼間」に、燦々と輝く「太陽」のそばで見守っているというのは、いかにも彼女らしいなぁ思います。)もはや私の方が先にお迎え来ちゃうんじゃないかと本気で思うほど、ピンピンしていました。0歳の赤ん坊だった私が来月20歳になるのですから彼女も歳をとっていたはずなのですが、母から最近のひいばあの様子を聞き、「覚悟が必要だ」と言われるまで「ひいばあが歳をとった」と感じたことはありませんでした。
彼女はいつ歳をとったのでしょう。辿り着いた答えは、「彼女は歳をとっていなかった」ということです。もちろん不老不死の人魚だったわけではありません。シワもあったし、耳も遠かったし、次第に介護も必要になっていきました。このような、いわゆる体の「老化」は彼女にも訪れていました。だけれども、それはイコール「歳をとった」ということには結びつかないような気がします。看護師として働き、退職した後はギターや英会話を習い始め、車の免許をとったりスキーをしたりしていたそうです。元気・パワフル・アクティブ。彼女のためにあったような言葉です。私以外の親戚も、この表現に納得してくれるのではないでしょうか。
彼女は98年間、歳を重ね続けていました。年齢を更新することに対して悲観的になるのではなく、その時/その歳だからこそできることや好きなこと、やってみたいことを見つけ、彼女の人生を能動的に生きてきました。きっと、それが彼女が「歳をとらなかった」ワケだと思うのです。
よく、私たち孫世代の話をしていて祖母が「私たちも歳をとったわけだ」と言いますが、私から見れば祖母も「歳をとらない」人間です。祖父も祖母も強く、しなやかに、美しく、「歳を重ねて」生きています。
幸せなことに、私の周囲には祖父母以外にも「歳を重ねて」生きているオトナがたくさんいます。彼らに負けないように、そして私より年下の親戚たちが私を見てオトナも悪くないな、と思ってくれるように、精一杯「歳を重ねて」生きていきたいです。
それでは、また。
 

心。

こんにちは、あこです。
今日は2月28日。明日からは3月ですね!花粉症の私にとって、春は闘いの季節でもあるのですが、花が咲き、生き物たちが活動を始める季節が来るのは、やはり嬉しいものです。
さて、今回私がお話ししたいのは「手話」について。実は夏頃から少しずつ学んでいたのですが、春季休暇になってからは本格的に勉強を始めることができました。
私が手話に興味を持ったきっかけは、6月に再放送していたドラマ『愛していると言ってくれ』です。俳優の豊川悦司さんと常磐貴子さんが主演を務めており、聴覚障害を持つ画家の青年・榊晃次と女優の卵である水野紘子の恋を描いたラブストーリーとなっています。母に「これ、名作だよ!」と言われて渋々録画したのですが、見始めるとすぐに引き込まれました。
特に私が好きだったのは、相手に会いたいと思った紘子と晃次が互いの家に行ってしまったために会えず、諦めて自分の部屋に戻った紘子が玄関の前で座り込んだ晃次を見つける場面です。(説明が下手でごめんなさい…!)頬に傷がついた晃次に、紘子が「この傷、どうしたの?」と尋ねると、晃次は「君を待っている間に、ヒグマにやられた」と答えます。この場面は本当に素敵で、晃次の言葉がしばらく頭から離れませんでした。(ですが、このセリフの魅力は文章ではなかなか伝わらないと思います。是非是非ドラマを観て、キュンキュンして下さい!笑)
他にも、公衆電話の受話器越しにオルゴールを流したり、FAXで自分の気持ちを相手に伝えたり、美しくて、切なくて、素敵な場面がたくさんあります。春季休暇もあと1ヶ月。この機会に観ていただけたらと思います。
手話の話をするはずが、『愛していると言ってくれ』の話になってしまいました。話を戻します!
なぜこのドラマが手話に興味を持つきっかけになったかというと、豊川さん演じる晃次の手話を見て「手話=言語である」ということを強く感じたからです。
それまでの私は、手話といえば政治家の記者会見やニュース番組での手話通訳で、手話に対して淡々とした、冷静なイメージを抱いていました。しかし『愛していると言ってくれ』の晃次は決して冷静な手話だけではありませんでした。怒り、喜び、悲しみ、愛おしさ。全ての感情が表現されていました。
衝撃でした。晃次の手話が何を言っているかはわかりません。ですが、彼の手話からは彼の心が痛いほど伝わってきました。
手話は言語だ。
当たり前のことです。誰もが同じ速度・同じ声量で話さないように、私たちが感情や想いを声に託すように、手話も人によって、状況によって異なります。時に激しく、時に穏やかに。心を表しているということに声も手話も変わりはないということを、強く感じました。
最後に、最近印象に残った手話表現を紹介して終わりたいと思います。
それは「佐藤」です。日本で1番多い苗字ですよね。「佐藤」は、手話では「砂糖(=甘い)」と表現します。「砂糖」は「甘い」という表現と同じなのですが、「佐藤」は「砂糖」と同じ音だという理由で、「甘い」と表現するのだそうです。面白いですよね。
興味がある方は、手話の読み聞かせや、手話のポエム、手話のコントなどもあるので、ぜひ調べてみてください。『愛していると言ってくれ』もぜひ観てくださいね!
それでは、また。

はじめまして。

ブログをご覧のみなさま、はじめまして。あこと申します。
ブログを書くのは初めてなので少々緊張しておりますが、自分らしい文章を綴っていけたらと思います。これからよろしくお願いします。
さて、本日は初めての投稿ということで「自己紹介」をしたいと思います。
とは言ったものの、私にはこれといった趣味がありません。4月に大学が遠隔授業となってから、空いた時間の過ごし方に悩み続けてきました。私は予定をいっぱいに詰められるのも嫌なのですが、「自由にしていいよ」と言われるのも同じくらい苦手です。1日くらいだったらなんとかできます。ですが、それが3日、1週間、1ヶ月、さらには1年…と続くと、もうどうすればいいのかわかりません。高校生の時も、課題や試験に追われている最中は「課題が終わったらこの本を読もう」「試験が終わったら◯◯を始めよう」と自分を鼓舞するのですが、いざやらなくてはいけないことが終わると何もする気が起きず、ダメ人間になるのが常でした。
ですが高校は部活もありますし、長期休暇といってもせいぜい1ヶ月程度です。ダメ人間も、学校が始まればいなくなります。「普段頑張ってるから休みくらいダラダラしてもいいよねっ」と自分を甘やかし続け、ダメ人間の要素を持つ自分から目を背けながら18年間生きてきました。
しかし、大学が遠隔授業になって、そんな自分を恨みました。大学の課題以外にやること、やりたいことがなかったのです。家にある名探偵コナンの単行本を1日18冊読み、物語の復習をしてみました。Amazonプライムにある「おかしな刑事シリーズ」や「狩谷父娘シリーズ」を全部観てみました。刑事ドラマは好きなので、楽しめました。でもなんか違う気がする。これでいいのかしら。もちろん、テレビや漫画に時間を費やすことがいけない訳ではありません。ただ、私には向いていなかったようです。視神経をやられ、頭が痛くなり、余計何もしたくなくなる…という悪循環に陥りました。
それから、テレビや漫画以外の時間の過ごし方を探そうと、かぎ針編みを始めてみたり、フランス映画を観てみたり、戦国武将について調べてみたり、料理をしてみたりと、色々試しました。残念ながら半分以上のものが続いていませんが、何かをやめたら何かを始めるというルールの下、「大学の課題・テレビ・漫画以外のことに時間を費やす」ということは辛うじて続いています。今、私が何をやっているかはまたの機会にお話しできたらいいなと思います。
私にとって、2020年は「空いた時間を有意義に使う練習期間」でした。二十歳になろうというのに時間を全く有意義に使えない私に、神さまが与えた試練だったのではないかとすら思います。そして今は2ヶ月にわたる春季休暇の真っ只中。「自由な時間」があと2ヶ月もあるなんて…。課題に追われない嬉しさはもちろんありますが、果たして有意義に過ごせるのだろうか、という不安が勝っています。ですが私は2年生になる前に、趣味を見つけるとまではいかなくとも、自分が満足できる時間の使い方を身につけたいのです。だから、がんばります。頑張るしかないです。
自己紹介をすると言ったのに、だいぶズレてしまいました。しかも初回なのに話が暗い…。今後は明るい話もしていきますので、どうぞ楽しみにお待ちください!
それでは、また。