一期一会。

こんにちは、あこです。

最近、晴れた日には外へ出て、空を見上げるようになりました。

きっかけは、”雲研究者”の荒木健太郎さんに密着した某番組を観たことでした。荒木さんは気象庁の研究機関である「気象研究所」に勤務する研究官の一人で、防災・減災のために”雲”の研究を行なっています。Twitterで色々な雲の写真を発信したり、『天気の子』の気象監修を担当したり、『天気の図鑑』を始めとした様々な本を出版したりなさっているため、ご存知の方もいらっしゃるかもしれません。お恥ずかしながら私は存じ上げなかったのですが、この番組を観て「こんな雲があるんだ」「私も見てみたいな」「雲の名前がわかったら面白いだろうな」と思い、今は図鑑・写真集の情報を集めています。ですが「これだ!」という運命の一冊には未だ出会えず。気長に探そうと思います(笑)

話を空に戻しましょう。

今お話ししたように私は某番組を観て”雲”に興味を持ったのですが、と同時に「あれ、空を最後に見たのっていつだっけ」と思いました。週の半分以上がオンライン授業とは言え、アルバイトや近所のお出かけ、散歩などでそれなりに家の外へは出ています。ですが、空を見た記憶が全くと言っていいほどなかったのです。

もちろん、道を歩くときは前を向いていますし、電車には大きな窓がついています。空が全く見えないということはあり得ません。私が”見て”いなかったのです。”視界に入れた”だけで、”見て”はいなかったのです。

それからというもの、晴れた日には極力外へ出るように心がけ、外へ出た日には必ず空を見上げるようになりました。雲の名前なんて全く分かりませんし、写真を撮るわけでもありません。だけれど、空を見るとなんだかホッとして、今日も幸せだなって思って、でもちょっぴり寂しさも感じて。

心が洗われる。

そんな気が、するんです。特に何か嫌なことがあったわけでも、精神的に追い詰められているわけでもありません。ただ、目まぐるしい日々の中で、ゆっくりと、しかし堂々と流れていく雲を見ると涙が零れそうになります。頑張ることに疲れて、自分を奮い立たせることに疲れて、でも頑張りたくて。そんな気持ちが、サァーっと流れていくのを感じるのです。

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私たちは日々、色々なものを見ています。でも、それは本当に”見て”いるのでしょうか。”視界に入れる”だけで、”見えない”ふりはしていませんか。”見る”べきことから、目を背けてはいませんか。

大人になるにつれて、”見ない”ことが上手くなったような気がします。”見えた”ことを、あたかも”見えていない”ようにする技術も、備わってしまいました。

“見ない”方が楽なことは多いです。”見えなかった”と言えば、誰からも責められないのですから。でも、誰もが”見ない”選択をしたら、それは、その人は、”なかった”・”いなかった”ことになってしまいます。それはあまりに寂しくて、悲しいことです。

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空を見るようになって、他のものも”見たい”と思うようになりました。全部を”見る”ことは無理かもしれないけれど、少なくとも”見ない”という選択や、”見えない”ふりは、したくない。そう思っています。

皆さんは最近、空を見ましたか?顔をちょっとだけ上げて、目線をちょっとだけ上げて、是非見てみてくださいね。荒木さん曰く、「雲は一期一会」だそうですから。

それでは、また。

言葉と伝え方。

こんにちは、あこです。

今日は10月13日。あっという間に10月半ばですね。あと3ヶ月弱で2021年が終わるなんて信じられません。やり残すことがないように、残りの日々もきちんと過ごしたいと思います。

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最近、気持ちの伝え方について考える機会がありました。それは、友人とのLINE上で”思いやりのない言葉”を投げ合ってしまったことです。私は某委員会に所属しており、高校時代からの友人と2人で共通の企画を担当していました。しかしお互いの考え方や方向性が合わない日々が続き、それでも締め切りは迫り…という状況の中で、私はイラッとした気持ちのままLINEを送ってしまったのです。相手もイライラしていてどちらが先にそのようなメッセージを送ったのかは覚えていませんが、いわゆる”売り言葉に買い言葉”状態。お互い敬語で感情を誤魔化し、冷静なふりをするけれどそれぞれのイライラした気持ちがひしひしと伝わる。そんなやり取りが何日か続きました。(改めて見ると、結構怖いやり取りでした汗)

その後LINE上でお互いの気持ちをきちんと聞いたりzoomをしたりしてわだかまりは無くなりましたが、「顔が見えないからこそ」「文章だけのやり取りだからこそ」生まれる誤解や悪意があることを実感しました。彼女が高校からの友人だったという甘えもあったのだと思います。だけれども、仲が良いからこそ文章には気をつけるべきだったし、「お互いにイラッとしているな」と思った時点でzoomや電話に切り替えるべきだったのです。人は相手の顔を見たり声を聞いたりすることによって冷静になることができるし、ある程度の誤解を防ぐことができます。オンライン・遠隔でのやり取りが”普通”になった今、一層「言葉」や「伝え方」に気をつけなくてはいけないと思わされました。

その一方で、「顔が見えないからこそ」、「文章だけのやりとりだからこそ」伝わる・伝えることができることもあると思います。例えば相談事。顔を見て話すのは恥ずかしかったり、心がギリギリで誰にも会いたくないけれど話を聞いてほしかったりといった場合には、LINEやメールの方が案外言えるという人も少なくないのではないでしょうか。先程の話と矛盾するようですが、文章を書くことによって自分の意見をまとめたり客観視したりすることができるのも事実です。相手の言葉にきちんと向き合って、自分の言葉に責任と緊張感を持ってやり取りすることによって、電話やビデオ通話と同じくらい、もしくはそれ以上に相手に気持ちを伝えることができるのだと思います。

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ビデオ通話や電話、LINEや手紙。現在はさまざまな”非対面”の「伝え方」があります。そのどれもが良い点と弱い点があり、状況によって、また人によって、適切な手段は異なると思います。しかし、どの方法を取るにしても一番大切なのは、相手の気持ちに寄り添い、相手を大切に思うこと。これに限るのではないでしょうか。対面であっても非対面であっても、心ない言葉には傷つくし気持ちのこもった言葉は嬉しいものです。

自分は今どんな気持ちなのか。その気持ちは本当に伝えるべきなのか。いつ、どの方法で、どの言葉で伝えるべきなのか。

いつでもどこでも手軽に気持ちを伝えることができるからこそ、きちんと考えてから伝えることが大事なのだと思います。当たり前のことだけれども、忘れがちなことです。大切な人たちを傷つけませんように。

それでは、また。

思い出の味。

こんにちは、あこです。

秋学期が始まって早1週間。みなさん、いかがお過ごしですか?

私は、先週の火曜日から土曜日まで祖父母の家に泊まっていました。元々は対面授業を受けるついでに敬老の日の贈り物を届けて帰ろうと思っていたのですが、1泊、2泊、3泊、4泊・・・と延びていきました(笑)祖父母と3人で過ごすのは数年振りだったので、なんだかとても楽しかったです。

20日が敬老の日ということで、贈り物としてTORAYA AN STANDのあんパン2種類(こしあん・和栗)とあんペースト(黒糖とメープルシロップ)を購入しました。TORAYA AN STANDは、和菓子屋のとらやさんが手がけるTORAYA CAFÉとTORAYA CAFÉ・AN STANDが結合してできたお店で、2021年にリニューアルオープンしています。AN STANDのあんパンを食べたのは初めてだったのですが、とにかく美味しかったです。やっぱりとらやは裏切らないですね。ほんと、とらやは裏切らない!!!(2回目)

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そんなこんなで約1週間祖父母の家に泊まっていたのですが、皆で食事をしたり話をしたりする中で、昔の思い出話をたくさん聞きました。母や叔父が小学生だった頃に親戚と皆で釣りをしてその場で漁師さんに捌いてもらったことや、北海道へ行って各地の美味しいものを巡ったこと、美味しかったケーキやナポリタンなど、昔の思い出を語る中で食べ物の名前が出てくることが少なくありませんでした。私の家族が美味しいもの好き(美味しいものは皆好きですよね笑)だというのもあるかもしれませんが、当時の思い出と何らかの食べ物が結びついた話を聞くことが多かったのです。

思い返してみれば、最近も母が「昔ひいばあが買ってくれたレモンケーキが食べたい!」と言って私と一緒に(包紙を手がかりにして)インターネットを使って探したり、「明治神宮で売ってる〇〇は昔ひいばあがよく買ってきてくれたお菓子だから久しぶりに食べたい!」と言ってお取り寄せをしたりしていました。そして私自身も、亡くなった曽祖母がよく買ってくれたいちごやフルーツゼリー、最中や水羊羹などを見ると、彼女を思い出します。当時は何の気なしに食べていましたし、(もちろん美味しいのですが)あまりの美味しさに忘れられない、というようなこともありませんでした。だけれども、ふとした瞬間に「そういえばあのお菓子、よくひいばあに買ってもらったな」とか「そういえばあの時みんなで〇〇食べたな」と思い出すのです。

食べ物は、形としては残りません。食べてしまったら無くなります。だけれど、形には残らないけれど、私たちの舌は覚えていて、「その時」を思い出すきっかけになっているのです。そして最終的には「思い出そのもの」、つまり「思い出の味」として記憶に刻まれるのではないでしょうか。旅行や冠婚葬祭などといったイベントはそのまま思い出として残りますが、その人たちとの「日常」や「日常の中にあるちょっとした出来事」を思い出させるのは、その時に食べたもの、つまり「味」なのではないかと思います。

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先日、30年以上前の母と曽祖母の「思い出の味」である下北沢のレモンケーキを食べました。このレモンケーキの味を私の舌はきっと覚えていて、いつかふとした時に今度は「私と母との思い出」として、レモンケーキを思い出すでしょう。消えてゆく食べ物を通じて昔の思い出や人と繋がり、その「思い出」とともに下の世代へと受け継がれていくというのは素敵なことだな、と思いました。

5年後や10年後、さらには20年、30年後にふと思い出すのは、今日食べた母の肉巻きかもしれません。祖母に作ってもらったエビフライかもしれません。父が毎週末に作る、辛さが安定しないスパイスカレーかもしれません。食べ物には日常を特別な「思い出」へと変える力があるのだと思わされた5日間でした。

これからも、たくさんの人との「思い出の味」を作っていきたいです。

それでは、また。

経験の話。

こんにちは、あこです。

実は最近、ちょっと変わったことが3つあるんです。

1つ目は、毎日外に出ていることです。先週の月曜日から、予定が入ったり買い物に行ったり散歩に行ったりと外に出る機会が続いています。酷い時には月に6回(※うち5回が対面授業)しか家の外に出ないという超インドアな私ですが、5日連続で外出すると6日目には「今日も外に出ておこうかな」と思うようになりました。外出といっても30分ほど家の周りを歩く程度ですが、外に出ると頭がスッキリして前向きな気持ちになるのでこれからも続けようと思っています。

2つ目は、食事の際に一口30回噛むように心がけていることです。私は食べるのがとても早く(※ただし外食は非常に遅い)、夕食も10分ほどで食べ終わってしまいます。おそらく噛む回数が足りていないのだと思いますが、満腹中枢が働く前に食べ終わってしまうとおかわりをしたりちょっとしたお菓子を食べたりしてしまうので、必要以上の量を食べてしまうこともしばしば。しかし先日、某番組で郷ひろみさんが食に関するマイルールとして「食べ物を30回噛むこと」を挙げているのを見てから、急に30回噛めるようになりました。なぜ?と言われると困るのですが、個人的に郷ひろみさんのことが好きなので「ひろみさんがやってるならやろう」という意思が働いたのだと思います(笑)おかげでゆっくりと食事を取るようになり、規定の量で満腹感を感じることができるようになりました。恐るべし、ひろみパワー!!!

3つ目は、「良いことを習慣化しよう」という意識を持つようになったことです。少し格好つけると「日々の暮らしの見直し」とも言えるでしょうか。夏休みももう終盤。来週は後期分の履修登録、再来週には後期授業が開始します。ゆっくり休んだり友人と久しぶりに会ったりと充実した1ヶ月半でしたが、後期に入る前に自身の生活を見直し、夏休みの”おやすみモード”から後期の”がんばるモード”へと、気持ちを整えていきたいと思っています。そして何より夏季課題!!!!!!これは急務です。終わっていない方、一緒にがんばりましょう(泣)

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前置きが長くなってしまいましたが、以上の「ちょっと変わったこと」(=ちょっとした変化)のきっかけは、先日参加したISが関係している気がします。2社の中小企業さんにお世話になったのですが、働く大人・社会人を間近で見たりお話させていただいたりする中で、気付かされることや学ぶことがたくさんありました。今回はその中から特に印象に残った社長さんの言葉についてお話ししたいと思います。

私が参加したISが「社長との会話・交流」を重視したISであったこともあり、2社目の社長さんにはお話しする時間を2時間ほどいただきました。社長さんと1対1で話すのは緊張したのですが、その分非常に濃い時間を過ごすことができました。

「仕事とは成果を出すことである」

「自分の仕事・役割が全体のどこに当たり、何を担っているのか把握して働かなくてはならない」

「目的・目標を設定し、きちんと理解した上で行動しなければならない」

など、社会人としての自覚や責任だけでなく学生にとっても大切なことをたくさん教えていただきましたが、中でも印象に残ったのは

「単にたくさんのことを経験しても意味がない。続けること、そしてそこから学んで自分の力にすること。何かを始めたときはその道を極める気持ちで取り組みなさい」

という言葉です。特に2年生になってから、私は自身の「経験不足」に焦っていました。大学受験、アルバイト、サークルへの加入……挙げたらキリがありませんし、「だったら受験すれば良かったじゃないか。」「バイトを始めればいいじゃないか。」「サークルに入ればいいではないか。」という言葉はごもっともです。どれも”できなかった”のではなく”しなかった”のですから、自業自得なのも分かっています。それでも、そのことが分かっていても、不安・劣等感を感じてしまう自分勝手な人間があこなんです。

そんな私でしたが、そんな不安・劣等感とさよならするために短期アルバイトをしてみたり長期アルバイトの面接を受けて少し働いてみたり、自分なりに「経験」しました。ですが、その不安感・劣等感は全く消えず。とにかく、自分が”使えない”人間であることを突きつけられるばかりで、最初は「これは私に向いていないんだ」と現実逃避できても、”使えない”自身を見続けるうちに「そうではない」ことと向き合わざるを得なくなりました。

サイトに書いてある「誰でもできます!」「簡単なお仕事です!」を信じていたわけではないし、誰にでもできる簡単なお仕事なんてあるはずがない、とも思っていました。それでも、いざ”できない”自分を見ると、今までの自分の生き方・人生まで間違っていたような気がして。「できないならその分頑張ろう!!」と前向きに捉えることもできませんでした。何かを間違えている気がする、何かを勘違いしている気がするけれど、それが”何か”がわからない日々。

そんな時、例の社長さんの言葉に出会いました。そして、自分が何を間違えていたのか、気付くことができました。

私の間違い・勘違いとは、「経験」自体に価値を見出してしまったことです。もちろんいろいろなことを経験することは、重要だと思います。しかし「多くの経験」が大切なのはその分「多くの学び」があるからです。ただ経験するだけでは、全く意味がありません。私は「経験不足」に劣等感を抱くあまり、経験から「学ぶ」ことよりも経験することを重要視し、「経験」自体に価値を見出してしまいました。だからこそ私の「経験」は「自信」につながらず、一層の不安感・自己嫌悪を生み出してしまったのです。

加えて、その「学び」は「継続」からしか得られないということも知りました。色々なことをたくさん経験すればいいのではなく、続けることによって、多くの苦労をしてそれを乗り越えることによって、「学び」へと繋がるのです。

また、「意味がない」ことなんてないということにも気付かされました。学校の授業や日々の暮らしの中で、「こんなことを学んで何になるんだ。」「こんなことをしても意味がない。」「これは役に立たない。」という言葉に出会うことは少なくありません。私自身も、(特に母に対して)「こんなことできても意味がない」「こんなの意味がない」と言ってしまうことがあります。ですが、それは間違いでした。「意味がない」と思っていることは、意味を「見つけることができて」ないだけなのです。更にいえば、「意味がない」と思っていることは意味を見つけられるまで・意味を見出せるまで「続ける」べきなのです。

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社長さんの言葉は、私に色々なことを教えてくれました。もちろん就職や就職活動などのお話も刺激になりましたが、個人的には人間的な成長につながる言葉と出会えたことが大きいです。

もしかしたら皆さんにとっては「当たり前」のことかも知れないですし、自分で書いていても「20歳の大学生が気付くことなのか?」「20歳で気付く自分って…」と思いますが、今気付いたんですから仕方ないです。そんな自分も受け入れて、これから成長していきたいと思います。

「学び」のチャンスは、身の回りに溢れています。日々を自覚的に生きること・「学ぼう」「吸収しよう」という意思を持って生きることによって、「学び」のチャンス、つまり「経験」のチャンスは無限に存在しています。わかりやすい「経験」や目先の「経験」に囚われることなく、多くのことを「学んで」、自分の力にしていきたいです。

それでは、また。

聴いて歌って楽しんで。

こんにちは、あこです。

前回はお休みを頂いていたので久しぶりの投稿です。みなさん、お元気ですか?

前回のブログでは倒れているセミを助けて欲しいとお願いしたのですが、最近は雨が続いているせいか、セミの姿もほとんど見ませんね。鳴き声も聞かないので、なんだか心配になってしまいます。暑いのは嫌ですけれど、そろそろ晴れが恋しくなってきました。明後日は晴れるそうなので、セミたちはもう暫しの辛抱。頑張れ、セミたち!!

さて、今回は私が最近ハマっていることについてお話ししたいと思います。

ハマっていることとはズバリ、英語の歌を聴く&歌うことです。きっかけは、友人がBTS を好きになったことでした。

彼女からBTS を好きになりつつあると報告を受けた頃、私が観ていた某音楽番組にもBTS が出演しており、何となく気になりました。しかし元々人の顔を覚えるのが苦手な私にとって、整った顔の男性7人を識別するのは容易ではありません。webで「bts メンバー 見分け方」と検索したり、友人から送られてきたBTS メンバーの解説動画を再生したり、集合写真と睨めっこしたりしながら、約3週間かけて全員の顔と名前を覚えました。理由はわからないのですが、BTS のメンバーたちはジャニーズやLDH系のアーティストの方々に比べて顔を識別しにくく、覚えた!!と思っても髪型や髪色、衣装が変わると「この人、誰だっけ」となりがちです。今でも新しいMVや動画を見ると「ん?」と迷うことがありますが、当初に比べたら断然分かるようになりました。やった!!

BTS のメンバーを覚え、友人とも円滑なコミュニケーションが取れるようになってきた私は、次のステップに移ります。それは、BTS の曲を聴くこと。以前音楽番組で観た”Permission to Dance”を聴きました。ええ、どハマりしました。(踊れないけれど)踊りたくなるようなリズムや明るくて楽しげな雰囲気に魅了され、気が付いたら30分以上MVをリピートしていました。

そして、聴くだけでは満足できなくなった私は更なるステップへ。MVの字幕をオンにして、歌詞を見ながら歌いました。しかし慣れない曲・慣れない英語のせいか字幕では全く追いつけず、スマホで歌詞を表示させたり、自分なりに歌詞カードを作ったりしました。ですがこの効果は微々たるもので、「この長さの英文がこの拍に収まるのはなぜ??」という疑問は解消されず。もう歌えるところだけでいいか。とほとんど諦めてかけていました。

そんな時に見つけたのが”Nipponglish”というYouTubeアカウントです。(サイトもあります。)英語の歌詞の上にカタカナで読みが書かれていて、英語の音の繋がりや変化(例:check it out=「チェック イット アウト」は「チェキダウ」)もわかりやすいので、英語が苦手な人でも歌いやすいんです。他にもカタカナルビが振ってあるサイトや動画は見つけましたが、私は”Nipponglish”が1番わかりやすいと感じました。英語が得意な方は「こんなの邪道だ!!」と思われるかもしれませんが、楽しく歌いたい、なんなら歌えてる感を味わいたいだけなので悪しからず。サイト曰く、細かい発音に拘らずに大きな声で英語を発することは英語力向上にも良いそうなので、英語の発音良くしたいな〜楽しく英語を学びたいな〜という人にもオススメです!

そしてこの”Nipponglish”の”Permission to Dance”動画を再生しながら何度も歌い、「私歌えてる〜」と錯覚するくらいまで上達することができました。(その後にハマった”Dynamite”や”Butter”もこのサイトのお世話になりました。)

“Permission to Dance”の歌を毎日歌い続けてしばらくしたある日、私は”Nipponglish”サイトのアーティスト欄”BTS”の上に表示されていた”Bruno Mars”を何の気なしにクリックしました。恥ずかしながらBruno Marsさんは「嵐に曲を提供した世界的なアーティスト」ということしか知らなかったのですが、サイトにあった”Just The Way You Are”を聴いて一瞬で虜になりました。そしてYouTubeのBruno Marsさんの公式アカウント(?)を調べ、色々な曲を再生しました。中でも”Grenade”と”When I Was Your Man”が好きで、ほぼ毎日聴いています。また”The Lazy Song”は聴いていて元気が出る曲なので”Permission to Dance”同様、”Nipponglish”の動画を再生しながら歌っています。

ということで、最近はBTS の”Permission to Dance”、”Dynamite”、”Butter”の3曲とBruno Marsさんの”The Lazy Song”を歌い、その後Bruno Marsさんの曲を聴きまくるという習慣が確立しています。歌うことによってストレス発散にもなりますし、陽気な曲を歌うと楽しい気分になれるのでオススメです。 あと、英語の曲は聞き取れた時が嬉しい。何回も聴いたり歌ったりするうちに歌詞が聞き取れることがあります。英語が聞き取れた時ってやっぱり嬉しいですよね。”Nipponglish”のサイトも、是非ご覧ください。もしかしたら皆さんが好きなアーティストさんの曲も対応しているかもしれません!

因みに、私は音痴なので人前では絶対に歌いません。ご時世的にも皆で集まって歌うということはありそうもないですが、念の為お伝えしておきます。誰もいない家でガンガン音楽をかけながら1人で歌うのが好きなのです。

それでは、また。

人との縁を大切に。

こんにちは、あこです。

一昨日、セミを助けました。持っていた日傘に乗せてあげると、ミーーーーンと鳴きながら元気に飛んで行きました。気をつけて生きるんだよ!!

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夏になると、ベランダやマンションの廊下、道路などでひっくり返っているセミをよく見かけますよね。動かないのでもうダメかな?と思う方もいるかもしれませんが、脚が開いている子はまだ生きています!!ぜひ助けてあげてください。

セミを助ける活動(?)を始めて10年ほど経ちますが、私は未だにセミを触ることができません。なのでいつも傘をセミの脚に近づけて、傘を掴んだのを確認したらゆっくり持ち上げて飛ばす…という方法をとっています。触らずに、しかもセミと距離をとりながら助けることができるのでセミが苦手な方にもオススメです。

※因みに、セミは成虫になってから1週間の命だと言われますが、実際は2~3週間生きるそうです。知らなかった…!!

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私は最近、”切れていた人との縁が再び繋がる”という経験をしました。

「縁が切れていた人」とは高校2年生の時に3週間お世話になったホストファミリーです。ニュージーランドで暮らす70代の老夫婦で、確か私の祖父母と同じ年齢でした。

ホームステイ初日。初めてのNZ、初めてのホームステイ、初めての英語での生活……元々英語が苦手なのに加え、初めてだらけの環境に緊張していた私はファザーに「東京は暑いと聞いているよ。東京の”temperature”(=気温)はどれくらいなの?』と聞かれて混乱に陥りました。というのも、私は”temperature”(=気温)と”temple”(=寺)を勘違いし、東京のお寺の数を聞かれたのだと思ったのです。

「東京のお寺の数!?!?えっわからない!!!」とパニックになった私は「Sorry,I don’t know…but maybe many many temples…」とよくわからない回答をし、ファザーたちをも混乱させることになりました。

初めてきちんと聞き取れた英語は、その日の夜にマザーに言われた「You just like a chicken」。前後の言葉は聞き取れなかったのでどういう文脈・意図でこの言葉が出てきたのかは分かりませんが、マザーは鶏が好きで鶏のグッズをたくさん集めていたので、多分褒められたんだと思います。(ポジティブ解釈)

そんな不安極まりない始まり方をしたホームステイでしたが、1週間ほど経つとそれなりに円滑なコミュニケーションを取ることができるようになりました。湿度を上げようと部屋で濡れタオルを干して床を濡らしたり、使ってはいけない石鹸を使ってしまったり、ベッドを温める装置の電源を消し忘れて火事のリスクを高めたり……。たくさんの失敗をしてその度にきちんと怒られましたが、一緒に買い物に行ったり料理を作ったりしてとても充実した3週間でした。

そして帰国後も、メールでの交流が約1年間続きました。月に1度のやりとりでしたが、その月の出来事やNZでの思い出などを送っていたのだと思います。しかし、ある勘違いをきっかけに私は連絡をしなくなり、交流は途絶えてしまいました。

※因みに勘違いが起きた原因は私自身にあります。ファザーからのメールに「成長したあこの顔が見たいから、今の写真を送ってください」と書いてあったのを、「あこの顔を忘れてしまったから写真を送ってください」と訳してしまい、忘れられたことが悲しくて、拗ねて返信をしなかったのです。自分の勘違いに気づいたのは2ヶ月ほど前です。英語力の大切さを感じた出来事でもありますし、私自身の幼稚さと器の小ささを実感した出来事でもありました。今更ながら反省しています。ごめんなさい。

自身の勘違いに気づいてから1ヶ月。今更メールを送るのも図々しいとは分かっていたのですがやはり諦め切れなくて、2年間連絡をしなかったことに対する謝罪と、3年前にお世話になったことへの感謝をメールに認めて送信しました。

あれから3年経っているのだから、今度こそ忘れられているかもしれない。返信が来なくても仕方ない。と自分に言い聞かせながらも、メールが届いてないかな…とパソコンをチェックする日々。2週間ほど経ち、半ば諦めながらパソコンを立ち上げると1通のメールが届いていました。

Dear ○○

△△ and I both remember you,I don’t think I will ever forget you…….(以下略)

返信が来たこと、私を覚えてくれていたこと、全てが嬉しくて、思わずうわっ!!!!と声が出てしまいました。勝手に連絡を絶って、勝手に連絡を再開して、本当に自分勝手だと思います。だけれど、今回返信が来たからには、再び縁が繋がったからには2度と同じ過ちを犯すまい。と心に決めました。

思えば、人との縁というのは切れやすく、繋がりにくいものだと思います。もちろん、出会った人は大切にすべきですし、出会った人全てと関係を続けるというのも一つの理想だと思います。ですが、今までの人生を振り返ってみると、繋がりたかったけれど勇気がなくて繋がることができなかった人や、先の私のように、小さなプライドや勘違い、劣等感などから自らの手で関係を絶ってしまった人などもいるのではないでしょうか。

縁がなかった。

そうかもしれません。だけれど、その時に繋がらなかった”縁”や、切れてしまった”縁”はそれっきりではなくて、後に繋がることもあると思うのです。もちろん、自分の行動を肯定・正当化するつもりはありません。”一期一会”という言葉がある通り、その時にしか出会えない・繋がれない人がいるのも事実です。だけれどその一方で、”縁”というのは切れたら切れっぱなしというわけでもないのではないでしょうか。

私は、”縁”というのは繋がるか、切れるかのどちらかだと思って生きてきました。ですが、今回ファザーとの交流が2年ぶりに再開したことで、”再び繋がる”可能性もあるのだということを知りました。何度も言いますが、”縁”は切らないのが1番です。だけれど、1度は切れてしまった”縁”が再び繋がる可能性が少しでもあるのなら、今からアクションするのも無駄ではないのではないでしょうか。

“人との縁を大切に”

今回の経験を通して、この言葉の重みが分かったような気がします。

“人との縁”、そして”人との出会い”に一層感謝しながら、今後も生きていきたいと思いました。

それでは、また。

和菓子と本と水曜日の話。

こんにちは、あこです。

先週、ある本を取り寄せました。それは、中山圭子さんの『事典 和菓子の世界(増補改訂版)』です。

度々ブログにも書いているのですが、今年度に入ってから学校帰りにデパ地下で和菓子を買うのが習慣になっています。まだ3ヶ月目なのでそんなに数は食べていませんが、色々な和菓子を見たり食べたりするうちに、和菓子について知りたいと思うようになりました。

webサイトで検索したりインスタで写真を見たりするのも良いのですけれど、それだと名前を知っている和菓子しか知ることができなくて。調べ方の問題もありますが、やっぱり本や図鑑の方が知らない情報に出会いやすいような気がします。

ということで、何かいい本ないかな〜と調べ始めました。

だけれど、理想の本に出会うのって難しいですよね。私が欲しいのは、幅広い種類の和菓子が掲載されていて、カラーの絵や図があって、解説や説明も充実していて、かつ分かりやすい本です。「和菓子 本」で検索すると、和菓子のレシピ本や歴史に特化した本、特定の和菓子を深堀りした本が多くて、なかなか理想の本に出会うことができませんでした。

んーやっぱりそんな都合のいい本はないよなぁ…

と諦めかけていたその時!!

某ECサイトの「この商品をチェックした人はこんな商品もチェックしています」欄に『事典 和菓子の世界』が現れました!

※ちなみに、「この商品」とは虎屋文庫の『和菓子を愛した人たち』です。「和菓子→虎屋→虎屋文庫」の流れで辿り着きました。この『和菓子を愛した人たち』もまた魅力的な本で、虎屋文庫HPでは「モースと文字焼」「森鷗外と饅頭茶漬け」の章を内容見本として読むことができます。実はこれも欲しかった…!!(今回は諦めたけどいつか絶対買う!!と心に決めております。)

作者の中山圭子さんについて調べ、岩波書店のHPで本の試し読みを済ませたら準備OK。百貨店・地元の本屋さん共に在庫がないとのことだったので、取り寄せをお願いしました。そして先日、本が届いたとの連絡が。明後日の水曜日に受け取りに行く予定です。

まだ読んでなかったんかい!そしてすぐ取りに行かないんかい!

というツッコミが聞こえてきそうですが、ええ、まだ読んでいません。最近暑かったり雨が降ったり雷が鳴ったりして、家から出るのが億劫なんです。あと、本を買ったら読みたくなっちゃうので。時間割に余裕がある水曜日に受け取りに行こうと思っています。

ということで、まだ読んでいない本を紹介したあこでした。

早く水曜日にならないかな。

それでは、また。

オンリーワン。

こんばんは、あこです。

ただいま22時25分。19時からブログのネタを考え続けて3時間半経ちました。

そろそろタイムリミットが近づいてきていますね……困った困った。

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先日、ファイルの整理をしていた母から、「こんなの出てきたよ」と、ルーズリーフを2枚渡されました。高校2年生の時に使っていたファイルだったので、もう3年前ですね。そのルーズリーフには、当時の私が書いた小論文がありました。

タイトルは「人の表と裏の否定」と、「他人について」。どちらも、「人間関係で何かあったの?大丈夫??」と声をかけたくなるようなタイトルですが、多感な高校生が書いたということで、お許しください。

そんなタイトルですが、内容はそこまで過激なものではありませんでした。

「人間は表と裏で分けられるほど単純ではない。」「相手よりも優位にいたい、裏切られなくない、という想いが根底にはあるのではないか。」「人の印象は変わりやすいのだから、相手の性格や人格を決めつけて吹聴してはいけない。」「相手に誤解されないためには、努力も必要である。」

どれも、わかりきったことです。加えて、「小論文」を名乗るのも恥ずかしいような文章でした。

だけれど、これを読んだ時、「残っていて良かった」「読めて良かった」と思いました。もちろん、内容が素晴らしかったわけではありません。タイトルからして恥ずかしいし、内容も構成も全然ダメ。高校生ならではの青臭さというか、自分に酔っている感じがプンプンしていて、とにかく人にお見せできるようなものではありません。

でも、確かなことは、この文章を書いたのが3年前の私で、当時の私が書きたい・考えたいと思ったのがこのテーマで、最終的に導いたのがこの結論だったということ。そして、3年前に考えたことは3年前でなければ書けなかったということです。

人は、経験を重ね、成長していくにつれて「考え方」も変化していきます。良くも悪くも、考え方の変化には逆らえません。そして同時に、人は時間が経つにつれて「忘れて」いきます。その時に悩んでいたこと、考えていたこと、導いた結論。残しておかないと、それらは無かったことになってしまうのです。

高校生の時、母に悩みを相談すると「私もそうだった。」とか、「若い時は、みんな悩むものなのよ。」と言われることがありました。また、テレビやラジオで、私と同じような悩みを持った人が番組に相談したり、タレントさんが私と同じような意見を発言したりしているのを、何度も目にしてきました。

こういった場面に遭遇した時、私は「みんなも同じことで悩んでいるんだ!」「私と同じことを考えている人がいるんだ!」という安心感や嬉しさよりも、「私の悩みは私だけの悩みではなかったのか。」「私の考えはそんなにメジャーだったのか。」という悔しさやガッカリ感を感じていたように思います。

オンリーワンでいたい。他の人には考えられないような「考え・意見」を持ちたい。

そういう思いがあったのだと思います。正直に言えば、今もそういった思いは残っています。ただ、人に自分と同じ意見を持ってもらいたくない、とは今も昔も思っていません。人と違う意見を持つことに優越感とか喜びを感じているわけでもありません。どう表せばいいのかわからないのですけれど、「自分の足で頂上まで登った人しか味わえない景色を見たい」という気持ちに似ているでしょうか。苦しんで、辛い思いをして、やっとの思いで登った山から見た景色が、自分の家から見た景色と変わらなかったらガッカリするでしょう。(もっと良い例えを示したかったのですが、これが限界のようです。どうにか伝わりますように。)

先ほどお話しした3年前の小論文で書かれている内容や結論は、あまりにありふれたものでした。だけれど、「ありふれているもの・誰でも考えつくもの=書き記す意味がない」わけでもないとも思うのです。

「人と違う考え」や「自分だけの考え」というのは、滅多に思いつくものではありません。大学に入学し、論文を読む機会が増えてからは尚更そう思うようになりました。私が軽い気持ちで「これってこうなんじゃない??」「あっこれ良いかも!」と思ったことのほとんどは、既に先行研究で私よりも丁寧に、わかりやすく、根拠を示しながら指摘されています。(そもそも「思いつく」という表現が失礼ですね。すいません。調査を重ね、検証し、その上で導き出した結論は、「思いついた」とは言いません。)私たちが普段考えつくことなんて、たかが知れているのです。

だけれど、その「ありふれた考え・誰でも思いつくもの」は、「皆が思いつくもの」「いつでも思いつくもの」ではありません。確かに、たくさんの人が悩んでいるものかもしれないし、たくさんの人が導く結論かもしれない。でも、世の中にたくさんある悩み・意見の中で、「その時」の「私」が出会い、「考え」たものは唯一無二なのではないでしょうか。

結論は同じでも、そこに至る過程は人それぞれです。同じ場所から撮った写真でも、撮影者によって全く雰囲気が変わるように、撮影者によって心惹かれる理由が違うように、「全く同じ」ということは起こり得ません。「文章を書く」ということは、オンリーワンの結論を導くことではなく、オンリーワンの過程を示すことなのではないか。だからこそ、「ありふれた考え」であっても、「その時」の過程を残すために書き記しておくことは必要なのではないか、と思っています。

今日はあんまり纏まりませんでしたね。すいません。次回はもう少し頑張ります。

それでは、また。

ちょっとしたご褒美。ちょっとした幸せ。

こんにちは、あこです。

今日の朝、松月堂の「栗苞」を食べました。「栗苞」は栗きんとんを葛で包み込んだお菓子で、1時間ほど冷蔵庫で冷やしてから食べるとさっぱりもっちり美味しいです。また池袋に行った時は買わなくちゃ。もはや使命感を感じています。暑い時期にもぴったりなお菓子だったので、皆さんぜひぜひお試しくださいね。

あ、栗関連でもう一つ、おすすめのお菓子を思い出しました。それは小布施堂の「栗かのこどら焼き」です。かわいいサイズのどら焼きなのですが、食べ応えのある栗粒が入っていて、ほんっとうに美味しい!!半年ほど前に日本橋に行った際、三越で出会いました。また日本橋に行く機会があったらぜひとも買って帰りたい一品です。

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4月に大学が始まってから、対面授業の日にはデパ地下を通って帰るのが習慣になっています。私の登校頻度は週に1-2度なのですが、その内、何かを「買って」帰るのは月に2回。和三盆やどら焼き、水無月など、和菓子が多いです。登校時以外にも、数少ない外出時(※基本インドア)に百貨店を見つけると、吸い寄せられるようにデパ地下に向かいます。気づいたらデパ地下にいると言っても過言ではないくらいです。(え)

では、デパ地下で私は何を探しているのか。もちろん美味しいお菓子なのですけれど、実際に「買う」のは、以下の条件を満たしているお菓子です。それは、

①生ものでないこと(特にこれからの季節は注意)

②300円以内であること

③綺麗に2つに分けられること

語るほど大した条件でないので何だか恥ずかしくなってきましたが、気がつかなかったふりをして続けます。

まず、①についてはお察しの通り、デパ地下から家に帰るまで時間がかかるからです。もちろんお店の方は保冷剤をつけてくださるのですが、その日中に食べない・食べられない場合(例:私より先に男性陣が帰宅している等。基本的に1つのお菓子を母とシェアするため、他の家族がいると食べるタイミングを失います。)があるので、生ものは避けています。

次に、②については、300円以内だと罪悪感・圧迫感を感じずに楽しむことができるからです。それ以上の価格になると財布と私が圧迫感を感じて、「ちょっとした贅沢」の域を越えてしまいます。基本的に、買ったお菓子はその日の夕方か、翌朝に母と食べます。家族でのお祝いごとや、「よし、今日は贅沢するぞ!」と意識してお菓子を買う時とは違って「今週も頑張ろう!」とか、「今日もお疲れ様!」と、自分たちを鼓舞したり労ったりするための日常的な「ちょっとしたご褒美」には、これくらいがちょうどいいです。(※個人差あり)

それに、300円と言っても、なかなかバカにできないんですよ。先にあげた松月堂の「栗苞」や小布施堂の「栗かのこどら焼き」、以前ブログで紹介した文明堂の「3時のおやつあんぱん」も、全て300円以下です。一つしか買えないし、一つ一つは小さいけれど、食べたら幸せを感じること間違いなし。なんて素晴らしいんでしょう。

そして③については、母とシェアして食べるからです。ハイブリット型になったとはいうものの、私は週の半分以上を家で過ごしています。20歳になったものの衣・食・住は完全に両親に依存し、特に母にはお世話になりまくっています。その感謝を込めて、、、と言いたいところですが、特に理由はありません。ただ、おうちでお菓子を食べるのに、母と同じ空間を共有しているのに、わざわざ一人で食べる理由もないとは思いませんか。それに、一人で食べてカロリーを全て摂取するよりも、二人で食べて半分のカロリーで済んだ方が、罪悪感なくご褒美を買って帰れます。二つに分けるとただでさえかわいい和菓子が一口サイズになりますが、案外ちょうどいいものです。実際、「足りない!」とか、「一人で全部食べたかった!」と思ったことはありません。美味しかったら、また次の機会に買ってくればいいだけですから。

大学の授業も折り返し地点を過ぎました。課題や授業に追われている人は少なくないと思います。そして、関東甲信は今日梅雨入りを迎えたそうです。心も天気も晴れない時は、300円を握りしめてデパ地下へ行きませんか。あなたにぴったりの「ちょっとしたご褒美」が、あなたを待っているはずです。

それでは、また。

纏まり、纏まって。

こんにちは、あこです。

先週から、YouTubeのダンス動画を観ながら運動を始めました。2021年のおみくじで「体重の増減が激しい年になる」と書いてあり、体重が増えても「いつか”減”が来るらしいからいいや」と運動せずに好き勝手食べていたらあっという間に4kg増。「あれ、もしかして自分から”減”を迎えに行かないといけないんじゃない?」と、今更気付きました。久しぶりの運動はめちゃめちゃキツいですが(自業自得)、頑張りたいと思います。

さて、話は変わりますが、私は一昨日美容院に行ってきました!美容院って、何だか緊張しませんか?

「何センチ切りますか?」「前髪はどうしますか?」「段は作りますか?」「髪は染めないんですか?」

聞かれることが多くて、私はいつもしどろもどろになってしまいます。それに、自分のイメージを正確に伝えることが難しくて、(失礼ながら)なんか違う…と思うこともしばしばでした。

そんなこんながあって、大学生になってから美容院を転々としました。そろそろ自分に合った美容院に出会いたい、落ち着きたい…!と思っていた時に見つけたのが一昨日行った美容院です。

感想はというと、とっても良かったです!カットだけだったのですがカウンセリングが丁寧で、私の曖昧なイメージをしっかりと聞いてくれました。そのおかげか、仕上がりも今までで1番良い…!!とっても気分が上がりました。

人に意見を伝えることや、相手が言っていることを理解することって、難しいことだと思います。2年生になって、演習授業が始まったり委員会で役職に就いたりと、人と意見を交換をする機会が格段に増えました。演習授業でもミーティングでも、相手が主張していることを理解しないと質問や反論はできないし、発言内容がある程度まとまっていないと相手に伝わりません。そのため、私はまとまっていない意見は言うべきではなく、まとまってから発言すべきだと思っていました。

ですが一昨日美容院に行って、自分の曖昧なイメージ/まとまっていない意見を丁寧に聞いてもらい、自分の意思が伝わったことを実感して、「まとまった意見」に固執する必要はないのかもしれないと思い直しました。もちろん、授業時間や会議の時間は有限ですから、皆がまとまっていない意見を言い始めたら問題です。だけれども、多少まとまっていなくても、発言者に伝えたいという意思があり、聴く側の人間が理解したいという心持ちがあれば、その意見は伝わるのです。

同時に、「まとまっていなくても良いよ」という態度を示すことも大切だと思います。美容院での私は相変わらずしどろもどろだったのですが、美容師さんはゆっくり話を聞いてくれ、焦らせたり結論を急いだりということはありませんでした。(少なくとも私はそう感じました。)だからこそ、私はゆっくりながらも自分のイメージをきちんと伝えることができたのだと思います。聴く側が受け入れ態勢を示すことで、発言者は安心して・落ち着いて話をすることができるのだということを改めて感じました。

意見をまとめることも大切だけど、それよりも大切なのは「伝えたい」という意思と、「聞きたい」「理解したい」という姿勢であるということ。今回感じたことを忘れずに、これからも生きていきたいと思います。

それでは、また。