運命”的”な出会い。

こんにちは、あこです。

猛暑日が続いていますね。皆さん、いかがお過ごしですか?

私は、水を飲んでも飲んでも喉が渇きます…(笑)熱中症を防ぐためにも、こまめな水分補給を心がけましょう!!

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突然ですが、皆さんは占いって信じますか?

私は、微妙です。(答えになってない)

全く信じていないとも言えないけれど、自分が上手くいかない時や迷った時には「血液型+星座+性別(女性)」で検索してしまいます。

でも、そういう時に限ってその日の運勢はめちゃめちゃ良くて、「そんなわけないやん!」と突っ込む。

でも時間が経つにつれて「もしかして、今日の運勢がめちゃめちゃ良いのは本当で、そのおかげでこの程度で済んでいるのかも。」とか、「今日の運勢が悪かったらもっともっと失敗してたのかも。」とも思ってしまって、「運勢に自分を寄せるのはやめよう。」と思えるようになるまで「運勢のせいにしちゃダメ」「運勢のせいにしたい」という2人の自分を闘わせています。(笑)

私と同じ血液型・星座の人なんてたくさんいるからこそ、”今日の運勢”は適度に曖昧で、私にとってはちょうど良い逃げ場になっているようです。

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私には、逃げ癖があります。放っておくと、楽な方へ楽な方へと逃げようとします。

でも、今までの人生で何かから逃げ切れたのか?と聞かれれば、答えはNOです。

逃げ癖はあるのですが、その度に何かしら・誰かしらとの出会いがあって、最後までは逃げ切れないのです。

例えば、太宰治。

中学生の時、課題図書として太宰治の文庫が指定されたことがありました。

○月△日までに読まなくてはならない課題図書。

期日に間に合うように、いつものように、少し早めに読み始めました。

しかし、

私は、課題図書を読み切ることができませんでした。

読んでも読んでも、ページが進まない。

どういう話なのか、全くわからない。

何を言っているのか、何を言いたいのか、全然理解できませんでした。

そんなことは、初めてでした。

本を読むスピードや理解力にはそれなりに自信があったからこそ、そんな自分が信じられなかった。

そして、その経験は私に、”太宰治”に対する強烈な苦手意識を抱かせました。

それから4年。

私は、1年次の必修授業”日本文学の基礎Ⅱ”で、太宰に再会しました。

今度こそ、読まないといけない。

事前課題がありました。作品を読まないと、書けない課題が。

何とか、読み切りました。

事前課題も、出しました。

でも、「語り手」と「視点人物」の違いが分かっていなかったから、私の提出したものは的外れで、先生の解説を聞きながら「あぁ、全然違う…」と絶望しました。

その後も、課題を出しては他のクラスメートの考察に圧倒され、先生の解説を聞いてやっと自分の課題の勘違い(そもそも理解できていなかった。)に気付き、新たに出された課題に取り組む。。。という日々を過ごしました。

ただ、中学生の時と違うのは、太宰の作品を最後まで読み切れた、ということ。

太宰の作品を面白いとまでは思えなかったし、「先生の解説を聞いたら自分の理解と全然違った」みたいなことは多々あったけれど、作品を最後まで読むことができて、作品について自分なりに考えることができるまで成長(?)したことがとても嬉しかったのは事実です。

7回の授業をやり切って、「よし、これで悔いなく太宰から卒業することができる。」と思いました。

しかし、2年次の演習の授業で抽選に落ちた結果、私は太宰治の演習授業に参加することになりました。

絶望、再び。

最終的に決断したのは自分だとは言え、通年の演習授業として扱うには、自分の知識量と読解力が不足していることは分かりきっていました。

でも、通年の授業だし、4単位だし、何より、途中で投げ出すのは負けた気がして悔しいし…と、言い訳と鼓舞を繰り返して、何とか1年間生き延びました。

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なんだか、「要するに、苦手な太宰頑張ったよってこと?」とか、「太宰のことよく知らないくせに、ちょっと学んだからって分かった気になっちゃって。」とか言われてしまいそうな書き方になってしまいました。

でも、そういうことを言いたいわけでは、ないです。

様々な太宰の作品を扱う中で、「読める作品」ではなくて、「好きな作品」に出会えました。特に好きだったのは『ヴィヨンの妻』と『桜桃』。これらは、この演習授業を取るまで知らない作品でした。

他の受講者の発表や質疑応答では、自分では思いつかなかった視点や考えに出会えました。「もっと考えなくちゃ」「もっと準備しなくちゃ」「もっと頑張らなくちゃ」と思わされました。この授業で養われた「もっともっと魂(仮)」は、今も私を支えてくれています。

授業の最終回には、「あっという間だったな」と思いました。「楽しかったな」「もっとやりたかったな」と、思ったり、思わなかったり。

あの時、抽選に落ちていなかったら、そうは思えなかったのかもしれません。

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私は、嫌なこと・苦手なことから逃げようとしがちです。でも、逃げようとすると大体何か・誰かが現れて、私は捕まります。

やだーやだーって、人並みに抵抗してみるけど、仕方がないから受け入れる。すると、自分が「嫌だ」「苦手だ」と思っていたことがそれほど嫌じゃない、むしろちょっと楽しいかも。みたいなことが多々あります。

だから、あんまり自分の直感は信じられません。

逆に、自分で「よし、これが楽しそうだ。」と思って選択したことが案外楽しくなかった、ということなんて、ざらにあります。

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どこからどこまでが自分の選択で、どこからどこまでが運勢なのか。

時々わからなくなります。

これは自分の意思だったのだろうか。それとも、偶然の産物なのだろうか。

昔、中学時代からの知り合い兼友人が、「運命と運命的」について意見を述べていました。

運命はないけど、運命”的”なことはあるのだと。

妙に、納得したのを覚えています。

運命か運命じゃないか、感じるのは、決めるのは、私。

楽な方へ逃げようとした時に限って何かが起こるのは、誰かに出会うのは、きっと運命。

そう思えば、私は頑張れます。

私が逃げようとしたら、また何か・誰かが現れるはず。

それまでは、全力で逃げようかしら。

私の人生は、運命”的”な出来事で溢れているようです。

それでは、また。

“無意識”の力。

こんにちは、あこです。

関東甲信は梅雨入りしたというのに、カンカン照りの日が多くて困ります。日傘を持って行くか、雨用の折り畳み傘を持って行くか。迷った挙句、雨用の折り畳み傘を常備し、晴れた場合には雨用の折り畳み傘を日傘として使うことにしました。果たして、意味はあるのでしょうか…(笑)

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5月下旬から6月上旬にかけて、自身のタスクと家庭のハプニングが重なって、精神的にも体力的にもギリギリを生きていました。何をするにも上手くいかなくて、どうしたらこの状況から脱することができるのか分からなくなって、久しぶりに「もう無理かも」と思ってしまいました。

ですが、ひょんなことから精神的に回復し、「もう無理状態」から抜け出すことになります。

では、「ひょんなこと」とは何か。

それは、アルバイト先(個別指導塾)の先生の冗談です。

今月から私の弟も同じ職場で働くことになり、名字が同じで紛らわしいということで、弟の名前は「名字+名前の1文字目の漢字」で記すことになりました。(名字が「日文」で名前が「花子」の場合、「日文(花)」)

すると、名前の1文字目の漢字が「真」である弟は、「〇〇(真)」となります。

それを見た先生がひっそりと、「あこ先生、あこ先生。このままだとあこ先生がニセモノになっちゃいますよ」と言ったのです。(*「真」と「偽・贋」は対の関係)

正直、くだらないです。でも、言い方と状況と全てがおかしくて、思わず笑ってしまいました。

すると気分が軽くなって、その日の夜は「今日は良い日だったな」と思いながら眠りにつくことができました。

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人は、言葉によって無意識のうちに他人を救うことがあると思います。

もちろん逆も然りです。

小学生の時に、クラスの男子に「あこは見た目も頭脳も運動神経も全て”普通”だからな」と言われ、そんなわけないだろうと思いました。少なくとも、自分は頭が良いんだと。頭脳だけは”普通”のはずがない、と。

しかし、中学に入学すると、彼の言葉が本当だったことに気付かされました。初めての成績表は、”普通”と更に下の数字ばかり。今思えば、”普通”にすらなれていませんでした。

それ以外に自分の強みがあるわけでもなく、自分にあるのは”中”と”中の下”の成績のみ。

絵は描けない、字は汚い、楽器は弾けない、歌は下手、スポーツはできない、リーダーシップはない。得意なことも、趣味も、誇れることも、ありませんでした。

「挫折」とまではいかないけれど、「自分は特別じゃない」と思うには、十分すぎる経験でした。

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それからというもの、私は”普通”とか、(上中下の)”中”とか”二流”という言葉に過敏になりました。そして、残念ながら今も、そのしがらみから逃れることはできていません。

“普通”でいたくない、”特別”になりたい、と思う一方で、「どうせ自分は”中”だし」「頑張ったって、”一流”には手が届かない」と、自分を諦めています。でも、正確には諦めていなくて、というより、諦めきれなくて、もがいてもがいてもがいている。それでも抜け出せないから、諦めていると自分に言い聞かせて、傷つかないように守っている。でも、そんな嘘っぱちな慰めなんて、何にも役に立たない。何の意味も、何の効果もないから、しっかり傷つく。

努力するしかないって、わかってる。

行動しないと変われないって、わかってる。

意識から変えないといけないって、わかってる。

何もかもがわかりすぎて、でも本当はわかっていないから、私はまだ抜け出せていません。

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「あなたの言葉にずーっと傷ついてきた」「あなたのせいよ」なんて、彼を責めるつもりは毛頭ないし、彼に非がないのは誰の目にも明らかです。

私が勝手に「私は”普通”じゃない。」と反駁して、”普通”に打ちのめされて、彼の言葉を言い訳にしているだけですから。

それに、どんな時にも自分はどうせ”普通”だと思う私は、ある意味では傲慢です。

明らかに”普通”以下の時にも「自分は”普通”」だと思っているのですから。

だって、彼は私の「すべてが」普通だと言ったから。

彼の言葉は私を苦しめる一方で、私を救ってもいるようです。

大丈夫、私は”普通”、と。

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私たちは、無意識のうちに他人を救い、他人を傷つけています。

でも、その「無意識」にこそ、生きている意味があるのだと思います。

意識的に人を救うことはもちろん素晴らしいことだし、意識的に人を傷つけることは許されることではありません。

でも、意識的に人を救うことは難しいけれど、無意識的に他人を救っているかもしれない。

例のバイト先の先生も、あのくだらない冗談(←失礼)が、私を救ったとは思いもよらないでしょう。

意識的に人を傷つけることは避けられるかもしれないけれど、無意識的に他人を傷つけているかもしれない。

もちろん無意識だったとしても人を傷つけることが「悪」であることに変わりはありませんが、それだけ私たちが周囲に対する「影響力」を持っているということだと思います。誰にも影響を与えない、害も利益も与えない人なんて、いないのではないでしょうか。

自分の存在価値なんてわからないけれど、誰かを傷つける可能性と誰かを救う可能性がある限り、そこに私たちが生きている意味があるのだと思います。

たくさんの人を傷つけて、救って、生きてきたから。たくさんの人に傷つけられて、救われて生きてきたから。

全ての人に感謝と謝罪を込めて。

それでは、また。

縁の糸。

こんにちは、あこです。

先日、家族で沖縄料理のお店に行ってきました。約5年ぶりに訪れたお店は全然変わっていなくて、お料理も本当に美味しかったです。

沖縄そば、沖縄ピザ、ゴーヤチャンプルー、フーチャンプルー、ソーミンチャンプルー、グルクンの唐揚げ、ラフテー、あぶりソーキ、ジーマミー豆腐、島豆腐のあつあげ、カーリーフライ、ブルーシールアイス、サーターアンダギー…..

合計19品を4人でモリモリ食べました。沖縄料理、最高です!!!

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先月、あるLINEグループから抜けました。元々は中学からの友人5人で構成されていたグループだったのですが、2年前に1人が抜け、(←仲が悪くなった訳ではなく、みんなで会う時は彼女を含めた5人で集まっていました。)この2年間は4人で動かしていました。

しかし、たくさんの「小さいこと」が積み重なって、3月に「中くらいのこと」が起きて、4月に「大きめのこと」を知ってしまって、心が限界を超えてしまいました。

抽象的すぎて、何を言っているのか、全くわからないと思います。ごめんなさい。

でも、「もう、無理だ。」と、心が、スッと閉じてしまった。

今までにないくらい、固く、固く、閉じてしまったのです。

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昨年の11月、中学時代のある友人と3年ぶりに会いました。

彼女は別の高校へ進学したのですが、高校時代には別の友人を含めた3人で何度か遊びに行きました。彼女とはクラスと部活が3年間同じだったものの特別親しい間柄ではなかったため、今思えば何繋がりの3人だったんだろう…???と思いますが、毎回楽しく遊んでいました。

しかし彼女が受験生になり、新型コロナウイルスが蔓延する社会になり…と、様々な理由から3人で会うことがなくなっていきました。それが、ひょんなことから11月に2人で会うことになり、何だかんだ話が弾んで、3月にはzoomをし、6月にまた会う約束をしました。会うのはまだまだ先ですが、今から結構楽しみにしているのはここだけの秘密です(笑)

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中学校時代の友人、特に先のLINEグループにいた人たちは、私にとって特別でした。友人を格付けしている訳では全くありませんが、未熟で、お子ちゃまで、おバカな時代のお互いを知っているという点で、高校・大学時代の友人とは違っていました。所謂、私の「黒歴史」を知っている人たち、とでも言えましょうか。

お互いの悪いところを知り尽くしている。それでも尚、今に至るまで付き合いが続いているということは、きっとこれから先も続いていく”縁”なんだろう、特別な”友人”たちなんだろう。

だから、違和感・不快感のあることを言われても、されても、「悪気はないんだろう」と許して、「いつものことだから」と、水に流してきました。

随分上から目線な口振りだと、自分でも思っています。被害者ぶっているけれど、そういう対応を選んだのは私自身なのです。そうすることによって、私は「古くからの友人を大切にする自分」「寛大な自分」という自己満足を手にすることを選んでいたのですから。

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人と人は、”ご縁”で結ばれていると思います。そして、その”縁の糸”は、太ければ太いほど、長ければ長いほど、切れにくいように思えます。

でも、それは切れ「にくい」だけで、切れ「ない」わけではありません。

細い糸・太い糸・長い糸・短い糸。”ご縁”の状態は様々だけれど、重要なのはつながっているかどうか。更に言えば、お互いがつながっていたいと思っているかどうかなのではないでしょうか。

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1つ目の出来事は、長くて太い(と思っていた)”縁の糸”が、細くなった出来事でした。

極めて細いけれど、まだ辛うじてつながっていて、今はその糸をどうしたいのか、見つめている最中です。私と相手がまた”太くしたい”と思うならば、きっとまた太くなるのだと思います。

2つ目の出来事は、細い糸が太くなった出来事でした。

と同時に、”縁の長さ”に縛られていた私に、時間は関係ないのだと教えてくれた出来事でした。”縁”を育むには、意思と、相手に対する思いやり、そして優しさが必要だという当たり前のことを、思い出させてくれました。

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「絶対に切れない縁」なんて、ありません。でも、「絶対」がないからこそ、お互いに思いやって、お互いを、そしてお互いを結ぶ”縁の糸”を、大切にするのだと思います。そんな当たり前のことを、私はずっと忘れていたようです。

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今回はいつにも増して抽象的かつまとまらない文章でしたね。すいません。

次回はもう少し明るい話題で書きたいです。

それでは、また。

早め早めとお手紙。

こんにちは、あこです。

昨日、誕生日を迎えました。21歳です。20歳になった時よりも、”あぁもう大人なんだ”という想いや焦りを強く感じています。21歳という年齢のみならず、”大学3年生”という立場が、今の私に重く重くのしかかっているように思います。

委員会や授業(学業)への向き合い方、アルバイト先でのあり方、将来のありたい姿。

理想の自分があまりに遠すぎて、もはや理想が何だったのかすら見えなくなって、どうしたら良いのかわからなくなってしまいました。元々の少々思い詰めやすい性格も相まって、ここ最近は何となく気持ちが落ち着きません。

近所や目白周辺を散策したり、本を読んだり、好きなもの(最近は焼き菓子。特にレモンケーキにどハマりしています。)を買ったり、気分転換をしながら、少しずつ進んでいきたいと思います。

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1ヶ月ほど前から、友人と手紙のやり取りをしています。

きっかけは、友人(以下Nさん)が美術館のポストカードを送ってくれたことでした。

「ポストカード送ったよ」

と事前に言われていたので、ポストカードに文章を書いて送ったのかと思いきや、文章を書いた便箋と、何も書いていないポストカードが封筒に入れられて届きました。

「ポストカード送った」ってそういうことだったのね…!?

驚きましたが、嬉しかったです。

ーーーーー

そんなこんなで、Nさんから送られてきた「ポストカード」に、私が返事をする形で、Nさんとの手紙のやりとりが始まりました。最初は美術館で買ったポストカードに書いて返事をしたものの、だんだん書きたいことが増えてきて、最新のお手紙は便箋3枚にびっちり書いて送りました。

Nさんの万年筆に対抗しようと筆ペンで書いたのですが、平安貴族たちのような優雅なお手紙ではなく、”果たし状”のような荒々しいお手紙になってしまいましたが…(汗)筆ペンは、字の下手さが際立ってしまって困ります。でも楽しかったから、また筆ペンで書こ〜っと。

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手紙のやりとりを続けていて思ったのは、手紙は「書きたくなる」ということです。

先ほど私は「便箋3枚にびっちり書いた」と言いましたが、これはLINEではほとんどありえないことです。なぜなら、(もしかしたら私だけかもしれませんが、)LINEでのやりとりは途中で指が疲れてしまうし、LINEで長文を送ると何となく”ガチ”っぽくて恥ずかしいからです。

でも、手紙は違います。もちろん文字を書き続けると指は疲れるけれど、手紙を書き始めると書きたいことがたくさん浮かんできて、どんどん「書きたくなる」のです。

手紙は、すぐには届きません。送るためには住所や宛名を書かなければなりません。切手代もかかります。書いてから送るまで、LINEには必要のない”時間”と”手間”と”お金”がかかるのです。

でも、相手の字で書かれた相手の文章はLINEよりもずっと”その人らしい”し、

「返事送ったよ〜」

と言われてから届くまでの間、今か今かと手紙を待つ日々はワクワクして楽しいです。

こういう時間の使い方は、忘れていました。

「急いでやらなくちゃ。」「早めにやらなくちゃ。」「すぐに取り掛からなくちゃ。」

“早め早め”が美徳とされ、私自身”早め早め”は意識して生きてきました。もちろん、言われたことや頼まれたことはすぐにやるべきだし、”早め早め”の行動が未来の自分の負担を軽くしてくれることも、痛いほど知っています。

でも、たまには、「返事送ったよ〜」から4日ほど経たないと届かない手紙を待って、時間が空いた時に返事を書いて、「お返事送ったから待っててね〜」のような、”早くない”時間を過ごすのも悪くないなと思います。

なんて事のないゆる〜いやりとりだけど、今の自分を支えてくれて、今の自分に「ワクワク」を感じさせてくれているのは間違いなくNさんのお手紙です。

多分Nさんはこのブログのことを知らないと思うけれど、ひっそり感謝したいと思います。

Nさんいつもありがとう。手紙のお返事、待ってるよ!

それでは、また。

山賊と料理。

こんにちは、あこです。

もうすぐ春休みも終わりですね。昨年は長すぎる休暇に苦しめられましたが(私は長い自由時間が苦手です…汗)、今年は静かに、でもしっかりと日々を過ごすことができました。

家族や祖父母たちとの時間、友人たちとの時間、そして自分だけの時間。上手く言えないけれど、自分が「どうやって生きたいのか」や「どうやって日々を過ごしたいのか」が、この春休みを通じて、ちょっとだけ分かったような気がします。でもまだ纏まらないので、今回のブログには書けません!!!(笑)

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最近、「変わったね」と母に言われました。

何が変わったのか。食の好みです。(また食の話…!!!)

以前の私は、フルーツサンドに見向きもしなかったし(←生クリームが苦手だからです。)、母が作ったお菓子もさほど食べなかったし、料理やお菓子作りも全く興味がありませんでした。

でも、最近はフルーツサンドを買ったりマドレーヌを母に作ってもらったりお菓子作りをしたりと、確かに「変わって」います。コーヒーも、いつの間にか飲めるようになりました。

食の好みが変わった理由はわからないけれど、料理やお菓子作りを始めたきっかけの一つは分かるような気がします。それは、母の味はインターネットやレシピ帳で調べても出てこないということに気づいたことです。

いつものことながら、「え、今更???」な話ですよね。すいません(汗)

でも、本当にそうなんです。今まで料理なんて全く興味なかったし、「やんなきゃいけなくなったらレシピ本とかネット見ればできるっしょ」と思っていました。でも、私の”好きな味”・”食べたい味”はそれらには載っていないんですよね。簡単で美味しい作り方はたくさん載っているけれど、”いつもの、これまで食べてきた味”は載っていないんです。

そのことに気がついた時、私は初めて焦りました。

(「大学を卒業したらすぐに家を出よう」と思っていたわけではないけれど、)”いつもの料理”を食べられるのはあと少しなのかもしれない。いつか自分が作る料理は、”いつもの味”ではないのかもしれない。自分が”好きな味”を作り出せないまま、料理することになるのかもしれない。

今がタイミングだと思いました。

というよりも、適度なやる気と時間があって、これまでほど料理に対する抵抗がない今しかないような気がしました。

そんなこんなで、春休みはちょっとだけ料理をしました。母に「さすが山賊。」(←最近の私のあだ名(?)です。大雑把、というか雑な行動が多いので名付けられました…)と嫌味を言われながら、ちょっとした料理やお菓子を作っています。

料理やお菓子作りをしてみて分かったのは、作るだけが料理じゃないということです。私はよく「片付けまでが料理です。」と母に怒られていたのですが、その意味がやっと分かりました。

食材を買って、家まで運んで、下処理をして、作って、盛り付けて、片付ける。

料理ができるまでには、”作る”時間の何倍もの時間と手間がかかっていたのです。

もちろん食材は買わないと手に入らないということも、食事をしたら片付けが必要なことも知っていました。だけれど、私が一瞬で食べる料理は、たくさんの時間と手間がかかっているということを”分かって”はいませんでした。

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料理は、案外楽しいです。誰かに食べてもらって、美味しいって言ってもらえると嬉しいです。でも時々しか料理しない私でさえ、誰かのために料理をすることに、”虚しさ”に近い感情を感じることがあります。

重い食材を家まで運んで、みんなが食べやすいように下準備をして作った料理が一瞬で消える。

「美味しい」などといった反応があれば別だけど、無反応だったり不機嫌な顔で食べているのをみると、「何のために作ったんだろう」と思ってしまいます。

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私自身、料理に無反応(ひどいときは文句を言う)だったことや、不機嫌な態度で食事をとったことはたくさんありました。その時は、学校で嫌なことがあったり、やらなくてはならないことに追われていたりして、余裕がなかったのだと思います。でも、逆に言えば、学校で嫌なことがあっても絶対に料理は出てくるし、食事の準備はしなくて良いから、やらなくてはならないことだけに追われていればよかったのです。それはきっと、私にとっては幸せなことで、料理を作った人(=母)にとっては悲しいことだったに違いありません。

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私が春休みにやったことは”母親の味を受け継ぐ”というほど大袈裟なほどではないし、正直そこまで熱心に取り組んではいません。でも、料理の作り方を知るのは楽しいし、実際に料理が完成すると嬉しいです。それに、(ちょっとだけど)料理をし始めたことで、お店で売っているお菓子やレストランでの食事も一層楽しくなりました。料理そのものだけでなく、お店の雰囲気や一緒に食事をする人、その人との会話も大事なんだなと改めて感じています。

まだまだ料理初心者ですが、これからもゆる〜く続けていきたいです。

それでは、また。

後悔の選択肢。

こんにちは、あこです。

最近、12時頃に目が覚めます。ええ、お昼の。目覚まし時計を3回セットしたこともありました。それでも、ダメ。起きたら、お昼なんです。

一番怖いのは、夜更かしをしているわけではないということ。”早寝遅起き”状態です。つまり、ただただたくさん寝ているってことです。2月8日に2,3年ぶりの5時起きをしたのですが、その次の日から12時起きが続いています。そろそろ7時に起きたいです。切実に…

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3日後の2月23日は、曽祖母の命日です。昨年の2月23日に、彼女は98歳で亡くなりました。そのことは3月のブログでも書いたけれど、今回も少しだけ触れさせてもらいたいと思います。

以前書いたように、私の曽祖母はパワフルな人でした。もちろん、彼女も人間なので体の「老化」は訪れていましたが、そういった姿を私があまり”見ていない”というのもあって、私の中の彼女は昔のままです。それは、私が彼女の「老化」と”向き合わなかった”ことの表れだとも言えるでしょう。否定は、できません。だけど、私には、できませんでした。

先日、ブログでお祖父様の話をしている方がいらっしゃいました。そして彼女のブログの中に、「亡くなってから、もっとこうしておけばよかったという後悔はなかった」という一文がありました。その文章を読んだ時、私は自分が後悔していないことに、そして後悔という発想がなかったことに気づいて、困惑しました。なんて言ったらいいのかわからないし、なぜかはわからないけど、「後悔」の2文字が、頭から離れなくなりました。

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曽祖母は祖父母と住んでいたから、祖父母の家に行けば曽祖母がいた。曽祖母と祖父母と私の母は母が結婚するまで一緒に暮らしていたから、彼らは元々”家族”だった。曽祖母と祖母と母、そして私という4世代のつながりが見えた。”曽祖母と曾孫”の関係だったし、彼女の曾孫は8人いたけれど、曽祖母から私まで一本の線になっているような気がしていた。だから、思入れもあった。でも、彼女の晩年はあまり会いにいかなかった。曽祖母は好きだったけど、そうじゃ無くなるのが、怖かったから。そういう感情になるかもしれない自分を認めたくなかったから。それなのに、”後悔”なんて考えなかった。

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こういう言い方をすると、私が後悔したがっているのだと思われる方もいらっしゃるかもしれません。でも、そうでは無いんです。後悔していないことに安堵しているわけでも、後悔しなかったことを後悔しているわけでも、無いんです。ただ、後悔という”選択肢”がなかった。後悔しなかったことと、後悔という”選択肢”がないことは、同じなようで、ちょっとだけ違うのではないでしょうか。

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人の「死」を意識するのは、人生で2回目でした。1度目は、小学校3年生の時。

私には歳の近い弟がいますが、彼は私が幼稚園生の時から入退院や手術を繰り返していました。でも私にとっては単なる弟だったし、「病気だからかわいそう」とか「病気だから優しくしなきゃ」とかなんて思ったことは、全くなかった。むしろ「ちょっと体が弱いからってチヤホヤされよって」「何がかわいそうなんだ」「ずっと母親を独り占めするなんてズルイじゃないか」と、被害妄想と嫉妬と羨望とよくわからない悔しさとでいっぱいでした。

それでも、私が小学3年生の時、弟は大きな手術をすることになりました。まだ9歳とは言え、幼稚園生よりは成長していたので、私も少しだけ大人で(←多分…)、それまでとはちょっとだけ違う感情だったのを覚えています。「死ぬかもしれない」なんてはっきりとしたことは思わなかったし、「死」がどういうものなのかなんて、全然わからなかった。でも、「死んじゃえ」とか「死ね」という言葉は誰に対しても言ってはいけない言葉だということは、知っていました。「死」はわからなくても、「死」を「し」と捉えることはできるくらいの年齢ではあったと思います。

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弟が手術を受ける前に、彼のメッセージを吹き込んだボイスレコーダーを弟の担任の先生に持って行った。その中に、「レモン味のカンチョウが〜」というフレーズがあった。私が事前に聞いた時には、「なんでやねん」と突っ込みながら笑ったけれど、弟の先生は終始神妙な面持ちで、「レモン味のカンチョウ」にも全く笑っていなかった。ただ、椅子に座って、なんとも言えない表情で、ボイスレコーダーから流れる弟の声を聞いていた。なぜか哀しくて、寂しかった。

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もちろん、私は弟のことを心配していなかった訳ではありませんでした。手術が失敗すると思っていた訳でもありません。でも、成功すると信じていた訳でもないし、「なるようになるさ」と思っていた訳でもありませんでした。松任谷由実の「守ってあげたい」の歌を1人父の部屋で聴いてみたり、手術の日は弟の服(確かパーカー)をこっそり着て登校してみたりしたこともありました。でも、そういう「行動」は思い出せるけど、当時の「感情」や「想い」は思い出せません。当時どんな想いだったのか、なぜそういう行動をしたのかは、全く覚えていないのです。

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先のブログを読んだ時、曽祖母が亡くなった時には全く思い出さなかった小学3年生の時の記憶が、ふっと甦ってきました。”後悔”という2文字によって、二つの事柄が、ふわっと、でも確実に手繰り寄せられました。その理由は、わかりません。もしかしたら、覚えていない当時の感情は、曽祖母を亡くした時の感情に似ていたのかもしれません。そしてそれは”後悔”がキーワードなのかもしれません。曽祖母と弟は性別も年齢も状況も(結果も)違うけれど、潜在的な”何か”や”共通点”があるのかもしれません。

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人は生まれたら絶対に死ぬということは、今も昔もわかっています。年齢を重ねた先には死があり、病気や手術はいつでも”死”と隣り合わせであるということも。そしてそれは当然私も同じであり、だからこそ”後悔のないように”生きようと思っています。でも、”後悔”を意識する一方で、その中身/内容は、よくわかっていません。何をしたら後悔するのか、何をしなかったら後悔するのかは、私は日々意識していません。

私は、「ちゃんと生きる」とか「悔いの残らないように」という言葉を使いがちです。意識して使っている訳ではないし、「ちゃんと生きる」ってどんな生き方よって、自分でも思っています。だけど、後悔を恐れている一方で、もし明日自分が死んだとしても、もし明日誰か親しい人が亡くなったとしても、後悔という選択肢は、ないと思います。もちろんすごく悲しいし、受け入れられないと思うけど、そういう選択肢はないから、後悔はしないと思います。

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「誰もみていなくてもお天道様は見ているからね。」の「お天道様」のような、「神様はなんだって知っているよ。」の「神様」のような。私にとって”後悔”はそういう存在です。見ているけど、見ていない。知っているけど、知らない。あるけど、ない。

「それはあこが若いからだよ」とか、「結局「こうしたい」って思ったことを全部叶えてきたんじゃないの」とか、「後悔しないこととなんら変わりはないじゃないか」と、言われるかもしれません。そして、それはその通りなのかもしれません。

あるけど、ないけど、やっぱりあるのかもしれない。でもやっぱり、ないのかもしれない。

今の私には、それで十分です。

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今日はいつも以上にまとまりませんでした。きっと、私の中で消化できていない”何か”が、まだあるのだと思います。でも今は、これ以上は、もう無理です。ごめんなさい。

それでは、また。

追いかける。

こんにちは、あこです。

最近、ツムツムを始めました。

多分すごく有名なので(?)説明はしませんが、平和でかわいいゲームですよね。何年か振りにアプリを入れたのですが、すっかりハマってしまいました。飽きるまで楽しみたいと思います。

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私事ですが、テスト・課題が終わりました。嬉しいけれど、次に授業を受ける自分は3年生だと思うと恐ろしいです。知識量、表現力、リーダーシップ……何を取っても、1年生の時に見た3年生のようになれる気がしません。思えば、中学でも高校でもそうでした。委員会にしても、部活にしても、3年生の姿を見て、「かっこいいな」「すごいな」「ああなりたいな」って思うんです。2年後、ああなれるように頑張ろうって思うんです。でも、なれない。追いかけているうちに自分が3年生になって、卒業して、また1年生になって、3年生に出会って、また追いかけて。その繰り返しです。もしかしたら先輩たちもそうだったのかもしれません。

追いつきたいけど、追いつけない。

そんな人たちに出会えることも、幸せなんだと思います。追いつけないからこそ先輩なのであって、追いつけちゃったら悲しいです。それに、すぐに追いつく先輩ばかりの環境なんて、それはそれで嫌です。追いかけて追いかけて、それでも追いつけなくて、「やっぱりすごいな」「やっぱりかっこいいな」って思いたい。そして、欲を言えば、全力で追いかけて、「追いつきそうで追いつけない」くらいの距離まで近づきたい。

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塾でのアルバイトも、4ヶ月目を迎えました。教え子(?)一期生たちは2月に本番を迎えます。私が生徒だった頃の”先生”はあまりに遠すぎて、追いかけても追いかけても姿さえ見えません。それでも、生徒たちが”先生”として見ているのは、私です。彼らにとっての”先生”は私だから、全力で”先生”にならないといけない。お給料をもらって、”先生”を名乗っているのは、自分なのですから。

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2年前に大学生になり、1年前に20歳を迎え、4月からは3年生になります。そして、新しい”後輩”たちとも出会うことになるでしょう。少しずつ、でも着々と、”先輩”の立場が近づいています。私の”先輩”たちは引退・卒業を迎え、新しい”後輩”は私と出会います。本当は、私の”先輩”に会ってほしい。私の”先輩”の”後輩”に、なってほしいです。でも、それは叶いません。”先輩”自体を”後輩”たちにつなぐことはできないんです。

私は”先輩”を今も追いかけています。正直、全くもって追いついていません。でも、私がダメダメだったら、私の姿を見た”後輩”たちに「こんなあこが追いかける先輩なんて大したことない。」って思われてしまうかもしれない。塾の生徒たちだって、「こんな”先生”がいる塾なんて。」って思ってしまうかもしれない。それだけは、どうしても、避けたいんです。

追いかけたいって思える先輩がいる所です。

追いかけることを許してくれる先輩がいる所です。

全力で追いかけても追いつけない先輩がいる所です。

私は、日女の、日文の、そういう所が好きです。そういう人に出会えて、幸せです。未来の”後輩”さんたちに「期待はずれだった」と思われないように、全力で頑張ります。全力で、追いかけます。”先輩”自体は繋げないけど、「追いかけたい」っていう気持ちを、ちょっとでも良いから繋げたい。そう思っています。

3年生まであと2ヶ月。やるべきこととやりたいことにしっかり向き合いながら、過ごしていきたいと思います。

それでは、また。

出会い未満。

こんにちは、あこです。

今週の月曜日は成人の日でしたね。地元や出身校の成人式に行かれた方もいらっしゃるのではないでしょうか。私は家の事情で成人式には出られなかったのですが、友人がビデオ通話を繋いだ状態で会場を案内してくれたので、十分雰囲気を味わうことができました(笑) 実際に行きたかったという気持ちが全く無いと言ったら嘘になるけれど、ビデオ通話だからこそ話せた人やできたこともあると思うので悔いはないです。友人たちのおかげで、素敵な成人の日になりました。

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今回は、”出会い”について話をしたいと思います。

先述の通り、私は出身校の成人式にオンラインで参加していたのですが、友人と繋いだスマホを通じて感じたのは”出会い未満の出会い”がいかに大切で、幸せなことであるかということでした。

“出会い”と言うと、友人や先生、パートナーなどの比較的親しい間柄の「人」や、雷に打たれたような衝撃・影響を受けた「もの」との”出会い”を連想すると思います。私もその一人で、「あの時あの人に出会えてよかった」「あの時のあの言葉が人生を変えたような気がする」「この出会いを大切にしたい」と思うことはそれなりにありました。わかりやすい表現ができなくて申し訳ないですが、「認識している”出会い”」とでも言いましょうか。

あの時、あの人に出会った。

あの時、あの言葉に出会った。

そのおかげで、今の自分がいる。

そう思うような、「自覚している”出会い”」です。それらは、「運命」と言い換えることもできるかもしれません。出会えたことに感謝し、これからも大切にしたいと思うような”出会い”です。そんな”出会い”がたくさんあった私の二十年間は、本当に幸せだったと思います。

ですが、「自覚している”出会い”」というのは、無数の「自覚していない”出会い”」の上に成り立っています。例えば、クラス替えをしてできた友人がいたら、その人との”出会い”は”出会い”として認識されますが、それ以外のクラスメイトたちとの”出会い”は”出会い”としてカウントされないと思います。同じ年に同じ国に生まれ、100万人以上いる2001年生まれの中から出会った数百人・数十人なのに、彼らとの”出会い”については無関心・無自覚なのです。

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友人がビデオを繋いで会場を案内してくれている時、ビデオ通話に気づいた数人の知り合いが声をかけてくれました。(「友人」の定義は人それぞれですし、私自身も明確な区別はありません。ここではわかりやすくするために「定期的に連絡を取る、または実際に遊びに行ったことがある」人を「友人」、そうではないが面識・交流がある人を「知り合い」とさせていただきます。)

「久しぶり。」「元気だった?」「振袖似合ってるね。」「変わってないね。」「またね。」「元気でね。」

一瞬の会話でしたし、思い出話に花が咲いたわけでもありません。ありきたりで、短い会話でした。でも、そんな挨拶みたいな会話でも、とても嬉しかったのです。

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中学時代の同級生、高校時代の同級生や部活動の同輩、友達の友達、一方的に知っている人、一方的に知られている人。

自覚していなかった”出会い”はこんなにもあったのかと、思いました。特別に親しい間柄でなくても、定期的に連絡を取っていなくても、彼らとは”出会って”いたのです。”出会って”いたから私は彼らのことを知っていて、彼らも私のことを知っているのです。”出会って”いるから、覚えているのです。”出会って”いるから、ありきたりな短い会話が、幸せな、大切な思い出へ変わるのです。

当たり前のことだと思います。私だって、彼らのことを出会っていなかったものとしていたわけではありません。ですが、彼らとの”出会い”は言わば「出会い未満の”出会い”」で、「自覚している”出会い”」ではなかったのです。

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学科・学部・学校が異なるほど、偶然の再会は起こりにくいです。今回スマホ越しに話した知り合いたちも、もしかしたら今後会うことはないかもしれません。ですが、決して再会しないとも言い切れない。一度”出会って”いるということは、そういうことなのだと思います。それに、再会が”出会い”となって、そこから関係が深まることもあり得るのではないでしょうか。

同窓会や成人式というのは、当時の「友人」たちに”再会”できる場です。ですが、それ以上に、”出会い未満の出会い”の存在を私たちに教えてくれ、その大切さやありがたさを感じさせてくれる場でもあるのだと思います。

大切な人や大切なものとの”出会い”はもちろん感謝すべきでしょう。しかし、私たちはそれ以上に多くの人・ものと”出会って”います。これまでの”出会い”と”出会い未満の出会い”に感謝し、彼らと”出会えた”幸せを噛み締めながら、これからもたくさんの人と”出会い”たいと思います。

それでは、また。

煌めく。

こんにちは、あこです。

最近、メモをとるようになりました。

え、メモってあのメモ???って思った方もいるかもしれません。

ええ、あのメモです。出来事とか覚えておきたいことを書き留める、あのメモです。

きっかけは、井垣利英さんの『なりたい女(じぶん)になる力ー出会いたい人、望む未来を引き寄せるー』という本を読んだことでした。読んでいく中で「いい言葉だな」「なるほど」「覚えておこう」と思ったことは何度もあったのですが、記憶力が悪いのですっかり忘れてしまいました。(本当に反省。今度読み直します。)

ですが読み終えた後の「今、行動しなくては!!!」という強い想いというか焦燥感はよく覚えていて、その翌日にはノートを買いに行きました。(ちなみにノートはアピカのPersonalノート・B6サイズです。持ち運びしやすいのでおすすめです!)

なぜノートを買うことが行動に当たるのか。感覚的かつ衝動的に動いてしまったのであまり覚えていないのですが、思うに、当時の私は自分のやりたいことややるべきことを”言語化”・”見える化”しようと思ったのだと思います。

テレビや雑誌などをみていた時に「この本・映画素敵だな」と思ったり、ふとした時に「〇〇を勉強したい・しなくては」と思ったりすることは、皆さんもあると思います。その時にすぐに行動すれば良いのですが、私の場合は「後で詳しく調べよう」とか「後でゆっくり考えよう」と思ってしまって、そのまま忘れてしまうのです。時間的なゆとりができた時にはもう思い出せなくて、「しょうがない。忘れてしまうくらいだから大したことではなかったんだろう」と自分を慰めて、なかったことにしてしまうのが常でした。

日常の中で浮かんでくる”やりたいこと”や”やるべきこと”はたくさんあるはずなのに、実際に「行動」するものはごくごくわずかであることに、薄々気付いていました。そんな時に井垣さんの本を読んだため「このままじゃダメだ」という強い焦燥感に襲われたのです。

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そんなこんなでノートを買い、日々の小さな決意や希望、出来事や印象に残った言葉などを書き留めるようになりました。用途を限定せずメモとしても使っているので「なんでも帳」と呼ぶのが相応しいかもしれません。体裁やペンなどにこだわると、後々縛られて辞めたくなるので、その時にある文具で、その時に書ける文字の綺麗さで書くようにしています。制約をなくすと負担も減るので、1日に1ページほどのペースで現在まで続いています。

メモをするようになって気付いたのは、私は意外と色んなものに興味があるんだなってことです。私はこれといった趣味もなく、「好奇心旺盛」の真反対にいるような人間だと思ってきました。ですが、メモを振り返ると美術館や画家、落語や宇宙などに関する記述もあって、案外色々なものに興味を持っているんだなと思いました。

また、メモを見返すと「同じ日なんてない」ということを強く感じます。

課題をして、授業を受けて、アルバイトへ行って、ドラマを観て。

月、火、水、木、金、土、日。

変わり映えのない毎日を送っていると思っていました。特段人に話すような面白いことは起きないけれど、ちょっぴりつまらないけれど、平和で、静かで、それなりに幸せな日々を送っている。そう思っていました。

ですが、メモを振り返ると、同じことが起こった日なんてないのです。ある日は父が家の鍵を失くしてみんなで家の中を探し、ある日は祖母に通学路の写真を送り、ある日はバイト先の生徒たちと話が盛り上がって楽しい時間を過ごし。

なんてことのない出来事だと思います。また父が鍵を失くすかもしれないし、祖父母に通学路の写真を送ることもあるでしょう。生徒たちと楽しい時間を過ごすことだってあると思います。

ですが、「その時」「その瞬間」と同じ状況は2度と起きないのです。その時に感じた気持ちやその時に見た笑顔はその時にしか感じられない・見ることができないものなのです。

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ノートにメモを書く習慣が身についてから人生がガラリと変わったり急に好転したりしたのかと聞かれたら、答えはNOです。相変わらず私は日々を淡々と生きているし、アクティブな人間に生まれ変わったわけでもありません。しかし、このメモのおかげで、先日学校へ行った際にはセザンヌの本を借りることができました。絵には全く詳しくないけれど、学びたい・知りたいと思った”跡”があったので、まずは1冊借りてみました。また、メモに残されていた曲を調べてみました。公式YouTubeで曲を聞くと、心に沁みて涙が出そうになりました。とても素敵な曲でした。

小さなことだけれど、これらはノートに書かれていなければ”なかった””出会えなかった”物事です。記録に残されていたからできた・出会えたものたちです。

同じ日なんて、ない。

わかっていたけれどわかっていなかったことが、ノートに書き留めるようになってからはちょっとだけわかるようになりました。日々の中で”やりたい””やってみたい”と思ったことは想像以上に多く、すぐに始められるものも少なくないということも、知りました。

「書き留める」だけで何もかも上手くいくとは思いません。でも、書くことによって初めて見えてくるものや実現できるものがあるのも事実だと思います。忘れないこと、意識することによって日々の煌めきは何倍にもなるのではないでしょうか。

あなたにとって今日はどんな日でしたか?どんなことがありましたか?

忘れないように、煌めきが増えるように、明日からもメモを取り続けていきたいです。

それでは、また。

誇りに思う。

こんにちは、あこです。

今日、ホットケーキを食べました。某雑誌の付録である「村上隆 お花パンケーキパン Ⅱ」を使って焼いたのですが、フラワーの焼印がとにかく可愛い…!!!サイズ感も重さもちょうど良くて、最高でした。

実は今までぬいぐるみとかキャラクターとか、いわゆる”かわいい”ものにほとんど興味がなかったのですが、最近は”かわいい”を求めている自分がいます。ホワイトタイガーのぬいぐるみとか、おさるのジョージのガラガラとか、めちゃめちゃ可愛いんですよね。お店で見かけると吸い寄せられるようにグッズエリアへ向かってしまいます(笑)特にBON TON TOYSのミッフィーのぬいぐるみが可愛くて可愛くて。いつか買ってしまいそうです。

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今回は、私が毎月楽しみにしていることについて話をしたいと思います。私の毎月の”楽しみ”とはズバリ、母と近所のイタリアンレストランへ行くことです。ずっとブログを読んでくださっている方はお気づきかもしれません。文明堂の3時のおやつあんぱんに始まり、デパ地下、和菓子の本、思い出の味、そして今回。食の話ばかりですね。(しかもさっきホットーケーキの話をしたばかり…汗)自分でもちょっと引いていますが、気がつかなかったことにして話を進めます。

毎月の”楽しみ”と言いましたが、このお店に通い始めたのは今年の4月からです。コロナの勢いが少し収まり、母との生活も2年目に差し掛かった頃、「久しぶりにランチ行かない??」という話になったのがきっかけだったと思います。あまり遠出はしたくない。でも外食するなら美味しいものが食べたい。(←食に妥協しない姿勢は母譲りだと思います。)インターネットで近所のお店を片っ端から調べ、営業時間やその日の気分、お店の雰囲気など色々見ながらこのお店に決めました。

そして当日。久しぶりの外食で、楽しみ7割、「どうせ地元だし」というひねくれた気持ち3割でお店に向かいました。お店は駅から数分の静かな住宅街に位置しており、こんな所にこんなお店が!?と驚きました(笑)店内はそんなに広くないですが、カウンターやソファー、テーブル席があり、落ち着いていて素敵な雰囲気でした。

「素敵な所だね〜」「こんなお店があるなんて知らなかったね〜」

と呑気に話していたのですが、最初に運ばれてきたスープを飲んで「!?!?」となりました。本当においしいものに出会った時って言葉が出ないんですね。美味しすぎて「え、おいしすぎない…???」「え、なんで…???」「おかしくない…???」みたいな謎の混乱に陥りました。続いて運ばれてきた4種のデリとサラダ、パスタ、そしてドルチェ。どれもこれも想像を超えたおいしさで、食べ終わった後は余韻に浸りまくり。「これは来月も来ないと。」という使命感まで感じながらお店を後にしました。

そんなこんなで通い始めて7ヶ月目になります。毎月行っても毎回想像と期待を超えたおいしさで、もう本当に好きです。私の地元がバレてしまうのでお店の名前は書けないですが、近所に住んでいる方がいたらぜひ行って欲しいなと思います。

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新型コロナウイルスが流行してから、私は地元に目を向けるようになりました。近所をぶらぶらと散歩したり、知らない道を歩いてみたり(←極度の方向音痴なので命懸けです。)地元の施設や歴史館へ行ってみたり、今回のように地元のお店を調べてみたり。今更ながら、地元を知りたいと思うようになりました。

中学受験をして本校へ入学した時、私は地元が嫌で嫌で仕方ありませんでした。23区に住んでいないこと、皆が乗る新宿行きの電車で1人途中下車しないといけないこと、近所には駅が1つしかなくて、その最寄駅も各停しか停まらないこと。細かいことですし、今思えば別に大したことないのですけれど、当時はその全てが嫌で、地元は誇りに思うどころか恥ずかしくて恥ずかしくて仕方ありませんでした。

「どうしてこんな所に住んでいるんだ」「こんな所に住んでいるなんて恥ずかしい」「都心に引っ越したい」

何度そう思ったことでしょう。何度母に言ったことでしょう。そう言って、何度母や父を傷つけたことでしょう。

だけれど、7年前には嫌で嫌で仕方なかった地元を、今の私は知りたいと思っています。昔通った通学路や小学校、遠足や課外学習で訪れた地元の森林公園や河原。懐かしさや寂しさなど、色々な感情が心を通り過ぎてゆくのを感じながら、歩いています。そしてあんなに嫌で出ていきたいとまで思った地元を、愛しつつあります。

勝手なことです。きっと、本当は、コロナの流行は関係ないのだと思います。20歳になり、自分自身や将来を考える中で、自分の過去というか、自分の生きてきた道を振り返りたくなったのでしょう。そして振り返った時、地元を愛したかった・誇りに思いたかった自分に気がついたのだと思います。

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自分の地元を大事に思うということ、自分の出身校を誇りに思うということ、そして自分の家族や友人を愛するということ。別々のようだけれど、きっと全てが繋がっていて、どれもが自分を受け入れたり自分に自信を持ったりするために必要なことなんだと思います。生まれ育った環境を受け入れ、その環境に感謝して初めて、自分自身と向き合ったと言えるのではないでしょうか。

中学・高校を経て、私はそれなりに自分自身を受け入れられていると思っていました。他人と比べて、自分を卑下して、「どんなに頑張ったって意味がないんだ。」「才能やセンス、経済力が全てなんだ。」と、他人のせいにする自分はもういないと。だけれど、「地元」に関しては、向き合い損ねていました。当時ほど地元を恥ずかしく思う気持ちはないけれども、誇りに思うことも特別に大事に思うこともありませんでした。そしてそのまま生きようとしていた。もしかしたら一生地元と向き合うことなく、この町から出ていたかもしれません。それを見兼ねた神様が、ラストチャンスをくれたのだと思います。チャンスを無駄にしないように、今の時間を大事にしながら、地元を知り、地元と向き合っていきたいです。

それでは、また。