想像の欠片、その名も「知識」

皆さんこんにちは。みちこです。

本記事の投稿日は4月1日。新たな学年の始まりの一日です。

進級した2年生以上の学生は本日、新学年のガイダンス日でした。いよいよですね。

私は春休み中、授業が始まってほしくてほしくて仕方がない、マイノリティー側の学生だったので、こうして新学期が始まってくれた(ようやっと授業が始まってくれる)ことに喜びしか感じておりません。

どうせまた大変だし、忙しいのでしょうが、それを差し引いたとしても好きなことを好きなだけ学べるこの感覚はそう長く味わえるものではないでしょう。しばらくはこの感覚に浸ることとします。

 

さて、本日のテーマは「想像と知識」としました。

これは前に書いた「発想の源」という記事に書いたもの(https://mcm-www.jwu.ac.jp/~nichibun/blog/index.php/2024/05/07/)とテーマ自体は似ていますが、観点は違います。この記事は「創作活動における」発想の源というつもりで書いています。

しかし今回は「鑑賞における気づき」という側面が大きいものとなっています。

前者が「アウトプット」だとするならば後者(今回の記事)は「インプット」により近い性質のものだと思って頂けると良いかな、と思います。

などと分かりにくそうなことを並べていても伝わりそうもないので、ご説明しますね。

 

先日、念願叶って能を鑑賞しました。我が学科の中世分野担当の石井倫子先生と、先生の授業を取っていた有志の生徒10数名と共に「武文」を鑑賞してきました。

「国立能楽堂」という東京は千駄ヶ谷にある能楽堂で鑑賞してきました!(あいにくの空模様でした…)

正直「これが能でいいのか!?」という感想を第一に抱きました。

皆さんは「能」というとどんなことをイメージされるでしょうか…?

おそらく大多数の人が「伝統芸能」という名ににじみ出る「お堅い」イメージを思い浮かべると思います。私もそうでした。(石井先生の講義を取って何度も「そうではない」のだと教えられたところで、やはり実物を見ないことにはそのイメージを完全に払しょくすることは出来ませんでしたし…)

では、何がそんなに私を驚かせたのか。

それは、「役者の演技」と「演出」の二つの要素だと私は思いました。

 

①役者の演技

鑑賞していて特に印象に残ったのは「舵取り」の演技でした。かなり現代劇風だったからです。「舵取り」は野村萬斎さんが演じていたのですが、まず登場時からかなり印象に残りました。

この役は登場時から「お調子者」というか「チョイ役」みたいな立ち位置だったのですが、それが私たちがイメージするそれらの役のイメージとピッタリ重なっているように感じました。

先述の通り、能は「お堅い」イメージがどうしても拭えないでしょうからその壁を取っ払って少しでも「親近感」を味わってもらうための「新演出」だったのだろうと思います。

にしてもあれだけオーバーな演技が演目の世界観と離れることもなかったというのは、間違いなく役者である野村萬斎さんの力量であるのだろうな、と(誠に勝手ながら)思いました。

②演出

「火つけ」の演出に特に驚きました!成人男性一人が両手で抱えるくらいの大きな松明(火の部分はおそらく糸か紙かを使用している)が出てきました。まるで現代劇のような形の小道具が能の世界から飛び出してきたことに驚きました!

しかもこの時の火付け役の演者の動きも、能舞台全体を使って「屋敷に火をつける」動きをしており、「新演出」と銘打っているだけあるな…と思いました!

 

「能ってこんなに現代チックでもいいんだ…!」という驚きと共に私は囃子、いわゆる「バックミュージック」にも注目しながら見ていました。

さて、ここからが本題です。(←遅っ!)

演目が始まる冒頭部分、けたたましく鳴る笛の音とともに「武文」は幕を開けました。

この部分は「夜」の部分であるという注釈がついていましたが、夜の殺伐とした雰囲気を開幕の笛の音、小鼓や太鼓(そして打者の声)で表現するというのは中々に想像力が広がる演出をしたな、と思いました。

(ここからは完全に個人の感覚の話になるので、全く共感できない人もいるかとは思いますが、ご容赦下さい。)

開幕の笛は夜に活動を始めるような、鳥の中でも獰猛な部類の鳥の鳴き声であろうと想像しました。それらの動物たちが夜に活動を始め、反対に昼間に活動をして、夜に活動をしない動物たちはそれらの動物たちに狩られないよう、おびえながら夜を越すしかない。私はこんなイメージを抱きました。

(あるいはあれは、「木々が風にこすれて揺れる」音だったかも知れません…少なくとも、「これから起きる事件に対して不穏な要素を暗示するような開幕」であったとは感じました…。)

 

何を言いたいかというと、これは単に「想像力が豊か」という話では片づけられないのではないか、その背景にはその人が得てきたもの、すなわち「知識」があるのではないか、という話です。

これは授業で得た「能楽の知識」のみならず、「物語の知識(どのように展開しやすいか、このような演出がなされる時はこういう意図がある、など)」、あるいは「生物の行動習慣による知識」など様々な知識が「想像」の種となる。そう感じました。

もしかしたら私が「学ぶことが好き」なのも、こういう「想像の糧は知識だ」と無意識のうちに考えていたからかもしれません。最近、引退してしまったサークルの先輩に影響されて作曲の勉強をほんの少しかじっているくらいですから…。納得いくような曲はまだ作れていませんが、そのうち絶対に作ってやる…という思いで気長に学ぼうと思います。

 

さて。こんな話をされて誰が喜ぶのでしょうか(笑)いつにも増して着地点を決めずに書いているため、読みにくいところなどあると思いますが、ご容赦ください。

他にもブログ部員で同じ演目を見に行った方はいらっしゃったと思うので、ぜひ他の皆さんの感想も聞いてみたいところです。

といったところで今回は終わりにしたいと思います。

次回は何を書いているでしょうね…久々に息抜きに推しの話をしても怒られない…よね?

そのうち気が乗ったら書きます(笑)

それでは失礼いたします。最後までお読みいただき、ありがとうございました!

「自主ゼミ」という環境

皆さんこんにちは。みちこです。

さて。晴れて新入部員の方たちの投稿もスタートしましたね!

彼女たちにはこれからどんどん、個性を花開かせてほしいな、と(勝手に)願っております。

しかしこう見ると、私はまあまあ特殊なタイプであることを思い知らされます。ブログと一口に言っても何かを紹介する記事を書く人や、自分の体験したことを日記のように書く人もいます。ですが、私はそのどちらでもないのだなあ、と思います。しいて言うなら私は後者に近い気がしますが、自分の考えが先にくるあたり、自己主張強めなタイプなのだな、と思わずにはいられませんでした。

こんな近況トークは、最近お休み気味の春風のように吹き抜かせていきましょう。(ちなみに最近のマイブームは詩的な表現を普通の文章に混ぜることです。ひどくマニアックな趣味ですね(笑)

この記事でも少し意識して実践してみようかな…)

 

さて。今回は何を話そうかなと思ったのですが、上手いこと文章にまとめられる気がしないので、紹介系の記事を書こうと思います。

今回は、本学特有の「自主ゼミ」活動についてお話しようと思います。

実は私が数多ある文学部(日本文学を学ぶ学科・専攻)から本学に入学を決めたのはこの活動があったからだったりします。

まず、自主ゼミのすごいところは「1年生から入れる」ところです。

本学もそうですが、通常のゼミは3年生から始まることが多いです。つまり、どうしても興味がある分野があったとしても、上位学年になるまでその思いをくすぶり続けることになるのです。

その点、本学のような「自主ゼミ」というシステムがあると学年の制限がないので、自分の興味関心にすぐアプローチが出来る。そんな環境が本学にはあるのです。

「当人たちが選択するか否かにかかわらず環境が用意されている」というのは実は非常にありがたいことでして、かく言う「私も入学の決め手」と言っておきながら実際に自主ゼミに入ったのは2年生からのことです。

1年生の時点では「学びを深めたい分野」が明確に決まっていなかったこともあり、自主ゼミに入るまでの覚悟と熱意はなかったんです。(あとは、初めての大学生活にまだ慣れきっていなかったため、これ以上やることを増やしたくなかった、という消極的な理由もありました。)

それが1年生の後半(年が変わってからだったでしょうか…1月ごろだったと記憶しています)から急にどっぷり中古沼にハマってしまったものですから、大変でした(笑)

ほぼ先の大河ドラマ「光る君へ」の影響とはいえ、まさか高校の頃に少しひっかかっただけの「更級日記」への興味からここまでの熱意を持つ分野へ変わるとは思いませんでした。

 

無論入学当初から興味のある分野が決まっていて、早めにスタートダッシュを切りたいという新1年生は早々に自主ゼミに入ることもできます。こういう人は、「卒論まで視野に入れてるぞ」みたいな熱意と覚悟があるのでそれらを持った上で活動しています。少なくとも私からはそう見えます。

しかし私のような「授業を受ける中で興味を持った分野に関して、さらに知見を深めたい」という種類の人間も、自主ゼミは歓迎してくれます。(つまり、「途中参加大歓迎」ということです。)

 

そしてこの「途中参加大歓迎」というのも、学ぶ姿勢を崩さない上では重要な要素です。

実は私、ゼミは中世になることが決まっているのですが、このゼミとは別に3年生から中世の自主ゼミにも入りました。3年生から普通のゼミも始まるのに自主ゼミも同じ分野のものに入るの?と思ったそこのあなた。日文ではこういうこともできるんです。つまり、「一つの分野に関してさらに学びを深める」ということが。

(ちなみに、1年生の後半頃に興味を持ったあの時の選択を、私は全く後悔していません。確かに結果私は入学当初の選択肢には一ミリもなかった中世ゼミへと足を踏み入れることとなりました。しかし中古への興味がなければ、私の今の中世オタク気質は成立し得ないのです。

中世を学べば学ぶほど、中古時代の文学(源氏物語を筆頭とする物語文学や、蜻蛉日記などの日記文学)が中世文学を学ぶ上で欠かせない存在であることが分かります。これは中古文学への興味がなければ気付くことすらできなかったこと。だから全く後悔していません。むしろ過去の選択に感謝しているくらいです。)

 

さらに、この自主ゼミは複数入ることも可能です。つまり、分野を横断して学ぶことができます。つまり、今の私が中古と中世二つの自主ゼミに入っていることは、何ら問題のないことなんです。

分野の横断、というのは実はかなり学びの得られることでして。先に私が話した「中古への興味があったから中世への興味がある」という現象がまさにそれです。

 

総括いたしますと、日文の「自主ゼミ」という活動は「自分の興味関心の赴くまま、好きを深められる」のです。

学年を問わず先生と学生が一緒になって学びを深めていくこの場所は、間違いなくここの特徴であると思います。

何より私自身はこの自主ゼミという環境があったからこそ、自らの古典文学への興味を確固たるものにできました。そしてひいては「学ぶとはどういうことなのか」、それ自体を学ばせてもらった、とも感じています。

 

というくらいで、今回は終わろうかなと思います。

相変わらず紹介系の記事だというのに、ネタをもらっただけで全然自我大放出してますね(笑)

本当にこの自己主張の強さはどうにかならないものでしょうか…個性強すぎていつか絶対に痛い目を見る時が来そうな予感を察知しながら、ここらで失礼いたします。

次回は何を書いているんでしょうか。趣味でも語りたい話はあるのですが、当分は古典オタクっぷりを大放出させていそうな気もしますので、先になりそうですね(笑)

最後まで読んで頂きありがとうございました!

ないものねだり

皆さんこんにちは。みちこです。

前回は過去のブログ記事の振り返りをしました。去年は2月の後半から新入部員の更新が始まったので、この記事はブログ部2年目最初の記事ということになります。

ちなみに今年度は3月の前半から新入部員の更新が始まる予定なので、読者の皆さんは楽しみにしていてくださるとうれしいです。

私もどんな文章が紡がれていくのか楽しみにしています。

さて。今回は、私が最近考える機会の多いフレーズ・観念である「ないものねだり」について話していこうと思います。

「ないものねだり」だの、「隣の芝生は青く見える」だの、人という生き物は常に他人と自分を比較したがります。私にも覚えがありますし、皆さんにも何かしら当てはまるところがあるのではないでしょうか。

今回は、この「人と比較する」という人間の性とどう向き合っていくかということについてお話していこうと思います。

 

結論から言うと、私は、この「人と比較する」ということが悪いことだとは思っていません。むしろ仕方のないことだよな、と思っています。

この社会はあまりにも「人と比較する」という構造が自然に組み込まれてしまっていますから。むしろ、我々は常に競争し、比較することをこの社会で求められ続けているといっても過言ではない。

受験だの、定期テストだの、企業の成長だの、この社会はありとあらゆるところで「人と比較する」ということを求められています。

なので、比較してしまうことは仕方のないことなのです。

 

そして、「人との比較」から生まれるあらゆる感情を、私は「人間らしいな」とここ最近では感じています。

 

現在私は放送サークルに所属しているのですが、そこでは春と秋の年2回、「番組発表会」というものが開催されます。これは、自分たちで作った映像・音声作品を披露するというものです。

そこで私は「他人に対する嫉妬や憎悪」をテーマとした作品の脚本を書きました。

これを書いている時は本当に楽しかったです。どのキャラクター同士に確執をつけようか、どんな設定にしようかなど様々なことを考えた末にこの台本は出来上がりました。

今の私はあまりこういう感情を抱かなくなってきたので、過去の自分が感じていた思いを少し脚色するなどしてこの台本を作っていたのですが、これをサークルの部員に見せたところ、中々に面白い反響を頂きまして。中でも、部員の一人から「登場キャラクター全員の境遇に共感できる」という感想を頂いた時はうれしかったものです。

こういう設定をあえて選んだ理由として、「他人への嫉妬や憎悪は誰もが感じ得る可能性があるものだから」というものがあったので。

現在は、作品公開に向けて練習を重ねている所です。公開するのが楽しみです。

 

この台本を執筆している時に感じたのが、先ほども言った通り、「ないものねだり」というものは誰しもが陥る現象であり、それ自体は決して間違っている事ではないんだ、ということでした。

誰にでも当てはまる現象であるからこそ、こういう負の感情というのは至極人間らしい、私は常日頃そう思いながら生きています。

ある時から私は「他人と比較する」ことをやめ、それによって感じる嫉妬や憎悪などといった感情からは離れていたので、改めてここで考え直せる機会が出来て良かったと感じました。

無論、小さい単位でなら私は未だに「他人と比較する」ことはしていると思いますし、この現代社会を生きる上でこれは切っても切れないものではあると思います。

ただ、それとどう向き合うか、どう付き合うかはその時々にきちんと考えなければならないものなのだな、と感じました。

 

こんなところで今回は終わりにしようと思います。

あまりうまくまとまらなかったような気がするのですが、まあこんな回があったっていいでしょう。

次回は…再熱したギターか資格勉強か…どちらについて書くのでしょうね。

あるいは、どちらでもないかもしれません。

まあ、お楽しみにということで。それでは、失礼いたします。

最後までお読みいただきありがとうございました!

振り返りのお時間

皆さんこんにちは。みちこです。

さて!満を持して!!振り返りのお時間です!!!前々から予告していた通り、自分の書いてきたブログ記事の振り返りをしようと思います。

実はこの更新でブログ部で記事を書き始めてからまる一年経過するそうです…。せっかくきりがいいので、今回は自分の書いてきた記事をふりかえろうと思います。

なお、合計21もの記事を書いているそうです。すべてにコメントをつけていくのは書いてる私も読者のみなさんも骨が折れそうですが、どうかお付き合いくださいませ…。

追記:今回もバレンタインデーであることには触れませんでした!!!(こう言ってしまうと触れているという矛盾…)

 

【2/20 大学生になって変わったこと】

https://mcm-www.jwu.ac.jp/~nichibun/blog/index.php/2024/02/20/

これがその時の私が一番伝えたかったことのようです。今もそうですが、私はこのブログという、一つのテーマに対して自分の考えを述べる行為がとても好きかつ得意なようです。大学生になって、自分がどれほど変化することが出来たのか、自分の現在地を確かめたかったようですね。

ちなみに、ここで初回から長々と失礼しました、などとほざいておりますが、どんどん長くなっていきます。てかすでにもう次から長いです。手遅れです。はい。

【3/3 My Hobbies―イラスト編―】

https://mcm-www.jwu.ac.jp/~nichibun/blog/index.php/2024/03/03/

ひな祭りだというのに、そのことには一切触れずに自分の趣味とか語りだしてますね~はい。

どれだけ図太い子なのでしょうか私は(笑)

ちなみにこの話は冗談でも誇張でもなく本当の話で、絵を描くようになってから私のモノの見え方は変わりました。そしてこの記事を書いたことを機に、当時の美術部の顧問に連絡したところ、暖かいお返事を頂いたことも申し添えておきます。

【3/20 My Hobbies―ギター編―】

https://mcm-www.jwu.ac.jp/~nichibun/blog/index.php/2024/03/20/

趣味というものに対する私の考え方第2弾ということで、ギター(ひいては音楽)のことをお話しました。今は忙しさにかまけてほぼ出来てないのですが、最近新たにハマった推し(まあ前のブログで言った甲斐田晴さんなのですが…)が定期的に弾き語り配信をなさるほどギターがお上手なので、その影響を受けて時間を見つつやろうかな、という次第です。

ちなみに父には未だに楽器を買ったことがバレていません…もう二年も経ちますよ…(笑)

このままいつまでバレずにいられるでしょうかね…

【4/7 私の「推し方」】

https://mcm-www.jwu.ac.jp/~nichibun/blog/index.php/2024/04/07/

世間一般で言われている「推し」や「推し活」。それらと私の考えは少し違うよ、という話をしました。未だにこの話が分かる人間には出会えたことがありません。多分私の中で、「推し活」の優先順位が自分の活動より低い位置にあるからでしょうね。

【5/7 私の発想の源】

https://mcm-www.jwu.ac.jp/~nichibun/blog/index.php/2024/05/07/

私の創作物に対する発想の源がどこからくるのか、という話です。これまでの趣味や推しの話と少し被るところもあるでしょう。ここらで総括しておいて、こんな話をしたかったのでしょうか。今となっては知る由もありません(笑)

ちなみにここで初めてブログテーマに難航したのも、いい思い出です。

皆さんの「発想の源」はどこですか?

【5/28 ソロ活日記】

https://mcm-www.jwu.ac.jp/~nichibun/blog/index.php/2024/05/28/

一人カラオケ、ジュンク堂書店巡り、池袋駅内のカフェなど一人で池袋を渡り歩いた際の日記ですね。

色々な活動が始まり、人と触れ合う機会が多くなった結果、自分だけの時間が減ってしまっていることに気づき、空きコマに決行した諸行の数々です。

ちなみに私は一人の時間がないと死ぬタイプです。絶対に欲しい。喧騒の中一人で何か別のことを考え込んでいるシチュエーションとかに憧れます。てか、それほぼ私です(笑)

【6/13 日文とは…?―オープンキャンパスに先立って―】

https://mcm-www.jwu.ac.jp/~nichibun/blog/index.php/2024/06/13/

私が日文を学ぶきっかけとなったことや女子大の雰囲気などをオープンキャンパスに先立って紹介した記事ですね。

実は何気に紹介系の記事を綴ったのはこれが初めてだったりします。

あとにちぶんちょう!!!!この子たち本当に撫でまわしたいくらい可愛い…。9の分野に分かれたにちぶんちょうたちには、その衣装や飾りにもきちんと理由があるんです。

それらの理由を学びたい方もぜひ本学へお越しください!

【6/25 忙しい方がQOLは上がるのか…?】

https://mcm-www.jwu.ac.jp/~nichibun/blog/index.php/2024/06/25/%e5%bf%99%e3%81%97%e3%81%84%e6%96%b9%e3%81%8cqol%e3%81%af%e4%b8%8a%e3%81%8c%e3%82%8b%e3%81%ae%e3%81%8b%ef%bc%9f/

昔から時間の使い方が至極下手だった私が、「やりたい」気持ちだけ先行してありとあらゆる課外活動を増やしたところ、充実した暮らしになっているのではなかろうかというだけの話です。

ちなみに未だに時間の使い方は上手くありません(笑)

【7/7 フィードバックをもらえることの嬉しさ】

https://mcm-www.jwu.ac.jp/~nichibun/blog/index.php/2024/07/07/

バイトのことを話しています。まあまずこんなことを考えながらバイトをしている人間は少数派でしょう。でも、バイトから学ぶものというのは本当に大きいものです。1年近く経った今でも課題があると感じているため、それを解決するにはどうすればいいのかを考えながら日常の生活に取り入れていっています。(なお、ここでも七夕には触れないそうです。)

【7/24 「ルーツ」は知るも話すもおもしろい】

https://mcm-www.jwu.ac.jp/~nichibun/blog/index.php/2024/07/24/

リレーエッセイについての宣伝とともに自身のルーツについて振り返ってみました。ルーツはその人がその人たる所以の詰まったもの。そしてそれを垣間見るのが面白いと感じています。話すことが好きであまり聞き役に回らない私が唯一といっていいほど聞き役に転じられる話題はこれかもしれません(笑)

【8/15 「勉強する」って楽しいんですよ!】

https://mcm-www.jwu.ac.jp/~nichibun/blog/index.php/2024/08/15/

勉強って本来こうあるべきでは?と考えていたことを綴らせていただきました。好きなことを思う存分に学べている私は幸せ者です。そして、「新たな気づき」。これはいつ何時でも、忘れてはいけない大事なことであると思います。(なお、ここでも終戦記念日であることには触れないそうです。)

【8/31 自分の弱さと向き合うことは】

https://mcm-www.jwu.ac.jp/~nichibun/blog/index.php/2024/08/31/

10代ラストに自身の欠点について触れてみました。

この時期は一週間以内に二度しんどいことが起きて、メンタルが死んでた時期です。

どうせならこれをネタにしてしまおうと書いた次第です。結局言葉に出来てる時点である程度は自分の中で解決出来てるってことなんですけどね…。こればかりは未だに正解が出ない。その場その場で向き合っていくしかないのではないかと思います。

【9/15 「理由」を大切に】

https://mcm-www.jwu.ac.jp/~nichibun/blog/index.php/2024/09/15/

私のブログ史上難易度の相当高い記事を書いたような気がします。多分この意味が伝わった人はあまりいないのではないでしょうか。少し抽象的すぎて難しかったと思います。

ここらへんくらいから、どんどん私が「深考」するさまが見られると思います。(なお、「深考」とは私なりの造語です。実際にこのような言葉はないと思います多分…。)

【10/10 日文生と読書】

https://mcm-www.jwu.ac.jp/~nichibun/blog/index.php/2024/10/10/

前回のブログ更新で「次回は言語化について書く」とか言いつつそうしませんでした。この前例が出来てから、もう予告通りに次回の記事が書かれることは少なくなったような気がします。多分2回に1回は外してますね(笑)

読書についてその時思っていたことを記しました。私が読書と言って読む本の対象が年齢とともに変化してきました、みたいな話をしてるような気がします。

【10/29 「徒然なる」読書】

https://mcm-www.jwu.ac.jp/~nichibun/blog/index.php/2024/10/29/

前回の記事に引き続いて、話題は読書。

衝動買いして読んだ本の紹介などをしております。そして隙あらば古典文学の沼に落とそうとしており、この記事から古典オタクっぷりがどんどん発揮されていくことも忘れてはならないでしょう。

(ちなみに、忘れても大丈夫ですよ…?(笑))

【11/13 古典の現パロに挑戦!】

https://mcm-www.jwu.ac.jp/~nichibun/blog/index.php/2024/11/13/

意外や意外、古典の現パロとかいうとんでもなことをついにやってしまいました(笑)

ちなみにここで書いた作品を好きになりすぎて現状卒業論文で題材にしようと思ってます。

【11/29 迷いの境界線】

https://mcm-www.jwu.ac.jp/~nichibun/blog/index.php/2024/11/29/

「迷い」というものに対してさまざまな観点から述べてみた記事。迷い続けるか、切り捨てるか。

この境界線に関して、私は未だに実践の域に達することが出来ていません。

一朝一夕には難しいと分かっていても、目に見えた結果を追い求めてしまう人間の残酷さを垣間見たような面持ちです。

【12/15 努力が手に入れられるものは?】

https://mcm-www.jwu.ac.jp/~nichibun/blog/index.php/2024/12/15/

受験生応援プロジェクトと私が勝手に題している記事の第一弾として、努力と結果の話をしました。

まあでも、正直こんな記事を書かれたところで普通の応援の仕方ではありませんよね…。

本当に私は、人の気持ちを汲み取って何かを返す、ということが苦手なようです。要反省です。

【12/30 年一のプチイベント】

https://mcm-www.jwu.ac.jp/~nichibun/blog/index.php/2024/12/30/

年一のプチイベントと称して、私と母が毎年近所の神社に参拝していることを綴りました。

こういうプチイベントは、皆さんの中にありますか?

【1/11 検証:歌は言葉より雄弁】

https://mcm-www.jwu.ac.jp/~nichibun/blog/index.php/2025/01/11/

受験生応援プロジェクト(勝手に名付けてる)の第二段の記事です!第一弾の反省から、私は何も言わずに、私が最近ハマってる推しの曲を紹介して受験生へのエールとさせていただこうという、非常に他力本願なことをしました(笑)

この推しさんについて語る記事もいつか書きたいです!気分によって語る語らないが激しいので、いつになるとは言えないのですが…。

(それと、受験生応援メッセージが本学の公式HPに載ってるよ、という宣伝も僭越ながらさせて頂きました)

【1/29 ソウルメイトとの出会い】

https://mcm-www.jwu.ac.jp/~nichibun/blog/index.php/2025/01/29/

ここでは授業関連のお話として世阿弥の著した『風姿花伝』を取り扱った授業の中から私が特に印象に残った話を記させていただきました!ここだけの話、ブログ部員にもこの授業を取っていた方はいらっしゃると思うので、その方たちの感想も聞いてみたいところです。

そしてこれもまた、受験生応援プロジェクト第三弾と勝手に題している記事ですね…。性懲りもなくよくやってるよホント…。

 

 

 

以上で、私の記事の振り返りは終わりにしたいと思います!

この次の更新からは新たなメンバーも加わって、より一層にぎやかになることでしょう。

ぜひ、彼女らの初舞台をお見逃しなく!

ということで、私はこれで失礼します。

次回は…。もうあまりにも外したことするから予告するのやめようかな…。(笑)

まあ、なんか書いてますよきっと。

というわけで、最後までお読みいただきありがとうございました!

ソウルメイトとの出会い

皆さんこんにちは。みちこです。

久しぶりに何を書こうか迷っている、そんな心境を綴るところから始めようと思います。まあ十中八九そうなっている理由がレポート地獄の渦中にいるからというものなのですが(笑)

レポートもテスト勉強も、もっと計画的にやろうよと思う自分と、どうせやらんしな、という自分が両方います。

でも結果的にどうにか何とか出来てしまうのが経験上分かっているので、まあ大丈夫かという目で見ています。こういうこと思ってるからいつまで経っても計画的にできないんですよ…?(笑)

ところで話は変わりますが、大学に入ってからの方が私は勉強している時間が多いです。それはおそらく、履修する授業を自分で決められるからでしょう。おまけに元々責任感が強い性格してるので、自分で決めたことは絶対最後までやり切ります。こうして主体的に何かをする、という経験は本当に大事ですね。でもそのせいで、手を抜くことを知らない人間にはなってしまいました。でも、絶対的に自分が無理をすることもしない。というのも、無理してる時は「無理してるな」と分かるようになったので、無理せず休むようにしてるからです。どんなに忙しかろうと。幸いにも私の趣味はほとんど室内で完結する趣味ですし、根っからの出不精なのでリフレッシュは案外すぐできます。

いい塩梅なんだかよく分かりませんが、とかく無理はしないというのは覚えておきたいと思いました。

 「無理をしない」といえば、後期に受けていたとある講義で世阿弥という人物について学ぶ機会がありました。私はこの講義を通じて、世阿弥のことを勝手に「ソウルメイト」だと思うようになったのですが、その世阿弥も「無理はしなくていいんだ」ということを説いています。

その前にまず、世阿弥がどういう人物だったのかについて講義の内容を借りながら説明しますね。

世阿弥は父の観阿弥とともに能を大成した人物として教科書等にもその名が載っていると思います。

名前くらいは知ってるよ、という方も多いのではないでしょうか。

さてその世阿弥さんですが、これが中々に苦労人でして…。少年時代に時の将軍:足利義満に気に入られて以降、自身の流派を盛り立てていくのですが…時代は移り変わるもの。

将軍が変わると世阿弥たちへの興味は失せてしまい、流派存続の危機に陥ります。そんな中で世阿弥はなんとか自身の流派を再興しようと奔走します。

そうしていくうちに生まれたのが能楽論を説いた書の数々。その中でもこの講義で扱っていた作品は『風姿花伝』でした。

先ほど紹介した「無理しなくてもいいよ」論はこの講義の最終回で紹介されたものでした。

この書の中では「男時(おどき)」と「女時(めどき)」の場合という形で紹介されていました。「男時」は順風満帆な時、すなわち何もかもが上手くいってるな、と思う時のことです。「女時」はそれとは逆の時です。何かをやっても上手くいかない、そんな時のことです。

世阿弥は「女時」の時の対処法について、「無理な努力はしなくていいが、いずれくる「男時」のために力を蓄えておくことは必要だ」と説いています。しかるべき時のために少しずつでも進みながら、時を待ち続ける…。これ、本当に世の真理だと思います。要は、タイミングが悪い時に頑張りすぎちゃ良くないよ、ということなので。体も心も疲弊してしまいますから。

あれ?これって本当に能楽論を説いてる書なの?と思ったそこのあなた。この書の魅力は、「能楽書でありながら現代の我々にも通じることを説いている」ということなんです!

こうしてみると、古典文学というのも案外身近な存在だったりするんですよね…。私はそういう感覚を感じられる瞬間が好きで古典文学が好きになりました。

なんかいつもより言葉がとっ散らかって、順序立てて伝えられていない気がするのですが、ここで私が言いたいのは、「無理をする必要はないんだ」ということです。

無理をして、何か特別なことをしなくていい。等身大の皆さんのままで、向き合うべきものに向き合ってください。それが出来たら上々です。あとで自分をしっかり褒めて、労わって下さい。そういう時間も、時には必要です。

さて、これで受験生へのエールも3回くらいの更新に分けて少しずつ伝えてきたことですし、私も私のなすべきこと(期末課題)をしようと思います。

ちなみに私が世阿弥のことを勝手に「ソウルメイト」だと思っているのは、あまりにも世阿弥の考え方に共感を示せたからです。私のように物事を考えられる人は本当に少ないのだと、常日頃から若干の孤独を感じているので、偉人で恐れ多いですが、勝手に「ソウルメイト」だと思っています。

そして次の更新は何にしましょうか…。最近古典文学が好きで好きでしょうがないので、その話でもしようかな…。ゲームの話にしようかな…。まあ、どうせまた未来の私が話したいことを決めるでしょう。

それでは、失礼いたします。最後まで読んでくださり、ありがとうございました!

検証:歌は言葉より雄弁

皆さんこんにちは。みちこです。

世間では共通テストまであと数日、というところですよね…。

今どんな気持ちでしょうか。不安・緊張など様々あると思いますが、それらの気持ちはすべてあなたの味方です。全部抱えたまま、挑んでください。皆さんが持ちうる力の全てを発揮できますよう、祈っています。

ーーーもしかしたら、見覚えがある人もいるかもしれません。

実はこんなニュアンスの文章を、寄稿させて頂きました。

本大学の公式HPから「桜の咲くころお会いしましょう」というキャッチコピーの受験生応援サイトに、メッセージを書かせて頂きました。下のリンクの一番上に掲載されているのが私のものです。

(色鉛筆で描いたにちぶんちょうがあるのが私のやつです…。絵を描いている人間だというのにデザイン性が皆無です(笑))

https://www.jwu.ac.jp/unv/admission/cheer/japanese.html

もしかしたら他のブログ部員の同輩や先輩方でこのメッセージを書いている方もいるかもしれませんが、共通テストも近い時期なので、ここらで一度宣伝も兼ねてお伝えしておきます。

さて。今回は受験シーズンも近いということで、「応援」というテーマでお話しようと思います。

といっても、私の言葉で応援するのではなく、別の手法を取りたいと思います。

ーーー私もまさかこんな方法で「推し」を紹介しようとは思ってもみませんでしたよ。

でもちょうどいい機会なので、ここらで紹介しようと思います。

まずはこちらの曲をお聞きください↓(3分6秒だけ耳を傾けて頂ければ幸いです。)

甲斐田晴「才能が無いから何だ」

 

いかがでしたでしょうか。

曲名からすごいですよね、この曲。「才能が無いから何だ」って。曲名を見た瞬間から「あ、これは悩める人の背中を力強く押すタイプの曲だ」と確信しました。

実際そんな曲であることが、お聞き頂ければ分かると思います。

 

ーーーさあ、何を語ろうか。

この曲について語ることもできます。この曲の好きなところとか、歌詞を見ていくとか。

この曲のテーマであろう「才能」についても語れます。

アニメーションの演出とか、そんなテーマでも語ることが出来るでしょう。

しかし私はここで、あえて「何も語らない」という選択肢を取ってみたいと思います。

責任放棄ではありません。「語ってはいけないもの」がこの曲にはあるからです。

ぜひ、自分の中でこの曲を消化してみてください。私からは、何も語りません。

ーーーまあどうせ我慢できなくなって語るのが私の性なので、次回の更新にでも回そうかな、と思います。

しばらくの間、余韻をお楽しみ下さい。

そんなところで、今回は筆を置こうと思います。

最後まで読んでいただきありがとうございました!

 

 

 

 追伸:私からは、このブログ冒頭部のメッセージと、ご紹介した曲を以って皆さんへの「エール」としたいと思います。

そしてこの「読者の想像に任せる」という書き方は確か、時代を問わず使われるおもしろい手法であったことを密かに思い出しました。

ちなみに私のブログで追伸の項目を設けるのは初…?覚えてないです。いかに私のブログが刹那的な文章で出来ているか分かって頂けたところで、本当に幕を下ろします!さらば!

年一のプチイベント

皆さんこんにちは。みちこです。

早いもので、もう年の瀬でございます。2024年が終わります。昨今はインフルエンザが猛威を振るっている(特に今年のは感染力がとんでもない)そうなので、受験生並びにご家族の皆さまは特にご注意下さいませ。

かくいう私も前回の記事で書いた通り、一家(弟を除く、両親と私)でインフルエンザになった身なので、くれぐれもご自愛ください。

さて、今回は「プチイベント」というテーマで書こうと思います。

前回予告した通り、振り返りにしようかなとも思ったのですが、次回以降の更新に回そうと思いまして。きっかり1年分書いてからきちんと振り返りをしようという次第でございます。はい。私のブログでは恒例行事、話題の路線変更のお時間です。

特にここ最近の更新は重くて難しい話が多かったと思われるので、今回くらいはライトな話題にしましょうね!はい!

 年一のプチイベント、ということで皆さんにはそのようなものがございますでしょうか。

私は、母と近所の神社にお参りにいくことが、なんとなく毎年の習慣になりました。きっかけは確か、私が初詣に行ったことがないから、という理由だったからだと思うのですが、よく覚えてません(笑)

そんなわけで、私が高校生の頃から近所の神社へ初詣に行くという「習慣」が出来ました。

紅白歌合戦を見届けてすぐ、11時45分ごろに家を出て、10分ほど歩くと見えてくるこの神社。

年明け前でも既に参拝客でいっぱいの中、年明けを迎えます。

(家族の中でも特に価値観が合って仲の良い)母と水入らず過ごせる空間、深夜というまるで「イケない遊び」でもしているかのような空気がたまらなく好きで、今の今まで毎年の習慣にしています。

普段家族ぐるみで何かすることがない家である上、基本そのようなことに参加しない母が私と共に新たな習慣をもってくれたことが素直に嬉しくなった、そんなことを思いながら今回はだいぶかなり短いですが筆を置こうと思います。

たまにはこういう回があってもいいと思う。いつもかなり長いので。今回は軽めにしときます。

次回は、いい加減そろそろ語りたくなってきた推しについての記事でも書こうかなと思っています。

え?振り返り?ヤバい。いつ話そう。まあ、どこかでします。多分3月くらいでしょう。

見切り発車具合がひどいですね~(笑)

それでは、今回はここらで失礼します。読んでくださりありがとうございました!

努力が手に入れられるものは?

皆さんこんにちは。みちこです。

週のはじめからインフルエンザにかかってしまい、これを書いている現在も自宅待機期間という状態から本ブログをスタートしようと思います。

いやあ…しんどい…。

熱は中々下がらないし、喉は痛いし、声なんてまったくでないし、鼻も詰まるし咳も出るし…。

我が家では父が先に倒れ、その次に母、最後に私というまったく綺麗なドミノ倒しでインフルにかかっておりました。(父は根っからの病院嫌いなので検査などはしていないのですが、母と私は近所の病院で検査をしてインフルエンザであることが発覚したので、父もおそらくそうであろうと踏んでいます。)

ちなみに我が弟は家にいる時間をなるべく少なくし、現在までどうにかかからないようにして生きているようです。(なんでもどうしても部活の試合に出たいそうなので…。)

こういう「最後の砦」的な役割を担うのは我が家では父か私であることが多いので、今回はかなり珍しいパターンだったといえるでしょう。

何を隠そう、インフルエンザであると判定された私はこの1週間1回も授業に出られていないことが確定してしまい、その事実が悲しかったです。しかしそんなことを言っていられる暇もなく体が言うことを聞いてくれなかったので、大人しく休みました。

さて。こんなつまらない近況トークは3~4行で済ませる気だったのですが…。どうしてこうなった…。

今回は、「努力が手に入れられるもの」というテーマで書こうと思います。

最初に申し上げておきますが、これは永遠の課題であり、誰もが納得できる正解を導き出すことは出来ません。逆に言えば、今からここに書くことは私だけの答えでしかありません。そしてこの記事を書こうと思ったのは、今必死になって勉強を頑張っている受験生の皆さんがいるからです。

今どこかの目標に向けて頑張っている皆さんへ、ほんの少しだけ年を食っただけの先輩の私から、励ましでも何でもないかもしれないが、しかし大事なことを語ってみようと思います。

努力で手に入れられるもの、皆さんは何だと思いますか?

望む結果が手に入れば幸せものでしょう。しかし、誰もがそうではないことを10代後半の皆さんなら、薄々感じてきているのではないでしょうか。

そうです。努力で手に入れられるものは、必ずしも「望む結果」ではありません。

では、「望む結果」が手に入らなかった人はそのまま腐るしかないのか?

そうではありません。てか、そうであってはいけないのです。

見方を変えるんです。「望む結果」というのは、あくまでも物事の一側面でしかない、ということに。

 

ここまで言ってきて、努力で手に入れられるものは、「結果」であると、もうわかったことでしょう。

しかし、ただの「結果」ではありません。

その「結果」は、皆さんの見方次第で、希望にも絶望にもあらゆる姿を見せてくれます。

ーーー楽な言い方をしてしまえば、「結果」なんてあくまで「事実」でしかないんですよ。

その「事実」は、時に優しく包み込み、そして時に残酷に、私たちを襲ってきます。

それだけの話なんです。本当に。発想・見方を変えるだけなんですよ…。

でも苦しいことに、それをすることが、容易ではないんですよね…。

例えば、「お笑い芸人になる」という夢を持っていた人がいたとしましょう。

お笑い芸人になるために、養成所に通ったり、自分でネタを考えたりなど様々な練習をしても、有名になれるのはほんの一握りの人たちだけです。

情熱、そしてそれに見合った努力だけでは、どうにもならないんです。どんなに才能がある人だってそうです。

これが、世界の現実なんです。

残酷ですよね、この世界は。私もこれに気づいたときは、本当に残酷だと思いました。

ーーーでも、よく考えてみて下さい。

本当に、この人たちの努力は無駄だったでしょうか?

この人たちの情熱は、報われなかったものでしょうか?

私は、この人たちの努力も情熱も無駄にならないと思います。

ただし、その人自身が舵を切れるか

これ次第で、無駄になるか否かが決まります。

「舵をきる」とはどういうことか。これが、さっき私の言った見方を変えるということです。

例えば、さっきのお笑い芸人を目指していた人たちは、どんな能力があると考えられるでしょうか?

お笑い芸人には相方が必須。つまり、人と連携して笑いを生み出す、そういう生き方をする人たちです。

馬が合う合わないは別として、こういう「人と連携して何かをする」という能力には秀でていると考えることは不可能ではないでしょう。

それに、「目標に向かって何かをする」という力も当然持ち合わせています。

それは、芸人になる!という夢があった故かも知れません。

しかし、芸人を目指すということは、芸能界が決して綺麗事だけの世界ではないことも受け入れている人たちだと思います。(ここを受け入れられない人は、おそらく養成所の段階とかで早々にリタイアしていると思います。)

そのうえで目指していたのなら、それ相応の覚悟がその人には存在していることになります。

つまり、その「覚悟を持って目標に向き合い、達成に向けて努力する力」をその人は持っていることになります。

この力は、どこで何をしていくにしても必要になる能力です。

ーーーそんな能力を見に付けているなんて、本当にすごいことですよ。

 このように見方を変えれば、この人はたとえお笑い芸人になれない人生だったとしても、どこででも通用する能力を持っている人と捉えることはできます。

しかし、ここからが大事です。

それは、こうやって舵を切れるか否かはその人がいかに早くこれに気付けるか次第であるということです。

つまり、当然気持ちの問題(情熱をどうしても断ち切れないなど)で踏ん切りがつかない人もいる、ということです。

私のようにすぐに割り切れて方向転換ができる人もいれば、中々そうではない人もいると思います。

このような人の違い、なんだと思いますか?

ーーー私はひとえに、「情熱の差」だと思います。

実は私、生まれてこの方、情熱を持ち続けて何かを成そうとしたことはありません。

否、それを制限された環境下で生きてきた故に、そうせざるを得なかった、という方が正しいかも知れませんが。

何故なら、どこかで上記のように「方向転換」ができてしまうからです。

それを器用だ、生きやすい、というのならそれまででしょう。確かに生きやすいとは思います。

でも時折、もし自分が人生を揺るがすほどの情熱をかけて行動できるものがあったとしたら、すべてを捨てられたり、すべてのリスクを背負ってまでもやりたいことができたらな、と思うことはあります。

そういう、何がなんでもこの目標を達成したい、という情熱を持っている人が羨ましいです。

そういう人は余裕はないかも知れないけれど、常に全力で人生を謳歌している。

それはそれで、素晴らしい生き方だと思います。

 さて。そろそろ収拾がつかなくなってきたので、まとめに入りましょうか。

努力が手に入れられるもの。それは、「結果」です。

しかしその「結果」は、必ずしも望むものばかりではない。

否、むしろそうではない場合の方が多いと思います。

そういう時に、その「結果」を自分の中でどう解釈するかで、その後の行動も生き方も変えられるんだよ、という話をしてきました。

しかし、そう単純に割り切れない人がいることも事実。そういう人はもしかしたら、「目標に対する情熱」をめちゃくちゃ深く持っている人だったのかも知れない。だから、割り切れないからといって無理に割り切ろうとしなくて良いんだよ、むしろそれはそれで1つの生き方なんだよ、こんな話をしてきました。

 

これからどんな「結果」が待ち受けるかもわからない受験生にする話ではなかったかも知れません。

人によっては、これを読んで落ち込んでしまうこともあるかも知れない。

ただしかし、「こういう考え方もある」と心の片隅においておきながら、今自分のなかに掲げている「目標」に向かって邁進してほしいと思います。

大丈夫!後悔さえしなければそれでいいんです。てか、後悔したっていい。

時間は二度と戻らないのだから、今皆さんができる最善を尽くしてほしいな、と思います。

「最善」は必ずしも、苦しい努力である必要もないと思います。

たまには息抜きしたっていい!大丈夫です!

私なんて受験生でも普通にゲームしてましたし!やばい!(笑)

とにかく、自分に付随している時間を、他でもない大切な自分にかけられるようにしてほしいな、と思います。

長くなってしまいそうなので、今回はここで終わりにしようと思います!

次回は、年の瀬ということもあるため、ここらで少し振り返りをしてみようと思います。

もうすぐブログ部で記事を書いて1年になりますし!

最後まで読んでくださり、本当にありがとうございました!

迷いの境界線

皆さんこんにちは。みちこです。

さて、今回は「迷い」というテーマで話を進めていこうと思います。

最近、迷うことが本当に多いです。

小さいことだと、大学に残って課題を進めようか家に帰ろうか、とか。今日は何のBGMや飲み物をお供に課題や作業を進めようか、とか。

大きなことだと、将来のこととか。

そして目下我々二年生が直面している出来事でいうと、「ゼミ所属をどこにしようか」といったこととか。

というわけで、最近は迷っていることや機会が多いような気がします。

今回の更新も、更新の当番当日までどんな内容にしようかな、と書き溜めていたものを書いては消し書いてはまた消し…。の繰り返しです。

迷ってばかりです。

ところで皆さん、この「迷う」ということはいいことだと思いますか。

それとも悪いことだと思いますか。

結論からいうと、私は「迷う」ことを悪いことだとは思っていません。だって、「迷う」ことにはそれなりの「理由」が必要だから。

小さなことだろうと、大きなことだろうと。

いや、むしろ大きなことこそ「迷う」という過程は必要なものであると思います。

自分で納得いくまで調べて、考えればいいんです。

ただまあ、私は小さなことまで大仰に捉えて考えてしまうんですけどね。

結局思うように行動できなくて、後悔するなんてざらです。だからそこは臨機応変に、「迷いを切り捨てる」こともしなければならない。

人生とは、本当に難しい…。そう思います。

さて。この「迷い」と「迷いを切り捨てる(振り払う、の方が正確かもしれません)」の境界線はどこにあるのでしょうか。

私は昔から「切り捨てること」「妥協すること」が本当に苦手で、自分の思う通りにいかないと気が済まない性格です。(いわば「完璧主義者」とでも言いましょうか…。ただ私の完璧主義は変なポイントであっさりと終わりを迎えることもあるので、本当にこのような言葉で定義付けていいものなのかどうかは少し疑問なのですが…。)

これについて、こうなのかな、と思いついたことがあるので、少しご紹介しますね。

それは、「今迷っていることが自分に対することなのか他人(自分以外。たとえばチームなど。)に対することなのか」ということで分ければ良いのではないかとふと思いました。(このブログを書いていく途中でいきなり降ってきたのですから、本当に急な話です(笑))

 たとえば、自分の将来に関すること。

これは自分に決定権があることですよね。自分の希望を叶えられるか、実現できるかは別として、「こうなりたい」と思うこと自体は自由ですから。

こういうことは、妥協せずにじっくりと納得するまで考えるべきであると思います。

なので、こういうシチュエーションにおいては、「存分に迷っても良い」ということになります。

 しかし、時には、「迷いを切り捨てる」方が良い時もあると学びました。

これは私がアルバイトをしている時に常に直面している課題なので、現状解決策が何も見つかっていないのですが、具体的な場面を紹介しますね。

私は飲食店でアルバイトをしているのですが、その際に、「混んだ時に自分の仕事の手を休めてまで他人のフォローに入ってもいいものなのかどうか」についてずっと迷っています。先ほど述べた通り、今でも解決策は見つかっていません。

これに関しては自分の経験値を積む中で大体の感覚を掴んでいくしかないのかな、と思っているのですが、「自分に余裕ができていて、迷っているくらいならフォローに入ってしまってもよいのではないか」と思っている自分もいます。(お気付きだと思いますが、至極当たり前のことと思います。はい。なに言ってるんだこいつって思ったらすみません。はい…。)

このような事例が、先ほど言った「迷わず行動してしまう」にあたるものだと思っています。

これは「自分ではなく、他の人がどうなるか」という事例にあたるため、そういう場合は「迷いを切り捨てて」しまっていいと考えました。

しかしこの理論で行くと、「自分の将来についてあれこれ悩んでいたけど、人に話を聞きに行こう!」みたいな場合はどちらに当てはまるんだ、という疑問が湧いてくるかもしれません。

この場合は、「自分の将来について十分悩んでいた」のですから、「行動」しても何ら不思議ではないと思います。これは私の分類でいうところの「自分について迷っている時」にあたると思います。

即席で降ってきただけのしょうもない理論というか、分類の仕方なので、あまり参考にはならないかも知れませんが、私は現状このように考えています。

さて。少し考え足りない気もしますが、諸々やらなければならないことがあるため、今回はここで終わりにしようと思います。

次回は…何について話そうかな…。だいぶ「迷って」おりますが、まあまたその内浮かんでくることでしょう。

ーーー相も変わらず私のブログネタは日常に転がっているのですから。

というわけで、今回のブログはここまでにしようと思います。

最後まで読んでいただいてありがとうございました!

古典の現パロに挑戦!

皆さんこんにちは。みちこです。

今回は前回予告していたのとは少し違う形になりますが、授業関連のことについて書こうかな、と思っております。

今回は、タイトル通り、「古典の現パロ」に挑戦しようかと思います。

作品は、現在「演習」という授業で扱っている「うたたね」という作品にしようかと思います。

古典作品のパロディーなんて難しそう…。と思われるかも知れません。私も最初そう思っていました。

ですが、自分で担当箇所を発表したり、逆に皆さんの発表を聞いたりすると新たな発見があるんですよね…。この感覚がたまらなくて、「古典楽しい!」という気持ちになりながら、この授業のあとは多幸感を抱えながら帰宅しております。

あ、まず「演習」という授業について説明しなければなりませんね。

演習授業とは、その授業内で予め決められたテーマや作品(今回の場合は「うたたね」という作品)を受講生で分担して読んでいくことで、その作品に対する理解を深めよう!という種類の授業です。

つまり、先生が一方的に講義するタイプの授業ではなく、「学生自らが講義をする」タイプの授業になります。

これもまた難しそうな…。と思われたことでしょう。大丈夫です。

本学では1年生からこの「演習授業」というタイプの授業の基礎を学びます。どういうやり方をして、こういう内容を発表するんだよ、といったことを実践的に学ぶことができます。

慣れないとかなり大変ですが、達成感はすごいですし、先生や他の受講生の意見・感想などの自分にない要素を感じられるとめちゃくちゃ勉強になります!

少しは授業のイメージがついてくださるといいなあ…。ついてくれたでしょうか?

さて。いよいよ本題に移りましょうか…。古典の現パロ…。はじめての試みなので、私自身もめちゃくちゃ緊張しています。

現時点ではまだまだ続きがあるため、後から見たら設定がごちゃごちゃになってる箇所もありそうですが、あくまで現時点で授業内で学んだ箇所までの現パロになります。

そもそも尼寺とか、現代に置き換えたらどういう組織になるんだ、とか思うところもあるので、辻褄自体は本当に合ってない現パロです。そこは最初に言及しておきます。すみません。

それでは、僭越ながら、始めさせて頂きます。

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 私、ごく普通の女の子!今ね、とある男性に恋をしているの。でもね、その人忙しいのか、なかなか連絡も取れないし、会えないから、ちょっと寂しい。遠距離恋愛ってとこね。今日もツイッターの裏垢に呟こっかなー。「今日もLINE来なかった。ぴえん。」よし。投稿完了っと。

はあ~…。遠距離恋愛って辛い。ホント辛い。いっそ、どこか遠くに旅に出ちゃおうかな~。

と思ったら…。あれ!?「今日は遊びに行くからね。」だって!!!!はぁ~…。やっぱり来てくれるのね~。好き。

その夜に、彼は私のところに遊びに来てくれた。ちょうど家族も仕事か何かでいないし。なんにも邪魔されない。やっぱり彼が来てくれるなんて…。夢のようね…。

でも、あの人すぐ帰って行っちゃう。やだ。つらいよ…。

最近は用事が多いとかで、私のところに遊びにも来てくれなくなっちゃったんだよね~。でもなんか怪しくない?何、いきなり「用事が多い」って。どう考えても言い訳よね。私と遊ぶの、嫌になっちゃったんだよね…。

やっぱ、あんな人との恋なんて、諦めた方が良かったよね…。最初から出会わなければよかった…。

ーーーよし!ここにいるのやめよ!ここにいても、あの人のこと思い出しちゃうし。いつあの人がくるとも限らないんだから。スマホも置いて、旅に出よう!!

思い立ったが吉日。早速旅支度を初めて…と思ったけど、スマホまで置くのは、さすがにやり過ぎなかな…?だってこの現代社会において、スマホなかったら死ぬよね?

でも決めたんだよ?彼から連絡くるくらいなら、いっそ連絡取れるもの全部置いて、どこか知らない遠いところへ行く、って…。そう決めたのに…。まだあの人から連絡が来るのを期待してる自分がいる…。

ーーーあ~~~!!!!もう!!!うじうじ悩んでても仕方ない!!!置いてくって決めたら置いてくの!!!

そして、その日の夜に、こっそり家を抜け出し、あてもなくただ歩き続けた。

 

ーーーなんか雨降ってて寒いしビショビショなんですけど。でも、もうあの人をきっぱり忘れるためなら!

そう思って、歩き続けた。スマホもないからホントに道が分からないし、今自分がどこにいるのかも分からない。

バスとか電車とかも使おうかな、って思ったけど手持ちのお金もそんなないし。てかここ街の中心地からは離れた場所だから、あんまバスとか来ないんだよね~。そのせいで、通学もどんだけ時間かかるんだよってくらいかかるし。

道もよく分からないまま歩き続けた先に、ちょっとした集落があるのを見つけた。ちなみにこの集落に見覚えはない。そもそもここがどこなのかも、スマホ置いてきたせいで分かんないし。

見つかると面倒なので、目立たないように歩いていたが、突然名も知らぬおばちゃんに声をかけられた。

「あんたどないしたん。そんな恰好で。

ーーーあらまずぶ濡れじゃない。さほら、こっち来なさいな。どこからきたの?家の人は?

まさか、家出少女?」

根掘り葉掘り聞いてくるのが、少しうざったくも感じたが、同時に少し嬉しくもあって、私は「ちょっと人生嫌になって旅をしてるところ」と答えた。

別に死ぬわけじゃないけど、でも私のことを誰も知らない人のところへ行きたいのだとそう話すと、

「それならこの集落を少し奥にいくと、そういうような子たちを預かってるところがあるんだよ。案内したげるから、一緒に行くかい?」と親切にも教えてくれ、一緒にそこへ向かうことになった。

ーーーそして道中、なぜか飴をもらった。

 

やがて、その場所にたどり着いた。この親切なおばさんの言う通り、何も聞かずに私たちを保護してくれ、私と同じような理由で家に帰りたくない子たちにも数人会って話をすることが出来た。

本当にこのような場所があったことで、段々と心が落ち着いていき、これでようやっと彼のことも忘れられると安堵した。

でもふと思い直す。

ーーーもし、ここで一生を暮らすことになったら?

あいつのことを忘れるためだけに旅をして、運よくこんなところに拾われたけれど、これは私が生涯を投げ打ってまでしたかったことなの…?

そう考えたら途端に恐ろしくなった。あの後結局親が迎えに来たけど、その時の私はここを天国だと思っていたので、「知らない!帰らない!やだ!」と言って追い返してしまった。

急に胸がざわざわし始めてきた。なんでこんなことしちゃったんだろう…。どうしたらいいの…。うう…。私のバカ…。あいつのLINEブロックするとか、そういうことでいくらでも解決できたくない?

あ~やだ。死にたくなってきた。これぞホントに死にたいやつ…。っていうか、今にしてみればあいつマジでダメ男よね??なんでずっと付き合ってたの?連絡とってたの?はあ~無理死ぬ。マジで死にたい。

え?なんか周りにある木とか草とか全部あいつに見えてきたんだけど?は???マジでやめて~~~。無理。死んだ。

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今授業でやっているところは、こんなところでしょうか…。

忠実に再現できているかどうかは二の次として、やはりとても難しかった!!!

やっぱり現代と古典世界とでは常識になっていることが違い過ぎて、「今でいう○○」にぴったり当てはまらない場合も多いです。

でも今回の試みを通して、同時に作品に対する理解も深まりました。やはり能動的に何か自分で生み出すというのは、一番学びが定着する方法のようです。

この続きは…。要望があれば、ということで。

実はこの記事も、リクエストを頂いたんですよ。いつも授業後に感想を言い合っている友人&先輩がいるのですが、その話の流れでこのような話になり、ブログ部員だしせっかくだから!とこのように書いてみた次第でございます。

実はその話をしている中の一人も、同じブログ部員の同期だったりしますが、その話は置いておいて。

目下課題は、来週の授業までにそのいつメンの中の誰かが読んでくれていることを祈ります。ぜひあの…。感想をお手柔らかにお願いします…。

というところで、今回はお開きとしたいと思います。

中々私のブログがとらない体裁の記事だったので、書いていてとても新鮮な感じがしました。

こういうのも悪くないですね。

次回も…。まあ、授業関連になってしまいます。この時期、目下二年生の諸君らを悩ませている卒業論文のゼミの話について、少し自分の思うところを綴ってみようかな、と思います。

自分の思考の整理も兼ねて。

それではこの辺で失礼します。

最後まで読んで頂きありがとうございました!