皆さんこんにちは。みちこです。
最近は涼しくなってきた?と思ったら雨が続いていますね。
私自身、雨自体はそこまで嫌いではないんですが、気圧のせいで少し不調気味になることだけは解せません。気圧よ、去ってくれ…
そして本当にここ最近気づいたことなのですが、私どうやら雨女らしいです。私が外に出ると雨が降るのに、建物の中に入った瞬間に雨が止むことが多く、これはもしや…私雨女なのでは…と思い始めるようになりました。
どうせなら晴れ女になりたかったですが、まあ雨は大地に水をもたらす存在ですからね。大地を潤していきましょう(笑)
そんなこんなで今回のテーマは「期待に応えすぎない」「期待に応えられずとも恐れない」というテーマでお話していこうと思います。
私自身、自分がいい子だと思ったことって実はそんなにないんです。むしろ約束事を破るとかちょくちょくするので、悪い子寄りだろとか思っておりました。しかし周りから見たらどうやらそうではないらしく、いい子のようです。
「いい子」っていろんな種類があると思うのですが、その中でも私は「いい子を演じなければいけない」と多少の重圧を抱えて生きてきたタイプのように思います。
振り返ってみると、そのようなタイプになった入口は「大人に褒められる機会の偏り」のように思います。
私は子どもの頃、
・母親が心配になって覗きに来るぐらいには静かに一人で遊んでいる
・幼稚園の頃の私の居場所は、同級生のもとでもなく、遊び場で一人で遊ぶわけでもなく、大人の井戸端会議の中で静かに大人の話を聞いている
そんな子どもだったようです(母曰く)
この時点でだいぶ異質というか、年相応の子どもとは異なる感覚を持つ子だったようです。それ故か、小学生時代には周りの子たちと感覚が合わず相当苦労しました。
(その頃の趣味が「物語を読んで想像の世界を広げること」「戦国武将の名前をかたっぱしから覚えること」「ソリティアを始めとするオンライントランプゲーム」なのですから、そりゃ同級生と話が合う訳はありません。ちなみにこれらはすべて父の影響で、一時期チェスを楽しんでいたこともありました。)
同級生と話をしても感覚が合わないことがほとんどなので、話相手は大人しかいません。
つまり、大人と話をして、褒められることでしか自分を構ってもらえる手段がなかったのです。
そういう育ち方をしているからか、早くから「大人に認められる」ことが自分の中に根付いているように思います。
だからこそいつの間にか、「期待に応えて褒めてもらう」ことを求めてしまうようになったのだと思います。
別にこれそのものが悪いことばかりではないとは思いますが、応えすぎようとして自分を見失うことが少なからずあったのだろうと思っています。
現に私は「自分で何か大きな決断をする」ということは苦手です。
必ず誰かの意見を聞いてしまいます。意見を聞くこと自体は良いのでしょうが、人の意見に従いすぎるのもまたよくはないものです。
それが親との関係ともなればまた難しいところがあるのでしょうが、それらに付き合っていくのがこえまた難しそうです。
とまあここまでつらつらと述べてまいりましたが…。ブログで書くような内容ではないですね(笑)
考えることは私の美徳でもあり特技でもあり、変えることのできない性質でもありますが、最近はこう…なんていうかそれがマイナスな方向に考えすぎることが多くなってしまっているような気がしています。
そしてその過程がこうしてブログの記事となって表れているように思っております。
結論が出ず、曖昧なまま放置してしまうことが嫌な性分(白黒つけたい性分)ではあるので、それが時折自分自身を苦しめていることにもつながるのでしょうが…うう…何とかならないものか…
今回はここまでにしておきましょう。
秋の長雨は風流ですが、気圧の変化も大きいのでしょう、というところで今回は納得しておこうと思います。
最後までお読みいただき、ありがとうございます!