皆さんこんにちは。みちこです。
今回はタイトル通り、中世卒論ゼミの夏の恒例行事である中間発表について述べようと思っております。
去年は3年生でまだ先のことだな、なんて思いながら阿仏尼についてやります!と大々的に宣言した記憶がありますが、今はそんな1年前とは状況が異なります。
もうあと3か月後くらいには卒業論文としてまとめ上げて提出しなければならない状況ですから、もうあの頃のように吞気にやっている場合でもありません。
自分の発表については、一応一通り見たい部分はさらうことが出来たかな、なんて思っていたらそんな甘い考えではいけませんでした、というのが正直な感想です。
前提となる知識が抜け落ちていたり、誤解したまま紹介していたところがあったり、私の詰めが甘い部分がよく出てしまった発表であったかな、と思いました。
もう残された時間も残りわずかですから、注釈書とPCの画面とにらめっこしながらまとめ上げていくしかないのだろうと思います。
ここまで来たら、もう後がありませんからね。はい。足りない視点が人より多い(自覚がある)からこそ、さらにブースト掛けていかねばならないなと思っております。
付け焼き刃が通用するものではないのが卒論なのでね、私???(自戒でしかない)
しかしこれは不思議なことに、他人の発表を聴いているとその足りない視点だの懸念点だのはよく気付くのですよね…。
今回のコメントでは的外れなことを言っていることも多かったのですが、特に3年生の発表を聴いていると懸念点や疑問などは多く出てくるようになっていました。
ある程度といっても限られた経験の話でしかありませんが、卒論で扱うには量が膨大過ぎるとか、テーマに絞ったピンポイントの研究だけじゃなくて、全体像の把握が必要になってくるだろうとか、そういった意見を持つことが多かったです。
このような意見はまだ右も左もわからない3年生の頃には持てなかった視点ではあります。これに関しては間違いなく、この1年やってきた経験が生きているんじゃないかな、と実感もしました。
私は基本的に何事に対しても「もっとできただろうに」という思いが凄くあるので、正直今までの何事に対しても完全に「やり切った!」と満足したことなどありません。
これを完璧主義と人は呼ぶのでしょうから、おそらく昔からずっとそういう種類の人間です。
しかしそれだと当然心は苦しみ、蝕まれることになります。(それ故に6月下旬以降から体調を崩したような気もしますが…体調にダイレクトにくるぐらいには自分自身のことをある程度は認めてあげられず、苦しめ続けてしまったのだと今になって思います…。)
なので、どこかで自分自身を許してあげる時も必要になってくるんだろうな、というのが最近身に染みて実感していることです。
今回の卒論研究だってそうです。私自身の発表は正直目も当てられん…レベルではあったかと思いますし、今のままではまだまだ完成なんて程通いです(粗だらけなので…)。
ただ、後輩(または同期)にアドバイスする際の自身の経験や視点は、この1年を通してしっかりと身につけられたものだったのだろうなと、そこは少しだけでも、今までの自分の頑張りや成果を認めてあげてもいいのかな、と思いました。
あんな発表をした人間が言っても説得力ないかも知れませんが!一先ず中間発表を終えた今はそう思いました!
また時間と共に何かが生まれ、何かが消えるかも知れませんが、まあその時はその時です。未来のことなぞ知らん(笑)
というわけで、中間発表お疲れ様でした。
その場にいた同期約1名様と3人の3年生たちが、また何か違った視点から中間発表の感想を記事にしてくれることを密かに願いながら、今回はここまでとしたいと思います。
最後までお読みいただきありがとうございます!