きょうは祝日

皆さん、はじめまして。こんにちは。
この度ブログ部に入部させていただいた1年のきょう🍤と申します。

このブログをお読みになっている方はすでに日本女子大学に進学を決められた方、検討中でいる方、来年度の受験に向けて思案中の方、さまざまな方がおられると存じます。

「日本女子大学文学部日本文学科の学生はどんな日常を過ごしているんだろう?」

このような疑問を少しはお持ちで、ご覧になっているのではないですか?

日文の学生のリアルをお伝えする一助になれたらいいなと思います。

はじめに、受験生の皆さん、本当にお疲れ様でした。終わりの見えない未来に向けて、ひたすらに勉強し続けていらっしゃった皆さんに深く敬意を表します。お疲れさまでした。そして、皆さんの進む未来が明るくありますように願っております。

昨年の今頃は進学先決定に難航しておりました。私立大学専願だったので、迫り来る合格発表に毎日胸が締め付けられる思いでいました。

合格をいただいた中で日本女子大学文学部日本文学科への進学を決意した昨年の私は間違っていなかったと断言できます。

あれから1年経ちますが、揺るぎなく、そう思います。

日本女子大学は「自由」でいることを最大限応援してくれる気がします。

私は学内の部活やサークルに参加していません。
普段は授業に出て課題をこなし、アルバイトに行く。

優しくて尊敬する友人と授業前にお話しますが、基本ひとり行動です。

ひとり行動でも浮きません!
ひとり行動している学生もいれば、2人組、3人組のようにグループで行動している方々もいます。

みんな周りを気にせず、各々自分のしたいように生きています。

この「自由さ」が私にとって居心地よく、優しさを感じるのです。

ただ「自由」なだけではありません。

日本女子大学はさまざまな機会を提供してくれます。(そのお話は後ほど)

どんな学生でも受け止めてくれて、成長する場を与えてくれる。

自己実現を最大限応援してくれる」それが私の願い求めていた空間です。

まだ1年生の段階で〜…なんて思われるかもしれませんが、私は日本女子大学に進学できて心から良かったと思います。

進学させてくださった両親に心から感謝です。

これから卒業までの短い期間を一生の財産にすべく、さまざまな方面からたくさんのことを学び取って、立派な大人になります。

なんだが意思表示みたいな堅苦しい形になってしまいました…!

日本女子大学文学部日本文学科で良かったことの詳細は今後語りたいな、なんて思ってます。

ブログ部へのお誘いをいただいた際に自分には身に余る光栄なことだなと感謝すると同時に、戸惑いもありました。日本女子大学文学部日本文学科のオフィシャルブログに自分の拙文が載っても大丈夫なのか?と。今まで公に自分の文章を載せていただいた経験が無かったので、初めてのことに緊張しておりました。

自分を出力する貴重なチャンス。中身ペラペラの私ですが、そんなペラペラが厚く濃くなっていく様を面白がってくださったら幸いです。日文の学生の日常を私なりの視点で描いていきます。

今回ブログ部に入部させていただく中で「ブログ」ってなんだろうと疑問に思いました。ブログ部の先輩方の投稿を拝見すると、本当にさまざまで、読んでいて「楽しい!!!!」と刺激させられるものばかりでした。私も読者さまに面白いと思われる文章を書きたいな〜…精進します(?)

日記、お手紙、作品等々、本当にさまざまな形態で語られていて、同じ方でもいろんなプロットをお持ちでいらして、一読者として感嘆せざるを得ません。

私にはどんなブログが書けるんだろう。

上野千鶴子さんが「私たちは「見られる」ことを意識して「私らしさ」を演出する。ファッションは、自分からは見えず、他人から見られるものだ。」と仰っていたことを思い出します。

私はこのブログを身に纏うファッションのように扱っていきたいなと。

もしかしたら私の勝手な自己実現・自己表現にお付き合いいただくかもしれません。

見てくださる、読んでくださるあなたに向けて、「有益な情報」と「私らしさ」を。

ここまでお読みいただきありがとうございました。

これからもどうぞよろしくお願い致します。

きょう🍤

行き当たりばったり

はじめまして。今年からブログ部の一員となりました、あかりです。
2月も下旬になり、大学の長い春休みも残り1か月と少しになりました。暖かかったり寒かったりと着る服に困る今日この頃、皆さんはいかがお過ごしでしょうか。
私は今、着る服だけでなく、ブログのネタにも困っています。もう、何を書けばいいのでしょうか。私より先に投稿した新入部員の方々は皆綺麗にまとめられたブログを投稿しているというのに、私ときたら、アイデアはすっからかん。私にしては珍しく、深夜まで起きてパソコンの前で必死に考えているというのに、全くネタが出てきません。いえ、出てくることには出てくるのですが、どれもピンと来ないので全部頭の中から消し飛ばしてしまいました。一つくらい残しておけばよかったのに、私は何をやっているのでしょうか。これでは書くものも書けません。とはいえ、初投稿をすっぽかすのは流石にアウトなのでこの夜更かしを無駄にしないためにも、なんとか文章を作ってみましょう。

とは言ったものの、本当にどうしましょう。ずっと考えて疲れてしまったのか脳が思考を放棄しようとしています。何より眠いです。夜更かしなんてするものじゃありませんね。何故か私の周りでは日付が変わっても平気で活動できる人間が大量にいるのですが、人類はいつから夜行性になったのでしょうか。夜寝て昼に起きている私がおかしいのでしょうか。まあ、その私もついに夜更かしデビューを果たしましたが。でも、こんなに夜更かしをするのはおそらくもう今夜だけでしょう。こんなの疲労がたまるだけで一ミリもメリットがありません。
とかなんとか言っていたら、そこそこの量が書けていました。考えなしに書いても案外どうにかなるものですね。不思議と眠気も何だか落ち着いてきましたが、日中起きていられるか不安です。実は今日の午後、美容院を予約しているのですが、施術中に意識が飛ばないか心配でなりません。
そういえば、両親が私のブログを見ると言っていたのを思い出しました。
楽しみにしていた娘の初投稿がこんな内容で大丈夫でしょうか。間違いなくため息をつかれると思います。特に父は祖母や親戚にも私のブログを拡散する気満々でしたが、これを読んだらどんな顔をするでしょう。お父さん、お母さん、初回からこんなにふざけてごめんなさい。
さて、大人しくしていた睡魔が元気を取り戻してきたみたいなので、この辺で失礼します。早く寝たいので文章の見直しとタイトルを考えるのは、未来の自分に託します。皆さんも夜更かしは程々に。
ありがとうございました。

私記折々

ブログをご覧の皆様、お初にお目にかかります!


新たにブログ部の一員となりました、1年のまどかと申します🐧

日本文学科ブログ部として筆を執らせて頂けること大変嬉しく思います。どうか皆様に楽しんで頂けますように。


……などと随分堅苦しいご挨拶で始めてしまいましたが、、猫を被るのはこの位で十分でしょうか。明日は猫の日ですし少々フライングしてみたのですが、猫被りはこんなもので限界です。

私という人間には真面目でキチンとした雰囲気はどうも水が合わないようで…このような人間がここに紛れ込んでしまってよいのやら。。。開始から10行足らずでもう先行きが不安です。


さて2日前から始まった、ブログ部新メンバーの1年生による初更新。私の前のお二方のブログはもうご覧になったでしょうか。大学生の生活や日本文学科について鮮やかにお纏めになっていて、、、なんと素晴らしいブログでしょう。

これだけご両人が流麗で素敵なブログを更新されているのならば、私が多少おふざけ遊ばしたところできっとバレないでしょう。よし。いけるいける。

これはもはや前振りです。日本人たるもの押すなよと言われれば押すのです。



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そんなこんなで水を得た魚、スターを取ったマ○オ(配管工のおじ…お兄さん)という具合になりまして、ゆる~~~っとのびのび自己紹介をしていこうかと思います。

まずブログ部メンバーには1人1つアイコンのような絵文字がございますが、私のアイコンは🐧です。

その理由は単純明快! 好きだからです。

短絡的!!!!!!!


なんだか口を開けば開くほどIQの低さが露呈していますが…兎にも角にも私はペンギンが大好きです。

特に「フェアリーペンギン」というペンギンが好きで、その小さく愛らしい姿に心を奪われています。成長しても体長40cm程しかなく「コガタペンギン」とも呼ばれます。カワイイネ…

(一般的な「イワトビペンギン」などが70cm前後)

そのような訳でして、私のことは騒がしい文章と🐧ペンギンのアイコンで覚えて頂けたら幸いです!

また、オリジナルのキャラクターとしてフェアリーペンギンからインスパイアされた「ペンケン君」を生み出してみました。

今後のブログでお写真を載せる際、モザイクが必要そうなところで彼の力を借りるやもしれません。

いわゆる「見せられないヨ!」的な、隠し芸(物理)をお披露目頂くことでしょう。

「ペンケン君」の最近の悩みですが、生みの親である私とお揃いです。本当にもう腰が痛くて痛くて、、、、って話の腰まで折れてきました。



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このままではペンギンブログになってしまいますから、日文ブログらしいことも申し上げなくては。

実は日本文学科には卒業研究などをする「ゼミ」とは別で、学生が主体となって休み時間や長期休業中に研究をする「自主ゼミ」というものがございます。

その名の通り学生が自主的に活動するもので、日本文学科の学生であれば1年生から参加できます。

上代・中古・中世・近世・近代・創作・図書館・日本語・日本語日本文学交流など、それぞれの学生の興味関心に応じて好みの自主ゼミに所属することができるのです。もちろん強制ではありませんが、自分と趣味の合う友人と切磋琢磨できるとても魅力的な時間を過ごせます!


その中で、私は「近代自主ゼミ」に所属しています。

週に1回のランチミーティングを主として、後期は中島敦先生の「かめれおん日記」を皆で研究していました!中島先生と言えば、近年は「文豪ストレイドッグス」や「文豪とアルケミスト」などでキャラクターとしても活躍しています。

研究していたのは中島敦の文学作品ですが、近代自主ゼミのメンバーには上記のアニメや漫画、ゲームが好きな学生が多く、ミーティングがいつの間にか推し語りと化すこともしばしば…(笑)

近代自主ゼミに限らず、どこのゼミも和気藹々と語り合っていますので新入生の方やまだ自主ゼミに入っていない在学生の方はぜひ入ってみてはいかがでしょう?


ちなみに、近代自主ゼミではつい先週「自主ゼミ旅行」に行って参りました!

研究していた中島敦の「かめれおん日記」の舞台が横浜であったことから1泊2日の横浜旅行へ~!

「神奈川近代文学館」や「中島敦文学碑」、「与謝野晶子歌碑」など様々な場所を訪れました。

偶然、神奈川近代文学館で開催中だった「文豪ストレイドッグス」とのコラボ展示も大興奮で、ゼミ員若干名の断末魔を含みながら満喫しました。私も推しの尊さに思わず息が…。



このような自主ゼミ旅行については各自主ゼミやその年によっても実施状況が異なりますが、思い出に残る経験ができるのはまず間違いありません。

SNS運営をしている自主ゼミも多いため、ご興味があれば気軽にお問い合わせください。近代自主ゼミはいつでも新メンバー募集中です!(毎週水曜日の昼休みに百年館502にて活動中、見学も受け付けています)




さてはて、いつの間にやらこんなにも長くお話してしまいました。

このような形でゆるりと日々に溢れる色々なことについて、折に触れて私記を綴っていく所存です。

四季折々、拙い文章ではございますがその時、その瞬間にしか書けないような感情をお届けいたします。

よろしければどうぞお付き合いくださいませ。


ご覧いただきありがとうございました。本日のお相手はまどか🐧でした!

大学生になって変わったこと

皆さん、はじめまして。みちこと申します。

この度より、ブログ部の一員として活動することになりました。

私の書くブログでは、主に「私が大学生活を通じて感じたことや考えたこと」をテーマに執筆をする予定です。

大学内での活動はもちろんのこと、大学外で個人的にやっている活動(主にオタク活動)に関する記事なども書こうかと思っております。

拙い文章かとは思いますが、今後ともお付き合いしていただければ嬉しいです。

 今回は、「大学生になって変わったこと」というテーマでお話しようと思います。

この時期になると、新しい環境へ身を投じることが決まった、という人が多くなる頃かと思います。

私自身もこの一年、本学の学生として過ごしてきて以前とはかなり生活が変わったな、と思いました。

そこで今回は、高校生から大学生になって、変わったな、と思う点をご紹介したいと思います。

そこからの掘り下げが少し長くなりますが、何卒お付き合いくださいませ…。

 大学生になって以前と変わったこと。それは、とにかく自由度が高い!ということです。

授業の履修も、必修科目を取ればあとは何をどのような組み合わせでとっても構わないし、授業以外の空いた時間をどう過ごすも自由、と。

どのサークルに入っても構わないし、どんなバイトを始めたっていいし、大学外で何か新しいことに挑戦するでもいい。

挙げたらきりがありませんが、とにかく大学という場所は、それまでの学生生活とは一変して、かなり自由な場所です。

しかし、こうも言います。「自由には責任が伴う」とも。

その言葉通り、大学生とは行動の自由度が一気に高まる反面、その責任も必ず自分自身で背負わなければならないな、と強く感じました。

そして、責任をとる、とはどういうことなのか、少しだけその言葉の意味を理解できるようにもなりました。

当たり前ですが、責任とは自分の何らかの行動がなければ成立し得ないものです。

高校生までの私は、責任をとる、という言葉の意味をいまいち理解できていませんでした。

それもそのはず。なぜなら、責任が生じる以前に必要になる「自分の行動」というものをしていなかったからです。

自分で何かを決め、それに沿って行動する。

そのような経験を私はこれまでの人生であまりしてきませんでした。

何かを始めたい!と思っても、時間がない、とか今やるべきこととの両立ができるか、とか様々なことを考えてしまい、結局新しいことに挑戦することをしてきませんでした。

ずっと何かしらのことを諦めて生きてきたな、という自負があったのです。

なので、高校卒業時に、そんな自分とはお別れしたい、大学に入ってからはある程度は自由になるのだから、自分のやりたいことをすべてやってみたい、という決意をしました。もう、何かをやらずに後悔する、という経験を増やしたくなかったからです。

そして、その決意通りに行動することもまた、自分に約束しました。

そして、本学の学生となった今、私はその言葉通り色んなことに挑戦しました。

サークルに入って新しいことを始めてみたり、バイトに応募してみたり、(バイトに応募した時は本当に緊張しました…。今思い出すだけでも緊張します…。)ボランティアをしてみたり、と、今思うと本当にはじけたな、と思います。極度の慎重派で、どんな些細なことでも必ず情報収集をし、メリット・デメリットなどを考えすぎてしまうという自覚がある私に、こんなに色んなことを始める力があったのだな、と驚いています。

この一年を振り返ると、「初めてのこと」をたくさん経験してきたな、と思います。

これだけ色んなことを始めてみて思ったことは、「やってみなければ分からないこともある」という、当たり前ですがとても大事なことでした。

「始める」というハードルを越えた先に待っているのは、「続けるかどうか」という選択だと思います。

「自身の目指す先」も踏まえて、「今やっていることは本当に自分にとって続ける価値があるのか否か」を見極めること。

それが私が次にやるべきことなのかな、と今は考えています。

初回から長々と失礼しました。私の投稿は毎回このような感じでいこうかな、と思っております。

それではこの辺で失礼いたします。

他の皆さまの投稿も、ぜひ楽しんで下さい!

日本文学科という所

はじめまして!

今年度からブログ部で活動させていただく、一年のしらと申します🪶
最初のブログでは何を書こうかと頭を悩ませていた毎日でしたが、
せっかく学期末という時期なので、この日本文学科で過ごしてきた一年間について話させていただきたいと思います。
大きく出てしまいましたが、どうかお付き合いくださいませ。

この一年間、何度も聞かれた質問があります。
「日本文学科って、何するの?」
それに対して、私は一年間このように返してきました。
「日本の文学について勉強するんだよ」
中国文学を扱ったりすることもあるそうですが、やはりこの答え方が一番簡潔でわかりやすいでしょう。
大体、この答え方をすると驚かれます。「ええ、大学でも国語を勉強するの」と。
その通り、大学でも国語を勉強する毎日です。
「大変だね」大変です。
「嫌にならないの?」嫌になります。
でも、私は大学に入ってから「国語」そして「日本文学」がさらに好きになりました。

私は、小さな頃から本が大好きな子供でした。
絵柄だけの子供向け絵本には興味を示さず、物語がしっかりあるような絵本が大好きだったそうです。
小学生の頃には「文芸クラブ」に入り、クラスでも「文芸係」を立ち上げて小説を書いていたような子供でした。
当時から尊敬していたはやみねかおる先生にだいぶ影響を受けた、というか、そっくりな作風の小説を書いていました。
母に内緒でインターネットの小説サイトに恋愛小説を投稿したり。(その後バレて怒られました。)
もちろん当時の夢は小説家。授業で書いたエッセイを先生に褒められたこともありました。

中学のころには少し本から離れましたが国語の時間が本当に大好きでした。
このブログを読んでいるようなみなさんには共感できるでしょうが、
現代文の教科書は隅々まで読み込みました。取り扱わない文章まで。こっそり、授業中に。
高校にあがり、コロナが流行する中で文芸部に入部したりもしました。
しかし、この頃には「国語の勉強」はすっかり嫌になっていました。
なまじ読解力があるばかりに(!)中学の古典は文法を覚えずとも感覚で読み解けていたのです。
もちろん高校古典で挫折することになります。現代文は得意だっただけにギャップに苦しみました。
そして、「自分は国語が得意だ」という変なプライドもへし折られました。

この大学で過ごした一年間について話すと言いながら、ついつい昔話が長引いてしまいましたね。
ここからが大学での話です。私はこの大学に入って本当の国語の楽しさに気付きました。
気づいたというより、思い出したという方が近いかもしれません。
国語が楽しくて楽しくて仕方ないのです。先生の講義が面白くて面白くて、レポートを書く手が止まらない。
日本文学科は「国語」を勉強する所ではありません。「日本文学」を研究するところなのです。多分。
私は1年しかこの学科にいないのでわかりきったことは言えませんが、
この1年日本文学科で勉強してきて私はそのように感じました。

友達とひいひい言いながらテクストを読み込み、考察する。
答えはないけれど、その中で自分なりの答えを導き出す学問がこの分野なのだと思います。
辞書より分厚い、ボロボロの文献を何冊も図書館の机に並べ、何時間も向き合います。

たった17文字の一句と。

この作者は何を思ってこの句を読んだのか?その句を読んだ学者たちはどうしてこんな解釈をしたのか?
ひたすらに考え、向き合い、レポートを書き上げます。とても苦しく、楽しい学問です。
日本文学は、日本語を扱える人にしか研究できない学問であると同時に、
日本語を扱える人でないと楽しめない芸術だと思います。

この一年間で絵巻にハマり、色々な展覧会に足を運んだりしました。
歌舞伎に興味を持ち、母と共に観にいってみたりもしました。
最近はあんなに苦手だった「国語」の教員を志してみようかとも、考えてみる毎日です。

このブログを読んでいる人の中に受験生はどのくらいいるのでしょうか。
私も、受験生時代からこの当世女子大生気質を毎日読んでいたので、
書く側となると少し気合いが入ってしまいました。
日本文学科の楽しさ・魅力が伝わっているならそれ以上に嬉しいことはありません。
日本文学科、いい所ですよ。少なくとも、国語好きにとっては天国です。(地獄でもあるかもしれませんが)

ここまで読んでくださり、ありがとうございました。
次からはもっと肩の力を抜いて、趣味の話やら諸々話していきたいな〜と緩く考えています。
その時はまた、お付き合いくださいね。

以上、本日のお相手はしらでした🪶

皆様、良き春休みを〜👋🏻

春一番

ご無沙汰しております、みちるです。

 

すべては身体なんですねー。
そういわれてもこちらは困惑してしまうものですが。
私の身体について、私がまだ知らないことがあるみたい。それはきっと最期の瞬間まで続いていて、ぎらりと光ってみせるのはいつのことになるやらわからない。

数々の試練を突破した先にあるのが桜色の輝きでなかったなら、私はこの道を引き返すべきなのかもしれない。しかしもう、そんなことを言っているうちに、別れのときが近づいてくるからやるせない。

 

(間奏)

 

「春一番」

そうね、もう。その季節になった。

「春一番」

そう聞いて連想されるのは、「もうすぐ春ですね」という新しい靴の第一歩の響きか、それとも「私たちお別れなんですよ」という引っ越し前夜のさびしさか。
長らく私は、「雪が解けて川になって流れて」ゆくさまを想像して満面の笑みを浮かべる嬉しい生き物だった。けれどこうも「卒業」を意識せざるを得ない時間が訪れてしまっては――そう、きわめて最近のこと――否応なしに「お別れ」の表象が優位になって困る。

バルトロメウ・ディアスが喜望峰に到達したとき、当時どこを彷徨っていたかもわからない私の細胞もまた、悲嘆と喜びを意識したはずだ。きっとそのようにできているから、あなたが悲しみに暮れる日も近いと思うのです。
私という神経細胞が、吸血鬼が、オオカナダモが、ハルキゲニアがそうであるように、あなたも悲しみ、慈しみ、そして愛することができるはずですから、心配せずに鼻歌を歌っていてほしいのです。

 

今年も春一番が吹き荒れ、愛の胞子を飛ばして去っていきました。
私のわがままを聞く暇もなく颯爽と逃げていく彼は、きっと来年には別人なんだわと思いながら、煙草をふかす。この一本にも別れを言わなければいけないでしょうか。

しかし、センチメンタルな様相を呈してやってくるのが春というものですから。
いましばらく、耐え忍んで。

 

またお手紙書きますね、大好きです。    みちる

痛くも痒くもない

こんにちは、ゆきほです🍵

今月前半はお休みをいただいたので、1ヶ月ぶりの更新となります。

前回はおでんの話をしつつ、実は課題やバイトなどに追われて忙しめな日々を送っていましたが、現在はどちらも落ち着いて嬉しい限りです。

春休みは春休みでいろいろと予定が詰まっていますが、焦ってやらないといけないことはそこまでないため、久しぶりに高校の友達と会ってたくさんおしゃべりしてきました。

高校の友達と会う予定も今月あと2回できて、月末には大学の友達との楽しみな予定もあるので、オンオフをしっかりつけて頑張りたいです……と、私らしからぬポジティブで真面目な発言で近況報告は締めたいと思います。

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先日、私の視力を上げてくれるメンバーに新しくコンタクトレンズが仲間入りしました。メガネ、度入り水中ゴーグルに続く、10年以上ぶりの新メンバー加入です。

今まで誰にコンタクトを勧められようと「やだ!!こわい!!」と頑なに拒み続けてきましたが、春休みにコンタクトがあるといいだろうな〜という予定ができたことで渋々導入を決意。早くから予約を入れるとどんどん嫌になる自信があったため、前日に突然来店予約をしてコンタクト屋さん(で合ってるのかな?)へ行きました。

……と軽く書きましたが、行く前に「えっコンタクトってどれ買えばいいの?1種類しかないの?(そんなわけない)」「コンタクトのお店から眼科に行って入れる練習しに行く!?!?どういうこと!?(そのままの意味です)」と大騒ぎして、結局母に着いてきてもらいました。

コンタクト屋さんで値段と性能を見比べてメーカーを選び、弟もこのお店でコンタクトを買っていたことが発覚したため割引も使えてハッピーな気持ちになりつつ視力検査のために同じ建物内にある眼科に向かいます。

視力検査をしたら今使っているメガネで1.5も見えていることが発覚したり、私の乱視が独特すぎてコンタクト屋さんで選んだメーカーが対応していなかったりというトラブルはありましたが、無事に診察まで終えていよいよコンタクトを入れる練習に入ります。

直前に怖すぎてハイになりながら母に「左目1分、右目1分で終わらせて出てくる」と話していましたが、まあこの発言が見事なまでにフラグとなりまして。本当に全く入れられなくて結局全てが終わるまでに2時間ほどかかりました。

横で励ましてくれていた眼科のお兄さんも途中からいなくなり、1時間過ぎたあたりから『誰かもうお前には無理だと引導を渡してくれ……!』と思いながら格闘し、やっと入ったと思ったら右目の乱視の角度が合っていなくて「もう1回入れる元気ありますか…?」と聞かれる辛すぎる流れ。しょうがないのでもう1回入れて(2回目は体感5分で入りました)視力検査をして外したところで眼科に着いてから2時間が経過していました。この時点でコンタクトはもう今後一生入れたくなくなりましたよね。

翌日。

すごく嫌だけどやるしかないのでコンタクトを入れましたが……なんと30分で入って!!(でも30分かかったんだねとは言わないでください)
完全に自信を取り戻して『これはコンタクト行けるんじゃない??』と思っていた私は、その日のうちにまた深い傷を負うことになります。

結論から申しますと、取るのに1時間かかって泣いて、結局母に取ってもらいました。

前日は外す時点でもう2時間近く経っていたので一刻も早く外して帰りたくて、えいや!と取れたんですね。でも、時間に追われないで取ろうとすると途端に無理になっちゃって。だって怖くない!?眼球つまむんだよ!?

片目が取れた時点で心が折れて「もうこっち取れてるからこっちは取らなくていい、こっち隠してメガネかければ見れる」「何でメガネより見えないものに2時間かけないといけないの!?(どちらかと言うと1.5見えているメガネがおかしい)」と言い出し、泣きながら母に取ってもらいました。

1時間格闘した右目はしばらく痛かったけど、母に5秒で取ってもらった左目は全く痛くないのも辛かったです。

そして先日この話を何人かの友達にしたところ、

・私はじめて入れるとき眼科で30分かかってやばいなと思ってたけど上には上がいるんだね。
・2時間!?超迷惑じゃん!
・(外れなくて泣いた話を聞いて)泣くと滑って余計取れなくなるよ

とのご意見をいただきました。まあ、ぐうの音も出ませんでしたよね。

実は涙を流したあの日からコンタクトは入れていないので(普通に朝が早くて帰りも遅い日が続いてコンタクトに割く時間がなかったため)明日、いややっぱり明後日くらいからまた練習します。

ではまた。

梅風かおる京で

春は花粉症、夏は死ぬ。秋は幻、冬は寝込んで、また春がやって参りました。私はここ数日頭痛と目眩に悩まされており、薬飲めども気休め程度です。目と鼻はまだ何ともありませんので本当に花粉症なのか風邪の後遺症か疑うばかりです。

花粉降り頻るこの頃といいますと、そろそろこのブログ部にも新入部員さんの投稿が始まるということで、私も心から楽しみにしております。自己紹介をチラッとみたところ、皆さん趣味を複数お持ちで羨ましい。あと同類が少なくとも二羽いて嬉しいです。

話は戻して花粉の大元凶杉でございますが、いつもは滅んでくれと思っている私が、例外的に杉へ頭を下げる時があります。伏見稲荷の「しるしの杉」です。「きさらぎやけふ初午のしるしとて稲荷の杉はもとつ葉もなし」という歌もあるように、初午参りをした際に御弊として持ち帰る風習があった杉の葉。今は1500円で授与所にていただけます。

2月午の日の暁、前々からやるぞやるぞと決めていたのにも関わらず寝坊し、急いで出町柳の駅まで歩きましたけれども、まだ出町の橋を渡っているところなのに6時になってしまいました。日の出の刻まで47分です。

17分発の急行に飛び乗り、揺られること数分、七条から東福寺の間で東の空がうっすら青くなっており、すっかり出遅れたことを実感いたしました。

伏見稲荷の駅に着きますとすっかり空は水色になっており、鳥居の前にはカラスが群がっておりました。人はちらほら居りましたが、それでも静かです。

本殿に参拝をして、いざ千本鳥居へ。撮影している観光客もおらず、待つことなく頭下げることなく進むことができました。

四ツ辻に着くと、そこには朝靄かかった街。物珍しく見入っていたら、雨が降り出したので先を急ぎます。

道が整備されているとはいえ、なかなかの山ですので苦しさに加えてだんだん暑くもなってくるわけでございますが、止まると余計辛くなります。他の参拝客と、追い越し追い越され挨拶を掛け合いながら、山頂を目指します。目的が同じ者は多ければ多いほど自分にとって力になります。

途中、御剣社があります。ここは能の『小鍛冶』の舞台でして、昨今の刀剣ブームも相まってか、ここは一段と小さな鳥居を持っていく方が多く見られました。私も個人的にここには昔お世話になった身、供えようかとも思ったのですが、小さいのにちょっとバイト無し学生にはお高いんですね、鳥居。もっと社会的に活躍して、自分の願いが叶ったら、参道に建てたいなと思っています!

約一時間ほどかけて登頂すると、やはり初午ですので、をあげさんを持った参拝客が末広大神の御前に詰めかけていました。持参はしてきていない人も、目の前の売店でお供え物を買って。

本殿の方へ戻るとそこには大勢の参拝客!本殿にはもちろん、授与所にもとんでもない人が押しかけていて、朝早くに行って本当によかったです。こうしている間にも増える参拝客。直ちに退散を、と楼門の方へ向かうと、また雨が降り始めました。お稲荷さんの縁日に朝から複数の狐の嫁入り。天気が変わりやすい山かつこの季節とはいえ、なんだか不思議で素敵な1日の始まりとなりました。

こうも早く1日が始められると、次の行動が起こしやすいものです。この日は京阪で北上し、三条で降りて、みやこめっせで行われていた『京菓子と京の文化の祭典』に行って和菓子作り体験をしてきました!

亀屋重久さんの指導を受けて、挑戦したはいいものの、とても難しく、かなり見本とかけ離れたものとなってしまいました。今年度の国語国文学学会で和菓子作りをしたと伺って羨ましかったので私もようやく、しかも亀屋重久さんに教えていただけて嬉しかったです。

207番で京都駅へ行き、乗り換えて千本七条へ。『本家さんきゅう』さんでランチの寿司定食をいただきました。ここは卸売市場の隣に位置していて、大きめで新鮮なおさかなを使っているので安いうえにとても美味しいです。

そのあとは梅小路公園で早咲きの梅を鑑賞しました!

今年も咲くスピードが速く、北野天満宮さんでもすでに見頃を迎えそうなまであります。もしかしたら吉野の桜を見て帰れるかもしれないという希望を胸に、あと1か月ちょっと、京都暮らしを満喫しようとおもいます!

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FIREのススメ。

こんにちは、あこです。

今日はバレンタインですね。

中・高・大と女子校に身を置いているあこにとって、バレンタインはたくさんのチョコを渡し、たくさんのチョコをいただきまくる”ありがたい”日。

コロナ禍を経た今となっては「古い慣習」だと思いますが、(少なくとも中学までは)手作りチョコが主流でした。だから、チョコを作らねばならぬのです。お菓子作りはおろか、料理、モノづくりすら興味のなかった当時のあこにとって、それがどれだけ辛かったか。

加えて、中学までは”お菓子NG”という規則がありました。それなのに、部活動では先輩にチョコを”献上”しなければならないらしい。

学校のルールは破りたくない、でも絶対みんなはチョコをくれてしまう。

絶対にバレたくない、でも先輩に渡さないといけない。

絶対に怒られたくない、でも”頭の固いやつ”とは思われたくない。

考えた結果、何かとチョコを混ぜたザクザクの塊を茶封筒に入れて友人・先輩たちに配ることにしました。(中1)

そしてバレンタイン当日。

今思えば、先生たちも”諦めていた”のだと思いますが、学校へ行くと、そこは普通に「バレンタイン」でした。

仲の良い友達へ、憧れの先輩へ。可愛いお菓子がビュンビュン飛び交います。

クオリティの高いお菓子が、素敵にラッピングされて、私の元にも届きます。

「ありがとう〜めっちゃ可愛いね!?」

チョコを貰ったら、チョコを返すのが人情というもの。

こう見えて、あこは義理堅い人間なのです。

茶封筒に入ったザクザクの塊チョコを、一人一人返しました。

先輩にも、渡しました。

友達にも、あげました。

「なんで茶封筒に入ってんの!?」

と驚き、笑いながらも受け取ってくれた同級生たち。

「あっありがとうね☺️」と、若干の動揺を見せながらも菩薩のような笑顔で受け取ってくれた先輩たち。

あの節は、本当にありがとうございました。

中2・中3のバレンタインはどう乗り越えたのか覚えていませんが、確か母に作ってもらったマドレーヌ(←これはちゃんと美味しい)を、母にラッピングしてもらって渡していたような気がしなくもないです。

あたかも私が作って私がラッピングしたかのような素ぶりで渡したこと、今ここに懺悔します。

高校生になってからは手作りを卒業(!)し、なけなしの財力で乗り越えました。

チョコを選ぶ楽しさを知り、バレンタイン催事にも足を運ぶようになりました。

高2の時にはついにバレンタインでチョコを渡すことを辞め、チョコをくれた人を覚えておいて「ホワイトデーに返す」というイケメンポジ(!)に勝手に就きました。

そして晴れて大学生になり、バレンタインからは完全に足を洗いました。

バレンタインを利用して感謝の品を贈ることはあっても、大量生産・大量受取の時代は、もう終わり。

ただ、美味しいチョコレートの発掘はいまだに好きなので(←チョコに限りませんが。)百貨店のバレンタイン催事はやはりワクワクします。

「この人は〇〇な感じだから、あのチョコがいいかな〜」

「このチョコにはこんなこだわりがあるんだ!」

「普段は〇〇でしか売ってないチョコが、ここで買えるのですか!?!?」

今年のバレンタインも、美味しいチョコレートに出会いました。(沖縄発のBEAN to BARチョコレートブランド・TIMELESS CHOCOLATEさんです。自家焙煎されたカカオ豆は香り高く、深いコクと甘みをもつ西表島黒糖とよく合います。皆さまもぜひお試しください!)

バレンタイン、最高です。

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バレンタインに限らず、誰かと何か(手紙,メール,プレゼントetc.)をやり取りすることは、とても嬉しくて、幸せなことです。

幼い頃は単純にモノを貰えることが嬉しかったあこですが、自分が”贈る”立場になって、”贈る”前の”選ぶ”行為、更には”選ぶ”前の、相手を”思う”気持ちがカタチになったものこそが、目の前の「モノ」なのだと気付けました。

何かを貰うということは、その人が私を「思ってくれた」ということであり、何かを贈るということは、私がその人を「思った」ということ。

友達、家族、先生、その他お世話になった方々へ。

チョコは渡してないけれど、いつも感謝しています。

10年前~4年前にかけてチョコをくれた方々へ。

今更だけど、チョコをくれてありがとう。

“カタチ”が全てではないけれど、たまには”カタチ”にするのもいいかもね。

バレンタインから(早めに)卒業した者として、思いを馳せるあこでした。

それでは、また。

ひなたぼっこ

くろすけという犬を飼っていた。賢い犬だった。幼稚園の頃、じーじと遊びに行った公園にいたのだ。公園にいた人が「あれは捨て犬だよ。3日くらい前からここをウロウロしているんだ」と言っていた。捨て犬なら、拾っていいんだと思って、家に連れて帰った。私はその時たぶん6歳だったと思う。来年から小学生という年だった。3月4日に拾った。今でも覚えている。誕生日が分からないから、毎年3月4日にお祝いしていた。

くろすけはいい子だった。連れて帰ってすぐは、ビビリで、散歩もまともにできなかったけど、すぐに慣れて、ご飯をモリモリ食べて、スクスク育った。くろすけの犬種は分からない。シェパードみたいな感じはしたけど、野犬というやつだと思う。顔だけが黒くて、それが印象的だったから、くろすけという名前になった。

小学校が終わると、走って家に帰って、すぐにくろすけと遊ぶ。くろすけは室内で飼っていたから、ただいま!と家に帰れば、出迎えてくれる。ランドセルを放り投げて、くろすけと沢山あそぶ。くろすけと一緒におじゃる丸と忍たま乱太郎を見て、天てれを見て、リビングで宿題をして、親が帰ってくるまで、ずっと一緒。休日はパパと一緒に近所の野球場に行って、くろすけと走り回る。くろすけは賢いから、リードを外しても、必ず戻ってくる。一緒に走り回って、帰る時は「帰るぞー!」と言えば、帰ってくる。遊び疲れたら、2人で寝る。私はくろすけと一緒に成長した。

くろすけは本当に賢かった。人間の言葉がほぼ分かっていたと思う。例えば食事中に箸を落としたら、取ってくれた。まあ犬の唾液がつくから洗う手間が増えるのだが、それでもしゃがんで拾わなくていいのでありがたい。それ取って、とか、あれ頂戴、とか言うと、全部分かってやってくれた。あんまりにも言葉が通じるから、昔、くろすけに向かって「もし私の言葉が分かるなら、ワンって言って」と言ってみたことがある。すると澄ました顔で「ワン」と言ったのだ。ちょっと怖くなって「本当に分かるの?」と聞いたら、今度はワンと言わなかった。私が怖がったことも分かって、ワンと言わなかったのかもしれない。

くろすけは頭が良すぎた。あまりにも賢すぎた。人間の言葉を分かりすぎていた。犬にしては頭を使いすぎた。だから急に泡を吹いて倒れたんだ。てんかんだった。犬が老いてからてんかんになるのは珍しいと言われた。脳の病気かもしれないと言われた。片目が見えなくなった。左の目だけ瞳孔が開き切ってしまっていた。てんかんになって、目もおかしいから、心配なら都会に行って、MRI検査を受けてみては、と言われた。行かなかった。てんかんの薬を飲ませるだけで精一杯だった。

くろすけはてんかんで死んだ。私が中3の秋だ。毎日泣いた。小学生の頃からずっとずっと一緒だったくろすけ。くろすけがいない生活なんて考えられなかった。近所の山奥に犬の火葬をやってくれる寺があって、そこに行った。住職さんに、いい犬ですねと言われた。火葬のボタンは私が押した。くろすけは骨になった。遺骨は庭に埋めた。手頃な石を拾ってきて、お墓にした。今でも帰省したら手を合わせている。

東京の街を歩いていると、散歩中の見知らぬ犬が急に私の前で立ち止まることがある。飼い主もビックリして、どうしたの?なんて声をかける。犬が3分くらい私の前から動かなくて、飼い主さんがオロオロする時もあった。陽気な飼い主さんは話しかけてくれたりする。大抵「犬飼ってるんですか?」と聞かれる。「はい」と答えるが、東京では飼っていない。犬の匂いがするものも身につけていない。たぶん、くろすけが近くにいるんだろうな、と思っている。くろすけが死んでから、犬が異様に自分に興味を示すようになったから。

友人とローラースケートの話をした。そういえば小学生の頃は、ローラースケートを履いてくろすけの散歩に行っていた。ローラースケートを履いていれば、くろすけが勝手に引っ張ってくれるので、楽に散歩ができた。その話をした。すると友人に、「とても過ごしやすい日に縁側で寝ちゃって、そのときに見る夢の話かと思った」と言われた。そうかもしれないと思った。穏やかな春の日に、くろすけのことをよく思い出す。

最近、死んだ人が生きている人の夢に出てくるのはとても難しいというような話を聞いた。どうりで私の大好きな人たちはなかなか夢に出てこないのだ。くろすけも全く夢に出てきてくれないのでずっと悲しかった。それでもたまに夢に出てきた時は、大抵二人で楽しく遊んでいるのだ。くろすけを抱きしめていたら、いつの間にか人間の男の子になっていて、私にとっての可愛い弟だったことを思い出して、より愛おしく感じて、もっと強く抱きしめたら、また犬に戻って、でも人間の男の子で、嬉しくて、そんな夢を見たことがある。夢の中で、人間の男の子になれるくらいには、やっぱり賢かったんだなあと思う。さすがに文字は読めないと思うから、このブログは読んでいないだろうけど、私が今でも大事に思っていることとか、大好きなこととか、そんなことは当たり前のように分かっていると思う。だからまた遊ぼうね。ずっとずっと大好きだよ。