個性っつったってよー!
というテーマで管を巻きまくっているので鳥も獣もみな逃げろよ。
ところで管というのは機織り機の糸紡ぎのとき使う錘(眠り姫が指刺すあれ)のことです。あれをブイーンブイーンと回す音が低く+絶え間なく+割とうざいことから「管を巻く」という表現ができました。私自身も身を以てブイーンブイーンやったことがありますが、確かに割とうざかった。でも割とうざいことって自分でやるぶんには面白いので罪深い。慣用句的な意味でも……
などとドヤ顔で語ってしまいましたが、もし錘じゃなかったらすみません! なおこれ漢字表記を初めて見たのですがどう見てもオモリですね! しかしツムと読みます!
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投稿者「azumi」のアーカイブ
マインカートコースター
あずみですこんにちは
以前鉱山についてこちらに書かせていただいたことがございます。あれからひと月? ふた月? 忘れたわ。幾月かの時が経つともその情熱はさめやらず、ついに身をもて行ってきました! 日光は足尾地区、国史に名高き足尾銅山です! 写真なんぞございません! 撮ってる場合ではありません! とても素晴らしかったです。涼しさを通り越して鳥肌が立つほど寒かったのはさすがにちょっと予想外でしたがそれもまたよし。心地よし。
足尾銅山が「日本史に名高い」というのはもっぱら足尾銅山鉱毒事件による知名度ですので、その内部の展示においても相当積極的に田中正造氏をプッシュしてくるのだろうと思っていたのですが、実際はあくまでひとつの鉱山としての誠実な案内にあふれていたように思います。田中正造がどうというよりも「このような発展を遂げた結果、このような事態(鉱毒事件)となりましたが、田中氏が起訴したりして、このように処置されました」という、さらりとしながらも欠かすことはない文面による紹介だったように思います。いいね
先にも申しましたように部外者が見れば大抵のばあいは日本史が、つまり日本史のなかでの鉱毒事件こそが、足尾銅山を知るきっかけとなりがりですので、それだけ事件のウェイトを大きく感じてしまいがちなのですが、そこにいる方々にしてみれば、それは足尾銅山の何世紀にもわたる操業のなかにおける重要な一か所に過ぎない(軽んじていいって意味じゃないし軽んじているって意味でもないよ)。足尾銅山なくして鉱毒事件はない。足尾銅山は足尾銅山である。ということをまざまざと感じました。
銅のみならず銀や硫黄など色々な鉱山へ行ってみたいわ~それらは見た目的に違いとかあるのかな? 恐らく精製するまでは特に違いとかなさそうですし、発掘手法もおおむね同じだろう(あれだけ洗練された技法もほかにそうそうあるめえよ)と思いますが、足尾銅山では銅銭の展示が行われていましたし、そうしたところに生じる変化を楽しみたいと思います。ああ文明って素晴らしい。そして尊くありがたい。
***
お宿は日光金谷ホテルでした。別館ですが見よこの威光。

天気が良すぎて辛うございました
畏くも昭和天皇皇后両陛下がお泊まりになったお宿に、この一般庶民……それどころか自分で勤労してすらいない私のような者が足を踏み入れて……あまつさえ労を癒して……そんな……ほんとうに良いのだろうか……? 不敬罪で斬られない? などとたじろげることの喜びよ。戦後日本における階級差別や人種差別いっさいなしの間口の広さは実に魅力的だとは思いますが、さすがにそこばっかりはもっとお高く天高く留まってくださっても構いませんのに! ねえ! しかしそのようにオロオロしながらその御心の広さに身を任せるときの畏怖といったら類を見ないものです。人間は優しいものにこそ畏怖をおぼえる。
それにしても金谷ホテルベーカリーのパンが超美味だったのさ。あまりに美味だったので、食べては寝て、寝ては持参した小説を読み、小説に飽きたらDSをやり、DSに飽きるころにはまた腹減ってたからパン食べる~みたいな見事なバカンスっぷりを堪能して来た。すなわち旅先であるという事実に対する無駄遣いを果たして来た(東照宮すら行かなかった)(中禅寺湖と竜頭の滝にはうっかり行ってしまったが何となく敗北感をおぼえた)。しかもそれに加えて朝昼夕しっかりお食事いただきました。旅先ではいくら食べても人としてまともな範疇に留まる程度の食事量であれば自宅で同じ量を食べる場合に比べ太らないのでいいですね。まあ太りましたけどね。あんだけ食べればそりゃ太るわね。
でも帰ってきたらあのパンども近所のスーパーに売ってやがんの。バカー。
そのスーパーでは以前私が小田急だか京王だかの百貨店で開催された駅弁大会(ものすごい人出)に必死の思いで行ったときにも同じようなことがあったので釈然としない。商売上手なのは分かったが、駅弁ってのは駅と百貨店の催事場でだけ売ればいいのではないだろうか……利便性とレアリティの戦い……
精気を食う館
こんばんは。
私もみどりちゃん同様、博物館実習に勤しんでいます。
実習先は先生が決めてくださるのですが、
おかげでこれまでは存在すら知らなかった博物館や
博物館のバックヤードなどへ行くこともでき、
はーこりゃいい実習だわーと日々思っております。
しかしながら博物館というのは不思議なことに
ただ立って歩いて眺めているだけにも関わらず
とてつもなく疲れるんですよね。美術館もだけど。
あれいったいどういう作用から来るんでしょう。
一応多少は頭を使ってるってこと? そうとも思えんがなー
今日行ったのは上野の国立歴史博物館でした。
国宝・重要文化財が絢爛と嵐のように目に飛び込んできて、
そこで蓄積した疲労たるや並々ならぬものがありました。
途中何回ソファに身を預けたことか分かりません。
しかも私だけの話ではないのか、休憩室のソファでは
老若男女や国の隔たりを超えて、数多の人が悉く
ぐったりしていたり、眠っていたりするという光景。
宇宙時代の難民キャンプってこんな感じかも。
これほどまでに万人の体力精力を吸い取ることこそが、
国の重宝たる扱いを受ける所以なのかもしれません。
しかし仮にそうだとしたら、箸にも棒にもかからんような
つまらん展覧会であれば、これほどまでには疲れない?
さすがにこれを実験するのは何だか気が引けるな……
***
話かわって
私は国立歴史博物館のなかで本館の建物が最も好きです
(「なか」という言葉にふさわしいのかは微妙なところだが)。
特に仏教徒という自覚もないような私ではありますが、
彫刻や絵画や曼荼羅などの姿で顕現した御仏の似姿が、
展示ケースや収蔵庫に数百以上もおられるかと思うと
「ああ、ここにおわしますならば良かった」と思えるものです。
ここならばさぞや大事にしてもらえていることでしょうな……
いやいや
寺社仏閣の仏像だってそりゃあ懇切丁寧に扱われているのでしょうが
そうした施設ではない場所で、なおかつこうまで大切にしてくれる場所が
いったい他にあるだろうか? なおかつ宗教的打算のない場所が?
誰か(不特定多数可)にとって大事なものを、
それほど大事でもないと思ってる人(一個人限定)が、
その誰かとやらを茫漠たるイメージとして想ったり想わなかったりしながら、
ともかく大事に扱えるということは素晴らしい。もっとも美しい模倣。
それこそこの世で一番といって良い美徳ではないかとすら思いますな!!
***
今日で実習が半分終わりました。
あと半分、体調を崩さず頑張りたいです。
しかしあまりにも意識すると緊張のせいで却ってまずいことになるため
「いくら頑張ったって崩れるときゃ崩れる」の旨を忘るまじいぞと思います。
とりとめなどない
折り畳みで阿久悠さまのやばさがやばいという話
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大地のはらわた
あずみです。暑いです。バテました。
私は五歳くらいのころ肉屋の冷凍庫に閉じ込められたことがあるのですが、枝肉やら何やらがぶらさがったり積み上がったりしているなか、入庫後だいたい二分くらいはただ涼しくて静かで心地よかったと記憶しています。あーやりてー当時じゃなくて今あれやりてー本気で(アホくさい言葉づかいをしてごめんなさいね) さもなくば鱧の梅肉和えを一刻も早く食べたい。鱧だけが私に夏を愛させてくれる……
それにしても暑すぎる。渡り鳥になって夏の到来に合わせ北へ逃げてしまいたい。ツバメらは南北どっちから来てるんでしたっけね。この季節はツバメを見るときだけすがすがしい気持ちになります。ツバメはいいものです。日本の名俳句的には確か母が死んだとき梁に二羽止まっていた気がします。ってすみませんね曖昧で
久しく俳句にも触れておりませんし、触れようという機会や衝動も持たないまま長い時が経ちました。恐らく私に具わっている俳句(を楽しむこと)への琴線がそれほど敏感ではなかったということです。俳句にせよ著作にせよ質量の消化は中学校と高校でこなしまくって、大学生になったらその山のなかから気になったのをあらためて掴み出し、三回くらいずつ読むことが理想的であるという印象がある。概ねスムーズであるという印象がある。
それで行くと新国語便覧とか反則ね! そしておおむね最高ね!
あれ読むだけで超楽しいし大体のストーリーとか時代背景が分かるからね!
ただやはり登場人物の心理の機微がやたらと凝っている小説だと、あらすじだけを見たときに却ってわけが分からない(個人的にこの傾向はイギリス文学つうかブロンテ姉妹とハーディと村上春樹に対してよく感じる)ことになるので、そういうのはちゃっちゃと解説とか先に読んじゃいますわね。読書としては邪道かもしれん。
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なまがわ
梅雨時は何といっても髪の毛が難ですね。
一髪二姿三器量っつってね。
朝シャンさえすれば一番きれいにフォルムを保てる季節とも言えます……
が、それをしない場合、特にドライヤーを怠って寝た場合、
髪型の酷さは筆舌に尽くしがたいものがあります。
というわけで私はウィッグを導入いたしました。
これは実に良いものです!
もうヘアケアの努力とはおさらばです!
人はこうしてダメになります!
もちろんウィッグがダメなのではありません!
ダメなのは利器の導入によって地毛の手入れを怠る弱い私です!
はぁー(←ためいきだよ)
ちなみによく尋ねられることですが、ウィッグは意外とムレません。
ショートボブならば通気性もよく、軽く、実に過ごしやすいです。
ただしうなじから地毛が出るリスクが常にあります。
***
ちうわけで私にはもうヘアケアについて話す権利がなくなりましたわ。
女子力とやらがあるならばそれのの下落を感じますわ。
なので私の女子性の維持のためスキンケアの話をします。
女子力という言葉は好きではありませんが、確かにそれにあたるものはなくもないと思います。ただ女性器がついているだけで女子を名乗れると思うてはならぬ。それで名乗れるのは女であって女子ではない。
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OSAMU
世田谷文学館の『地上最大の手塚治虫』展を見てきました!!!{:rn:} 折り畳み以下でさっそく水を差してしまいますがぼくのわるいくせなんだ……ゆるしてくれよなタク(@ノーマン){:rn:}{:rn:} ノーマンの取り扱いが少なかったの悲しい{:rn:} でもファウストと百物語とネオ・ファウストがあったの嬉しい{:rn:}{:rn:}***{:rn:}{:rn:} つうかこの記事まったく改行とか反映されてないじゃないの!{:rn:} なんじゃらほい
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ジークフリート
ジークフリート伝説にはまってます。
まず名前がかっこいい! シグルズ、ジグルト、ジーフリト、ジークフリートと北欧から中世英雄叙事詩を流れてワーグナーにまでやってきてポピュラー化したその音が実に良い。アルファベットならSiegfried。ザイフリートと読むのもまたいとおかし。硬く鉄がちになりてわろし。あーくだらねー 自分で言ってといて難だけどくだらねー
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この道に産まれ球
10日にLADY GAGAのTHE BORN THIS WAY BALL行ってきました。
要はコンサートです。実に楽しかったです。そしてかわいかったです。
↓折りたたむ けど正直ライブの話はしておらなんだ
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改行しまくったるわ
あと十日せずして五月が来ます。
五月病も来ます。というか既に来ました。
このとてつもない無気力。どうしようねこれ
私は何もサークルに所属していないのですが、
その理由はまさしくこれ、五月病にあるといえます。
五月病の病因は環境変化に対する適応疲れだと言われていますね。
そして単に履修登録すれば良いだけの今年や去年でこのざまです。
大学入学した年度の私が患った五月病となったら、
それはもう目もあてられないほどの惨状でした。何が惨状かというに、
文字通りの意味における惨状を起こすほどのバイタリティさえないんですわ。
例えて言えば男盛りの真っ只中に去勢された雄猫の気分ですわ。
壁にものを投げつける気すら起きない。掛け布団かける気すら起きない。
といっても当時のことは記憶すらないので正確にお伝えできず残念です。
今にして後悔しています。
いえ なぜサークルに入らなかったのかという点につきましては、
原因:五月病ということで分かりきってますからもう良いのです。
問題は、なぜそれに耐え得る強い霊肉を作っておかなかったか、
そしてそのあともどうして作ってゆかなかったかが問題点です。
新入生だろうと在校生だろうと卒業生だろうとよく聞け!
ユウェナリス曰く、健全なる精神は健全なる身体に宿る(*1)のだ。
つまり健全な精神があれば今ごろ筋トレやってただろう。
そして筋トレをやってれば今ごろ健全な精神が私のなかにあっただろう。
そしていま
五月病がうんぬんと言って悶々することもなかったろう……
……しかしまあ
一年に一度コンスタントに憂鬱がやってくるというのもね。悪くない。
しかもそれが五月ですからね。六月とかに来るよりは全然マシっすよ。
五月の空の抜けるような蒼穹。どんよりと垂れこめた膿色の心境。
このコントラスト、じつに趣深いといえましょう。自分のことでさえなければ……
(*1)この健全なる精神はうんぬんっていうやつ実は誤訳です。本来は「金とか美貌とかそういうのは神さまに願うもんじゃない! 誘惑に耐えることのできる強く健全な精神、負荷に耐えることのできる強く健全な肉体、このほかに願われるべきものはない!」みたいな意味だったそうです。ただ誤訳とは思えないほど良い感じのフレーズなので、誤訳とは思わなくてもいいと思いますね。いちいちユウェナリスを引き合いにさえ出さなければ別に間違ってもいない。糸井重里あたりが考えたことにすればいい。