春学期の目標、もんじゃを食べる

花粉はスギからヒノキへと移り変わり、桜が舞い散る季節となりました。一年生の方々、ご入学おめでとうございます。楽しく有意義な大学生活を送ってくださいね。

私も京都から関東に帰って参りました。ギリギリまでいたのでつい先日の話なのですが。荷解きが本当に終わりません。部屋には段ボールが積み重なり、混沌としています。元々整理整頓が好きでないため、段ボールを片付けないまま段ボールありきの生活になって、最後の一箱を片付けるのは来年とかになりそうな気がします。入学を機に上京してきた皆さん、共に荷解きを頑張りましょう。

帰ってきてから早速、友だちと横浜で遊んだり相模湾沿いを爆走したり漫画の聖地巡礼をしたりしています。しかしそんな私の頭の中で、常に存在するあるコンプレックスがあります。

関東出身関東育ち、未だもんじゃ焼きを食べていないということです。お好み焼きは色々食べてるのに。

一年間他所に行って、代々住んでいて何を聞いてもよく知っている、京都のスペシャリストみたいな方々とお話しさせていただいたりして、地元周辺のことぐらい満遍なく知っておかないと!と思うようになりました。

それにしても、二十年以上住んでいるくせに全然まだまだ知らないことばかりです。今思いつくだけでも、もんじゃは食べたことがないし、けんちん汁も本場のは食べたことがないです。川崎競馬場も見たことがないし、山も登っていないし、井の頭公園も素通りした気がします。千葉は三ヶ所ぐらいしか行ったことがありません。

海外に出る前に日本のことはしっかり学んでおかないといけないし、日本全体をいきなり攻めるのではなく、先ずは地元である南関東周辺の歴史文化経済あたりからじっくり攻略していきたいです。

とりあえず春学期中にもんじゃ焼きを食べます!今年度もよろしくお願いいたします。

本日の読みたい本

『俳句歳時記 春』第五版 角川書店 

年々都市化・温暖化が深刻化し、特に東京あたりは、昔からあった四季の折々の景色というものを目にしづらい環境となってきている。

四季があることは日本の誇りである。古くより、私たちの祖先はその移ろいを空気であったり動植物を通じて楽しみ、それを文章や詩歌に残してきた。

しかし、先述の理由から、言葉ごと失われるのはとても惜しい。

まず言葉を知っておくこと。今は何を例に言われてもわからないかもしれないが、実際にそれを目にする機会が訪れたその時。感動もひとしおであろう。

梅風かおる京で

春は花粉症、夏は死ぬ。秋は幻、冬は寝込んで、また春がやって参りました。私はここ数日頭痛と目眩に悩まされており、薬飲めども気休め程度です。目と鼻はまだ何ともありませんので本当に花粉症なのか風邪の後遺症か疑うばかりです。

花粉降り頻るこの頃といいますと、そろそろこのブログ部にも新入部員さんの投稿が始まるということで、私も心から楽しみにしております。自己紹介をチラッとみたところ、皆さん趣味を複数お持ちで羨ましい。あと同類が少なくとも二羽いて嬉しいです。

話は戻して花粉の大元凶杉でございますが、いつもは滅んでくれと思っている私が、例外的に杉へ頭を下げる時があります。伏見稲荷の「しるしの杉」です。「きさらぎやけふ初午のしるしとて稲荷の杉はもとつ葉もなし」という歌もあるように、初午参りをした際に御弊として持ち帰る風習があった杉の葉。今は1500円で授与所にていただけます。

2月午の日の暁、前々からやるぞやるぞと決めていたのにも関わらず寝坊し、急いで出町柳の駅まで歩きましたけれども、まだ出町の橋を渡っているところなのに6時になってしまいました。日の出の刻まで47分です。

17分発の急行に飛び乗り、揺られること数分、七条から東福寺の間で東の空がうっすら青くなっており、すっかり出遅れたことを実感いたしました。

伏見稲荷の駅に着きますとすっかり空は水色になっており、鳥居の前にはカラスが群がっておりました。人はちらほら居りましたが、それでも静かです。

本殿に参拝をして、いざ千本鳥居へ。撮影している観光客もおらず、待つことなく頭下げることなく進むことができました。

四ツ辻に着くと、そこには朝靄かかった街。物珍しく見入っていたら、雨が降り出したので先を急ぎます。

道が整備されているとはいえ、なかなかの山ですので苦しさに加えてだんだん暑くもなってくるわけでございますが、止まると余計辛くなります。他の参拝客と、追い越し追い越され挨拶を掛け合いながら、山頂を目指します。目的が同じ者は多ければ多いほど自分にとって力になります。

途中、御剣社があります。ここは能の『小鍛冶』の舞台でして、昨今の刀剣ブームも相まってか、ここは一段と小さな鳥居を持っていく方が多く見られました。私も個人的にここには昔お世話になった身、供えようかとも思ったのですが、小さいのにちょっとバイト無し学生にはお高いんですね、鳥居。もっと社会的に活躍して、自分の願いが叶ったら、参道に建てたいなと思っています!

約一時間ほどかけて登頂すると、やはり初午ですので、をあげさんを持った参拝客が末広大神の御前に詰めかけていました。持参はしてきていない人も、目の前の売店でお供え物を買って。

本殿の方へ戻るとそこには大勢の参拝客!本殿にはもちろん、授与所にもとんでもない人が押しかけていて、朝早くに行って本当によかったです。こうしている間にも増える参拝客。直ちに退散を、と楼門の方へ向かうと、また雨が降り始めました。お稲荷さんの縁日に朝から複数の狐の嫁入り。天気が変わりやすい山かつこの季節とはいえ、なんだか不思議で素敵な1日の始まりとなりました。

こうも早く1日が始められると、次の行動が起こしやすいものです。この日は京阪で北上し、三条で降りて、みやこめっせで行われていた『京菓子と京の文化の祭典』に行って和菓子作り体験をしてきました!

亀屋重久さんの指導を受けて、挑戦したはいいものの、とても難しく、かなり見本とかけ離れたものとなってしまいました。今年度の国語国文学学会で和菓子作りをしたと伺って羨ましかったので私もようやく、しかも亀屋重久さんに教えていただけて嬉しかったです。

207番で京都駅へ行き、乗り換えて千本七条へ。『本家さんきゅう』さんでランチの寿司定食をいただきました。ここは卸売市場の隣に位置していて、大きめで新鮮なおさかなを使っているので安いうえにとても美味しいです。

そのあとは梅小路公園で早咲きの梅を鑑賞しました!

今年も咲くスピードが速く、北野天満宮さんでもすでに見頃を迎えそうなまであります。もしかしたら吉野の桜を見て帰れるかもしれないという希望を胸に、あと1か月ちょっと、京都暮らしを満喫しようとおもいます!

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なさばやと思ひし事から目を逸らし

あけましておめでとうございます!本年も何卒よろしくお願いいたします。

年末年始の我が家といいますと、年始早々インフルエンザ一家となり、おせち初売り初詣、ほとんど無縁の正月を過ごしました。丸餅は錠剤、お屠蘇はポカリ、鳴らすのは本坪鈴から体温計になりました。それでも全員食欲だけは旺盛なので肉を食い肉を食って肉を食いました。おかげさまで今はみんな元気に太りました、ありがとうふるさと納税の肉。

ギリギリ潜伏期間を乗り越え、成人式に出たのち、次の日の朝早速新幹線に乗って京都に向かいました。新幹線降りて改札へ向かおうとした瞬間「商売繁盛で笹持ってこい!」の宝永籠行列に遭遇するという、いかにも関西の洗礼を受けた後、荷物だけ下宿先に置いてすぐに学校へ行きましたが、流石にこのハードスケジュール。疲れまして、翌日寝坊しかけました。これで試験間近というのだから恐ろしいものです。二年生になったというのに、未だに三月末まで学校はあるものだと思いこんでしまいます。十二年間の風習は抜けづらい。

さて、先週から『光る君へ』が始まりましたね!脚本は我らが先輩、大石静先生。自分の先輩が手がけた紫式部を書いた大河ドラマを数回ではあれど京都で観れるなんて幸せ〜ということで、今回は試験勉強と終わらぬレポート(これが何よりキツい)の息抜き、ということで大河に出てきそうなところ「一部」巡りです。今回のルートは、上賀茂神社から堀川通を南へ下って、北大路堀川で曲がり、雲林院に行ったのち、バスで千本出水へ向かい、御所の跡を見たのち、京都御所および廬山寺へ行きます。

上賀茂神社

今ごろは、このようになっております。祭事の日は馬がいてにんじんをあげることもできます。

上賀茂神社の紫式部といえば、片岡御子神社でしょう。紫式部はここによく来ていたようで、「ほととぎす声まつほどは片岡の杜のしづくに立ちやぬれまし」という歌も詠んでいます。この歌の歌碑がならの小川沿いにあります。ちなみに私はこの側にある、須波神社からの景色とたどり着くまでの短い石段が好きです。私以外に石段を登っている人を今まで見たことがないのですが、是非石段を登って参拝してください。

上賀茂神社といえば五月の賀茂祭。多分というよりも確実に大河でも出てくるでしょう、そして私はそれが何よりも楽しみです。さてそんな賀茂祭の行列を清少納言が車停めて見たよという場所こそ、雲林院です。

雲林院

写真は五月に撮ったもの。雲林院といえば、常康親王が僧正遍昭に託したお寺で、歌にも詠まれたところ。源氏にも『賢木』で光が出家しようと籠ってましたね。看板によれば、大徳寺が建立される前はかなり大きな敷地を持っており、桜の名所でもあったようです。

この雲林院から少し南東へ歩いた場所に、紫式部と小野篁の墓と言われるものがあります。島津製作所の紫野工場の隣です。ちなみにこれらの近くには、『卯凪』といううなぎ屋さんがありまして、昨年の土用の丑の日はここにしたのですが、めちゃくちゃ美味しかったです!頭ついたまま腹開きで焼くうなぎなので、関東流のうなぎしか食べたことない人は是非行ってみてください。レジ脇に売っていた骨せんべいも美味しかったです。最高のつまみです。『フリアンディーズ』の北大路店も近くにあります。すべてのパンが美味しいですが、あんこの入ったパンは何個でも食べれます。特にあんこと生クリームの入った、クロワッサンのようにサクサクなマフィン(?)が美味しいです。

北大路堀川のバス停から206番系統に乗って、千本出水へ。バス停から少し歩いた場所に見えるのが、弘徽殿跡の石碑です。

弘徽殿跡

今の京都御所は元々土御門東洞院のあった場所で、南北朝時代に北朝が置かれたのがはじめ。平安時代の御所は今の千本通のあたりにありました。今はこのようにちょこちょこ石碑が建ってるのみです。

例えば弘徽殿跡から20歩ぐらい歩いた場所にある承香殿跡。そして浄福寺通にある、綾綺殿跡。

綾綺殿跡

ここはカフェになっているのですが残念ながら今月末で閉店とのこと…。上質な油を使って揚げたカツはそれはもう最高なのですが、ロースカツにつける、オリジナルの二種類のソースもこれまた大変美味です。惣菜重も美味しくて、その中に含まれるお豆腐は豆腐嫌いの私が、今のところ唯一水もなしで美味しく食べれたお豆腐。フレンチトーストもアッツアツの揚げたてで、天上に舞い上がるような美味しさ。プレーンしか食べていませんが、生クリームとメープルと砂糖だけで皿を舐めまわしたいほどなのに、アイスなんてつけたらどうなってしまうのでしょう。

大極殿跡

大極殿跡は公園になっています。私が行った時、やけに人馴れした鳩がたくさんいらっしゃって、あまりの馴れ馴れしさに運よくやってきた、201号系統に逃げ込んでしまいました。そう、この公園の入り口前にあるバス停は201号系統が来るので、そのまま一本で京都御所へ行けるのです。

烏丸今出川、もしくは同志社前で降りて、今出川門から御苑に入ります。江戸城跡と同じく、御所は無料で見学できまして、私はここが同志社から近いこともあって、朝イチに歴史に触れたい気分になったら、たまに散歩で利用させていただいております。初めての時はガイドさんがいる時を狙うのがベストです。御苑内には三つの休憩所があって、どこも居心地が良い。これらの休憩所、昨年度の京都建築賞優秀賞を受賞されたようです。私如きが言うのもなんですが納得。私はここ以外に、未だ開かれた場所にある休憩所で安心できる休憩所を見つけられていません。

清和院御門から御苑をでると、梨木神社の鳥居が左手にみえます。境内にある染井の井戸は、京都三名水のうち唯一今も飲める井戸で、五リットルまで百円でいただけます。そして、梨木神社と道路挟んで隣にあるのが、廬山寺です。今の廬山寺があるあたりに紫式部の邸があったといわれています。

源氏庭

写真は桔梗の時期に訪れた時のもの。今も堂内含めて特別公開中なので是非是非。入口近くには紫式部と大弐三位の歌碑があります。百人一首にもある、あの二首です。お墓の方に行けば、御土居の一部を見ることができます。

そしてこの廬山寺から少し南へ行ったあたりが藤原道長の法成寺があった場所。一年生の時古典文学講義1を取っていた身としてはロマンしかない土地で、歩いているだけでニヤニヤするのですが、あまり遺構や遺物が見つかっていないようで残念です。

番外編

《石山寺》

ここは流石に近いとはいえレポート終わってないのに行きづらい!しかし初夏に行っていたのでせっかくなのでそれを載せてしまう!

石山寺詣は宮廷の女人の間で大流行していたそうで、そんな女人の1人である、紫式部が「今宵は十五夜なりけり」と、『源氏物語』をここで書き始めたという伝説があります。

源氏の間

今はこちらの紫式部人形、修復に出されているようです。

なんで初夏に行っていたのかというと、石山寺縁起絵巻と、源氏物語関連の展示をやっていたから。石山寺縁起全七巻と、源氏物語や紫式部に関する展示物がありました。紫式部が使っていたとされる硯も展示してありました。この前再現プロジェクトも行われた、鯉と水牛が彫られたものです。本当にそうなのかは置いておいて、濃い墨と薄い墨を分けられるのは水墨画を描く時とかになかなか良いんじゃないかなども思ったりしました。それ以外にも、石山寺縁起にも描かれている銅鐸が展示されていて、絵巻に描かれた銅鐸と実物の違いを見比べられて、なにより「本当に出てきているんだ」というロマンを感じられて大変楽しかったです。やっぱり古代は良い。

展示が行われていた豊浄殿からすこし歩いたところに、紫式部の銅像もあります。実は昨年の初セミはここだったのですが、まさかセミが朝しか鳴かない夏になるとは、この時は思いもしませんでした。今年はもう少し涼しければいいのですが。

紫式部像

紫式部以外にも、石山寺は数々の文人ゆかりの地であり、中でも松尾芭蕉がこの地に来て詠んだ、「石山の石にたばしるあられかな」は、石山寺門前から少し駅の方へ歩いたところにある『茶丈藤村』の銘菓、「たばしる」の名前元となっておりまして、この「たばしる」が本当に美味しい!豆大福なのかと思いきや、牛皮の中には石山寺の硅灰岩を思わせるほど、ぎっしりと、ツヤッツヤの小豆とカリッとした胡桃が入っていて、見た目も食感も大変面白い。お土産におすすめです!

偶然かもしれませんが、石山寺に詣った次の日、三ヶ月ぐらい放置していた捻挫による痛みがぴたりと止んだのでお礼参りしないとなと思っています。

《平安神宮》

大河のクランクインで使われたところです!平安遷都千百年記念の内国勧業博覧会での目玉企画として平安時代の大極殿を再現したもの。朱色が眩しく、青空の元が似合います。大きな神苑があって、私は残念ながら未だ行けていないのですが、いつ行っても良い場所だそうです。確かにこの間、何かの雑誌か新聞で、素敵なお庭の写真じゃない、と思ったら冬の平安神宮神苑でした。

《鴨川》

川沿いで出会ってましたね、まひろと三郎。鴨川は昔から暴れ川by白河天皇で、今このように飛び石で遊べるまでに至れたのは、堤防を作ったり底上げしたりした先人のおかげ。それでも台風の次の日は増水していて、やはり川ってのは恐ろしいものだと再認識した記憶があります。

鴨川デルタ

最近ここには都鳥が来ていやがりまして、都鳥といえば東の方から都にいるあの人の様子を聞く対象だったり春の花を見ずに去るやつらと見られていたりしますが、今の私にとっては、こいつらが東国行きの迎えにしか見えません。東上Cはまだまだ早いよ。

この写真に写るデルタの奥にあるのが、下鴨神社。下鴨神社の楼門前にあります、相生社の近くにある授与所には源氏物語のおみくじがあります。五百円という値段ですが、これがめちゃくちゃかわいい。引く価値ありです。

というわけでざっくり一部ですけれども、書いてみました。これらはきっと紀行で出てくるでしょう。他にも大原野など行けていない場所がある上、宇治にもトビケラに怖気づいて最近行けていないし、何なら源氏物語ミュージアムには財布に金銭の類が残っていなかったということで未だ行けていないので、課題をさっさと終わらせていきたいと思っています。

『光る君へ』、雀が逃げたといい、他大河ドラマと違って、江戸時代の散文作品にも見られるような、源氏をはじめとした古典文学作品のオマージュとかそのまま使われたりだとかが多い脚本なのかな。和歌でいう本歌取りだとか本説取りのような。これらを探しながら観るのが楽しい作品だなと、未だ一話目ですが思いました。もちろんそんなの抜きにして観るのも面白いです。証拠に家族は東宮様で大爆笑しておりました。次回からの花山天皇に対する感想を訊くのが楽しみです。

なんにも考えずに流し見していても面白いし、どこに引用が隠されているかなと探しながら観るのはもっと楽しい。なんて最高なフィクション作品でしょうか。これから一年間、毎週楽しみがあることが確定して幸せです。どんな展開になっていくのでしょうか?同じ曜日の笑点もあわせて楽しみです。

散りて積もれる紅葉と日数

12月も後半となりまして、京都の観光客もずいぶんと減ってきました。今年は夏が暑すぎましたので、紅葉がいつもより長く、細かく言えば先々週ぐらいまで楽しめました。ですから、この間まで秋のようだったのに、本当にもう年末なのかと信じられない気持ちでおりますが、年始はこれまた冬とは思えないくらい暖かいようですね。成人式がある身としては助かりますが、昨年より一段と地球温暖化を肌で感じるようになってきて未来が恐ろしいと考えざるを得ません。

さて、私ただ今帰省中でございまして、それも帰ってきたばかり。書けるネタもないので、時間は少し遡り、ここでは12月上旬頃の紅葉のお話をして、本年の私のブログを締めようと思います。

紅葉シーズンの京都はとにかく観光客が多い、紅葉の名所は紅葉を見に行くのではなく人の頭を見に行くところだと言われ続けられて、覚悟だけはしておりましたが、まさかいつもは座れる早朝の京都駅行きバスが満員で、1台見送って10分以上後にやってくる2台目で観念して無理矢理乗り込むまでとは思いもしませんでした。東京の満員電車とは違って、大きなお荷物様たちが場所を取っておられるので、1リュックサック分なら無理矢理入り込めば若人1人は乗れるんですよ、危険なのでやりたくないですが、授業ですから仕方ない。そんなわけで平日休日問わず連日大混雑の京都ですから、紅葉を心穏やかに楽しむなら、頑張って早起きして、すでに開いているお寺さんや神社、あとは自然に育っている山などへ出向き、人が2、3人増えてきたらサッと立ち去る、正体バレを恐れる化け物のような動きをするしかありませんでした。なので結局紅葉の名所として名高い永観堂や東福寺は未だ行けず。ドーナツの生地部分に生まれ育った身ですから、人混みには人並み以上に慣れていますけれど、覚悟を決めてお金を払っていざ行ったとて、紅葉を見ているのだか、人のスマホを見ているのだか。まあしかし、この混みようは「秋といえば紅葉、紅葉といえば京都!」が世界中に広まっているということの証明です。確かに京都で見る紅葉は、今年は色が悪いとはいえ格別ですから、沢山の人に感動してもらうのは良いことです。

ところで、日本文学を学ぶ者としては、紅葉といえば?と聞かれて「京都!」とだけ答えるのは50点台だと個人的には思うわけです。京都は永遠の都ですけれども、その隣には、鹿の住む古都、奈良の都があることを忘れてはいけません。奈良と言いますと、東大寺や春日大社のある奈良市には、この度は幣もとりあへず手向山八幡宮や、秋さればの春日山がありますが、それ以外に奈良の紅葉といえば、そう、竜田川と三室山!

京都駅からJRに乗って揺られること、1時間ちょっと。王子駅にて下車。改札を出ると、雪丸という二足歩行の犬が迎えてくれます。そこから法隆寺行きのバスに乗って竜田大橋というバス停で降りて、交差点を渡り橋の方へと向かいます。橋の下に流れる川こそ竜田川!

竜田川と三室山と紅葉

昨今は琵琶湖の水も下がる雨不足。嵐もなくて、紅葉の下を流れていく水の様子は見ることができませんでしたが、平日だったのもあって、人が少なく、ゆっくりと綺麗な紅葉を愛でることができました。

川に沿って南へ下ったところに三室山が見えます。入り口のところにはなんと、「ちはやぶる」と「嵐吹く」が刻まれています。

三室山入口

階段で頂上まで登ると、正面には左右にゆったりと広がる信貴山!

頂上から

山頂の看板によれば、「能因法師は、下方の神南集落の三室堂に住んでいたといわれ、三室山へはしばしば遊びにきていた」そうで、そばには能因法師の供養塔が。同じ場所で寛いでいたと考えるだけで口角が自然と上がっていきます。

これで目的は果たしたのですが、せっかくなので街歩き。再び川の方に出て、今度は先程とは対岸側の竜田城跡から紅葉を楽しんで、猫坂交差点に出て、法隆寺の方へ歩いていくと、龍田神社があります。龍田神社は法隆寺の鎮主社で、ここの天然記念物の蘇轍はどこのものと比べても堂々としていて大変立派。

お参りをして、神社を出て、また法隆寺の方向へ進み、斑鳩町役場の前へ出ると藤ノ木古墳への案内看板が見えます。将来の墓には埴輪を埋めたい私にとって古墳は無視できない存在です。迷うことなく左折し、古墳へ向かいます。

藤ノ木古墳

古墳をぐるっと周回して、再び法隆寺の方へ向かうと、途中に斑鳩文化財センターというものがありました。ここは先程の藤ノ木古墳についての展示や、今は法隆寺の建築物について展示・保存している場所。

平日の昼過ぎですし、客はまばら。ボランティアの方が展示物を端から端まで丁寧に丁寧に説明してくださいました!私は古墳が埴輪の延長線上で好きなだけで、飛鳥時代は概要しか覚えていませんでしたので、解説していただいて本当に勉強になりました。また、私は今季の授業で文化財修復について学んでいるので、法隆寺の五重塔についての展示と解説は、その授業で学んだことを復習する良い機会となりました。

解説や展示に夢中になって、気づけば夕方の4時となっていました。南南西にいた太陽は限りなく信貴山の方へと近付き。行こうとしていた法隆寺は閉門時間が迫り。時間が余れば奈良駅の方にも行こうと思っていましたが、それも行けず。次の休みにでもすぐに奈良へ行こう!と思いましたが、京都から奈良って結構お金も時間もかかるんですよね。結局、次に奈良に行けたのは春日大社のおん祭の日でした。この日には流石に奈良も色無しで。紅葉踏み分け鳴く鹿は枯れた芝草探り当て、人来る度に寂しげに鹿せんべいを強請りなき、真夏の暑さが嘘かのように春日の山は酷く凍えて、あをによし奈良の都も冬が来たと実感させられました。奈良は京都より若干寒いような気がします。春日の山の黄葉は来年以降にお預けです。

手向山神社

先述の通り、今回が今年最後のブログとなりました。この2023年という年は、私にとって間違いなく、今までの人生の中で1番、濃い1年間であったといえます。ブログ部としての活動を始めさせていただいて、人生で初めての引っ越し作業をして、送り出す会を開いてもらって、そして4月に京都に来て。映像や物語でしか知らなかったものや、その場に来て初めて知ったもの。文学だけでなく、非常に幅広い分野で色々な事を経験させていただきました。毎日がとても新鮮で、楽しくて楽しくて仕方ありません。本当にありがとうございます。来年も皆様平穏無事に、楽しく毎日が過ごせますように。良いお年をお迎えください!

最近の放課後

琵琶湖の水が干上がって、坂本城の石垣が見えている!ということで、授業終わりにそのまま、琵琶湖を見に行きました。比叡山坂本駅で降り、琵琶湖まで歩いて見に行きました。あんまりよろしくはないニュースなのですが、レアな体験でした。帰りは大津まで歩いて、通り道、三井寺の鐘を聴いたりしました。

このように、冬も相変わらず、楽しく近畿生活を送っています。ニュースを見て、ふとした時にじゃあ行こう!となれるのは非常に嬉しいことだと思います。

授業終わり、といえば先日は同志社女子大学日本語日本文学会の企画で南座の顔見世興行に行ってまいりました!

「顔見世を観る」というのが12月のひとつの目標だったので観ることができて非常に嬉しかったです。

また、南座には最近よく行っていまして、例えば先月には、最近話題のOSKをこれまた授業終わりに観に行きました!

『桜咲く国』を生で見ることができました!OSKのペンライト代わりの傘があるのですが、それも買ってしまいました。

朝ドラで翼和希さんを観て、彼女目的に行ったのですが、舞美りらさんをはじめとして、皆さま美しい、可愛い。一人一人が前に出て、脇役がいないように見えるのがまた楽しい。目が足りない、3階でむしろ良かったです。楊琳さんは美と貫禄を兼ね揃えた、誰が観てもトップ男役で、気づいたらブロマイドを購入していました。

実はスマホが壊れてしまって、写真が残っていません。内容に対して寂しいブログになってしまったのですが、京都の放課後の一例をご紹介いたしました!

東京に戻っても、こうした放課後を送れるように、勉強とアルバイトを頑張ります!

あれに見ゆるは知恩院

本格的に寒くなってまいりまして、京都も紅葉が進んでおります。清水寺のライトアップなどは連日多くの人がつめかけているとか。しかし暑かったからなのか、綺麗には綺麗なのですが、綺麗に色づくまでもなく落ちてしまうものもあったりと、悲しいこととなっております。それでも私は今年しかいられませんので、本格的に紅葉する前の今から、色々と巡っております。京都御所、妙顕寺、泉涌寺、鞍馬寺、萬福寺、高山寺、仁和寺、安楽寺、霊鑑寺、金戒光明寺、真如堂、、

今日はその中でも知恩院のことを。

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京都に留学するにあたって、日本女子大学の方で面接があるのですが、その面接で最後このようなことを聞かれました。「勉学以外では何を京都でやりたいですか?」

私は敢えて一拍置いた上で、こう答えました。「お祭りに行きたいです。」

京都では毎日のようにお祭りを彼方此方でやっておりまして、私はそれらの6割ぐらいは行くように心がけているわけですが、こんなにお祭りがあると知ったのは、3月末に東京駅の丸善で『京都手帳』を買ってからでした。それまで私が京都のお祭りといわれて挙げられるものといえば、賀茂祭、祇園祭、時代祭、

そして『お坊さんに会いに行こう!知恩院秋のライトアップ』のプレイベントでした。

私と『お坊さんに会いに行こう!知恩院秋のライトアップ』との出会いは約6年前に遡ります。2018年10月、展覧会のため京都に降り立った私は、地下鉄の駅で出会ってしまいました。お坊さんが5人、聖観音菩薩立像バックに笑顔で跳んでいる写真付きの、『お坊さんに会いに行こう!知恩院秋のライトアップ』ポスターと。

お坊さんといえば葬式の時に色々やっていただく方という認識しかなかった私はこのポスターを見て、雷に打たれたかのような衝撃を受けました。なぜ跳んでいるのでしょうか。しかも、こんなに笑顔で。それに、バンド演奏があるとはこれ一体。抱えるイメージと全く逆路線を行くこのポスターに、イベントに、一気に興味が出てきました。

しかし、東京-京都間の往復というのは些か金がかかります。現に私もなかなかこの1年間帰れていません。2018年は、10月に行ったのだからという理由で行かせてもらえませんでした。2019年は金がかかるからという理由で、2020年からは言わずもがなです。あの衝撃的なポスターを作り出すお寺の、あの衝撃的なプレイベントに行きたい。京都に住むようなことがあれば絶対に行く。何があろうと。その願いがようやく叶ったのです。

今年度のポスターは、お坊さんが跳ねているデザインではなく、知恩院までの道がわかりやすく記されたポスターです。全体的にいやらしくない金色で、イラストも可愛らしく、四条河原名物:等間隔に並ぶカップルや、花見小路の舞妓さんなどが描かれています。火灯窓の形をした枠取りもおしゃれです。それに日本語だけでなく英語でも通り名などが書かれており、国籍問わず誰でも気軽に来て欲しいという気持ちが伝わります。一方で、衝撃の2018年バージョンにあった「はっちゃけ」と言っても良いのかもしれない何かは欠けています。もしかしたらコロナを経て落ち着いてしまったのかもしれないと思いました。しかしその認識は間違いであることを、新門をくぐった時点で思い知らされることとなります。

京都屈指の寺が空に青いレーザーを打っています。ここは千葉県浦安でしょうか。これを見た時、ああ、ようやく来れたのだなと涙が出そうでした。

チケットを購入し、中に入ります。日中と違って、山門から入るのではなく、隣にある友禅園から入ります。この頃はまだ全然紅葉しておらず、紅葉の「こ」の字はあるか程度でしたので青やピンクにライトアップしていてちょうどいいくらいでした。友禅園をぐるっと回り、山門の方へ行くと、ちょうど三味線の演奏が始まったところでした。三味線は、津軽三味線。私が三味線の中で一番好きなのが津軽三味線です。『涙そうそう』やじょんがら節を披露されておりました。

三味線の演奏が終わると、次はピアノの演奏。『東京ブギウギ』『アメイジンググレイス』、『幸せなら手を叩こう』等誰でも知っている曲が、ジャズにアレンジされ、思わず体が動いてしまいます。。ピアノを披露されていたお坊さんは手品も得意だということで、演奏の途中に披露された際には歓声が上がっておりました。

階段を登って、阿弥陀堂に行くと法話が行われていました。15分から20分という長くも短くもないちょうどよいぐらいの時間の中で、お坊さんがお話しくださいます。私は法話を聞くのが好きなため、2回連続で聴きました。話すのも職業である人によるお話は大変面白く、ついもっと聴きたいと思ってしまいます。

次に御影堂に行くと、そこにはずらっと小さな木魚が置いてありました。ここは木魚を打ちながら「南無阿弥陀仏」とお念仏を唱えてみようという場所。

木魚を叩きながら、「南無阿弥陀仏」を唱えます。この日の気温、13度。先週までの暖かさと打って変わって寒い日でした。暖房などというものはありませんから、足先から手先から、どんどん冷えていきます。しかし不思議なものです。木魚を叩いている間だけは一切寒さを感じませんでした。

再び友禅園を通って外に出ると、山門の真向かいに、お坊さんが2人待っておりました。実はこのプレイベント、スタンプラリーを行っておりまして、最初の三味線やピアノの演奏を行っていた「仰天僧侶の場」、阿弥陀堂で法話を聴く「手が絆がる場」、木魚を叩きながらお念仏を唱える「お念仏の場」、そしてお坊さんと写真が撮れたり、キッチンカーで食べ物が買える「月かげ 憩いの場」でそれぞれスタンプをいただいて、全て集めると『ポックマ』というおてつぎ運動公式キャラクターの熊が描かれたミニファイルが頂けます。私も、最後はお坊さんと写真を撮って、スタンプを貰い、ファイルを貰って帰りました。

この世は体感してみないとわからないことだらけですから、何か深く知りたい過去の人や作品があるなら、それらの生まれ育った環境を自身の中で再現する必要があると私は考えます。私はこのとおり、日本文化を追求したい人間です。日本文化を知るのであれば、いくら自身が熱心な仏教徒でないにしろ、無宗教者であるにしろ、神社仏閣及び宗教関連施設・資料は外せません。ほとんどの文化芸術は信仰に基づきます。神社仏閣を知らずに日本の文化は芸術は文学は学べないのです。あの2018年『知恩院秋のライトアップ』ポスターを見てから、私の中でお坊さんやお寺に対して感じていたハードルが一気に下がりました。あのポスターがなかったら、知恩院さんが誰でも受け入れるスタイルを前面に出してくださらなければ、今こうして飽きず、一時的ではあれども、わざわざ京都に移り住んでまで、日本人の育ててきた文化全般に目を光り輝かせてはいなかったでしょうし、近代以前の文学に目も向けていなかったでしょう。

何が言いたいのかというと、宗教施設で入りづらいかつ葬式の場であるというイメージを払拭してくださった知恩院さんには感謝しかありません。毎年通いたいです。本年度の知恩院秋のライトアップ、来月2日までとのことです。

https://www.chion-in.or.jp/special/lightup_aut/

年比思ひつること、果し侍りぬ!

「仁和寺にある法師、年寄るまで、石清水を拝ざりければ、心うく覚えて、ある時思ひ立ちて、ただひとりかちより詣でけり…。」とは、中高の国語の授業や、本学日本文学科では1年生の必修『日本文学の基礎1』で取り扱う、『徒然草』第52段の冒頭。『徒然草』の中でも1,2を競う有名な段(エピソード)であると思いますが、実際法師はどれくらい頑張って歩いたと思いますか?

日本文学科の生徒さんはみなさんご存知のはずですが、Googleさんで調べると最速で4時間7分という数字が出てきます。この数字を見て皆さまどう思いましたでしょうか?私は想像していたより短いなと思いつつ、しかし実際に歩いてみないと法師の苦労はわからないなと思いました。

ならば実際に歩いてみよう、ということで

仁和寺

仁和寺に参りました。法師とフェアにするためにも、自らの脚のためにも、そこまではバスを使って行きます。バスの車窓から外を見ると虹が出ていまして、ちょっとした旅にはぴったりの気候です。

少し色づいた朝の仁和寺を楽しんでから、8:00に金堂前を、8:05に門を出発しました。

ここから先のルートは、Googleに従うのも良かったのですが、せっかくならばということで、仁和寺から下って下立売通まで、そこから朱雀門跡のところまで進んで、千本通(途中京都駅に阻まれるため御前通を経由)で羅城門を抜け、その後は鳥羽街道をずっと歩いて石清水まで、というものにしました。

門を出て、御室駅を左に曲がり、小学校のところで右に曲がってしばらく進むと、このようなものが見えてまいります。

兼好法師旧跡

ここは『徒然草』の作者、兼好法師が住み、『徒然草』を執筆したと言われる場所です。

妙心寺道に入って、下立売通をずっとまっすぐ進みます。

対岸ですが、これが朱雀門跡。

朱雀門跡

ここからずっと七条まで千本通を進んでいきます。京都駅がありますので、梅ケ原のところで遠回りをしつつ、西寺跡公園を突っ切って、羅城門跡公園へ向かいます。

羅城門遺址

古こそ、ここは狐狸が棲み盗人が棲み引き取り手のない死体を放置された上に老婆がその死体の髪を蔓にしようとする羅城門ですが、今は閑静な住宅街です。羅城門跡公園の隣には矢取地蔵がいらっしゃいます。矢取地蔵、とは守敏僧都が空海に向かって放った矢を、空海を庇って受けて右肩には矢を受けた跡がある…というお地蔵様です。

矢取地蔵の前にある九条旧千本の横断歩道を渡れば、あとは簡単。千本通をずっと真っ直ぐに行けば良い話です。この羅城門より淀城までは竹内康之氏の『京都を愉しむ いにしえに想いをはせる 京へと続く街道あるき』にある鳥羽街道の地図に従って歩きます。

千本通をずうっと歩いていますと、白檀の上品で美しい香りがしてきます。ここは恋塚浄禅寺。看板を見ると、「平安末期の北面の武士・遠藤盛遠は、渡辺左衛門尉渡の妻・袈裟御前に恋し、渡と縁を切ることを迫ったとおころ、袈裟御前は夫を殺してくれと盛遠にもちかけ、操を守るため自分が夫の身代わりとなって盛遠に殺されてしまうという悲恋の物語が伝わる。自分の罪を恥じた盛遠は出家して文覚上人となり、袈裟御前の菩提を弔うために当寺を建立したとされている。」とあります。お香の香りがするのは、朝の法要が終わってすぐだったのでしょうか。

恋塚浄禅寺

鴨川橋の下を歩き、小枝橋を渡ります。途中城南宮の鳥居や鳥羽離宮公園を左に見ながら、そのまま進んで行きます。増田徳兵衛商店さんのところでまがり、しばらく歩きますと、鴨川と桂川の合流する場所が見えます。そしてまた歩き進めますと、途中、なんだか賑わいがあって、何かと見れば、『横大路小学校創立150周年記念フェスティバル』。この小学校の名前にもあります、横大路とはかつて草津湊と呼ばれた場所で、江戸時代に魚市場があったそうで、ここから洛に鱧などが運ばれたとのことです。フェスティバルは誰でも入れそうだったので入れていただいて、鱧こそチケットがないと食べれないようだったのと、持ち帰るにも難があったので、美味しいきな粉餅をお1ついただきました。しかし150周年とはすごいことです。

その先もずっとずっと真っ直ぐ歩いていきます。納所交差点で反対側へ渡り、少し歩いたところに見えたのがこちら。

淀城址

淀城址を出た後は府道13号をまっすぐ歩きます。途中本当に歩いて良い場所なのかビクビクしながら、それでも道なりに進みますと、御幸橋という橋が目の前に、宇治川が下に現れます。「梶まくら伏見の夢か見し月の跡なくくもる」という歌があるとおり、昔、それこそ法師の時代は船で八幡の方へ向かっていたのでしょうけれども、今は渡し舟文化は無い上、渡し舟を用意するほどの地位も権力もないので、御幸橋を渡ります。

橋を渡り終えますと、『茶文化薫る はちまんさんの門前町 八幡市へようこそ』という大きな看板と永代常夜燈がお出迎えしてくださいました。階段を降り、線路を渡り、まっすぐ歩くと見えてきました、石清水八幡宮の一の鳥居です。ただ今のお時間、12:44。金堂を出発したのが8時ぴったり、寄り道の時間を除くとおおよそ4時間といったあたりでしょうか。いよいよ、この一の鳥居をくぐってすぐにあるものこそが、極楽寺跡と高良神社です。

極楽寺は石清水八幡宮の初代別当である安宗が建てたもので、鳥羽伏見の戦いにて焼失したそうです。そのため仁和寺の法師が見た絢爛豪華な極楽寺を私どもは見ることが叶いませんが、その敷地の大きさから、法師が勘違いするほど立派な建物であったことが伺えます。

極楽寺跡

極楽寺跡を出てすぐ右手にあるのが高良神社です。今でこそひっそりとしたお社ですが、説明書き曰く、昔は「頓宮・極楽寺と共に荘厳を極めていた」そうです。ただ、戊辰戦争の折にそれは焼失してしまったようです。

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それではここからは私の旅。

一の鳥居を出てすぐに、『走井餅老舗』というお店があります。ここで名物の『走井餅』と温かいお茶をいただきます。

走井餅

甘いお餅と温かいお茶で気持ちを入れ替え、再び一の鳥居をくぐります。

極楽寺跡や高良神社の前を通りながら、参道を登っていきます。「今こそあれわれも昔は男山さかゆく時もありこしものを」の男山ですが、きちんと整備されているので全くキツくありません。犬も楽々登っています。

道中には多くの看板が見えます。孝明天皇が攘夷祈願を行った豊蔵坊跡、八角堂跡など、昔はあった建物のことが事細かに書かれており、ほとんど何も残っていませんが、勉強になります。

長い階段を登りきると、子どもたちのかわいらしい声が聞こえてきました。今は絶賛七五三シーズン。この日は日曜日ということもあって、非常に多くの綺麗なお着物を着たお子さんがいました。いやしかし、天上の世界かと見間違えるほど立派な御社殿。

御社殿は織田信長が修復し、豊臣秀吉が廻廊を再現し、秀頼が再建し、徳川家光が造営したとのこと。御社殿右を廻ると、小賀玉木が植えてあります。これは1円玉の表に描かれた木。招霊の木として古より多くの神社に植えられており、石清水八幡宮もそれらの一つです。逆に、御社殿を左に廻ると、楠木正成が戦勝を願って植えたといわれる橘が見えます。

石清水八幡宮

裏参道から下りて、せっかくなので八幡市を散歩して帰ります。男山を下りてすぐに、荒廃した神社が見えます。こちらは相槌神社。一時期ネットファンディングで話題になった神社さんです。ちょうど今月の11日から、北野天満宮と大徳寺で『KYOTO NIPPON FESTIVAL』がやっているようですが、それのメイン?である髭切・膝丸の誕生の地だそうです。建物は物ですから、人の手をその時その時に入れないといけません。ただ、最近はそれが追いつかない場所というものがたくさん出てきています。それらの存在を私どもは決して忘れてはならず、また見逃してはいけないと、そう思います。

相槌神社

本妙寺、馬場市民運動場のある通りを進み、運動場を過ぎた場所にあるのが善法律寺。このお寺のご本尊、八幡大菩薩像こそ、先程の極楽寺にあったとされる仏像です。このお寺さんは紅葉が非常に美しいとのことで、今月18,19日はその紅葉のライトアップに加えて八幡大菩薩像を含めた本堂の公開をするそうです。

善法律寺

八幡に来たなればここに行かなくては気がすみません。善法律寺を出てさらにさらに石清水と反対側へ進んだ場所に、松栄堂庭園が見えます。美術館と庭園の共通券を買い、中へ入ります。松花堂庭園はいつもは外園のみの公開だそうですが、この日は松花堂弁当でお馴染み松花堂昭乗の草庵『松花堂』も公開されておりました。旅のご褒美でしょうか。松花堂庭園は今は何も咲いてませんが、椿が綺麗そうで、冬にまた行きたいものです。美術館では『八幡は、どうする?』という展覧会が行われていました。江戸時代初期の豊国神社などを描いた『東山遊楽図屏風』や、八幡名物の『一休色紙』を見ることができました。

松花堂庭園

バスにのり、樟葉駅まで行きます。さすがに疲れましたので、さっさと帰ろうと思いきや、私の目の前に現れたのは『くずはモール』。吸い込まれるように入り、服屋を物色し、冬用の靴下を何本かと、お肉とお酒とセールになっていたお花を買って京急の急行に乗って帰りました。日はすでに落ちて、月は一切の隈なく東の空に上っておりました。賀茂大橋から川べりを見やれば、この時間でも人影が何人もあり、飛び石を渡る青年の声も聞こえました。しかし今は秋の日の夜、上着がなくては寒いものです。急いで部屋へと向かい、早速花を前日アンティークフェアでお迎えした有田焼の花瓶に生け、それを愛でながら、買ったお肉と買ってあった野菜を入れて作った豚汁と、白米とお漬物を食べ、お酒を開けます。外を歩くのも良いですが、私はこんな時間も大好きです。

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法師のルートを辿るのに参考にした文献

・竹内康之 『京都を愉しむ いにしえに想いをはせる 京へと続く街道あるき』 淡交社 2018年

・久保田淳 『物語の舞台を歩く 徒然草』山川出版社 2009年

名月と嵐の前の静けさ

先月の話にはなりますが、皆様二十九日の名月はご覧になりましたか?

私は授業の後、上賀茂さんまで走って、賀茂観月祭にて月と星と演奏を楽しみました。私が上賀茂さんに行くとかなりの確率で雨が降り出すので今回も折り畳み傘を持っていきましたが、この日ばかりはすっきりと晴れてくれて、綺麗なお月様を観ることができました。

神楽から始まり、和太鼓、ヴァイオリンの合奏、琵琶の演奏、インド音楽とインドの楽器を使った演奏、和楽器の演奏を設置されたベンチに座りながら楽しみ、演奏終了後は亀屋良永さんのお月見団子とにごり酒をいただいて。月見といえば、家のベランダでゆったりと月を見上げながら、手元では家族と月見団子の争奪戦を繰り広げるイベントでしたので、公共の場で大勢の知らない人と月を観るのは初めてでしたが、これもまた良いものだと思いました。

琵琶の演奏と月

十月一日は大覚寺さんの大沢池に行って月をみました。嵯峨天皇が貴族の方や文化人を招いて、舟を浮かべ、大沢池にて水面に映る月を楽しまれたことが始めだそうで、今は日本三大名月鑑賞地とも言われております。今回参加したのは龍頭鷁首舟に乗って、嵯峨天皇の気持ちを体験しよう!という催しです。完全予約制ですが、当日にキャンセル待ちすることもできます。私はその日、嵐山に夕方まで用があったので、ここまで来たなら直ぐに帰るのではなくて、湖心に月を浮かべてから帰ろう!と思って行きました。

前日と違って曇天。ちょいちょい顔は出すけれど、私が舟に乗っていた時間は全く観れず。池に浮かんでいるのは藻、藻、藻。しかし、舟に乗りながら法要に参列するというのは初めてでしたのでとても不思議な体験をさせていただきました。後々考えてみれば結構畏れ多い催しですね、月はまだ見上げるに限ります。

舟からの光景

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単位互換の関係で、短時間に市内のさまざまな場所へ行かないといけなくなったので市内バスの定期券を購入しました。混んではいますが、移動が非常に楽です。夏に買うべきだったと少し後悔をしています。中書島まで行けるので、地下鉄を使う頻度が減って、金銭的にも嬉しいです。

その定期券の期限が三月の終わりで、京都を去るまで六か月切っていることを改めて実感いたしました。今は足元に秋が来ているぐらいで、まだ半袖ですが、これから寒くなるにつれて、京都を去ることについて寂しさを感じてくるんだろうなと思っています。残り期間を悔いなく楽しみたいです。

夕暮れ時の鴨川

今はまだ木の先が少しだけ変化し始めたかなという程度で人も少ないので、本格的に紅葉する、11月末あたりはいったいどれくらいの人が京都へやってくるのか今からドキドキしています。人が少ない曜日と時間帯を狙って、私も秋の京都を満喫しつくしたいです。

再会!千手観音菩薩坐像

今日はまだ京都には帰っておりませんので、夏中の思い出話です。

毎月18日は薬師如来様の御縁日ですので、学校がない限り、さまざまなお寺を参拝しております。

薬師寺、仁和寺と行ってきて、先月の18日は大阪の葛井寺に行きました。SNSでご本尊のお写真を見て、単純に凄え!と思ったためです。

実は関西に来てから大阪は二回目。1人で行くのは初めて。昔家族で行った時に、電車や公園で「おもろい」おっちゃんに出会ってしまい、ほんの少しだけ苦手意識を持っていた…というとても恥ずかしい理由なんですが。

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大好きな阪急で梅田まで、四天王寺で、葛井寺駅で降ります。そこには道頓堀からは想像がつかないほど、ただの住宅街が広がっておりました。

商店街を通過すると、すぐに葛井寺があります。

葛井寺は西国三十三所観音霊場のうち、第五番札所。

ご本尊は十一面千手千眼観音菩薩。

公式サイトによると、

725年(神亀2年)、聖武天皇の勅願によって、稽文會(け もんえ)・稽主勲(け しゅくん)の親子2代にわたり制作され、行基菩薩により開眼せられたと伝えられれます。 堂々とした体躯は奈良時代に流行した脱活乾漆造という技法で造られます。粘土で造った像の原形に麻布を張り漆で固め、漆と木屑を混ぜたもので細かく造形し、粘土を抜き取る。木造や金銅仏に比べて保存が極めて難しく、現存する脱活乾漆仏は大変貴重である。

とのこと。(1)現存する脱活乾漆仏は、この他に、唐招提寺のご本尊などが挙げられますが、公式サイトの言う通り、とても扱いが難しく、これだけで国宝レベルのものです。もう少しみてみましょう。

藤井寺市史 第10巻 [下] (史料編 8 下)に曰く、

三井寺園城寺長吏で天台座主であった行尊(1057~1135)の『三十三所巡礼手中記』には第八番として「剛琳寺」の寺名があげられ、また、覚忠の『三十三所巡礼記』には第九番として「河内国丹比南群、剛琳寺、宇藤井寺、御堂七間、南向、本尊等身ノ千手、願主阿保親王」とみえることから、平安時代後期には観音霊場の一として著名になっていたことがうかがわれる。永正七年(1510)8月の大地震では、堂塔が壊滅したが、本尊だけは無事であった。のち200年余をへて、本尊の千手観音像は半ば失し、金体稍く朽ちなんとする状態となったので、元禄14年に堺の信者の助力をえて、仏師喜多川運長等に命じて修理を施したのであったが、作業は元禄12年11月4日に起工して翌年の7月17日までかかってその功を終えたと前引の覚宥の『再興記』に記している。本尊の後世のものとみられる本体の補強や台座の補修などはこの元禄時の修理によるものであろうと考えられる。

とあり(2)、引かれた『河州丹南郡古子山剛琳寺本尊再興記』の河州葛井寺剛琳寺由緒書を念のため見ておくと、

半失金體稍将朽余住歳卓

錫於此地以来無日不愁之矣

境府有一二信士一日合志来

殷勤語余曰聞説此寺頃日有

本尊再興之事我等幸捨家

資以結勝縁謂願諾之焉余私

渡察時之到走奏其趣於

本山仁和寺御門主以速蒙公

許便令佛匠法橋喜多川運長

等修飾之乃自元禄乙卯十二

十一月四日始工至同庚辰十三

七月十七日全畢其功日幸

以富吉日良辰預屈謂隣山

とあります。(3)

聖武天皇によって造られてから、奇跡的にも全ての形を失うことはないまま、修補だけがなされて今に至るのです。本当にすごいものを観にきてしまいました。

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境内に足を踏み入れると、ちょうど大護摩祈祷が始まったところで、境内は少し煙たかったですが、タイミングよく来れました。

しばらく見て、拝んで、人が少ないうちに本日の目的である千手観音菩薩坐像にお参りしに行きます。葛井寺の千手観音菩薩座像は、腕が1041本あって、1000本以上の手を持つ千手観音像はこの千手観音菩薩坐像以外にないと言われています。一般的な千手観音さまが42本であるということと比べて見れば、お写真を観なくても、とにかく迫力のありそうな像だと察していただけるのではないかと思います。

いざご対面。やっぱり迫力があって、なのに包み込むようなお優しさを感じる。ああ、ここまで来てよかった。阪急は素敵だったし、もう一度三月に帰る前に行ってもいいな…と思った一方で、違和感を感じました。

この千手観音菩薩坐像、観たことがある。それも複数回、360度全体を観た気がする。

おかしいなと思いつつ、堂内を進んでいると、一冊の展覧会の図録がありました。その時、私の頭の中に懐かしい映像が流れて来たのです。

そう、私は葛井寺の千手観音菩薩坐像を以前見たことがあったのです。それも一度ではありません。

少し前、東京国立博物館で開催された、「仁和寺と御室派のみほとけ ― 天平と真言密教の名宝 ―」展で、パンフレットを見てこの像が気になったがために、展示中2回(もしかすると3回)足を運んで、毎回長い時間、この千手観音像を眺めていたのです。

置いてあった冊子は違う会のものでしたが、表紙を見た途端、仁和寺展での配置、周りの人や自分の服装、その日の天気まで一気に思い出しました。どうして忘れていたんだろう。「千本以上の手を持つ千手観音像は、本像しか確認されていない。」って書いてあったはずなのに。しかし私の雑魚記憶力のおかげで、もう一度この千手観音菩薩坐像に、こんどは正式な場で出会うことができました。もしかしたら、これも仏様によるご縁…なのかもしれません。

・葛井寺公式サイト

西国第5番紫雲山葛井寺〜国宝千手観音の寺〜 | 日本最初の千手観音

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葛井寺を出た後は、せっかくなので周辺を歩きます。

まずは葛井寺の境内にあるカフェ、『ヴィクリ ディタヴィクリディタ サマデ きりく』。きりく(千手観音のこと)を含めてサンスクリット語ですね。意味はわかりません。三昧しかわかりませんでした。誰か教えてください。それはさておき、葛井寺といえば「葛」!このカフェはお土産用のものも売っているので、やたら重いくせしてさして高くはない葛餅セットを購入。このセット、もう一つ買えばよかったかなと後になって思います。

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出てすぐ右手、辛国神社。「大阪みどりの百選」に選ばれるだけ、緑が深いというか沢山の木に囲まれた静かな参道でした。確かに、延喜式に名前があります。明治よりずっとこの神社は長野神社という、かつて藤井寺市にあった神社を合祀しています。

藤井市史によると、一間社春日造、軒唐破風付、江戸中期のもので、軒唐破風内と背面妻飾りに力士像が用いられている。力士像は久本寺三十番神堂が初めで、大阪を中心に見出されるも数は少ない(2)という、我々関東の人間からすると、珍しい建物。私は本殿の写真をパシャパシャ撮ることは避けているので、写真がなくてごめんなさい。

・藤井寺市 辛國神社

辛國神社/藤井寺市

・藤井寺市 普通の神社と思ったら大間違い「辛國神社」

https://www.city.fujiidera.lg.jp/soshiki/shiminseikatsu/kankou/kankounannido/19018.html

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鉢塚古墳の横を通って、まっすぐ。仲哀天皇恵我長野西陵。前方後円墳の形で、柵で囲まれており、柵の近くにはベンチがあって、おじさんが寝ていました。さすが天皇陵。いきなり何の守りもなくあるわけがありません。

日本書記巻第八「足仲彦天皇」の章を要約すると、日本武尊の第二子であり、母は兩道入姫命。容姿端麗で、新潮は十尺。足彦天皇に嫡男がいなかったため即位、熊襲との戦いの最中である九年春の二月、筑紫にて「忽ち身の痛み有り」て、翌日崩御した。52歳であった。理由として、敵の矢が挙げられる。皇后である神功皇后は身重ながらこの戦についてきており、石を腹に当てて自らも戦っていた。そんな皇后は天皇の死後まもなく応神天皇を出産する、とあります。(4)

・宮内庁 仲哀天皇恵我長野西陵

-天皇陵-仲哀天皇 惠我長野西陵(ちゅうあいてんのう えがのながののにしのみささぎ)

今思うと、ここから古市まで頑張っていけばよかったのですが、なにせ夏真っ盛り。本当に暑くて暑くて、藤井寺駅に戻ってしまいました。

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四天王寺に帰った時には、もう日暮れ時だったので、あべのハルカスのお菓子売り場でハルカス限定ケーニヒスクローネの「カスタードのふんわりパイケーキ」を買い、この日の夕食にしました。本当は次の日に持ち越そうと思ったのですが、とても美味しかったのと、片付けが手間だったので、すぐに食べてしまいました。こんな美味しいものを、ハルカスに行かないと食べれないなんて四天王寺の人が羨ましいです。是非いつか東京で四天王寺展などを開催する際は物販で持って来てほしいものです。

(1)日本最初の千手観音紫雲山 葛井寺 https://www.fujiidera-temple.or.jp/ (最終閲覧日2025.3.17)

(2)藤井寺市史 第10巻 [下] (史料編 8 下)藤井寺市 国立国会図書館デジタルコレクション 1993年3月 https://dl.ndl.go.jp/pid/9576703 (最終閲覧日2025.3.17)

(3)『藤井寺市史』第7巻 (史料編 5) 藤井寺市 国立国会図書館デジタルコレクション 1984年3月 https://dl.ndl.go.jp/pid/9575488 (最終閲覧日2025.3.17)

(4)『日本書紀 30巻 [5]』 国立国会図書館デジタルコレクション 慶長15 https://dl.ndl.go.jp/pid/2544344 (最終閲覧日2025.3.17)

常にあるべき静かなお盆

京都の夏の風物詩といえば祇園祭と十六日の送り火ですが。前日に台風が来たりしましたが、今年も無事に送り火が行われました!そして台風で国内外の旅行客は来れない・無駄なのに新幹線の席を取りに京都駅に集結していたので、地元住民しかおらず、お盆休みの京都にはあるまじき空きようでした。

私は北大路橋でまず大文字をみて、御薗橋まで賀茂川沿いをダッシュで北上して妙の一部、舟形、左大文字をみるという行動をしたのですが、見えなかった法の字と鳥居も含めどの字も綺麗に見えたということで、ご精霊さんも大満足でお帰りなさったのではないでしょうか。爺さん、私もしっかりこちらのご先祖さん送り出しましたよ!

大文字

送り火自体の感想もお話ししたいところですが、今回お話しするのは翌日の大文字山の消し炭拾いについて。大文字の消し炭は無病息災のお守りになるのだそうで、私もつい最近まで知らなかったのですが、そういうのがあるよ、あなたも行けばと教えていただきまして、十七日午前三時台、バスも電車も自転車もないために暗い夜の今出川通を歩いて銀閣寺まで向かいました。まあ、消し炭拾いと聞いて後片付けのお手伝いなのではないかと考える人もいるかと思いますが、物は考えようです。

真夜中の今出川通は人通りも車通りも灯りも少なく、雨雲が桂の方にいたため、雷鳴も聞こえておりました。流石にちょっと怖いなと思いつつ、フードにマスクという不審者のような格好をして夜道を急ぎます。京都大学前の薬局と警備員さんのところ以外、ほとんど真っ暗。途中のエニタイムが逆に怖かったです。

銀閣寺の脇道まで来ると、二人三人と人影が見えるようになり、ようやく安心。今出川通の地味な坂道により既に汗だくですが本番はここから。前を行く人の影を見失わないよう、しかし途中途中で水分補給をしながら山道を進みます。日が登っていようが無かろうが、標高が低くなろうが高くなろうが、暑いことに変わりはないのです。低く、簡単な山ですが、それでも懐中電灯無しだと真っ暗で、さらには前日・前々日の雨によって道が少しぬかるんだままの山道はなかなかスリルがあります。ちなみにiPhoneのライトだと威力が足りなくて少し怖かったです。また、最近は熊が出たというニュースもあったので別の意味で大変恐ろしい。熊よけの鈴をつけて登る方もいました。綺麗に整備された長い階段を駆けあがると、開けたところに出ます。そこが火床です。

左が火床

午前五時、一つ一つ火床を見て回っても、既に大きなものはなく、中ぐらいのものが運良ければ見つかるぐらいでした。他所者ですし、小さいものをいくつか拾わせていただいて、あとはずっと風景を楽しみつつ、体を休めていました。虹が東山区から右京区まで跨ぐようにかかった京都のまちを、あそこが御所か、となると横の煉瓦色は同志社さんで、Y字の森を挟んだところにあるのは京都大学さんで、さらに手前に見える敷地面積の広いお寺さんは金戒光明寺さんか、などとMAPアプリ片手に確認していきます。この五ヶ月でだいたいここから見える場所は歩いておりますので、とても楽しいです。改めて距離を視覚的に感じることによって、やっぱり同志社さんから京都駅は遠いのだなとも思いましたし、これから暑い日は電車・バス代をケチらずに、遠い場所は諦めて公共交通機関を使うことにしようと決めました。

火床から

山であれ電車であれ、行きに比べて帰りの道中は楽で早く終わってしまう気がするものです。すれ違う人すれ違う人に「おはようございます!」と笑顔を振りまきながら山道を下っていきます。その爽快感といったら。ハマる気持ちもわかります。しかし楽しい気分も諸行無常、もう少しでゴールといったところで、突然強い雨が降ったことにより、近くの人とやばいやばいと慌てて手を貸し合いながら滑り落ちるように残り少ない山道を降り、橋を渡って、舗装された道にまで出て、終了。電車やバスに乗り込むのが申し訳ないほどずぶ濡れになり、帰りも結局歩いて帰りました。正直この山から下宿までの帰り道こそがこの数時間で一番疲れました。あの後、日がさしてこなければ、私は今頃風邪をひいていたでしょう。やっとの思いで帰り、シャワーを浴びてソファーに転がった途端気を失いましたが、目が覚めてもまだ、百貨店が開く前の時間でした。朝が早いとこんなにも一日が長い。ご飯を食べて街へ出かけることも出来、有意義で楽しい一日となりました。

銀閣寺道

小さな消し炭は懐紙に包んで玄関に飾ると良いそうなので、とりあえずビニール袋に入れたままスーツケースの中に入れて帰省し、ノーマルの白懐紙と愛用の可愛らしい柄付き懐紙に包んで、形の良い大きなものは祖父母に、あとは実家と親戚、友人宅へ持っていこうかなと思っております。京都に来て色々と無病息災を願いまくっているような気がいたしますが、どうかこの一年だけに限らず、何年先も家族と共に健康で楽しく長生きしたいものです。