こんにちは!どんより楽しく夏休みを過ごしているゆりかです。
少し前まで、成人式の前撮り写真を撮るために地元に戻っていました。
着物の色は黒にしたのですが、髪型は前もって決めてなかったため、カタログを見て決めました。
最近の傾向としては、あまりもらずに昔に比べればシンプルな装いにする人が多いそうです。
メイクも要望に合わせて自然な感じに仕上げてくださいました。
私は普段あまり着物を着る機会がなかったので、純粋に着物を着れたことが嬉しかったです。

帰省ついでにお墓参りにも行ってきました。
お墓参りでは父に父方の名字の由来を聞いてみると、土地がいっぱいあるという意味で、本家の方は割と裕福な家らしい。
しかし、私の父は婿入りしたせいか、私はあまり父方の家のことを知らずにいます。
父の父は若くして亡くなってしまったそうで、お盆に父方の家を訪れた時に見る祖父は祖母の再婚相手のようです。でも、父と祖父は仲が良さそうなので心配は無用。
祖母は父から言わせれば天涯孤独の人。
正直に言うと、父方のお墓の中にいる人について、私にとっては全く知らない人なので、お墓の前で手を合わせていてもいまいち実感が湧きませんし、
知識不足を感じ父に質問してみたのです。
というのも、父は自分のこと、父方の家族に関して話題にしないから。なぜなのかは聞くと、暗くて面白くないから離したくないらしい。だから、話さないといけないような時しか話してくれない。
とはいえ、女性か男性かよく分からない先祖に手を合わせているのは変な気分だ。
父はおぼろげながらも父方の家にざっくりとどんな人がいたのか話してくれた。
とにかく手先が器用な家系なのだそうで、技術者が多いようだ。
父から見ての(私の知らない)祖母は着物を縫って仕立てる仕事をしていたそうで、「祖母がいたらあんたの着物も縫ってくれただろうなぁ」と漏らしていた。
なんでも、父はその祖母と一緒に着物を売りに行っていたそうだ。
父も鉄を削ったりして型を作る技術者なのだが、母方の方は普通の農民なだけに私にとっては新鮮な話でした。
父が言うには、父方の家系には絵師もいたようで、
それを聞いて、私は初耳だったので調べてみようと思い、目をキラキラさせながら「なんて人?なんて?」と聞くと
父は、「う~~ん、はぁー(ため息)。なんて人だったっけな~」と苦しみだし、
「〇〇…?…あっ、やっぱ違った!え~なんて人だったけ~、…忘れた」。
ここでお墓参りは終わってしまい、話も終わる。結局、絵師の名前は分からずじまい。
私は父の方を見て、半分呆れつつ、しゅんとして帰った。今度はいつ聞けるだろうか。
余談ですが、31のアイスクリームを食べてきました。
![1503409125883[98]](http://mcm-www.jwu.ac.jp/~nichibun/blog2/wp-content/uploads/2017/08/150340912588398-194x300.jpg)
上から、ブルーベリーパンナコッタ、杏仁豆腐、チョコミントです。
とっても美味しかったのでおすすめです!
*個人差あり
では、またお会いしましょう。読んでくださってありがとうございます。
投稿者「maeda」のアーカイブ
テスト終了!
こんにちは。ゆりかです💦
テストが終わり、夏休みがやって来ました。
色々思うところはありましたが、過ぎ去ったことはしかたありません。
早速、夏休み課題に着手しております。
日本語史の課題は、「何でもいいから古くさい言葉についてレポートを書きなさい」ということでしたが、
古くさい言葉って出せと言われるとなかなかでませんね。
話が変わりますが、わずか数日前、まだ日本語史のテスト勉強をしていた頃に遡ります。
日本語史の坂本先生がしりとり必勝法を授業中に教えてくださり、
精神的にも肉体的にも疲弊した夜の1時頃、
突然そのことを思い出し、疲れをまぎらわせるために、
寮で一緒に勉強していた友達と勉強しながらしりとりをしました。
結果は私の勝ち。
必勝法というのは実は先生に言われるまでもなく、小さい頃からよく言われていたもの。
いわゆる「る責め」です。
原理でいえば、「る」で始まる語は少なく、逆に「る」で終わる語は多いためです。
これは国語辞典を引けばわかる通り、「る」のページは他のページに比べて圧倒的に少ないことからも分かります。
私はだいたい「イスタンブール」とか「バール」とか「ルノアール」とか。一定の割合で「る」で終わる語で返し続けました。
友達は「ルビー」とか「ルイ11世」とか返してましたが、後が続かなかったため降参してくれました。
収穫があるとすれば、友達から新しい言葉を教えてもらったことです。
その名も「ルミノール反応」!
Wikipediaによると…
アルカリ性の水溶液中、ルミノールは過酸化水素 (H2O2) と反応して 波長460 nm の強い紫青色の発光を示す。
という反応らしいです!
カッコいい響きだったので思わず感動してしまいました。
テストの方は勉強したおかげで、空欄は埋められました!
救済措置として坂本先生が、「みんなどうせテスト書けないでしょうから、夏休みにレポートしてきてね」とおっしゃっていたので(※この後、だったら書けるテストを作って欲しいという文句が横行した)、
現在、私は課題の方をしているという訳です。
先生は詳しい内容はマナバに掲載するとおっしゃっていましたが、まだ掲載されていないため、とりあえず思い付いたこと(古くさい言葉)を理由も考えて書いています。
先に着手しておけば修正は楽なので。
また、現在は夏休みということもあり、中世の魅力度ランキングを考えるのは一時休止にします。何卒ご理解下さい。
テスト終了後に、理系一名と文系二名で、
理系は理系っぽい単語、
文系は文系っぽい単語でしりとりをしたのですが、
文系は「拾遺集」「凌雲集」など歌集は「う」で終わってしまい、「うつほ物語」などは「り」で終わってしまうため、「う」と「り」の無限ループが出来てしまい考えるのが大変でした。
理系でも「塩化ナトリウム」などの単語が出ましたが、多くは「ム」で終わるために今度は「む」責めに遭いました。
そのため、文系・理系ならではの言葉の特徴が分かるいいしりとりになりました。では、皆様すこやかな夏休みをお過ごし下さい。ゆりかでした。
自主ゼミとお菓子
こんにちは。
暑くてじめじめした日が続いていますが、やることはきちんとやりたいゆりかです。
中世文学自主ゼミの自分の発表日(2回目)では、当初の発表計画通りゼミ員の意見が飛び交う発表になったと思います。
一応、ディスカッションがない発表になってしまった場合は反省し、改善しなければならないと思っていたので、よかったです。
紫式部の『源氏物語』が月刊連載に似ているという意見が出たり、『源氏物語』の中で囁かれる女の論、人物評には実はまだ登場していなかったキャラクターを示す伏線だったのでは、という意見が出ました。
というのは、『無名草子』の作者が『源氏物語』の「雨夜の品定めいと見どころ多し」と言っていた点がひっかかっていたので、実際に読んでみると『源氏物語』に出てくるキャラクターの紹介文といったような意義を見いだしました。
女三宮などは実に顕著で一番筆が割かれていたといっても過言ではありません。
それに対して、ゼミの先輩が女三宮は『源氏物語』の作者・紫式部にとって物語に登場させることが決まっていたキャラクターなのではないかとおっしゃっていました。
私は『無名草子』「いとほしき女」で女三宮の箇所を担当したのですが、女三宮について調べてみたところ、朱雀院を悩ませる女君として突如『源氏物語』に登場するのが女三宮なのです。
紫式部はあまりにも女三宮の存在がもうそこにいる人として感じていたために、あまり女三宮の登場時に筆を割かなかったのではないかと考えられます。
ここで話が変わってしまいます!申し訳ありません。
時々中世自主ゼミで石井先生からお菓子をいただくことがあるのですが、
どうにも私はあまのじゃくなところがあり、自主ゼミがある水曜日はフルコマでお腹もペコペコなのですが、
いかにも高級そうなお菓子をいただいた瞬間、「私は石井先生に何かお返しできるものはあるだろうか? 」と真顔になって考えてしまい、
結果何も思い浮かばなくて悲しいような、「なんだか悪いな」という気持ちになります。
いとこや私の家族ならば「やったー!ラッキー、先生ありがとう」と言えるのでしょうが、私はどうにも複雑な気持ちになってしまうのです。
毎日楽しく生きたいものですが、考えるべきこととそうでないことの違い、そのボーダーラインは私はまだはっきりしていないようです。
うーむ、ここは素直に笑顔で「ありがとうございます」と言った方がよいのではないか。その方があげる側もらう側の人も気持ちよく過ごせるのではないか。
とかぐるぐる考えていると、ふとした瞬間に「あれ?もしかして、自分は何をしてるんだろう?なんか、バカみたい…」と思ったりします。
思ったことを言語化するのも気が引ける、典型的なコミュ障だなと。
それでは、雨にも負けず、風にも負けず、…夏の暑さにも負けずに演習やレポートなどに取り組んでいきたいゆりかでした。
『無名草子』発表①
こんにちは、ゆりかです。
ゼミで『無名草子』の私の担当箇所の発表がありました。
今回はその反省と次回に向けての心意気を語ります。
自分で思ったよりも該当箇所についてきちんと説明できてよかったです。
しかし、その分時間が押して、議論がさかんであったとは言いがたいので、そこは2回目の発表で補いたいところではあります。
2回目の発表の内容は個人的に気になった部分についてのみなさんの意見を聞きたいと思っています。
けれども、内容は直前まで言いません。出来るだけみなさまには新鮮な感動をお届けしたいと思っているので。
ということで、2回目の発表は議論を中心としたものを企画しています。
そのため、十分に議論する時間をとるため、発表は簡単なものになります。
自分としても他の人の意見が聞けると思うと楽しみなので、レジュメも頑張って作成したいと思います。
最後に絵を描く際に参考に『源氏物語絵巻』を見せてくださった高野先生、心から感謝いたします。
そして、女三の宮いつも親の敵みたいな目で見られてるけど、みんなに「かわいい」って言ってもらってよかったね。
以下はゼミで使った絵図の一部を載せたいと思います。ここまで読んでくださった方ありがとうございます。

上の画像は中の君

こちらは女三の宮

最後に浮舟です。
『無名草子』のレジュメ作り
こんにちは。ゆりかです。
今中世ゼミのレジュメを作っています。
と言っても後は印刷するだけです。
妥協したところもありますが、大方目標通りに作ることができました。
作者の感動した場面を漫画化し、現代の私達にも作者の感動とシンクロ出来るようにしようとしましました。
『無名草子』の源氏物語の人物評・かわいそうな女。
これが私の担当箇所なのですが、シンクロするには少々精神的にきつい場面ばかりです。
救いのない辛さ・悲しさがあります。
そこが『源氏物語』の良さでもあるのですが、現実めいた「やるせなさ」がそこにあるのです。
大君は父を愛してもいたが心の奥底で憎んでもいた。その屈折した愛情を薫にも向けた。
本当に父と中の君の母変りになろうとしたら、身も蓋もないが、父・八の宮との近親相姦も十分あり得た。
それを許さない大君だったからこそ、八の宮は自分の女房である中将の君と契り、その子・浮舟まで儲けて、そして捨てたのだ。
大君は父を拒んだ。だからこそ、彼女は偽物の母親なのだ。いつまでも、母として、女性として不完全なのだ。
それが、大君の欠陥。
だからこそ、浮舟が生まれた。
中の君と浮舟は、大君と匂宮・薫の関係性の渦に閉じ込められた。
その出自から、真面目ぶって悟った顔をしている薫だが、終始大君と浮舟を性的な熱い視線を向けている変態男である。まして、薫は成長しない。
全く成長しないのである。
対して、匂宮は薫に強烈な嫉妬、ライバル心を燃やしている。ほとんど恋していると言ってよい。
それ故に彼は匂宮なのだ。
生まれつきよい臭いがする薫に対抗して、お香を焚きすぎるあまり周囲の人から匂う兵部卿宮と呼ばれていたのだ。
だから、中の君と無理やり契ったのも、薫の愛する宇治の姫君を寝取ることで、薫に対抗したのだ。
薫の目を盗んで浮舟と関係を持ったことも薫への歪んだ愛情ゆえ。
匂宮は薫を認め愛してもいるし、憎くてその仏頂面を壊したくてしかたがないのだ。
源氏物語の男性は余すことなくチャイルドだ。
どうしようもない救いようもない、だがそれが現実だ。
このように、お昼休みの楽しい時間だというのに、私には悲しい話しか持ち合わせていない。
『源氏物語』における末世なのだからしかたないと言えば、そうなのですが…。
ゼミの時間までネタバレを避けるため、写真は載せません。
柏木についてはレジュメでの言及は避けましたが、彼はとんでもないですね。
女三の宮は見た目も中身も子供なので柏木との密通のシーンなんて目も当てられない訳です。(健全かつ楽しいお昼休みに)
高貴な内親王というブランド、そこからくる出世とバックアップに惹かれた柏木。
彼の中で女三の宮の虚像は美化され、柏木は女三の宮の虚像を崇拝し、いつかは自分のものにと、影からずっと機会をうかがっていた。
やがて、紫の上が重体で倒れ源氏が見舞っている間に、女三の宮の女房と結託し、何も知らずに横になっている女三の宮の背後から近づき、思いを遂げたのである。
上手く発表出来るか、「これはない」と言われるのか。
私はもともと恋愛ものは苦手なので消化不良をおこしそうです。
なんとか発表も頑張れたらいいのですが、いや…頑張ります。
それでは、例のごとく長文失礼致しました。
中世演習『松浦宮物語』
こんにちは、ゆりかと申します。
先日、演習で『松浦宮物語』についての発表をしました。
私が担当したのは、
恋愛関係に無知な箱入り娘の神奈備皇女に対して、真面目すぎて恋愛に無知な主人公氏忠が告白してフラレる話です。
季節は秋、残念なイケメンである氏忠は、なんともいえぬ菊の花を持って、「ザ・秋」というファッションで神奈備皇女にプロポーズします。
皇女の周りの女房たちは、即興で(持ち歩いていた)笛を吹く氏忠にメロメロのようですが、神奈備皇女は氏忠に全くなびきません。
「あなたもう帰る時間ですよね?どうしてここにいるのですか?」といった感じで、何気に温度差がひどいです。
このまま、氏忠は神奈備皇女の手をとって告白するのですが、全く相手にされず撃沈します。
個人的には目の前で氏忠に泣かれて、ドン引きしている神奈備皇女の手を握ったまま夜を明かし、そのままトボトボ帰って行った氏忠が斬新?で面白かったです。
そして厳密に言えば、ここからが私の担当した箇所になります。
ここから神奈備皇女に見事にフラレた氏忠は、家に帰って床に横になります。けれども、疲れすぎて寝られません。
それから、氏忠はぼーっと空虚にどこかを見つめて考え事をすることが多くなります。両親はそれを心配するも、結局面倒くさくなり具体的な行動はしません。
そのあたりが、変にリアリティーがあり、作者・定家の実体験なのではないかという意見がでました。
これ以降は氏忠はどうすることも出来ずにうじうじしている訳ですが、奥手な男性ですね。
今後の展開が楽しみです。どうもとりとめのない文になってしまいましたが、長文失礼いたしました。
藤原定家と『松浦宮物語』
風薫る5月となりました。皆様お変わりございませんか。
こんにちは、ゆりかと申します。
現在私は水曜日の中世文学演習Ⅰで扱っている『松浦宮物語』のレジュメを作っています。
やはり、演習の資料を作るのは不安ですし、心乱れる日々を過ごす訳ですが、内容的にとても好きな作品なので頑張ってレジュメ作りに取り組んでいきたいと思います。
『松浦宮物語』は『無名草子』の中で藤原定家が作ったとされている中世の物語作品です。『無名草子』では「定家少将の作る物語はリアリティーが全然なくって雰囲気だけだよね。『松浦宮』はまだましな方」と評価されています。実際その通りで、なぜか主人公が忍者でもないのに分身して敵を倒したり、人が都合よく死んで生まれ変わりとして前世の記憶を持ったまま再登場するなどよく分からない部分も多いのです。石井先生曰く「ご都合主義のラノベ」なのだそうです。物語の人物設定も粗が目立ち、自分で手におえなくなったのだなという感じも否めません。
しかし、私は定家が好きなので(断じて恋愛的な意味ではなく)、彼が和歌の片手間、なかなか出世ではないストレスを日記『明月記』の他に、物語にぶつけていたのだと思うと興味が湧いてくるのです。最も、和歌の精密な完成度や『明月記』の緻密さに比べると、遊びだったんだなと分かるほどずいぶん粗雑な出来なのですから、定家にとっては、中学生の時の卒業文集をひっぱり出されたような恥ずかしさなのでしょうね。
例えば、主人公である氏忠が才色兼備で至らぬところなくスピード出世していく様を見ると、「この人自分の願望を物語にしたんだな」という感じがひしひしと伝わってきます。さらに、その後主人公が女性にモテてモテてしかたがないといった場面が出てくると、「定家、疲れてるんだな。落ち込んだときは女性にちやほやされたいよね」とポンッと肩をたたきなる衝動にかられたりしました。
また、『松浦宮物語』にて主人公の氏忠が、親の七光りならぬ子の七光りだ、などと言われている場面があり、考えてみると後鳥羽院がわざわざ定家の父である俊成をはぶいて、定家一人だけを呼び出した程、定家と俊成には歌に対する価値観の違いがあることはもとより、定家は父親に頭が上がらなかったという部分があったのではないでしょうか。そんな私生活でも職場でも、うだつが上がらなかった定家ですが、石井先生曰く「天才は後世に評価される」のだそうで(なんだか『論語』みたいになってきましたが)、定家は後世になると神様のように崇められたり、自分で字が汚いと日記に書いていた字も定家様(ていかよう)と呼ばれ子孫に伝わっています。
私は定家のどこが好きなのかというと、一言では表しづらいのですが、彼の様々な物事に一喜一憂している姿が自分と重なり、定家は貴族で天才で生まれた環境も時代も違うのに、親近感を覚えるのです。藤原定家は割りとオフィシャルとプライベートは分けるタイプですし、妙に合理的なところがあって考え方が現代人と似ているなと思うことがあります。だからこそ、中世という時代に馴染まないところもあったのでしょう。仕事の上司のグチを言っているところなど、まるでその辺にいる友達です。「それ上司の前では言うなよ」と思うこともしょっちゅうあります。
夏休みに田渕久美子さんの本で読んだのですが、『明月記』五月二十五日条に「後鳥羽院が考えた『今古珠玉集』ってさ、ネーミングセンスないよね。禁固何年とかの禁固に似てるよね。口には出さないけど」という内容の記述があったという事実にすでにひやひやしてしまいます。
どちらかと言うと定家は周りに当たり散らすタイプだと思うので、愉快な人ではありますが、彼の近くにいる人には「お気の毒」としか言いようがないです。定家さんは自分にも他人にも厳しい人ですから。
高野先生は「紀貫之は私の恋人!」とおっしゃっていましたが、私にとっての藤原定家は人生という理不尽で不平等な世の中を生きる先輩でもあり、あるいは友達のようなものですかね。それでは、本日も長文失礼いたしました。お忙しい中、ここまでお付き合いくださった方、本当にありがとうございました。
爽やかな初夏のみぎり、皆様のますますのご健康とご多幸を心よりお祈り申し上げます。
現代社会における女房日記の意味合い
うららかな春から初夏の気配も感じるこの頃、皆様いかがお過ごしでしょうか。
こんにちは!ゆりかと申します。至らぬ点も多々あるかと思いますが、どうぞお手柔らかにお願いいたします。
月曜日の昼休みに高野先生の研究室にお邪魔しました。まあ、つまり中古自主ゼミの見学に行った訳です。
中古文学自主ゼミは今年度は女房日記を扱うそうで、『紫式部日記』などを扱うそうなのですよ。
実は、中世文学自主ゼミも女房日記を扱うんです。『無名草子』というのですが、いわゆる中世の女子会のガールズトークですね。宮仕えを引退した老尼(旧バリキャリ)と若い女房達(新卒)の対談で、女子目線の辛口トークが新鮮です。内容は「序」「物語批評」「歌集批評」「女性批評」の4部構成です。散文文学批評としては最も古く、散逸文学や物語享受研究で重用されています。興味があれば、水曜日の昼休みに石井先生の研究室で中世自主ゼミの活動を行っているので、ぜひ見学に来てみてくださいね。
ここから傾向として、今年は女房文学が中古・中世自主ゼミにおいてブームになっているのではないでしょうか。好奇心がツンツン刺激されます。今なぜ女房日記が熱いのか、ちょっと興味が湧きませんか?現代社会においてこの女房日記はどのような意味があると思いますか?
では、考えてみましょう。時代が求める文学とはなんでしょうか?女房日記とは主体性を持って働く女性像を浮かび上がらせていると考えられます。「働く女性像」!現代社会で女性はどうあるべきかを古典から学ぼうということだと推測できます。おそらくジェンダーのあるべき形を再検討しようとしているのだと思います。
この傾向は振り返ってみればおそらく、マララさんの影響が大きいと考えられます。男女平等が謳わてれるこの時代、男女共同参画社会を推進する安倍政権のもと、必然的に自発的な働く女性像に関心が向いている気がいたします。映画「美女と野獣」のベル役のエマ・ワトソンさんも、国連で「フェミニズム」という形で男女平等と女性の権利に関するスピーチをしていますね。ベル自体、エマ・ワトソンさんや映画「シンデレラ」のシンデレラを演じたリリー・ジェームズさんなどが、ディズニー映画の中でも自立した女性だと評価しています。
このような時代背景から女房日記に「女性のあるべき姿」を求めているのだと考えられます。面白いと思いませんか?
石井先生に質問してみた結果、女房日記には「キャリアウーマンの手引き書」としての意味合いがあると考えられるようです。
さて、それでは新年度を迎えお忙しいとは存じますが、皆様くれぐれもご自愛ください。長文失礼いたしました。

中世文学自主ゼミ 今年は『無名草子』
こんにちは。ゆりかと申します。
今回は今年度中世文学自主ゼミで扱う『無名草子』の魅力について語っていきたいと思います。
とその前に、まず自主ゼミの説明を簡単にしたいと思います。昼休みに学生が自主的に学びの場を提供する、平たく言えばサークルのようなものです。内容や時間帯(月曜日なのか水曜日なのか等々)は各ゼミによって異なります。学生中心に活動しているので、通常の授業のように堅苦しくもなくもっと自由な意見交換ができます。資料の作り方や勉学のことは先輩が優しく教えてくれます。きっと後期の演習や発表などに役立ちますよ。ちなみに中世文学自主ゼミは水曜日の昼休みに活動しており、場所は百年館8階の石井先生の研究室です。4月の12日・19日・26日のお昼休みにはもう活動しているので、興味がある方はぜひ見学にいらしてください。
さて、今年度中世文学自主ゼミで一年を通して扱う『無名草子』について説明していきたいと思います!冒頭は老女の元に若い女房たちがやってきて色々な話をしてください、と始まります。会話調で『枕草子』を彷彿とさせるような活気のあるガールズトークが魅力です。ツッコミや合いの手が多く、そこが面白いところだと思います。
もう少し詳しく話すと、後白河院に仕え、高倉天皇の御代まで内裏生活を送ったのちに、七十三歳で出家した老尼が最勝光院近くの古屋で女房たちのおしゃべりを聞く、ちょっとした女子会の構成です。全体の約六割が物語論で、その後女性論が繰り広げられ男性論を始めようとしたところで終わっています。そして、この時代は『源氏物語』や『枕草子』などが主に創作のベースとなっていました。そのため、『無名草子』や『徒然草』などの中世随筆文学は『枕草子』に影響されたような表現があります。和歌の分野では、歌壇の重鎮・藤原俊成が「源氏見ざる歌詠みは遺憾事也」という名言を残しています。「『源氏物語』も知らないなんて、歌人としてお話にならない」という意味で、この発言を機に『源氏物語』が和歌の必須の参考書になりました。
物語批評に関しては『玉藻』『とりかへばや』など現在残っていない作品もちらほらあり、中には「『源氏』をまねてるが、失敗してて痛いよね」と酷評されているものもあります。それもそのはず、この時代の物語はあまた作られており、現代でいうラノベのようなものだったのです。まさに大量生産・大量消費ですね。面白いものは残り、面白くないものは自然と消えていくものです。
今年度の中世文学自主ゼミでは『無名草子』の中でも『源氏物語』批評と女性論を中心に扱っていきます‼
『源氏物語』や『枕草子』などの中古文学(平安時代の文学)が好きな人にも『源氏物語』が中世においてどのように受容されたのか知ることが出来ます!ところで、中世とはいつか?というと、ざっと鎌倉時代から安土桃山時代までです!
少し『無名草子』の『源氏物語』批評の内容を紹介すると、最初は「『源氏物語』ほどの傑作はないだろう。紫式部は前世からの因縁で仏の力によってあれほどの大作を書いたのだ」という流れから、「私は『源氏物語』を読んだことがないの、だからどうか私に物語の見所を教えてほしいわ」と若い女房が言ったところから始まります。そこから、「『源氏物語』の中でしみじみと心打たれる巻といえば、桐壺の巻以上のものがあろうか」、「『夕顔』はただひたすら、しみじみと同情心がそそられるわ」などなど女房たちのご意見はたくさんあります。このように、どれどれの巻について一言コメントを付けられるということは、各巻を中世の女性はきちんと読みこんでいるということです。つまり、「源氏の中ですばらしい人は誰?」とみんなで話ができる程中世女性にとっては常識的なたしなみだったことが分かります。
他にも、『源氏』を読んだことがない若い女房が、「『源氏』の中ですばらしい女性はいますか?」と質問しています。これについては、「桐壺の更衣、藤壺の宮、葵の上の自信を律する心遣い、紫の上、明石の君は奥ゆかしく印象的です」と語っています。そして、「強く心ひかれる女性」の最後の方に「又、六条の御息所の中将こそ宮仕人の中にいみじけれ」とあることから、女房たちが「私と同じ官職の人だ」とモブに対してもきちんと目配りしていることが分かります。
また、女三の宮に対しては、柏木との密通の手紙を女三の宮の不注意で源氏に見つかってしまったことから、思慮分別が乏しいためだとして、非難されています。なかなか辛口なコメントですね。同じ女房として六条の御息所なんかいいよねとモブにも目がいき、源氏に対しても「こうであってほしかった」とディスりが入るところは、物語を客観的に見ることが出来る“読み手の成熟”を表しています。
『無名草子』の女性論では、「本当に残念だが女ほど残念なものはない。何事も道を習うならそれなりの人がでるべき。女が勅撰集の撰者になれないのが悔しい。しかし、紫式部が『源氏』をつくり、清少納言が『枕草子』を執筆したように、物語の作者の大部分が女性であった。人前に出ない女性もいるが、それはそれでいい。私たち人前に顔をさらして生きる女房は、紫式部や清少納言、小野小町のように女房として名を残し、あのサロンにあの人ありと言われたい。後世まで名の残らないのは悔しい。勅撰集に女の歌が入るのは本当に難しいんだ。」という、中世女房としての嘆きが書かれている。
この『無名草子』という文学作品から、中世の女房たちがどういう人たちに興味を持ち、どういう不満を持っていたのかが分かるのです。
例えば、『源氏物語』を執筆した紫式部の仕えた一条天皇中宮彰子と、『枕草子』を書いた清少納言の仕えた一条天皇皇后定子のどちらの方がよりすばらしいか、という質問に対して、「定子さまの方が美人で帝の寵愛も深かったようですよ」と答えています。いつの時代でもゴシップは人気なのだそうです。
このように、中世の女性たちは私たちが思っているほど、男性の三歩後ろを歩くような物静かでおとなしい女性ではなく、もっとエネルギッシュで自分から物事を発信し、発言していくたくましさを備えています。アグレッシヴで自立した女性ですね。
石井先生のお言葉を借りるなら中世文学は「全体を通してうかがわれるのは、王朝文化に対する強い憧憬の念」があるのです。
中世において文化的リーダーであった美福門院加賀は、破廉恥な本を書いたために地獄に落ちたと語る紫式部を夢で見たことから、源氏供養を行ったと言われている。『源氏物語』は今のように無条件に高評価を得る作品ではなく、恋愛や密通による王権侵犯というテーマを扱っているために危険視される側面もあったのです。つまり、「仏教的にアウト!」だった訳です。しかし、源氏供養によって、書写という仏教的な方法で供養され、火葬されます。自分で書写した本を焼いてしまうことで、誰の手にも渡らない「わたしだけの『源氏物語』」になる訳です。執着心や独占欲による歪んだ愛ですね。石井先生はヤンデレに近いとおっしゃっていました。つまり、村上春樹やアップルにアンチがいるのと同じように、当時は大変な『源氏物語』ブームだったということの裏返しなのですね。
そもそも仏教において愛欲は罪なのです。ですから、愛欲を前面に出した『源氏物語』に対する弾圧は我々の想像の範疇を超えています。だからこそ、無名草子においても「法華経の経文の一語も入っていないなんて」という批判も出てくる訳ですね。と石井先生がおっしゃっていました(笑)。思い通りにならない政治や自然災害、自分に向けられることのない愛などの生活苦から、「自分ではどうにもならないやるせなさ」が人間を宗教に駆り立てるのでしょうね…。紫式部の『源氏物語』は人間として普遍的な現実のやるせなさがよく現われているのです。毎回ハッピーエンドで終わる「そんなの、綺麗事だよ…」と思う作品群とは一線を画しています。そのため、『無名草子』では紫式部は仏の力を借りて『源氏物語』を作ったのではないかといわれているのです。
と、『無名草子』語りはここまでにして、『徒然草』のキャッチョコカードがついに完成いたしました‼中世文学自主ゼミに見学に来て下さった方々とみんなでカードゲームを楽しむことも夢じゃないですよ!面白いのでぜひ、中世文学に興味のある方は見学を考えてみてはいかがでしょうか?今なら、水曜日の昼休み、4月の12・19・26日あたりに百年館8階の石井先生の研究室に歩いていってくだされば、きっと損はしないはずですよ!

それにしても、ソメイヨシノがきれいに咲いてますね。青空によく映えます。桜は花びらが全て下向きなので、見上げる角度が一番きれいな花なんです。日本の国花だけにはかなく美しい花ですよね。以上、長文失礼いたしました。

葛藤と前進
はじめまして、ゆりかと申します。
物心ついた頃から絵を描くのが好きで、中高と美術部に所属しておりました。
趣味は読書です。今も暇さえあれば何らかの本を読んだりしています。
私はどちらかといえば最初は言葉で説明するより、脳内のイメージを絵として具現化することで人に自分が感じた印象を伝えています。言葉は絵の補足なのです。
というのも、人に伝える上でどうしても言葉に限界を感じてしまうのです。

例えば上の画像を見た私の印象は

このような感じになります!
夢見る女性を彷彿とさせ、夢を見る人間の美しさを表しているのではないかと思えました。
また、母性のような優しさを感じ、「あなたも夢を見てみたら?笑わないわよ」と声が聞こえてきそうです。
蝶は理想を象徴しているのではないかと感じました。夢を見ることで人は強くなる、そのようにも考えられました。
やはり、人間というものは理想(夢)を持つことで美しく、そして強くなるのではないかとしみじみしてしまいます。
内に秘める強さというのはまず心がけること(夢見る理想)が大事なのかもしれませんね。
「女はたゞ心から、ともかくもなるべき物なり」
女性は心がけしだいでどうにでもなるものよ。安易に自分を卑下してはいけないわ、プライドを持ちなさい!
という『たまきはる』の建春門院のお言葉を思い出します。
ところで、私は中世ゼミに入っているのですが、最近はカード作りをしています。

これは小刀のアイテムカードを作っているのですが…
このままこのデザインになるのかはちょっと分かりませんね。
毎回「これは傑作だと言えるものを描くぞ」と思っているのですが、描き終わると「もっとうまく描けるはずだ!」と思ってしまうので、どうにも空しい気持ちになってしまいます。
こんなもの!今すぐ破り捨てたい!!滅してやりたいッ!!!とすら思いますね。
しかしそれでも、めげずに前へ前へと進んでいきたいので、目の前のことに真摯に向き合っていきたいものです。
中世ゼミのカード作りについて、詳しくはTwitterで#徒然草キャッチョコで検索してみてください!
これから主に中世の文学史に関するイラストや中世ゼミなどの活動について投稿していきたいです。
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