架空の行方不明

8月初旬。行方不明展という企画展に足を運んだ。
「行方不明」に関する展覧会。好きなホラー作家が企画したということもあって、その企画の不気味さに惹かれてチケットを購入した。

ちなみに私はホラーが苦手である。ホラー映画やお化け屋敷などは特に苦手。
大きい音や映像はもちろん、雰囲気にあてられて恐怖心を掻き立てられてしまう。
だが怖いものは好きだ。小説やWeb記事などは好んで読んだりもする。
この企画展はどうやらホラー要素はないらしい。だがいかんせん怖い。怖いものは怖い。
テレビ東京で放送されていた事前番組を見てよりその恐怖心は大きくなった。

行こう、そう意思を固めた瞬間にホラー大好き、オカルト大好きの友人に連絡を入れた。
怖い時はその子に手を繋いでもらおうと思って。実際ほとんどずっと手を繋いでもらっていた。

この企画展は、架空の「行方不明」をテーマにしている。
架空の「行方不明」、というのは文字通り、フィクションであり実際には存在しない人々、あるいはモノの行方不明を扱っているということである。
例えば実際には存在しない行方不明者を探しているビラ、行方不明になった人の家に遺されていたもの……などである。

入り口には「探しています」と書かれた紙が壁一面に貼られていた。

この人たちは存在しないとわかっているのに、探している人たちの悲痛な思いを想像して胸が締め付けられるような思いになる。フィクションだとわかっていても。

「行方不明展」は4つのコーナーに分かれている。
「身元不明」〈「ひと」の行方不明〉
「所在不明」〈「場所」の行方不明〉
「出所不明」〈「もの」の行方不明〉
「真偽不明」〈「記憶」の行方不明〉

足を進めていくたびに、「行方不明」の言葉が持つ意味合いが徐々に変化していく。
「行方不明」になりたがる者や、身近な人が「行方不明」になったことによる不思議な現象……。

オカルト的な側面や、SFチックな設定も見えてきて、奥にいけばいくほど、最初に抱いたのとは違った「行方不明」の真実が見えてくる。「行方不明展」をでたあとは考察がそれはそれは捗った。
もう展示は終わってしまったが、この「行方不明展」はどうやら書籍化するらしい。
ぜひ、この不思議で不気味な世界観を味わってみてほしい。

安全運転を目指して

自動車学校に、入学した。
正直、本当に運転したくない!なぜなら、絶対に、絶対に人を轢くからである!!

人間の状態で角を曲がる時でさえ角にぶつかるのに、車に乗ってぶつからないわけがない。
「最初は怖いかもだけど慣れるよ〜〜☺️」なんて言われるが、
20年経っても人体の操作に慣れていないのだからよくわからないバカデカ機械を操作できるわけがないのである。
私にとって、車なんてものはガンダムでありエヴァである。
碇ゲンドウが「シンジ、エヴァに乗れ」というように、うちの母が「しらちゃん、車に乗りなさい」というのだから、居もしないミサトさんに泣きつきながら、存在しない綾波レイを心に宿して自動車学校を契約したのである。エヴァンゲリオン、見たことないけど。こんなアニメだっけ?

この前初めて車の操作を教わるための模型のような機械に乗った。
変なレバー操作、ハンドル操作、ペダル操作…………。

多い多い多い多い多い多い多い!!!!!!!!!
やることが!!!多い!!!!!

発進するまでにやること、そんなにあるの?
アクセル踏むだけじゃないの?

なんならアクセルとブレーキも踏み間違えそうなくらいだ。
もう免許を返納したい気持ちである。まだ免許を持っていないのに。

今日くらいは「車の運転ができない!」って話をさせてもらえませんか? | オモコロ

高校生の時、この記事を見て深く共感した。そのレベルである。
この記事は本当にいい。今の私の気持ちを代弁している。
運転したくない。人を殺めたくないという感情はそんなに間違ったものだろうか?
運転したくない!!!

でも、もう30万親に払わせてしまったからには、親の期待を背負って私は乗り込むしかないのだ。

エヴァンゲリオンに。

人生かもしれない

横浜駅をぶらぶらと歩いていたら、「ヨシタケシンスケ展」のポスターが目に入った。
「りんごかもしれない」「りゆうがあります」などの作品がとても好きで、そもそも絵本というコンテンツが大好きなわたしは引き寄せられるようにそのチラシを手に取った。

「ヨシタケシンスケ展かもしれない」
原画とか飾ってあるのかな、ふうん、見に行ってみようかな。
そんな軽い気持ちだった。元々展覧会に行くのは好きだったから。
絵本も好きだ。小さいころから、ずっと。最近のお気に入りの場所は絵本の家。目白から大学へ行くまでの道のりにある、青い入り口が目印の絵本屋さんだ。国内外問わずさまざまな絵本が置いてあり、絵本のグッズなんかも置いてある。そこを眺めながら、「あ、ヨシタケシンスケさんの絵本だ。」と海外版の『りんごかもしれない』を、英語なんてわからないのに眺めて見たりもした。
絵本が好きだ。心が踊る、声に出して読んでみたくなる。

ヨシタケシンスケさんは、その中でも特段好きな作者だった。
くすりと笑えるユーモアに遊び心、その中に見える深いメッセージ性と人生観。
隅々まで読みたくなるような絵本ばかりだ。絵柄も可愛らしくて唯一無二。
原画などの展示が見られるなら、グッズとかも欲しいし。
とても楽しみにしていて、同じく絵本が好きな母とともに足を運んだ。

チケットを購入する前から、入口の至る所にスタンディパネルが飾られていた。
違う方を指さして「会場はこっちかもしれない」だとか、「あなたをずっと待っていたのかもしれない」だとか。ヨシタケシンスケ節の遊び心が散りばめられている。


入場して、一番初めに目に飛び込んできたのは、ダンボールで作られた展示場だった。


「ほんとうの会場はこっちかもしれない」と「いりぐち」と書かれた小さな扉に矢印が伸ばされている。
可愛らしく、ヨシタケシンスケらしい「入り口」に胸が高鳴る。

そのまま奥へと足を進めると、たくさんの「カブリモノ」と目があった。
「カブリモノシリーズ」の展示。ヨシタケシンスケの昔の制作物らしい。
カブリモノを制作し、その機能とアイデアスケッチを展示していた。
わたしは、この展示が一番好きだった。一気に心を奪われたのだ。
カブリモノの中にケチャップとマヨネーズを入れて、オーロラソースでいっぱいにすることで死にいたる自殺装置に、頭の自動販売機。ブラックユーモアと、詩的な一言がとても刺さって、釘付けになった。

特に印象に残ったのは「HOOK ME」という「カブリモノ」。
カブリモノについたフックが体全体を持ち上げている。
作品説明はたった一文。


「ぼくが今まで宙に浮くことができなかったのは、何もひっかかるものがなかったからなんだ。」

カブリモノシリーズを堪能した後広がるのは、普段からヨシタケシンスケが記録しているアイデアスケッチの数々だった。
壁一面に、ヨシタケさんの世界観が広がる。

普段の生活でどのようなことを考えているのか、手に取るようにわかるメモの数々。
ヨシタケシンスケの作品は、こういうところが出発点になっているのだと感じられるような展示だった。この展示を見るのには、時間がいくらあっても足りない。
目についたものを眺めるだけでもたくさん共感できるポイントがあって、時間が許すなら目の届く限り全てを見たいと思うほどだった。

一言とともに、小さな絵が添えてある。
感性が羨ましくなった。羨ましい、と思うと同時に、この色々考えてしまう思考をどこにも書かず、発散せずにとどめたままだと苦しいだろうなとも思う。
書き、描くという行為がこれほどの感性を育てているのだろうか。

その奥にはさまざまな展示があった。
子供向けのミニゲームや、学生時代の制作物。
そして、作品群のアイデアスケッチだ。

どのような過程を踏んでヨシタケシンスケの絵本が作り上げられていったのか、本人直筆の付箋で注釈がつけられながら追うことができる。
本当に面白かった。作家の頭の中をのぞいているようで、大人たちは食い入るように見入っていた。

この展示会は、大人が訪れるとさまざまなものを感じ取れるようなものになっていると思う。
人生のこととか、いろいろ。たくさん考えることがあったし、たくさん学ぶことがあった。
私がヨシタケシンスケの絵本が好きなのは、こういうところなんだろうなと思った。

展示会は好きだ。時には人生観さえ変わることがある。
ぜひ、「ヨシタケシンスケ展かもしれない」に足を運んでみてほしい。

20歳と母とわたし

どうやら、生まれてから20年が経ったらしい。
私はなにか成長したのだろうか?

図体ばかりでかくなって、精神は依然として赤子のままだ。今日もぬいぐるみを抱いて眠る。

20年、色々なことがあった。
嫌なことも、悲しいことも、辛いことも、
楽しいことも、幸せなことも、嬉しいことも。
たくさん、本当に色々なことがあった。
人生のサビはもうそろそろ終わる。そんな気がする。
エピローグがはじまって、第二章がはじまるのだろう。第二章の主人公はおそらく私では無いはずだ。おそらく、きっと、上手くいけば。

誕生日、母にプレゼントを貰った。
ノートに私の幼少期の写真がたくさん貼られたアルバムだった。
母と共にわらう幼き日の私がそこにいた。
愛されていた記憶。愛されている自覚。
もう子供には戻れないことを実感するとともに、私はこれからも一生このひとの子供なのだと思った。幸せだった。今も、幸せ。
私の名前の候補に、「奏」というのがあったそうだ。由来はスキマスイッチの奏。
その話を聞いてから、奏を聞くと母に重ねるようになった。
そのアルバムにも、奏の歌詞が書いてあった。書いてあったというか、貼られていた。コピーで。ちょっと笑った。

けど、その歌詞があまりにも重く、深く、刺さってきたものだから親の前でしゃくり上げて泣いてしまった。私は子供の頃から泣き方が変わらないらしい。とても泣き虫なのに、泣くのが下手なのだ。
ページをめくる。少しずつ私が大きくなっていく。小学生の私は、今よりずいぶん幼いはずなのにとても大きく見えた。母からのメッセージにも、たくさん泣いた。
次のページも、ママからのメッセージです。
と書いてあったので、ああ、私はきっと、絶対に泣いてしまう。そう思いながらページをめくった。

SnowManの曲の歌詞が、貼ってあった。

崩れ落ちて笑った。
おい、母よ。嘘だろ?
今の母娘の共通の趣味は、SnowManである。
それも母のハマりっぷりがもうとんでもなく、元々感性が若い母だが、その中でもきっと今が一番とびきり若い。もう、それはそれは、とんでもなくハマっているのだ。
いやいやいや、それにしてもだろう、母さんや。
娘の、20歳の、誕生日の、アルバムの!最後のページである!!
SnowManて!!!しかもラブソングて……。
いい曲でしょう?と言われた。いやいい曲だけれども。しかも、特に伝えたいところだったらしいところには赤いマーカーが引いてあった。あっ、ここが伝えたかったんだ……と思い、じわじわ来てしまう。

その曲はオレンジKISSという曲で、そして私の推しのイメージカラーはオレンジである。
「ほら、康二くん(私の推し)カラーだから、オレンジKISS!♡」と母。
本当にかわいい母である。

そういえば、中学受験の時に合格はちまきに寄せ書きを書いてほしいと母に頼んだことがあった。
その時母がハマっていたハイキュー!の名言を書かれた。
確かあの時は「ママの言葉で書いて!」と怒った気がする。
私も20年変わっていないが、母もおそらく20年変わっていない。ずっとずっと、とても可愛らしくて、面白くて、天然で、そして私をなにより愛してくれている母である。

太陽のような人

太陽のような人が好きだ。
誰かのために太陽になってくれる人が好きだ。
そして私も、そのような人でありたいと、思っている。

小学生の頃、親のiPadでニコニコ動画を見ていたら、親にバレた。
当時親は「ニコニコ動画はニートが見るもの!」みたいな偏見があったようで、「ああいう人たちみたいになっちゃうよ!」と言うようなことを言われた覚えがある。
実際間違っていないし、ニコニコ動画は教育に悪い。絶対に。
実際、こんな人になってしまった。ニコニコ動画を見ていたから。

中学生になり、自分のスマートフォンを買ってもらい、私はとある文化にどハマりした。
「歌い手」
今一番有名な歌い手は誰だろう。Adoかな。
ボカロ曲やJPOPをカバーして、動画サイトに「歌ってみた」動画を上げる人たち。
元々ボカロ曲が好きだったのもあり、のめり込んだ。

歌い手文化は、間違いなく私の青春である。

当時はなかなか痛々しいオタクだったが、クラスのカーストトップにいた子達もオタクっぽかったし、
何より通っていた女子校はみんな仲が良かったので、それはそれは元気に黒歴史を量産した。
しかし、お互いがお互いの黒歴史を握り合っているのでそれは特段恥ずかしくはない。
女子校だったので、学年が上がるたびに謎の自浄作用のようなものが働いて、
私のようなオタクも少しずつ垢抜け、オタクな部分はそのままに痛々しい部分を隠すことができるようになった。

そして、コロナ禍が始まると同時に私は「歌い手」文化にあまり触れなくなる。
ボカロ曲は好きだった。歌ってみただって。
しかし、別の推しができてしまったのだから仕方ない。
正直、後半の方はライブに行く以外はあまり推しへの熱量も低くなっていた。

そうなっても変わらず聞いていた歌い手が1人だけいた。
その人だけは変わらず聞き続け、歌ってみたも、オリジナル曲も、投稿されるたびに必ず聞いていた。
彼の太陽のような歌声が好きだった。
その人の書く歌詞と、その人の作る曲が大好きだった。

その人のことはもちろん大学に入ってからも追いかけ続けていて、
推しとまではいかなくとも好きなアーティストとして名前をあげたくなるくらいには好きだった。

先日、その人の活動休止が発表された。
太陽のような人だった。その人は、私たちのために、誰かのために太陽な人であり続けていた。
そんな日々に、疲れてしまったらしい。

私もそうだ。人といるときは常に気を張る。
常に私でいようと、元気に振る舞う。
演じているわけではないし、どちらも私だ。
でもたまに、自分の置き場所がわからなくなる時がある。
眠れない夜、呼吸する姿勢を忘れるように。
そんな日々に疲れる気持ちが、よくわかる。
想像でしかないけれど。

今までその人のライブに行かなかったことを激しく後悔した。
もっと、その人の歌を聴いておけば良かった。
発表された活動休止前のラストライブ。
衝動だけで、二日間の通し券を一枚分予約した。
初めてのライブソロ参戦が決まった。

そして迎えた1日目。1日目はその人の友人を詠んだフェス形式、2日目はワンマンライブという構成だった。
1日目。中学時代の私の推しもいた。久しぶりに聞いた歌声だった。
元推しの歌声は変わらず、性格だって変わらなかった。
ああ、こんな人だった、そう思った。
推しでなくても、中学時代に私が青春を捧げた人たちが次々と出てくる。
数年前と違う客層に驚きながら、青春を懐かしんで、1人で泣きながらペンライトを振った。
ボカロ曲も、彼らのオリジナル曲も、すべて大好きだった。

ボカロ曲も、歌ってみたも、サブカルチャーだ。
あまり大声で人には言えない趣味だったように思う。特に大人には。
でも、その会場は愛で満ちていた。当時中学生だった、私たちみたいなファンたちが大人になったのだと思う。

2日目のワンマンライブも、本当に素晴らしかった。
眩しくて、目が焼けそうだった。
太陽のような人だ。この人は、太陽でいてくれたんだ。
そう思うと、彼の言葉一つ一つが涙を誘う。
ライブの締めくくり、彼は「あなたたちひとりひとりが僕にとっての太陽です。」といった。
ファンにとっての太陽もまた、きっと彼だったのだろう。

好きな人のライブにもっと行こう。
推しは推せる時に推せ、なんていうけれど、推しじゃなくても好きになれる間にちゃんと好きでありたい。

機を織る鶴

ベッドから起き上がれない日々が続いていた。
目が覚めても体が重くて、どうにも手足が動かせない。
うるさいアラームを止め、あと数分だけ眠りたいとアラームをセットしなおして眠る。
数分後に目覚めて、やっぱり、動けなくて。
そんな日々が、続いていた。

気圧の変化、疲労、寝不足。色々な要因がきっと重なっている。
こんなザマで、私は社会に出られるのだろうか?そんな悩みが頭を埋めつくす日々だ。
そして一番の要因は、おそらく寝不足。そして生活習慣の乱れ、だと思う。
起き上がれない日々が続く。そして、寝付けない日々も続いているのだ。

夜布団に潜る。目を閉じる。
目を閉じるとともに、果てることのない思考の闇に放り出される。
今日の失言、昔の失敗、あの時言われた言葉の真意……考え出すだけで止まらない。
頭の中でもう1人の私が得意げに話し続けるのだ。私を寝かさないとでも言うように。
思考をする時にもう1人の自分が話しすぎて、うるさい。
当たり前だと思っていた感覚だったのに、どうやらそれは普通ではないらしい。
頭の中が無音になることはない。いつもうるさくてうるさくて仕方ない。
強いて言うならば、眠るときだけ私の脳内は穏やかな静寂に包まれる。
気が狂いそうになる日々だ。他人から見たら狂っているのだろうか。

「もう寝なきゃ」「明日1限なのに」「明日の1限あと何回休んだら単位取れないんだっけ」
「そういえば明日は○○ちゃんに会うな」「あ、財布空っぽ」「何食べに行こうかな」
そんな私の声が絶えず頭を埋め尽くしている。
これが普通じゃないなんて、私には信じられない。
音楽が鳴ったり、ぐにゃぐにゃした言語化できない感情が渦巻いたり、
今すぐにでも消えてしまいたい衝動的な焦燥感に駆られたり、
どうにも未来を恐ろしく感じたかと思えば、逃げられない過去に怯えたり。

昔からそうだった。頭を思考が占拠して、逃れられなくなる。
そんな日には決まって架空の世界に逃げて色々な妄想をして、意識がフェードアウトするのを待っていた。
昔はそうやって眠れていた。

しかし、今はどうだろう。
昔より、すっかりネガティブになってしまった。
凡庸な思考で、空想の世界が色褪せてしまった。
創作意欲がすっかり息を潜めてしまった。

とある日も、眠れなかった。
体は火照り、まわした扇風機の音すらうるさくて、
理由のない不安に苛まれる。
根拠のない希死念慮が頭を覆い尽くす。死にたいなんて思っていないくせに、そんな不安だけはあるのだ。

ふと、短歌を詠もう、と思った。

短歌を詠むのが好きな友人がいた。短歌投稿サイトの大会で賞を貰ったりしているらしい。
彼の短歌を見せてもらったことがあるが、彼の独特な感性が独特な語彙で表現されていて、
彼との繋がりが薄くなってしまった今でもたまに彼の短歌を覗きにいっている。

そんなことを不意に思い出して、私も試してみようかなと思った。
深夜、眠れずに気をやってしまっている。
暗がりでスマートフォンを開いて、一番上に出てきたサイトに会員登録をした。

シンプルなレイアウトで、色々な人の短歌を見ている。
この今も、色々な人が色々な悩みや感情を抱えて、31文字を綴っている。
私も、と投稿画面を開いて、一句目を綴ってみようと頭を悩ませてみる。

首を吊る 勇気もないくせ 今日もまた
羽が欲しくて 機を織る鶴

今見返すとゾッとするほど暗い歌だ。しかしこれを投稿した私は感動した。
私、短歌の才能あるんじゃないか!?と。
根はポジティブなのだ。ただ沈みやすいだけで。

さっそく次の歌を、次の歌をと詠んでみる。
15分ほどの時間で詠んだ歌は5首。
頭に浮かぶドロドロした感情をああでもないこうでもないと考えながら31文字に当てはめると、
なんだか頭がとてもすっきりした。
呼吸がしやすい。思考が穏やかで、とても静か。
そのまま目を閉じて、ゆっくりと意識を眠りに沈めた。

それ以降も、思考が渦巻いて眠れない夜にはたまに短歌を詠んでいる。

最後、おまけにいくつか自信作を載せておく。
また溜まったらどこかで載せるかもしれないし、これきり載せないかもしれない。

明るい子 空気の読める子 演じてる
惨めに布団を 握りしめてる

明けぬ夜 なんてないよと 言う人は
朝が嫌いな 人を知らない

卑下をする 度にもがれていく手足
どこにも行けない 飛べないままに

心臓を 握りつぶすようにまた
息を吸い吐き また息を吸う

今日もまた 眠るために 目を瞑る
止まらぬ不安と 脈を数える

火照る脚 不安を数え 膝を抱く
今日も揺蕩う 思考の渦巻き

行こう 空の上まで

私がはじめて親に買ってもらったCDは「しゅごキャラ!」のCDだった。
その後、私はAKB48にハマり、ももいろクローバーZにハマったり、BiSHにハマったり。

頑張る女の子が、戦う女の子が、大好きである。
そんな私が今ハマっているゲームがある。

5月16日にリリースされたスマホアプリ、「学園アイドルマスター」。
アイドルマスターという名前を、一度は聞いたことがあるかもしれない。
「学園アイドルマスター」通称「学マス」はその最新シリーズである。

私がこのゲームの存在を知ったのは、YouTubeでふと流れてきた一つの動画からである。

最初に映るのはレッスンの様子。
決して上手いとは言えない歌声。不安そうに歪む硬い表情。
ライブ映像に切り替わった瞬間、鳥肌がたった。
「歌とダンスが上手くなるアイドル育成シミュレーション」
その言葉の通り、同じ人物とは思えないようなパフォーマンスが広がっていた。
臨場感溢れるカメラワーク、自信に満ち溢れた表情。頭から離れなかった。
さすがアイドルマスター、これはきっとすごいゲームになる!
そう確信し、事前ダウンロードのボタンに指を伸ばした。

そしてきたる5月16日、私は「学園アイドルマスター」をダウンロードした。
その日はバイトがあったので、バイトが終わってからやろうと楽しみにしていた。
休憩中、早速ダウンロードしたという先輩から「しらちゃん、やばいよ、絶対早くやったほうがいい」とオタク特有の瞳孔が開き切ったバキバキの目で言われた。
オタクにはわかる。この反応は本物だ、多分神ゲーなんだろう。
早くやりたい!!オタクはバキバキの目で退勤した。

ずっと気になっていたキャラクターがいた。
花海咲季。いわゆるこのゲームの看板キャラで、赤担当のセンター。
「勝つのが好き!負けるのがだ〜いッキラい!」勝ち気で負けず嫌いな優等生キャラだそうだ。
私の好きなアーティストがこのキャラクターのソロ曲に楽曲提供しているらしく、その曲もカッコよかったのでこのキャラクターを最初にプロデュースしようと決めた。

プロデュースをしながら、徐々に見えてくる彼女の人柄、性格、魅力、そして葛藤。
彼女がなぜアイドルを志したか。
なぜ「トップアイドル」を目指すのか。
彼女が今まで何と戦い、何を見て、そして舞台である「初星学園」でアイドルになることを決心したのか。プロデュースを重ねるごとに、彼女に感情移入していく。
彼女をトップアイドルにしたい。そんな思いが増していく。

このゲームでは、プロデュースを終えるとライブを見ることができる。
最終試験で三位をとると校庭、二位をとると屋上、一位をとると屋外の小ステージでライブができる。


そして何度も何度も繰り返しプロデュースをして、条件を満たした上で一位をとると、「true end」として大きなライブ会場でライブをする姿を見ることができるのだ。
プロデュースをする中で何度も失敗し、吹き曝しの小さなステージで少人数の観客を前に歌い、踊る私の担当アイドルを見るたびに、大きな会場で大人数を虜にする彼女の姿を夢に見る。
彼女のプロデューサーとして、彼女の晴れ舞台を見てみたい。

そして幾度となくプロデュースをした先でやっと迎えた「true end」
オタクは泣いた。ボロ泣きした。
プロデューサーとか色々言ったが、そもそも私はオタクなのだ。
頑張る推しに、弱い。輝く推しに、弱い。
大きな会場を身一つで沸かせる花海咲季、かっこいいよ。

校庭の小さなステージで歯を食いしばって悔しがる姿を見ていた。
大きなモニターに映し出され、不敵な笑みを浮かべる彼女にその姿を重ねる。
彼女をプロデュースしたのは私だ。私の、担当アイドル。
アイドルは偶像だ。
きっと、この作品の中で彼女を推しているファンたちは彼女の涙を知らない。
彼女の葛藤を知らない。
この世界の中で、その姿を知っているのは私だけだ。
なぜなら花海咲季のプロデューサーは私なのだから。

花海咲季は誰よりも頑張る女の子で、そして常に何かと、誰かと、妹と、そして自分と戦っている女の子だ。
私はこれからも彼女の戦いを、輝きを見続けていたい。
彼女は自分のことを「偽物の天才」と呼称した。
果たして彼女は「偽物の天才」なのだろうか?それとも、本物の天才なのだろうか。
ひょっとしたら、ただの、普通の女の子なのかもしれない。

おそらくそれは、彼女をプロデュースする中で自ずと見えてくるものである。
そしてその答えはきっと人によって違うものになる。学マスには、花海咲季の他にも8人のアイドルがいる。
どの子をプロデュースするにしても、その魅力の虜になることだろう。
スマホ一つあれば見ることができる輝きを、どうか目に焼き付けてほしい。

ユア ライフ チェンジス エブリシング!

好きな曲がある。

胸を締め付けられるような切ないラブソングでもなければ、明るい応援ソングでもない。最近流行りの曲でもないし、昔流行った曲でもない。
意味も取れないような歌詞で、歌い方の癖も強くて。美少女キャラクターのカワイイセリフも入っている。
しかし私はその曲が好きで、間違いなくあの時の私はその曲に救われていた。

学生時代、毎日不安に苛まれていた時期がある。
友人と顔を合わせられなくなって、いつも被っていた「私」のペルソナを保てなくなっていた。
毎日学校に行くのがしんどくて、誰にも相談できなくて。
誰からも見下されているような気持ちになって、上手に人と話せなくなって、休み時間は寝たふりをして机に伏せていた。
私にはたくさん友達がいたけど、人が集まるようなタイプではなかったので1人の時間は簡単に作れた。それが私を苛む孤独感を加速させたのだろうと、今になると思う。
誰も心配してくれなかった、なんて言うのは拗らせた承認欲求からくるわがままなのだろうけど、心配されるどころか、誰にも気にされていなかったのだろう。
自分は友人に愛されている、と思っていたのはおそらく思い上がりだった。
「私が」友人を愛しているから、それを受け止め、返してくれているに過ぎないのだと思う。友情とは、等価交換の契約である。
受験は人を狂わせる。私は、簡単におかしくなってしまった。
それは、高三の冬のことだった。

いつも帰りのHRが終わったら友人たちとダラダラ話しながら下校していたのに、どうにも耐えられなくて、学校から逃げ出すように走った。
まだ生徒で賑わう前の、静かな学校の最寄り駅で、音漏れしそうな位に音量を上げたイヤホンで好きな曲を聴いていた。
ノイズキャンセリング機能は、電車の過ぎ去る音も、生徒の話し声も、笑い声も、全てを遮って私を守ってくれていた。
楽しい音楽も、暗い音楽も、当時の私にはノイズでしかなかった。
あんなに大好きだったゴールデンボンバーのユーモアも受け付けなくなって、あんなにも愛したボーカロイドの歌声も、推しだったイケメン歌い手の声も、響かなくなってしまった。
そんな時に出会ったアーティストが、大槻ケンヂ。その人である。

眠れない夜に聴いていたVtuberのカラオケ配信で、大槻ケンヂ縛りのものがあった。
ふと再生したそのアーカイブで、オーケンに出会ったのだ。
最初に流れたのは「マタンゴ」。キノコに寄生される?ど、どういうこと?なんだこの曲。意味がわからない。と思っていた。けれどなんだか気になって、眠れるまで聴いてみようと再生を続けた。
次に流れた曲は「人として軸がぶれている」。「さよなら絶望先生」というアニメの主題歌らしい。私は震えた。惹きこまれた。私はこの人の曲をもっとたくさん聞くべきだと思った。

それから1時間、とうとう眠気が来ることなくその配信を聴き終えた。
「ヨギナクサレ」で打ち震え、「戦え!何を?人生を!」で泣いた。
その時の、どうしようもないぐちゃぐちゃの感情は色褪せたけども今も記憶に焼き付いている。
配信をしていたVtuberは、「まだ自分が何者でもなかった頃、打ち震えて膝を抱えて聴いていた」というようなことを語っていた。
かくいう私も、いつの間にか布団の中で膝を抱え、拳を握りしめながら聴いていた。

私に必要だったのは、自分を絶望から救うのではなく、絶望の中で奮い立たせる曲だったのだと思う。その日から大槻ケンヂを聴きあさり、私は好きな曲に出会うことになる。
満員電車の中で、おじさんの背中と背中に挟まれながら聴いていた曲は、私の血となり、肉となり、武器と盾になっている。
私にはこの曲がある。そう言える曲を、私は三つ持っている。そのうちの一つがオーケンの曲だ。私の弱さを、孤独を、絶望を、励ますことなくただ認め、受け止めてくれる。そして奮い立たせるのだ。バイクのエンジンをふかすように、嘘みたいに強がって。

音楽は、人を強くする。
音楽には、人を救う力がある。

意味もなく息苦しい時に、呼吸の仕方を教えてくれるのも、酸素をくれたのも、音楽だった。居場所をくれたのだって。
趣味がたくさんあって、音楽は特に趣味でもなかった私でもそうだった。

合言葉は、林檎もぎれビーム!

空きコマのすゝめ

空きコマ。授業と授業の間に生まれる、どうしようもなく暇な時間。
履修登録の際に一度空きコマを作ってしまえば、向こう数ヶ月はその暇に悩まされることになる。

友達と過ごすもよし、課題を進めるもよし。
しかし問題は特に課題もなく、空きコマが被る友人もいないときである。

せっかく新入生も入学した今の時期に、1人の空きコマでどのようなことをしていたのか、振り返っていきたい。
先に断っておくと、そこそこ怠惰な学生による時間潰し術である。
いわゆる意識高い系の時間の使い方はしていないので、そこのところだけお願いしますね

①課題
結局のところ一番の有効活用は課題に時間を割くことだ。
1コマくらいの空き時間なら一週間分の課題やオンデマンド授業など容易にこなすことができる。
大学内でおすすめの場所をこっそり教えるとするなら、図書館だろうか。
静かな場所で集中できるタイプならここがおすすめだ。
日本女子大学の図書館は本当にきれいで、本当に静かだ。
私は静かな場所が苦手なので、イヤホンで音楽やラジオを流しながらこもったりしている。
あと、1人の人が多い!これはありがたい。孤独が目立たない。
どこで1人だったとしても、誰も自分に注目しないことなんてわかっているがどうにも人の目を気にしてしまう。
その点、図書館では1人でいてもなんとなく許される空気があるのだ。
あとパソコン室もおすすめだ。あそこも静かで心地よい。
だが、そのコマの後に授業が入っていたりすると気付かずに自習しながら授業時間に突入してしまい、私のように恥をかくことになるので複数コマ空きコマがある際にはおすすめできない。
私はその経験がトラウマでそれ以降パソコン室に足を運べていない。
逆に、騒がしいところや人がいるところが落ち着くなら生協売店横とランチェの席がおすすめだ。
ただ、冬は寒い。あと食欲に負けてすぐに売店で何か買ってしまう。気をつけて欲しい。
しかし、今回のテーマは友達もいなければ課題も終わらせたシチュエーションを想定して書いているので、そろそろ次の暇つぶし術を紹介したい。

②何か書いてみる
浅い!浅い提案だ!でも何かを書いていると暇もつぶせて気も紛れる。
作品でも、それこそブログでも。時間が潰せるのでおすすめだ。
あと履修の手引きをぼんやり眺めながら取得単位の整理をするのも意外と楽しい。
以上。

③散歩
正直今回一番書きたかったものがこれだ。
在学生はご存知の通り、我々の学校の近くは何もない。
学生街なんて全くなく、穏やかな一本道があるだけである。
しかし、歩いてみるとこれまた面白い。
何もないと思っていたが、意外と色々あるものである。
私はこの1年間で、いい感じのまつ毛パーマサロンと美味しいおにぎりやさんと、、と色々なところに足を運んだ。
一番印象に残っているのは雑司ヶ谷霊園だ。著名人の墓をのんびり巡った。
その時のことは当時ひっそり書いていたnoteの記事に日記として残している。
いつかここでも当時を振り返りながらその時の散歩について書きたい。
大層な目的なんてなくても良いのだ。どうせ、空きコマの暇つぶしなんだから。
なんなら目白駅のスタバを目指して歩くのだって立派な散歩だ。
時間が許すなら池袋まで足を伸ばして遊ぶのだって良い。
だいぶリフレッシュできるし、大学に篭りきりでいるよりは刺激になる。
あと本女からは早稲田も近いので、早稲田の学生街の恩恵に預かるのも楽しい。
安くて美味しいご飯やさん(早稲飯というらしい)がたくさんある。
外の空気を吸って、たまにはイヤホンを外して、スマホのマップも見ずに適当に歩くのがいい。
分かれ道にきたら棒を倒してみて、倒れた方向に進むのもいいと思う。
駅と大学の往復を繰り返していると、文京区には目白駅と日本女子大学しかないような錯覚に陥る。
そして友達と愚痴り合うのだ。「本女の近くって何もないよねえ」と。
確かに、わかりやすい遊び場はあまりない。
しかし、1人でのんびり散歩するのにこれ以上にもってこいな場所はあまりない。
「本女の近くって何もないよねえ」と言われた時に、「近くに美味しいおにぎりやさんあるからさ、一緒に行こうよ」と返せるようになるだけできっとこの4年間は変わるだろう。
この4年間での生活範囲がグッと広がるだろう。
あと忘れていたが、本女の近くには永青文庫という美術館がある。
ここも雰囲気のいい公園の中にある上に、展示の内容も面白いのでぜひ足を運んでみてほしい。

空きコマは、学生に与えられた何に使っても良い自由時間だ。
寝るもよし、YouTubeを見るもよし。家が近いなら帰ったっていい。
ただ、ひたすらに持て余す。空きコマを共に過ごす友達がいないなら尚更だ。
そのような時間に陥った時にはぜひ、このブログを参考にしてみてほしい。
ちなみに私は、今年の時間割で空きコマを作りたくなくて授業が詰めつめである。

逃げ足

先輩たちは、ずっと舞台の上の人達だった。

私は他大学のお笑いサークルに所属していて、学生芸人の端くれとして細々と活動をしている。
そして、先週いっぱいをもって、サークルの4年生たちが卒業した。一年間大学お笑い界隈を牽引してきた先輩たちだ。
本当にかっこいい先輩たちだった。
今回は、そんな先輩たちのことについて書かせて欲しい。

学生にも関わらずプロの舞台でも活躍していて、関西の大会で決勝に進んだ先輩のことは同期みんなで集まって食い入るようにテレビを見た。
力いっぱい手を伸ばしても、かすりもしないような位置に先輩達はいた。
先輩たちは、舞台の上でいっとう輝く人たちだった。

私が初めて大学お笑いの世界に触れたのは2021年のアメトーークだった。
学生芸人出身の芸人が大学お笑いについて話す企画で、初めて「大学お笑いサークル」の世界に触れた。
去年M-1で優勝した令和ロマンや真空ジェシカ、ラランドなども学生お笑いの出身だ。
そこから大学に進学したらお笑いサークルに入ってみたいなぁ、と漠然と考えていた。私が今入っているサークルに初めてコンタクトをとったのも、ちょうど去年の今頃だったと思う。
初めて見に行った大学お笑いのライブは、4月の新歓ライブだった。
そこで見た先輩たちのネタは本当に衝撃だった。
正直「大学生のネタか、どんなもんなんだろう」という感じで見に行った。言葉を選ばずに言うとクソ生意気な1年生である。
結果、めちゃくちゃ笑った。本当に笑った。
こんな最高のライブを無料で見ていいのか?
私はこの人たちの後輩になれるのか?
心が踊った。ちなみに、その時に私が一目惚れしたコンビが今回の卒業生たちである。
雷にうたれたような衝撃を受けるほど面白かったのに、そのコンビは本コンビではなくサブコンビだったらしい。
プロと違って、たくさんのユニットを掛け持ちできるのも大学お笑いの楽しいところ。

サークルにはスタッフとして入会したが、一ヶ月経ったときに演者(芸人側)に転向した。
舞台の光が眩しくて、どうにも憧れてしまったのだ。
オードリー若林のエッセイで、こんなエピソードがある。
芸人を辞めて、社会人になったとしてもまたお笑い芸人に戻ってくる人がいるらしい。
その理由は、笑いを一身に浴びる感覚が忘れられないから。
その感覚を私も味わってみたいと、そう思ってしまったのだ。

スタッフとして入会したので組んでくれるような相方も見つからず、しばらくはピンでやっていた。
初めて立つ舞台。小さな劇場。
自分の書いたネタがウケる喜び、快感、手の震え。
大学お笑いの世界に入らなければ、実感できなかったものだ。
私はプロになりたい訳では無い。
プロと同じ舞台で戦う先輩は、憧れでしかない。
だからこそ、とにかく背中を追いかけ続けた。同期がどれだけ面白いネタを出しても、先輩たちには勝てなかった。
大きな背中を、走り、追いかけ続ける。
なのに先輩はどんどん先に行ってしまう。
ただでさえ面白いのに、もっともっと面白くなり続けていく。

今月、大学お笑いの大会があった。小さなライブはあれど、大学お笑いの大会としては先輩たちはそこで引退だ。
漫才、ピン、コントでチームを組み、戦う団体戦。
決勝戦は6組が優勝を争う。
私のサークルからは3組が決勝に駒を進めた。
全組面白かった。面白すぎた。圧倒された。
ただひたすらに面白くて、殴りつけてくるような笑いの波に溺れそうだった。
最後、大トリ。6組目は4年の先輩たち。
漫才、ピン、コント。三角形が完璧だった。
会場の誰もが、先輩たちの優勝を確信していたのではないかとさえ思う。
笑いながら、少しだけ涙が出た。
大きな会場で拍手笑いをかっさらう先輩たちがかっこよかった。
優勝の瞬間は思わず体が震えた。
先輩たちの4年間が報われた、そのうちの3年間は知らないし、この1年間もそばで観てきた訳では無い。
だが、この1年間、ずっと憧れていた。
ずっと背中を見てきたのだ。
ずっと舞台上で輝く先輩たちを見てきたのだ。

プロに行く先輩もいる。
社会人になる先輩もいる。

でも、皆一様にこのサークルから去ってしまう。
本当に逃げ足が早い先輩たちでした。

あとひと月もすれば、私にも後輩ができる。
後輩にも、でかい背中を見せてやりたい。