なんとなくやる気が出ない時ってありますよね。
私も昨日、なぜだか頑張れなくてどうしようかと思いました。
やらなきゃいけないことはたくさんあるのに、どうにも心の整理が追いつきませんでした。
そこで!私は大好きなタピオカで元気を注入することにしたのです。
はじめに某7と11のコンビニへ向かいました。
ところがそこにタピオカはなく、あえなく撃沈。
はしごして少し先の薬局へ行くことに。
そこには私の愛してやまないメーカーのタピオカが置いてありました。
しかも近所のスーパーより100円安く!!
一気に元気を取り戻した私は、習い事までの30分でタピオカを噛みしめました。
タピオカ一杯で元気になれる自分に半ばあきれながらも、やはり愛の力は素晴らしいのだなと感じましたね。
ちなみに今日も学校で飲みました。学校にタピオカがあるって素敵な環境ですよね。
ミルクティーは売り切れていたので、人生初抹茶タピオカに挑戦してきました。
学校のもなかなかおいしかったです。
あの飲み物は抹茶オレというのでしょうか。牛乳と抹茶を混ぜたところに抹茶味のタピオカが入っていました。
いままでミルクティーしか飲んだことがありませんでしたが、これからはいろいろな味に挑戦していきたいと思います。
そういえば、タピオカの原材料はご存知ですか?
私はこの大型連休中に先輩から「カエルのたまご」だと聞きました。
考えてみれば、色付きやら味付きやらがあるので、すぐに嘘だとわかるはずなのですが、その時の私は疲れていたのでしょうね。
まんまとだまされました。
しかもその先輩は「マルメタピオカガエルのたまごなんだよ!」と言ってご丁寧に画像まで見せてきたんです。
これは信じますよ。本当に。
皆さんもタピオカの原材料を調べてみてくださいね!
おやすみなさい。良い夢を。
左眼が疼くぜ
どうも、はるかです。
契約というのはなかなか等価交換とはいかないものです。そも人の方が立場は弱いのですから。魔を喚び、契約を交わすことはその行為自体が命取りとなり得るわけで。しかしその分の魅力がある。
久々に魔法陣を一から描き、やたら行程の多い儀式の準備も終えました。召喚魔術の詠唱はさすがに緊張しましたね。久々でしたから。詠唱が終わったとき、立っているのもやっとなくらいの疲れと溢れ出る魔力を感じました。ああ、これは成功した、と確信したわけです。魔界からの使者との取り引き。気を抜けばすぐに喰われてしまいそうな、圧倒的な力の差。人間にとっては規格外の契約。片眼の一つで済めば安いものです。ああ、でもやはり、眼帯はしばらく慣れそうにありませんね。
ということで、朝起きて突然目が開けていられないほど痛くなり、「目が、目があああ!!!」と眼科に駆け込んだら、角膜剥がれていました!!!黒目の真ん中がぺろっと剥がれていたそうです!とても痛い!!!目薬さしていれば、二日で治るそうですが、ドライアイ気味でコンタクト長時間付けていると、コンタクトにくっついて剥がれてしまうそうです!!!痛いのでコンタクトの人気をつけてね!角膜って二日で再生するんだね。眼帯しながら書いてます。かっこいいから一度つけてみたいなと思ってましたが不便ですね。知り得る限りの片眼キャラを慮っています。
眼帯取ったら魔眼とかになってないかな。
推しに生かされてる
皆さまこんにちは。えぬです。令和(←まだ変換が追いつかない)初めの月も半ばになりましたが、如何お過ごしでしょうか?21歳になり約ひと月が経って分かったことは、疲れが取れにくい身体になってきたな…という事です。推しのDVDを深夜に見ようと思っても夜更かしが出来なくなりました。ある意味健康的ではありますが、推しを愛でる時間が無いのでこれはちょっと困るぞ!!
ただ、今までひっそりとしていた推しにやっっっと動きが見えたので、足の指先も踊りだしそうな心地です。現在放送中の朝ドラ『なつぞら』で主題歌を担当している推しバンド・スピッツのニューシングル『優しいあの子』の発売日もジャケット写真も公開されて、今脳内ウハウハです。実質スピッツに生かされている…。しかしこの情報以外のお知らせが見えてこないおじちゃんバンドなので、夏の予定だとかが一向に決められません!!そんな所も大好きさ――――!!
さて話を変えまして、一ヶ月も前に公開されている映画『キングダム』について語らせてください。GWの混雑中に行く気になれずつい最近二回観に行きましたが、大作の予感でしかありません。7月くらいまで劇場で公開していて欲しいくらいです。
皆さんもう観ましたか?観ていない方は是非、劇場に足を運んでください。これはスクリーンで見ないと損をする、と言えるくらい素晴らしい映画でした。二度も行きましたが観終わった後しばらく余韻が抜けず、けれど確かに自分の中に闘志が芽生えて何かに打ち勝ってやろうという強い心が生まれます。キャスト陣もそうですが、制作陣やスタッフのこの作品に向ける情熱が画面越しに伝わってくるんです。全身全霊で臨んでいるのが伝わってきてセリフ・演技の一つ一つに嘘が無い。説得力があるのです。この世界は紛れもないあの『キングダム』の世界なのだと、そう思わせてくれる力がありました。山﨑賢人さん演じる信は信だったし、吉沢亮さん演じる漂は漂で、嬴政は嬴政でした。他のキャストさんも紛れもなくそのキャラクターとなり、そこに生きていました。
何より私が大好きなのは、原作通りに使われたセリフ【俺達は力も心も等しい。二人は一心同体だ。お前が羽ばたけば、俺もそこにいる。俺を天下に連れて行ってくれ】を、吉沢亮さん演じる漂が臨終の際に山﨑賢人さん演じる信に告げる場面です。初見でこのセリフの美しさと二人の演技に心が震え、二度足を運んで二度とも泣きました。【俺たちは力も心も等しい】こんなにも相手を信頼し、切れない魂の繋がりを体現したセリフがあるでしょうか…。原作も素晴らしく、映画も素晴らしい。上映する限り足を運ぶつもりです。
もっと語りたくて仕方ないんですが、言葉に出来ないもどかしさ…。ただ本当に、まだ観ていない方は観に行くことを強くお勧めします。とにかく、おすすめしますよ。原作も54巻出てます。観たらきっと、全巻集めたくなります。
そしてまさに今、財布の底を叩いている私です・・・!!
中国文学演習について
こんばんは。しおりです。
皆さま、連休も明けて1週間が経ちましたがいかがお過ごしでしょうか?
私はといいますと、気が緩んでしまって風邪をひいてしまいました…。病院に行ったところ、おじいちゃん先生に言われたのは「とにかく早く寝なさい」のお言葉。なので今日は簡単に書かせていただきます。
今日のお話は中国文学演習について。
今日の2限に発表の担当でした。対象作品は魯迅の「狂人日記」「薬」「明日」の三作品。どれも大変興味深い作品です。ただし、中国文学の研究は私にとって本当に難しいものでした。今まで近代文学ばかりやってきたので、全く違う研究方法にあたふたしております。何よりも驚いたのは、作品と作家を切り離してはならないこと。近代文学研究においては、「作品は独立したテクストとして扱いなさい」との言葉を毎回の演習の度に耳にします。しかし、中国文学はそうではないのです。作家・魯迅の思想が作品にどのように表れているか、魯迅の書いた評論などを用いながら読み解いていきます。
新しい研究方法に触れることは大変面白いことですが、何と言っても根拠を探すのが難しい。うっかりしていると単なる感想になってしまうのです。評論をどこかから引っ張ってきて、無理やり繋げようとしたら何となくそれらしいものができてしまう。推測に推測を重ねるだけで何となく考察らしくみえてきてしまう。その恐ろしさときたら、書いている最中にも常に悩まされます。それに、外国の作品なので何か気になることが出て来ても調べる方法自体がわからない。唯一信じられるのは作品に書かれている言葉だけで、精読のみが間違いなく確かな考察に繋がるはずだと思うのですが、そこにとどまっていては今度は作家を置き去りにしてしまうのです。考えれば考えるほど頭が混乱して、気が付けば深夜遅くになっているという日々が続きました。
しかし、この葛藤を乗り越えることは大変重要なことであると感じています。それは、近代文学であっても作家の存在を最後まで無視し続けることはできないためです。作家の存在を考えたほうが面白い解釈が生まれることもありますし、文体が大きく変化した作家などにおいては、やはり変化する前後でその人に何が起ったのかを知らなければ始まりません。中国文学演習は「文学」というものに対する新たな向き合い方を教えてくれるものであると感じます。今日の発表を終えて、今後も色々と大胆に挑戦してみたいと思いました。
また今日も気づいたらこんなに夜遅くなってしまいました。頭はまだ書けと言っているのだけれど、体はそろそろ寝てくれと悲鳴を上げていますので、今日はこの辺で終わりにします。
それでは、また。
休みの少ない日々ですが
ゴールデンウィークが終わり早一週間。しばらく祝日がないのかと思うと先が思いやられる今日この頃です。
最近の私といえば、演習発表の準備をしたり演習発表の準備をしたりおいしいもの食べたり寝たりラジオ聞いたり…とこんな日々(要するに演習!!!!!!!楽しいけど辛い!!!!!!!ってことです)演習って、きちんと自分の満足いく、理想に近い(理想なんて一生かかっても追いつかない)発表ができた時は嬉しくてもう飛び跳ねちゃいそうなくらいだけど、そこまで到達するには辛い道を避けては通れないものですよね…。
とにかく!今年度は一つ一つこつこつと頑張ります(涙目)
こんな風に?毎日風のように過ぎ去っていく日々ではありますが、今日は個人的に嬉しかったことを二つ書こうと思います。休みが少ないと気持ちが追い詰められがちですが、皆さんも少しでも良かったことを思い出して、明日からの活力となりますように!
一つ目は、この間初めて『元暦校本萬葉集』をこの目で見られたことです。
今トーハク(東京国立博物館)では、「美を紡ぐ 日本美術の名品」と「国宝 東寺 空海と仏像曼荼羅」の二つの特別展があって、行きたいと思っていたら、運よく知り合いの方が二つとも前売り券を買っていてくれていました。常設展はキャンパスメンバーで無料にはなるけれど、特別展はたったの100円引きにしかならないので、内心お金浮いたラッキーと思っていました(笑)
で、その方と奥さまと私の祖母とで4人で行ってきたわけですが、それはそれは楽しかった…。京都の東寺は一度だけ行ったことがあったのですが、仏像はもちろん普段は見ることのできない貴重資料、仏具等々(唐時代の密教法具、前に授業で触れた東寺百合文書も…)がたくさん出品されていて、いくら見ても見飽きることありませんでした。日本美術の名品の方は、美術なはずなのに定家筆の『更級日記』、後伏見天皇筆の『古今和歌集』がなぜか展示されていて、私には意図がくみ取れなかったのですが、とにかく日文ガール的には美術より大興奮でした。
(博物館学芸員の資格の講義を取っているので、一つの特別展を企画することの大変さと苦労が伝わってきました…)
あと、おいしいものといえば「上野精養軒」に行って、ランチ?ディナー?どっちともいえない時間にお肉とウィンナー(子供みたいだけど、ちゃんと大人な味でした)をほおばってきました。あの時間に食べるお肉ってなんであんなにおいしいの…。若干の罪悪感…あれは人をダメにする。
話は本題に戻って、『元暦校本萬葉集』の話ですが、その「美を紡ぐ 日本美術の名品」の特別出品として出ていました(「令和」だからなのかしら…)。私は基礎演習が『萬葉集』で、前期も演習を取ったり、上代の自主ゼミ長だったりと『萬葉集』に触れる機会も多くて、ちょうど元暦校本もe国宝(ネットで国宝、重要文化財の作品の画像が見られるサイト)で見ていた直後だったので、すごく嬉しかったのです。
元暦校本といえば、殆ど見られない粘葉装という装丁で、紫の飛び雲がすき込んであるのが特徴です。粘葉装は、今の小学校の文集などの袋綴じとは違って、裏表両方に書くのでなめらかで良い紙でないといけないのです。『萬葉集』は残念ながら、奈良時代の成立時期に近い写本は残っていないため、桂本や元暦校本といった平安中期の写本はとても貴重なわけです。
そんな元暦校本を実際に見れるなんて、素晴らしいと思いませんか!!!???
私は今まで『萬葉集』の古写本というと、どこか空想の世界のものだと思っていました。勉強しているけれど本当にあるものなのかな…という遠い存在でもあったり、「令和」発表の前は『源氏物語』の絵巻などの出品の方がずっと注目されていたという側面もあったように感じます。平安中期といえば、約1000年前。千年かけてそれでも残り続けることは、資料の中身だけではなくて、写した人や火災や戦乱も乗り越えて守り続けた人々の思いも詰まっているということだと思います。元暦校本の紙の美しさだったり、伸びやかな字から、その重みを感じました。それから、粘葉装や紫の飛び雲など実物で見ることで、理解度が深まったように感じました。資料は、知識がなくても興味深いけれど、やっぱり知識があった方が見ていていろんな点に気が付くし、面白いです。机上の勉強と実物観察?の両方を大切にしたいと改めて感じました。
また、千年も前のものを今の私たちが見ることができるって、タイムトラベルはできなくても過去と今を繋げることでできるような気がしています。そしてそれを私たちは、未来に繋げていく必要があります。今から千年後…いったいどうなっているか分かりませんが(もしかしたら紙なんてなくて、だれも文字を書く人がいないかも!?)、こういう文化的なものが残ってくれればいいな、と思いました。
二つ目は、嬉しかったというより興味深かったことに近いかもしれませんが…。この間ある講義で、人間は生得的な言語獲得装置(LAD)を持っている、ということを勉強しました。LADというのは、簡単に言えば「言語には何らかのルールがある」ということを生まれつき持っている、ということなのです。
で、今日更にあるまた別の講義で言語について学び、先生に質問をした流れでLADの話になり…その先生がおっしゃることには、言語の獲得というのは、コミュニケーションツールとしても当然重要な役目を担っているけれど、それと同じくらい大切なのは時の流れ(過去現在未来)を把握できるようになったということなんだそうです。というのは、人は言葉にすることで起きたことを把握し、それを次に生かして見えないものに対しても予測できるようになったそうで。結局ホモサピエンスは言語を獲得できたために、獲物が来ることを予想し罠を仕掛けられるようになったために生き残ることができたけれど、ネアンデルタール人は言語獲得できなかったために生き残ることができなかったらしいです(聞いたことを書いているので若干不確かなところがあります)。言語って深いなあと感動します。少なからず、言語はきっと何万年?と歴史を持って日々変化しているのだと思うと、この言語を簡単には手放してはならないと思うのです。
最近一つ思い出したことがあります。それは高校生の頃に、あることで「ごめんなさい」と謝ったら「でもあなたの中で、こうしなければ生きていけなかったんでしょう?」と先生がおっしゃったことです。その時確かに私は「そうしなければならなかった」状態であって、すごく心も敏感になっていたので、その言葉に心を見透かされたように感じたことを覚えています。
しかしながらもし今同じ状況だとしたら、もっと寛大に色んなことを受け入れることができただろうし、今思い返してみるとその「あること」が段々と過去のものになって客観視できるようになってきていると感じるのです。人間とは不思議なもので、辛かったり悔しかったりしても、そこから学んで生かしたり、「時が解決する」という言葉があるように、時をかけることでいろんなことを忘れたり別の視点でものを見ることができるようになるのです。
色々と人というものは理屈で通らないことがあって、でも成長することのできる生き物で、自分自身でそれを実感できるとともに、文学の視点から他の人の生き様を感じることができるのは、とても幸せなことだなと改めて感じました。
最後は何だかすごく真面目になってしまったけれど、毎日忙しい日々の中で自分自身を振り返ったり、ふと嬉しかったことを思い出すというのは、すごく大切なことだと思っています。(じゃないと、毎日があっという間に過ぎ去ってしまうような感じがする)
今週末にはずっと楽しみにしていたライブもあるし!(きゃーーーーー)息抜きしながら、前期を駆け抜けていきたいです!
さて、演習の準備に戻ります。ではでは~っ
日本語だけじゃなくて
みなさん、こんにちは。さやかです。
元号が変わり、連休が終わり、本格的に新学期がスタートしましたね。連休は色々と用事があり、ほぼ休めないままに終わりました……。五月病にならないように、お互い気を付けましょうね。
さて、実は先週から大学で新たに講座が始まりました。「毎日学ぶ課外英会話」!
毎日40分ずつ授業があり、ネイティブの先生と集団での授業になっています。実は一年生のころから受講し始め、私は今年で二年目です。始めはすごいやる気があったわけではなく、親に勧められるままに申し込みをしてしまったのですが、これがものすんごく楽しい。教室内での会話は英語限定で、始めは(頭の中で英文なんて作れない……みんななんで話せているんだろう……というか、そもそも何を話題にすればいいの?)と混乱状態。でも、先生は根気よく付き合ってくれるし、やさしいし、面白いです。毎回の授業にテーマがあって飽きないのも推しポイントです。40分の中でゲームをしたり、ペアでおしゃべりしたりとテンポよく進んでいくので40分があっという間です。正直、1年生の必修の英語より断然楽しかったし勉強になったと個人的に思っています(決して必修英語の先生方がつまらないわけではないのですが)。
そんなこんなで迎えた英会話二年目。今年の目標はズバリ「TOEICの点数をあげる」。昨年はなんと姉の点数を超えることができた(英会話のおかげです)ので、今年は父親を超えたい。でも父親を超えるには多分あと100点くらいは上げないといけない……。道のりは長いですね。
そして将来的にはハリーポッターを英語で読みたい。小さいころから大好きな作品を日本語訳を通さずに原本のまま楽しむのが、私のささやかな夢の一つです。
日本文学科の人に中には「英語なんて絶対無理」と英語から距離をとっている人が少なからず存在します。でも、同じ言語表現なのだから、英文も読めたらきっと楽しいと思うのです。
そんなことを考えながら、そろそろ来月に控えているTOEICの勉強(覚えなきゃいけない単語が多すぎる……!)をしてこようと思います。
それでは、また!
映画
こんにちは。
わたしは映画館によく行きます。
最近、話題になった作品は1年も経てば地上波で放送されますし、配信サービスも充実しているので、わざわざ劇場に行かなくても作品を楽しむことができます。
しかし、劇場でかかることを前提に作っているならば、わざわざ足を運んで見る方がその作品を最大値で楽しむことができると思っています。実は映画館という空間はそんなに好きじゃないんですが、自分でお小遣いを稼ぐようになってからは、なるべく劇場でかかっているうちに見るようにしています。そう思ったきっかけは、我々がチケット代を払って見ることで製作陣に還元できるんだ…!と実感できる作品に出会ったことです。好きなものにはちゃんとお金を払って楽しむ。当たり前だけど見逃しがちなことを認識した作品でした。
タイミングが合わなくて見逃したものや、金銭的に無理だった場合は、配信で見ることもありますけどね。
特にこの数ヶ月は映画館に通っています(遊んでいる場合ではないのに)。
好きなラジオ番組のゲストに映画館の運営に携わる方がいらして、色々な事情を話されていたのですが、そこで印象的だった話があります。映画館側の収入源はドリンク代やフード、グッズだということです。チケット代だけではそこまで映画館の儲けにならないらしいです(詳しい内訳はわかりませんが)。
最近は上映中にがさがさやっていると迷惑がられることも多いので、食べ物を食べるのはちょっと躊躇してしまいます。
しかし、この話を聴いた後に映画を見に行って、突然「劇場に貢がなきゃ!!」と思ったので、お金がなかったけどドリンクとフードを購入しました。劇場が推していた いももち にしてみました。結構美味しかったです。自分も物語に集中したいので、予告中に急いで食べました。小腹が満たされて中々良かったです。
学生は潤沢にお金が使える立場ではありませんが、作品を応援すると同時に劇場も応援したいので、たまにお茶を買うなどお金を落としていきたいと思いました。
学生のいいところは、空いている時間帯に映画を見に行けることですね。
今一番見たい作品は『名探偵ピカチュウ』です。
もしゃもしゃのピカチュウを愛でたい。
それではまた!
わかば
運転免許を取って、はや二ヶ月。
ようやく地元で運転しました。
車は祖母からのおさがりで慣れ親しんだものです。車内はおばあちゃんの家のにおいがします。
日曜日に車が家に到着し、さっそく乗り込みました。
まずは駅と家を数往復。次に駅を越えてお店の車庫入れにも挑戦。一発で入り、とてもすっきりとした記憶です。
教習所でも縦列駐車は得意部門でした。バックで入れる感覚が身体に残っていたようです。
そして今日!初の夜運転してまいりました。一人で乗るのはまだ不安なので、同居している祖母と一緒に駅まで母を迎えに行きました。
運転の前にライトのつけ具合で祖母とあれこれ議論し、やっと出発したと思いきや、運転中もライトを強くしたり弱くしたりとかなり迷惑な運転をしていました。とはいえ、田舎でこの時間に運転している人はあまりおらず、それほど邪魔にはなっていなかったのですが。すれ違う車や後続車にひたすら謝りながら駅まで向かいました。
駅のロータリーまでいくとさすがに車の数も増え、ひやひやする場面もありました。
帰り道は特に問題もなく、無事に帰ってこられました。
やはり車は毎日運転しないと勘が鈍ってしまうのでしょうね。
できるだけ毎日できればと思うのですが、学校もありますしそういうわけにもいかず。
はやく上達して遠出できるようになりたいです。
おやすみなさい。良い夢を。
当
みなさん、こんにちは!ここです。
聴いてください!なんと、なんと、Queen+Adam Lambertのチケット当たりました!奇跡!本当に嬉しいです。今から楽しみ過ぎて泣きそうなんですが、まだまだ先のことなので今はひたすら貯金に勤しみます。最近、日本語の歌詞が恋しくなってあまりQueenを聞いていなかったのですが、チケット当選をきっかけに久々に1日中Queenを聞いていました。やっぱり良いですね。なんていうか、こう、世界に認められるものというのは結局すごいものなんだなあというか…相変わらず語彙が死滅していて申し訳ないです。
つまり、なんだかんだ大衆の感覚というのは期待を裏切らないなあと思うわけです。流行に流される〜みたいな言い方をすると、なんとなく悪く聞こえたり、みんなが好きなものを好きっていうのってなんか抵抗があるじゃないですか。(え、ありますよね?)でも結局、そういうのって反抗期みたいなものでふとした瞬間に世界的に有名な映画とか音楽とか劇とかを見ると、「ああ、やっぱり心に沁みるなあ」と思うことが多いように思います。だからと言ってマイナーなものが劣っているというわけではないですよ!見栄とか体裁とか周囲の目とか、そういうのを一切気にせず、好きなものを好き!と言って色んな世界に触れていくのが一番だな、という話です。簡単なように見えて、実は結構難しいですよね。私たちは多かれ少なかれ周囲の人間の目が気になるし、気にしなければいけないので。窮屈だなあと思うことがほとんどですが、それもまた人間として生きていくことの醍醐味なのかもしれませんね。
最近は二年生の生活にまだ慣れず(特に100分授業)、あたふたしているうちになんの生産性もなく時間を浪費しています。そんなことができるのはある意味今だけなのかもしれませんが、やっぱりどこかで「このままじゃダメだ」みたいな焦りを感じざるを得ません。勉強もバイトも趣味も友人も疎かにせず満遍なく満喫できる人間になりたい!!!気がついたらGW終わってましたし、本当にこのままではまずい…特に勉強が…。日本文学の勉強ももちろんですが、流石にそろそろ大の苦手な英語にも向き合わないと…。苦手ですが嫌いではないので(Queenのおかげで)、夏明けまでにはある程度なんとかしたいです。今年の夏は充実したものにできるように、まずは前期にやるべきことが疎かにならないようにしたいですね。評価に繋がるかどうかは別として、ちゃんとやれることはやったと胸を張って言えるように。
決心するのが遅すぎる?私もそう思います。まだ遅くない…まだ遅くない…。とりあえず高望みし過ぎず、身の丈にあった範囲で頑張ります。これから暑くなってくるので、確実に体にガタが来そうですし…。夏、暑さ怖いですね。みなさんもお気を付けて。
それではまた!
人形劇がやってくる!!!!
ハローみなさん! むーです!!
突然ですが!!
新図書館の隣にあるあの建物、
名称は募集中、かまぼこが連なったようなあの建物に!!!!
今週末、5/12(日)、人形劇がやって来ます!!!!!!!!

ワァ~~~~~~!!!!!!!!!!!
人形たちがおりなす、カラッと笑えて元気になれる、人間味あふれるショート・ショート集!!!!
ふらっとぷらっと、ぜひぜひお越しください!!!!!
(ご予約いただけるとあんしんします、よろしければこちらから……)
(https://docs.google.com/forms/d/14EG5qxis-Rjnh9_wRayJ-V3FQnph-QZL_3NlDTv0yCE/edit)
はてさて、私と友人、3人組の人形劇ユニット、人形劇団ぴよ。非公認団体ですが、この度例の新図書館スペースをお借りして、公演が打てることになりました。
なんと、われわれの最初で最後の自主公演です。
高校時代の人形劇部の同級生3人ではじめたこの団体、もともと、他の子たちが試験勉強や実習で忙しくなってしまうことが分かっていたので、「活動するのは大学3年生まで」とタイムリミットを決めていました。
それから保育園や老人ホームなどを中心にボランティアで人形劇の公演を行ってきて、他の学生ボランティア団体との交流を深めたり、長野県へ赴いて人形劇界随一の規模を誇る「いいだ人形劇フェスティバル」に参加したり。本当に幅広く活動を行ってきましたが、だからこそと言うべきか、自分たちで公演会場を用意して、自分たちでお客さんを呼んで公演をする、という機会が、今まで一度もなかったのです。
なので、最後の公演は、自分たちだけの公演にしたかった。今までお世話になった人々や、自分たちとおんなじ大学生の目線を持つ人。そういう人たちに、劇を届けたいなと思ったのです。そうしたら、また何か新しい可能性を拓いて、終わることが出来るから。
私たちはつくづく、アグレッシブな団体だったなぁ、と今までを振り返ってみて思います。小心者な私は他の2人に腕を引っ張ってもらうばかりだったけれど、冷静に考えて、活動を始めてたった2年の、何の後ろ盾もない20歳のちっぽけな3人組が、人形と一緒に自分たちの劇をしょい込んで長野の飯田に繰り出したなんて、ものすごいことなんじゃなかろうかと。
そのとき持って行った思い出深い作品が、『きのこ』です。狂言が題材で、ちょうど二年前の「舞台芸術の歴史Ⅰ東洋」での出会いをきっかけに、たくさんの人の目を通して完成させていきました。自他共に認める、私たちの代表作です。
『きのこ』をうけて作ったのが、狂言題材シリーズ第二弾、『だまされんぞう』。タイトルは影も形も残っていませんが、元ネタは『舟渡聟』です。我々の最新作。これはたぶん、子供よりも大学生にウケるという確信を持っています、理由は単純、物語の軸にあるのが「お酒」だからです。ぜひぜひ皆さんにお見せしたい。
それから3つ目の演目が、高校時代、私たちが「人形劇団ぴよ」を名乗る前に作っていた劇、「おぶさりてぇ」。ハートフルな民話です。拙いところも多いのですが、思い出深い演目なのでと脚本を引っ張り出してみたら、これがまぁ面白くて。3人で夢中になって読み合わせてしまいました。
さてもまぁ、そんな感じの3つの演目を、このたび上演いたします。
子供やお年寄りに見やすいように、と工夫を凝らしている作品たちではあるけれど、それでもまず第一に、自分たちが面白いと思える劇を私たちは作っています。
表現者としてまだまだ未熟であるからこそ、今の私たちの作る劇は、私たちと同世代の、皆さんにこそ、何かものすごく刺さるものがあるのではないかなぁと思うのです。
お時間があればぜひぜひ、入退場もなんと自由ですのでお気軽にお越しくださいませ……!
公演終わったらまた何か語るかもしれません。それでは今日はこの辺で!むーでした!