ご無沙汰しております、みちるです。
記録隊になったんです。
「南極にでも行くのかい」
行くよ。
今あなたにそう言われたから行く。そう言われなければ、今すぐには行こうと思わなかった。
常々、私の行動は外界からの刺激、とりわけ他者からやってきた刺激の影響を大いに反映して決定されていると感じます。
それだけに、人間の言葉に過剰に意味を持たせてしまう傾向にあるとも。しかしそれは他者をテクストのように見ることに繋がってしまう。大切な人間たちの人格を剥奪してまでやりたいことなどないし、それで通せる愛もまた存在しない。人格を剥がれても叶えたい願いを受け入れられないあたり、私にもゆるせないマゾヒズムがあるのだとわかった。
マゾヒズムは非道徳のうちで栄えるけれど、非倫理のうちではそうならないのかもしれない。私たちが宙づりになるのは倫理のなかでの出来事であるし、倫理はまま非道徳だ。
そして私はまだ、倫理と道徳が地続きにあるという考え方に驚きを隠せないでいる。
(間奏)
奴を相手に、ずっと意地を張ってきた。
私は現行の日本において、いや世界においてさえ幸せになりたいとはどうしても思えなかったけれど、奴に意地を張ることで可愛い可愛い人間と幸せに生きていくのだと思うようにしていた。
目の前のものを見るのが得意だから、得意を活かしてやっていった。私のやれる範囲、適した範囲は人間と恋愛をするには不十分だったけれど、人間は私の隣にいたいと言ってくれた。私は、これは結果的に人間との関係を盾にして要求を通すようなものなのではないかと、私の最も嫌うコミュニケーションの成立ではないのかと疑った。
人間を好きだと思う私の気持ちは嘘でないはずなのに、奴の言葉が頭に焼き付いて離れない。
「それがあんたの云う「かっこいい」ってやつなのか」
鏡を見て、あまりに洗練されていない自分の姿に驚愕してしまった。奴は自分も、自分の周りにいる数少ない人間にも、本気でやっていてほしいと云った。気が付けば私も同じことを望むようになっていて、でも目の前の人間は、どうしたってそれを望んで良いような対象に見えなかった。高いとか低いとか、そういうことではない。
可愛いその人間に私の望むものを望むのは、魚を陸で走らせるようなものだった。
そう気が付くとき、奴にとって私は随分低きものであったのだろうとわかって腹が立つ。
家族と時間をずらして夕食をとるとき、ドレスコーズを聴くとき、お風呂でシャンプーする時にも奴のことを思い出す。私、「スーパーサッド」する暇がなかった。だからずっと悲しいし虚しいし、人格を人格として愛することのできる関係のもとへかえりたいと思ってしまう。
全ての人類を固有のものとして愛するには、私が一方的にそれらの人格を尊ぶので充分なのかもしれない、というよりむしろ、そこまでしか出来ないのでしょう。しかし、相互にそうした仕方をとることが出来る関係がもしも可能なら、私が自ら拡がりをもって自然であるのもそうした関係のなかでしかあり得ない。
私が云うのもなんだけど、こんなの相当頭のネジが飛んでいなければできない。
でも、やるほかない。私は勝つまで求め続けるだろうし、その分といってはなんだけれど求めて当たり前のものは求めない。
人のことを大いに傷つけてしまった。それでも今後与えてしまうであろう傷よりもより少なく浅いものであるはずだ。人間は長く私の隣にいたいと言ってくれたけれど、長くいればいるほど欺瞞は巨大化していくだろうし、人間も私も傷ついていく。
可愛いその人間は倫理と道徳を似た項として認識していて、数量化が得意。私の周りはとにかくおかしすぎるから、私は人間のそういう普通なところも良いと思う。だけど、それではいつかふたりの関係は戦争文学になってしまう。この残酷に気が付かないままでいてくれればそれはそれで良いのかもしれないけれど、いつか私は耐えられなくなって残酷の仕組みを教えてしまうだろうし、その人間がそれをわからないような人だと思いたくなかったから、教えたくもなかった。
愛は、数字のゼロのようなものなんだと。
私がブログの題の素材として色々と拝借している平山夢明御大は仰いました。小説のなかで何かと愛を”かける”と、それはゼロになってしまうのだと。私はひねくれて「じゃあ、”たす”ならいいのか!」と本気で信じながら色々と試行錯誤したものですが、そうじゃなかったのかもしれない。
引っかかるべきは”かける”ではなく”愛”の方だったのです。それも愛ではなく”愛”、永きに亘ってそれとして認識され、題材とされてきたような愛の通念、それをかけるようでは空虚であるということ。平山の真意は定かでないですが、そう解釈するのが私の正しさと符合すると思いました。
何だかんだ云って平山は愛の話を書くじゃないか。そう感じていたけれど、実際僕の考える愛と符合するならそれは、”愛”と明確に区別されるものだ。
――愛、と打っていたら、
「絶対にぃ、成功させようねぇ」
と、女性の声が聞こえてきた。オクターブをまたいだ二つのBの音がする。
脳内で勝手にもう一人入ってきた。今度はD#の音で喋っている。
「「絶対にぃ、成功させようねぇ」」
三度目にはもう一人入ってきて、今度はF#で喋る。
「「「絶対にぃ、成功させようねぇ」」」
勝手に増殖して、三人の女性が同じことを言いまくっている。
やめてーせっかくいつも通り語りの手紙が書けていたのにー・・・・・・
数回繰り返したのち、二人目に入ってきた女性の音がD#からEへ変わってることに気がついた。
sus入れんなや――
そんで、それを言うのは愛じゃなくて誠なんだよね。
ラッセンのイルカ?ラッセンのイルカじゃない?
一番気になっちゃう。
またお手紙書きますね、大好きです。 みちる



