時は遡り2015年。クスノキとユリノキがあり、学生生協の場所が違い、旧図書館があった時。朝ドラ『あさが来た』の時代。小学校5年生の私は母に連れられ、初めて日本女子大学に足を踏み入れました。学食で醤油ラーメンを啜りながら、「このラーメンとは長めの付き合いになりそうだな」とぼんやり思いました。
それから附属学校に入学し、西生田でのびのび育ったのち、4年前目白に通うこととなり、そして先日卒業しました。
学食でまた値上げした醤油ラーメンを啜りながら、今回何を書こうか考えた時に、毎回言おう言おうと考えて、でもラーメンに乗ったチャーシュー(どう見てもハムだが)のように何となく最後の方に残していたものがあるのを思い出したので、今回はこれを書こうと思います。
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そもそも論、大学や専門学校に行く意味って何でしょうか。
周りが行っているから?
両親祖父母がお金を出してくれるから?
正直お金や余裕がない分には行けませんから、ふたつ目はかなり影響力があります。私も両親祖父母無しではここには居ません。一生かけても返しきれない恩恵です。
ではお金や周囲の問題抜きに考えたら、いかがでしょうか。
学びを深めるため?
より良い就職先を見つけるため?
婚活に有利な条件を揃えるため?
どれも正解だと思います。自分の未来を考え、その先の景色を観に行く必要があり、そのために専門機関で何かしら学ぶ必要があると理解して出た行動であることには変わりありません。
ここから先は今現在の私の考えです。
私は専門学校や大学とは、現代の修験山であると考えています。
学校という名の、俗世から隔離され守られた環境で、学生という社会的な庇護対象にあって。中学生や高校生までとは違って、自分でその環境を大いに使って、赴くままじっくりと自分の道を追求する。そうして社会を構成する者として貢献する=生きるために、「悟り」を開く場所であると思います。
日本女子大学文学部日本文学科という名の山は、私にさまざまな景色を見せてくださいました。この山に群生している、本という名の木。1本1本を登ってみれば、別の修験山の外観を見せてくれたり、その領域の重要性を語ってくれたりします。小説、詩歌に留まらず、論考、随筆、戯曲、書簡、広告文、文字で書かれた全てのものは、題材も生まれも三者三様。社会学、史学、哲学、生物学、薬学、数学、法学、経済学、他にも色々、視野広くたくさんの世界を垣間見ることができました。
文学というのは越境の学問だと考えています。
国、人種、時代、そして学問の人工的な枠組みを超え、さらには個人というものすら超えて、全てを包括しているのが文学です。専門性を求めると、劣る分野はありますが、「あらゆる世界を外観する」点は、最も身近で最短ルート(※主観)。少しでも世界の外観を知れば、次はどこに行きたいか、次の時代は何を求められているかのプランも立てやすいです。そしてそれが母国語で勉学できるのだというのは本当に有り難く、非常に有利です。
故に私は、やりたいことを模索中の人こそ文学部に進むのは得策であるとも考えています。
ますます未来は確証できないからこそ、早期に意思決定をする必要性がある現代。正直、尋常ではありません。よほど運が良かったり、決まりがない限り、中高生はもちろん、どの段階でも、人生をかけてどうこうしたいという確固たる意志は持てません。しかし総合大学の文学部であれば、その悩みの期間を延長、或いは創出することができます。
文学部は悩む環境が充実しています。
まず、学内では時代を超えた様々な本、及び世界に触れることができます。授業や自主的な勉学に限らず、日本文学科であれば学会、研究ノート、自主ゼミ等でも出逢う機会が設けられています。いわゆる文学オタクな友人や先輩後輩がいれば、その方たちの話を聞くのも大変勉強になります。そして総合大学であれば、そこで出会って気になった他分野の授業を受けることも、必要単位数が少ないため容易です。
研究室に毎日行かなきゃということもないので、学外活動もたくさんできます。留学も可能です。学校との交渉次第ですが、留学しても4年でちゃんと卒業できます。学外で学ぶことも本当にたくさんあります。むしろ、定期的に出て様々な人と関わってこそ、学問の活き方を識るところがあると考えます。
こうして色々見ていって、これまでの人生で一番心に残ったことを、その対象に自分が近づくまでに通った文学作品に絡ませながら卒業論文を仕立てれば良いのです。メイク、アート、メカ、アーキテクチャ、なんでも大丈夫です。オタク的熱狂状態になることが出来れば、飽きずにやり切れるから良いですが、ならずとも、むしろ冷静さや視野の広さは羨ましい武器です。
大学以後の進路についても同様、色々見て、理想の環境を探して、そこに入れるように身を併せていけば大丈夫です。卒業論文の内容が使えれば、話のネタが増えるので良いですが、それとは別に考えるというのも可能です。
文学部の就職難が多少好転している昨今、今が好機であると、私は思います。「本に対して興味がない」「つまらない」と思っている方も、色々学部を見てみて、どれもまだしっくりこない、単位を取り切れる自信がないなら、一度文学部を見てみてください。文学部は本好き・文学オタクだけが行く場所ではありません。少なくとも私が学内外で関わった文学部の先生方は、こうして迷う人を導く力があり、むしろそれが教授という存在なのだろうと思いました。かくいう私も導いていただきました。啐啄同時とはまさにこの瞬間のことなのだろうと感じています。
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私はこの山を下山しました。しばらく知識を社会に還元しながらお金を得て、安定したら、この山から見えた別の山に修行しに行こうと考えています。どこに行くかはまだ誰にも言えません。私のことだから、多少変わるかもしれないので。
ただ基本姿勢はいつだって同じ。人生は紙飛行機とするならば、どこまでもどこまでも、自分の思うまま赴くまま、飛んで飛んで飛んで、どこまでも飛んで、色々な景色を見ていきたい、創っていきたい。そのために必要な新しい知識を常に常に、執念深く泥臭く、限りなく求めていきたい。私は紙飛行機界のグローバル8000になります。
さようなら、ありがとうございました。
これにて筆を置かせていただきます、わたと申しました。