ぽつぽつと雨粒が降り注ぎ、しとしとと足元が濡れる日に、私は上手に水溜りを躱して戸を叩く。
「マスター」
「いらっしゃい」
ちりんと軽いベルの音と共に開いたドアの奥から溢れでたのは、洒落たジャズの調べと鼻をくすぐる良い匂い。木目調の店内はオレンジ色のランプにあたたかく照らされている。私が外との温度差にふるると震えると、マスターはそっとタオルを差し出してくれる。
「マスター、いつもので」
「ええ。寒かったでしょう、あたたまりください」
それからマスターがカウンターの棚に向き合っているうちに、ちらほらとお客さんがベルを鳴らして入る。みんな雨に降られてしまったようで一様に肩を濡らしていた。お客は「いつもので」とまた同じセリフでカウンターに座ると、ぽつりぽつりと言葉を連ねる。マスターはコーヒー豆をころころと挽きながら、こくりこくりとうなづく。私は定位置に移動し、窓の外を眺める。さあさあと窓を叩く雨の音、ぽんぽんと響くコントラバスの弦の音、ころころと芳醇な香りを漂わせる豆を挽く音。あまりに心地が良くてつい、うとうとと船を漕ぎ出してしまう。どこまで行こうかしら。
「お待たせしました」
とぽとぽと温かい蒸気が立ち上る頃には、私のオーダーは完了していた。私の横に、ティーカップの中の琥珀。私の舌にに合うように、少しぬるめ。私はそれをちろちろと舐める。周りの人間は珈琲を楽しんでいる。あの深く蠱惑的な飲み物を時に羨ましくなるものの、私は代わりになかなか人間が頼まない特別な「いつもの」をいただけるので良いのだ。
「ありがとう、マスター。また来るよ」
最後にニャ、と口を開けると、マスターはカップを拭きながらにこりと微笑んだ。



